りくのトイレの問題です。私が不在の時は、兄との生活の中でリズムが一定しているため、トイレはいつも夜一回で安定しているそうです。私が来ると昼間散歩に出たり、散歩の回数が増えたりするので適当なときにりくはトイレを済ませています。 困るのはつい2時間前に散歩した時にはしなかったのに、また散歩に行きたいと真剣な表情でしつこく言ってくるときです。
「トイレ?」
と訊くと、
「ワン!」
と断固たる返事。
「さっきやってほしかったな~」と言いながら連れて行くと、かなりの確率でトイレなのです。ちゃんと教えてくれるのはエライ! 「りく、おりこうさんだねえ。」と褒めてやります。
先日は朝の散歩中、「今日はやらないな」と思っていたら、最後のトイレの場所(りくは草原でしかやりません)を通りかかったところ、草むらにグングン入っていきました。暗くて最初わからなかったのですが、その奥にストレッチ体操をしている方がいたのでちょっとぎょっとしました。りくはその人と5メートル隔てた距離で向かい合ったまま踏ん張っています。「それでいいのか、りく・・・」と心の中で思いながら見ていましたが、無事トイレが済みました。考えようによっては、後始末をしっかりしているところもアピールできたので良かったかも知れません。
2016年12月30日金曜日
2016年12月26日月曜日
「12月25日」
今年は本当に待ち遠しいクリスマスでした。へとへとに疲れていたからです。カレンダー上、12月25日が日曜に当たりクリスマス礼拝と重なる年は数年に一度訪れますが、今年はその年でした。日本では12月になると一年を振り返る番組が組まれ、いやがうえにもせわしない気分になりますが、教会歴はアドヴェントから始まるのですでに一年は始まっています。キリストの誕生というまばゆい光が近づいてくると、人の(他人のという意味ではありません。ほぼ自分のという意味です)心の黒々とした有様や、社会の世相と未来の見通しの暗黒の度合いがくっきりと見えてきます。終わろうとする「人の時」と、まさに始まった「神の時」は全く別々に流れています。しかし私は自分の中でそれをうまく調整することができず、それぞれの流れがぶつかりあって発生する逆流するような力のせいで疲れてしまうのだということがよくわかりました。
しかし今、クリスマス礼拝を終えてまったくの凪のような平安を得ました。「「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり、この僕(しもべ)を安らかに去らせてくださいます」(ルカによる福音書2章29節)というのは、まだ生まれて八日のみどりごであるイエス様に出会ったシメオンの言葉です。この人は主に出会うことを長年待ち焦がれてきた人で、霊に導かれて神殿の境内に入ってきたとき両親の腕に抱かれたイエス様に出会ったのです。シメオンにとってこれが人の時と神の時が重なる喜びの時となりました。人生の晩年であっても、まことの救い主にであうことのできた人は本当に幸いです。
しかし今、クリスマス礼拝を終えてまったくの凪のような平安を得ました。「「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり、この僕(しもべ)を安らかに去らせてくださいます」(ルカによる福音書2章29節)というのは、まだ生まれて八日のみどりごであるイエス様に出会ったシメオンの言葉です。この人は主に出会うことを長年待ち焦がれてきた人で、霊に導かれて神殿の境内に入ってきたとき両親の腕に抱かれたイエス様に出会ったのです。シメオンにとってこれが人の時と神の時が重なる喜びの時となりました。人生の晩年であっても、まことの救い主にであうことのできた人は本当に幸いです。
2016年12月21日水曜日
「あたりまえの善意」
子供の頃、鉄道というものは人間の善性に支えられたシステムだと思ったのを記憶しています。線路に立ち入って物を置くといったことがないことを前提にしてはじめて成り立つ公共交通だからです。しかし今、このような常識を当てにできない事態が社会のあらゆるところで起きています。不特定多数の人々を相手にする公共機関や企業、およびそれぞれの現場で対応するお仕事の方々はやりきれないことと同情してしまいます。最近コンビニのおでんを手で何度も突いていた男の話が報道されましたが、店員がその男に「やめてください」等の注意をしているようには見えませんでした。おそらく、「おでんを手で突いている客を発見した時」という事項が接客対応マニュアルになかったからでしょう。
先日、両側が会談で中央にスロープのある歩道橋を上っていた時、あと少しというところで私の2人前のあたりにいた老婦人が体勢を崩し、スロープを2、3歩後ろに後退して倒れそうになりました。「ああっ」と思っているうち、老夫人のすぐ後ろにいた若者が彼女を支え事なきを得ました。へたすると高等部強打の上、歩道橋を下までころがって大けがになりかねないところでした。「お手柄です」と思わず声を掛けますと、その若者は「いえ、僕は何も・・・」と言って去って行きました。気持ちはあってもこのような咄嗟のときに反射的に動けないのがほとんどでしょう。そして、起こらなかった事故はそれを食い止めた人が評価されることはまずありません。このケースは本当にお手柄だと思いました。
犬を見ていて感心するのは、習性から来る困った行動や理解できない不思議な行動をすることはあっても、決して邪悪な行動はしないことです。人間はその善性と悪性の振れ幅が大きすぎ、普段は善い人でもいったん邪悪になると底なしにそうなることもあります。この世を少しでも住みやすい社会にするには当たり前の善意をその時々で適切に表現できる人を増やすしかないように思います。
先日、両側が会談で中央にスロープのある歩道橋を上っていた時、あと少しというところで私の2人前のあたりにいた老婦人が体勢を崩し、スロープを2、3歩後ろに後退して倒れそうになりました。「ああっ」と思っているうち、老夫人のすぐ後ろにいた若者が彼女を支え事なきを得ました。へたすると高等部強打の上、歩道橋を下までころがって大けがになりかねないところでした。「お手柄です」と思わず声を掛けますと、その若者は「いえ、僕は何も・・・」と言って去って行きました。気持ちはあってもこのような咄嗟のときに反射的に動けないのがほとんどでしょう。そして、起こらなかった事故はそれを食い止めた人が評価されることはまずありません。このケースは本当にお手柄だと思いました。
犬を見ていて感心するのは、習性から来る困った行動や理解できない不思議な行動をすることはあっても、決して邪悪な行動はしないことです。人間はその善性と悪性の振れ幅が大きすぎ、普段は善い人でもいったん邪悪になると底なしにそうなることもあります。この世を少しでも住みやすい社会にするには当たり前の善意をその時々で適切に表現できる人を増やすしかないように思います。
2016年12月20日火曜日
「学ばない者」
学ばないものは愚か者です。退職後、後退戦を行うはずだったのに自分で勝手に設定した仕事やできると勘違いして引き受けた仕事でいっぱいになり、結局うまくいきませんでした。よかれと思ってしたことでも良くない結果に終われば意味がありませんし、役に立ちたいと思っての行動でも真逆の結果が出ればやらないほうがよかったことになります。ここ何年かどんどん増えていく本来しなくてよい務めが限界に達した感があり、今になってようやく一年の振り返りをする時間と状況が与えられ、はっと目が覚めました。以前も失敗をしているのに同じことを繰り返していることに気づかずにいました。「どうして同じようなパンチ何度もくらっちゃうんだ」という宇多田の歌詞がありましたが、性分というのは気をつけていても暴走するもので根本から変えられることはないのでしょう。今このとき来年への道が示され、穏やかな年の瀬を迎えられることは大きな恵みです。
2016年12月12日月曜日
「荷物運搬用の鞄」
先日バスに乗っていると、年配の方が車輪のついた小さ目の買い物用カートを持って乗り込んできました。ご自分のわきの通路に置いていたのですが、バスがゆるやかにブレーキをかけた時、カートはするすると前方に滑って二段ある階段から落ちて倒れました。あっという間の出来事でけが人等はありませんでしたが、荷物を拾っている持ち主の様子からすると、車輪がいくつか取れてしまったようでした。笑ってはいけないと思いつつも、コントでもこんなに見事に大破しないだろうと思うと笑いをこらえるのが大変でした。この手のショッピングカートを見ると逆の意味で祖母を思い出します。祖母はこのような買い物カートを持ち歩くのを嫌っていた記憶があるのです。小柄な体でさっさととても歩くのが速く、また力持ちでもあった祖母はだぶんあの老人じみた持ち物がいやだったのだと思います。それにおそらくあまり便利ではないことも知っていたのでしょう。
鞄については一家言ある人がほとんどだと思いますが、毎月移動している私も旅行用の鞄はこれと決めているのもがあります。薄いナイロン製の大きな鞄です。荷物を一つにまとめる機能しかない、最もシンプルな鞄だと言ってよいでしょう。一度帰省に機内持ち込み用の小型トランクを試したことがありましたが使いにくかったのでそれきりです。車輪は重いわりにはうまく使える環境が少なく、アスファルトやリノリウムではない地面や床を引いて歩くのは想像以上に疲れます。段差のあるところや会談では持ち上げなくてはなりません。おそらく人が最も楽に物を運べるのは肩にかける方法なのです。背負ってもいいのですが、その場合はある程度形状が限られてきますし、見栄えもちょっと・・・という弱点があります。長すぎず短すぎずという持ち手の長さが重要ですが、そこさえぴったりならこの手の鞄は相当大きくても肩に掛けて運べますし、重くなったら肩を代えて運べばよいのでとても合理的です。逆に荷物が少ない時はへなへなと小さくなります。強度が弱くて不安なものを運ぶ時は、物品自体を緩衝剤で梱包するか箱に入れればよいだけです。今使っているものはずっと愛用しているのでだいぶくたびれてきましたが、次回購入する時も同じものがあればまた買いたい一品です。
鞄については一家言ある人がほとんどだと思いますが、毎月移動している私も旅行用の鞄はこれと決めているのもがあります。薄いナイロン製の大きな鞄です。荷物を一つにまとめる機能しかない、最もシンプルな鞄だと言ってよいでしょう。一度帰省に機内持ち込み用の小型トランクを試したことがありましたが使いにくかったのでそれきりです。車輪は重いわりにはうまく使える環境が少なく、アスファルトやリノリウムではない地面や床を引いて歩くのは想像以上に疲れます。段差のあるところや会談では持ち上げなくてはなりません。おそらく人が最も楽に物を運べるのは肩にかける方法なのです。背負ってもいいのですが、その場合はある程度形状が限られてきますし、見栄えもちょっと・・・という弱点があります。長すぎず短すぎずという持ち手の長さが重要ですが、そこさえぴったりならこの手の鞄は相当大きくても肩に掛けて運べますし、重くなったら肩を代えて運べばよいのでとても合理的です。逆に荷物が少ない時はへなへなと小さくなります。強度が弱くて不安なものを運ぶ時は、物品自体を緩衝剤で梱包するか箱に入れればよいだけです。今使っているものはずっと愛用しているのでだいぶくたびれてきましたが、次回購入する時も同じものがあればまた買いたい一品です。
2016年12月6日火曜日
「紅春 97」
りくが二階に上がれるようになってよいことがあります。兄への伝令の役目です。朝いつもはもう起きる時間なのに兄が起きてこないことがありますが、急な日程変更で休みということもあり得るし、私が起こしに行くようなことではありません。しかしごくまれに目覚ましをかけ忘れて大失敗ということは誰にでもあることなので、こういう時りくは役に立ちます。
階段下まで一緒に行って、「行って来て。」と言うと、りくは階段を上り始めます。しかし自分の意思で行くわけではないので、途中の踊り場で振り返り、「やっぱり行くんですかい?」と聞いてきます。私が「行って、行って。」と両手で合図すると、りくはまたのぼり始めます。そのうち「なんだりく、起こしに来たのか。」という声がして、やがて役目を終えたりくと、少し遅れて兄が降りてきます。りくに起こされて怒る人はいないのでとても平和な朝が始まります。
階段下まで一緒に行って、「行って来て。」と言うと、りくは階段を上り始めます。しかし自分の意思で行くわけではないので、途中の踊り場で振り返り、「やっぱり行くんですかい?」と聞いてきます。私が「行って、行って。」と両手で合図すると、りくはまたのぼり始めます。そのうち「なんだりく、起こしに来たのか。」という声がして、やがて役目を終えたりくと、少し遅れて兄が降りてきます。りくに起こされて怒る人はいないのでとても平和な朝が始まります。
2016年12月1日木曜日
「十一月が終わる」
十一月は聖徒の日に合わせて、天に召された信徒たちを覚えて礼拝をもちました。うちは三人もお世話になっていることもあり、信夫山教会墓地での墓前礼拝からその日の召天者記念礼拝まで無事終わって、何したわけでもないのに今年の大仕事を終えた感じです。
その間、東京の教会でお世話になっていた方が亡くなったという知らせが入り、かなり衝撃を受けました。お年とはいえとてもお元気でつい先週も言葉を交わした人でしたが、思わぬ事故に遭われたのです。しばらく気持ちがず~んと沈んでおりましたが、葬儀の様子を教えていただき、本当にこの方はやるべきことをすべて終え、また最後にご家族と大変よい時を過ごされたと知って救われました。人の死は神の手の中のもの、神の時なのです。
またもうお一人、同じく教会でお世話になった方が亡くなりましたが、この方が入院する前たまたまお食事を隣の席でしたのは私でした。「なんだか近づいてきた気がするの。」とおっしゃっていましたが、私は事情も知らないながら「何の心配もいりません。神様がすべてよいように計らってくださいます。」と応えました。能天気な私の答えに、「まあ、あなたいいわねえ。」と応じておられましたが、こんなに早く亡くなるとは思いもせず、もっと言い方があったのではないかと後悔しました。
年間を通して言えば私の生活は必ずしもいつも活動的なわけではありません。どよ~んと沈んで全くやる気が出ない時もあります。しかしこのところはかなりちゃきちゃきと動いています。まだやるべきことができていないからです。もう手はついているのですが完成まではまだまだです。毎日やることがあるのは本当にありがたく、朝起きたとき元気がみなぎっているのはうれしいものです。
その間、東京の教会でお世話になっていた方が亡くなったという知らせが入り、かなり衝撃を受けました。お年とはいえとてもお元気でつい先週も言葉を交わした人でしたが、思わぬ事故に遭われたのです。しばらく気持ちがず~んと沈んでおりましたが、葬儀の様子を教えていただき、本当にこの方はやるべきことをすべて終え、また最後にご家族と大変よい時を過ごされたと知って救われました。人の死は神の手の中のもの、神の時なのです。
またもうお一人、同じく教会でお世話になった方が亡くなりましたが、この方が入院する前たまたまお食事を隣の席でしたのは私でした。「なんだか近づいてきた気がするの。」とおっしゃっていましたが、私は事情も知らないながら「何の心配もいりません。神様がすべてよいように計らってくださいます。」と応えました。能天気な私の答えに、「まあ、あなたいいわねえ。」と応じておられましたが、こんなに早く亡くなるとは思いもせず、もっと言い方があったのではないかと後悔しました。
年間を通して言えば私の生活は必ずしもいつも活動的なわけではありません。どよ~んと沈んで全くやる気が出ない時もあります。しかしこのところはかなりちゃきちゃきと動いています。まだやるべきことができていないからです。もう手はついているのですが完成まではまだまだです。毎日やることがあるのは本当にありがたく、朝起きたとき元気がみなぎっているのはうれしいものです。
2016年11月25日金曜日
「緊急連絡先」
先日福島県沖を震源とする結構大きな地震がありました。発生から間もなく沿岸部では避難する車の渋滞が起きたり、原発の冷却装置が一時停止したりと、いくつか懸念材料が報道されましたが、福島市内はほとんど何も地震に伴う影響はありませんでした。そんなわけで私は通常の務めに没頭して半日過ごし、津波が広範囲で起きたことや揺れによる影響が都心で出ていたことを知ったのは昼頃でした。その間、実家の電話やパソコンにメールで安否確認をくださった方々がいて、深く感謝するとともに思った以上の災害なのかも知れないと感じました。
離れたところにある携帯電話に友達から留守電メッセージやメールが来ていることに気づき、おもむろに連絡してみるとずいぶん心配をかけていたことを知りました。
「考えてみたら携帯電話以外に連絡先を知らないと気づいた。実家にいるかどうかもわからないが、前にいただいたお母様の短歌集に実家の電話番号があったはず。ここにかけてみてつながらなくても二日は待とうと思った。ブログの更新は前回いつだったか・・・」等々、何かとても切迫した様子がうかがえびっくりしました。申し訳なし。実は本の奥付の電話番号は微妙に間違っていることを発見し、ここにかけていたらさらに事態がこじれていただろうと思った次第でした。友達には連絡方法をつながりやすい順にお知らせしましたが、最終的確認方法はやはり家族に頼むしかありません。
そういえば、以前逆の立場で同じようなことがありました。いつもすぐ返信をくれる友人から返信が来ないので、携帯電話を落としたのではないかと想像し、運悪く自宅の留守電にかかった電話番号にかけ直すと、「おめでとうございます。ご当選です。」という録音を聞くはめになったことがあったのです。ちょうど彼女が引越したばかりで自宅の電話番号を知らないということが重なった出来事でしたが、携帯電話以外に急ぎの連絡方法がないというのも確かです。これもいよいよという時にはお互い家族の助けを借りなければならないでしょう。先日、親しくしていただいていた方が思いがけず亡くなるということがあり、とてもお元気だっただけにわからないものだと思いました。こればっかりは年齢にかかわらずいつどうなるかはわかりません。連絡方法だけははっきりさせておいた方がよいでしょう。それにしてもブログの更新が安心材料になるということなので、やはり週に一度は更新しなければなりませんね。
離れたところにある携帯電話に友達から留守電メッセージやメールが来ていることに気づき、おもむろに連絡してみるとずいぶん心配をかけていたことを知りました。
「考えてみたら携帯電話以外に連絡先を知らないと気づいた。実家にいるかどうかもわからないが、前にいただいたお母様の短歌集に実家の電話番号があったはず。ここにかけてみてつながらなくても二日は待とうと思った。ブログの更新は前回いつだったか・・・」等々、何かとても切迫した様子がうかがえびっくりしました。申し訳なし。実は本の奥付の電話番号は微妙に間違っていることを発見し、ここにかけていたらさらに事態がこじれていただろうと思った次第でした。友達には連絡方法をつながりやすい順にお知らせしましたが、最終的確認方法はやはり家族に頼むしかありません。
そういえば、以前逆の立場で同じようなことがありました。いつもすぐ返信をくれる友人から返信が来ないので、携帯電話を落としたのではないかと想像し、運悪く自宅の留守電にかかった電話番号にかけ直すと、「おめでとうございます。ご当選です。」という録音を聞くはめになったことがあったのです。ちょうど彼女が引越したばかりで自宅の電話番号を知らないということが重なった出来事でしたが、携帯電話以外に急ぎの連絡方法がないというのも確かです。これもいよいよという時にはお互い家族の助けを借りなければならないでしょう。先日、親しくしていただいていた方が思いがけず亡くなるということがあり、とてもお元気だっただけにわからないものだと思いました。こればっかりは年齢にかかわらずいつどうなるかはわかりません。連絡方法だけははっきりさせておいた方がよいでしょう。それにしてもブログの更新が安心材料になるということなので、やはり週に一度は更新しなければなりませんね。
2016年11月20日日曜日
「紅春 96」
9月28日の「柴犬とオランダ人と」に出張から5日ぶりに帰ってきたご主人を迎える犬たちの様子が動画で載っていました。飛びつく、立ち上がる、ぬいぐるみを振り回す・・・「そうそう、この通り。うちもおんなじ」と思って堪能しました。私が「ただいま」と言って久しぶりに帰省すると、いつもまず狂喜乱舞して足踏みします。茶の間では私と畳に頭をつけるという不思議なポーズをして後ろ足でピョンピョン跳ねたり、立ち上がって前足でボクシングしてきたりという激しい動きをするのが、子供の頃からりくの定番です。その後、あまりに激しく動いたので喉が渇くのでしょう、お水をカプカプ飲んでやっと落ち着きを取り戻します。「りく、落ち着いたか。」と声を掛ける頃には、隣にひっついて身づくろいをしています。よい季節には家に着いてすぐに散歩に連れ出し、おやつの時間であればおやつをあげ、しばらく一緒に過ごします。それから荷解きや家事などをするのですが、りくは私の行くところどこでもついてきます。 一日目はそんな感じで、眠る時も時々茶の間から私の部屋に来て、足もとあたりで寝ていたりします。
しかし、犬も人間と同様、次第に毎日の生活に慣れてきます。私がいるのが普通の生活になるので、だんだん態度がでかくなるのです。台所に立っている時は「仕事中」とわかっているので邪魔しに来ることはありませんが、りくが仕事と認めているのは台所仕事だけのようです。それ以外は、机に向かっていようと、パソコンに向かっていようと、作業をしていようと、「姉ちゃん、遊ぼ。」とやってきます。お座り攻撃です。「今忙しいからあとでね。」と言うと、またしばらくして「あとっていつですか。」と、同じことをします。「もうちょっとで終わるから待っててね。」と言うと、「遊ぼ、遊ぼ。」と手っこを出して邪魔してきます。りくもだんだん老犬の域に入ってきたとはいえ、知能は人間の子供でいえば2才くらいでしょうから遊びたいのは無理もないのです。生来気立てのいい利口な犬なので、私も犬としてのしつけをきっちりしようという気にはどうしてもなれません。こうしてりくは滞在中にどんどん増長していきます。
しかし、犬も人間と同様、次第に毎日の生活に慣れてきます。私がいるのが普通の生活になるので、だんだん態度がでかくなるのです。台所に立っている時は「仕事中」とわかっているので邪魔しに来ることはありませんが、りくが仕事と認めているのは台所仕事だけのようです。それ以外は、机に向かっていようと、パソコンに向かっていようと、作業をしていようと、「姉ちゃん、遊ぼ。」とやってきます。お座り攻撃です。「今忙しいからあとでね。」と言うと、またしばらくして「あとっていつですか。」と、同じことをします。「もうちょっとで終わるから待っててね。」と言うと、「遊ぼ、遊ぼ。」と手っこを出して邪魔してきます。りくもだんだん老犬の域に入ってきたとはいえ、知能は人間の子供でいえば2才くらいでしょうから遊びたいのは無理もないのです。生来気立てのいい利口な犬なので、私も犬としてのしつけをきっちりしようという気にはどうしてもなれません。こうしてりくは滞在中にどんどん増長していきます。
2016年11月16日水曜日
「最近の日々」
朝起きる、気分がよければ走りに行く、あるいは24時間営業のスーパーに買い物に行く。朝5時、まだ暗い。帰ってきて朝食をとる。パソコンをつける。これがなくてはもう何もできない。メールチェックをする。例のお方から大量のメールが来ている。一回ごとにメールアドレスを変えているようなので処置なしである。昨夜は4時間がんばったのか・・・、「誰か神様を止めてください」という題名が一か所だけ「僕じゃなくて神様を止めてください」となっている・・・、誰かが「神様じゃなくてあなたが迷惑メールをやめなさい」と返信したに違いない。あ~、刺激しちゃダメじゃんと思う。大事なメールに返信する。来月号会報の原稿も届いている、そろそろ編集作業を始めなければ・・・。やりながらサイフォンでコーヒーを入れ始める。出来上がるまで15分位かかる。コポコポと音がして部屋いっぱいに何とも言えないいい香りが広がる。上からサイフォンを覗きこんで、湯気の香ばしい匂いを楽しむ。傍から見たら怪しい光景だな。コーヒーが落ちたところで休憩にする。この時は必ずパソコンをスリープ状態にする。ふたを閉めるのが私のオンとオフのスイッチでもある。美術館に移動(自分のリビングだが)。コーヒーカップを片手にフェルメールの絵の前に立つ。うっとりする。6枚の絵の前を移動して眺める。何という静謐。幸せな気分になって、パソコンに戻ってふたを開ける。「待機状態から復帰しました」の音声が聞こえる。「休んでたのにごめんね。」と返事する。気晴らしに本でも読むかと図書館で借りてきた本をプリンターにセットする。これがないと読書もできない。文字を認識してデータ化してくれるのだ。若い作者の本を読む。某文芸誌の新人賞をとった本だが、言葉の過剰さに驚く。ここまで言語化しないと駄目なのか・・・。ちょっと疲れて気晴らしにならず、自分の仕事に戻る。調べものをして資料を作ったり、考えたことをまとめたりする。脳が糖を消費しているのを感じる。次第に消耗する。エネルギーを補わなければと思う。食事や休憩を適宜とる。睡魔が襲ってきたら昼寝もする。寝た後はいつもながら頭がすっきりして今後することが整理されている。睡眠の力はすごい。パソコンに向かい同じことを繰り返しているうちあっと言う間に夜になる。ぐったりするので床につく。そして、また朝が来る・・・。
家にいる時はこんな感じでとても忙しく疲れますが、至福を感じる時でもあります。
家にいる時はこんな感じでとても忙しく疲れますが、至福を感じる時でもあります。
2016年11月12日土曜日
「預言者とは」
預言者と聞いて明確なイメージがわくと言う人はどのくらいいるでしょう。預言者を予言者と思っていた子供の頃から今に至るまで、私の中のイメージは物語の域を出ない或る種謎の人々です。彼らがどんな風貌をしており、どんな生活をしていたのかといった通俗的な興味もありますが、まずわかっていることというと、漢字の表す通り「神からその言葉を預かって、民に知らせる任務を負う人」であることです。「召命」という言葉がありますが、その任務のために神から呼ばれるという意味のキリスト教用語なのでパソコン入力ですぐに漢字変換される単語ではありませんし、一般の方にあまり知られていない言葉でしょう。喜んで預言者としての任に就く人はおそらく少数で、多くはいやいやながら引き受けざるを得なかったのだということです。ヨナのように逃げ出しても連れ戻されるのは比喩的にその務めのあり方を示していますが、これに関しては人々のそしりと無理解の中で神の言葉を取り次ぎ続けたエレミヤが心の葛藤を語ってくれています。
エレミヤ書20章9節
主の名を口にすまい
もうその名によって語るまい、と思っても
主の言葉は、わたしの心の中
骨の中に閉じ込められて
火のように燃え上がります。
押さえつけておこうとして
わたしは疲れ果てました。
わたしの負けです。
イスラエル民族が他の民族と異なっているのは、この預言者という存在が最高権力者にもものが言えたことでしょう。王と言えども自分にとって都合の悪いことを語る預言者を簡単には殺せないのです。悪逆非道な王として描かれるヘロデ王でさえヨハネの教えに「非常に当惑しながらも、なお喜んで耳を傾けて」(マルコによる福音書6章20節)いたりするのです。
預言者と言えばイザヤ、エレミヤ、エゼキエルの三大預言者がまず頭に浮かびますが、これは語ったことが記述文書として残っている預言者であって、それ以前に史書に出てくるおとぎ話の人物のような預言者たちが大勢います。列王記のエリヤやエリシャはインパクトがあります。エリヤはバアル神を信じる預言者450人およびアシラ神を信じる400人を相手に、たった一人でスペクタキュラ―な預言者対決を演じていますし、エリシャに関してはベテルに上るとき町の子供たちが「「はげ頭、上って行け。」とはやし立て災いを招いたショッキングな話がありました。申命記には「モーセのような預言者は、もう再びイスラエルには起こらなかった。」(申命記34:10」とありますが、これはモーセの権威づけのためでしょうか。神の言葉を預かるという意味では確かにモーセも預言者ですが、後代の人間にとってモーセが別格なのは周知のことですから、申命記が成立した時期への関心をよびおこします。列王記には神の人を欺いて一緒に食事し彼に死をもたらしたとんでもない預言者も出てきたっけ。にせ預言者というのももちろんいるのです。
イザヤ、エレミヤ、エゼキエルといった、預言書としてその言葉が記された預言者は他の預言者とどう違うのかなどわからないことが多いですが、はっきりしているのは神からの召命のみがその人を預言者として立たせるのだということ、それ以外の外的属性はその働きに何の影響もおよぼさないということです。エリシャは十二くびきの牛に引かせて畑を耕せるほど裕福な家の出身でしたし、エジプトとクシャによる反アッシリア同盟に加わることの愚かさを説いていたイザヤは三年間裸、はだしという異様な出で立ちでした。幼い時からシロ神殿で祭司職の修業をしていたサムエルは、いつのまにか預言者となって、サウルとダビデの即位に関して、キング・メーカー的働きをしています。彼はその後生まれ故郷のラマに帰り、ギルガル、ベテル、ミツパの聖所等を巡回指導していたようですが、シロ神殿に立ち寄った形跡がないのは不思議です。「「預言者は自分の故郷では敬われないものだ」(ヨハネによる福音書4章44節ということでしょうか。
エレミヤ書20章9節
主の名を口にすまい
もうその名によって語るまい、と思っても
主の言葉は、わたしの心の中
骨の中に閉じ込められて
火のように燃え上がります。
押さえつけておこうとして
わたしは疲れ果てました。
わたしの負けです。
イスラエル民族が他の民族と異なっているのは、この預言者という存在が最高権力者にもものが言えたことでしょう。王と言えども自分にとって都合の悪いことを語る預言者を簡単には殺せないのです。悪逆非道な王として描かれるヘロデ王でさえヨハネの教えに「非常に当惑しながらも、なお喜んで耳を傾けて」(マルコによる福音書6章20節)いたりするのです。
預言者と言えばイザヤ、エレミヤ、エゼキエルの三大預言者がまず頭に浮かびますが、これは語ったことが記述文書として残っている預言者であって、それ以前に史書に出てくるおとぎ話の人物のような預言者たちが大勢います。列王記のエリヤやエリシャはインパクトがあります。エリヤはバアル神を信じる預言者450人およびアシラ神を信じる400人を相手に、たった一人でスペクタキュラ―な預言者対決を演じていますし、エリシャに関してはベテルに上るとき町の子供たちが「「はげ頭、上って行け。」とはやし立て災いを招いたショッキングな話がありました。申命記には「モーセのような預言者は、もう再びイスラエルには起こらなかった。」(申命記34:10」とありますが、これはモーセの権威づけのためでしょうか。神の言葉を預かるという意味では確かにモーセも預言者ですが、後代の人間にとってモーセが別格なのは周知のことですから、申命記が成立した時期への関心をよびおこします。列王記には神の人を欺いて一緒に食事し彼に死をもたらしたとんでもない預言者も出てきたっけ。にせ預言者というのももちろんいるのです。
イザヤ、エレミヤ、エゼキエルといった、預言書としてその言葉が記された預言者は他の預言者とどう違うのかなどわからないことが多いですが、はっきりしているのは神からの召命のみがその人を預言者として立たせるのだということ、それ以外の外的属性はその働きに何の影響もおよぼさないということです。エリシャは十二くびきの牛に引かせて畑を耕せるほど裕福な家の出身でしたし、エジプトとクシャによる反アッシリア同盟に加わることの愚かさを説いていたイザヤは三年間裸、はだしという異様な出で立ちでした。幼い時からシロ神殿で祭司職の修業をしていたサムエルは、いつのまにか預言者となって、サウルとダビデの即位に関して、キング・メーカー的働きをしています。彼はその後生まれ故郷のラマに帰り、ギルガル、ベテル、ミツパの聖所等を巡回指導していたようですが、シロ神殿に立ち寄った形跡がないのは不思議です。「「預言者は自分の故郷では敬われないものだ」(ヨハネによる福音書4章44節ということでしょうか。
2016年11月6日日曜日
「不全感による不善」
ホームページの管理人をしていて便りがあることはほとんどありませんが、特定の方から時々メールが届きます。日本と韓国にある夥しい数の境界に送信しているとのことで、最初のものは数年前にきましたが、意味不明の上五万字にも及ぶものだったことからその時もそれ以後もほとんど読んでいません。ご本人の言葉では事件を起こして服役されたそうで、印象からするとどうも神に対する逆恨みが強いようです。不幸な生い立ちであったのか、社会的いじめのようなものにあったのか、何があったのかはわかりませんが、神様が自分を不当に苦しめている、自分のすることを妨害しているとの思い込みがあるようです。こういう陰謀論に傾いてしまうと、その観点から解釈できない現状は何一つなくなるので手の付けようがありません。
そのようなことを続けているうちに、一連の行動を考えるとおそらく心を病まれたのでしょう、最近は一日に百通くらいメールが来るようになりました。初めて迷惑メール対策の機能を使えてなるほどと思いました。自動分類してくれるのでフォルダごと空にするだけのことです。こちらの手間はそれだけですが、、推測するに送信者は家にいる間数分ごとに送信しているらしくお気の毒でなりません。思わず、「サムエル記」でサウル王に神からの悪霊が激しく降る場面を思い起こしてしまいました。あの時はダビデに対する嫉妬、あるいは王の座から追い落されるのではないかとの恐れからダビデを殺そうとするのですが、この方の場合は深い孤独に原因があるのではないかと思います。ただ同じような境遇であっても皆がこのような身の処し方を選択するわけではありません。「小人孤独にして不善をなす」ということです。
唯一の救いは送信が止む時間があることで、身体をもつ人間には限界があることのよい点です。脳の活動は時空の誓約を越えて可能ですが、生身の人間は食べたり眠ったりしなければなりませんし、仕事やその他の用事をする必要もあるからです。悪霊に支配された何の意味もない行為から解放されるその時間は恵みの時と言うべきです。そういう時間が少しずつ長くとれ、平安を感じる時間が長くなることを願わずにはいられません。まことの神と出会い、深い闇の中に一条の光が差し込む時が与えられますように。
2016年10月31日月曜日
「十月が終わる」
忙しい十月でした。頼まれた務めがあり、頼まれてない務めがあり、人と会う用事があり、予定外の通院があり、最後にバザーもありました。バザーの終了後に頼まれた名物のフルーツケーキを友人に手渡す約束をしていたので、はからずもハロウィンの渋谷の夕暮れを楽しむことになりました。いるいる、仮装の若者が。正統派魔女やモンスターもいましたが、アラビアンナイト風、チャイナドレス風、アイドルのステージ衣装風等、おおっぴらに仮装ができる日に成り果てたようです。モアイ像側は大丈夫でしたがハチ公側は人が多すぎてどうにもならない。警察車両も数台出てました。一番かわいかったのはティラノサウルスの着ぐるみかな。通行人と仲良く写真におさまったり、「襲ってきて!」と命令されて動画に撮られたり。これってハロウィンと関係あるかしら。絶対に目立ちたくないと思っている人間にとって、この変身願望の表出による非日常的仮装をしたい気持ちはどうしてもわかりません。目立ちたい人がこんなに多いとは驚くばかりです。
私にとってはゆっくり家に一日いられるのは至福の時間です。読書→調べもの→書きもの→読書→調べもの→書きもの・・・を繰り返すのですが、目よりも耳でするので時間がかかり、集中しているとかなり消耗します。やっている最中にセールスの電話が来たりするとムッとして「今、忙しいんで。」と言って切る。傍から見れば忙しいはずないんですけど主観的には全く忙しい毎日なのです。以前十代の若者の討論会で高校生が同じ年齢で不登校中の子に自分が学校に行っている間どんなことをしているのか尋ねていましたが、これは自分も学校休んでみないとわからないことだろうなあと、今は思います。たぶんしばらくは茫然とするにしても、それからはやりたいことに没頭しているんじゃないでしょうか。
私にとってはゆっくり家に一日いられるのは至福の時間です。読書→調べもの→書きもの→読書→調べもの→書きもの・・・を繰り返すのですが、目よりも耳でするので時間がかかり、集中しているとかなり消耗します。やっている最中にセールスの電話が来たりするとムッとして「今、忙しいんで。」と言って切る。傍から見れば忙しいはずないんですけど主観的には全く忙しい毎日なのです。以前十代の若者の討論会で高校生が同じ年齢で不登校中の子に自分が学校に行っている間どんなことをしているのか尋ねていましたが、これは自分も学校休んでみないとわからないことだろうなあと、今は思います。たぶんしばらくは茫然とするにしても、それからはやりたいことに没頭しているんじゃないでしょうか。
2016年10月22日土曜日
「紅春 95」
りくは10歳になりました。なんとかここまで無事にこれて感無量です。この間にいろいろなことがありました。柴犬の繁殖場からまだ2カ月半だったりくを一緒に連れてきたヘルベルトは亡くなり、厳しそうに見えてその実りくを猫かわいがりしていた父もこの世を去りました。りくは年々さびしがりになってきた気がします。
東京に帰る日が近づくとそれまでりくに振り回されて結構大変だったのに、あと三日、あと二日しかない・・・と私も少しさびしくなります。帰る日の二日前、遊べるのは明日だけだなあと思いつつ、「姉ちゃん、あさって帰るからね。また来るから心配しないでいなさい。あしたはうんと遊ぼうね。」と言って寝た晩のことです。夜中に起きて、りくが定位置にいないなと気づいたのですが、翌日二階に行っていたことがわかりました。兄の話では「昨夜は変だった」とのこと。いつもは二階にいるときでも襖を隔てて向こうの部屋にいるのですが、昨夜は部屋にやってきてべったりくっついていたというのです。まさか私の言葉が影響したとも思えませんが、「帰る」とか「東京」という単語は理解できているのかもしれません。りくいにはりくの考えがあってその時々に行動しています。犬と言えどすごいことです。それにしても繊細な柴男には不用意なことは言えません。
東京に帰る日が近づくとそれまでりくに振り回されて結構大変だったのに、あと三日、あと二日しかない・・・と私も少しさびしくなります。帰る日の二日前、遊べるのは明日だけだなあと思いつつ、「姉ちゃん、あさって帰るからね。また来るから心配しないでいなさい。あしたはうんと遊ぼうね。」と言って寝た晩のことです。夜中に起きて、りくが定位置にいないなと気づいたのですが、翌日二階に行っていたことがわかりました。兄の話では「昨夜は変だった」とのこと。いつもは二階にいるときでも襖を隔てて向こうの部屋にいるのですが、昨夜は部屋にやってきてべったりくっついていたというのです。まさか私の言葉が影響したとも思えませんが、「帰る」とか「東京」という単語は理解できているのかもしれません。りくいにはりくの考えがあってその時々に行動しています。犬と言えどすごいことです。それにしても繊細な柴男には不用意なことは言えません。
2016年10月18日火曜日
「苦手なこといろいろ」
このところ不得手だがやらねばならないことや苦手な頼まれ事が続いていました。福島教会ホームページの引っ越しはずっと懸案でしたがとりあえずできました。旧ホームページに新しいURLを告知してありそこからワンクリックで移動できるし、そのURLがあと一年ほど使えるのでその間に認知してもらえるだろうと期待しています。いつもその時限りの集中力と勢いで乗り切っているのでどうやったのかもう思い出せずスキルが積みあがるということはありません。きっともう二度とできないでしょう。
また先日は信徒伝道日なる行事で、以前在籍していた教会にて福島教会の会堂再建のお話をしてきました。私が在籍していた頃もそういう日がありましたが、まさか一般信徒が日曜に講壇で話しているとは思いもしませんでした。他の教会ではまずないことでしょうし、私もてっきり神学校を出られた方とか長老さんといった立派な方々が呼ばれているのだと思っていたのです。平信徒が聖日に講壇に立つなどあり得ない・・・お世話になっていた経緯があり断りきれず、ずっと前から本当に気が重くブルーでした。人前で話すことがなくなってもう何年もたちますし、視力が出ないので原稿を読むというわけにもいきません。頭に入れていくしかなかったのです。当日はいろいろ言い落したことがありましたがまあ無事終了したというべきでしょう。懐かしい方々にお会いでき歓迎していただいたのはとてもうれしかったですが、こういうことはもう決してお受けしないと決めて帰路につきました。ともかくも一仕事終わってこの日の空のようにカラッと気持ちが晴れました。
また先日は信徒伝道日なる行事で、以前在籍していた教会にて福島教会の会堂再建のお話をしてきました。私が在籍していた頃もそういう日がありましたが、まさか一般信徒が日曜に講壇で話しているとは思いもしませんでした。他の教会ではまずないことでしょうし、私もてっきり神学校を出られた方とか長老さんといった立派な方々が呼ばれているのだと思っていたのです。平信徒が聖日に講壇に立つなどあり得ない・・・お世話になっていた経緯があり断りきれず、ずっと前から本当に気が重くブルーでした。人前で話すことがなくなってもう何年もたちますし、視力が出ないので原稿を読むというわけにもいきません。頭に入れていくしかなかったのです。当日はいろいろ言い落したことがありましたがまあ無事終了したというべきでしょう。懐かしい方々にお会いでき歓迎していただいたのはとてもうれしかったですが、こういうことはもう決してお受けしないと決めて帰路につきました。ともかくも一仕事終わってこの日の空のようにカラッと気持ちが晴れました。
2016年10月12日水曜日
「読書の秋」
最近読むのはほぼ旧約聖書です。聖典と思うとなかなか手が出ませんが、観点を変えて書物の一つとして読んだらこんな興味深いものはありません。不思議な話、残酷な話、相互に矛盾した話、死んでも死に切れないような不本意な話が残ってしまった登場人物もたくさんいます。誰かの権威づけのために書かれたものではないので、歴史上の偉大な人物もただの人、悪行が白日の下にさらされたり、弱さをさらけ出して神により頼んで救われたりといった話が繰り返し出てきて、人間の愚かさ加減が身にしみます。同じような話に見えても民族の歴史として余すところなく書き記さねばならないという恐ろしいまでの執念・・・・。
偶然かもしれませんが 「イザヤ書を読む」を書いた途端、イスラエルからの大量アクセスがあったのでうっかりしたことは書けません。(まずいことは書いてないと思うけど・・・。)勝手な解釈も危険。その上で敢えていうなら、神は初めから弱く邪悪でダメな人間すべてを対象に救いを目指されてきたのだということしかありません。疑問に思うことを調べ始めるときりがなく、古代ユダヤ教の慣習を知らないと理解できないことも多いですが、「ふ~む、神様はこういう手を使われたか。」と自分なりに納得できることもあります。
私の場合は読むと言ってもほぼ聞くのであり、データとして手に入るのは著作権の切れた口語訳です。新共同訳と読み比べてそれぞれ一長一短あるものの、口語訳も悪くないなと感じます。素人が言うのもなんですが、新共同訳にはちょっとありがた迷訳的なところがないでしょうか。今わからない疑問点は祭司や祭儀に関すること、預言者に関することなどで、些末なことかもしれませんが気になりだすと止まりません。おかげで読書は遅々として進まず、頭で理解するだけでも相当時間がかかりそうです。体感的にわかるにはきっと一生かかるでしょう。不謹慎化もしれませんが当分楽しんで聖書が読めそうです。
偶然かもしれませんが 「イザヤ書を読む」を書いた途端、イスラエルからの大量アクセスがあったのでうっかりしたことは書けません。(まずいことは書いてないと思うけど・・・。)勝手な解釈も危険。その上で敢えていうなら、神は初めから弱く邪悪でダメな人間すべてを対象に救いを目指されてきたのだということしかありません。疑問に思うことを調べ始めるときりがなく、古代ユダヤ教の慣習を知らないと理解できないことも多いですが、「ふ~む、神様はこういう手を使われたか。」と自分なりに納得できることもあります。
私の場合は読むと言ってもほぼ聞くのであり、データとして手に入るのは著作権の切れた口語訳です。新共同訳と読み比べてそれぞれ一長一短あるものの、口語訳も悪くないなと感じます。素人が言うのもなんですが、新共同訳にはちょっとありがた迷訳的なところがないでしょうか。今わからない疑問点は祭司や祭儀に関すること、預言者に関することなどで、些末なことかもしれませんが気になりだすと止まりません。おかげで読書は遅々として進まず、頭で理解するだけでも相当時間がかかりそうです。体感的にわかるにはきっと一生かかるでしょう。不謹慎化もしれませんが当分楽しんで聖書が読めそうです。
2016年10月5日水曜日
「理解を越えること」
世の中にはわからないことが多いとつくづく感じる日々ですが、それでふと思い出したことがあります。もう20年以上も前のこと、イギリス旅行中にこんなことがありました。今となってはどこの都市だったか思い出せないのですが、そこから日帰り旅行を計画していた時でした。「××まで片道1枚」と切符売り場の窓口で言うと、「今日帰ってくるのか。」と問われました。「はい、日帰りです。」と言うと、「では往復を買いなさい。」とのこと。窓口の人はその理由も言いましたがよくわからなかったので聞き返しました。それでもやはりわからず、いずれにせよ帰りの切符は到着地で買わなければならないのですから、勧められるままその場で往復切符を買いました。旅行中にその切符のことがわかってびっくりしました。駅員さんが言った通りの切符だったのです。「往復を買いなさい。片道より安い。」 私がこの言葉を理解できなかったのはそれまでの人生で片道切符より安い往復切符なるものに出会ったことがなかったからです。人間は体験したことがない事柄を耳で聞いても理解できないのです。そのような切符がいまだに存在するとは思えませんが、おそらく平日(週末かもしれない)の特定の時間帯とか、目的地が何キロ以下(以上かもしれない)といった縛りの多い特別切符だったのだろうと思います。
世の中にはわからないことが多い。日本とほぼ同じ生活様式(これはもちろん日本の方が英国様式を取り入れたのです)の国でさえ、理解を越えるシステムが存在するのですから、わからないことだらけと言ったほうがいいくらいです。ましてや人間界を越えることなどわかるはずがないのです。なぜ自然災害が人間を襲うのか、なぜよい人が無意味に死ぬのか、なぜ悪人が栄えるのか・・・私たちには何もわからないのです。災難に関してはそれに遭遇した人とそうでない人の間に何か違いがあるのか、おそらく何も違わないでしょうが、そういうこともわかりません。人間の頭でわかるようなら神の領域のことではないのです。わからないのは仕方のないことであり、またそれでよいのです。ただ、時間というファクターを考えに入れればひょっとしたら理解の手がかりになるかもしれません。と言ってもその時間とは、「主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のよう(ペトロの手紙二3章8節)」な、とらえがたい不思議な時間なのですが。
世の中にはわからないことが多い。日本とほぼ同じ生活様式(これはもちろん日本の方が英国様式を取り入れたのです)の国でさえ、理解を越えるシステムが存在するのですから、わからないことだらけと言ったほうがいいくらいです。ましてや人間界を越えることなどわかるはずがないのです。なぜ自然災害が人間を襲うのか、なぜよい人が無意味に死ぬのか、なぜ悪人が栄えるのか・・・私たちには何もわからないのです。災難に関してはそれに遭遇した人とそうでない人の間に何か違いがあるのか、おそらく何も違わないでしょうが、そういうこともわかりません。人間の頭でわかるようなら神の領域のことではないのです。わからないのは仕方のないことであり、またそれでよいのです。ただ、時間というファクターを考えに入れればひょっとしたら理解の手がかりになるかもしれません。と言ってもその時間とは、「主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のよう(ペトロの手紙二3章8節)」な、とらえがたい不思議な時間なのですが。
2016年9月29日木曜日
「紅春 94」
8月下旬からなんだか毎日雨ばかりの気がしますが、夏も半ばまでは猛暑で水不足の心配をしていたほどだったなと思い出します。川にもほとんど水がなかった。今はもちろん、その頃も朝の散歩はいつも長靴でした。りくの気分で川を渡りたい時、水を気にせずざぶざぶ行けるからです。暑さのせいでりくはほぼ必ず川に行きたがりました。川床の工事が済んでいるので、家の近くだけでも渡りやすい箇所が3つもあります。そのうち2箇所を使って往復していました。
雨の降った翌日、水が増えていてもりくは様子を見に行きます。とにかく川が好きで川の番人のようにじっと流れをみているのです。それから水の量を見定めて入っていきますが、危なそうな時は近寄らせません。一方の岸より真ん中や向こう岸の方が水量の多いところもあるし、なにしろりくは軽い。少しでも水が出ればあっという間にもっていかれてしまうでしょう。危険がなければ、なるべくりくの希望をかなえてやりました。いつもお利口さんにお留守居してくれているもの。それにしてもこのところとんと太陽をみていないような・・・秋晴れの気持ちよい日を待ち望んでいます。
雨の降った翌日、水が増えていてもりくは様子を見に行きます。とにかく川が好きで川の番人のようにじっと流れをみているのです。それから水の量を見定めて入っていきますが、危なそうな時は近寄らせません。一方の岸より真ん中や向こう岸の方が水量の多いところもあるし、なにしろりくは軽い。少しでも水が出ればあっという間にもっていかれてしまうでしょう。危険がなければ、なるべくりくの希望をかなえてやりました。いつもお利口さんにお留守居してくれているもの。それにしてもこのところとんと太陽をみていないような・・・秋晴れの気持ちよい日を待ち望んでいます。
2016年9月22日木曜日
「イザヤ書を読む 3」
イザヤの関心が第一義的には捕囚の民の苦難からの解放にあったのは確かでしょうが、神の支配がその歴史を通して世界のすべての民に及ぶことを告げている点で時代を画するものとなっています。
イザヤ書45章22節~23節
地の果てのすべての人々よ
わたしを仰いで、救いを得よ。
わたしは神、ほかにはいない。
わたしは自分にかけて誓う。
わたしの口から恵みの言葉が出されたならば
その言葉は決して取り消されない。
イザヤ書を読んでいて気づくのは、「初めから」という言葉が40章以降に頻出することです。第二イザヤは、神が初めからの民イスラエルに初めから告げていたことを心底受け入れ守ってこなかったことを捕囚の地であからさまにし、すべての民の救いという新しい視野を手にします。そういえばと思い出すのは新約聖書の使徒言行録第8章です。ここに出てくるエチオピアの宦官が馬車の中で読んでいたのはイザヤ書53章の「僕(しもべ)の歌」であったのは極めて示唆的です。イザヤは、「新しい天と、新しい地の創造」という幻に到達した初めての預言者でした。もちろんこれは具体的にはバビロン捕囚から帰還してなされるエルサレム神殿の再建を想定しているのでしょうが、それはいままでのイスラエル民族の救いという次元を超えた世界の再構築なのです。もちろん異邦人の救いの萌芽はルツ記やヨナ書にもあります。コミカルな短編のようなヨナ書はアッシリアの都ニニネベの民がヨナの言葉によって改心したことを伝えていますが、当時の人々にはビックリ仰天の話だったのではないでしょうか。この異邦の民への救いは、後にパリサイ人らからメシアのしるしを求められたイエスが「預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない。」(マタイによる福音書12章および16章)とヨナについて言及したということからもいかに核心的なことだったかがわかります。マタイ福音書において二度も述べられるこの言葉の意味を私はずっとよくわからなかったのですが、イザヤ書を迂回してようやく胸にすとんと落ちました。「救われるのは悔い改めて信じる異邦人であってあなたがたではない。」という意味でしょう。イザヤ書はやはり分量的にも内容的にも奇跡的な書でした。しかしこの書はバビロン捕囚という絶望的な数十年を経ずして書かれることはなかったということをどう考えるべきでしょうか。
イザヤ書45章22節~23節
地の果てのすべての人々よ
わたしを仰いで、救いを得よ。
わたしは神、ほかにはいない。
わたしは自分にかけて誓う。
わたしの口から恵みの言葉が出されたならば
その言葉は決して取り消されない。
イザヤ書を読んでいて気づくのは、「初めから」という言葉が40章以降に頻出することです。第二イザヤは、神が初めからの民イスラエルに初めから告げていたことを心底受け入れ守ってこなかったことを捕囚の地であからさまにし、すべての民の救いという新しい視野を手にします。そういえばと思い出すのは新約聖書の使徒言行録第8章です。ここに出てくるエチオピアの宦官が馬車の中で読んでいたのはイザヤ書53章の「僕(しもべ)の歌」であったのは極めて示唆的です。イザヤは、「新しい天と、新しい地の創造」という幻に到達した初めての預言者でした。もちろんこれは具体的にはバビロン捕囚から帰還してなされるエルサレム神殿の再建を想定しているのでしょうが、それはいままでのイスラエル民族の救いという次元を超えた世界の再構築なのです。もちろん異邦人の救いの萌芽はルツ記やヨナ書にもあります。コミカルな短編のようなヨナ書はアッシリアの都ニニネベの民がヨナの言葉によって改心したことを伝えていますが、当時の人々にはビックリ仰天の話だったのではないでしょうか。この異邦の民への救いは、後にパリサイ人らからメシアのしるしを求められたイエスが「預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない。」(マタイによる福音書12章および16章)とヨナについて言及したということからもいかに核心的なことだったかがわかります。マタイ福音書において二度も述べられるこの言葉の意味を私はずっとよくわからなかったのですが、イザヤ書を迂回してようやく胸にすとんと落ちました。「救われるのは悔い改めて信じる異邦人であってあなたがたではない。」という意味でしょう。イザヤ書はやはり分量的にも内容的にも奇跡的な書でした。しかしこの書はバビロン捕囚という絶望的な数十年を経ずして書かれることはなかったということをどう考えるべきでしょうか。
2016年9月19日月曜日
「イザヤ書を読む 2」
イザヤ書40章以降で、イエス・キリストとの関係でどうしても触れなければならないのは「僕(しもべ)の歌」です。四か所ありますが、丸々一章分それにあてられている53章が特に有名です。
わたしたちの聞いたことを、誰が信じえようか。
主は御腕の力を誰に示されたことがあろうか。
乾いた地に埋もれた根から生え出た若枝のように
この人は主の前に育った。見るべき面影はなく
輝かしい風格も、好ましい容姿もない。
彼は軽蔑され、人々に見捨てられ
多くの痛みを負い、病を知っている。
彼はわたしたちに顔を隠し
わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。
彼が担ったのはわたしたちの病
彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに
わたしたちは思っていた
神の手にかかり、打たれたから
彼は苦しんでいるのだ、と。
彼が刺し貫かれたのは
わたしたちの背きのためであり
彼が打ち砕かれたのは
わたしたちの咎のためであった。
彼の受けた懲らしめによって
わたしたちに平和が与えられ
彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。
わたしたちは羊の群れ
道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。
そのわたしたちの罪をすべて
主は彼に負わせられた。
苦役を課せられて、かがみ込み
彼は口を開かなかった。
屠り場に引かれる小羊のように
毛を切る者の前に物を言わない羊のように
彼は口を開かなかった。
捕らえられ、裁きを受けて、彼は命を取られた。
彼の時代の誰が思い巡らしたであろうか
わたしの民の背きのゆえに、彼が神の手にかかり
命ある者の地から断たれたことを。
(中略)
わたしの僕は、多くの人が正しい者とされるために
彼らの罪を自ら負った。
それゆえ、わたしは多くの人を彼の取り分とし
彼は戦利品としておびただしい人を受ける。
彼が自らをなげうち、死んで
罪人のひとりに数えられたからだ。
多くの人の過ちを担い
背いた者のために執り成しをしたのは
この人であった。
何も知らなければイエス・キリストの死後にかかれた文書と考えられてもしかたのない預言です。実際そう考えられていた時期もあるようですが、いわゆる死海文書が発見された時このイザヤ書がそっくり丸ごと見つかったことから、イザヤ書が初めから一つのものとしてまとめられたことがはっきりしました。諸説あるようですが、第二イザヤ書が書かれたのは紀元前6世紀頃(最も遅く見積もったものでも紀元前5世紀頃)であり、このようなメシア象は、語る者自身が述べているように、当時の人々にとって「わたしたちの聞いたことを、誰が信じえようか。」という信じがたい預言でした。
死海文書は今ではほぼ解読されたようですが、私が子供の頃はまだ新約聖書との関係をめぐってかなりセンセーショナルな扱いを受けていた記憶があります。現存するそれまでの旧約聖書の写本から一挙に千年もさかのぼる大発見だったのですから無理もありませんが、それにしてもその千年間に記述がほとんど誤写なく受け継がれたことは驚異的なことでした。神の言葉を変えてはならじと肝に銘じて筆写した写本家たちの執念を感じます。この写本の発見が旧約聖書学にもたらしたものはとてつもなく大きいものでしたが、新約聖書に関しては今ではクムラン教団とイエスの弟子たちの関係や死海文書と新約聖書の成立との間に関連を認める研究者はほぼいないようです。それにしても死海文書の中で断片ではなく全編が見つかった旧約聖書はイザヤ書だけという事実は、イザヤ書の並々ならぬ重要性を示していると思うのは私だけではないでしょう。イザヤ書は強運の書でもあるのです。
イザヤ書は分量的にも長く手ごわい書物です。その中身はやはり驚くべきものでした。40章以降はペルシャ王キュロスによる捕囚からの解放への期待が目に見える現実としてあるだけに、新たな希望に満ちた言葉が多く語られています。いかにもイザヤらしい力強さを感じる言葉として次の言葉ははずせないでしょう。
イザヤ書40章31節
主に望みをおく人は新たな力を得
鷲のように翼を張って上る。
走っても弱ることなく、歩いても疲れない。
イザヤ書43章1節
ヤコブよ、あなたを創造された主は
イスラエルよ、あなたを造られた主は
今、こう言われる。
恐れるな、わたしはあなたを贖う。
あなたはわたしのもの。
わたしはあなたの名を呼ぶ。
イザヤ書46章3節~4節
わたしに聞け、ヤコブの家よ
イスラエルの家の残りの者よ、共に。
あなたたちは生まれた時から負われ
胎を出た時から担われてきた。
同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで
白髪になるまで、背負って行こう。
わたしはあなたたちを造った。
わたしが担い、背負い、救い出す。
ちなみに「ヤコブ」とか「イスラエル」とかいうのは民族名というより、万物を創造されたヤハウェ神(「私は在る」を意味する)を信じる民のことです。前述のようにその神を信じるすべての民に及ぶ呼び名であり、イザヤは神に背く民族を一括りにとらえるのではなく、その中にあっても神を信じる者たちを「残りの者」と呼んでいます。この呼び名には数的には少数という響きがあって私にはしっくりくる言い方です。
わたしたちの聞いたことを、誰が信じえようか。
主は御腕の力を誰に示されたことがあろうか。
乾いた地に埋もれた根から生え出た若枝のように
この人は主の前に育った。見るべき面影はなく
輝かしい風格も、好ましい容姿もない。
彼は軽蔑され、人々に見捨てられ
多くの痛みを負い、病を知っている。
彼はわたしたちに顔を隠し
わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。
彼が担ったのはわたしたちの病
彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに
わたしたちは思っていた
神の手にかかり、打たれたから
彼は苦しんでいるのだ、と。
彼が刺し貫かれたのは
わたしたちの背きのためであり
彼が打ち砕かれたのは
わたしたちの咎のためであった。
彼の受けた懲らしめによって
わたしたちに平和が与えられ
彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。
わたしたちは羊の群れ
道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。
そのわたしたちの罪をすべて
主は彼に負わせられた。
苦役を課せられて、かがみ込み
彼は口を開かなかった。
屠り場に引かれる小羊のように
毛を切る者の前に物を言わない羊のように
彼は口を開かなかった。
捕らえられ、裁きを受けて、彼は命を取られた。
彼の時代の誰が思い巡らしたであろうか
わたしの民の背きのゆえに、彼が神の手にかかり
命ある者の地から断たれたことを。
(中略)
わたしの僕は、多くの人が正しい者とされるために
彼らの罪を自ら負った。
それゆえ、わたしは多くの人を彼の取り分とし
彼は戦利品としておびただしい人を受ける。
彼が自らをなげうち、死んで
罪人のひとりに数えられたからだ。
多くの人の過ちを担い
背いた者のために執り成しをしたのは
この人であった。
何も知らなければイエス・キリストの死後にかかれた文書と考えられてもしかたのない預言です。実際そう考えられていた時期もあるようですが、いわゆる死海文書が発見された時このイザヤ書がそっくり丸ごと見つかったことから、イザヤ書が初めから一つのものとしてまとめられたことがはっきりしました。諸説あるようですが、第二イザヤ書が書かれたのは紀元前6世紀頃(最も遅く見積もったものでも紀元前5世紀頃)であり、このようなメシア象は、語る者自身が述べているように、当時の人々にとって「わたしたちの聞いたことを、誰が信じえようか。」という信じがたい預言でした。
死海文書は今ではほぼ解読されたようですが、私が子供の頃はまだ新約聖書との関係をめぐってかなりセンセーショナルな扱いを受けていた記憶があります。現存するそれまでの旧約聖書の写本から一挙に千年もさかのぼる大発見だったのですから無理もありませんが、それにしてもその千年間に記述がほとんど誤写なく受け継がれたことは驚異的なことでした。神の言葉を変えてはならじと肝に銘じて筆写した写本家たちの執念を感じます。この写本の発見が旧約聖書学にもたらしたものはとてつもなく大きいものでしたが、新約聖書に関しては今ではクムラン教団とイエスの弟子たちの関係や死海文書と新約聖書の成立との間に関連を認める研究者はほぼいないようです。それにしても死海文書の中で断片ではなく全編が見つかった旧約聖書はイザヤ書だけという事実は、イザヤ書の並々ならぬ重要性を示していると思うのは私だけではないでしょう。イザヤ書は強運の書でもあるのです。
イザヤ書は分量的にも長く手ごわい書物です。その中身はやはり驚くべきものでした。40章以降はペルシャ王キュロスによる捕囚からの解放への期待が目に見える現実としてあるだけに、新たな希望に満ちた言葉が多く語られています。いかにもイザヤらしい力強さを感じる言葉として次の言葉ははずせないでしょう。
イザヤ書40章31節
主に望みをおく人は新たな力を得
鷲のように翼を張って上る。
走っても弱ることなく、歩いても疲れない。
イザヤ書43章1節
ヤコブよ、あなたを創造された主は
イスラエルよ、あなたを造られた主は
今、こう言われる。
恐れるな、わたしはあなたを贖う。
あなたはわたしのもの。
わたしはあなたの名を呼ぶ。
イザヤ書46章3節~4節
わたしに聞け、ヤコブの家よ
イスラエルの家の残りの者よ、共に。
あなたたちは生まれた時から負われ
胎を出た時から担われてきた。
同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで
白髪になるまで、背負って行こう。
わたしはあなたたちを造った。
わたしが担い、背負い、救い出す。
ちなみに「ヤコブ」とか「イスラエル」とかいうのは民族名というより、万物を創造されたヤハウェ神(「私は在る」を意味する)を信じる民のことです。前述のようにその神を信じるすべての民に及ぶ呼び名であり、イザヤは神に背く民族を一括りにとらえるのではなく、その中にあっても神を信じる者たちを「残りの者」と呼んでいます。この呼び名には数的には少数という響きがあって私にはしっくりくる言い方です。
2016年9月14日水曜日
「イザヤ書を読む 1」
この夏はイザヤ書を読みました。もちろん隅々まですっかり読んだわけでも読んでわかったわけでもありませんが、これまであまり読んでこなかっただけに様々な印象を得ました。イザヤ書はアモツの子イザヤによって書かれたと冒頭に示されていますが、アモツの子イザヤによって書かれた39章までといわゆる第二イザヤと呼ばれる40章以降の作者の間にざっと200年ほどの時間があいているというのが研究者の一致するところです。さらに40章~55章、56章~66章に分かれるという有力な説があります。
第一イザヤが「ユダとエルサレムについて見た幻」について告げたのは王の統治としてはウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代ですが、世界史的にはイスラエル王国がサウルからダビデを経てソロモンによる全盛時代を経験したのち、南北に分裂し二百数十年たった頃です。一時的にはソロモン時代に匹敵する繁栄の時期もあったものの、やがてアッシリアの勃興により北のイスラエル王国は滅ぼされ(B.C.722)、南のユダ王国も属州となるという苦難の歴史が始まったのです。結局、大国の争いに翻弄される中で、アッシリア領からエジプト領、最終的にバビロニア領となり(B.C.597)、エルサレム神殿が破壊(B.C.586と有名なバビロン捕囚へと至る歴史を辿ります。第二イザヤが生きた時代はバビロン捕囚の時代ですから、イザヤ書が相当長い期間と激動する情勢をカバーしていることがわかります。
まず、第一イザヤの39章までについて考えてみます。前半6章でイザヤ自身が語っているように、その預言の意味を知らない民に彼らが聞きたくない預言を告げるのは容易ではなかったでしょう。繁栄していようと滅亡の危機が迫っていようと、神により頼むことなく自らの考えと力に頼って生きようとする民に対してイザヤは神の言葉を語り続けたのです。
イザヤ書6章9節~11節
主は言われた。
「行け、この民に言うがよい
よく聞け、しかし理解するな
よく見よ、しかし悟るな、と。
この民の心をかたくなにし
耳を鈍く、目を暗くせよ。
目で見ることなく、耳で聞くことなく
その心で理解することなく
悔い改めていやされることのないために。」
わたしは言った。
「主よ、いつまででしょうか。」
主は答えられた。
「町々が崩れ去って、住む者もなく
家々には人影もなく
大地が荒廃して崩れ去るときまで。」
イザヤの生きたユダ王国は弱小国の常として、生き延びるためにどこと結んだらよいか、どこに頼るのがよいか等々、様々な局面で様々な周囲の情勢を聞いて「森の木々が風に揺れ動くように動揺(7章2節)」するのです。このあたりは現代と何も変わりません。「落ち着いて、静かにしていなさい。恐れることはない(7章4節)」というヤハウェの言葉を聞かず自分の力でなんとかしようとするのです。イザヤはよいぶどうがなることを望んだのにできたのは酸っぱいぶどうだったという神の言葉を告げます。
イザヤ書5章7節
イスラエルの家は万軍の主のぶどう畑
主が楽しんで植えられたのはユダの人々。
主は裁き(ミシュパト)を待っておられたのに
見よ、流血(ミスパハ)。
正義(ツェダカ)を待っておられたのに
見よ、叫喚(ツェアカ)。
そもそも現代人が旧約聖書(特に史書)を敬遠する理由の一つにとにかく戦いや流血が多いということがあると思います。少なくとも私はそうです。古代人だからしかたがないとは思うものの、地球規模で見ればこれは現代でも同じなのです。ひしひしと感じたのは人間は古代から変わっていないということであり、イザヤの生きた二千数百年前の人々と我々はほとんど同時代人だということです。しかし、イザヤが見た幻には神の怒りや裁きだけでなく、終わりの日の慰めに満ちた世界が告げられています。迫りくる厳しい現実の中でイザヤが人々に無視されながら語った幻を引用します。最後の部分は国連本部に刻まれていると言う有名な言葉です。
イザヤ書2章3節~4節
多くの民が来て言う。
「主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。主はわたしたちに道を示される。
わたしたちはその道を歩もう」と。
主の教えはシオンから
御言葉はエルサレムから出る。
主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。
彼らは剣を打ち直して鋤とし
槍を打ち直して鎌とする。
国は国に向かって剣を上げず
もはや戦うことを学ばない。
預言書の中でイザヤ書に特徴的なのは、やはり新約へつながる預言があることでしょう。よくクリスマスに読まれるイエス・キリストの誕生預言が有名です。
イザヤ書11章1節~10節
エッサイの株からひとつの芽が萌えいで
その根からひとつの若枝が育ち
その上に主の霊がとどまる。
知恵と識別の霊
思慮と勇気の霊
主を知り、畏れ敬う霊。
彼は主を畏れ敬う霊に満たされる。
目に見えるところによって裁きを行わず
耳にするところによって弁護することはない。
弱い人のために正当な裁きを行い
この地の貧しい人を公平に弁護する。
(中略)
正義をその腰の帯とし
真実をその身に帯びる。
狼は小羊と共に宿り
豹は子山羊と共に伏す。
子牛は若獅子と共に育ち
小さい子供がそれらを導く。
牛も熊も共に草をはみ
その子らは共に伏し
獅子も牛もひとしく干し草を食らう。
乳飲み子は毒蛇の穴に戯れ
幼子は蝮の巣に手を入れる。
わたしの聖なる山においては
何ものも害を加えず、滅ぼすこともない。
水が海を覆っているように
大地は主を知る知識で満たされる。
その日が来れば
エッサイの根は
すべての民の旗印として立てられ
国々はそれを求めて集う。
そのとどまるところは栄光に輝く。
エッサイはダビデの父であり、新約聖書の冒頭にあるアブラハムからイエス・キリストに至る民族の長い系図の中にその名も記されています。イザヤ書11章で語られているのは、このエッサイの末裔は「すべての民の旗印として立てられ」たということ、主を知る知識で満たされたところには今は幻としか思えない平和が実現するのだということです。実際ここに描かれた世界は想像を絶する目も眩むような平和な光景です。
第13章の冒頭には、「アモツの子イザヤに示されたバビロンについての託宣」とあり、第27章まではバビロンの滅亡にまつわる記述があるところから年代的には第一イザヤの手になるものとは考えられませんが、イザヤ書の射程は現代人の常識を超えた長さで書かれており、それが初めから一つの書物として収められたことは驚くべきことです。イザヤが見た幻にはいくつかそれまでになかったものを包含する地平に至った感があります。
2016年9月10日土曜日
「会報のお手伝い」
東京で通っている教会から今年は会報発行のお手伝いを頼まれました。正式な会員ではなく客員の私に声がかかるくらいだからやはりお困りなのでしょう。福島教会の会堂再建に多大な支援をいただいた教会なので、少しでもお役にたてればよいとお引き受けしました。たぶん社会のあらゆるところでそうなのだと思うのですが、今は過渡期なのです。人口ピラミッドからして全体の人数が減っていくのは避けがたく、また高齢者の割合が増える一方で中年以下の割合は減っていくという状況で、できる人ができることをし無理な場合は事柄自体を適宜縮小していかなければなりません。
会報の編集は今まで携わっていたプロの方が第一線を退かれ、人手不足の中なんとかしていかなければならない状況です。編集者だけでなく執筆者への依頼もなかなか難しくなり、これまで毎月発行されていた会報は隔月となりました。やむを得ません。
最初の2回をこれまでも会報委員だった方が作成してくださり、8月号が私の担当となりました。内容は先月の編集会議で決まっており、書式は前回のをそのまま使用し原稿は多くがデータで送られてくるので、案外すぐできるのではないかと高を括っていたのです。ところがやってみるととんでもなかった。わずか12ページの会報なのですが、縦書き3段組みの書式にテキストボックスや図が入るため、思わぬ動きをするのです。ワードの奥深さというか使いづらさを思い知らされました。執筆者あっての編集なので、原稿の文字数が予定より少ないため配置を大幅に見直したり、逆に1字多いために1段におさまらなかったりという、不測の事態もいろいろ起きました。そのたび他の主たる編集者二人へメールし相談するのですが、これも10回ではきかず、それぞれの生活スタイルが違うのでメールがなければとても無理でした。編集委員の一人からは、「夜討ち、夜中討ち、朝がけ、なんでもありで、大変嬉しいです。皆さま、いつ寝ていらっしゃるのでしょうか?」と本気とも冗談ともとれるメールが来ました。
三人で確認し一応出来上がった版を、「第三者の厳しい目でみてください。」というお願いとともに事前に他の会報委員にもお送りし委員会に臨みました。この席ではいろいろ貴重なご意見をいただきましたが、プロの方の目はさすがでそのご指摘は誠に的確、本当に恐れ入りました。編集委員は、「三人であれほど見たのに・・・。」とショックを隠し切れない会議でした。やってみてわかったのは、お勤めしながらこれを作成するのは無理だということ、大勢の目でみることは本当に大事だということなどです。一つうれしかったのは、今回挿し絵はあとで著作権の問題が起こると面倒だなと思い、パブリック・ドメインにあるもの以外はしかたなく必死で描いたのですが、「何かそういうソフトがあるのかと思った。」といってほめてもらえたことです。とりあえず出来上がって配布され、大きな失敗はなかったようでほっとしました。あとは作成過程で気づいたことや改善すべき点をまとめて、次回以降に生かしていくことが残された仕事です。
会報の編集は今まで携わっていたプロの方が第一線を退かれ、人手不足の中なんとかしていかなければならない状況です。編集者だけでなく執筆者への依頼もなかなか難しくなり、これまで毎月発行されていた会報は隔月となりました。やむを得ません。
最初の2回をこれまでも会報委員だった方が作成してくださり、8月号が私の担当となりました。内容は先月の編集会議で決まっており、書式は前回のをそのまま使用し原稿は多くがデータで送られてくるので、案外すぐできるのではないかと高を括っていたのです。ところがやってみるととんでもなかった。わずか12ページの会報なのですが、縦書き3段組みの書式にテキストボックスや図が入るため、思わぬ動きをするのです。ワードの奥深さというか使いづらさを思い知らされました。執筆者あっての編集なので、原稿の文字数が予定より少ないため配置を大幅に見直したり、逆に1字多いために1段におさまらなかったりという、不測の事態もいろいろ起きました。そのたび他の主たる編集者二人へメールし相談するのですが、これも10回ではきかず、それぞれの生活スタイルが違うのでメールがなければとても無理でした。編集委員の一人からは、「夜討ち、夜中討ち、朝がけ、なんでもありで、大変嬉しいです。皆さま、いつ寝ていらっしゃるのでしょうか?」と本気とも冗談ともとれるメールが来ました。
三人で確認し一応出来上がった版を、「第三者の厳しい目でみてください。」というお願いとともに事前に他の会報委員にもお送りし委員会に臨みました。この席ではいろいろ貴重なご意見をいただきましたが、プロの方の目はさすがでそのご指摘は誠に的確、本当に恐れ入りました。編集委員は、「三人であれほど見たのに・・・。」とショックを隠し切れない会議でした。やってみてわかったのは、お勤めしながらこれを作成するのは無理だということ、大勢の目でみることは本当に大事だということなどです。一つうれしかったのは、今回挿し絵はあとで著作権の問題が起こると面倒だなと思い、パブリック・ドメインにあるもの以外はしかたなく必死で描いたのですが、「何かそういうソフトがあるのかと思った。」といってほめてもらえたことです。とりあえず出来上がって配布され、大きな失敗はなかったようでほっとしました。あとは作成過程で気づいたことや改善すべき点をまとめて、次回以降に生かしていくことが残された仕事です。
2016年9月7日水曜日
「紅春 93」
昨年あたりから散歩中たまにあう子柴ちゃんがいます。定年退職されたと思われる飼い主にかわいがられているようで、その頃まだ1歳にならない子犬でした。この子はりくとそっくりの顔をしています。柴犬なのだから当たり前だろうと思われるかもしれませんが。そうではないのです。八重丸君などは同じ柴でも種類が違うのではないかと思うほど、体系も顔つきも違いますし、例のドイツに住む柴犬アスカとセナも全く顔つきが違います。
さて、この子柴ちゃんは結構気合を入れてしつけをされているようで、昨年まだ半年ほどの頃だったでしょうか、なぜかすれちがうとき「伏せ。」のコマンドが出ていました。伏せて待たせる意味がわかりませんが、まあ訓練だったのでしょう。たぶん家ではちゃんとできているのでしょうが、そこは散歩道。いろいろな人や犬が通ります。子柴ちゃんは一瞬伏せてすぐ立ってしまい、ご主人様は「あれ、しないな。」などとつぶやいていました。
しかし、今では立派な若犬になり堂々としてきました。コマンドが出ると草原や道端でしっかり伏せて待つが定着しています。また、ご主人と脇目も振らず歩いている動じない態度に感心しました。で、一方りくはと言うと、この犬に気をとられて落ち着かない様子。「こんな小さい子に完全に負けた。」と一瞬動揺しましたが、心のどこかで「でも、りくはこれでいいもん。犬じゃないんだから。」と思っています。
さて、この子柴ちゃんは結構気合を入れてしつけをされているようで、昨年まだ半年ほどの頃だったでしょうか、なぜかすれちがうとき「伏せ。」のコマンドが出ていました。伏せて待たせる意味がわかりませんが、まあ訓練だったのでしょう。たぶん家ではちゃんとできているのでしょうが、そこは散歩道。いろいろな人や犬が通ります。子柴ちゃんは一瞬伏せてすぐ立ってしまい、ご主人様は「あれ、しないな。」などとつぶやいていました。
しかし、今では立派な若犬になり堂々としてきました。コマンドが出ると草原や道端でしっかり伏せて待つが定着しています。また、ご主人と脇目も振らず歩いている動じない態度に感心しました。で、一方りくはと言うと、この犬に気をとられて落ち着かない様子。「こんな小さい子に完全に負けた。」と一瞬動揺しましたが、心のどこかで「でも、りくはこれでいいもん。犬じゃないんだから。」と思っています。
2016年9月4日日曜日
「愛らしきもの」
最近なんともかわいいと思ったのは、愛読するブログ「柴犬とオランダ人と」の8月30日の記事です。日本製の犬のおやつをあげたところよほどおいしかったらしく、アスカが妹分セナのおやつを強奪したという事件です。どこで食べようかと足元におやつを置いていたら、どどどっとやってきたアスカに盗られて茫然自失、「ママあ」と筆者を見上げているセナのショットが可愛すぎる。アスカはアスカで「セナいらないって床に置いてたから。」と言い訳しながら、強奪してきたおやつを一心不乱に食べています。知らない犬とは思えぬほどよく見るサイトで、この2匹の犬の特性がよく表れています。
このおやつは豚耳だそうでりくにはあげたことがありません。人間が食べない妙なものはあげないようにしています。アスカとセナに関して私がどうしても解せないのは二匹が野ネズミやモグラ、野ウサギ等を狩ること。もちろん狩って食べるのです。自慢げに持ってくることもあるようです。お誕生日には生肉もあげているようで、人間等をターゲットにすることはないのかちょっと心配。りくにあげるものは必ず火を通すようにしているので考えられないことです。さんまにしてもハンバーグにしても食べておいしかったらもそもそとお座りするのがりくの「おかわり!」の表現です。穏やかな子でよかったなあと思っています。散歩の時は始終道路っ端の匂いをを嗅いでいますが拾い食いをすることはありません。一口に犬と言ってもそれぞれなのが生き物のすばらしさです。
このおやつは豚耳だそうでりくにはあげたことがありません。人間が食べない妙なものはあげないようにしています。アスカとセナに関して私がどうしても解せないのは二匹が野ネズミやモグラ、野ウサギ等を狩ること。もちろん狩って食べるのです。自慢げに持ってくることもあるようです。お誕生日には生肉もあげているようで、人間等をターゲットにすることはないのかちょっと心配。りくにあげるものは必ず火を通すようにしているので考えられないことです。さんまにしてもハンバーグにしても食べておいしかったらもそもそとお座りするのがりくの「おかわり!」の表現です。穏やかな子でよかったなあと思っています。散歩の時は始終道路っ端の匂いをを嗅いでいますが拾い食いをすることはありません。一口に犬と言ってもそれぞれなのが生き物のすばらしさです。
2016年9月2日金曜日
「web上のお引越し」
先日KDDIからメールが来てが~んとショックだったのは、今提供されている無料のホームページサービスが1年後くらいで終了するという知らせです。いろいろなことが起こるものです。福島教会のホームページはこのサービスを利用して運営してきたのですが引越しを考えなければならなくなりました。作った時の経緯はおおかた忘れているし、あれをまたやるのかと思うと、かなりブルーです。まだ時間はあるのでいろいろ調べて引越し先を決めなければなりません。できれば無料のところがよいのですが、広告が入ったりするのは困ります。ブログならわりと簡単に提供しているプロバイダーが見つかりそうですが、ホームページというと結構限られてくるかも。形式が固定的でなく使い勝手がよいものとなると・・・そんなのあるのかしら。今回はKDDIだったから1年間の猶予がありますが、無料のホームページ提供プロバイダーとなるといきなり終了というリスクがないとは言えません。かといって、毎年それなりの料金のかかるレンタルサーバーもちょっとなあ。格安のところもあるけれど、同様のリスクがあるだろうと思います。技術的に引っ越し作業ができるかという心配もありますが、せっかく検索で「福島教会」と入力すると第一番目に表示されるところまで認知されるようになったのに、URLが変わればそれもなくなる。また一からやり直しかと気重な気分で、「万物は流転する」というヘラクレイトスの言葉をかみしめています。でもなんとかしなくっちゃ。
2016年8月30日火曜日
「コーヒーの結論」
コーヒーは独特な飲み物です。焙煎した豆からそのうまさを抽出して飲み物にするのにこれほど情熱を注がれてきた飲み物があったでしょうか。とはいえ飲み物として抽出する調理法としては、「煮る」、「蒸す」、「浸す」、「注ぐ」あるいはそれらを組み合わせるくらいしかありません。
おそらくコーヒー豆がとれる地域では古来様々なやり方で飲まれてきたのでしょうが、やはり近代コーヒー(こんな言い方があるのかどうか?)は、煮出してその上澄みを飲むという、真っ先に思いつく飲み方のトルココーヒーが始まりだったようです。とすれば、この飲み方ではあとは沈殿する豆殻をどうやって取り除くかという問題を解決するだけです。布を用いて濾したのがネルドリップで、これが18世紀初めにフランスで確立したらしい。
これがその後、煮出すではなく上から熱湯を注ぐドリップ式へと発展したのが19世紀初頭のようです。やってみればわかりますが、煮出したものを布で濾すのは結構時間がかかるものです。何杯カ分が全部落ちる頃にはコーヒーは少し冷めてしまいます。熱湯であれば少しずつ注ぐことで煮出すのと同等のコクを引き出せますし、落ちも早い。また、その前に蒸すという時間をとることもできます。濾す部分にペーパードリップが開発されたのは意外にも20世紀に入ってからのことで、今はこれが一番簡便な方法として広く使われています。
蒸気圧と気圧の差を利用して水を移動させ、二つの容器の間に濾過布を置いたのがサイフォンで、諸説あるようですがこれは1830年代にドイツで考案されたようです。ドリップ式では、まずコーヒー粉を蒸すという時間が大事な「要素ですが、サイフォンの場合これがある程度自動でできる、液体が下の容器に落ちるのは重力の法則としても、気圧差を利用して水が行き来してコーヒーが出来上がる過程は抽出されたコーヒーのうまさに視覚的な驚きを伴ったすばらしいものだと思います。コーヒー好きの科学者が考えついたのかと想像すると楽しくなります。 エスプレッソマシーンは20世紀に入ってからイタリアで、開発されました。本当のコーヒー好きはエスプレッソが最高だと言うようですが、これは好みの分かれるところです。私はちょっと苦手です。言い忘れていましたが、例のトルココーヒーの発展形としてのフレンチプレス式コーヒーの豆殻除去の課題は、濾過するフィルター部分にサイフォンの濾過布をつけるという方法で一応解決しました。短時間で淹れるコーヒーとしては悪くないです。ただ、どこまでも澄んだ液体をご所望の向きには若干不満が残るかもしれません。
あとは温度の問題ですね。ドリップ式なら95度がおいしいとか、水出しコーヒーはまろやかに仕上がるとか、いや60度で淹れて急冷するのはもっとおいしいとか、いろんな人がいろんなことを言っています。味覚はそれぞれですから、コーヒーに関して「これが一番うまい。」とは言えないでしょうが、あえて言うならやはり熱を加えるというのは文明の第一歩だという気がします。個人的には総合的な観点からサイフォンが一番というのが私の結論です。時間のない時は無理ですけど。
おそらくコーヒー豆がとれる地域では古来様々なやり方で飲まれてきたのでしょうが、やはり近代コーヒー(こんな言い方があるのかどうか?)は、煮出してその上澄みを飲むという、真っ先に思いつく飲み方のトルココーヒーが始まりだったようです。とすれば、この飲み方ではあとは沈殿する豆殻をどうやって取り除くかという問題を解決するだけです。布を用いて濾したのがネルドリップで、これが18世紀初めにフランスで確立したらしい。
これがその後、煮出すではなく上から熱湯を注ぐドリップ式へと発展したのが19世紀初頭のようです。やってみればわかりますが、煮出したものを布で濾すのは結構時間がかかるものです。何杯カ分が全部落ちる頃にはコーヒーは少し冷めてしまいます。熱湯であれば少しずつ注ぐことで煮出すのと同等のコクを引き出せますし、落ちも早い。また、その前に蒸すという時間をとることもできます。濾す部分にペーパードリップが開発されたのは意外にも20世紀に入ってからのことで、今はこれが一番簡便な方法として広く使われています。
蒸気圧と気圧の差を利用して水を移動させ、二つの容器の間に濾過布を置いたのがサイフォンで、諸説あるようですがこれは1830年代にドイツで考案されたようです。ドリップ式では、まずコーヒー粉を蒸すという時間が大事な「要素ですが、サイフォンの場合これがある程度自動でできる、液体が下の容器に落ちるのは重力の法則としても、気圧差を利用して水が行き来してコーヒーが出来上がる過程は抽出されたコーヒーのうまさに視覚的な驚きを伴ったすばらしいものだと思います。コーヒー好きの科学者が考えついたのかと想像すると楽しくなります。 エスプレッソマシーンは20世紀に入ってからイタリアで、開発されました。本当のコーヒー好きはエスプレッソが最高だと言うようですが、これは好みの分かれるところです。私はちょっと苦手です。言い忘れていましたが、例のトルココーヒーの発展形としてのフレンチプレス式コーヒーの豆殻除去の課題は、濾過するフィルター部分にサイフォンの濾過布をつけるという方法で一応解決しました。短時間で淹れるコーヒーとしては悪くないです。ただ、どこまでも澄んだ液体をご所望の向きには若干不満が残るかもしれません。
あとは温度の問題ですね。ドリップ式なら95度がおいしいとか、水出しコーヒーはまろやかに仕上がるとか、いや60度で淹れて急冷するのはもっとおいしいとか、いろんな人がいろんなことを言っています。味覚はそれぞれですから、コーヒーに関して「これが一番うまい。」とは言えないでしょうが、あえて言うならやはり熱を加えるというのは文明の第一歩だという気がします。個人的には総合的な観点からサイフォンが一番というのが私の結論です。時間のない時は無理ですけど。
2016年8月26日金曜日
「平和の可能性」
私は安倍内閣の御用放送局と成り果てたNHKに期待することはもう何もないのですが、今年の終戦記念日のNHKスペシャルは期待していなかっただけに秀作だと感じ、まだこのような番組を作る力があったのかと少々見直した次第です。今年の放送は、8月14日が「村人は満州へ送られた~“国策”71年目の真実~」で、8月15日は「ふたりの贖罪(しょくざい)~日本とアメリカ・憎しみを越えて~」でした。前者は、国策に翻弄されて村人を満蒙開拓団に送って戦死や集団自決の悲劇を生んだ自責の念から後に自殺した旧河野村(現豊丘村)の元村長、胡桃沢盛の日記を扱ったもの、後者は、太平洋戦争で相手国を憎みぬいた日米の軍人(真珠湾攻撃の総指揮官淵田美津雄と名古屋大空襲を実行したアメリカ陸軍航空隊のジェイコブ・ディシェイザー)が終戦後いかにして憎しみから解放されたかという軌跡を扱ったものでした。
前者について、これが今現在も形を変えながら日本中の役所や企業や学校や病院で見られる構図であることは一度でも勤めたことがある人なら深く同意するでしょう。ということは、ひとたびまた戦争という方向に向かう時には同じことが起こるということです。
後者について私が思い出すのは、「アメリカ社会でキリスト者として生きるということはエイリアンとして生きるということだ。」と語ったあるアメリカ人の言葉です。そうだろうと思います。市民社会において銃の所持が権利として認められ、国際社会では世界最大の軍事力を保持し正義の名のもとに他国の市民の頭上に爆弾を雨あられと降らしてきた国なのですから。そういう中にあって「キリスト教」ではなく「キリスト」を信じていきるとすればエイリアンにならざるを得ないでしょう。私は以前「日本のクリスチャン」について、人口の1%に満たないというのは案外妥当な数字かもしれないと書きましたが、真にキリストの平和を求めて生きるアメリカ人もきっと数的にはそんなものだろうと思うのです。
今回の放送では、相手国の国民をできるだけ多く殺したいと思っていた二人が、同じイエスの言葉(「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」)に出会うことにより自分の罪を認めるに至った経緯が描かれていました。昨年の安保法案反対運動を牽引した学生団体SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)の少なくとも何人かはクリスチャンもしくはその周辺の人でした。確かめたわけではありませんがスピーチを聞けば分かります。また、8月15日の解散時に出されたwebページには不正と暴虐が満ちる世界で自由と民主主義そして平和を希求する人間像が全編にわたって描かれており、一瞬でしたがキング牧師のワシントン大行進の映像も挿入されていました。
神の支配による完全な平和を神の国とするなら、「神の国はいつくるのか」という問いに対してイエスは、「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」(ルカによる福音書17章20~21節)と答えています、その少し前で、「もし兄弟が罪を犯したら、戒めなさい。そして、悔い改めれば、赦してやりなさい。一日に七回あなたに対して罪を犯しても、七回、『悔い改めます』と言ってあなたのところに来るなら、赦してやりなさい。」と「イエスは言っているのですから、まさにこのような、赦し赦されるということが実現している人間関係こそ、神の国なのだと語ったことになるのでしょう。人間にとって最も難しいことの1つは自分に対して罪を犯した人を許すということですが、様々な人間的弱さや限界があっても、キリスト・イエスを仲介とする時にのみそれが起こりうるのです。今回の放送でその可能性を描いたことに、NHKの一片の良心を見た気がします。
前者について、これが今現在も形を変えながら日本中の役所や企業や学校や病院で見られる構図であることは一度でも勤めたことがある人なら深く同意するでしょう。ということは、ひとたびまた戦争という方向に向かう時には同じことが起こるということです。
後者について私が思い出すのは、「アメリカ社会でキリスト者として生きるということはエイリアンとして生きるということだ。」と語ったあるアメリカ人の言葉です。そうだろうと思います。市民社会において銃の所持が権利として認められ、国際社会では世界最大の軍事力を保持し正義の名のもとに他国の市民の頭上に爆弾を雨あられと降らしてきた国なのですから。そういう中にあって「キリスト教」ではなく「キリスト」を信じていきるとすればエイリアンにならざるを得ないでしょう。私は以前「日本のクリスチャン」について、人口の1%に満たないというのは案外妥当な数字かもしれないと書きましたが、真にキリストの平和を求めて生きるアメリカ人もきっと数的にはそんなものだろうと思うのです。
今回の放送では、相手国の国民をできるだけ多く殺したいと思っていた二人が、同じイエスの言葉(「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」)に出会うことにより自分の罪を認めるに至った経緯が描かれていました。昨年の安保法案反対運動を牽引した学生団体SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)の少なくとも何人かはクリスチャンもしくはその周辺の人でした。確かめたわけではありませんがスピーチを聞けば分かります。また、8月15日の解散時に出されたwebページには不正と暴虐が満ちる世界で自由と民主主義そして平和を希求する人間像が全編にわたって描かれており、一瞬でしたがキング牧師のワシントン大行進の映像も挿入されていました。
神の支配による完全な平和を神の国とするなら、「神の国はいつくるのか」という問いに対してイエスは、「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」(ルカによる福音書17章20~21節)と答えています、その少し前で、「もし兄弟が罪を犯したら、戒めなさい。そして、悔い改めれば、赦してやりなさい。一日に七回あなたに対して罪を犯しても、七回、『悔い改めます』と言ってあなたのところに来るなら、赦してやりなさい。」と「イエスは言っているのですから、まさにこのような、赦し赦されるということが実現している人間関係こそ、神の国なのだと語ったことになるのでしょう。人間にとって最も難しいことの1つは自分に対して罪を犯した人を許すということですが、様々な人間的弱さや限界があっても、キリスト・イエスを仲介とする時にのみそれが起こりうるのです。今回の放送でその可能性を描いたことに、NHKの一片の良心を見た気がします。
2016年8月25日木曜日
「紅春 92」
今年の夏は異常に暑く、何もできずにりくとだらだらと、リオ・オリンピックを見ることが多かったです。普段は』スポーツにさほど関心があるわけでもないのに、さすがに世界最高峰の身体技法や技はすごい。日々の鍛錬や最後の1秒まであきらめない精神力も見習うべきことがありました。とはいえ、家でりくとできるのはレスリングくらい。
「りく、姉ちゃんとレスリングね。後ろ取られた方が負けね。」
キャーキャー。クルクル、グルグル。
「りく、伸身ユルチェンコ3回半ひねり。それ、体操でしょ。」
ドッタン、バッタン、ドッタン、バッタン。ゴロ~ン。
「りく、スキありすぎー。両肩をつけます。・・・姉ちゃんのっフォール勝ち、りくの負けー。」

ひとしきり遊んだあとは夏の定番、お昼寝です。
「りく、姉ちゃんとレスリングね。後ろ取られた方が負けね。」
キャーキャー。クルクル、グルグル。
「りく、伸身ユルチェンコ3回半ひねり。それ、体操でしょ。」
ドッタン、バッタン、ドッタン、バッタン。ゴロ~ン。
「りく、スキありすぎー。両肩をつけます。・・・姉ちゃんのっフォール勝ち、りくの負けー。」
ひとしきり遊んだあとは夏の定番、お昼寝です。
「雑草とのバトル」
雑草魂という言葉はしぶとい生命力を示すどちらかというとプラスの表現だと思うのですが、最近私はそんな好意的な使い方ができないような状況になっています。二週間ぶりに帰省すると、前回も草むしりをかなりやっていったはずなのに、もう新しいのが生えている。前回見逃した草はかなりの高さに育っている、といった信じられない光景が目の前にあるのです。隣は空き家なので庭は草ぼうぼうですが、いつもりくをつないでおく隣家との境は草を抜いています。藪蚊の温床となるからです。他のところはもう人間の高さくらいまで草が伸びており、草はどこまでも成長が許されれば木になるのだということを知りました。
毎朝すこしずつ草むしりをしていますが、小さいのが次々生えるので減っている気がしません。何か邪悪なものに支配されつつあるような様相を呈しています。人の罪もこのようなものではないかと考えさせられます。いったんきれいにされたようでも、また次々に小さい罪が顔を出す・・・。罪の力は本当に強い。
河原に出るとさらに恐ろしい光景が広がっています。きれいにせいびされているところはよいのですが、人の背の高さをとうに超えたイタドリの木が両側に茂っているところもあります。しかしそれを凌ぐ姿を見せているのが蔓科の植物。あらゆる植物の上に覆いかぶさって伸びていく蔓の生命力は半端ではありません。河原の国盗り物語は蔓科の種族に軍配が上がるだろうと予想しています。もうすでに恐ろしい勢いで土手の方まで増殖しりくの散歩道を脅かしています。
家の垣根も父が植えていたアケビの蔓に覆われかけましたが、蔓にだって弱点はあります。根元を断つのです。アケビの蔓は完全に太い樹になっていましたが、ジャックと豆の木よろしく斧ならぬのこぎりで切り落としました。邪悪な力に負けるものかと、雑草と戦う毎日です。
毎朝すこしずつ草むしりをしていますが、小さいのが次々生えるので減っている気がしません。何か邪悪なものに支配されつつあるような様相を呈しています。人の罪もこのようなものではないかと考えさせられます。いったんきれいにされたようでも、また次々に小さい罪が顔を出す・・・。罪の力は本当に強い。
河原に出るとさらに恐ろしい光景が広がっています。きれいにせいびされているところはよいのですが、人の背の高さをとうに超えたイタドリの木が両側に茂っているところもあります。しかしそれを凌ぐ姿を見せているのが蔓科の植物。あらゆる植物の上に覆いかぶさって伸びていく蔓の生命力は半端ではありません。河原の国盗り物語は蔓科の種族に軍配が上がるだろうと予想しています。もうすでに恐ろしい勢いで土手の方まで増殖しりくの散歩道を脅かしています。
家の垣根も父が植えていたアケビの蔓に覆われかけましたが、蔓にだって弱点はあります。根元を断つのです。アケビの蔓は完全に太い樹になっていましたが、ジャックと豆の木よろしく斧ならぬのこぎりで切り落としました。邪悪な力に負けるものかと、雑草と戦う毎日です。
「人の言葉、神の言葉」
剣呑な時代になったとつくづく感じます。19世紀から20世紀にかけての帝国主義の時代もすさまじい時代でしたが、大国によるなりふり構わない領土的野心の実現を目指す動きを目の当たりにすれば、今この時も新たな帝国主義時代に入ったといってよいと思います。暴力的な動きは国家にとどまらず、人種や宗教の衣をまとった憎悪の表明により無辜の人々の命が失われています。現状を解説する多くの言葉が語られ、知らなければならないことがあるのも確かですが、氾濫する情報に、「所詮人の言葉だ。疲れる。」と外部の音を遮断することもあります。
聖書は世界で一番売れている本だと言われます。読む人それぞれに受け止め方は百人百様かもしれませんが、私がこの頃強く感じるのは、「これは人の言葉ではない。」ということです。もちろん人間に読めるよう、ヘブライ語なりギリシャ語なりで書かれていますが、人間にこんなことが語れるはずがないという言葉が全編を通して随所にあります。神から言葉を託された人がいて、その人は望むと望まざるとにかかわらずそれを語らないわけにはいかなかった、そういう言葉なのです。
獅子がほえる
誰が恐れずにいられよう。
主なる神が語られる
誰が預言せずにいられようか。
(アモス書3章8節)
最近あらためて気づいたのは、人の罪に染まった町ソドムを神が滅ぼそうとした時、アブラハムが示したとりなしです。アブラハムは「もし50人の正しい人がいても町を滅ぼすのですか。」と問うて、「正しい人が50人いたら町を滅ぼさない。」という答えを得ます。その後さらに、アブラハムの必死の食い下がりでこの人数は10人まで下がります。神がアブラハムとの度重なるやり取りの中で、アブラハムの提案を常に受け入れ10人まで譲歩したということは、「正しい者を悪い者とともに滅ぼさないでほしい。正義を行う方がそんなことをなさるはずがない。」というアブラハムの主張を認めたということでしょう。人はとかく人数の多寡で判断し町のほとんどが悪人ならば滅ぼされても仕方がないと考えるだろうと思いますが、正しい者のゆえに悪い者の多い町を許してほしいというアブラハムの主張を神がよしとしたということです。これは世界中で行われてきた空爆と全く逆の考えです。実際、空爆によって何か解決したことがあるかといえば、むしろ憎悪の連鎖を生み出し事態をいっそう悪くしただけでした。神というと、裁きの神の印象が強い気がしますが、ここで示されているのはむしろ赦しの神です。
わたしに尋ねようとしない者にも
わたしは、尋ね出される者となり
わたしを求めようとしない者にも
見いだされる者となった。
わたしの名を呼ばない民にも
わたしはここにいる、ここにいると言った。
(イザヤ書65章1節)
世界初のベストセラーはルターのドイツ語訳聖書だと聞いたことがあります。庶民が教会で聴くだけだった聖書が個人の所有になるとは驚天動地のことだったでしょう。その数十年前に発明されたグーテンベルクの活版印刷のおかげですこれがなければ宗教改革も成功しなかったかもしれません。。初めて自国語で書かれた聖書を手にした人々はどんな気持ちで読んだのだろうかと想像して、長い時の流れに胸を打たれます。折しも来年は宗教改革から500年です。
聖書は世界で一番売れている本だと言われます。読む人それぞれに受け止め方は百人百様かもしれませんが、私がこの頃強く感じるのは、「これは人の言葉ではない。」ということです。もちろん人間に読めるよう、ヘブライ語なりギリシャ語なりで書かれていますが、人間にこんなことが語れるはずがないという言葉が全編を通して随所にあります。神から言葉を託された人がいて、その人は望むと望まざるとにかかわらずそれを語らないわけにはいかなかった、そういう言葉なのです。
獅子がほえる
誰が恐れずにいられよう。
主なる神が語られる
誰が預言せずにいられようか。
(アモス書3章8節)
最近あらためて気づいたのは、人の罪に染まった町ソドムを神が滅ぼそうとした時、アブラハムが示したとりなしです。アブラハムは「もし50人の正しい人がいても町を滅ぼすのですか。」と問うて、「正しい人が50人いたら町を滅ぼさない。」という答えを得ます。その後さらに、アブラハムの必死の食い下がりでこの人数は10人まで下がります。神がアブラハムとの度重なるやり取りの中で、アブラハムの提案を常に受け入れ10人まで譲歩したということは、「正しい者を悪い者とともに滅ぼさないでほしい。正義を行う方がそんなことをなさるはずがない。」というアブラハムの主張を認めたということでしょう。人はとかく人数の多寡で判断し町のほとんどが悪人ならば滅ぼされても仕方がないと考えるだろうと思いますが、正しい者のゆえに悪い者の多い町を許してほしいというアブラハムの主張を神がよしとしたということです。これは世界中で行われてきた空爆と全く逆の考えです。実際、空爆によって何か解決したことがあるかといえば、むしろ憎悪の連鎖を生み出し事態をいっそう悪くしただけでした。神というと、裁きの神の印象が強い気がしますが、ここで示されているのはむしろ赦しの神です。
わたしに尋ねようとしない者にも
わたしは、尋ね出される者となり
わたしを求めようとしない者にも
見いだされる者となった。
わたしの名を呼ばない民にも
わたしはここにいる、ここにいると言った。
(イザヤ書65章1節)
世界初のベストセラーはルターのドイツ語訳聖書だと聞いたことがあります。庶民が教会で聴くだけだった聖書が個人の所有になるとは驚天動地のことだったでしょう。その数十年前に発明されたグーテンベルクの活版印刷のおかげですこれがなければ宗教改革も成功しなかったかもしれません。。初めて自国語で書かれた聖書を手にした人々はどんな気持ちで読んだのだろうかと想像して、長い時の流れに胸を打たれます。折しも来年は宗教改革から500年です。
2016年8月17日水曜日
「帰省の高速バス」
8月は混雑するお盆の時期を避けて早めに帰省するのが常でしたが、今年は事情でど真ん中の15日になってしまいました。その日乗ったバスの運転手さんは、ひょっとしたら引退された方が頼まれて乗務したのではないかと思いました。とても慣れた感じで、上機嫌に様々な説明を適宜いれてくれるのですが、こんなによくしゃべる運転手さんは初めてだと思うくらい快活な方でした。独り言や営業所とのやりとりの全てがあからさまにわかるので、退屈しないというか、とにかく人間味あふれる方でした。一部紹介すると、
「まもなく那須高原サービスエリアで休憩をとります。・・・・この時期、駐車場が渋滞で、いや違う、混雑で大型車の場所に乗用車が止まっていることがあり・・・あ、あそこのパイロンが・・・大丈夫だな、ちょっとどかしてきます。・・・・では集合時間は○時○分です。バスの外に出られる際はお足下、いや違う、すれ違う車にお気を付けください。」
バスに戻ると営業所と連絡をっている声がマイクを切っていないため筒抜けになっています。
「新宿34名、王子4名。・・・はい、えっーと、西郷7名、須賀川9名、郡山14名・・・」
ここで乗車と降車の人数を連絡していたとは今まで知らなかったな。話のところどころに個人的な会話も入るらしく楽しそうです。
この休憩時に乗客から、何かカタカタという音が聞こえるという知らせが入ったようで、
「どこらへんですか。・・・・ここは大丈夫だし・・・音が出るようなものは・・・・。」
結局、荷物入れの箱を止めるロックをしていなかったことが原因だったというアナウンスが入った時は吹き出しそうになりました。その後も、渋滞による到着時間の予想やこれまでの忘れ物の例などを紹介しながら同じ感じで時が過ぎ、どんどん乗客は降りて行きます。終点1つ前の福島西インターでは、
「先ほど会社からの電話を取りそびれてしまいました。ちょっとかけさせていただきます。・・・はい、今ですね、西インターです。」
「もうすこ~しですね。がんばってください。」
マイクを切っていないため、営業所からの熱いエールもばっちり聞こえ、またもや吹き出しそうになりました。気持ちはよくわかる。仕事の終了まであと少しなのです。そんなわけで、会社の内情というのはなかなかわからないものですが、今回のことでとても人間関係のよいバス会社だと感じて安心したというのが大きな収穫でした。(ちなみに私はいつもJRバスを利用しています。) 運転手さん、お疲れ様でした。
「まもなく那須高原サービスエリアで休憩をとります。・・・・この時期、駐車場が渋滞で、いや違う、混雑で大型車の場所に乗用車が止まっていることがあり・・・あ、あそこのパイロンが・・・大丈夫だな、ちょっとどかしてきます。・・・・では集合時間は○時○分です。バスの外に出られる際はお足下、いや違う、すれ違う車にお気を付けください。」
バスに戻ると営業所と連絡をっている声がマイクを切っていないため筒抜けになっています。
「新宿34名、王子4名。・・・はい、えっーと、西郷7名、須賀川9名、郡山14名・・・」
ここで乗車と降車の人数を連絡していたとは今まで知らなかったな。話のところどころに個人的な会話も入るらしく楽しそうです。
この休憩時に乗客から、何かカタカタという音が聞こえるという知らせが入ったようで、
「どこらへんですか。・・・・ここは大丈夫だし・・・音が出るようなものは・・・・。」
結局、荷物入れの箱を止めるロックをしていなかったことが原因だったというアナウンスが入った時は吹き出しそうになりました。その後も、渋滞による到着時間の予想やこれまでの忘れ物の例などを紹介しながら同じ感じで時が過ぎ、どんどん乗客は降りて行きます。終点1つ前の福島西インターでは、
「先ほど会社からの電話を取りそびれてしまいました。ちょっとかけさせていただきます。・・・はい、今ですね、西インターです。」
「もうすこ~しですね。がんばってください。」
マイクを切っていないため、営業所からの熱いエールもばっちり聞こえ、またもや吹き出しそうになりました。気持ちはよくわかる。仕事の終了まであと少しなのです。そんなわけで、会社の内情というのはなかなかわからないものですが、今回のことでとても人間関係のよいバス会社だと感じて安心したというのが大きな収穫でした。(ちなみに私はいつもJRバスを利用しています。) 運転手さん、お疲れ様でした。
2016年8月8日月曜日
「現実に架橋するゲーム」
先日、友人と会う機会があって都バスの旅をしました。9時集合でしたが、聞けば朝6時半に家を出たとのこと。普通に電車で来れば待ち合わせ場所まで20分もかからないはず。友人は「途中まで歩いて一駅だけ電車に乗った。」とうれしそうに言いました。ポケモンgoをしながらきたのです。
「何匹捕まえたの。」
と訊くと、配信された直後の土・日で25キロ歩いて250匹とのこと、いや~驚きました。25キロを嬉々として歩けるのですから、人間の意欲と言うのは本当にすごいものです。
スマホの画面を見ながら、近くにいるモンスターにボールを投げて捕獲するというのが一般的なルールのようですが、ボールがなくなったらポケストップで手に入れられるとか、新宿御苑にはピカチュウがいるとか、アジアにしかいないモンスターもいるとかいろいろ工夫されています。都バスの中でもできるので歩かずしてモンスターと遭遇でき、「これは楽だ。」と友人は言っていました。しかし卵を孵化させるには5キロ歩かなければならないらしく、孵化の瞬間を見せてもらったら確かにとても可愛くて、元々ポケモンに愛着を感じている人ならぜひやってみたくなるのも納得です。
それを如実に表しているのはひきこもりだった方々かもしれません。ひきこもるという状態はそもそも外界(特に人間社会)と接触したくないことに端を発しているのですが、本当は外に出たいと思っている場合、「とりあえず楽しく一人でできて、みんなと同じ状態で外に出られる」というこのコンセプトに乗らない手はありません。このキャラクターが好きでどうしてもやってみたい気持ちがひきこもりたい気持ちに勝り、「やってみて楽しかった」と思えるなら次につながる展開もあるでしょう。これ以外にひきこもりの方々を引っ張り出す方法はなかなか思いつきません。この手のヴァーチャルゲームで私が最後にやったのはたまごっちでした。母にもあげたら真剣に世話してましたね。でもあれは家の中でもできるものでしたから、ヴァーチャルな世界と現実の世界を結び付けたという点でこのゲームは画期的だったと言えるでしょう。あとはとにかく事故に注意、なにしろ歩きスマホが基本のゲームですから。友人は「大人として課金はしない。」とも言っていました。凄惨な事件があった頃だっただけにちょっと平和な話題でほっとしました。少なくとも夏休みの間はこのゲームは流行るでしょう。努力してモンスターをコツコツ集めていくのは、一種の昆虫採集のようなものかもしれません。
「何匹捕まえたの。」
と訊くと、配信された直後の土・日で25キロ歩いて250匹とのこと、いや~驚きました。25キロを嬉々として歩けるのですから、人間の意欲と言うのは本当にすごいものです。
スマホの画面を見ながら、近くにいるモンスターにボールを投げて捕獲するというのが一般的なルールのようですが、ボールがなくなったらポケストップで手に入れられるとか、新宿御苑にはピカチュウがいるとか、アジアにしかいないモンスターもいるとかいろいろ工夫されています。都バスの中でもできるので歩かずしてモンスターと遭遇でき、「これは楽だ。」と友人は言っていました。しかし卵を孵化させるには5キロ歩かなければならないらしく、孵化の瞬間を見せてもらったら確かにとても可愛くて、元々ポケモンに愛着を感じている人ならぜひやってみたくなるのも納得です。
それを如実に表しているのはひきこもりだった方々かもしれません。ひきこもるという状態はそもそも外界(特に人間社会)と接触したくないことに端を発しているのですが、本当は外に出たいと思っている場合、「とりあえず楽しく一人でできて、みんなと同じ状態で外に出られる」というこのコンセプトに乗らない手はありません。このキャラクターが好きでどうしてもやってみたい気持ちがひきこもりたい気持ちに勝り、「やってみて楽しかった」と思えるなら次につながる展開もあるでしょう。これ以外にひきこもりの方々を引っ張り出す方法はなかなか思いつきません。この手のヴァーチャルゲームで私が最後にやったのはたまごっちでした。母にもあげたら真剣に世話してましたね。でもあれは家の中でもできるものでしたから、ヴァーチャルな世界と現実の世界を結び付けたという点でこのゲームは画期的だったと言えるでしょう。あとはとにかく事故に注意、なにしろ歩きスマホが基本のゲームですから。友人は「大人として課金はしない。」とも言っていました。凄惨な事件があった頃だっただけにちょっと平和な話題でほっとしました。少なくとも夏休みの間はこのゲームは流行るでしょう。努力してモンスターをコツコツ集めていくのは、一種の昆虫採集のようなものかもしれません。
2016年8月5日金曜日
「紅春 91」
夏はりくにとって受難の季節です。下毛が薄くなったとはいえダブルコートなのですから、暑くてどうしようもありません。まだ1才にならない初めての夏、夕方5時頃散歩に行きたいというので連れて出てみたら、過呼吸を起こして即抱っこして帰り、冷房の風でなんとか回復したということがあったのです。私が在宅の時はいいのですが、そうでない時兄は誰もいない時にとんでもない事態にならぬよう、りくのためだけに茶の間の冷房をかけて仕事に出かけるそうです。部屋が涼しいとりくは外も涼しいと勘違いして散歩に行きたがりますが、盛夏の今は夕方6時でも「まだ暑くて行けないからね。」と言い聞かせなければなりません。
りくの大敵はほかにもいます。散歩から帰るとしばらく外に置き、ある程度満足させてから家に入れますが、この時は蚊取り線香を焚いてやります。風向きもあるのでどれほど効果があるかわかりませんが、一応気休めです。あの煙自体は犬にとってもよくないのでしょうが、外で遊ぶ時の決まりごとと思っているのか、嫌がることはないようです。
りくの大敵はほかにもいます。散歩から帰るとしばらく外に置き、ある程度満足させてから家に入れますが、この時は蚊取り線香を焚いてやります。風向きもあるのでどれほど効果があるかわかりませんが、一応気休めです。あの煙自体は犬にとってもよくないのでしょうが、外で遊ぶ時の決まりごとと思っているのか、嫌がることはないようです。
2016年8月2日火曜日
「お湯を沸かす」
昔の人の生活は朝起きてお湯を沸かすところから一日が始まったのだと思います。父もそうでしたので、私が帰省して父より早く起きるときは同じようにしていました。いつの頃からかこの習慣は日本から徐々になくなっていったのでしょう。家族の人数が減り、個々に分かれて住むようになってからポットにお湯を保温しておくのが不経済になってきたのです。必要なときに必要な分だけお湯を沸かすことが普通になってきました。また、私もそうですが、お茶ではなくコーヒーを日常的に飲む人には、手で丁寧に淹れる場合は別にして、エスプレッソは無論のことドリップ式にしてもサイフォン式にしても、それ専用の機器があるためお湯を沸かす必要がないのです。些細なことですが、日常の生活様式はいつのまにかかなり変わったのです。
先日、これまで使っていたサイフォンの寿命が来て、新しいのをいろいろ調べているうち、フレンチプレス式なるコーヒーの淹れ方があることがわかりました。てっきり筒状のティーポットだと思っていたのですが、耐熱ガラスに挽いたコーヒー粉を入れ熱湯を注いでしばらく置き、フィルターのついた金属棒を押し下げて豆殻を濾すようです。コーヒーが国民飲料のようなドイツでも一度も見たことのない代物でしたが、新しいコーヒーの淹れ方となれば試してみないわけにはいきません。ごくシンプルな淹れ方ながら日本でもドイツでも浸透していないのには何かわけがあるのかもしれないと思いつつ、器具を購入してやってみることにしました。しかしこの方法では飲むたびにお湯を沸かす必要がでてきます。
お湯を沸かすと言えば自宅ではやかんで沸かすしかありませんが、今はこの暑さ、ガスを使うのはできるだけ控えたい。「電気ケトルが一つあってもいいかもな。」と思い、ついでに買うことにしました。電気湯沸しと言えば、「あっという間にすぐに沸く」のT社が有名ですが、内側がステンレスのものを探してP社に決定。0,8リットルは十分な容量、丸っこいやかん型ではなく寸胴の魔法瓶型、直径とほぼ同じ広口の取り外せる上蓋、本体を載せるコード付き円盤、沸騰時自動電源オフ、空焚き防止機能付きと、大変よくできた製品です。さっそくカップ1杯分のお湯を沸かしてみたら、高速70秒でとても便利。早すぎてコーヒーの準備が追いつかないくらいでした。食材の下ごしらえとか、即席の味噌汁、インスタント食品にも重宝しそうです。
肝心のフレンチプレスコーヒーについてはまだ結論が出せません。味はなかなかよいのですが、フィルターではコーヒー粉を完全に濾せず、ドリップ式のつもりで飲むとかなり違和感があります。ハンガリーで何度か試したトルココーヒー(粉というより細かい豆殻が沈むのを待って上澄みを飲む)ほどではないにせよ、やはりあの粉の沈殿はなんとかしなければなりません。いずれにしても新しいコーヒーの淹れ方があれば懲りずに挑戦するつもりです。
先日、これまで使っていたサイフォンの寿命が来て、新しいのをいろいろ調べているうち、フレンチプレス式なるコーヒーの淹れ方があることがわかりました。てっきり筒状のティーポットだと思っていたのですが、耐熱ガラスに挽いたコーヒー粉を入れ熱湯を注いでしばらく置き、フィルターのついた金属棒を押し下げて豆殻を濾すようです。コーヒーが国民飲料のようなドイツでも一度も見たことのない代物でしたが、新しいコーヒーの淹れ方となれば試してみないわけにはいきません。ごくシンプルな淹れ方ながら日本でもドイツでも浸透していないのには何かわけがあるのかもしれないと思いつつ、器具を購入してやってみることにしました。しかしこの方法では飲むたびにお湯を沸かす必要がでてきます。
お湯を沸かすと言えば自宅ではやかんで沸かすしかありませんが、今はこの暑さ、ガスを使うのはできるだけ控えたい。「電気ケトルが一つあってもいいかもな。」と思い、ついでに買うことにしました。電気湯沸しと言えば、「あっという間にすぐに沸く」のT社が有名ですが、内側がステンレスのものを探してP社に決定。0,8リットルは十分な容量、丸っこいやかん型ではなく寸胴の魔法瓶型、直径とほぼ同じ広口の取り外せる上蓋、本体を載せるコード付き円盤、沸騰時自動電源オフ、空焚き防止機能付きと、大変よくできた製品です。さっそくカップ1杯分のお湯を沸かしてみたら、高速70秒でとても便利。早すぎてコーヒーの準備が追いつかないくらいでした。食材の下ごしらえとか、即席の味噌汁、インスタント食品にも重宝しそうです。
肝心のフレンチプレスコーヒーについてはまだ結論が出せません。味はなかなかよいのですが、フィルターではコーヒー粉を完全に濾せず、ドリップ式のつもりで飲むとかなり違和感があります。ハンガリーで何度か試したトルココーヒー(粉というより細かい豆殻が沈むのを待って上澄みを飲む)ほどではないにせよ、やはりあの粉の沈殿はなんとかしなければなりません。いずれにしても新しいコーヒーの淹れ方があれば懲りずに挑戦するつもりです。
2016年7月26日火曜日
「眠りについて -創世記とマクベス-」
眠れないという悩みを私はこれまでほとんど経験したことがありません。これは本当にありがたいことで、一見とても元気そうな方が睡眠薬を処方されていると聞いて驚かされることもあります。以前も書きましたが、私の場合、体調不良は時間の長短はあってもほぼ睡眠だけで治ります。時々起きて水分を適宜とり、少しでも食べられそうなものを口にしながら昏々と眠ります。具合が悪い間はいくら寝ても眠いのですが、目覚めて起きたい気分になったらほぼ治っています。治療内容が「ひたすら眠る」だけであることを考慮すると、これはもう劇的な結果だと言ってよいでしょう。
旧約聖書の創世記の中で、神が人(男:イシュ)の骨を取り出して女((イシャー)を造る記述はよく知られていますが、その前に神が「人を深い眠りに落とされた」ことを私は失念していました。なんとなく麻酔のようなイメージで読み過ごしていたのです。しかし最近、これは「眠りというのは創造の業が行われるときである。」という意味なのではないかと思うようになりました。眠りによって人は回復しますが、体の中では途轍もないことが行われている気がします。そういえば、アブラハムがまだその名になる前に神と契約を結ぶ時にも深い眠りに落とされたのではなかったか。これも、何かしらそれまでの彼とは違う人間になったことを示しているのだと思います。普通は、食物がやがて腐っていくように、物事は放っておいたらたいてい悪くなりますが、眠りのあとは全く逆のことが起きています。体調は良くなり、気力も充実し、頭の中で混沌としていた諸々の事柄がすっきり整理されています。天地創造において神が光と闇を分け、また水と水とを分けて天と地にしたように、頭の中では睡眠中に創造の業が行われているのです。
この点でなるほどそうだったのかと合点がいったのは「マクベス」における眠りです。ダンカンを殺した後のマクベスが真っ先に聴くのは、「眠りはもうないぞ。マクベスは眠りを殺した。」という声です。魔女の予言を聞いて、「未だ王ならざる者」以外のものではなくなったマクベスが未来を手に入れるために殺人を犯すのですが、その直後にその声を聴くのです。それも予言と同様、グラームズ、コーダーと合わせてご丁寧にも三度繰り返されます。これまで、印象的な言葉だがちょっと飛躍があると感じていたのですが、なるほどそういうことかと腑に落ちました。これは単にもう安眠できないぞというような意味ではなく、マクベスはもう創造の業に関与できなくなったという意味だったのです。
これでずっと不思議に思ってきたマクベス夫人の夢遊病のわけもわかりました。彼女が精神錯乱を患い異常な行動をする者となるにしても、「なぜ夢遊病?」とうまく飲み込めないできましたが、ここには明確な理由があったのです。夢遊状態は本物の眠りではなく、彼女こそ眠りを奪われ創造の業から遠ざけられた者なのです。彼女が戸棚を開け何かを書き記し読み直して封印するという行為を私は密書の作成かと思っていたのですが(「マクベス夫人の憂愁 3」)、今ではあれはずばり系図の作成に違いないと思うようになりました。彼女がひたすらしているのは、自らの子孫による実現するはずのない王位継承の系図の作成と、殺人による王権奪回という過去の繰り返しであり、それだけを虚しく延々と行う者に成り果てたのです。
創造の業の最たるものは新しい生命の誕生でしょうが、彼女にそれが訪れることはないのです。彼女自身が語ったように、彼女はかつて子供をもったことがありましたが、マクベスとの間には子がなかった。継承する者がいてこその王位なのですから、二人の王権には先がありません。これと対照的なのがアブラハムの妻サラです。彼女は「子を授ける」という神の言葉をせせら笑うほどの老年になって、子宝(イサク:笑いという意味)に恵まれ、「神はわたしを笑わせてくださった。」と言い、イサクの子孫は「天の星のように、浜べの砂のように」増えていくのです。人の目には子孫の望みがないように見えていたのに民族の祖となったアブラハムとサラに対し、王位を受けながら虚しく亡ぶしかなかったマクベス夫妻はまったく対照的に描かれています。シェークスピアが創世記を踏まえていたのかどうかわかりませんが、そうだとしたら誠につじつまの合う話です。
旧約聖書の創世記の中で、神が人(男:イシュ)の骨を取り出して女((イシャー)を造る記述はよく知られていますが、その前に神が「人を深い眠りに落とされた」ことを私は失念していました。なんとなく麻酔のようなイメージで読み過ごしていたのです。しかし最近、これは「眠りというのは創造の業が行われるときである。」という意味なのではないかと思うようになりました。眠りによって人は回復しますが、体の中では途轍もないことが行われている気がします。そういえば、アブラハムがまだその名になる前に神と契約を結ぶ時にも深い眠りに落とされたのではなかったか。これも、何かしらそれまでの彼とは違う人間になったことを示しているのだと思います。普通は、食物がやがて腐っていくように、物事は放っておいたらたいてい悪くなりますが、眠りのあとは全く逆のことが起きています。体調は良くなり、気力も充実し、頭の中で混沌としていた諸々の事柄がすっきり整理されています。天地創造において神が光と闇を分け、また水と水とを分けて天と地にしたように、頭の中では睡眠中に創造の業が行われているのです。
この点でなるほどそうだったのかと合点がいったのは「マクベス」における眠りです。ダンカンを殺した後のマクベスが真っ先に聴くのは、「眠りはもうないぞ。マクベスは眠りを殺した。」という声です。魔女の予言を聞いて、「未だ王ならざる者」以外のものではなくなったマクベスが未来を手に入れるために殺人を犯すのですが、その直後にその声を聴くのです。それも予言と同様、グラームズ、コーダーと合わせてご丁寧にも三度繰り返されます。これまで、印象的な言葉だがちょっと飛躍があると感じていたのですが、なるほどそういうことかと腑に落ちました。これは単にもう安眠できないぞというような意味ではなく、マクベスはもう創造の業に関与できなくなったという意味だったのです。
これでずっと不思議に思ってきたマクベス夫人の夢遊病のわけもわかりました。彼女が精神錯乱を患い異常な行動をする者となるにしても、「なぜ夢遊病?」とうまく飲み込めないできましたが、ここには明確な理由があったのです。夢遊状態は本物の眠りではなく、彼女こそ眠りを奪われ創造の業から遠ざけられた者なのです。彼女が戸棚を開け何かを書き記し読み直して封印するという行為を私は密書の作成かと思っていたのですが(「マクベス夫人の憂愁 3」)、今ではあれはずばり系図の作成に違いないと思うようになりました。彼女がひたすらしているのは、自らの子孫による実現するはずのない王位継承の系図の作成と、殺人による王権奪回という過去の繰り返しであり、それだけを虚しく延々と行う者に成り果てたのです。
創造の業の最たるものは新しい生命の誕生でしょうが、彼女にそれが訪れることはないのです。彼女自身が語ったように、彼女はかつて子供をもったことがありましたが、マクベスとの間には子がなかった。継承する者がいてこその王位なのですから、二人の王権には先がありません。これと対照的なのがアブラハムの妻サラです。彼女は「子を授ける」という神の言葉をせせら笑うほどの老年になって、子宝(イサク:笑いという意味)に恵まれ、「神はわたしを笑わせてくださった。」と言い、イサクの子孫は「天の星のように、浜べの砂のように」増えていくのです。人の目には子孫の望みがないように見えていたのに民族の祖となったアブラハムとサラに対し、王位を受けながら虚しく亡ぶしかなかったマクベス夫妻はまったく対照的に描かれています。シェークスピアが創世記を踏まえていたのかどうかわかりませんが、そうだとしたら誠につじつまの合う話です。
2016年7月22日金曜日
「言葉の身体表現について思うこと」
今の人は大変だなと私が思うのは、言葉と身体を同時に適切に用いて表現しなければならないという要請が強くなっていることです。プレゼンテーション、講演、スピーチといったものは以前からありましたが、その重要性はますます高まり、その出来不出来が主張内容の信憑性を左右するようなことが多い時代になってきています。これはもちろんインターネット時代の論理的帰結で、動画という形で音声と画像が自在に配信できるようになったことと不可分です。TED(Technology Entertainment Design)はその代表例です。自分の体験から、世に広めるべき価値観をスピーチする、あるいはパフォーマンスするという理解でいいのかどうかわかりませんが、それぞれの登壇者の人生を変えた体験を語るだけあって、活字だけでは呼び起こしえない強烈なインパクトを広範に与えていることは間違いありません。
このような時代を生きることに関して多くの人はどう感じているのでしょうか。言葉と身体を兼ね備えたスピーチがうまいというのは、足が速いとか、ピアノがうまいとかいうのと同じ才能です。また、外向的か内向的かといったその人の性格によるところも大きいでしょう。うまく言えないもどかしい感じなのですが、私個人に限って言えば、こういうことがうまくできない人やこういう仕方では表現し得ない事柄の方に関心があります。
今の世では自分を表現できない人は愚鈍な人か臆病な人として無価値なものにされます。時代の潮流と言えばその通りですが、私はこれをとても惜しいことだと思っています。絵画や工芸、建築などのアーティストは固有の表現方法を持ち、職人さんなども自分の作品自体がその証明です。その他の、身体性を伴わない言葉しか持ち合わせない大勢の人々は、敢えて言うなら、私はそのままでよいと思うのです。就活とか職場でのプレゼンとか求められる人はやらざるを得ませんが、プレゼンを暗黙裡に強制される社会はそれが苦手な人にとってはある種暴力的だとさえ思います。もちろん、こういうことができることはすばらしいことであるし、ある人々にとっては必要不可欠な表現方法だと思います。そのうえで、そのような価値観の形成を抑制したいと思うのです。人々がそれができないことに強い劣等感を感じるとしたら、本来開花すべきものが無残に押しつぶされてしまうことを危惧するのです。ひょっとすると、それは西洋とりわけアメリカ的価値観に基づく表現方法を至高のものとする感覚に私がなじめないだけかもしれませんが、ただなぜだかこれに関しては、この方向が目指される社会ではそれによって失われるものが確実にあるという気がします。これまで日本にあった時代遅れに見える表現方法にも生き残りの場を与えてほしいと私は願っています。
このような時代を生きることに関して多くの人はどう感じているのでしょうか。言葉と身体を兼ね備えたスピーチがうまいというのは、足が速いとか、ピアノがうまいとかいうのと同じ才能です。また、外向的か内向的かといったその人の性格によるところも大きいでしょう。うまく言えないもどかしい感じなのですが、私個人に限って言えば、こういうことがうまくできない人やこういう仕方では表現し得ない事柄の方に関心があります。
今の世では自分を表現できない人は愚鈍な人か臆病な人として無価値なものにされます。時代の潮流と言えばその通りですが、私はこれをとても惜しいことだと思っています。絵画や工芸、建築などのアーティストは固有の表現方法を持ち、職人さんなども自分の作品自体がその証明です。その他の、身体性を伴わない言葉しか持ち合わせない大勢の人々は、敢えて言うなら、私はそのままでよいと思うのです。就活とか職場でのプレゼンとか求められる人はやらざるを得ませんが、プレゼンを暗黙裡に強制される社会はそれが苦手な人にとってはある種暴力的だとさえ思います。もちろん、こういうことができることはすばらしいことであるし、ある人々にとっては必要不可欠な表現方法だと思います。そのうえで、そのような価値観の形成を抑制したいと思うのです。人々がそれができないことに強い劣等感を感じるとしたら、本来開花すべきものが無残に押しつぶされてしまうことを危惧するのです。ひょっとすると、それは西洋とりわけアメリカ的価値観に基づく表現方法を至高のものとする感覚に私がなじめないだけかもしれませんが、ただなぜだかこれに関しては、この方向が目指される社会ではそれによって失われるものが確実にあるという気がします。これまで日本にあった時代遅れに見える表現方法にも生き残りの場を与えてほしいと私は願っています。
2016年7月18日月曜日
「沖縄と福島」
八月が近づくといやでも平和をめぐる戦後の歩みと現在おかれている世界状況を考えないわけにはいかず、暗澹たる気持ちになります。いやでもというのは本音で、筆舌に尽くしがたい悲惨な沖縄戦や戦後の米軍統治期からこれまでの沖縄の歴史などできれば考えたくないのです。しかしあれこれ考えると、飛躍するようですが、やっぱり東日本大震災は意味なく起きたものではないのかもしれないという気もしてきます。私たちは沖縄に対する国のひどい仕打ちに、いわゆる本土の住民が皆無自覚に加担していることを誰でも知っているのです。
歴史の悲惨さにおいては、朝敵とされ討幕派と死闘を演じた戊辰戦争以後の福島の歴史も負けてはいません。あまりに理不尽な扱いを受け、痛めつけられた会津の歴史は涙なしには語れません。旧会津藩士の下北流刑(斗南藩)や旧会津藩領の明治政府民政局による直轄地化といった、冷や飯さえ食えないような過酷な扱いの延長線上に、福島原発設置も考えるべきものだろうと思います。
沖縄には米軍基地の7割が集中していることを私たちは考えないようにしています。沖縄が米軍基地を受け持ってくれることで他の日本国民がとりあえずの安心感を得られるのは、福島が原発施設を受け持つことで東京都民が安定的に電力の供給を受けることができていたのとパラレルです。或る固定化した地域だけが割を食い他の地域がゆうゆうと暮らせるしくみなのです。そういえば今年の沖縄の日(6/23)間近に起きたアメリカ軍属の男による女性暴行・殺害事件を受けて開かれた6万人規模の県民大会では、オール沖縄会議共同代表の女子大生が「安倍晋三さん、本土にお住まいの皆さん、加害者はあなたたちです。しっかり沖縄に向き合ってください」と、明確なスピーチをしていました。その通りで、まったく痛いところを突かれましたが、たぶんあのスピーチに反発を覚えた人も多いことでしょう。私たちは自分の手が汚れていることを認めたくないので、「米軍基地があるせいで国から多額のお金がきているのでしょう、撤去されたら暮らしが立たない人もいるのでしょう。」等々の言葉を投げつけて一層沖縄の人を傷つけていますが、ひるがえってみればそれは福島の原発事故による被災者が、「今まで原発のおかげで潤っていたのでしょう。今は避難手当をもらっているのでしょう。」などといわれなき非難を受けることと同じです。
しかし長い目で見れば東京も無傷ですむはずがないのです。ちょっと思い出しても、もし福島原発の所長が吉田所長ではなく、上からの命令に唯々諾々と従うような人だったら、またその所長についていくいわゆる「フクシマ・フィフティーズ」がいなかったら、今ごろ東京を含む東日本一帯は人の住めない国土になっていたはずです。たまたま今回東京は間一髪被災を免れただけで、首都直下型地震もかなりの確率で近々発生すると言われているのですから、5年数か月前の大災厄を最後の警告として受け止める謙虚さが必要でしょう。
国家にとっては必要不可欠だが住民には迷惑なものを狭い地域に固定して、それが長年持続することによって、それで生計を立てる住民をつくりだし依存させるという点で、沖縄と福島は同じ構造でした。事故が起こったことで、福島が第二の沖縄であることがはっきりしました。両県の県民性などは天と地ほども違っていると感じますが、他に共通点を探すなら、どちらも美しい自然の恵みをたくさんいただいていること、また最近の出来事では参議院選挙で現職閣僚が落選したことがあげられるでしょう。後者は偶然ではなく、日本全国で各地域が利己的な主張をし合っている今の状況を根本的に考え直すしかないのではないでしょうか。
歴史の悲惨さにおいては、朝敵とされ討幕派と死闘を演じた戊辰戦争以後の福島の歴史も負けてはいません。あまりに理不尽な扱いを受け、痛めつけられた会津の歴史は涙なしには語れません。旧会津藩士の下北流刑(斗南藩)や旧会津藩領の明治政府民政局による直轄地化といった、冷や飯さえ食えないような過酷な扱いの延長線上に、福島原発設置も考えるべきものだろうと思います。
沖縄には米軍基地の7割が集中していることを私たちは考えないようにしています。沖縄が米軍基地を受け持ってくれることで他の日本国民がとりあえずの安心感を得られるのは、福島が原発施設を受け持つことで東京都民が安定的に電力の供給を受けることができていたのとパラレルです。或る固定化した地域だけが割を食い他の地域がゆうゆうと暮らせるしくみなのです。そういえば今年の沖縄の日(6/23)間近に起きたアメリカ軍属の男による女性暴行・殺害事件を受けて開かれた6万人規模の県民大会では、オール沖縄会議共同代表の女子大生が「安倍晋三さん、本土にお住まいの皆さん、加害者はあなたたちです。しっかり沖縄に向き合ってください」と、明確なスピーチをしていました。その通りで、まったく痛いところを突かれましたが、たぶんあのスピーチに反発を覚えた人も多いことでしょう。私たちは自分の手が汚れていることを認めたくないので、「米軍基地があるせいで国から多額のお金がきているのでしょう、撤去されたら暮らしが立たない人もいるのでしょう。」等々の言葉を投げつけて一層沖縄の人を傷つけていますが、ひるがえってみればそれは福島の原発事故による被災者が、「今まで原発のおかげで潤っていたのでしょう。今は避難手当をもらっているのでしょう。」などといわれなき非難を受けることと同じです。
しかし長い目で見れば東京も無傷ですむはずがないのです。ちょっと思い出しても、もし福島原発の所長が吉田所長ではなく、上からの命令に唯々諾々と従うような人だったら、またその所長についていくいわゆる「フクシマ・フィフティーズ」がいなかったら、今ごろ東京を含む東日本一帯は人の住めない国土になっていたはずです。たまたま今回東京は間一髪被災を免れただけで、首都直下型地震もかなりの確率で近々発生すると言われているのですから、5年数か月前の大災厄を最後の警告として受け止める謙虚さが必要でしょう。
国家にとっては必要不可欠だが住民には迷惑なものを狭い地域に固定して、それが長年持続することによって、それで生計を立てる住民をつくりだし依存させるという点で、沖縄と福島は同じ構造でした。事故が起こったことで、福島が第二の沖縄であることがはっきりしました。両県の県民性などは天と地ほども違っていると感じますが、他に共通点を探すなら、どちらも美しい自然の恵みをたくさんいただいていること、また最近の出来事では参議院選挙で現職閣僚が落選したことがあげられるでしょう。後者は偶然ではなく、日本全国で各地域が利己的な主張をし合っている今の状況を根本的に考え直すしかないのではないでしょうか。
2016年7月14日木曜日
「紅春90」
柴犬がおばあさんと二人で暮らしている様子をテレビで見たことがあります。二人とも相当なお年でこれまで一緒に暮らしてきたのでお互いにかけがいのない存在です。ある日のこと、隠しカメラでおばあさんが病院に行っている間の様子を撮ってみると、柴犬はずっと玄関で待っていました。毎度のことなのでだいたい帰る時間もわかっているようです。そろそろ帰ってくるという時分、足音でも聞こえたのでしょうか、柴君は玄関を離れ茶の間に戻りました。それから玄関の戸が開いておばあさんが家に入ってくる瞬間に、柴君は迎えに出ました。あんなにずっと待っていたのにわざわざ一度戻って、「別に待ってませんでしたよ。」というふうに再び出ていく・・・。どうもこれが柴犬の特性のようなのです。ツンデレといってよいのか、大好きなのにクールに装ってしまうのです。相手に気を遣わせないという面もあるのかもしれません。
りくはといえば、確かにそういうところはあります。じっと見ていると目をそらしたり、りくがまったりしている時に構おうとすると、「姉ちゃん、うるさい。」とうざったがったがるのですが、放っておかれるのもいやで、一人でつまらなくなると手っこを出して来たり体を摺り寄せてきたりします。帰省して初めて扉を開けるときはそんな余裕はないのでしょう、うれしさ全開で飛びついてきて、数秒して不在にしたことを大げさに責められます。
りくはといえば、確かにそういうところはあります。じっと見ていると目をそらしたり、りくがまったりしている時に構おうとすると、「姉ちゃん、うるさい。」とうざったがったがるのですが、放っておかれるのもいやで、一人でつまらなくなると手っこを出して来たり体を摺り寄せてきたりします。帰省して初めて扉を開けるときはそんな余裕はないのでしょう、うれしさ全開で飛びついてきて、数秒して不在にしたことを大げさに責められます。
2016年7月9日土曜日
「長い旅路の果てに」
年を重ねて生きているうち、これまで忙しさにかまけて通り過ぎてしまったいくつかの事柄が心に引っ掛かっていることに気づきました。そのことに向き合わなければならないと思うようになり、少しずつ心当たりを当たってみることにしました。具体的にはある時から連絡の取れなくなってしまった同級生を探すことだったのですが、最初の手がかりによって辿り着いた別の同窓生からその友人がすでに亡くなっていたことを知らされました。
彼女は中学・高校時代一緒に多くの時間を過ごしたとても仲の良い友達で、教会にも時々来ていました。大人になってからも年賀状のやりとりはあったのですが、それがそのまま返送されるという形で途絶えてから20年ほどたった気がしていました。多忙であったことは確かですが、連絡が絶たれたことで私を避けているのではないかとの疑念が生じ、彼女をさがすことができずこの日まで来たのです。またその頃はさがす手立てもありませんでした。
本腰を入れて彼女をさがそうと思った理由はもう一つありました。もう一人の友人が40年ぶりの同窓会のために彼女をさがしていることを知ったからです。よく話を聴くと、大学時代に彼女にひどいことを言ってしまい会って謝りたいとのことでした。30年間後悔してきたというのを聞けば、やはり見つけて謝らせてやらなければと思ったのです。どちらも私の大事な友達なのです。
彼女をさがす企てはその後ご家族とお墓をさがす企てに変わりましたが、なかなかうまくいかず何度も頓挫しかけました。取っ掛かりになった同窓生は、中学の頃はまったく予想もしなかったことですがなんとクリスチャンになっており、それには大変驚かされました。彼にもらった情報をたどっていって行き当たった方からお話が聴けたのですが、それはさらに驚くべきものでした。その方は教会で行われた彼女の葬儀に出席したというのです。「彼女は洗礼を受けていたのですか。」とお聞きすると、「受けていたと思う。」との返事。心臓が早鐘を打ち始めましたが、にわかには信じられない気持ちでした。教会名を伺いその足ですぐにその教会に向かいました。
突然の訪問にもかかわらず牧師先生ご夫妻は親身になって私の話を聴いて対応してくださいました。葬儀は十年前に行われ、それよりさらに十年ほど前に彼女が間違いなくその教会で受洗していることをお聴きしました。私は安堵感から体中の力が抜けました。その後に、彼女のことをよく知る信徒の方からもお話が聴けましたが、その話に私は驚愕するほかありませんでした。彼女は受洗のことをご家族にも言っていなかったと知り、ご家族はキリスト教に理解のない方々ではなかったことを考えると、これは腑に落ちないことでした。彼女の葬儀が教会で行われたのは、彼女の携帯を見たご家族が電話帳の「1番」のところに教会名があったため、教会に連絡をとったのがすべての始まりだったのです。一言でも受洗について知っていたなら、私もどれほどうれしく安心だったことかと思いますが、なんらかの理由で、彼女は周囲の人にそれを告げなかったのです。しかし、最期の時、彼女はご家族を教会へ結び付け、私もこうしてここへたどり着くことができました。何年か後に、ご家族もその教会で受洗されて教会員になられたと聞いた時には大きな衝撃を受けました。誰がこんな結末を想像しえたでしょう、神様はこんな恵みを用意されていたのだ、と。私の長い旅路も終わりました。
彼女をさがしていたもう一人の友人は、彼女の死を知った時、「もう会って謝ることができない。」と嘆きました。その時はまだ彼女の受洗を知る前でしたが、私は「もうあなたのことを許していると思う。」と彼女に言いました。彼女のさばさばした性格からそう告げたのですが、彼女がキリスト者となっていたことを知った今は、友人を赦していたことを間違いのない確実なこととして断言できます。キリスト者は赦すから赦され、キリストの救いにあずかって永遠の命に入れられるのですから。
連絡がとれなくなって20年と思っていたのは実際は10年であったことは、家に帰って古い年賀状を整理してわかりました。それだけ私の悲しみは深かったのです。ずっと心の重荷になっていたのです。神様が深い憐れみをもって私の叫びに耳を傾けていてくださったことを私は知りました。私は彼女とのつながりが深かったのに、また彼女は別のクリスチャンの同窓生とも出会っていたのに、彼女をイエス様のもとに引き寄せることができなかったことに無力感と深い悲しみを感じていたのです。私は彼女がどこへ行ってしまったのか、どこにいるのかがわからないことに苦しんできたのですが、今は彼女がどこにいるのかはっきりわかるので、私の心は安らかです。彼女は
「もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない(ヨハネの黙示録21章4節)」ところにいるのです。それらがもう過ぎ去ったところに彼女は憩っているのです。私の悲嘆はもう二度と彼女に会えないということでしたが、そうではなかった、来るべき日に再び天国で会えることがわかったのです。もう何の心配もありません。今、私の心は平安に満たされています。
彼女は中学・高校時代一緒に多くの時間を過ごしたとても仲の良い友達で、教会にも時々来ていました。大人になってからも年賀状のやりとりはあったのですが、それがそのまま返送されるという形で途絶えてから20年ほどたった気がしていました。多忙であったことは確かですが、連絡が絶たれたことで私を避けているのではないかとの疑念が生じ、彼女をさがすことができずこの日まで来たのです。またその頃はさがす手立てもありませんでした。
本腰を入れて彼女をさがそうと思った理由はもう一つありました。もう一人の友人が40年ぶりの同窓会のために彼女をさがしていることを知ったからです。よく話を聴くと、大学時代に彼女にひどいことを言ってしまい会って謝りたいとのことでした。30年間後悔してきたというのを聞けば、やはり見つけて謝らせてやらなければと思ったのです。どちらも私の大事な友達なのです。
彼女をさがす企てはその後ご家族とお墓をさがす企てに変わりましたが、なかなかうまくいかず何度も頓挫しかけました。取っ掛かりになった同窓生は、中学の頃はまったく予想もしなかったことですがなんとクリスチャンになっており、それには大変驚かされました。彼にもらった情報をたどっていって行き当たった方からお話が聴けたのですが、それはさらに驚くべきものでした。その方は教会で行われた彼女の葬儀に出席したというのです。「彼女は洗礼を受けていたのですか。」とお聞きすると、「受けていたと思う。」との返事。心臓が早鐘を打ち始めましたが、にわかには信じられない気持ちでした。教会名を伺いその足ですぐにその教会に向かいました。
突然の訪問にもかかわらず牧師先生ご夫妻は親身になって私の話を聴いて対応してくださいました。葬儀は十年前に行われ、それよりさらに十年ほど前に彼女が間違いなくその教会で受洗していることをお聴きしました。私は安堵感から体中の力が抜けました。その後に、彼女のことをよく知る信徒の方からもお話が聴けましたが、その話に私は驚愕するほかありませんでした。彼女は受洗のことをご家族にも言っていなかったと知り、ご家族はキリスト教に理解のない方々ではなかったことを考えると、これは腑に落ちないことでした。彼女の葬儀が教会で行われたのは、彼女の携帯を見たご家族が電話帳の「1番」のところに教会名があったため、教会に連絡をとったのがすべての始まりだったのです。一言でも受洗について知っていたなら、私もどれほどうれしく安心だったことかと思いますが、なんらかの理由で、彼女は周囲の人にそれを告げなかったのです。しかし、最期の時、彼女はご家族を教会へ結び付け、私もこうしてここへたどり着くことができました。何年か後に、ご家族もその教会で受洗されて教会員になられたと聞いた時には大きな衝撃を受けました。誰がこんな結末を想像しえたでしょう、神様はこんな恵みを用意されていたのだ、と。私の長い旅路も終わりました。
彼女をさがしていたもう一人の友人は、彼女の死を知った時、「もう会って謝ることができない。」と嘆きました。その時はまだ彼女の受洗を知る前でしたが、私は「もうあなたのことを許していると思う。」と彼女に言いました。彼女のさばさばした性格からそう告げたのですが、彼女がキリスト者となっていたことを知った今は、友人を赦していたことを間違いのない確実なこととして断言できます。キリスト者は赦すから赦され、キリストの救いにあずかって永遠の命に入れられるのですから。
連絡がとれなくなって20年と思っていたのは実際は10年であったことは、家に帰って古い年賀状を整理してわかりました。それだけ私の悲しみは深かったのです。ずっと心の重荷になっていたのです。神様が深い憐れみをもって私の叫びに耳を傾けていてくださったことを私は知りました。私は彼女とのつながりが深かったのに、また彼女は別のクリスチャンの同窓生とも出会っていたのに、彼女をイエス様のもとに引き寄せることができなかったことに無力感と深い悲しみを感じていたのです。私は彼女がどこへ行ってしまったのか、どこにいるのかがわからないことに苦しんできたのですが、今は彼女がどこにいるのかはっきりわかるので、私の心は安らかです。彼女は
「もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない(ヨハネの黙示録21章4節)」ところにいるのです。それらがもう過ぎ去ったところに彼女は憩っているのです。私の悲嘆はもう二度と彼女に会えないということでしたが、そうではなかった、来るべき日に再び天国で会えることがわかったのです。もう何の心配もありません。今、私の心は平安に満たされています。
2016年7月7日木曜日
「英国のEU離脱について」
6月24日は日本のテレビでも一日中イギリスのEU離脱の話題を扱っていました。国民投票の結果、ぎりぎりでEUに留まるだろうとされていた予想が外れたからです。恥ずかしながら、私は今回の騒動で初めてイギリスがEUに加盟していたことを知ったので離脱という結果に驚くことはありませんでした。報道によると、特に移民の流入に対する感情的な反発がこの結果を生んだ大きな要因の一つだったということで、あるテレビ局の特派員は現地のメディアの言葉として、普段あまり感情を表さない英国人がノルマンディー上陸作戦の成功およびダイアナ妃の死亡時以来示した強い感情表出だと語っていました。
もともとヨーロッパとはヨーロッパ大陸のことなのですから、歴史においても国民性においても全く異なる英国が加入していたことが土台無理だったのです。自国通貨を保持し、域内国境での出入国管理は基本廃止なるもドーヴァー海峡の英国側ではなにがしかの入国審査が行われる等、これまで様々なワガママが許されていたのです。そもそもヨーロッパ連合への加入が無理だったと考える方が自然です。経済活動における有利性を捨てて国としての形を守るという選択はそれはそれで一つの見識です。ただ、金融業界の人々はグローバル経済にどっぷり浸かっている人たちですから離脱によって大きな損失を受けるのは当然としても、その余波によって他の産業に携わる人がこれまで享受してきた経済的恩恵を喪失する打撃にどこまで耐える覚悟があるのかという点と、これが国家的判断としてなされ各個人に及ぶ影響が百人百様であることが大きな問題でしょう。頑張ってくださいとしか言いようがありません。
一番強く感じたのはグローバル経済に基づく思考が英国の良識を大きく損なってしまっていたことが露わになったことです。いやしくも民主的手続きで決定したことなのですから、議会制民主主義の規範としての態度を示してもらいたいものです。あとになって投票のやり直しやら地域的(スコットランドやロンドン)英国離脱の議論やら離脱推進派議員の党首選出馬辞退やら離脱交渉の引き伸ばしやらの動きは見苦しく、それこそ他国が持たない英国のブランドイメージを傷つけるものです。グローバリストによってここまで英国がむしばまれていたのかという残念な気持ちです。日本にも甚大な被害が及びそうですが、これからどうなるのでしょうか。個人的には何があっても「ま、なんとかなるでしょう。」と思っています。
2016年7月4日月曜日
「自動延長サービスの停止」
パソコンに関して、私は最強と言われる某セキュリティソフトをずっと愛用しています。パソコンのウィルス感染だけはなんとしても防ぎたいと思うからです。さて、このたび1年間の自動延長更新の時期が来てクレジットカードの情報を更新してくださいとの連絡メールが来ました。例の紛失事件によりカードが新しくなっていたからです。商品が結構値の張るものだったので少し考えて、更新ではなく一度停止することにしました。もちろん、クレジットで落ちないのですから放っておいても同じ効果が得られるはずですが、ちょっと調べて停止の手続きをしてみることにしたのです。
この会社の場合、利用停止を希望する場合は必ず利用停止ページから利用停止手続を行わなければならないことになっているようです。製品を削除 (アンインストール) しようが、パソコン自体を処分しようが、利用期間延長自動更新サービスはとまらず、利用停止 (契約の解約) にはならないのです。これは考えてみると恐ろしいシステムです。このまま利用者が亡くなり、家族がこのことを知らない場合、課金(利用者からすれば口座引き落とし)はずっと続くことになります。
さて、利用停止にトライしましたが、これがはなはだ煩雑で、隠されているのではないかと思うほど「利用停止ページ」が見つからないのです。運よくそこに入れたら、「以前のご注文番号」と「電子メールアドレス」の入力をします。その後、停止したらどんな恐ろしい危険がパソコンに襲いかかるかというメッセージが流される中、くどいほど何度も「停止」をクリックしてようやく停止にこぎつけるのです。時間のない方、パソコンに疎い方、脅しに弱い方、「以前のご注文番号」を控えていない方等々は、途中でめげてしまうかもしれません。
私は最後まで行きつけましたが、やってみてこれがまともな会社のすることだろうかと不信感が募りました。そもそも私はダウンロードではなくパッケージ版でインストールしていたはず。いつのまにダウンロード版になってしまったのか。きっと何かクリックしたのだろうが、巧妙に誘導されたのに違いない。それに初めのはデラックス版だったはずでいつのまにか高額なプレミアム版に変えられている、クレジットカードの変更手続き期限を知らせるメールは余裕を持って届いたが、利用停止手続きの期限はほとんど時間的余裕を与えていなかったようだった、あれも利用者を自動延長更新に追い詰めるための手法なのか…。
私の勘違いもあるかもしれませんが、一度心に疑いを持つとどんどん広がる暗雲は止められません。始めはクレジットカードの更新情報を知らせなければ大丈夫なはずと思ったのですが、利用停止の手続きをしなかったために万一あとで請求が来ないとも限らない、きちんと手続きをしておかねばという気持ちが堅くなったのも事実です。相手からすれば自動延長サービスはなんと容易な課金システムでしょうか。しかし、私はこれをまともな商売とは認めません。いつしか自分が詐欺師に対峙するのと同じ心境でいることに気づきました。
結局、同じ会社の3年間のパッケージ版を購入して用いることにしました。製品自体には信頼をおいているのに販売方法には大きな不信感を抱いている、と言う事態はかなり珍しいように思います。今回買ったものもインストールするとそれ以前の有効期間は無効になるので、いま入っているものの期限が切れる日にインストールすることになります。このあたりも利用者の利便性を考えてくれたら信頼感が増すのですが、私などにはわからない企業の事情があるのでしょう。ただ率直に言って、これほどの疑念を消費者に抱かせてしまう企業ってどうなんでしょう。そのことに企業や社員はきづいているのでしょうか。気づいていないとすればあまり賢明な会社とは思えず、気づいていて「うちの製品なしでやれるならやってみろ。」ということならあまりに傲慢ではないでしょうか。方針が決まって私が今一番ほっとしているのは、あと3年はこのことで不愉快な思いをせずに済むということです。
この会社の場合、利用停止を希望する場合は必ず利用停止ページから利用停止手続を行わなければならないことになっているようです。製品を削除 (アンインストール) しようが、パソコン自体を処分しようが、利用期間延長自動更新サービスはとまらず、利用停止 (契約の解約) にはならないのです。これは考えてみると恐ろしいシステムです。このまま利用者が亡くなり、家族がこのことを知らない場合、課金(利用者からすれば口座引き落とし)はずっと続くことになります。
さて、利用停止にトライしましたが、これがはなはだ煩雑で、隠されているのではないかと思うほど「利用停止ページ」が見つからないのです。運よくそこに入れたら、「以前のご注文番号」と「電子メールアドレス」の入力をします。その後、停止したらどんな恐ろしい危険がパソコンに襲いかかるかというメッセージが流される中、くどいほど何度も「停止」をクリックしてようやく停止にこぎつけるのです。時間のない方、パソコンに疎い方、脅しに弱い方、「以前のご注文番号」を控えていない方等々は、途中でめげてしまうかもしれません。
私は最後まで行きつけましたが、やってみてこれがまともな会社のすることだろうかと不信感が募りました。そもそも私はダウンロードではなくパッケージ版でインストールしていたはず。いつのまにダウンロード版になってしまったのか。きっと何かクリックしたのだろうが、巧妙に誘導されたのに違いない。それに初めのはデラックス版だったはずでいつのまにか高額なプレミアム版に変えられている、クレジットカードの変更手続き期限を知らせるメールは余裕を持って届いたが、利用停止手続きの期限はほとんど時間的余裕を与えていなかったようだった、あれも利用者を自動延長更新に追い詰めるための手法なのか…。
私の勘違いもあるかもしれませんが、一度心に疑いを持つとどんどん広がる暗雲は止められません。始めはクレジットカードの更新情報を知らせなければ大丈夫なはずと思ったのですが、利用停止の手続きをしなかったために万一あとで請求が来ないとも限らない、きちんと手続きをしておかねばという気持ちが堅くなったのも事実です。相手からすれば自動延長サービスはなんと容易な課金システムでしょうか。しかし、私はこれをまともな商売とは認めません。いつしか自分が詐欺師に対峙するのと同じ心境でいることに気づきました。
結局、同じ会社の3年間のパッケージ版を購入して用いることにしました。製品自体には信頼をおいているのに販売方法には大きな不信感を抱いている、と言う事態はかなり珍しいように思います。今回買ったものもインストールするとそれ以前の有効期間は無効になるので、いま入っているものの期限が切れる日にインストールすることになります。このあたりも利用者の利便性を考えてくれたら信頼感が増すのですが、私などにはわからない企業の事情があるのでしょう。ただ率直に言って、これほどの疑念を消費者に抱かせてしまう企業ってどうなんでしょう。そのことに企業や社員はきづいているのでしょうか。気づいていないとすればあまり賢明な会社とは思えず、気づいていて「うちの製品なしでやれるならやってみろ。」ということならあまりに傲慢ではないでしょうか。方針が決まって私が今一番ほっとしているのは、あと3年はこのことで不愉快な思いをせずに済むということです。
2016年7月1日金曜日
「大学のグローバル化について」
6月22日の内田樹のブログに、「大学のグローバル化が日本を滅ぼす」と書かれていましたが、これが掲載された媒体が今年度の『大学ランキング』の「グローバル化」の項目であることを考えると、このような或る種自傷的な内容を雑誌が甘んじて掲載するほど大学は切羽詰っているのかと、あらためて知らされました。だいたいの趣旨は以下の通りです。
いま各大学は自学の価値を上げ文部科学省から補助金をもらうために、グローバル化を推進することが必須となっている。そのグローバル化なるものの指標は、「①留学生派遣数、②外国人留学生受け入れ数、③外国人教員数、④英語による授業数、⑤海外提携校数、⑥TOEFL目標スコアなどすべて数値的に示されるもの」であり、この合計値によって日本中の750大学の「グローバル度進捗ランキング」で1位から750位まで格付けされる。
文部科学省が、大学の教育研究の質の間にどのような相関があるのか示しもしないこの数値によって大学を格付けする理由は、大学淘汰を加速するためである。大学が増えすぎてもはや高等教育の体をなしていないところもあり削減したいのだが、これが国民の就学機会を減少させる」ことになるのは紛れもない事実であり、それはそもそもの「学校設置目的そのものを否定することになる。」また、高等教育を受ける資格のない学生が大量に存在し、その受け皿となっている大学も多数あるという事実は、「過去数十年の文科省の教育政策が根本的に間違っていたということを認めるに等しい。」
そのため、「『「グローバル化度』が『大学の質を表示する数値』であるという偽りの信憑を振りまくことで、『要らない大学』を淘汰することへの国民的合意をとりつけ、かつ教育行政の歴史的失敗を糊塗すること、これが『グローバル化』なるものの実相だ」と筆者は見ているのです。そして、国民の就学機会を実質的に減らすことには何ら明るい見通しはないものの、失敗を隠蔽するために「全国の大学に向かって自殺的な教育プログラムの実施を要請しているのだ」と述べています。
「グローバル化のスコアを上げるために1年間の留学を義務付ける大学が増えている」が、これすなわち教育の外部委託であり、突き詰めれば1年間と言わず4年間留学させ、本校が担うのはその事務手続きだけにすれば、人件費や設備費の削減と言う観点から一番効率的な大学運営方法になるであろうと、筆者は揶揄しています。
ここから先が、私には非常に共感することなのですが、「日本語で最先端の高等教育が受けられる環境を100年かけて作り上げたあげくに、なぜ外国語で教育を受ける環境に戻さなければいけないのか。僕には理由がわかりません。」 まったく同感で、私にもさっぱり理解できません。明治以来、日本の学問は翻訳という知的作業と切っても切れない関係にありました。元々ない概念を自分たちの知的枠組みに移し替えることが、日本の学問の中心的課題の一つでした。母語で研究できるという恩恵はとてつもないアドバンテージであり、しばしばとんでもないブレークスルーをもたらすからです。事実、そうやって日本の学問は世界に恥じない研究結果を残してきたのだと思います。「公用語として外国語使用を強いられた旧植民地からいったい何人のノーベル賞受賞者が出たか。」と筆者は述べています。内田樹は最後を、「大学のグルーバル化は国民の知的向上にとっては自殺行為です。日本の教育を守り抜くために、『グローバル化なんかしない、助成金なんか要らない』と建学の理念を掲げ、個性的な教育方法を手放さない、胆力のある大学人が出てくることを僕は願っています。」という文で締めくくっていますが、この悲壮な叫びが補助金獲得に躍起になっている大学人にどれだけ届くのか、本当にやるせない気持ちです。
私たちが子供の頃読んだ外国の本はどれをとってもすべて翻訳でした。誰もがそれを読んで際限もなく想像の翼を広げ、まだ見ぬ外国に憧れたはずです。大人になってからも、翻訳によらずしてはアクセスできない本はいくらでもありました。今、大学にかつてと同じ様相や規模を保って、仏文科や独文科があるのかどうか知りませんが、こういう、どう考えてもカネになりそうもない分野がしぼんでいき、翻訳という仕事が何か二流の作業のように扱われれば、翻訳による以外そのような世界にアクセスする手立てを持たない人々も確実に減っていくでしょう。それは日本にとって大きな損失だと私は思います。
問題は英語です。こちらは現在、表面的には原語で読み書きできるという潮流ができつつあるので、それこそ英文科の存在意義を疑問視する人は多いでしょう。しかし世界中どこに行こうと英語で困ることはない人がいる一方で、TOEICのスコアを引き合いに出すまでもなく、翻訳を必要とする多くの人が依然として国内に存在するのも確かです。また、海外で活躍する人は何をもって自己のアドバンテージとするのかが大きな課題でしょう。
大学のグローバル化が進めば今の日本語に加えて英語ができるようになると考えるなら、それはあまりにナイーブな予測というべきでしょう。当然言語状況は変わらざるを得ない、高等教育レベルの知が母語によってもたらされることのない事態が続けば、それは日本語を際限もなくやせ細らせ、空洞化させる方向にならざるを得ません。大学のグローバル化は今手にしている日本語にプラスして英語を上達させるようなものではなく、今ある国語をとりかえしのつかない仕方で破壊しながら何を得られるのかという二者択一的な問題だというべきです。明治以来の教育に関しては、「学問のすゝめ」を読んで皆がそれぞれ自己利益のために勉強したようでありながら、一方で明らかに国家的プロジェクトとして西洋文明の膨大な翻訳事業が行われていました。それは、この両者が切迫した不可分の課題であることを日本人が無意識的にであれ察知していたということにほかなりません。明治期の日本人は類的存亡をかけてそれを成し遂げたのです。このあたりの事情は十分よく検証する必要があり、ゆめゆめ翻訳という研究事業を侮ることなく、今後ますます予想される困難な事態に対処すべきだと思います。
いま各大学は自学の価値を上げ文部科学省から補助金をもらうために、グローバル化を推進することが必須となっている。そのグローバル化なるものの指標は、「①留学生派遣数、②外国人留学生受け入れ数、③外国人教員数、④英語による授業数、⑤海外提携校数、⑥TOEFL目標スコアなどすべて数値的に示されるもの」であり、この合計値によって日本中の750大学の「グローバル度進捗ランキング」で1位から750位まで格付けされる。
文部科学省が、大学の教育研究の質の間にどのような相関があるのか示しもしないこの数値によって大学を格付けする理由は、大学淘汰を加速するためである。大学が増えすぎてもはや高等教育の体をなしていないところもあり削減したいのだが、これが国民の就学機会を減少させる」ことになるのは紛れもない事実であり、それはそもそもの「学校設置目的そのものを否定することになる。」また、高等教育を受ける資格のない学生が大量に存在し、その受け皿となっている大学も多数あるという事実は、「過去数十年の文科省の教育政策が根本的に間違っていたということを認めるに等しい。」
そのため、「『「グローバル化度』が『大学の質を表示する数値』であるという偽りの信憑を振りまくことで、『要らない大学』を淘汰することへの国民的合意をとりつけ、かつ教育行政の歴史的失敗を糊塗すること、これが『グローバル化』なるものの実相だ」と筆者は見ているのです。そして、国民の就学機会を実質的に減らすことには何ら明るい見通しはないものの、失敗を隠蔽するために「全国の大学に向かって自殺的な教育プログラムの実施を要請しているのだ」と述べています。
「グローバル化のスコアを上げるために1年間の留学を義務付ける大学が増えている」が、これすなわち教育の外部委託であり、突き詰めれば1年間と言わず4年間留学させ、本校が担うのはその事務手続きだけにすれば、人件費や設備費の削減と言う観点から一番効率的な大学運営方法になるであろうと、筆者は揶揄しています。
ここから先が、私には非常に共感することなのですが、「日本語で最先端の高等教育が受けられる環境を100年かけて作り上げたあげくに、なぜ外国語で教育を受ける環境に戻さなければいけないのか。僕には理由がわかりません。」 まったく同感で、私にもさっぱり理解できません。明治以来、日本の学問は翻訳という知的作業と切っても切れない関係にありました。元々ない概念を自分たちの知的枠組みに移し替えることが、日本の学問の中心的課題の一つでした。母語で研究できるという恩恵はとてつもないアドバンテージであり、しばしばとんでもないブレークスルーをもたらすからです。事実、そうやって日本の学問は世界に恥じない研究結果を残してきたのだと思います。「公用語として外国語使用を強いられた旧植民地からいったい何人のノーベル賞受賞者が出たか。」と筆者は述べています。内田樹は最後を、「大学のグルーバル化は国民の知的向上にとっては自殺行為です。日本の教育を守り抜くために、『グローバル化なんかしない、助成金なんか要らない』と建学の理念を掲げ、個性的な教育方法を手放さない、胆力のある大学人が出てくることを僕は願っています。」という文で締めくくっていますが、この悲壮な叫びが補助金獲得に躍起になっている大学人にどれだけ届くのか、本当にやるせない気持ちです。
私たちが子供の頃読んだ外国の本はどれをとってもすべて翻訳でした。誰もがそれを読んで際限もなく想像の翼を広げ、まだ見ぬ外国に憧れたはずです。大人になってからも、翻訳によらずしてはアクセスできない本はいくらでもありました。今、大学にかつてと同じ様相や規模を保って、仏文科や独文科があるのかどうか知りませんが、こういう、どう考えてもカネになりそうもない分野がしぼんでいき、翻訳という仕事が何か二流の作業のように扱われれば、翻訳による以外そのような世界にアクセスする手立てを持たない人々も確実に減っていくでしょう。それは日本にとって大きな損失だと私は思います。
問題は英語です。こちらは現在、表面的には原語で読み書きできるという潮流ができつつあるので、それこそ英文科の存在意義を疑問視する人は多いでしょう。しかし世界中どこに行こうと英語で困ることはない人がいる一方で、TOEICのスコアを引き合いに出すまでもなく、翻訳を必要とする多くの人が依然として国内に存在するのも確かです。また、海外で活躍する人は何をもって自己のアドバンテージとするのかが大きな課題でしょう。
大学のグローバル化が進めば今の日本語に加えて英語ができるようになると考えるなら、それはあまりにナイーブな予測というべきでしょう。当然言語状況は変わらざるを得ない、高等教育レベルの知が母語によってもたらされることのない事態が続けば、それは日本語を際限もなくやせ細らせ、空洞化させる方向にならざるを得ません。大学のグローバル化は今手にしている日本語にプラスして英語を上達させるようなものではなく、今ある国語をとりかえしのつかない仕方で破壊しながら何を得られるのかという二者択一的な問題だというべきです。明治以来の教育に関しては、「学問のすゝめ」を読んで皆がそれぞれ自己利益のために勉強したようでありながら、一方で明らかに国家的プロジェクトとして西洋文明の膨大な翻訳事業が行われていました。それは、この両者が切迫した不可分の課題であることを日本人が無意識的にであれ察知していたということにほかなりません。明治期の日本人は類的存亡をかけてそれを成し遂げたのです。このあたりの事情は十分よく検証する必要があり、ゆめゆめ翻訳という研究事業を侮ることなく、今後ますます予想される困難な事態に対処すべきだと思います。
2016年6月29日水曜日
「紅春 89」
朝の散歩はいつも土手の道を往復して来るのですが、帰り道りくが河原に降りて行きたがることがあります。急いでいないときはだいたいりくの要望に応えてあげます。河原に行くと、十中八九りくは川辺に降りて行きたがります。水際に行って砂場でちょっと遊ぶだけですが、とても楽しいらしいのです。
先日はそのようにして川に降りていこうとしたので、引き綱を離して上で待っていることにしました。ひとしきり遊んだので、「帰るよ。」と声を掛けましたがやってきません。それどころか、川に水がほとんどないのをいいことに川を渡っていくではありませんか。「りく、おいで。」ときつく呼びましたが、どんどん渡っていく姿に唖然。あわてて川辺に降り、「りく~、戻って。」と呼びかけながら丸石の上を跳んで追いかけました。どんどん離れていくりくの姿を見ながら、私はある歌を思い出していました。子供のころ歌った讃美歌です。
「小さい羊が家を離れ 或る日遠くへ遊びに行き
花咲く野原のおもしろさに 帰る道さえ忘れました」
本当にそんな感じでした。楽しくてついどんどん行ってしまうようなのです。幸い30メートルくらいの川幅を渡って向こう岸に着いたりくが河原から土手に上がることはなく、私が着いた時にはその場に留まっていました。河原ならほぼ誰もいないので安心ですが、これが土手まで行ってしまうと人は多いし、自転車も通るのでいろいろと問題が起きたでしょう。すぐに引き綱をつかむと川の水でぬれていました。
「りく、姉ちゃん呼んでるのになんで来ないの。」
思わずきつい声が出ました。すると驚いたことにりくは私と目を合わさないのです。ああ、犬でもこうなのか…と驚愕しました。自分でも悪いことをしたと思っているので、りくは私と目を合わせられないのです。原初の人間が神に食べてはいけないと言われた木の実を食べた時、神の顔を避けて木の間に隠れたのと同じです。悪事をしたと自覚した時の態度は、犬も人間も同じなのです。恐ろしいものだと思いました。その日りくは、「あ~あ、りくは姉ちゃんの言うこと聞かずに、呼んでも来なかったんだよね。」と一日中言われ続けました。私は私でショックだったのです。
翌日、また河原への階段を降りていったので、「今日も川へ入るのか、綱を離さないようにしなければ。」と構えていると、川の方には目もくれず家に帰る方向に直角に曲がったので、「おおっ。」という感じでした。前日川へ行ってまずいことをしたという記憶があったとしか思えない行動で、今日はそっちへは行かないぞという意志がありました。「やっぱりりくはえらかった。ちゃんと反省できている。」と思いました。このあたりは人間よりもはるかに素直かもしれません。
先日はそのようにして川に降りていこうとしたので、引き綱を離して上で待っていることにしました。ひとしきり遊んだので、「帰るよ。」と声を掛けましたがやってきません。それどころか、川に水がほとんどないのをいいことに川を渡っていくではありませんか。「りく、おいで。」ときつく呼びましたが、どんどん渡っていく姿に唖然。あわてて川辺に降り、「りく~、戻って。」と呼びかけながら丸石の上を跳んで追いかけました。どんどん離れていくりくの姿を見ながら、私はある歌を思い出していました。子供のころ歌った讃美歌です。
「小さい羊が家を離れ 或る日遠くへ遊びに行き
花咲く野原のおもしろさに 帰る道さえ忘れました」
本当にそんな感じでした。楽しくてついどんどん行ってしまうようなのです。幸い30メートルくらいの川幅を渡って向こう岸に着いたりくが河原から土手に上がることはなく、私が着いた時にはその場に留まっていました。河原ならほぼ誰もいないので安心ですが、これが土手まで行ってしまうと人は多いし、自転車も通るのでいろいろと問題が起きたでしょう。すぐに引き綱をつかむと川の水でぬれていました。
「りく、姉ちゃん呼んでるのになんで来ないの。」
思わずきつい声が出ました。すると驚いたことにりくは私と目を合わさないのです。ああ、犬でもこうなのか…と驚愕しました。自分でも悪いことをしたと思っているので、りくは私と目を合わせられないのです。原初の人間が神に食べてはいけないと言われた木の実を食べた時、神の顔を避けて木の間に隠れたのと同じです。悪事をしたと自覚した時の態度は、犬も人間も同じなのです。恐ろしいものだと思いました。その日りくは、「あ~あ、りくは姉ちゃんの言うこと聞かずに、呼んでも来なかったんだよね。」と一日中言われ続けました。私は私でショックだったのです。
翌日、また河原への階段を降りていったので、「今日も川へ入るのか、綱を離さないようにしなければ。」と構えていると、川の方には目もくれず家に帰る方向に直角に曲がったので、「おおっ。」という感じでした。前日川へ行ってまずいことをしたという記憶があったとしか思えない行動で、今日はそっちへは行かないぞという意志がありました。「やっぱりりくはえらかった。ちゃんと反省できている。」と思いました。このあたりは人間よりもはるかに素直かもしれません。
2016年6月26日日曜日
「秀才の陥穽」
前知事の一連の政治資金公私混同疑惑騒動にはうんざりしましたが、一面興味深いこともありました。この件に関し前知事は一貫して政治資金規正法に照らして法的に問題はないことを主張してきました。その法律自体がザル法なのですからおそらくその通りだったのでしょう。しかし、あまりにも常識がなかった。高額の出張費等の問題もさることながら、都政を預かる人が毎週末を湯河原で過ごすという一点だけとっても、法律違反ではないながら、知事の自覚がないということはこれ以上なくはっきりわかります。
政治資金の使い方に規制がほぼないのをいいことに、できる限り衣食住のすべてをそれで賄おうとする姿勢が並はずれていたため(シルクの中国服の話は笑えましたが)、都民はあきれ果てその情けなさは募りました。法的正しさを曲げない態度も都民の反感を買いました。この世に悪い人はわんさかいますが、悪い奴よりずるい奴の方が嫌いという人が多かったのです。今回の騒動は、誰もが「ご自分のお金で買ったものもあるのでしょうか。」と疑問に思うほど、度を越した税金の使い方に都民が怒り、9月までは続投のはずがこんなに早い辞任となりました。都議会の追及が甘かったのは同じ追及が自分に及んだらまずいからに相違なく、たぶん議員たちは多かれ少なかれこういった法的にはスレスレのことをしており、逆にしていないほうが馬鹿者扱いされるのでしょう。お金持ちなのにケチ、というか他人の金なら気にせず使うという根性は人の上に立つ者としての心の持ちようではない。一般庶民は、ずるくて卑しい人が嫌いなのだということがはっきりしました。
マスコミに追われ泣いて帰ってくるというお子さん方は本当に気の毒でした。しかし、これはやはり子供を巻き込んでしまった親の責任です。子供は悪くないのに、家族旅行でゆったり、たっぷり、のんびり過ごせる温泉施設に連れて行かれ、その金銭処理が問題とされているのですから。前知事には自分の基準しかありませんでした。会見での受け答えを見ていても、弁はたつものの他者の視点には無関心で、一般常識を知らず、ましてや昔の言葉でいうなら「お天道様が見ている」という感覚をもたぬ者の振る舞いでした。議論に勝つことが人の上に立つことだと思ってのし上がってきたのはいかにも秀才の陥る落とし穴です。そのことにここで気づけたのなら高い代価を払った甲斐があったというべきかも知れません。
政治資金の使い方に規制がほぼないのをいいことに、できる限り衣食住のすべてをそれで賄おうとする姿勢が並はずれていたため(シルクの中国服の話は笑えましたが)、都民はあきれ果てその情けなさは募りました。法的正しさを曲げない態度も都民の反感を買いました。この世に悪い人はわんさかいますが、悪い奴よりずるい奴の方が嫌いという人が多かったのです。今回の騒動は、誰もが「ご自分のお金で買ったものもあるのでしょうか。」と疑問に思うほど、度を越した税金の使い方に都民が怒り、9月までは続投のはずがこんなに早い辞任となりました。都議会の追及が甘かったのは同じ追及が自分に及んだらまずいからに相違なく、たぶん議員たちは多かれ少なかれこういった法的にはスレスレのことをしており、逆にしていないほうが馬鹿者扱いされるのでしょう。お金持ちなのにケチ、というか他人の金なら気にせず使うという根性は人の上に立つ者としての心の持ちようではない。一般庶民は、ずるくて卑しい人が嫌いなのだということがはっきりしました。
マスコミに追われ泣いて帰ってくるというお子さん方は本当に気の毒でした。しかし、これはやはり子供を巻き込んでしまった親の責任です。子供は悪くないのに、家族旅行でゆったり、たっぷり、のんびり過ごせる温泉施設に連れて行かれ、その金銭処理が問題とされているのですから。前知事には自分の基準しかありませんでした。会見での受け答えを見ていても、弁はたつものの他者の視点には無関心で、一般常識を知らず、ましてや昔の言葉でいうなら「お天道様が見ている」という感覚をもたぬ者の振る舞いでした。議論に勝つことが人の上に立つことだと思ってのし上がってきたのはいかにも秀才の陥る落とし穴です。そのことにここで気づけたのなら高い代価を払った甲斐があったというべきかも知れません。
2016年6月25日土曜日
「よみがえるオオカミ展」
福島県立美術館で開催されていた「よみがえるオオカミ展」を見に行きました。これは例の放射能汚染で被害を受けた飯館村の山津見神社の天井絵で、火事による消失前に写し取られていたものを復元したものです。特に関心があったわけではないのですが、福島のNHKで紹介してる番組を見たらなんだか行きたくなってしまったのでした。入場料はなんと270円。
結論から言うと行ってよかった。とてもかわいいオオカミの絵が242枚も展示してありました。茶色以外に、白、黒のオオカミ、また白と茶のぶちのオオカミもいました。まるで犬です。かなりの割合で、水色の目に赤い鼻のオオカミがいます。これも日本オオカミなのか、それともこの着色は眼光や鼻が光っていることを表現したものにすぎないのか・・・。1枚1枚退屈することなく鑑賞しました。一番強く思ったのは、242枚も描くにはよほど長い時間オオカミと一緒に過ごさねばならなかっただろうということです。オオカミが絵のモデルとしてじっとしているわけはないだろうということを考えると、こんなにたくさんの姿勢、体勢のオオカミが描かれているのは生活を共にしていたにちがいないと思うのです。オオカミの表情に凶暴さはみじんも感じられず、二匹でじゃれ合う様子や子供を連れた一家の様子などは犬と変わりません。そしてどれを見ても、「うん、りくもこんなポーズすることある。」と感心してしまいました。今まで私はりくが猫背であることを何か骨が変形する病気ではないかと気にしていたのですが、この展覧会を見てそれがオオカミの特徴なのだと知りました。背骨がぽこんと出た絵柄が何枚もあり、なんだか安心しました。いずれにしても、絵師の狼に対する愛情を深く感じた展覧会でした。
考えてみれば今年の初めに会ったフェルメール展はパスしたので、福島県立美術館に行くのは若冲展以来です。今年、東京都美術館で開かれた若冲展は6時間待ちの大盛況という報道がありましたから、福島で見ておいて本当によかったと思いました。オオカミについては一般的な関心は高くないようですが、コアなファンが結構います。私が愛読しているドイツに住む柴犬二頭飼いの日本女性もプロフィールにはっきり「オオカミ好き」と名乗っており、たまに「オオカミの野生公園に行ってきました。」といった記事が載ります。気持ちはわかる、柴犬のご先祖はまちがいなくオオカミだろうと、むやみに愛着がわくのです。
「今日はりくのご先祖の絵を見てきたよ。」
と、隣で正体もなく寝ているちっちゃい、おとなしい、弱っちいオオカミの末裔に話しかけましたが、おもむろに
「なあに、お腹なでて。」
と仰向けになりました。さすがに仰向けの絵はなかったような・・・。これが犬とオオカミのちがいなのでしょう。
結論から言うと行ってよかった。とてもかわいいオオカミの絵が242枚も展示してありました。茶色以外に、白、黒のオオカミ、また白と茶のぶちのオオカミもいました。まるで犬です。かなりの割合で、水色の目に赤い鼻のオオカミがいます。これも日本オオカミなのか、それともこの着色は眼光や鼻が光っていることを表現したものにすぎないのか・・・。1枚1枚退屈することなく鑑賞しました。一番強く思ったのは、242枚も描くにはよほど長い時間オオカミと一緒に過ごさねばならなかっただろうということです。オオカミが絵のモデルとしてじっとしているわけはないだろうということを考えると、こんなにたくさんの姿勢、体勢のオオカミが描かれているのは生活を共にしていたにちがいないと思うのです。オオカミの表情に凶暴さはみじんも感じられず、二匹でじゃれ合う様子や子供を連れた一家の様子などは犬と変わりません。そしてどれを見ても、「うん、りくもこんなポーズすることある。」と感心してしまいました。今まで私はりくが猫背であることを何か骨が変形する病気ではないかと気にしていたのですが、この展覧会を見てそれがオオカミの特徴なのだと知りました。背骨がぽこんと出た絵柄が何枚もあり、なんだか安心しました。いずれにしても、絵師の狼に対する愛情を深く感じた展覧会でした。
考えてみれば今年の初めに会ったフェルメール展はパスしたので、福島県立美術館に行くのは若冲展以来です。今年、東京都美術館で開かれた若冲展は6時間待ちの大盛況という報道がありましたから、福島で見ておいて本当によかったと思いました。オオカミについては一般的な関心は高くないようですが、コアなファンが結構います。私が愛読しているドイツに住む柴犬二頭飼いの日本女性もプロフィールにはっきり「オオカミ好き」と名乗っており、たまに「オオカミの野生公園に行ってきました。」といった記事が載ります。気持ちはわかる、柴犬のご先祖はまちがいなくオオカミだろうと、むやみに愛着がわくのです。
「今日はりくのご先祖の絵を見てきたよ。」
と、隣で正体もなく寝ているちっちゃい、おとなしい、弱っちいオオカミの末裔に話しかけましたが、おもむろに
「なあに、お腹なでて。」
と仰向けになりました。さすがに仰向けの絵はなかったような・・・。これが犬とオオカミのちがいなのでしょう。
2016年6月24日金曜日
「カード紛失」
いつか起こるのではないかと思っていたことが起きました。買い物でレジに並んでいた時、財布を取りだしてみたらいつもつかうクレジットカードが見当たらない。列をそれて全部探しましたが見つからない。物を戻して可能性をたどりながら帰宅、家中探してもない。
「あー、やっちゃった。」
とへこみながら、昨日の行動を振り返り、カードに付属したスイカのチャージをした時に失くした可能性が高いと思い駅に電話しましたが届いてないとのこと、しかたなくカード会社に電話しました。幸い使用された形跡はなく、すぐ機能停止をお願いしました。一週間ほどで再発行とのことで安堵しましたが、実害はないながらがっくり落ち込みました。思わず電話口でカード会社の人に
「もう情けなくて…。」と弱音を吐いてしまったほどです。
主観的には消えたとしか思えないしかたで物を失くすことが増え、注意していたのにそれでも起こった今回の出来事は重く受け止めなければいけません。しかし、重く受け止めれば気が沈んでしまうので、「さ、仕切り直し。命にかかわることでなくてよかった。今度は気をつけよう。」と思い直しました。一週間カードが使えないというのは私にとって非常に不便なことです。小銭の区別がうまくできず間違うことが増えてきたからです。以前電車で通っていた頃、定期券を挿入口に通す自動改札ではいつもちゃんと通せるかどうかどきどきでした。タッチ式の自動改札になったときどんなに楽になったことか。スイカでお店の買い物もできるようになって、今ではスイカが使えない店に行くことはめったになくなりました。福島ではコンビニ以外では使えないのでスーパーでは現金で買い物しなければなりません。そのため、自分で行う機械式レジでお会計をしています。お金を取り出すときどんなに時間がかかっても後の人に直接迷惑にはならないからです。人のいるレジでは落ち着いてお金を取り出すことができず、勢いお札を使うことになり小銭ばかりが増えてしまうのです。東京ではもうほとんど電子マネーでこと足ります。ありがたいことです。だからこそ、今度のようなことはもう二度とないように注意しなければならないと決意しました。決意だけなら猿でもできるんですけどね。
「あー、やっちゃった。」
とへこみながら、昨日の行動を振り返り、カードに付属したスイカのチャージをした時に失くした可能性が高いと思い駅に電話しましたが届いてないとのこと、しかたなくカード会社に電話しました。幸い使用された形跡はなく、すぐ機能停止をお願いしました。一週間ほどで再発行とのことで安堵しましたが、実害はないながらがっくり落ち込みました。思わず電話口でカード会社の人に
「もう情けなくて…。」と弱音を吐いてしまったほどです。
主観的には消えたとしか思えないしかたで物を失くすことが増え、注意していたのにそれでも起こった今回の出来事は重く受け止めなければいけません。しかし、重く受け止めれば気が沈んでしまうので、「さ、仕切り直し。命にかかわることでなくてよかった。今度は気をつけよう。」と思い直しました。一週間カードが使えないというのは私にとって非常に不便なことです。小銭の区別がうまくできず間違うことが増えてきたからです。以前電車で通っていた頃、定期券を挿入口に通す自動改札ではいつもちゃんと通せるかどうかどきどきでした。タッチ式の自動改札になったときどんなに楽になったことか。スイカでお店の買い物もできるようになって、今ではスイカが使えない店に行くことはめったになくなりました。福島ではコンビニ以外では使えないのでスーパーでは現金で買い物しなければなりません。そのため、自分で行う機械式レジでお会計をしています。お金を取り出すときどんなに時間がかかっても後の人に直接迷惑にはならないからです。人のいるレジでは落ち着いてお金を取り出すことができず、勢いお札を使うことになり小銭ばかりが増えてしまうのです。東京ではもうほとんど電子マネーでこと足ります。ありがたいことです。だからこそ、今度のようなことはもう二度とないように注意しなければならないと決意しました。決意だけなら猿でもできるんですけどね。
2016年6月22日水曜日
「顔立ちの変化」
最近たびたび思うのですが、若い人の顔が幼くなっている気がします。新社会人でも高校生のような顔立ちですし、へたすると30代でも学生かと思うことがよくあります。日本人が海外に行って十も二十も若く見られることは以前からありましたが、これは見慣れていないせいで人種的な加齢の表出の違いを知らなかったせいでしょう。その効果は日本人には有利に働く場合が多く、私も「こんな年端もいかない子が一人で外国を旅しているとは…」と、親切にされることがよくありました。
これが今は国内でも起きているのです。若い人に限らず相当な年の大人でも、顔が幼くなってきていると感じます。少しでも長く子供でいたい、あるいは子ども扱いされたいという国民的傾向が何年にもわたって続いた結果、このような形で発言したのだろうと私は思っています。実年齢でいえばもちろん子供は減っています。20歳未満を子供としても疾うに2割を切ってどんどん1割ラインに近づいていっています。社会の人口構成のバランスからいって、せめて見かけや考え方および振る舞いにおいて、子供そっくりの大人を作り出しているのでしょう。昔も子供みたいな年配者はいたけれど、今は割合が異常に多い、という現象もやはり人口ピラミッドと関係していると考えれば、いろいろなことが腑に落ちる気がします。
これが今は国内でも起きているのです。若い人に限らず相当な年の大人でも、顔が幼くなってきていると感じます。少しでも長く子供でいたい、あるいは子ども扱いされたいという国民的傾向が何年にもわたって続いた結果、このような形で発言したのだろうと私は思っています。実年齢でいえばもちろん子供は減っています。20歳未満を子供としても疾うに2割を切ってどんどん1割ラインに近づいていっています。社会の人口構成のバランスからいって、せめて見かけや考え方および振る舞いにおいて、子供そっくりの大人を作り出しているのでしょう。昔も子供みたいな年配者はいたけれど、今は割合が異常に多い、という現象もやはり人口ピラミッドと関係していると考えれば、いろいろなことが腑に落ちる気がします。
2016年6月19日日曜日
「福島の現状に思うこと」
私は厳密には福島在住者ではありませんが、福島を故郷としたびたび訪れている者として、原発事故から5年3か月の現状に接して思うところを述べます。
1.除染について
現在除染した土が庭の車置き場の下に埋まっています。近くに仮置き場が確保されたらしく、もう少ししたらそれうを掘り起こして移動するという話になっています。それから中間貯蔵施設に搬入され、やがて最終処分場に移されるのでしょう。気の遠くなるような話です。しかも、放射性廃棄物の最終処分方法がまだ見つかっていないのですから、ほとんど茶番であり、真剣に考えているとは誰も思っていません。
2.フクシマの人間と動物に対する放射線の影響について
これについては震災より5年となる今年公表された研究結果について以前触れました。浪江町と大熊町で買われていた牛に関する研究(岩手大学農学部、岡田啓司准教授)と、南相馬町に暮らす住人を対象とした研究(東京大学医科学研究所、坪倉正治)のような信頼できる調査結果もある一方で、検証もされずに日本外国特派員協会での記者会見で発表された、福島県の子供の甲状腺がんの発生率に関する研究結果(岡山大学大学院、津田敏秀教授)もありました。冷静に分析すれば、もはや「東京は安全だ」とか、「西日本なら大丈夫」とかさえ言っておれない状況になっている可能性があるのに、それが本当に深刻な事態として受け止められておらず、比較検証もされていない研究結果が一方的に発表され、福島だけが危険であるかのような風評が独り歩きしていくことに福島県民は傷ついています。
3.政府と電力会社の態度
今年に入り高浜原発の稼働差し止めの仮処分が出された頃と時を同じくして、福島原発が地震から3日目には1・3号機がメルトダウンしていたことを示す判断基準を定めた内部規定が見つかったという報道がなされたり(実際のメルトダウンの発表は2か月後でした。)、また最近「炉心溶融という言葉を使わないようにというのは官邸の指示だった」とか、「いやそんなことは言っていない」とかの泥仕合があり、住民不在の様相を強めています。
全電源が喪失した場合の想定に基づく危険性は本当は指摘されていたのに、想定外の災害だったと強弁する東電はあくどいの一言ですが、何より悲惨な実例となったのは、原発事故当時10キロ圏内から30キロ圏という北東に延びた土地を持つ浪江町が、建屋の水素爆発の情報を政府から伝えられずテレビで知って北東方向に逃げた際、当日の風向きから結果的に最悪の避難先となった例です。緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(通称:SPEEDI)の試算は隠され、この地の住民はむざむざと捨ておかれました。この方々の命より、国民にパニックが起こる懸念を優先した結果でした。
原発政策は国と原子力産業にとってだけ有利な政策です。国は原発を作るだけでよく、事故が起きた時の避難計画の策定とその実施は自治体任せにしています。そもそも責任をとらない体制なのです。どんなに保安計画を練っていても肝心な時に、それも重大事故であればあるほど公表されず隠されるということは福島原発事故ではっきりしました。事実として切り捨てられたということ、そして避難区域解除と住民帰還の推進が現実的に政府と電力会社の経済的事情にすぎないということが、今県民の心に重苦しくのしかかっています。
4.制度としての原発を支えるもの
原発に関する訴訟でよく問題とされる断層の位置や災害に対する備えの万全性について、これを意味のある議論だと思う人はどれほどいるのでしょうか。最近地震のあった熊本にしても北海道にしても、特に危険が喧伝されている地域ではなかったことを考えれば、これほど地震の多い列島に原発を置くこと自体狂気の沙汰だとなぜわからないのか不思議です。今では地震だけでなく飛来物落下やテロの危険も現実味を帯びています。実際美しかった福島がフクシマという膨大な量の汚染された土地に変わってしまい、日本は戦争があったわけでもないのに肥沃な国土を広範囲に失ったのです。いまだ事態が一向に収束しないにも関わらず、原発堅持の姿勢が変わらない、我々がこれほどの犠牲を払っているのはいったい何なのかというやりきれなさに福島県民は打ちのめされています。
これまでのことを総合的に考えると、原発政策はそれ自体制度設計が間違っていると言わざるを得ません。しかしこのままでは電力会社は自己保存にしがみつくのを止めず、これまで同様、原発がなければ電気代が上がるとか、十分な供給ができないとか言うばかりです。また電力会社と政府が結託して、原発産業に否定的な判決を出した裁判官を左遷するなどの仕方で圧力をかけるようなことを止めないでしょう。これは結局のところ国民の足元すなわち本音を見越しているのです。政府や関係官庁の役人、電力会社の方々が、冷静に考えれば責任のとれないことを引き続き行っていられるのは、やはり国民の過半が暗黙の了承を与えていることを知っているからです。しかし我々が未来の子孫のことを真剣に思うなら、不便を覚悟でエネルギー政策の転換を支持するしかないように思います。この国に住む子供たちには未来があるのですから。
自然災害で被災するのはまったくゆえなきことですが、各地の震災現場を目にして誰もが思うのは、人間の身体にとって必要なのは、カネではなく、水と食料とエネルギーだということでしょう。身体が求めるのは、質素でもおいしいご飯であり、ゆっくりつかれるお風呂であり、またゆったり眠れるふかふかの布団でしょう。国の進むべき方向性を変えるためには、まずは身近なところから自分の生活のあり方や、別なサブシステムを持つ社会や地域共同体の可能性を実際に模索していくしかないのではないでしょうか。
一口に福島と言っても被災状況は様々であり、家族、土地、家、生きがい等を奪われ、癒えることのない悲しみを抱いている人々がいる一方、福島市のようにとりあえずの暮らしが戻った人々が多い地域もあります。山菜取りのような楽しみはもうもてませんが、農産物に関しては放射線検査をしないと市場に出せないので、ある意味、他県より安心できる面もあります。しかし廃炉が進むどころか、いまだにしばしば放射能漏れが起きる現実を前にして、「うつくしま福島」と呼んでいた故郷はもう永遠に戻らないのだという悲しみが増し、二度目があれば日本自体が吹っ飛ぶにもかかわらず、自分たちの犠牲が何も生かされていないことには絶望的な気持ちを抱いています。これが原発事故前と違う、福島を覆う決して晴れることのない今の現状の本質だと私は思います。
1.除染について
現在除染した土が庭の車置き場の下に埋まっています。近くに仮置き場が確保されたらしく、もう少ししたらそれうを掘り起こして移動するという話になっています。それから中間貯蔵施設に搬入され、やがて最終処分場に移されるのでしょう。気の遠くなるような話です。しかも、放射性廃棄物の最終処分方法がまだ見つかっていないのですから、ほとんど茶番であり、真剣に考えているとは誰も思っていません。
2.フクシマの人間と動物に対する放射線の影響について
これについては震災より5年となる今年公表された研究結果について以前触れました。浪江町と大熊町で買われていた牛に関する研究(岩手大学農学部、岡田啓司准教授)と、南相馬町に暮らす住人を対象とした研究(東京大学医科学研究所、坪倉正治)のような信頼できる調査結果もある一方で、検証もされずに日本外国特派員協会での記者会見で発表された、福島県の子供の甲状腺がんの発生率に関する研究結果(岡山大学大学院、津田敏秀教授)もありました。冷静に分析すれば、もはや「東京は安全だ」とか、「西日本なら大丈夫」とかさえ言っておれない状況になっている可能性があるのに、それが本当に深刻な事態として受け止められておらず、比較検証もされていない研究結果が一方的に発表され、福島だけが危険であるかのような風評が独り歩きしていくことに福島県民は傷ついています。
3.政府と電力会社の態度
今年に入り高浜原発の稼働差し止めの仮処分が出された頃と時を同じくして、福島原発が地震から3日目には1・3号機がメルトダウンしていたことを示す判断基準を定めた内部規定が見つかったという報道がなされたり(実際のメルトダウンの発表は2か月後でした。)、また最近「炉心溶融という言葉を使わないようにというのは官邸の指示だった」とか、「いやそんなことは言っていない」とかの泥仕合があり、住民不在の様相を強めています。
全電源が喪失した場合の想定に基づく危険性は本当は指摘されていたのに、想定外の災害だったと強弁する東電はあくどいの一言ですが、何より悲惨な実例となったのは、原発事故当時10キロ圏内から30キロ圏という北東に延びた土地を持つ浪江町が、建屋の水素爆発の情報を政府から伝えられずテレビで知って北東方向に逃げた際、当日の風向きから結果的に最悪の避難先となった例です。緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(通称:SPEEDI)の試算は隠され、この地の住民はむざむざと捨ておかれました。この方々の命より、国民にパニックが起こる懸念を優先した結果でした。
原発政策は国と原子力産業にとってだけ有利な政策です。国は原発を作るだけでよく、事故が起きた時の避難計画の策定とその実施は自治体任せにしています。そもそも責任をとらない体制なのです。どんなに保安計画を練っていても肝心な時に、それも重大事故であればあるほど公表されず隠されるということは福島原発事故ではっきりしました。事実として切り捨てられたということ、そして避難区域解除と住民帰還の推進が現実的に政府と電力会社の経済的事情にすぎないということが、今県民の心に重苦しくのしかかっています。
4.制度としての原発を支えるもの
原発に関する訴訟でよく問題とされる断層の位置や災害に対する備えの万全性について、これを意味のある議論だと思う人はどれほどいるのでしょうか。最近地震のあった熊本にしても北海道にしても、特に危険が喧伝されている地域ではなかったことを考えれば、これほど地震の多い列島に原発を置くこと自体狂気の沙汰だとなぜわからないのか不思議です。今では地震だけでなく飛来物落下やテロの危険も現実味を帯びています。実際美しかった福島がフクシマという膨大な量の汚染された土地に変わってしまい、日本は戦争があったわけでもないのに肥沃な国土を広範囲に失ったのです。いまだ事態が一向に収束しないにも関わらず、原発堅持の姿勢が変わらない、我々がこれほどの犠牲を払っているのはいったい何なのかというやりきれなさに福島県民は打ちのめされています。
これまでのことを総合的に考えると、原発政策はそれ自体制度設計が間違っていると言わざるを得ません。しかしこのままでは電力会社は自己保存にしがみつくのを止めず、これまで同様、原発がなければ電気代が上がるとか、十分な供給ができないとか言うばかりです。また電力会社と政府が結託して、原発産業に否定的な判決を出した裁判官を左遷するなどの仕方で圧力をかけるようなことを止めないでしょう。これは結局のところ国民の足元すなわち本音を見越しているのです。政府や関係官庁の役人、電力会社の方々が、冷静に考えれば責任のとれないことを引き続き行っていられるのは、やはり国民の過半が暗黙の了承を与えていることを知っているからです。しかし我々が未来の子孫のことを真剣に思うなら、不便を覚悟でエネルギー政策の転換を支持するしかないように思います。この国に住む子供たちには未来があるのですから。
自然災害で被災するのはまったくゆえなきことですが、各地の震災現場を目にして誰もが思うのは、人間の身体にとって必要なのは、カネではなく、水と食料とエネルギーだということでしょう。身体が求めるのは、質素でもおいしいご飯であり、ゆっくりつかれるお風呂であり、またゆったり眠れるふかふかの布団でしょう。国の進むべき方向性を変えるためには、まずは身近なところから自分の生活のあり方や、別なサブシステムを持つ社会や地域共同体の可能性を実際に模索していくしかないのではないでしょうか。
一口に福島と言っても被災状況は様々であり、家族、土地、家、生きがい等を奪われ、癒えることのない悲しみを抱いている人々がいる一方、福島市のようにとりあえずの暮らしが戻った人々が多い地域もあります。山菜取りのような楽しみはもうもてませんが、農産物に関しては放射線検査をしないと市場に出せないので、ある意味、他県より安心できる面もあります。しかし廃炉が進むどころか、いまだにしばしば放射能漏れが起きる現実を前にして、「うつくしま福島」と呼んでいた故郷はもう永遠に戻らないのだという悲しみが増し、二度目があれば日本自体が吹っ飛ぶにもかかわらず、自分たちの犠牲が何も生かされていないことには絶望的な気持ちを抱いています。これが原発事故前と違う、福島を覆う決して晴れることのない今の現状の本質だと私は思います。
2016年6月16日木曜日
「紅春 88」
朝の散歩でよく出会う年配のご夫婦がいます。りくをかわいがってくれ、頭頂部のハゲがある間は「ハートちゃん。」と声を掛けてくれていました。りくは一度はそばに行ってくんくんし、それから気ままに振る舞っているので、「ちゃんとご挨拶してください。」と言うのが日課のようになっています。
「日が長くなりましたね。」
「朝明るくなるのが早いので、もう待ってられないんですよ。起こしに来ます。」
「中で飼っているんですか。」
「そうなんです。」
「ハートちゃん、おはよう。朝はうれしいね。」
「りく、今日もおはよう言えてよかったね。それじゃ、また。」
りくにとって朝の散歩は新聞を読むようなもの。そんなにくんくんせずにもう少し上を向いて歩きなさいと言いたいほど、真剣に匂いを嗅ぎながら歩いていますが、ほぼ毎朝会う方がいるのはよいものです。
「日が長くなりましたね。」
「朝明るくなるのが早いので、もう待ってられないんですよ。起こしに来ます。」
「中で飼っているんですか。」
「そうなんです。」
「ハートちゃん、おはよう。朝はうれしいね。」
「りく、今日もおはよう言えてよかったね。それじゃ、また。」
りくにとって朝の散歩は新聞を読むようなもの。そんなにくんくんせずにもう少し上を向いて歩きなさいと言いたいほど、真剣に匂いを嗅ぎながら歩いていますが、ほぼ毎朝会う方がいるのはよいものです。
2016年6月14日火曜日
「業務用スーパー」
東京と言えどもコンビニ以外で24時間やっているスーパーマーケットはそうたくさんはありません。深夜出かける習慣がないので必要もないと思っていたのですが、最近利用法がわかってきました。ちょうどウォーキングによい距離のところにチェーン店の業務用スーパーがあることがわかり、このところよく訪れています。深夜ではなく早朝利用するという手があったのです。これまではどんなに早くても簡易スーパーで朝7時、大きなスーパーで9時が開店時刻でしたから、朝5時に買い物をするという可能性に考えが及びませんでした。朝のウォーキングの帰りに寄ってこれることで涼しいうちに買い物が済むというのは、特に夏場は重宝しそうです。
店は業務用スーパーなので野菜にしても肉や魚にしても1パックが大量であることが多く、レストランや小料理屋の買い出しで来ていると思われる人ももちろんいます。しかし、必ずしも食品関係の業者が来ているわけではなく、個人の顧客も普通にいます。出勤前に買い物をしているとおぼしき方もいます。私はもともとてきぱき見て回れない性格なので、あまり人のいない時間帯にじっくり店内の品物を見られるのは助かります。品出しで忙しそうな店員さんには迷惑かもしれませんが。
私が気に入っているところは、それほど広い店内ではないのに、普通のスーパーではあまり見かけない旬の食品があること、ここに来ないと手に入らない飲み物や乳製品、特にチーズ類の種類が豊富なところです。すっかりはまったのがお魚、とくに刺身類。旬のいかにも新鮮なものが入っているのでいろいろ試すうち、魚は刺身に限るとまで思い始めています。いつも出かける前に買い物リストを考えていきますが、特に必要なものが思い浮かばないような時は別に夏みかん2個とかホウレンソウとパプリカとかでもよいのです。些細な物でも目標ができれば弾みがつくし、大抵は他に買ってみたいものが見つかるので結構な荷物を持って帰ることになることもしばしばです。今は朝のウォーキングにもちょっとした楽しみが加わった感じです。
店は業務用スーパーなので野菜にしても肉や魚にしても1パックが大量であることが多く、レストランや小料理屋の買い出しで来ていると思われる人ももちろんいます。しかし、必ずしも食品関係の業者が来ているわけではなく、個人の顧客も普通にいます。出勤前に買い物をしているとおぼしき方もいます。私はもともとてきぱき見て回れない性格なので、あまり人のいない時間帯にじっくり店内の品物を見られるのは助かります。品出しで忙しそうな店員さんには迷惑かもしれませんが。
私が気に入っているところは、それほど広い店内ではないのに、普通のスーパーではあまり見かけない旬の食品があること、ここに来ないと手に入らない飲み物や乳製品、特にチーズ類の種類が豊富なところです。すっかりはまったのがお魚、とくに刺身類。旬のいかにも新鮮なものが入っているのでいろいろ試すうち、魚は刺身に限るとまで思い始めています。いつも出かける前に買い物リストを考えていきますが、特に必要なものが思い浮かばないような時は別に夏みかん2個とかホウレンソウとパプリカとかでもよいのです。些細な物でも目標ができれば弾みがつくし、大抵は他に買ってみたいものが見つかるので結構な荷物を持って帰ることになることもしばしばです。今は朝のウォーキングにもちょっとした楽しみが加わった感じです。
2016年6月11日土曜日
「職務質問」
何日かぶりで晴れた風のない日、今日を逃したら当分行けないだろうと思い、自転車で買い物に出かけました。普段は運動かたがた歩いて行くことが多いのですが、今日の目的地はやや遠いのと買い物リストには北海道産小麦3kgがあるため、ちょっと気合いがいるのです。行く途中でも感じたのですが、この日は涼しげな青い半袖の制服を着た警官の姿が結構目につきました。
用事を済ませての帰り道、ここにもあそこにもという感じでお巡りさんの傍らを通り過ぎたのですが、もう少しで自宅という時、「すみませ~ん。」と追いかけてくるお巡りさんがいるではありませんか。怪訝な気持ちで自転車を止めて応じました。
「自転車の照合をお願いしたいのですが。」
「何かあったのですか。」
「自転車の盗難が多いので調べているんです。こちらは長くお使いですね。」
ええっ、私も調査対象なのか。こんなおばさんでも怪しまれるのか。確かに人の外見によって声掛けに差をつけてはいけないのだろう。それに私は紫外線を避けるよう言われているので、夏でも長袖を着、マスクをし、帽子を目深にかぶっている。傍から見ればかなり怪しげ・・・。確かに自転車は相当錆びている。まだ動くから捨てられないし、このくらいの方が盗まれる可能性が低いと思っていたが、実は逆なのか。でもこんなピンクのハンドルカバーがついてる自転車を盗むのは勇気がいるのでは・・・。いろいろな思いが頭を駆け巡る。
「もう十年以上使ってます。どうぞ。」
「お名前お願いします。」
お巡りさんが無線で私の防犯登録番号を告げてやりとりし、直後に
「ありがとうございました。照合できました。」
「大変ですね。」
お巡りさんは一礼して戻っていき、私はそのまま何事もなく帰宅しました。家に帰ってつらつら考えましたが、自転車の盗難といった軽犯罪にこれほど真面目に取り組んでいるとはえらい。都民の税金を貪っているとしか言いようのない都知事の卑しさと比べたら、暑い中淡々と職務をこなす都の職員の姿勢は高貴と言えよう。めったに言葉を交わす機会はないのだから、「お仕事がんばってください。応援してます。」と言えばよかったなあというのは、いつものように後知恵でした。
用事を済ませての帰り道、ここにもあそこにもという感じでお巡りさんの傍らを通り過ぎたのですが、もう少しで自宅という時、「すみませ~ん。」と追いかけてくるお巡りさんがいるではありませんか。怪訝な気持ちで自転車を止めて応じました。
「自転車の照合をお願いしたいのですが。」
「何かあったのですか。」
「自転車の盗難が多いので調べているんです。こちらは長くお使いですね。」
ええっ、私も調査対象なのか。こんなおばさんでも怪しまれるのか。確かに人の外見によって声掛けに差をつけてはいけないのだろう。それに私は紫外線を避けるよう言われているので、夏でも長袖を着、マスクをし、帽子を目深にかぶっている。傍から見ればかなり怪しげ・・・。確かに自転車は相当錆びている。まだ動くから捨てられないし、このくらいの方が盗まれる可能性が低いと思っていたが、実は逆なのか。でもこんなピンクのハンドルカバーがついてる自転車を盗むのは勇気がいるのでは・・・。いろいろな思いが頭を駆け巡る。
「もう十年以上使ってます。どうぞ。」
「お名前お願いします。」
お巡りさんが無線で私の防犯登録番号を告げてやりとりし、直後に
「ありがとうございました。照合できました。」
「大変ですね。」
お巡りさんは一礼して戻っていき、私はそのまま何事もなく帰宅しました。家に帰ってつらつら考えましたが、自転車の盗難といった軽犯罪にこれほど真面目に取り組んでいるとはえらい。都民の税金を貪っているとしか言いようのない都知事の卑しさと比べたら、暑い中淡々と職務をこなす都の職員の姿勢は高貴と言えよう。めったに言葉を交わす機会はないのだから、「お仕事がんばってください。応援してます。」と言えばよかったなあというのは、いつものように後知恵でした。
2016年6月7日火曜日
「サイフォン」
以前カフェ・バッハでコーヒーを飲んでから、サイフォンで淹れるコーヒーが気になりだしました。まだ豆から挽いてこだわりのある淹れ方をするところまでは興味がないのですが、ずっと前に買ったサイフォンを見つけて使ってみることにしました。普段ドリップ式の家庭用コーヒーメーカーを使っていますが、気まぐれでサイフォンを買ったことがあったのです。豆は普通にどこでも手に入る挽き豆です。
サイフォンは最初の設定をする時、なんだか面倒な気が先立つのですが、慣れてしまえばなんでもありません。蒸気が出てお湯が上がってくるまでに時間がかかるので、時間的な余裕は必要です。アルコールランプを用いたいかにも実験室のような装置は長続きしそうにないし、ちょっと危険な気もするので電気式のを用いています。セットしてから別のことをしているうち、ゴボゴボと好ましいお湯の沸く音がしてくるときが楽しいですね。1分ほど煮出してから熱源から外し、下のフラスコにコーヒーが落ちるまで1分。このころには香ばしい匂いが部屋中に広がって、これも焼き立てパンと並んで幸せの香りです。
サイフォンのいいところは何と言ってもコクのあるコーヒーが出来上がるところでしょう。一度に3、4杯できるので保温用のステンレスボトルに入れておくといつでも熱々をいただけます。手間なのは豆殻の片づけですが、これはおいしいコーヒーを飲むための代価なのでしかたありません。特に布を巻いた仕切り用の円盤は洗って水を入れたコップに浸けておかないと匂いが出るので注意です。豆殻は棄ててもいいのですが、とりあえず乾燥させて脱臭剤として利用しています。
2016年6月4日土曜日
「1年間だけのクラスメート」
先日行われた同窓会は、自分の半生をあらためて思い起こす機会となりました。半生どころかこれまでの来し方全部を振り返ることになったと言ってもいいくらいです。その後おこなったことの結果として一番うれしかったのは長年連絡できなかった旧友と連絡がとれたことでした。
彼女は小学校も一緒だったのですが、小学校では接点がなく、同じ中学に進学したことで仲良しになった友人でした。ものすごく頭のいい人で、小学校6年時に行われた2回の校内テストで一度もかなわなかった唯一の子です。親しくなってみると、もうこの世にこんな性格のいい人がいるのかと思うほどで、天使のような存在でした。よく昼休みを一緒に図書館で過ごした記憶がありますが、「何かいい本ないかな。」と聞いたら『ビルマの竪琴』を薦めてくれました。まったく読んだことのないジャンルの本であまり面白そうでもないなと思ったのですが、読んでみたら実に面白く、ぐいぐい引き込まれて読んだのを覚えています。同じクラスだったのは1年間だけで、クラス替えの時にとてもがっかりしたのです。
中2以降は高校時代も含めてクラスが違ったので疎遠になってしまい、40年近くがたちました。今回の同窓会後に元気でいるかどうかだけでも知りたいと思い、「どうかな」と不安な気持ちで心当たりに手紙を書いたら本人でした。見覚えのある自筆の字で返事が来た時のうれしかったこと。元気で幸せに暮らしていることがわかって本当に安らかな気持ちになりました。私が覚えていないエピソードを書いてくれていましたが、たぶん私のことなので当時から独りよがりな考えでいろいろ迷惑かけてたんだろうなと思います。昔と変わらない優しい性格のままでした。
同窓会で声を掛けてくれた人の中に、中1の一年間だけ一緒のクラスだった級友がいました。まったく見た目が変わっていなかったのでまずそのことに驚き、落ち着いた話し方も変わっていなかったのでうれしくなりました。名刺のやり取りをし(私のは肩書なしのもの)、しばらくしたらブログにコメントをくれました。真面目な性格も全く変わっていないのでなんだかおかしくなりました。別の友人が言うように、真面目というのは最高のほめ言葉です。このおかしさを共有してくれるのはあの時のクラスメートだけでしょう。私自身はあの頃とはずいぶん変わった気がしていたのですが、その彼に「40年ぶりですが全然おかわりなく、驚きました。」と言われてしまうとは。でもこれもきっとほめ言葉ですね。
もう一人、こちらも同窓会でお話しできたのですが、やはり中学入学時に同じクラスだった級友が来ていました。大学は同じでしたが、キャンパスで会うことはなく、もらった名刺を見たら農学博士。会わないはずです、農学部は道路の向こう側、信号か上空にかかる橋を渡っていかなければ行けないところにありますから。
彼についての私の強烈な記憶は何といっても数学の時間に「二等辺三角形の頂点と、底辺の中点を結んだ線は、底辺と垂直に交わる」ということの証明問題で、背理法を用いたこと。つまり、「二等辺三角形の頂点と底辺の中点を結んだ線が底辺と垂直に交わらないと仮定すると矛盾が起こる」ことを示して、「よって、垂直に交わる」という証明をしたことです。
「今の何。」という感じで、茫然としました。世の中にはなんて頭のいい人がいるのだろうと。
そのことを話したら、「いやな奴だったでしょう。」との返事。
まったくそんなことなかったし、そんなこと思った級友もいないはず。ただただ、「すごいなー。」と思っただけです。40年たっても鮮明に覚えているのですから、どれほどインパクトが強かったかわかります。彼にそう伝えたのですが、「ほんとにいやな奴だったと思いますよ。」との返事。ああ、この人も思うところあって同窓会に来ていたのだと、すっかり親近感がわきました。私にとってはほとんど学問への目覚めのような出来事だったのに、相手の記憶は違っていた。自分の認識と他者の認識は絶えずずれるのだということを強く意識した出来事です。
この方ともクラスが一緒だったのは1年間だけで、高校も違いましたから本当に40年ぶりの再会でした。今思い出してもあの頃は勉強が本当に楽しかったなあ。いずれにしても、ただ面白いから、純粋に知りたいから勉強するという気持ちだけに駆動されていた中学時代の学業との向き合いは、こういう級友すべての方々との幸福な出会いなくしてありえなかったということを深く悟ったことでした。
彼女は小学校も一緒だったのですが、小学校では接点がなく、同じ中学に進学したことで仲良しになった友人でした。ものすごく頭のいい人で、小学校6年時に行われた2回の校内テストで一度もかなわなかった唯一の子です。親しくなってみると、もうこの世にこんな性格のいい人がいるのかと思うほどで、天使のような存在でした。よく昼休みを一緒に図書館で過ごした記憶がありますが、「何かいい本ないかな。」と聞いたら『ビルマの竪琴』を薦めてくれました。まったく読んだことのないジャンルの本であまり面白そうでもないなと思ったのですが、読んでみたら実に面白く、ぐいぐい引き込まれて読んだのを覚えています。同じクラスだったのは1年間だけで、クラス替えの時にとてもがっかりしたのです。
中2以降は高校時代も含めてクラスが違ったので疎遠になってしまい、40年近くがたちました。今回の同窓会後に元気でいるかどうかだけでも知りたいと思い、「どうかな」と不安な気持ちで心当たりに手紙を書いたら本人でした。見覚えのある自筆の字で返事が来た時のうれしかったこと。元気で幸せに暮らしていることがわかって本当に安らかな気持ちになりました。私が覚えていないエピソードを書いてくれていましたが、たぶん私のことなので当時から独りよがりな考えでいろいろ迷惑かけてたんだろうなと思います。昔と変わらない優しい性格のままでした。
同窓会で声を掛けてくれた人の中に、中1の一年間だけ一緒のクラスだった級友がいました。まったく見た目が変わっていなかったのでまずそのことに驚き、落ち着いた話し方も変わっていなかったのでうれしくなりました。名刺のやり取りをし(私のは肩書なしのもの)、しばらくしたらブログにコメントをくれました。真面目な性格も全く変わっていないのでなんだかおかしくなりました。別の友人が言うように、真面目というのは最高のほめ言葉です。このおかしさを共有してくれるのはあの時のクラスメートだけでしょう。私自身はあの頃とはずいぶん変わった気がしていたのですが、その彼に「40年ぶりですが全然おかわりなく、驚きました。」と言われてしまうとは。でもこれもきっとほめ言葉ですね。
もう一人、こちらも同窓会でお話しできたのですが、やはり中学入学時に同じクラスだった級友が来ていました。大学は同じでしたが、キャンパスで会うことはなく、もらった名刺を見たら農学博士。会わないはずです、農学部は道路の向こう側、信号か上空にかかる橋を渡っていかなければ行けないところにありますから。
彼についての私の強烈な記憶は何といっても数学の時間に「二等辺三角形の頂点と、底辺の中点を結んだ線は、底辺と垂直に交わる」ということの証明問題で、背理法を用いたこと。つまり、「二等辺三角形の頂点と底辺の中点を結んだ線が底辺と垂直に交わらないと仮定すると矛盾が起こる」ことを示して、「よって、垂直に交わる」という証明をしたことです。
「今の何。」という感じで、茫然としました。世の中にはなんて頭のいい人がいるのだろうと。
そのことを話したら、「いやな奴だったでしょう。」との返事。
まったくそんなことなかったし、そんなこと思った級友もいないはず。ただただ、「すごいなー。」と思っただけです。40年たっても鮮明に覚えているのですから、どれほどインパクトが強かったかわかります。彼にそう伝えたのですが、「ほんとにいやな奴だったと思いますよ。」との返事。ああ、この人も思うところあって同窓会に来ていたのだと、すっかり親近感がわきました。私にとってはほとんど学問への目覚めのような出来事だったのに、相手の記憶は違っていた。自分の認識と他者の認識は絶えずずれるのだということを強く意識した出来事です。
この方ともクラスが一緒だったのは1年間だけで、高校も違いましたから本当に40年ぶりの再会でした。今思い出してもあの頃は勉強が本当に楽しかったなあ。いずれにしても、ただ面白いから、純粋に知りたいから勉強するという気持ちだけに駆動されていた中学時代の学業との向き合いは、こういう級友すべての方々との幸福な出会いなくしてありえなかったということを深く悟ったことでした。
2016年6月1日水曜日
「紅春 87」
恒例の三種混合ワクチン接種の季節です。上京する日の前日、いつもの動物病院につれていったのですが、りくにとっては病院は鼻の出来物の切除とか、例のパニック症状の治療(これは別の病院でしたが)とか、楽しいところではないので、待合室では落ち着かない様子でした。20分ほど待って、「りくちゃん、どうぞ。」の声で中へ。
体重測定、体温検診、問診、そして嫌いなワクチン注射。獣医師、インターンらしい獣医見習い、女性の助手、飼い主の二人と、人間5人がかりで囲まれての診察でした。がっかりしたのは体重が500gほど減っており9kgそこそこ、「これ以上減らないようにしてください。」と言われました。深いため息です。食が細い犬、おいしいものしか食べない我儘犬はどうしたらいいのか、いつも頼んで食べてもらっている感じなのです。その後、奥の部屋でフィラリア検診の注射を受けて終了でしたが、フィラリアの結果を待つ間、りくの猛烈な「もう帰ろう」アピールのせいで、待合室の方が涼しいのにしかたなく外で遊ばせていました。フィラリアは陰性、詳しい血液検査の結果は後で送られてくることになっています。
家に帰ってどっと疲れ、りくと一休みしました。少しして獣医師の言葉を思い出し、
「りく、ちょっと食べてみようか。ちゃんと食べないと駄目なんだよ。」と、
朝食べ残した食事を少し手のひらにのせてあげてみたら食べる。そのやり方を繰り返して全部食べました。いつもそううまくいくわけではないでしょうが、お皿では食べないが手のひらからなら食べる・・・。くっ、こんな箱入りではどうしたらよいのか。父が過保護に育ててしまったのか(グルメ犬にしたのは間違いない)、それとも他の家族が甘やかしたのか、・・。反省はするが今更どうしようもない。
毎年のことですが、、その後注射の影響でりくは不調な様子でした。背中に触ると注射したあたりだったのかキャン鳴きが出て、また兄との散歩でも綱を引いた時キャン鳴きが出たとのことで、とにかくゆっくり寝せました。昨年のパニック症状が出たらどうしようかと怖くなりましたが、眠ったあとのりくはすっかり回復し、いつものりくに戻っていたのでほっとしました。それにしてもちょっと医者に行っただけでこの騒ぎ、このか弱さでは・・・と思うと、また深いため息が出ます。
体重測定、体温検診、問診、そして嫌いなワクチン注射。獣医師、インターンらしい獣医見習い、女性の助手、飼い主の二人と、人間5人がかりで囲まれての診察でした。がっかりしたのは体重が500gほど減っており9kgそこそこ、「これ以上減らないようにしてください。」と言われました。深いため息です。食が細い犬、おいしいものしか食べない我儘犬はどうしたらいいのか、いつも頼んで食べてもらっている感じなのです。その後、奥の部屋でフィラリア検診の注射を受けて終了でしたが、フィラリアの結果を待つ間、りくの猛烈な「もう帰ろう」アピールのせいで、待合室の方が涼しいのにしかたなく外で遊ばせていました。フィラリアは陰性、詳しい血液検査の結果は後で送られてくることになっています。
家に帰ってどっと疲れ、りくと一休みしました。少しして獣医師の言葉を思い出し、
「りく、ちょっと食べてみようか。ちゃんと食べないと駄目なんだよ。」と、
朝食べ残した食事を少し手のひらにのせてあげてみたら食べる。そのやり方を繰り返して全部食べました。いつもそううまくいくわけではないでしょうが、お皿では食べないが手のひらからなら食べる・・・。くっ、こんな箱入りではどうしたらよいのか。父が過保護に育ててしまったのか(グルメ犬にしたのは間違いない)、それとも他の家族が甘やかしたのか、・・。反省はするが今更どうしようもない。
毎年のことですが、、その後注射の影響でりくは不調な様子でした。背中に触ると注射したあたりだったのかキャン鳴きが出て、また兄との散歩でも綱を引いた時キャン鳴きが出たとのことで、とにかくゆっくり寝せました。昨年のパニック症状が出たらどうしようかと怖くなりましたが、眠ったあとのりくはすっかり回復し、いつものりくに戻っていたのでほっとしました。それにしてもちょっと医者に行っただけでこの騒ぎ、このか弱さでは・・・と思うと、また深いため息が出ます。
2016年5月30日月曜日
「IT機器は苦手でも」
IT機器のトラブルは時に全くお手上げで泣きたくなるようなことが多いですが、ここ10日くらいで種類の違う幾つかのトラブルに見舞われました。
1. パソコンが立ち上がらない
スリープ状態にして開けたら、ずっと画面が真っ暗なまま、どのキーを押しても変化がなかったので、強制終了したのがいけなかったらしい。でもほかにどうすればよかったのか。その後、いくら電源を入れてもスタートアップせず、自動修復させようにも「システムのヴァージョンが違います」という表示でそれもできず、途方に暮れました。サポートセンターに電話しましたがつながりゃしない。ただウィンドウズ10へのヴァージョンアップに関するトラブルの案内を流していたのでピンときました。以前パソコンを修理してもらった工場に電話したら、半年も前のことなのに親身に相談にのってくれ、やはり機械的な故障ではないと確信しました。また初期化するしかないかとがっくりしましたが、それで駄目なら工場で見てくれるという心強い言葉に励まされ、初期化に取り掛かりました。その時。ウィンドウズのバージョンに関する項目を見つけ、「ええい、、ままよ」とウィンドウズ10にしてみたらなんと使える画面に立ち上がったではありませんか。やはりこのことが何らかの悪さを及ぼしていたとしか思えない。パソコンが立ち上がったのでインターネットで調べると一か月以内なら元のバージョンへ戻せるということがわかり、すぐ実施。完全に元に戻ったときは信じられないほどでした。丸二日くらいかかる初期化を覚悟していたのでなんとうれしかったことか。と同時に、ウィンドウズ10へのヴァージョンアップを常に押しつけがましく告げてくる案内に猛烈に腹が立ちました。「私の時間と労力を返せ~」と、ビル・ゲイツに叫びたい気持ちです。
2. メールが届かない
電子メールでやりとりできたら楽だなと思い、別の友人にアドレスを聞いてメールを送ったのですが、送れない。もちろんこれまでもそういうことはありましたが、今回は「その友人からは送れる」という点と、「システムエラーのレポートがほとんど送った瞬間に来る」という点、および「空(カラ)メールを送ってもらいそれに返信するという形でもエラーになる」という点で、今までと違うケースでした。友人からは問題なく送れているのだから私のサーバーの問題かと思い、すぐに解決することは望めないのでその時は手紙にしました。この時、メールと手紙ではどれほど手間が違うかを実感し、また現在の感覚では手紙は大げさすぎるということもあるなと考えて、再びトライ。
どうもアドレスの@の前にピリオドがあるのがいけないらしいと感じましたが、ピリオドを取ればいいという話ではありません。いろいろ調べてみると、前半部分、@の前までを” ”(ダブルクォーテーション)で囲むと遅れる場合もあるとわかりました。やってみると大正解。新しい機種では囲まなくても送れるらしく、この問題の全部が腑に落ちました。ただ、問題はやはりもらったメールにそのまま返信できないことで、「了解しました」とか「ありがとう」とかの一言でもやはり新規メールにして送らなければならないことくらいです。
3. プリンターで黒字のみが印刷できない
これは上記に関連して手紙を作成した時起きた問題で、この日は何をやってもうまくいかない呪われた日でした。カラーでの印刷はできているのでこんなことってあるのかなという感じでした。ブラックのインクは減っているとはいえま使える程度はありますし、以前視覚障碍者が白黒反転させた画面で文書を作成した時、何かの手違いで文字が白の設定になり、白い紙に白い文字で印刷したため見えなかったという話を思い出しましたが、もちろんそのケースでもありません。その時はしかたなく、黒字のところを濃い青に変えて印刷しました。
しかし、プリンターをこのままというわけにはいきません。ノズルチェックパターンを印刷してみましたが、見事に黒が出ていない。修理に出すしかないと調べたところ、なんと古い機種のためもう修理期間は終了しており、修理にさえ出せないことがわかりました。となれば新たに購入するしかないので、壊れてもいいから自分でできるところまで修理してみることにしました。
ネットにはあらゆることが載っているもので、インクを取ってヘッドをり外しクリーニング溶剤を用いて目詰まりを溶かすという方法が見つかりました。太いブラックインクは顔料で、その他は染料だということもわかりました。しかし動画があってもこの方法はとてもできない。ヘッドを取り出すだけでも壊れそうと思いあきらめ、もう少し自分にできそうな方法を試みてそれで駄目なら購入を決意しました。すなわち最後にヘッドクリーニングおよび強力ヘッドクリーニングをかけ、ブラックインクを新しいものにし、念のためもう一度ノズルチェックパターンを出してみたら、なんと黒も印刷されているではありませんか。恐る恐る黒字の文書を印刷したらちゃんと出ている!修復したのです。やったーという感じでした。なお、プリンターは使用しなくても10日に一度くらい電源を入れた方がよいようなことを知らされました。この点では、不在でない時はスキャナーとしていつも使っているのでこれが吉と出たのかもしれません。
こうしてトラブル続きで大変だった10日間でしたが、何とか乗り越えられたことで、どうも変な自信がついたようです。試行錯誤の末今回学んだのは、とにかく知ってる人に聞く、わからなくても諦めずにしつこく調べる、無理はせず自分でできる程度のことをやってみる、以上三点です。
1. パソコンが立ち上がらない
スリープ状態にして開けたら、ずっと画面が真っ暗なまま、どのキーを押しても変化がなかったので、強制終了したのがいけなかったらしい。でもほかにどうすればよかったのか。その後、いくら電源を入れてもスタートアップせず、自動修復させようにも「システムのヴァージョンが違います」という表示でそれもできず、途方に暮れました。サポートセンターに電話しましたがつながりゃしない。ただウィンドウズ10へのヴァージョンアップに関するトラブルの案内を流していたのでピンときました。以前パソコンを修理してもらった工場に電話したら、半年も前のことなのに親身に相談にのってくれ、やはり機械的な故障ではないと確信しました。また初期化するしかないかとがっくりしましたが、それで駄目なら工場で見てくれるという心強い言葉に励まされ、初期化に取り掛かりました。その時。ウィンドウズのバージョンに関する項目を見つけ、「ええい、、ままよ」とウィンドウズ10にしてみたらなんと使える画面に立ち上がったではありませんか。やはりこのことが何らかの悪さを及ぼしていたとしか思えない。パソコンが立ち上がったのでインターネットで調べると一か月以内なら元のバージョンへ戻せるということがわかり、すぐ実施。完全に元に戻ったときは信じられないほどでした。丸二日くらいかかる初期化を覚悟していたのでなんとうれしかったことか。と同時に、ウィンドウズ10へのヴァージョンアップを常に押しつけがましく告げてくる案内に猛烈に腹が立ちました。「私の時間と労力を返せ~」と、ビル・ゲイツに叫びたい気持ちです。
2. メールが届かない
電子メールでやりとりできたら楽だなと思い、別の友人にアドレスを聞いてメールを送ったのですが、送れない。もちろんこれまでもそういうことはありましたが、今回は「その友人からは送れる」という点と、「システムエラーのレポートがほとんど送った瞬間に来る」という点、および「空(カラ)メールを送ってもらいそれに返信するという形でもエラーになる」という点で、今までと違うケースでした。友人からは問題なく送れているのだから私のサーバーの問題かと思い、すぐに解決することは望めないのでその時は手紙にしました。この時、メールと手紙ではどれほど手間が違うかを実感し、また現在の感覚では手紙は大げさすぎるということもあるなと考えて、再びトライ。
どうもアドレスの@の前にピリオドがあるのがいけないらしいと感じましたが、ピリオドを取ればいいという話ではありません。いろいろ調べてみると、前半部分、@の前までを” ”(ダブルクォーテーション)で囲むと遅れる場合もあるとわかりました。やってみると大正解。新しい機種では囲まなくても送れるらしく、この問題の全部が腑に落ちました。ただ、問題はやはりもらったメールにそのまま返信できないことで、「了解しました」とか「ありがとう」とかの一言でもやはり新規メールにして送らなければならないことくらいです。
3. プリンターで黒字のみが印刷できない
これは上記に関連して手紙を作成した時起きた問題で、この日は何をやってもうまくいかない呪われた日でした。カラーでの印刷はできているのでこんなことってあるのかなという感じでした。ブラックのインクは減っているとはいえま使える程度はありますし、以前視覚障碍者が白黒反転させた画面で文書を作成した時、何かの手違いで文字が白の設定になり、白い紙に白い文字で印刷したため見えなかったという話を思い出しましたが、もちろんそのケースでもありません。その時はしかたなく、黒字のところを濃い青に変えて印刷しました。
しかし、プリンターをこのままというわけにはいきません。ノズルチェックパターンを印刷してみましたが、見事に黒が出ていない。修理に出すしかないと調べたところ、なんと古い機種のためもう修理期間は終了しており、修理にさえ出せないことがわかりました。となれば新たに購入するしかないので、壊れてもいいから自分でできるところまで修理してみることにしました。
ネットにはあらゆることが載っているもので、インクを取ってヘッドをり外しクリーニング溶剤を用いて目詰まりを溶かすという方法が見つかりました。太いブラックインクは顔料で、その他は染料だということもわかりました。しかし動画があってもこの方法はとてもできない。ヘッドを取り出すだけでも壊れそうと思いあきらめ、もう少し自分にできそうな方法を試みてそれで駄目なら購入を決意しました。すなわち最後にヘッドクリーニングおよび強力ヘッドクリーニングをかけ、ブラックインクを新しいものにし、念のためもう一度ノズルチェックパターンを出してみたら、なんと黒も印刷されているではありませんか。恐る恐る黒字の文書を印刷したらちゃんと出ている!修復したのです。やったーという感じでした。なお、プリンターは使用しなくても10日に一度くらい電源を入れた方がよいようなことを知らされました。この点では、不在でない時はスキャナーとしていつも使っているのでこれが吉と出たのかもしれません。
こうしてトラブル続きで大変だった10日間でしたが、何とか乗り越えられたことで、どうも変な自信がついたようです。試行錯誤の末今回学んだのは、とにかく知ってる人に聞く、わからなくても諦めずにしつこく調べる、無理はせず自分でできる程度のことをやってみる、以上三点です。
2016年5月28日土曜日
「栄養だけじゃない食物摂取」
栄養や食品についての関心は一段落していたのですが、最近再びこの案件が浮かび上がってきました。まっさらな状態で健康によい食品について考えるなら事は簡単で、あらゆる食品を満遍なくとればよいのですが、年を重ねるとそうもいかず健康上注意すべきことがわかってきます。また最近は、糖質、脂質、タンパク質、ミネラル、ビタミンからなるいわゆる5大栄養素以外にも、第六の食物繊維、そして第七のファイトケミカルについても大いに考慮する必要があります。さらに個人の健康状態によって考えなければならない変数が増えるので、単純には済まないのです。
たとえば、鉄が不足しがちだからレバーなどを食べるのは、プリン体の多い食品を避けなければいけない人には不正解。やはりひじきやゴマ、小松菜、アーモンド、プルーンあたりから摂るのがよいということになります。またDHAやEPAの多い優良食品として特に青魚がよく知られていますが、これもプリン体の多い食品を避けなければいけない人は考えどころです。まずイワシはあきらめるにしても、カツオもとなると少々つらい。しかしよく調べると、カツオやマグロのような回遊魚は乳酸の分解を促すアンセリンというペプチドを含有し、これによって尿酸の生成を防げるのなら、多少プリン体が多くてもそれを減殺する効果がありそうです。アンセリンは水溶性で熱にも強いというようなことも覚えておく必要があります。食品の持つ有効成分の絡み合いは実に複雑だと感心します。
ファイトケミカルに関しては、「植物ってえらいなー」の一言です。ほぼ全ての野菜・果物が含有するこの様々な有効成分が、過酷な環境から移動できない身を守るための自己防衛物質であると知れば、「ありがたくいただきます」と手を合わせたくなる気持ちです。ビタミン的にいかにも強そうな緑黄色野菜ばかりでなく、またいかにも薬効成分のありそうなねぎ・にんにく・しょうがのような野菜だけでなく、大根やキャベツといったごく普通に毎日食べる野菜にも必ずあるのがうれしいです。果物はだいたい何でも好きなのでよく食べますが、今回あらためて見直したのはバナナのすごさです。バナナには、白血球の3要素であるマクロファージ、顆粒球、リンパ球を増やす効果があり、またうつ防止に不可欠のセロトニンを生成する原料としての、トリプトファン、ビタミンB6、マグネシウムが同時にとれてしまうという優れた食材です。元気の源と再認識しました。
さて、どんなに健康にいいとわかっても、食品の取り方を工夫しないとおいしく食べて長続きというわけにはいきません。調理の仕方も大事で、たとえば、にんじん、きゅうり、かぼちゃ、りんごなどに含まれるアスコロビナーゼという酵素は、ビタミンCを酸化すなわち破壊するのですが、酸や熱を加えればその酵素の働きを抑えることができます。それぞれ単体で食べるなら問題ありませんが、ビタミンCの多い野菜と組み合わせてしかも生でたべる場合は工夫が必要です。かぼちゃは普通加熱して食べるしにんじんも加熱する場合はそれでよいのですが、きゅうりやにんじんを生で食べるときは酢と合わせるのがよいことになります。付け合せの紅白なますやきゅうりの三杯酢は理にかなった調理法で、昔の人はすごいなと思います。
自分なりに調理法を大別しているのは
1、そのまま食べてもおいしいもの(あるいはそのまま食べた方がいいもの)、
2.軽く熱を加えただけの調理で素材の味をそのまま生かしたいもの、
3.そのまま又は加熱して酢でしめるもの、
4.そのままでは食べづらいのでミルサーにかけて粉末にしていただくもの、
5.蒸して又はゆでてつぶして餡状にしておくもの、
6.具材を合わせて普通に炒める又は煮るもの
などで、これら様々なパターンをうまく組み合わせて食事を作っています。
栄養のことを学んだらすっかり試してみたくなり、しばらくスーパー通いとなりました。今、冷蔵庫や食品保管場所には保存用のパックに入った大量の調理品が並んでいます。実際に食べてみて摂取方法を改善していきたいのですが、人間が一日に食べられる量には限度がありますから、この企画が一段落するにはかなり時間がかかりそうです。
たとえば、鉄が不足しがちだからレバーなどを食べるのは、プリン体の多い食品を避けなければいけない人には不正解。やはりひじきやゴマ、小松菜、アーモンド、プルーンあたりから摂るのがよいということになります。またDHAやEPAの多い優良食品として特に青魚がよく知られていますが、これもプリン体の多い食品を避けなければいけない人は考えどころです。まずイワシはあきらめるにしても、カツオもとなると少々つらい。しかしよく調べると、カツオやマグロのような回遊魚は乳酸の分解を促すアンセリンというペプチドを含有し、これによって尿酸の生成を防げるのなら、多少プリン体が多くてもそれを減殺する効果がありそうです。アンセリンは水溶性で熱にも強いというようなことも覚えておく必要があります。食品の持つ有効成分の絡み合いは実に複雑だと感心します。
ファイトケミカルに関しては、「植物ってえらいなー」の一言です。ほぼ全ての野菜・果物が含有するこの様々な有効成分が、過酷な環境から移動できない身を守るための自己防衛物質であると知れば、「ありがたくいただきます」と手を合わせたくなる気持ちです。ビタミン的にいかにも強そうな緑黄色野菜ばかりでなく、またいかにも薬効成分のありそうなねぎ・にんにく・しょうがのような野菜だけでなく、大根やキャベツといったごく普通に毎日食べる野菜にも必ずあるのがうれしいです。果物はだいたい何でも好きなのでよく食べますが、今回あらためて見直したのはバナナのすごさです。バナナには、白血球の3要素であるマクロファージ、顆粒球、リンパ球を増やす効果があり、またうつ防止に不可欠のセロトニンを生成する原料としての、トリプトファン、ビタミンB6、マグネシウムが同時にとれてしまうという優れた食材です。元気の源と再認識しました。
さて、どんなに健康にいいとわかっても、食品の取り方を工夫しないとおいしく食べて長続きというわけにはいきません。調理の仕方も大事で、たとえば、にんじん、きゅうり、かぼちゃ、りんごなどに含まれるアスコロビナーゼという酵素は、ビタミンCを酸化すなわち破壊するのですが、酸や熱を加えればその酵素の働きを抑えることができます。それぞれ単体で食べるなら問題ありませんが、ビタミンCの多い野菜と組み合わせてしかも生でたべる場合は工夫が必要です。かぼちゃは普通加熱して食べるしにんじんも加熱する場合はそれでよいのですが、きゅうりやにんじんを生で食べるときは酢と合わせるのがよいことになります。付け合せの紅白なますやきゅうりの三杯酢は理にかなった調理法で、昔の人はすごいなと思います。
自分なりに調理法を大別しているのは
1、そのまま食べてもおいしいもの(あるいはそのまま食べた方がいいもの)、
2.軽く熱を加えただけの調理で素材の味をそのまま生かしたいもの、
3.そのまま又は加熱して酢でしめるもの、
4.そのままでは食べづらいのでミルサーにかけて粉末にしていただくもの、
5.蒸して又はゆでてつぶして餡状にしておくもの、
6.具材を合わせて普通に炒める又は煮るもの
などで、これら様々なパターンをうまく組み合わせて食事を作っています。
栄養のことを学んだらすっかり試してみたくなり、しばらくスーパー通いとなりました。今、冷蔵庫や食品保管場所には保存用のパックに入った大量の調理品が並んでいます。実際に食べてみて摂取方法を改善していきたいのですが、人間が一日に食べられる量には限度がありますから、この企画が一段落するにはかなり時間がかかりそうです。
2016年5月24日火曜日
「合同クラス会」
先日40年ぶりに中学時代の同窓会がありました。まだ現役でお忙しい方や老親の看護・介護で手が離せない方も多い中、半分近く集まれたというのはたいしたものです。実際、発起人の一人も急に来られなくなりましたが、急遽司会を頼まれた方(テレビにも出ているマドンナです!)がこころよく引き受けてくれて和やかな会でした。ただ先生がどなたも来られなかったのが、しかたのないこととはいえとても残念でした。お年を召されお疲れもあるでしょうし、いろいろお考えになってのことだと思います。その気持ちはとてもよくわかります。
中学時代といえば生き恥をさらしていた時期であり、十代から二十代前半にかけては人生で最も人づきあいが下手だった時期でもあり、私はほとんどお詫び行脚のような気持ちで参加したのですが、会わなかった月日の長さが、あんなことこんなことのすべてを水に流してくれました。私たちはあと30年もすればおおかた消えているのです。同じクラスの人はもちろん、これまであまり話せなかった方々とも、また小学校も一緒だった方々ともわだかまりなく話ができて、大人になって本当によかったと思いました。地元に根ざして立派になられている方、両親が亡くなって福島を引き払った方、お互いの立場や状況は様々ですがもう関係ありません。お互いをあだ名や君・ちゃん付けで呼べる人など他にはいません。
「今思うと、親はえらかったね。」とか、
「もう、この年なのだから、やりたいことをして、会いたい人に会っておかないとね。」とか、いろいろ話しましたが、各クラス幾名かの逝去者がすでにいるのは受け止めなければならない事実です。
居所不明者を次回還暦の年までにできる限り探そうという呼びかけと「集いの歌」斉唱で会が終了しました。昔からスパルタ的極端さが目立つ中学でしたが、予想にたがわずこの同窓会も会場貸切4時間というすごいものになりました。それでもまだまだ話せていない、話が聞けていない人がいたのが本当に残念です。発起人の方々に心から感謝し、またみんなの健康と幸福を心から願って会を後にしました。
中学時代といえば生き恥をさらしていた時期であり、十代から二十代前半にかけては人生で最も人づきあいが下手だった時期でもあり、私はほとんどお詫び行脚のような気持ちで参加したのですが、会わなかった月日の長さが、あんなことこんなことのすべてを水に流してくれました。私たちはあと30年もすればおおかた消えているのです。同じクラスの人はもちろん、これまであまり話せなかった方々とも、また小学校も一緒だった方々ともわだかまりなく話ができて、大人になって本当によかったと思いました。地元に根ざして立派になられている方、両親が亡くなって福島を引き払った方、お互いの立場や状況は様々ですがもう関係ありません。お互いをあだ名や君・ちゃん付けで呼べる人など他にはいません。
「今思うと、親はえらかったね。」とか、
「もう、この年なのだから、やりたいことをして、会いたい人に会っておかないとね。」とか、いろいろ話しましたが、各クラス幾名かの逝去者がすでにいるのは受け止めなければならない事実です。
居所不明者を次回還暦の年までにできる限り探そうという呼びかけと「集いの歌」斉唱で会が終了しました。昔からスパルタ的極端さが目立つ中学でしたが、予想にたがわずこの同窓会も会場貸切4時間というすごいものになりました。それでもまだまだ話せていない、話が聞けていない人がいたのが本当に残念です。発起人の方々に心から感謝し、またみんなの健康と幸福を心から願って会を後にしました。
2016年5月19日木曜日
「文学部に行く意味」
私が学生生活を送っていた頃はのんきでよい時代でした。その後、大学から文学部がどんどん消えていった印象がありますが、今はどうなのでしょう。少なくともただ「好きだから」という理由で将来の見通しもなく文学部に行くという高校生はもうほとんどいないのではないかと思います。「それが何の役に立つの?」とか「将来何になるの?」とか聞かれたら沈黙するしかない。そんな問いにすらすら答えられるような人は、大学で文学をやりたいなどと思わないでしょう。
私はヘンリー・ジェームズで卒論を書いたことを覚えていましたが、英米文学史上では周辺的な人ですし、先生の話ではその数年前頃から卒論のテーマに選ばれる文学者の傾向が変わってきて、サリンジャーが4人、シェークスピアがゼロという年もあったと嘆いておられたので、選択を誤ったかしらと漠然と思っていました。自分でもよくわからないけれど、なんだかマイナーな作家で卒論書いてしまったなと思い、それきり卒論のことはまったく記憶に上ることはなかったのです。
ところがつい先日、まったく唐突に、卒論のことが頭に浮かんだのです。思い出したのは、学部の図書館に通って彼の手紙類をかなり読んだこと、「あらゆる点で屈折しているけれど、書くならこの人だな。」と思ったことです。屈折の一つの原因はおそらく、彼の目から見て荒涼としたアメリカ社会を描くには、彼の文体は豊穣過ぎたためだろうと思います。どれほどヨーロッパ社会に慣れ親しみ最後はイギリスに帰化までしても、またその有り余る筆力でどれほど巧妙にヨーロッパ社会を描いたとしてもアメリカ人作家と分類されてしまう何かを持っており、アメリカにもヨーロッパにも居場所を見つけられない彼に、同情を禁じ得なかったのです。
題材として取り上げた作品は、「ある貴婦人の肖像( The Portrait of a Lady )」でした。読んだはずなのに筋を覚えておらず、「自由闊達なアメリカ娘が老成したヨーロッパ人との付き合いに苦労する話だっけ。話の全編を貫く結婚問題があったな。最後はアメリカ人らしい終わり方だったような・・・」という、まことに曖昧模糊とした記憶しかなく、さらに「なんでこの作品で書いたんだっけ。たぶん、代表作と言われる『デイジー・ミラー』には全く関心が持てず、後期の作品は手に負えそうになかったからだな。」と、それさえ明確に思い出せなかったのです。とりあえず、Gutenbergで部分的に読み返してみたところ、もう驚倒しました。なんとこれはある意味モラハラの話ではありませんか。当時の私にとってヘンリー・ジェームズのよいところは宗教性が薄いということだったのですが、素直で闊達なアメリカ的心性をもった主人公が、開放された人間性あふれる社会に惹きつけられながら、何かしら邪悪なものにからめ捕られていく様が見事ではあるが痛々しい。しかし、自分が誤ったことを彼女は認めて受け入れ、自分を心底愛していた従弟を死の床に見舞った後、以前から自分に好意を示していたアメリカ人実業家を振り切り、決然として再び伏魔殿に向かうのです。理由は明示されていませんし様々な解釈をゆるすのでしょうが、私には「闘うため」以外であるとは思えません。
三十年ぶりにこの話と再会してうなってしまいました。あの時、なぜかわからないまま選んで卒論を書いてしまった作家と作品の意味が、今頃になってわかるとは。当時、何が自分の心に引っかかっていたのかがわかっただけでなく、それは今現在も同じく自分の関心事なのだということを思い知ったからです。それは、非常にかすかな、人によってはそうは呼ばないかもしれない類の「人間の邪悪さ」だったのです。もしこのことが一貫して無意識にでも私の中にあったとしたなら、それだけで卒論を書いた意味はあったのです。私がこれまで様々な失敗や過ちをしながらも、この点に関してはそれを逃れて、広々とした心持ちの連れ合いに出会えたのは偶然ではなかったのだと得心がいきました。今更ながら文学部に行ってよかったと思います。
私はヘンリー・ジェームズで卒論を書いたことを覚えていましたが、英米文学史上では周辺的な人ですし、先生の話ではその数年前頃から卒論のテーマに選ばれる文学者の傾向が変わってきて、サリンジャーが4人、シェークスピアがゼロという年もあったと嘆いておられたので、選択を誤ったかしらと漠然と思っていました。自分でもよくわからないけれど、なんだかマイナーな作家で卒論書いてしまったなと思い、それきり卒論のことはまったく記憶に上ることはなかったのです。
ところがつい先日、まったく唐突に、卒論のことが頭に浮かんだのです。思い出したのは、学部の図書館に通って彼の手紙類をかなり読んだこと、「あらゆる点で屈折しているけれど、書くならこの人だな。」と思ったことです。屈折の一つの原因はおそらく、彼の目から見て荒涼としたアメリカ社会を描くには、彼の文体は豊穣過ぎたためだろうと思います。どれほどヨーロッパ社会に慣れ親しみ最後はイギリスに帰化までしても、またその有り余る筆力でどれほど巧妙にヨーロッパ社会を描いたとしてもアメリカ人作家と分類されてしまう何かを持っており、アメリカにもヨーロッパにも居場所を見つけられない彼に、同情を禁じ得なかったのです。
題材として取り上げた作品は、「ある貴婦人の肖像( The Portrait of a Lady )」でした。読んだはずなのに筋を覚えておらず、「自由闊達なアメリカ娘が老成したヨーロッパ人との付き合いに苦労する話だっけ。話の全編を貫く結婚問題があったな。最後はアメリカ人らしい終わり方だったような・・・」という、まことに曖昧模糊とした記憶しかなく、さらに「なんでこの作品で書いたんだっけ。たぶん、代表作と言われる『デイジー・ミラー』には全く関心が持てず、後期の作品は手に負えそうになかったからだな。」と、それさえ明確に思い出せなかったのです。とりあえず、Gutenbergで部分的に読み返してみたところ、もう驚倒しました。なんとこれはある意味モラハラの話ではありませんか。当時の私にとってヘンリー・ジェームズのよいところは宗教性が薄いということだったのですが、素直で闊達なアメリカ的心性をもった主人公が、開放された人間性あふれる社会に惹きつけられながら、何かしら邪悪なものにからめ捕られていく様が見事ではあるが痛々しい。しかし、自分が誤ったことを彼女は認めて受け入れ、自分を心底愛していた従弟を死の床に見舞った後、以前から自分に好意を示していたアメリカ人実業家を振り切り、決然として再び伏魔殿に向かうのです。理由は明示されていませんし様々な解釈をゆるすのでしょうが、私には「闘うため」以外であるとは思えません。
三十年ぶりにこの話と再会してうなってしまいました。あの時、なぜかわからないまま選んで卒論を書いてしまった作家と作品の意味が、今頃になってわかるとは。当時、何が自分の心に引っかかっていたのかがわかっただけでなく、それは今現在も同じく自分の関心事なのだということを思い知ったからです。それは、非常にかすかな、人によってはそうは呼ばないかもしれない類の「人間の邪悪さ」だったのです。もしこのことが一貫して無意識にでも私の中にあったとしたなら、それだけで卒論を書いた意味はあったのです。私がこれまで様々な失敗や過ちをしながらも、この点に関してはそれを逃れて、広々とした心持ちの連れ合いに出会えたのは偶然ではなかったのだと得心がいきました。今更ながら文学部に行ってよかったと思います。
2016年5月15日日曜日
「紅春 86」
今年の冬から春にかけての寒暖の変化は異常でした。おかげでりくも私もひどい目にあいました。1月から抜け毛が始まったかと思うと断続的に4か月続き、5月半ばになってもまだまだ終わる気配がありません。脚のもものところはニッカーボッカーのように膨らんで、飛び出した下毛を引っ張るとごそっと抜けます。首回りもまだモコモコで毛の飛び出し方が半端ではありません。お風呂に入れた後の抜け毛がが最も悲惨でもうお手上げです。羊のように毛刈りしたいくらいです。最近気づいたのは頭頂の毛の抜け替わりで、ハゲみたいでなんだか笑えます。でもこれ、どう見てもハート型でしょ。脱毛するにしてもハート型っていうのがりくなんだなあ。
2016年5月12日木曜日
「麗ちゃんのこと」
中学時代の級友で多くの時間を共に過ごした友人がいました。大人になってからも年賀状のやりとりはあったのですが、やがてそれも途絶えて20年近くたちました。その間、時々は思い出していましたが忙しさに紛れてそのままになっていました。連絡をとろうにも、彼女は郵便局に住所変更届を出していなかったのでそのすべもありませんでした。まだ携帯電話も普及していなかった頃です。
ほとんど似たところがない人とでも友達になれるのは子供の特権です。彼女は明るく外交的な人でいつも多くの友人に囲まれており、面白くて一緒にいると元気が出ました。活発で運動が得意な反面、思索好きな文学少女でもありました。私がソフトボール部と文芸クラブに入っていたのは、彼女の気さくさにひかれるところが大きかったのです。日曜の朝に荒川グランド、通称夢の島でソフトボールの練習をしたり、やなせたかしが監修していた「詩とメルヘン」をよく貸してくれたっけ。中学3年間は同じクラスだったし、教会でも時々一緒でした。高校ではクラスが違ってしまってあまり親しくする機会がなくなりとても残念な思いをしました。鮮明に覚えているのは中学の時お父さんが亡くなったこと。あれはつらかった。かける言葉がなかった。もう一つ覚えているのは、いつだったか、「生まれ来る子供たちのために」というオフコースの歌について、「これってイエス様のことなのかな。どう思う。」と訊かれ、「そんなふうにとれるけど、どうなんだろうね。」などと話したこと。
大人になってから、一緒にもう一人の友人の家に遊びに行ったことがあり、何年もあっていなかったけれど中学時代と同じ口調で仕事や近況について話したことがありました。楽しかったな。でもそれが最後でした。
連絡がつかなくなったことはずっと心にかかっていたので、時間ができてから少し探してみましたが消息はわかりませんでした。別の友人から今年40年ぶりに中学の同窓会が行われるというメールが来て、その友人も麗ちゃんの消息を探していることを知ったので、もう一度本腰を入れて探し始めました。長い時がたち時代も変わったのです。インターネットというかつて私たちが手にしていなかった探索方法で探すうち、中学時代の同窓生かと思われる人のブログ上に麗ちゃんの名前が見つかりました。思い切ってメールしてみるとやはりそうでした。彼はひょんなことから、数年間麗ちゃんと電子年賀状のやりとりがあったとのこと。そして、麗ちゃんがもう数年前にがんで亡くなっていたことを知らされました。亡くなる何年か前に彼が受け取ったウェブ年賀状には、「父が亡くなった年を越えました。」と書いてあったそうです。
私は茫然とし、ひとしきり泣きました。もう会えないのだという事実に打ちのめされ、もっと早く探すべきだったと悔やみました。しかし探していく中で、彼女がかつて所属していたはずのところから何も情報が得られないことを考え合わせると、ひょっとしたら彼女は静かに消えようとしていたのではないかという疑念がきざし、心が騒ぎました。実際のところ、彼女の最期がどんなだったかわかりませんが、ホスピスに入って「もう誰にも会わない。」と宣言して亡くなったヘルベルトと同様、自分の最期の姿を見られずに静かに逝きたいという人がいることも今では理解できます。でも、この点に関しては本人と周囲の人の気持ちは見事にすれ違うのです。たとえ本人がそのような形で記憶に残りたくないと思うような状態になっていたとしても、私は会いたかった。ずっと離れていても、麗ちゃんは私の友達だったのだから。今はただ彼女が平安のうちにあることを祈るばかりです。
ほとんど似たところがない人とでも友達になれるのは子供の特権です。彼女は明るく外交的な人でいつも多くの友人に囲まれており、面白くて一緒にいると元気が出ました。活発で運動が得意な反面、思索好きな文学少女でもありました。私がソフトボール部と文芸クラブに入っていたのは、彼女の気さくさにひかれるところが大きかったのです。日曜の朝に荒川グランド、通称夢の島でソフトボールの練習をしたり、やなせたかしが監修していた「詩とメルヘン」をよく貸してくれたっけ。中学3年間は同じクラスだったし、教会でも時々一緒でした。高校ではクラスが違ってしまってあまり親しくする機会がなくなりとても残念な思いをしました。鮮明に覚えているのは中学の時お父さんが亡くなったこと。あれはつらかった。かける言葉がなかった。もう一つ覚えているのは、いつだったか、「生まれ来る子供たちのために」というオフコースの歌について、「これってイエス様のことなのかな。どう思う。」と訊かれ、「そんなふうにとれるけど、どうなんだろうね。」などと話したこと。
大人になってから、一緒にもう一人の友人の家に遊びに行ったことがあり、何年もあっていなかったけれど中学時代と同じ口調で仕事や近況について話したことがありました。楽しかったな。でもそれが最後でした。
連絡がつかなくなったことはずっと心にかかっていたので、時間ができてから少し探してみましたが消息はわかりませんでした。別の友人から今年40年ぶりに中学の同窓会が行われるというメールが来て、その友人も麗ちゃんの消息を探していることを知ったので、もう一度本腰を入れて探し始めました。長い時がたち時代も変わったのです。インターネットというかつて私たちが手にしていなかった探索方法で探すうち、中学時代の同窓生かと思われる人のブログ上に麗ちゃんの名前が見つかりました。思い切ってメールしてみるとやはりそうでした。彼はひょんなことから、数年間麗ちゃんと電子年賀状のやりとりがあったとのこと。そして、麗ちゃんがもう数年前にがんで亡くなっていたことを知らされました。亡くなる何年か前に彼が受け取ったウェブ年賀状には、「父が亡くなった年を越えました。」と書いてあったそうです。
私は茫然とし、ひとしきり泣きました。もう会えないのだという事実に打ちのめされ、もっと早く探すべきだったと悔やみました。しかし探していく中で、彼女がかつて所属していたはずのところから何も情報が得られないことを考え合わせると、ひょっとしたら彼女は静かに消えようとしていたのではないかという疑念がきざし、心が騒ぎました。実際のところ、彼女の最期がどんなだったかわかりませんが、ホスピスに入って「もう誰にも会わない。」と宣言して亡くなったヘルベルトと同様、自分の最期の姿を見られずに静かに逝きたいという人がいることも今では理解できます。でも、この点に関しては本人と周囲の人の気持ちは見事にすれ違うのです。たとえ本人がそのような形で記憶に残りたくないと思うような状態になっていたとしても、私は会いたかった。ずっと離れていても、麗ちゃんは私の友達だったのだから。今はただ彼女が平安のうちにあることを祈るばかりです。
2016年5月7日土曜日
「人格指標」
2009年6月に「障害者郵便制度悪用事件」で、大阪地方検察庁特別捜査部によって、虚偽公文書作成と行使の容疑で逮捕された女性厚労省官僚がいましたが、彼女を知る人は皆口をそろえて「彼女に限ってそんなことが絶対あるはずないと」言っていたことを知り、感銘を受けたのを覚えています。結局この事件は、担当した特捜部主任検事が証拠改竄を行っており、上司もそれを知りながら隠したとして犯人蔵匿の容疑で逮捕されるというとんでもない事態に発展し、社会に衝撃を与えました。このような場合に、周囲の人が「あの人も魔が差したのか」と思うのではなく、「あの人は絶対そんなことをする人ではない」と言われる人がどれだけいることかと考えると、この方は並はずれてすぐれた人格者だったのだろうと思います。
日々の生活の中で、仕事に関するものにせよそうでないにせよ、人間が自分一人でできることには限りがありますから、だれでも他人に何かを頼んだり頼まれたりして過ごしています。その時おそらくどの人も、「この案件はあの人に、こちらはあの方にお願いしよう。」と決めていくはずです。それは、想像ですが、相手の性格やこれまでの行動や振る舞い方、付き合いの深さなどから、瞬時に相手の顔が浮かぶことがほとんどでしょう。そういう人をどれだけ持っているかが生きていく時間の豊かさと大いに関係があると思います。特に借りがあるわけでもないのに、「あの方の頼みなら何とかして聞いて差し上げなければ。」と思う人もいますし、困った時に「あの人なら多少無理しても、きっと頼みを聞いてくれる。」と思う人もいます。それはどういうことなのでしょうか。
例えば社会で要職についている人でも、あってはならない事をしでかすといった事件が頻繁に報道されますが、取り返しのつかない事件を予測することはできるのでしょうか。事件が起こる前に信頼するに足る人を雇う方法があればいいと思う人がでてくるかもしれません。予想ですが、グローバル資本主義を信奉する人たちの間で将来的には人格の数値化が行われ、公にか隠れてか、流通するようになるのではないでしょうか。なにしろ数値化されたものしか信じられない方々です。人格指標にはいくつかの観点があり、(これは「高潔さ」「穏和性」「社交性」「思いやり」「公共心」「自尊心」「「知性」「柔軟性」「ユーモア」「強靭さ」「向上心」「積極性」等いくらでも増やせますが)、を5段階で評価し多角形のグラフにします。もちろん面積が多い方が人格指標の数値が高いことになります。これを見ると、「頭がよく人当たりもよいが、ずるいところがあり嫉妬深いので足をすくわれるかもしれない」とか、「明るく外交的で好奇心も強く、リーダーシップもとれるが、時にカッとして判断を誤る可能性がある」とか、「物静かで何を考えているかわからないが、周囲への目配りができ、コツコツと小さな仕事を積み上げて大きな達成を期待できる」等々がわかるかもしれず、また企業ごとに採用規定ができ、評定点の合計が高いに越したことはないが、「高潔さ」と「穏和性」だけは5でないと採用しないなどということが起きるかもしれません。こういったデータは、その人のこれまでの言動の集積や他の人がその人をどう見ているかに関わるビッグデータから解析されて作成され、人を雇う時にひそかに調べたり、提出を求めたりするようになるだろうと思います。人格指標は一社だけでなくいくつもの企業から出され、それぞれ違った評価を得るでしょう。
一見、人の信頼度がわかってよさそうな気がしますが、妨害するための情報が流されたり、旧東ドイツ並みのスパイ活動が行われたりしないとも限らない途方もない企てです。一旦数値化が始まるととどまるところなく一方向へ進むので、こんなものがあればとんでもないことになります。子供のころからこの数値を上げるための心理規制がかかりそれがどれだけ人格を捻じ曲げ、鬱屈した行き場のない恨みつらみが社会をゆがませるかと思うと恐ろしくなります。何より、人格指標の数値が低いとは学業成績が悪いとか年収が低いなどということとは桁違いに、立ち直れない打撃を人に与えることになるでしょう。
今の社会状況から決してありえないこととは言えない悪夢を仮想してみましたが、この指標には決定的な瑕疵があります。どれだけその人の言動に関するデータを集めてどのような人であるかある程度わかった気になっても、それが今後その人が何を行うかを担保するものではないということです。数値にそのような力はないからです。しかしその人と付き合いのある生身の人間ならこれができるのです。これは親しい人であればあるほどまずはずれることはないし、まれにはずれても、「私に人を見る目がなかった。」だけのことだと納得できます。テレビのインタビューで、友達3人と会社を立ち上げた若者の一人が企業に就職しなかった理由を問われて、「こいつらとならやっていけると思った。こいつらに裏切られるのならそれでいいと思った。」と述べていましたが、これはけだし卓見で、その人を知らなければどんなに人格指標が高い人相手でも到底言えない言葉です。インターネット、とりわけSNSの発達により多くの人と知り合えるようになったことはある意味革命的なことですが、そこから発展的に本当にその人を知ること、そして人を見抜く力の涵養についての知見はいまだ見つかっていないように感じます。個人的にはまず人間の脆弱な心身への深い理解が必要で、顔と顔を合わせての付き合いが不可欠だと思っています。
2016年5月4日水曜日
「紅春 85」
父が亡くなってからうちに客人が見えることはほとんどなくなりましたが、それでも町内会関係やガス機器の点検等で人が来ることはあります。一番多いのは私が頼むネット通販の配送ですが、こういった人の来訪に関してはチャイムが鳴る前にほぼ100%察知することができます。りくが家の前に止まった車や足音を聞き分けて、吠えて知らせてくれるからです。ほんの数秒でも早めに誰かが来ることを知ることができると、何とはなしに心の準備ができるので思った以上に役に立ちます。
チャイムが鳴って廊下をいく時りくも必ず一緒についてきて、扉をあけて対応すると二、三回ワンワンしますが、この時は吠えると言っても喜んで吠えているのです。よく荷物を配達してくれるヤマトさんでは、想像ですがうちに柴犬がいることを知っておられるのではないかと思います。先日はいつもと違う青年が来ましたが、「あっ、この犬か・・・。」と小さな声で言ったので荷物の仕分け等をしながら話にのぼっているのかもしれません。それから、「触ってもいいですか。」と言ってりくをなでていきました。宅配の方には本当にお世話になっているので、「りく、あなたのご飯とおやつですよ。『いつもおいしいもの届けてくれてありがとう』って言ってください。」と挨拶させています。
チャイムが鳴って廊下をいく時りくも必ず一緒についてきて、扉をあけて対応すると二、三回ワンワンしますが、この時は吠えると言っても喜んで吠えているのです。よく荷物を配達してくれるヤマトさんでは、想像ですがうちに柴犬がいることを知っておられるのではないかと思います。先日はいつもと違う青年が来ましたが、「あっ、この犬か・・・。」と小さな声で言ったので荷物の仕分け等をしながら話にのぼっているのかもしれません。それから、「触ってもいいですか。」と言ってりくをなでていきました。宅配の方には本当にお世話になっているので、「りく、あなたのご飯とおやつですよ。『いつもおいしいもの届けてくれてありがとう』って言ってください。」と挨拶させています。
2016年4月30日土曜日
「あんしん居住制度」
人間の寿命は本人にはあずかり知らないものですが、ずっと心の重荷になっていたのは死んだ後の葬りと生前の居住空間の処理についてです。以前、やはり子供がいない友人とこの話になった時、「葬儀はいらない」および「死後何日も発見されないのは困る」という2点が一致した点でした。団塊の世代から後は高齢者施設に入れずあぶれる人が東京だけでも100万人とも言われているし、そうでなくても集団生活が無理な私には施設暮らしは耐えられそうにありません。この時は見つからなかった解決方法を先日叔母から教えていただきました。
それは東京都の外郭団体がやっている「あんしん居住制度」です。東京に住んでいることが条件なのですが、「見守り」、「葬儀」(葬式ではなくご遺体の火葬を指す用語)、「残存家財の片づけ」の中から契約(複数可)を結んでおくと、それぞれ安否の確認や緊急通報、なくなった場合のご遺体の搬送と火葬の実施、居住空間の家財の片づけをしてくれるというサービスです。これぞまさしく私が望んでいた解決でした。他の都道府県でもすでにあるかこれから整備されるか、いずれにしても必ず必要になる制度なのは確かでしょう。なかば公的な団体が行っているので安心ですし、何歳からでも契約できるというので、さっそく「見守り」以外の契約を済ませました。見守りは必要を感じたら契約に加えればよいし、友人同士でもある程度見守りし合えるだろうと思います。5年ごとに更新手数料はかかりますが、安心料と思えば安いものです。これで死ぬまで好きなものに囲まれた住まいで暮らせると思うと、逆説的ですが、安心してあと20年は生きられそうです。しかし、普通に歩いていても車が突っ込んできていつ死ぬかわからない時代です。離れたところに住んでいる兄になるべく迷惑をかけないようにできると思うとほっとします。唯一心配があるとすれば、必ず兄より先に死ななければということだけです。
それは東京都の外郭団体がやっている「あんしん居住制度」です。東京に住んでいることが条件なのですが、「見守り」、「葬儀」(葬式ではなくご遺体の火葬を指す用語)、「残存家財の片づけ」の中から契約(複数可)を結んでおくと、それぞれ安否の確認や緊急通報、なくなった場合のご遺体の搬送と火葬の実施、居住空間の家財の片づけをしてくれるというサービスです。これぞまさしく私が望んでいた解決でした。他の都道府県でもすでにあるかこれから整備されるか、いずれにしても必ず必要になる制度なのは確かでしょう。なかば公的な団体が行っているので安心ですし、何歳からでも契約できるというので、さっそく「見守り」以外の契約を済ませました。見守りは必要を感じたら契約に加えればよいし、友人同士でもある程度見守りし合えるだろうと思います。5年ごとに更新手数料はかかりますが、安心料と思えば安いものです。これで死ぬまで好きなものに囲まれた住まいで暮らせると思うと、逆説的ですが、安心してあと20年は生きられそうです。しかし、普通に歩いていても車が突っ込んできていつ死ぬかわからない時代です。離れたところに住んでいる兄になるべく迷惑をかけないようにできると思うとほっとします。唯一心配があるとすれば、必ず兄より先に死ななければということだけです。
2016年4月26日火曜日
「無欲の運試し」
なかなか手に入らない列車やコンサートのチケットの販売において、人々がそれを手に入れようとしのぎを削る話を聞きます。旅行会社ではパソコンの前で担当者がスタンバイし、発売開始と同時にキーボードをたたくという、零コンマ何秒かの戦いです。中には過去の実績から抜擢されるその道の達人が配置されることもあるようです。しかし、全国で何百、何千、何万という人が同じことをするのですから、成功するかどうかはほとんど運任せということになるはずです。
病院の受付番号取りに関して、今回似たようなことがありました。私の知る限りその病院の受付機は十数台あるのですが、ある時たまたま早く着いて私もその一台の前に立っていました。すでに診察券を挿入口に差し込んで開始に備えている人も見受けられましたが、私は診察時間がすでに予約で決まっているので、何の気なしに「もうそろそろかな」と思う頃、おもむろに券を差し込んでみました。するとちょうど開始時間だったようで、周囲の受付機で一斉に機械が動き出し、診察券はスルスルと飲み込まれていきました。何か検査や診察予約確認の画面がでましたが、読まずに完了ボタンにタッチ。表示された予約が違っているはずはなく、間違っているとしたらそれは私の記憶の方に相違ないからです。すぐにすうっと確認票が出てきて、見たらなんと1番! この間2秒くらいだったでしょうか。おそらくもう二度とない事ですが、ちょっと記念になりそうです。
病院の受付番号取りに関して、今回似たようなことがありました。私の知る限りその病院の受付機は十数台あるのですが、ある時たまたま早く着いて私もその一台の前に立っていました。すでに診察券を挿入口に差し込んで開始に備えている人も見受けられましたが、私は診察時間がすでに予約で決まっているので、何の気なしに「もうそろそろかな」と思う頃、おもむろに券を差し込んでみました。するとちょうど開始時間だったようで、周囲の受付機で一斉に機械が動き出し、診察券はスルスルと飲み込まれていきました。何か検査や診察予約確認の画面がでましたが、読まずに完了ボタンにタッチ。表示された予約が違っているはずはなく、間違っているとしたらそれは私の記憶の方に相違ないからです。すぐにすうっと確認票が出てきて、見たらなんと1番! この間2秒くらいだったでしょうか。おそらくもう二度とない事ですが、ちょっと記念になりそうです。
2016年4月23日土曜日
「熊本地震から」
阪神淡路大震災から16年後に起きた東日本大震災は、津波の破壊力とその規模の大きさ、放射能汚染という特殊性において最悪のものと思われました。しかしその5年後に起きたこのたびの熊本地震では、地震がいつまでも収束しないという、また別な問題の深刻さを知らされることになりました。この間にあった千葉の地震が東日本大震災の余震だというのですから、見通しのつかなさもほどが知れようというものです。考えさせられることがいろいろありました。
1.地震についてはほとんど何もわかっていない。
最初の地震よりさらに大きな地震が起きたのは初めての経験であり、その点で日本列島の住人は大きな衝撃を受けました。この地震に関しては学者によって見解が分かれており、それぞれの学説の正否が不明なだけでなく、それがわかっても一般人には何の益にもならないのです。なおかつ地震学者の言うことが感覚的にしっくりこないので、あまり真面目に聞こうとする気になれません。一連の地震がそれぞれ無関係って言われてもね。
2.大地震は日本全国いつ起こっても不思議ではない。
したがって首都直下型地震が明日来ることも覚悟しなければならない。雑談の中でこの話をしていた時、或るご年配の方が「私はもうすべて神様にお任せしていますから。」と穏やかな笑顔で話されました。もちろんこの方は災害時用にすべき備えはしてあるのです。私もそれに近い心境ではありますが・・・。
3.このような日本列島に原発を置くのは狂気の沙汰である。
そう思わない人もいるというのがどうしても理解できない。フクシマの事故が一向に終結しない中、現在稼働中の川内原発からそう遠くない熊本で大地震が起きたという事実を、最後の警告と受け取るべきではないのでしょうか。「鎮魂せよ。過ちを繰り返すな」ということでしょう。政府や関係官庁の役人、電力会社の方々には、冷静に考えて責任のとれないことはやめていただきたいです。自己保身ょり大事なことがあると目を覚ましてください。この国に住む子供たちには未来があるのですから。
人間の身体にとって必要なのは、カネではなく、水と食料とエネルギーです。質素でもおいしいご飯があり、ゆっくりお風呂につかることができ、ふかふかの布団でゆったり眠れる、それ以上のことを身体が求めるでしょうか。
私たちはすでにこれまでの震災から、それがもたらす理不尽な結末とその後の生活について若干の見通しをもっています。自然災害は誰のせいでもなく、全く意味なく不平等で、ちょっとした運不運が幸不幸に雲泥の差をもたらします。多くの場合、ほぼ暗い見通しです。年を重ねた人にとっては、来し方と行く末、そして生命を失う可能性と生活の困難さを秤にかけることもあるだろうと思います。これまでの生活スタイルからして避難所にいることはつらく、かといって地震が続く中とりあえず無事なようでも家に戻るのは怖い、またエコノミークラス症候群の危険が広くアナウンスされているため車で過ごすのも怖い・・・。しかし親類や知人のもとに身を寄せることができる人は別にして、当面このどれかを選択しなければならないのです。これがどれくらい長く続くのでしょう。
自然災害で被災するのはまったくゆえなきことです。しかし一方で、おそらく多くの人が自分や社会の進む方向性に不安を抱いており、このような災厄の到来にどこかで有責感を覚えているはずです。国の進むべき方向性を一挙に転換することは困難ですが、まずは身近なところから自分の生活のあり方や、別なサブシステムを持つ社会や地域共同体の可能性について真剣に考えるべき時ではないでしょうか。
1.地震についてはほとんど何もわかっていない。
最初の地震よりさらに大きな地震が起きたのは初めての経験であり、その点で日本列島の住人は大きな衝撃を受けました。この地震に関しては学者によって見解が分かれており、それぞれの学説の正否が不明なだけでなく、それがわかっても一般人には何の益にもならないのです。なおかつ地震学者の言うことが感覚的にしっくりこないので、あまり真面目に聞こうとする気になれません。一連の地震がそれぞれ無関係って言われてもね。
2.大地震は日本全国いつ起こっても不思議ではない。
したがって首都直下型地震が明日来ることも覚悟しなければならない。雑談の中でこの話をしていた時、或るご年配の方が「私はもうすべて神様にお任せしていますから。」と穏やかな笑顔で話されました。もちろんこの方は災害時用にすべき備えはしてあるのです。私もそれに近い心境ではありますが・・・。
3.このような日本列島に原発を置くのは狂気の沙汰である。
そう思わない人もいるというのがどうしても理解できない。フクシマの事故が一向に終結しない中、現在稼働中の川内原発からそう遠くない熊本で大地震が起きたという事実を、最後の警告と受け取るべきではないのでしょうか。「鎮魂せよ。過ちを繰り返すな」ということでしょう。政府や関係官庁の役人、電力会社の方々には、冷静に考えて責任のとれないことはやめていただきたいです。自己保身ょり大事なことがあると目を覚ましてください。この国に住む子供たちには未来があるのですから。
人間の身体にとって必要なのは、カネではなく、水と食料とエネルギーです。質素でもおいしいご飯があり、ゆっくりお風呂につかることができ、ふかふかの布団でゆったり眠れる、それ以上のことを身体が求めるでしょうか。
私たちはすでにこれまでの震災から、それがもたらす理不尽な結末とその後の生活について若干の見通しをもっています。自然災害は誰のせいでもなく、全く意味なく不平等で、ちょっとした運不運が幸不幸に雲泥の差をもたらします。多くの場合、ほぼ暗い見通しです。年を重ねた人にとっては、来し方と行く末、そして生命を失う可能性と生活の困難さを秤にかけることもあるだろうと思います。これまでの生活スタイルからして避難所にいることはつらく、かといって地震が続く中とりあえず無事なようでも家に戻るのは怖い、またエコノミークラス症候群の危険が広くアナウンスされているため車で過ごすのも怖い・・・。しかし親類や知人のもとに身を寄せることができる人は別にして、当面このどれかを選択しなければならないのです。これがどれくらい長く続くのでしょう。
自然災害で被災するのはまったくゆえなきことです。しかし一方で、おそらく多くの人が自分や社会の進む方向性に不安を抱いており、このような災厄の到来にどこかで有責感を覚えているはずです。国の進むべき方向性を一挙に転換することは困難ですが、まずは身近なところから自分の生活のあり方や、別なサブシステムを持つ社会や地域共同体の可能性について真剣に考えるべき時ではないでしょうか。
2016年4月19日火曜日
「イースターの朝」
福島教会ではイースターの礼拝前に、信夫山の教会墓地で墓前礼拝をします。冬が去って日が長くなっていることを体感するこの時、イエス様の復活と相まって本当に希望にあふれた時期です。ここ二、三年天気が悪く会堂での礼拝になることが続いたのですが、今年のイースターは天気予報によれば晴れが約束されていました。
この朝私は4時半ごろ目が覚めて布団の中で次第に白んでいく外の気配を感じていました。
「きっとこんな朝だったのだ…。」
薄明の中を女がひとり墓へ急いでいる。そこへもう一人の女が、さらにまたもう一人が合流する。三人で連れ立って墓へ向かう。お互いに言葉は交わさない。同じ思いを理解しあって急ぎ足で墓に着く。入口をふさぐ石は取りのけてあり、見知らぬ男から「イエス様は復活されてここにはおられない」と告げられる。女たちの顔に驚愕した表情が浮かび、三人はあわてふためいて町へと戻る・・・。
イースターは何度も迎えているのに、こんな映画のような光景がありありと目に浮かんだのは初めてでした。
「きっとこんな朝だったのだ…。」
もうかなり明るくなってきたので、起きて私もお墓へ行く準備をしました。その日は近年なかったほど穏やかな好天に恵まれたイースターでした。小鳥のさえずる声が聞こえる朝の信夫山の教会墓地で、ヨハネ福音書が読まれ、「すべての民よ、よろこべ」を歌って礼拝しました。足元にはタンポポの小さな花がいくつか咲き始めており、生命の息吹が満ち溢れていました。
ふと、ヨハネの福音書で墓に行ったとされているのはマグダラのマリアだけであることに気づきました。この部分の私の記憶はどの福音書とも微妙に違いますが、どうもマルコによる福音書に少しルカによる福音書を加えて構成されていたようです。
この朝私は4時半ごろ目が覚めて布団の中で次第に白んでいく外の気配を感じていました。
「きっとこんな朝だったのだ…。」
薄明の中を女がひとり墓へ急いでいる。そこへもう一人の女が、さらにまたもう一人が合流する。三人で連れ立って墓へ向かう。お互いに言葉は交わさない。同じ思いを理解しあって急ぎ足で墓に着く。入口をふさぐ石は取りのけてあり、見知らぬ男から「イエス様は復活されてここにはおられない」と告げられる。女たちの顔に驚愕した表情が浮かび、三人はあわてふためいて町へと戻る・・・。
イースターは何度も迎えているのに、こんな映画のような光景がありありと目に浮かんだのは初めてでした。
「きっとこんな朝だったのだ…。」
もうかなり明るくなってきたので、起きて私もお墓へ行く準備をしました。その日は近年なかったほど穏やかな好天に恵まれたイースターでした。小鳥のさえずる声が聞こえる朝の信夫山の教会墓地で、ヨハネ福音書が読まれ、「すべての民よ、よろこべ」を歌って礼拝しました。足元にはタンポポの小さな花がいくつか咲き始めており、生命の息吹が満ち溢れていました。
ふと、ヨハネの福音書で墓に行ったとされているのはマグダラのマリアだけであることに気づきました。この部分の私の記憶はどの福音書とも微妙に違いますが、どうもマルコによる福音書に少しルカによる福音書を加えて構成されていたようです。
2016年4月17日日曜日
「紅春 84」
先日私の調子が良くなかったときに、兄はりくに食事を作ってやると言って調理を始めたのですが、ふと見ると私が買っておいた国産牛肉を使おうとしているではありませんか。思わず「それはダメ~、こっちにして。」と鶏肉にしてもらいました。危ないところでした。アメリカ産、オーストラリア産ならともかく、もう少しでめったに買わない国産牛をりくに食べられるところでした。翌日肉じゃがにして、りくにもおすそわけしてあげましたが、狭量だったかしら。
2016年4月16日土曜日
「労働のなくなった世界」
あと10年から20年で今ある人間の仕事の約半分が人工頭脳に取って代わられると聞いて考え込んでしまいました。人間にしかできない仕事がなくなっていくのですから、雇用がなくなるのは避けられません。そのこと自体が大問題なのもさることながら、仕事があろうとなかろうと人は生きていくわけですから、仕事をしたくてもできない人が過半を占める社会がどのようなものになるかと想像すると、めまいを感じるのは私だけではないでしょう。
仕事をしていようといまいと国から給付金をもらえるベーシックインカムという制度について、すでにスイスではなにがしかの議論がされつつあるようですが、失業給付金や生活保護の拡大であろうと、規模と理念の違うベーシックインカム制度であろうと、要するに働かないのが普通の社会になるということです。ちょっと考えるとあまりよい未来が描けず悪い予想ばかり浮かびます。学校に行く意味を見いだせない子供はますます増えて巷にニートがあふれ治安が悪くなったり、早くから教育を放棄して最低限必要な教養を身に着けられない人々で構成される社会の崩壊などです。
「働いても働かなくても国から給付金が出るなら、だれが働くものですか。」という人がいる一方で、まだ働いている半分の人は優秀な人か奇特な人ということになってしまうかもしれません。しかしこれは、考えようによっては労働するということの理想的な状態かもしれないと思います。以前どこかのIT関係の会社で仕事のノルマを一切与えず有り余る時間から生み出されるアイディアを商品にするというような手法を用いていた会社がった記憶があります。働く人がそのような余裕を与えられたらこれは案外いいかもしれない。煩瑣な就業規則で妨げられてきた労働意欲を解放したら、上機嫌でとんでもなく働き、途轍もない達成をしてしまう人が出てくるかもしれません。
「えっ、あなたは働いているんですか。すごいですね。」
「もう毎日楽しくて、申し訳ないくらいです。」
などという会話が将来普通になり、労働者は羨望のまなざしで見られる社会が到来するかも。
また、生活の心配なく自由に使える時間ができれば、もう行き詰ってしまった学校に代わる学費無料の私塾がそこここにできて、学びの再生が起こってくる可能性等、ちょっと明るい想像もまんざら理由なきことではないのかもしれません。
2016年4月15日金曜日
「お金と時間のバランス感覚」
当時は当たり前のことと思っていましたが、今振り返ると勤めている間は勤務時間以外の時間も、毎日時間に追われていました。自分で自由に使える時間はほとんどなく、やることが次から次へと湧いてくるようでした。働き方の上手な人はそういう時間管理をちゃんとできるのでしょうが私は全く駄目で、いきおいお金で済むことはお金で解決するという方法をとっていました。時間をかけずにできる物事や生活を楽にしてくれる事柄への出費は必要経費、その時はそれでよかったのです。
退職して自分のペースで暮らせるようになり、また身の丈に合った生活費で暮らすことも全く苦にならず、本当によかったと思っています。よく一度膨らんだ生活費を縮小し生活レベルを下げるのは難しいと言いますが、実際やってみて、あれは経済活動を低下させたくない産業界のプロパガンダに過ぎなかったことがはっきりしました。今あるお金と時間をやりくりしながら、足るを知る生活をすることはとてもすがすがしく、気分よく過ごせます。不思議なのはこれでも決して暇と言える時間はないことです。ゆっくり一日読書したいということは何でもなくできそうに思っていましたが、そうでもない。作りやすくなったとはいうものの時間はやっぱり作らなければできないものです。でもこれくらいがちょうどいいのです。人間は純粋に自分のためにだけ生きることはできない生物です。できるかもしれませんがきっと全然面白くないし、次第に気力がやせ細っていくことでしょう。時間に関してはこの微妙なバランスをとりながら過ごしていくのが生活を楽しむ勘所です。
退職して自分のペースで暮らせるようになり、また身の丈に合った生活費で暮らすことも全く苦にならず、本当によかったと思っています。よく一度膨らんだ生活費を縮小し生活レベルを下げるのは難しいと言いますが、実際やってみて、あれは経済活動を低下させたくない産業界のプロパガンダに過ぎなかったことがはっきりしました。今あるお金と時間をやりくりしながら、足るを知る生活をすることはとてもすがすがしく、気分よく過ごせます。不思議なのはこれでも決して暇と言える時間はないことです。ゆっくり一日読書したいということは何でもなくできそうに思っていましたが、そうでもない。作りやすくなったとはいうものの時間はやっぱり作らなければできないものです。でもこれくらいがちょうどいいのです。人間は純粋に自分のためにだけ生きることはできない生物です。できるかもしれませんがきっと全然面白くないし、次第に気力がやせ細っていくことでしょう。時間に関してはこの微妙なバランスをとりながら過ごしていくのが生活を楽しむ勘所です。
2016年4月11日月曜日
「人格詐称」
このところ、芸能人やスポーツ選手がプライバシーを暴かれて、公衆の面前で謝罪する場面を目にすることが異常に多いように思います。政治家を含めこのような方々は一般人とは違いますが、記者会見をひらいて国中に放映されるというのがこう続くと、うんざりしてしまいます。誰の目にも明らかなのは「叩いて埃が出ない人はいない」ということでしょう。「義人はいない。一人もいない。」という真実を踏まえて、記者はスキャンダルを追うのでしょうし、世間の人も飽きるに任せて次の話題を暇つぶしの種にするのでしょう。
ヴァーチャルな世界と現実の境がわからなくなってしまっているかのような病的な人格詐称が見受けられるのが近年の傾向でしょうか。とはいえ、あのゴーストライター事件を越えるものはありませんが、自分を大きく見せたい、よく見せたいという人がそんなに多いのか。最初のハードルを越えるとどんどん自分を糊塗していくのが楽しいのかも知れませんが、仮面を脱ぐことができないとわかって怖くなかったでしょうか。何より疲れるだろうなと思うのですが。
だからといって、人のプライバシーを次々と暴いて血祭りに挙げるというのはどうなのか。その攻撃は短期集中型で、その人の一生を完全に破壊するに足るほどのものです。ヴァーチャルな幻影がただの生身の身体になり、もう見向きもされません。ご本人は生活は大変になったかもしれませんが、案外ほっとしているなんてことないでしょうか。
2016年4月9日土曜日
「紅春 83」
朝起きた時、私が目にするりくの姿はだいたい三つのパターンがあります。まずよくあるのが茶の間のこたつの中の奥深く、ほとんど洞窟で眠るかのように丸くなって寝ている姿。安心してよく眠れたのであろうとうれしくなります。この状態の時は私が洗面している間にむっくり起きて、廊下や台所をうろうろしながら散歩に行く準備をします。
家では自然に目が覚めるので目覚ましをかけることはほとんどありませんが、たとえ寝坊してもりくが起こしに来るからという安心感もあります。りくの体内時計の起床時間が過ぎると、タッタッタと足音をさせてやってきて、「ちょっと遅いんじゃないですか。」というふうに手を出してきたり布団に体をすり寄せてきたりします。この状態の時は、私が洗面するのも待ちきれない様子で、速足で行ったり来たりして私をせかします。
起きてこたつの洞穴にりくの姿が見えない時は、たいてい茶の間から台所へ通じる入口でびしっとお座りしています。朝のこの姿は写真に撮れないのですが、本当にハッとするくらい良い姿勢で、「お待ちしておりました。」という風情です。なんとなく古武士が正座しているような趣があり、こちらも背筋を伸ばして急いで洗面を済ませなければならない気になります。起きて一番気分がいいのは、りくがこの姿勢の時です。「では参ろうか。」と声掛けして二人でさわやかな朝の散歩に出かけます。
家では自然に目が覚めるので目覚ましをかけることはほとんどありませんが、たとえ寝坊してもりくが起こしに来るからという安心感もあります。りくの体内時計の起床時間が過ぎると、タッタッタと足音をさせてやってきて、「ちょっと遅いんじゃないですか。」というふうに手を出してきたり布団に体をすり寄せてきたりします。この状態の時は、私が洗面するのも待ちきれない様子で、速足で行ったり来たりして私をせかします。
起きてこたつの洞穴にりくの姿が見えない時は、たいてい茶の間から台所へ通じる入口でびしっとお座りしています。朝のこの姿は写真に撮れないのですが、本当にハッとするくらい良い姿勢で、「お待ちしておりました。」という風情です。なんとなく古武士が正座しているような趣があり、こちらも背筋を伸ばして急いで洗面を済ませなければならない気になります。起きて一番気分がいいのは、りくがこの姿勢の時です。「では参ろうか。」と声掛けして二人でさわやかな朝の散歩に出かけます。
2016年4月7日木曜日
「ゲームを降りる若者たち」
現在報道される様々な事故や事件は、人々があらゆる分野で悲鳴をあげていることを指し示しています。仕事量に関しては、過去数十年を見渡して10年ごとに倍になると言えば、おそらく実感と一致するでしょう。しかもグローバル化のあおりを食って無意味なペーパーワークが過半を占めるのですから、やろうとする意欲が削がれてしまいます。毎日のルーティンに組み込まれた無意味な雑用による疲労の蓄積は、やがて心身に取り返しのつかないダメージを与えてしまうでしょう。
デスクワークを主とする仕事の疲弊もさることながら、常に時間に追われスピードと正確さを競うような仕事の大変さは想像に余りあります。たとえコンビニや飲食店でのアルバイトであったも、全く賃金に見合わないような責任を負わされ、場合によっては辞めることもままならないブラックな会社もあり、時に悲劇を生んでいます。旅客や物資の運搬に関わる業界での事故が目につくのは、仕事量とスピードが身体感覚を越えてしまったためでしょう。効率至上主義による短期的業績評価が限界まで進んだ結果、運悪くそのしわ寄せを受けた人々は身体と精神を深く病むようにもなり、最悪の場合命を落とすケースもあります。金儲けにひた走ってきた人にも、本当にこれでいいのだろうかとの疑念が生まれています。そもそも企業が事業を行う資金を調達するために必要だった株式制度は、今では投機的なゲームです。金融業界では、市場はいつも参加するプレーヤーの増大をを求めていますが、株式市場の取引はもはや機械によって自動的に行われており、一般の人が太刀打ちできるものではありません。そしてまた、インターネットの時代になったため、資金を集めたいと思えば別な方法も可能になっています。
そして今、お金に踊らされることを拒否して、「もう、そういうの、いいですから。まともな生活がしたいのです。」という若者が出ています。若者に限りませんが、「お金は必要なだけあればよい、愛する人々と穏やかに暮らしながら家族や社会のためになることをしたい。」と考える人々が本当に増えてきた気がします。この点では、潮目が変わったなと思うのは私だけではないでしょう。個人差はありますが、ホモ・サピエンスの身体でできることには自ずから限界があり、それは種の固有性においてそれほど違わないはずです。
デスクワークを主とする仕事の疲弊もさることながら、常に時間に追われスピードと正確さを競うような仕事の大変さは想像に余りあります。たとえコンビニや飲食店でのアルバイトであったも、全く賃金に見合わないような責任を負わされ、場合によっては辞めることもままならないブラックな会社もあり、時に悲劇を生んでいます。旅客や物資の運搬に関わる業界での事故が目につくのは、仕事量とスピードが身体感覚を越えてしまったためでしょう。効率至上主義による短期的業績評価が限界まで進んだ結果、運悪くそのしわ寄せを受けた人々は身体と精神を深く病むようにもなり、最悪の場合命を落とすケースもあります。金儲けにひた走ってきた人にも、本当にこれでいいのだろうかとの疑念が生まれています。そもそも企業が事業を行う資金を調達するために必要だった株式制度は、今では投機的なゲームです。金融業界では、市場はいつも参加するプレーヤーの増大をを求めていますが、株式市場の取引はもはや機械によって自動的に行われており、一般の人が太刀打ちできるものではありません。そしてまた、インターネットの時代になったため、資金を集めたいと思えば別な方法も可能になっています。
そして今、お金に踊らされることを拒否して、「もう、そういうの、いいですから。まともな生活がしたいのです。」という若者が出ています。若者に限りませんが、「お金は必要なだけあればよい、愛する人々と穏やかに暮らしながら家族や社会のためになることをしたい。」と考える人々が本当に増えてきた気がします。この点では、潮目が変わったなと思うのは私だけではないでしょう。個人差はありますが、ホモ・サピエンスの身体でできることには自ずから限界があり、それは種の固有性においてそれほど違わないはずです。
2016年4月4日月曜日
「ネットスーパー」
私は買い物がわりと好きです。気晴らしになるし、日によって結構値段が変動する食材を見て市場の動きを感じたり、季節の変わり目にお値打ち品となった衣料品を思わず買ってしまうのも楽しいものです。しかし、これはお店が近くにある場合の話です。東京に住んでいて本当にありがたいのは様々なスーパーやコンビニ、小売店が歩いて行ける距離にたくさんあることです。買い物リストを見ながら今日の最適仕入れ店を決め、時にははしごする時間と道順を決め・・・ということができるのはありがたいものです。
地方都市ではなかなかそうはいきません。うちの場合、家から歩いて数分以内には一軒も店はなく、自転車を使わなければなりませんがこれは大いに天候に左右されます。また、移動日は疲れているのでほしい食材を買い出しに行くのは大変です。そこではたと思い当たったのがネットスーパーです。うまくいかなくて元々と思いつつ一度利用してみることにしました。移動日の前日、多種多様の品目の中から、家には絶対にないであろう食材やすぐ使う食材、冷凍やチルドにすれば日持ちするもの、飲料品やお菓子などを選んで、翌日家に到着する時間帯以降に福島の住所宛に配送をお願いしました。曜日によっては結構配達手配がすでに埋まっている時間帯もあり、利用している人は多いのだろうと感じました。
さてその当日、ちゃんと配達時間内に食材が届き、拍子抜けするくらい簡単でした。当たり前ですが重いものを運ぶ必要がないので本当に楽で、またたくさんの食料品が一挙に届くととても豊かな気持ちにもなり、なぜもっと早く利用しなかったかと悔やまれました。その後数日は買い物の心配をすることなく過ごせ、時間が大幅に節約できるようになりました。その後、迷わず二回目も利用しましたが、従来と買い物の仕方も若干変わってきました。今までは買いたいものは決まっているので、必要な物をさっさとかごに入れていきお会計に進んでいましたが、ネット注文となると限られた中からとはいえじっくり商品を選ぶことができ、普段は買わない食材でも「ちょっと試してみようかな。」という気にもなったりします。洗剤等の日用品も頼めるので便利この上ありません。値段はというと、プライベートブランドの商品はどこで買っても同じ値段ですし、若干他より高いものでも届けられるものの品質はとてもよいです。地域によって配送無料になる合計金額は違うようですが、福島では5000円以上お買い上げで配送料無料。届けられた品を見ると、5000円でこんなに買えるのかと感動するほどです。注意することは、配達手配受付が埋まってしまわないうちに注文することと、配達時間に忘れずに在宅することだけです。本当に便利なサービスで大満足です。
地方都市ではなかなかそうはいきません。うちの場合、家から歩いて数分以内には一軒も店はなく、自転車を使わなければなりませんがこれは大いに天候に左右されます。また、移動日は疲れているのでほしい食材を買い出しに行くのは大変です。そこではたと思い当たったのがネットスーパーです。うまくいかなくて元々と思いつつ一度利用してみることにしました。移動日の前日、多種多様の品目の中から、家には絶対にないであろう食材やすぐ使う食材、冷凍やチルドにすれば日持ちするもの、飲料品やお菓子などを選んで、翌日家に到着する時間帯以降に福島の住所宛に配送をお願いしました。曜日によっては結構配達手配がすでに埋まっている時間帯もあり、利用している人は多いのだろうと感じました。
さてその当日、ちゃんと配達時間内に食材が届き、拍子抜けするくらい簡単でした。当たり前ですが重いものを運ぶ必要がないので本当に楽で、またたくさんの食料品が一挙に届くととても豊かな気持ちにもなり、なぜもっと早く利用しなかったかと悔やまれました。その後数日は買い物の心配をすることなく過ごせ、時間が大幅に節約できるようになりました。その後、迷わず二回目も利用しましたが、従来と買い物の仕方も若干変わってきました。今までは買いたいものは決まっているので、必要な物をさっさとかごに入れていきお会計に進んでいましたが、ネット注文となると限られた中からとはいえじっくり商品を選ぶことができ、普段は買わない食材でも「ちょっと試してみようかな。」という気にもなったりします。洗剤等の日用品も頼めるので便利この上ありません。値段はというと、プライベートブランドの商品はどこで買っても同じ値段ですし、若干他より高いものでも届けられるものの品質はとてもよいです。地域によって配送無料になる合計金額は違うようですが、福島では5000円以上お買い上げで配送料無料。届けられた品を見ると、5000円でこんなに買えるのかと感動するほどです。注意することは、配達手配受付が埋まってしまわないうちに注文することと、配達時間に忘れずに在宅することだけです。本当に便利なサービスで大満足です。
2016年3月30日水曜日
「紅春82」
「お腹空いてないの?」
と言いながら、また少しトッピングして温めてやったりするとペロリとたいらげ、「もう一杯!」というようにお座りするので、あげるとまたペロリ。
お腹が空いていないわけではないのです。また、お皿からは食べない時でも手にのせてやったりすると次々と食べることもあります。生前父は、「フードを一粒一粒並べていくとりくが面白がって食べる。」と言っていたことがありました。
「犬はドッグフードのみによって生きるにあらず。」
そうなのです。りくにとって食べ物は単にお腹を満たすものではなく、家族によって自分がどれだけ大事にされているかということと密接に結び付いたものなのです。さほど空腹でない時でも、兄からもらうおやつは食べたり、自分の夕飯が済んだ後でも兄の夕飯にお相伴するポーズは忘れません。犬でもこうなのか・・・と思わされます。人であれ犬であれ、りくが家族の一員であるのは間違いありません。
登録:
投稿 (Atom)