今年は本当に待ち遠しいクリスマスでした。へとへとに疲れていたからです。カレンダー上、12月25日が日曜に当たりクリスマス礼拝と重なる年は数年に一度訪れますが、今年はその年でした。日本では12月になると一年を振り返る番組が組まれ、いやがうえにもせわしない気分になりますが、教会歴はアドヴェントから始まるのですでに一年は始まっています。キリストの誕生というまばゆい光が近づいてくると、人の(他人のという意味ではありません。ほぼ自分のという意味です)心の黒々とした有様や、社会の世相と未来の見通しの暗黒の度合いがくっきりと見えてきます。終わろうとする「人の時」と、まさに始まった「神の時」は全く別々に流れています。しかし私は自分の中でそれをうまく調整することができず、それぞれの流れがぶつかりあって発生する逆流するような力のせいで疲れてしまうのだということがよくわかりました。
しかし今、クリスマス礼拝を終えてまったくの凪のような平安を得ました。「「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり、この僕(しもべ)を安らかに去らせてくださいます」(ルカによる福音書2章29節)というのは、まだ生まれて八日のみどりごであるイエス様に出会ったシメオンの言葉です。この人は主に出会うことを長年待ち焦がれてきた人で、霊に導かれて神殿の境内に入ってきたとき両親の腕に抱かれたイエス様に出会ったのです。シメオンにとってこれが人の時と神の時が重なる喜びの時となりました。人生の晩年であっても、まことの救い主にであうことのできた人は本当に幸いです。