十一月は聖徒の日に合わせて、天に召された信徒たちを覚えて礼拝をもちました。うちは三人もお世話になっていることもあり、信夫山教会墓地での墓前礼拝からその日の召天者記念礼拝まで無事終わって、何したわけでもないのに今年の大仕事を終えた感じです。
その間、東京の教会でお世話になっていた方が亡くなったという知らせが入り、かなり衝撃を受けました。お年とはいえとてもお元気でつい先週も言葉を交わした人でしたが、思わぬ事故に遭われたのです。しばらく気持ちがず~んと沈んでおりましたが、葬儀の様子を教えていただき、本当にこの方はやるべきことをすべて終え、また最後にご家族と大変よい時を過ごされたと知って救われました。人の死は神の手の中のもの、神の時なのです。
またもうお一人、同じく教会でお世話になった方が亡くなりましたが、この方が入院する前たまたまお食事を隣の席でしたのは私でした。「なんだか近づいてきた気がするの。」とおっしゃっていましたが、私は事情も知らないながら「何の心配もいりません。神様がすべてよいように計らってくださいます。」と応えました。能天気な私の答えに、「まあ、あなたいいわねえ。」と応じておられましたが、こんなに早く亡くなるとは思いもせず、もっと言い方があったのではないかと後悔しました。
年間を通して言えば私の生活は必ずしもいつも活動的なわけではありません。どよ~んと沈んで全くやる気が出ない時もあります。しかしこのところはかなりちゃきちゃきと動いています。まだやるべきことができていないからです。もう手はついているのですが完成まではまだまだです。毎日やることがあるのは本当にありがたく、朝起きたとき元気がみなぎっているのはうれしいものです。