2016年6月26日日曜日

「秀才の陥穽」

 前知事の一連の政治資金公私混同疑惑騒動にはうんざりしましたが、一面興味深いこともありました。この件に関し前知事は一貫して政治資金規正法に照らして法的に問題はないことを主張してきました。その法律自体がザル法なのですからおそらくその通りだったのでしょう。しかし、あまりにも常識がなかった。高額の出張費等の問題もさることながら、都政を預かる人が毎週末を湯河原で過ごすという一点だけとっても、法律違反ではないながら、知事の自覚がないということはこれ以上なくはっきりわかります。

 政治資金の使い方に規制がほぼないのをいいことに、できる限り衣食住のすべてをそれで賄おうとする姿勢が並はずれていたため(シルクの中国服の話は笑えましたが)、都民はあきれ果てその情けなさは募りました。法的正しさを曲げない態度も都民の反感を買いました。この世に悪い人はわんさかいますが、悪い奴よりずるい奴の方が嫌いという人が多かったのです。今回の騒動は、誰もが「ご自分のお金で買ったものもあるのでしょうか。」と疑問に思うほど、度を越した税金の使い方に都民が怒り、9月までは続投のはずがこんなに早い辞任となりました。都議会の追及が甘かったのは同じ追及が自分に及んだらまずいからに相違なく、たぶん議員たちは多かれ少なかれこういった法的にはスレスレのことをしており、逆にしていないほうが馬鹿者扱いされるのでしょう。お金持ちなのにケチ、というか他人の金なら気にせず使うという根性は人の上に立つ者としての心の持ちようではない。一般庶民は、ずるくて卑しい人が嫌いなのだということがはっきりしました。

 マスコミに追われ泣いて帰ってくるというお子さん方は本当に気の毒でした。しかし、これはやはり子供を巻き込んでしまった親の責任です。子供は悪くないのに、家族旅行でゆったり、たっぷり、のんびり過ごせる温泉施設に連れて行かれ、その金銭処理が問題とされているのですから。前知事には自分の基準しかありませんでした。会見での受け答えを見ていても、弁はたつものの他者の視点には無関心で、一般常識を知らず、ましてや昔の言葉でいうなら「お天道様が見ている」という感覚をもたぬ者の振る舞いでした。議論に勝つことが人の上に立つことだと思ってのし上がってきたのはいかにも秀才の陥る落とし穴です。そのことにここで気づけたのなら高い代価を払った甲斐があったというべきかも知れません。