朝の散歩はいつも土手の道を往復して来るのですが、帰り道りくが河原に降りて行きたがることがあります。急いでいないときはだいたいりくの要望に応えてあげます。河原に行くと、十中八九りくは川辺に降りて行きたがります。水際に行って砂場でちょっと遊ぶだけですが、とても楽しいらしいのです。
先日はそのようにして川に降りていこうとしたので、引き綱を離して上で待っていることにしました。ひとしきり遊んだので、「帰るよ。」と声を掛けましたがやってきません。それどころか、川に水がほとんどないのをいいことに川を渡っていくではありませんか。「りく、おいで。」ときつく呼びましたが、どんどん渡っていく姿に唖然。あわてて川辺に降り、「りく~、戻って。」と呼びかけながら丸石の上を跳んで追いかけました。どんどん離れていくりくの姿を見ながら、私はある歌を思い出していました。子供のころ歌った讃美歌です。
「小さい羊が家を離れ 或る日遠くへ遊びに行き
花咲く野原のおもしろさに 帰る道さえ忘れました」
本当にそんな感じでした。楽しくてついどんどん行ってしまうようなのです。幸い30メートルくらいの川幅を渡って向こう岸に着いたりくが河原から土手に上がることはなく、私が着いた時にはその場に留まっていました。河原ならほぼ誰もいないので安心ですが、これが土手まで行ってしまうと人は多いし、自転車も通るのでいろいろと問題が起きたでしょう。すぐに引き綱をつかむと川の水でぬれていました。
「りく、姉ちゃん呼んでるのになんで来ないの。」
思わずきつい声が出ました。すると驚いたことにりくは私と目を合わさないのです。ああ、犬でもこうなのか…と驚愕しました。自分でも悪いことをしたと思っているので、りくは私と目を合わせられないのです。原初の人間が神に食べてはいけないと言われた木の実を食べた時、神の顔を避けて木の間に隠れたのと同じです。悪事をしたと自覚した時の態度は、犬も人間も同じなのです。恐ろしいものだと思いました。その日りくは、「あ~あ、りくは姉ちゃんの言うこと聞かずに、呼んでも来なかったんだよね。」と一日中言われ続けました。私は私でショックだったのです。
翌日、また河原への階段を降りていったので、「今日も川へ入るのか、綱を離さないようにしなければ。」と構えていると、川の方には目もくれず家に帰る方向に直角に曲がったので、「おおっ。」という感じでした。前日川へ行ってまずいことをしたという記憶があったとしか思えない行動で、今日はそっちへは行かないぞという意志がありました。「やっぱりりくはえらかった。ちゃんと反省できている。」と思いました。このあたりは人間よりもはるかに素直かもしれません。