2016年6月19日日曜日

「福島の現状に思うこと」

 私は厳密には福島在住者ではありませんが、福島を故郷としたびたび訪れている者として、原発事故から5年3か月の現状に接して思うところを述べます。

1.除染について
 現在除染した土が庭の車置き場の下に埋まっています。近くに仮置き場が確保されたらしく、もう少ししたらそれうを掘り起こして移動するという話になっています。それから中間貯蔵施設に搬入され、やがて最終処分場に移されるのでしょう。気の遠くなるような話です。しかも、放射性廃棄物の最終処分方法がまだ見つかっていないのですから、ほとんど茶番であり、真剣に考えているとは誰も思っていません。

2.フクシマの人間と動物に対する放射線の影響について
 これについては震災より5年となる今年公表された研究結果について以前触れました。浪江町と大熊町で買われていた牛に関する研究(岩手大学農学部、岡田啓司准教授)と、南相馬町に暮らす住人を対象とした研究(東京大学医科学研究所、坪倉正治)のような信頼できる調査結果もある一方で、検証もされずに日本外国特派員協会での記者会見で発表された、福島県の子供の甲状腺がんの発生率に関する研究結果(岡山大学大学院、津田敏秀教授)もありました。冷静に分析すれば、もはや「東京は安全だ」とか、「西日本なら大丈夫」とかさえ言っておれない状況になっている可能性があるのに、それが本当に深刻な事態として受け止められておらず、比較検証もされていない研究結果が一方的に発表され、福島だけが危険であるかのような風評が独り歩きしていくことに福島県民は傷ついています。

3.政府と電力会社の態度
 今年に入り高浜原発の稼働差し止めの仮処分が出された頃と時を同じくして、福島原発が地震から3日目には1・3号機がメルトダウンしていたことを示す判断基準を定めた内部規定が見つかったという報道がなされたり(実際のメルトダウンの発表は2か月後でした。)、また最近「炉心溶融という言葉を使わないようにというのは官邸の指示だった」とか、「いやそんなことは言っていない」とかの泥仕合があり、住民不在の様相を強めています。
 全電源が喪失した場合の想定に基づく危険性は本当は指摘されていたのに、想定外の災害だったと強弁する東電はあくどいの一言ですが、何より悲惨な実例となったのは、原発事故当時10キロ圏内から30キロ圏という北東に延びた土地を持つ浪江町が、建屋の水素爆発の情報を政府から伝えられずテレビで知って北東方向に逃げた際、当日の風向きから結果的に最悪の避難先となった例です。緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(通称:SPEEDI)の試算は隠され、この地の住民はむざむざと捨ておかれました。この方々の命より、国民にパニックが起こる懸念を優先した結果でした。
 原発政策は国と原子力産業にとってだけ有利な政策です。国は原発を作るだけでよく、事故が起きた時の避難計画の策定とその実施は自治体任せにしています。そもそも責任をとらない体制なのです。どんなに保安計画を練っていても肝心な時に、それも重大事故であればあるほど公表されず隠されるということは福島原発事故ではっきりしました。事実として切り捨てられたということ、そして避難区域解除と住民帰還の推進が現実的に政府と電力会社の経済的事情にすぎないということが、今県民の心に重苦しくのしかかっています。

4.制度としての原発を支えるもの
 原発に関する訴訟でよく問題とされる断層の位置や災害に対する備えの万全性について、これを意味のある議論だと思う人はどれほどいるのでしょうか。最近地震のあった熊本にしても北海道にしても、特に危険が喧伝されている地域ではなかったことを考えれば、これほど地震の多い列島に原発を置くこと自体狂気の沙汰だとなぜわからないのか不思議です。今では地震だけでなく飛来物落下やテロの危険も現実味を帯びています。実際美しかった福島がフクシマという膨大な量の汚染された土地に変わってしまい、日本は戦争があったわけでもないのに肥沃な国土を広範囲に失ったのです。いまだ事態が一向に収束しないにも関わらず、原発堅持の姿勢が変わらない、我々がこれほどの犠牲を払っているのはいったい何なのかというやりきれなさに福島県民は打ちのめされています。

 これまでのことを総合的に考えると、原発政策はそれ自体制度設計が間違っていると言わざるを得ません。しかしこのままでは電力会社は自己保存にしがみつくのを止めず、これまで同様、原発がなければ電気代が上がるとか、十分な供給ができないとか言うばかりです。また電力会社と政府が結託して、原発産業に否定的な判決を出した裁判官を左遷するなどの仕方で圧力をかけるようなことを止めないでしょう。これは結局のところ国民の足元すなわち本音を見越しているのです。政府や関係官庁の役人、電力会社の方々が、冷静に考えれば責任のとれないことを引き続き行っていられるのは、やはり国民の過半が暗黙の了承を与えていることを知っているからです。しかし我々が未来の子孫のことを真剣に思うなら、不便を覚悟でエネルギー政策の転換を支持するしかないように思います。この国に住む子供たちには未来があるのですから。

 自然災害で被災するのはまったくゆえなきことですが、各地の震災現場を目にして誰もが思うのは、人間の身体にとって必要なのは、カネではなく、水と食料とエネルギーだということでしょう。身体が求めるのは、質素でもおいしいご飯であり、ゆっくりつかれるお風呂であり、またゆったり眠れるふかふかの布団でしょう。国の進むべき方向性を変えるためには、まずは身近なところから自分の生活のあり方や、別なサブシステムを持つ社会や地域共同体の可能性を実際に模索していくしかないのではないでしょうか。

 一口に福島と言っても被災状況は様々であり、家族、土地、家、生きがい等を奪われ、癒えることのない悲しみを抱いている人々がいる一方、福島市のようにとりあえずの暮らしが戻った人々が多い地域もあります。山菜取りのような楽しみはもうもてませんが、農産物に関しては放射線検査をしないと市場に出せないので、ある意味、他県より安心できる面もあります。しかし廃炉が進むどころか、いまだにしばしば放射能漏れが起きる現実を前にして、「うつくしま福島」と呼んでいた故郷はもう永遠に戻らないのだという悲しみが増し、二度目があれば日本自体が吹っ飛ぶにもかかわらず、自分たちの犠牲が何も生かされていないことには絶望的な気持ちを抱いています。これが原発事故前と違う、福島を覆う決して晴れることのない今の現状の本質だと私は思います。