2016年6月4日土曜日

「1年間だけのクラスメート」

 先日行われた同窓会は、自分の半生をあらためて思い起こす機会となりました。半生どころかこれまでの来し方全部を振り返ることになったと言ってもいいくらいです。その後おこなったことの結果として一番うれしかったのは長年連絡できなかった旧友と連絡がとれたことでした。

 彼女は小学校も一緒だったのですが、小学校では接点がなく、同じ中学に進学したことで仲良しになった友人でした。ものすごく頭のいい人で、小学校6年時に行われた2回の校内テストで一度もかなわなかった唯一の子です。親しくなってみると、もうこの世にこんな性格のいい人がいるのかと思うほどで、天使のような存在でした。よく昼休みを一緒に図書館で過ごした記憶がありますが、「何かいい本ないかな。」と聞いたら『ビルマの竪琴』を薦めてくれました。まったく読んだことのないジャンルの本であまり面白そうでもないなと思ったのですが、読んでみたら実に面白く、ぐいぐい引き込まれて読んだのを覚えています。同じクラスだったのは1年間だけで、クラス替えの時にとてもがっかりしたのです。

 中2以降は高校時代も含めてクラスが違ったので疎遠になってしまい、40年近くがたちました。今回の同窓会後に元気でいるかどうかだけでも知りたいと思い、「どうかな」と不安な気持ちで心当たりに手紙を書いたら本人でした。見覚えのある自筆の字で返事が来た時のうれしかったこと。元気で幸せに暮らしていることがわかって本当に安らかな気持ちになりました。私が覚えていないエピソードを書いてくれていましたが、たぶん私のことなので当時から独りよがりな考えでいろいろ迷惑かけてたんだろうなと思います。昔と変わらない優しい性格のままでした。

 同窓会で声を掛けてくれた人の中に、中1の一年間だけ一緒のクラスだった級友がいました。まったく見た目が変わっていなかったのでまずそのことに驚き、落ち着いた話し方も変わっていなかったのでうれしくなりました。名刺のやり取りをし(私のは肩書なしのもの)、しばらくしたらブログにコメントをくれました。真面目な性格も全く変わっていないのでなんだかおかしくなりました。別の友人が言うように、真面目というのは最高のほめ言葉です。このおかしさを共有してくれるのはあの時のクラスメートだけでしょう。私自身はあの頃とはずいぶん変わった気がしていたのですが、その彼に「40年ぶりですが全然おかわりなく、驚きました。」と言われてしまうとは。でもこれもきっとほめ言葉ですね。

 もう一人、こちらも同窓会でお話しできたのですが、やはり中学入学時に同じクラスだった級友が来ていました。大学は同じでしたが、キャンパスで会うことはなく、もらった名刺を見たら農学博士。会わないはずです、農学部は道路の向こう側、信号か上空にかかる橋を渡っていかなければ行けないところにありますから。

 彼についての私の強烈な記憶は何といっても数学の時間に「二等辺三角形の頂点と、底辺の中点を結んだ線は、底辺と垂直に交わる」ということの証明問題で、背理法を用いたこと。つまり、「二等辺三角形の頂点と底辺の中点を結んだ線が底辺と垂直に交わらないと仮定すると矛盾が起こる」ことを示して、「よって、垂直に交わる」という証明をしたことです。
「今の何。」という感じで、茫然としました。世の中にはなんて頭のいい人がいるのだろうと。

 そのことを話したら、「いやな奴だったでしょう。」との返事。
まったくそんなことなかったし、そんなこと思った級友もいないはず。ただただ、「すごいなー。」と思っただけです。40年たっても鮮明に覚えているのですから、どれほどインパクトが強かったかわかります。彼にそう伝えたのですが、「ほんとにいやな奴だったと思いますよ。」との返事。ああ、この人も思うところあって同窓会に来ていたのだと、すっかり親近感がわきました。私にとってはほとんど学問への目覚めのような出来事だったのに、相手の記憶は違っていた。自分の認識と他者の認識は絶えずずれるのだということを強く意識した出来事です。

 この方ともクラスが一緒だったのは1年間だけで、高校も違いましたから本当に40年ぶりの再会でした。今思い出してもあの頃は勉強が本当に楽しかったなあ。いずれにしても、ただ面白いから、純粋に知りたいから勉強するという気持ちだけに駆動されていた中学時代の学業との向き合いは、こういう級友すべての方々との幸福な出会いなくしてありえなかったということを深く悟ったことでした。