2016年4月19日火曜日

「イースターの朝」

 福島教会ではイースターの礼拝前に、信夫山の教会墓地で墓前礼拝をします。冬が去って日が長くなっていることを体感するこの時、イエス様の復活と相まって本当に希望にあふれた時期です。ここ二、三年天気が悪く会堂での礼拝になることが続いたのですが、今年のイースターは天気予報によれば晴れが約束されていました。

 この朝私は4時半ごろ目が覚めて布団の中で次第に白んでいく外の気配を感じていました。
「きっとこんな朝だったのだ…。」

薄明の中を女がひとり墓へ急いでいる。そこへもう一人の女が、さらにまたもう一人が合流する。三人で連れ立って墓へ向かう。お互いに言葉は交わさない。同じ思いを理解しあって急ぎ足で墓に着く。入口をふさぐ石は取りのけてあり、見知らぬ男から「イエス様は復活されてここにはおられない」と告げられる。女たちの顔に驚愕した表情が浮かび、三人はあわてふためいて町へと戻る・・・。

イースターは何度も迎えているのに、こんな映画のような光景がありありと目に浮かんだのは初めてでした。
「きっとこんな朝だったのだ…。」
 
 もうかなり明るくなってきたので、起きて私もお墓へ行く準備をしました。その日は近年なかったほど穏やかな好天に恵まれたイースターでした。小鳥のさえずる声が聞こえる朝の信夫山の教会墓地で、ヨハネ福音書が読まれ、「すべての民よ、よろこべ」を歌って礼拝しました。足元にはタンポポの小さな花がいくつか咲き始めており、生命の息吹が満ち溢れていました。

 ふと、ヨハネの福音書で墓に行ったとされているのはマグダラのマリアだけであることに気づきました。この部分の私の記憶はどの福音書とも微妙に違いますが、どうもマルコによる福音書に少しルカによる福音書を加えて構成されていたようです。