現在報道される様々な事故や事件は、人々があらゆる分野で悲鳴をあげていることを指し示しています。仕事量に関しては、過去数十年を見渡して10年ごとに倍になると言えば、おそらく実感と一致するでしょう。しかもグローバル化のあおりを食って無意味なペーパーワークが過半を占めるのですから、やろうとする意欲が削がれてしまいます。毎日のルーティンに組み込まれた無意味な雑用による疲労の蓄積は、やがて心身に取り返しのつかないダメージを与えてしまうでしょう。
デスクワークを主とする仕事の疲弊もさることながら、常に時間に追われスピードと正確さを競うような仕事の大変さは想像に余りあります。たとえコンビニや飲食店でのアルバイトであったも、全く賃金に見合わないような責任を負わされ、場合によっては辞めることもままならないブラックな会社もあり、時に悲劇を生んでいます。旅客や物資の運搬に関わる業界での事故が目につくのは、仕事量とスピードが身体感覚を越えてしまったためでしょう。効率至上主義による短期的業績評価が限界まで進んだ結果、運悪くそのしわ寄せを受けた人々は身体と精神を深く病むようにもなり、最悪の場合命を落とすケースもあります。金儲けにひた走ってきた人にも、本当にこれでいいのだろうかとの疑念が生まれています。そもそも企業が事業を行う資金を調達するために必要だった株式制度は、今では投機的なゲームです。金融業界では、市場はいつも参加するプレーヤーの増大をを求めていますが、株式市場の取引はもはや機械によって自動的に行われており、一般の人が太刀打ちできるものではありません。そしてまた、インターネットの時代になったため、資金を集めたいと思えば別な方法も可能になっています。
そして今、お金に踊らされることを拒否して、「もう、そういうの、いいですから。まともな生活がしたいのです。」という若者が出ています。若者に限りませんが、「お金は必要なだけあればよい、愛する人々と穏やかに暮らしながら家族や社会のためになることをしたい。」と考える人々が本当に増えてきた気がします。この点では、潮目が変わったなと思うのは私だけではないでしょう。個人差はありますが、ホモ・サピエンスの身体でできることには自ずから限界があり、それは種の固有性においてそれほど違わないはずです。