2016年7月26日火曜日

「眠りについて -創世記とマクベス-」

 眠れないという悩みを私はこれまでほとんど経験したことがありません。これは本当にありがたいことで、一見とても元気そうな方が睡眠薬を処方されていると聞いて驚かされることもあります。以前も書きましたが、私の場合、体調不良は時間の長短はあってもほぼ睡眠だけで治ります。時々起きて水分を適宜とり、少しでも食べられそうなものを口にしながら昏々と眠ります。具合が悪い間はいくら寝ても眠いのですが、目覚めて起きたい気分になったらほぼ治っています。治療内容が「ひたすら眠る」だけであることを考慮すると、これはもう劇的な結果だと言ってよいでしょう。

 旧約聖書の創世記の中で、神が人(男:イシュ)の骨を取り出して女((イシャー)を造る記述はよく知られていますが、その前に神が「人を深い眠りに落とされた」ことを私は失念していました。なんとなく麻酔のようなイメージで読み過ごしていたのです。しかし最近、これは「眠りというのは創造の業が行われるときである。」という意味なのではないかと思うようになりました。眠りによって人は回復しますが、体の中では途轍もないことが行われている気がします。そういえば、アブラハムがまだその名になる前に神と契約を結ぶ時にも深い眠りに落とされたのではなかったか。これも、何かしらそれまでの彼とは違う人間になったことを示しているのだと思います。普通は、食物がやがて腐っていくように、物事は放っておいたらたいてい悪くなりますが、眠りのあとは全く逆のことが起きています。体調は良くなり、気力も充実し、頭の中で混沌としていた諸々の事柄がすっきり整理されています。天地創造において神が光と闇を分け、また水と水とを分けて天と地にしたように、頭の中では睡眠中に創造の業が行われているのです。

 この点でなるほどそうだったのかと合点がいったのは「マクベス」における眠りです。ダンカンを殺した後のマクベスが真っ先に聴くのは、「眠りはもうないぞ。マクベスは眠りを殺した。」という声です。魔女の予言を聞いて、「未だ王ならざる者」以外のものではなくなったマクベスが未来を手に入れるために殺人を犯すのですが、その直後にその声を聴くのです。それも予言と同様、グラームズ、コーダーと合わせてご丁寧にも三度繰り返されます。これまで、印象的な言葉だがちょっと飛躍があると感じていたのですが、なるほどそういうことかと腑に落ちました。これは単にもう安眠できないぞというような意味ではなく、マクベスはもう創造の業に関与できなくなったという意味だったのです。

 これでずっと不思議に思ってきたマクベス夫人の夢遊病のわけもわかりました。彼女が精神錯乱を患い異常な行動をする者となるにしても、「なぜ夢遊病?」とうまく飲み込めないできましたが、ここには明確な理由があったのです。夢遊状態は本物の眠りではなく、彼女こそ眠りを奪われ創造の業から遠ざけられた者なのです。彼女が戸棚を開け何かを書き記し読み直して封印するという行為を私は密書の作成かと思っていたのですが(「マクベス夫人の憂愁 3」)、今ではあれはずばり系図の作成に違いないと思うようになりました。彼女がひたすらしているのは、自らの子孫による実現するはずのない王位継承の系図の作成と、殺人による王権奪回という過去の繰り返しであり、それだけを虚しく延々と行う者に成り果てたのです。

 創造の業の最たるものは新しい生命の誕生でしょうが、彼女にそれが訪れることはないのです。彼女自身が語ったように、彼女はかつて子供をもったことがありましたが、マクベスとの間には子がなかった。継承する者がいてこその王位なのですから、二人の王権には先がありません。これと対照的なのがアブラハムの妻サラです。彼女は「子を授ける」という神の言葉をせせら笑うほどの老年になって、子宝(イサク:笑いという意味)に恵まれ、「神はわたしを笑わせてくださった。」と言い、イサクの子孫は「天の星のように、浜べの砂のように」増えていくのです。人の目には子孫の望みがないように見えていたのに民族の祖となったアブラハムとサラに対し、王位を受けながら虚しく亡ぶしかなかったマクベス夫妻はまったく対照的に描かれています。シェークスピアが創世記を踏まえていたのかどうかわかりませんが、そうだとしたら誠につじつまの合う話です。