先日40年ぶりに中学時代の同窓会がありました。まだ現役でお忙しい方や老親の看護・介護で手が離せない方も多い中、半分近く集まれたというのはたいしたものです。実際、発起人の一人も急に来られなくなりましたが、急遽司会を頼まれた方(テレビにも出ているマドンナです!)がこころよく引き受けてくれて和やかな会でした。ただ先生がどなたも来られなかったのが、しかたのないこととはいえとても残念でした。お年を召されお疲れもあるでしょうし、いろいろお考えになってのことだと思います。その気持ちはとてもよくわかります。
中学時代といえば生き恥をさらしていた時期であり、十代から二十代前半にかけては人生で最も人づきあいが下手だった時期でもあり、私はほとんどお詫び行脚のような気持ちで参加したのですが、会わなかった月日の長さが、あんなことこんなことのすべてを水に流してくれました。私たちはあと30年もすればおおかた消えているのです。同じクラスの人はもちろん、これまであまり話せなかった方々とも、また小学校も一緒だった方々ともわだかまりなく話ができて、大人になって本当によかったと思いました。地元に根ざして立派になられている方、両親が亡くなって福島を引き払った方、お互いの立場や状況は様々ですがもう関係ありません。お互いをあだ名や君・ちゃん付けで呼べる人など他にはいません。
「今思うと、親はえらかったね。」とか、
「もう、この年なのだから、やりたいことをして、会いたい人に会っておかないとね。」とか、いろいろ話しましたが、各クラス幾名かの逝去者がすでにいるのは受け止めなければならない事実です。
居所不明者を次回還暦の年までにできる限り探そうという呼びかけと「集いの歌」斉唱で会が終了しました。昔からスパルタ的極端さが目立つ中学でしたが、予想にたがわずこの同窓会も会場貸切4時間というすごいものになりました。それでもまだまだ話せていない、話が聞けていない人がいたのが本当に残念です。発起人の方々に心から感謝し、またみんなの健康と幸福を心から願って会を後にしました。