世の中にはわからないことが多い。日本とほぼ同じ生活様式(これはもちろん日本の方が英国様式を取り入れたのです)の国でさえ、理解を越えるシステムが存在するのですから、わからないことだらけと言ったほうがいいくらいです。ましてや人間界を越えることなどわかるはずがないのです。なぜ自然災害が人間を襲うのか、なぜよい人が無意味に死ぬのか、なぜ悪人が栄えるのか・・・私たちには何もわからないのです。災難に関してはそれに遭遇した人とそうでない人の間に何か違いがあるのか、おそらく何も違わないでしょうが、そういうこともわかりません。人間の頭でわかるようなら神の領域のことではないのです。わからないのは仕方のないことであり、またそれでよいのです。ただ、時間というファクターを考えに入れればひょっとしたら理解の手がかりになるかもしれません。と言ってもその時間とは、「主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のよう(ペトロの手紙二3章8節)」な、とらえがたい不思議な時間なのですが。
2016年10月5日水曜日
「理解を越えること」
世の中にはわからないことが多いとつくづく感じる日々ですが、それでふと思い出したことがあります。もう20年以上も前のこと、イギリス旅行中にこんなことがありました。今となってはどこの都市だったか思い出せないのですが、そこから日帰り旅行を計画していた時でした。「××まで片道1枚」と切符売り場の窓口で言うと、「今日帰ってくるのか。」と問われました。「はい、日帰りです。」と言うと、「では往復を買いなさい。」とのこと。窓口の人はその理由も言いましたがよくわからなかったので聞き返しました。それでもやはりわからず、いずれにせよ帰りの切符は到着地で買わなければならないのですから、勧められるままその場で往復切符を買いました。旅行中にその切符のことがわかってびっくりしました。駅員さんが言った通りの切符だったのです。「往復を買いなさい。片道より安い。」 私がこの言葉を理解できなかったのはそれまでの人生で片道切符より安い往復切符なるものに出会ったことがなかったからです。人間は体験したことがない事柄を耳で聞いても理解できないのです。そのような切符がいまだに存在するとは思えませんが、おそらく平日(週末かもしれない)の特定の時間帯とか、目的地が何キロ以下(以上かもしれない)といった縛りの多い特別切符だったのだろうと思います。
世の中にはわからないことが多い。日本とほぼ同じ生活様式(これはもちろん日本の方が英国様式を取り入れたのです)の国でさえ、理解を越えるシステムが存在するのですから、わからないことだらけと言ったほうがいいくらいです。ましてや人間界を越えることなどわかるはずがないのです。なぜ自然災害が人間を襲うのか、なぜよい人が無意味に死ぬのか、なぜ悪人が栄えるのか・・・私たちには何もわからないのです。災難に関してはそれに遭遇した人とそうでない人の間に何か違いがあるのか、おそらく何も違わないでしょうが、そういうこともわかりません。人間の頭でわかるようなら神の領域のことではないのです。わからないのは仕方のないことであり、またそれでよいのです。ただ、時間というファクターを考えに入れればひょっとしたら理解の手がかりになるかもしれません。と言ってもその時間とは、「主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のよう(ペトロの手紙二3章8節)」な、とらえがたい不思議な時間なのですが。
世の中にはわからないことが多い。日本とほぼ同じ生活様式(これはもちろん日本の方が英国様式を取り入れたのです)の国でさえ、理解を越えるシステムが存在するのですから、わからないことだらけと言ったほうがいいくらいです。ましてや人間界を越えることなどわかるはずがないのです。なぜ自然災害が人間を襲うのか、なぜよい人が無意味に死ぬのか、なぜ悪人が栄えるのか・・・私たちには何もわからないのです。災難に関してはそれに遭遇した人とそうでない人の間に何か違いがあるのか、おそらく何も違わないでしょうが、そういうこともわかりません。人間の頭でわかるようなら神の領域のことではないのです。わからないのは仕方のないことであり、またそれでよいのです。ただ、時間というファクターを考えに入れればひょっとしたら理解の手がかりになるかもしれません。と言ってもその時間とは、「主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のよう(ペトロの手紙二3章8節)」な、とらえがたい不思議な時間なのですが。