私は安倍内閣の御用放送局と成り果てたNHKに期待することはもう何もないのですが、今年の終戦記念日のNHKスペシャルは期待していなかっただけに秀作だと感じ、まだこのような番組を作る力があったのかと少々見直した次第です。今年の放送は、8月14日が「村人は満州へ送られた~“国策”71年目の真実~」で、8月15日は「ふたりの贖罪(しょくざい)~日本とアメリカ・憎しみを越えて~」でした。前者は、国策に翻弄されて村人を満蒙開拓団に送って戦死や集団自決の悲劇を生んだ自責の念から後に自殺した旧河野村(現豊丘村)の元村長、胡桃沢盛の日記を扱ったもの、後者は、太平洋戦争で相手国を憎みぬいた日米の軍人(真珠湾攻撃の総指揮官淵田美津雄と名古屋大空襲を実行したアメリカ陸軍航空隊のジェイコブ・ディシェイザー)が終戦後いかにして憎しみから解放されたかという軌跡を扱ったものでした。
前者について、これが今現在も形を変えながら日本中の役所や企業や学校や病院で見られる構図であることは一度でも勤めたことがある人なら深く同意するでしょう。ということは、ひとたびまた戦争という方向に向かう時には同じことが起こるということです。
後者について私が思い出すのは、「アメリカ社会でキリスト者として生きるということはエイリアンとして生きるということだ。」と語ったあるアメリカ人の言葉です。そうだろうと思います。市民社会において銃の所持が権利として認められ、国際社会では世界最大の軍事力を保持し正義の名のもとに他国の市民の頭上に爆弾を雨あられと降らしてきた国なのですから。そういう中にあって「キリスト教」ではなく「キリスト」を信じていきるとすればエイリアンにならざるを得ないでしょう。私は以前「日本のクリスチャン」について、人口の1%に満たないというのは案外妥当な数字かもしれないと書きましたが、真にキリストの平和を求めて生きるアメリカ人もきっと数的にはそんなものだろうと思うのです。
今回の放送では、相手国の国民をできるだけ多く殺したいと思っていた二人が、同じイエスの言葉(「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」)に出会うことにより自分の罪を認めるに至った経緯が描かれていました。昨年の安保法案反対運動を牽引した学生団体SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)の少なくとも何人かはクリスチャンもしくはその周辺の人でした。確かめたわけではありませんがスピーチを聞けば分かります。また、8月15日の解散時に出されたwebページには不正と暴虐が満ちる世界で自由と民主主義そして平和を希求する人間像が全編にわたって描かれており、一瞬でしたがキング牧師のワシントン大行進の映像も挿入されていました。
神の支配による完全な平和を神の国とするなら、「神の国はいつくるのか」という問いに対してイエスは、「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」(ルカによる福音書17章20~21節)と答えています、その少し前で、「もし兄弟が罪を犯したら、戒めなさい。そして、悔い改めれば、赦してやりなさい。一日に七回あなたに対して罪を犯しても、七回、『悔い改めます』と言ってあなたのところに来るなら、赦してやりなさい。」と「イエスは言っているのですから、まさにこのような、赦し赦されるということが実現している人間関係こそ、神の国なのだと語ったことになるのでしょう。人間にとって最も難しいことの1つは自分に対して罪を犯した人を許すということですが、様々な人間的弱さや限界があっても、キリスト・イエスを仲介とする時にのみそれが起こりうるのです。今回の放送でその可能性を描いたことに、NHKの一片の良心を見た気がします。