2018年12月27日木曜日

「消費文化の片隅で」

 現在の消費社会において、文明国の人間が不通に必要と感じる製品は、私はほぼすべて持っています。冷蔵庫、洗濯機、エアコン、電子レンジ、パソコン、掃除機、炊飯器、といった必需品ばかりでなく、電気ケトル、サイフォン、パン焼き機、TVの音も入るラジオ等の贅沢品も所有しており、毎日快適に生活しています。以前は必要だった自家用車は今では公共交通に任せているため様々な心労や雑用はなくなりました。着るものには昔から関心がなく、食べ物もごく質素なものをおいしくいただける性分なので、こちらも何不自由ない生活です。「おいしいものは糖と脂肪でできている」という名キャッチコピーがありましたが、これも昨今の異常な健康志向の前には、特別な時以外影をひそめています。

 しかし、消費社会とは侮れないもので、他人の欲望によって自分の欲望が点火されることもあります。というより恐らくそれがほぼ社会の実態で、本当は欲しくもない者、要らないものまで必要だと思わせるのが資本主義というものなのでしょう。さて、私が今年後半に一番買ってよかったと思ったものは、ヨーグルトメーカーです。後半にというのは、前半のことはもう覚えていないからで、何か買っているとは思いますが、たぶん失敗に分類される買い物なので覚えていないのでしょう。大勢に影響のない嫌なことは忘れられるというのも、幸せに生きるために大事な能力です。今までもヨーグルトは好きで食べていましたが、コマーシャルで霊長類最強と言われる女性が宣伝している「強い」ヨーグルトが注意を引いたのです。確かにおいしいし、免疫的に強くなりそうな気がする・・・・? まんまと罠にはまって食べ始めたのです。しかし高い。小さなカップが百円以上もする。ヨーグルトメーカーを探したら、温度設定やタイマーがついているものはそこそこの値段するが、何もない(即ちコードをコンセントに差すだけの)ものはお値打ち品価格で出ていました。納豆や味噌や塩麹や甘酒を作る人は温度調節機能やタイマーが必要でしょうが、私は絶対作らない。納豆も味噌も塩麹も市販の物を買うし、甘酒は嫌いだし。夜寝る時に環境を整えてやれば、乳酸菌という小人さんが夜通しせっせと働いて牛乳をヨーグルトに変えてくれる・・・。できたかどうか様子を見る時間が1時間ほどずれても気にしない大らかな小人さんたちなので、」タイマーもいらない。コンセントへの抜き差しだけなら面倒がなくて尚よい。

 というわけで、今年購入した贅沢品はヨーグルトメーカーです。これが非常に良いのです。1リットルの牛乳のカートンに1カップのヨーグルトを入れて夜セットしておくと、翌朝には1リットルのヨーグルトになっています。40℃がヨーグルトの好む発酵温度だそうで、これには外気温がやや関わるので、夏な8時間、寒い季節は9~10時間で完成です。酷寒の地に住む方がヨーグルトが固まらなかったというレビューを載せていたので、冷え込みがひどい時はこたつの中に入れて一晩おくといった工夫をしています。いまのところ失敗は一度もなく、毎日おいしいヨーグルトを惜しみなく食べています。たぶん4回以上作ったので元は取れているはずです。興味のある方にはお勧めしたいです。欲望の連鎖にはまってみるのも時にはいよいではないですか。


2018年12月25日火曜日

「紅春 131」


 兄が用事のため朝早く出かけ帰りも夜遅くなった日、そろそろ就寝の準備をしようとしていた私の脇で、りくはうとうとしていました。幸いその後すぐ兄が帰宅して、いつもとは3時間遅れくらいでその日の散歩をして一日が終わりました。りくは寒くなってからは二階の兄の隣の部屋で眠ることはなく、茶の間のこたつで寝るようになっています。ところが翌日、兄に聞いたところでは昨晩はりくが二階に来て、まさしく布団の隣でねていたとのこと、しばらくして「下でちゃんと寝ないとだめだよ」と言われて降りて行ったとのことでした。ちょっとでも毎日の生活に変化があると、心配性のりくの心にも影響を与えるようです。時々不在の私と同様、兄もいなくなったら困るなと思ったのかもしれません。

 また或る時、私が近くに買い物に出てすぐに戻った時も、私が帰るまでりくは階段の下から吠えたり唸ったりして声を出し続けて、うるさくてかなわなかったと言っていたこともありました。これは言うまでもなく、「姉ちゃんいなくなった。早く捜して」です。こんなに繊細な柴男ではこれから先本当に心配です。


2018年12月19日水曜日

「年賀状についての雑感」

 気づいてみると年賀状を出し始めてからそろそろ半世紀になります。年に一回のことではありますが、これだけ惰性の強い慣習も珍しく、昨今はメールでのご挨拶に変えた方も多いことでしょう。年末のこの忙しい時になにゆえ賀状を書かねばならないのか、勤めていた頃は特に面倒な慣習と思っていました。料金は今年ついに一昔前の封書と同じ値段になり、郵便局も販売促進のコマーシャルを諦めたようです。新年のご挨拶は自分に合った方法で行えばいいのですが、私は今でもメールに比べて投函までの手間暇が格段に大変な昔ながらの紙のハガキです。

 これだけ続くにはそれなりの理由があるはずで、恐らくこういう時代遅れの鈍臭いことが私の性に合っているのです。以前、知り合いから新年と同時にメールで年賀状が届いたことがありましたが、それ1年きりでした。それを除けば、毎年ほぼ同じ方々から同じ数だけ、手触りのある年賀状が届きます。私の場合はメールでの繋がりはすぐ途絶えますが、年賀状は書かれている中身のお目出たさとは裏腹に、あたかも厳粛な儀式ででもあるかのように途絶えることがありません。この歳になると明らかに安否確認の指標なのです。これほど返信義務の強い便りも珍しく、喪中の場合はともかく、それ以外で出した年賀状の返事が来ないことはまずありません。そして、もしそういうことが起こった場合は重大な事態が生じている可能性があることを知るまでに、私も長い年月を費やさなければなりませんでした。

 また、初めてご高齢の方から「年賀状は今年限りと致します」という賀状を受け取った時は、それなりにショックで悲しかったことを覚えていますが、ご本人が決めたことなら致し方ないと、今では理解しています。年を重ねるにつれて私自身の年賀状との付き合い方も変わっていくことでしょう。今のところいつもいよいよ〆切が迫って、大慌てで間に合わせの年賀状を用意するといういい加減ぶりですが、今年もとりあえず無事を知らせる賀状をせっせと出すことにします。


2018年12月14日金曜日

「日本の近現代を知る 」

 今年は9月に東京で通っている教会の「百年史」を頂いて興味深く読んだのを皮切りに、同教会で長く長老を務められた方から自伝を10月に、大学で日本の近現代史を研究している中学時代の同級生から書籍を11月に頂き、なんだか日本の近現代史がにわかにマイブームとなりました。

 頂いた自伝では、激動の時代をキリスト者として生きられた事実が、非常に丹念な記録に基づいて書かれていました。父と同じ昭和2年のお生まれでしたので、それだけでも強い興味が湧きましたが、この年代は本当に戦争によって勉学の時間を奪われ、学問への渇望がとどまるところを知りません。戦争で人を殺したくない一心で少しでも学徒出陣を遅らせるために、全く向いていない理科系の上級学校に進学し、昭和20年5月のB29五百機による横浜大空襲に遭遇し、命からがら死屍累々の中を歩いて東京に帰った経験をお持ちです。絶望的な現実を大好きな様々な語学の学習で紛らわしていた方で、始めは全く分からなかったカントも読んでいるうちわかるようになったというから傑出した才能であることは間違いありません。この方は英語・独語ばかりでなく、他の言語も同様に自分のものにできてしまう語学の天才です。戦後は理科系の学校で身に着けた知識を用いて中等学校で理科を教えて学費を工面しながら、旧制の私立大学文学部倫理学専攻に入学し、やはりと言おうかフルブライトで留学を果たしました。今はご高齢のため礼拝に見えることも少なくなりましたが、教会でもつい最近までヘブライ語やギリシャ語を教えておられた方です。才能を専有してはならないということを身をもって示されていました。

 11月に頂いた本は、人文科学系大学院の教授が編者となり、かつてのゼミ生に依頼して近代日本の思想について15の観点からまとめた研究成果でした。15講は大きく「空間」、「媒体」、「手法」の3つに分けられ、様々な切り口から、きちんとした文献学的分析また実地調査による丹念な事実の掘り起こしがあり、知らないことばかりでしたのでとてもためになりました。とにかく読んで思ったのは「学者って大変だなあ」ということで、事実と事実の間に隙間があれば決して飛び越えることができないのは私にはもどかしくてとても無理だなと思い知りました。読んでいるうちいろいろなことが繋がってきて、「これはこうなって、・・・こうなって・・・それからこうなって・・・そして・・・え~そうなの~」と、例によって想像力が暴走してしまいました。面白いことを思いついてしまうと話さずにはいられない質で、アイディアをサラサラと書いて送ったのですが、よくよく考えると失礼なことをした気がして、怒っていないか心配です。ま、これは中学の時からのことなので、今更仕方ないんですけど。人間そうそう変わるもんじゃありません。

2018年12月8日土曜日

「アブラハムにしか聞こえない声で」

 ずっと不思議に思っていたことの1つに、神に呼び出された時のアブラハムとモーセの対照的な姿があります。アブラハム(最初の名前はアブラム)の方はこうです。(創世記12章1~5節)

時に主はアブラムに言われた、「あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい。 わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう。
あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。
地のすべてのやからは、あなたによって祝福される」。
アブラムは主が言われたようにいで立った。ロトも彼と共に行った。アブラムはハランを出たとき七十五歳であった。 アブラムは妻サライと、弟の子ロトと、集めたすべての財産と、ハランで獲た人々とを携えてカナンに行こうとしていで立ち、カナンの地にきた。

これだけです。「行きなさい」と言われて、「言われたようにいで立った」のです。エジプトで苦しむイスラエルの民を導き出させるために、神が呼びかけた時のモーセの態度はそれとは対照的です。

モーセは神に言った、「わたしは、いったい何者でしょう。わたしがパロのところへ行って、イスラエルの人々をエジプトから導き出すのでしょうか」。  (出エジプト記3章11節)

モーセは神に言った、「わたしがイスラエルの人々のところへ行って、彼らに『あなたがたの先祖の神が、わたしをあなたがたのところへつかわされました』と言うとき、彼らが『その名はなんというのですか』とわたしに聞くならば、なんと答えましょうか」。 (出エジプト記3章13節)

モーセは言った、「しかし、彼らはわたしを信ぜず、またわたしの声に聞き従わないで言うでしょう、『主はあなたに現れなかった』と」。  (出エジプト記4章1節)

モーセは主に言った、「ああ主よ、わたしは以前にも、またあなたが、しもべに語られてから後も、言葉の人ではありません。わたしは口も重く、舌も重いのです」。  (出エジプト記4章10節)

モーセは言った、「ああ、主よ、どうか、ほかの適当な人をおつかわしください」。 (出エジプト記4章13節)

これほどの違いは、単にアブラハムが家族・親族だけを連れて旅立てばよかったのに対し、モーセは大勢のイスラエルの民を連れ出さなければならなかったから、とのみ言うことはできないと思います。アブラハムは恐らく霊的に研ぎ澄まされた人だったのでしょう。神を求めるシグナルをずっと出し続けていた人なのだと思います。それを捉えた神がまたアブラハム宛てのメッセージを送った。それはおそらくアブラハムにしか聞こえない声だったのですが、彼はそのシグナルを間違いなく捉えて従ったのです。ちょうど制御不能となって宇宙をさまよっていた「はやぶさ」の微小なシグナルをジャクサの職員たちが寝ずの番で待って受信し、軌道に戻したように。

 モーセには弁の立つ兄のアロンが同行者として与えられました。『民数記』6章24~26節にアロンの祝福が出てきますが、私が東京で通っている教会では、この言葉がいつも礼拝の終わりに派遣の言葉と共に発せられます。

「願わくは主があなたを祝福し、あなたを守られるように。
 願わくは主がみ顔をもってあなたを照し、あなたを恵まれるように。
 願わくは主がみ顔をあなたに向け、あなたに平安を賜わるように」。

ここで「顔」という言葉が二度出てくることもずっと気になっていたのですが、或る時ふっとその意味がわかりました。これは、神から「ほかならぬあなたへの」祝福であり、恵みであり、平安なのだというメッセージを知らせる手がかり、符牒だったのです。アブラハムはそのしるしをすぐに捉えられたひとでした。モーセはこのメッセージが自分宛てのものかどうか自信が持てず、何度も何度も確かめたのです。それが本当に自分宛てのシグナルであれば、どうしても解読し応答しなければならないことは彼にもわかっていたからです。

2018年11月29日木曜日

「紅春 130」

りくは命令されて「お座り」をすることはありません。「お手」も「伏せ」もコマンドさえ知りません。それらは皆、犬にさせる芸だからです。ご飯の時くらいはお座りをさせようとしたこともあったのですが、「なぜお座りという芸をしなければならないんですか」と言われ、「まあそんなこと言わずに、ご飯あげるから」となだめてお座りさせようとしたら、「姉ちゃんは飼い主なんだから、ご飯をくれるのは当たり前でしょ」と言い返されて、その通りなのでぐうの音も出ませんでした。

 りくがお座りをするのはお願い事がある時です。散歩に連れて行ってほしいときはいつまででもお座りの姿勢を崩しませんし、お肉のトッピングでおいしかった時もやはりお座りをし、わかりやすい仕方で「今のもう一杯!」と知らせてきます。人にお願いするときは礼を尽くさなければならないことは、教えなくてもわかっていて自分からちゃんとするのです。

 困るのは、事情を知らない方、宅配の人や散歩中に会った見知らぬ人が、時々りくに「お座り!」や「お手!」のコマンドを出す時です。「あ、教えてないので」と説明しますが、どうも「こんな基本的なことも教えてないのか」と驚かれるようで、りくがバカ犬のように思われるのはつらいです。「あなたは家族に『お座り』をさせるんですか」と言いたいのをぐっとこらえて、その場を耐えています。りくは人間並みに賢いのです。

2018年11月23日金曜日

「ノーベル賞に通じる道」

 近年ノーベル賞受賞者発表の時期になると、「今年もいるかな」と少しわくわくする気持ちが心をかすめるのですが、毎年のように日本人がノーベル賞を受賞していることが巷でひそかなトピックになっていることを最近知りました。私も世界のトップ10くらいには入っているかと思っていたのですが、それどころではないようなのです。それぞれの受賞者の人数のカウントは出生地や研究実績のある国のこともあれば現在の国籍だったりと多少ずれがあるようですが、或る資料によると、今までのところアメリカ合衆国が全体のほぼ半分という圧倒的多さを誇り、次いでイギリス、ドイツ、フランス、スウェーデン、スイスと来て日本は7位です。ちなみにロシア、オランダ、イタリアまでがトップテンに入っています。すぐ気づくのは、アメリカには日本には一人もいない経済学賞の受賞者が多く、またフランスには文学賞が、スイスには平和賞が、スウェーデンにはそのどちらもがそこそこに多いということです。

 これらの賞ももちろん大変な賞ですが、理科系というか自然科学分野のみの比較を行っている資料もあります。文科系の人間が見ると、「本当に頭のいい人」とも言えるハードウェア―のスペック比較のようであまりいい気はしませんが、これはこれで一つの資料です。 それによると、アメリカの圧倒的な強さは変わりませんが、イギリス、ドイツ、フランスに次いで日本が5位です。もう少し年代を区切って見ると、日本には戦前の受賞者がいないのに対してドイツとフランスは戦前(すなわち70年以上前)の受賞者が多く、戦後に限って言うなら日本はフランスを抜いて4位になります。ところが話はここで終らず、21世紀に入ってからの比較をしている資料もあるのです。あまりスパンが短いので意味のある比較かどうか疑問ですが、単純に2001年~2017年で言うと、1位アメリカ(66人)、2位日本(16人)、3位イギリス(11人)、4位フランス(7人)、5位ドイツ(6人)という驚くべき結果になっています。なお、経済学賞まで含めたこの期間のランキングを出している英国の教育誌「タイムズ・ハイヤー・エデュケーション」では、日本は3位に格付けされていますが、私はこの資料を信頼性の点で却下します。理由は中国が10位に格付けされているので「そんな人いたっけ?」と調べてみたら、なんと2009年に物理学賞を受賞した英、米国籍のチャールズ・カオ氏が上海生まれという理由で、また2010年に化学賞を受賞した日本の根岸英一氏が満州国生まれという理由で中国にカウントされており、「いくらなんでもそれはないでしょう」と思ったからです。疑念の目で見ると、この英国教育誌での格付けを決める得点は、「受賞者が1人なら1点だが、2人で共同受賞した場合は各0・5点、4人なら各0・25点とする」という不可解な採点方法を採用しており、これは純粋な受賞者数で英国を上回る日本を3位に格付けするためにとった強引なやり方にも思えてきます。

 目ぼしい国の中にアジアでは日本以外の国が出てこないのですが、そのことで日本人の優秀さを誇りたいのでもなければ、近隣諸国を蔑視しているのでもありません。ただ日本は恵まれていたのだということは確信を持って言えます。すなわち19世紀の内乱ともいえる明治維新前後の混乱の時代、また20世紀の悲惨な戦争の時代を別にすれば、日本は徳川の治世よりざっと400年の平和な時代があったことです。安心して好きなことをできる環境、「何だかよくわからないけど、これを追っていくととてつもなく面白いことになりそう」といった事柄に没頭できるのは太平の世でなければあり得ないことです。子供の頃、楽しみにしていた土曜夕方のテレビドラマに平賀源内を描いた「天下御免」と田中久重を描いた「からくり儀右衛門」というのがあり、この番組は同世代の人なら必ず話が盛り上がるほどよく知られたものです。こういう「かなり変わっているが面白いことを考えており、放っておくととんでもない達成をしてしまう人たち」という一つの類型が、細々とではあるが脈々とそれなりに典型的な系譜としての地歩を保っているのが日本という国です。これは千年前の物語でも母国語で読める豊穣な文字文化、特に外的と争う必要のなかった江戸時代の太平の中で、生まれ発展した出版文化が庶民にまで行き渡っていた成熟した社会を抜きには語れません。それは少数の階層上位者がラテン語を通して知のネットワークを形成していた中世~近代ヨーロッパの学究の在り方とは全く別物なのは明らかです。オクスフォード出の才女ジェーン・オースティンが『高慢と偏見』や『エマ』を書いていた頃、日本では十返舎一九の滑稽本『東海道中膝栗毛』に庶民が手を打って笑い転げていたのですから。十返舎一九は作品執筆による収入だけで生活した、日本初の職業作家ともいわれており、職業的著述業の成立を可能にする規模の出版市場がこの頃生まれたというのは世界中で日本だけだったでしょう。

 ヨーロッパにとっての問題は、国民国家となりラテン語文化圏が消滅した後の知的レベルの構造です。階層化された社会であることは間違いなく、かつ西欧の主だった国々はどこも移民社会であることを踏まえると、特にその国の言語(フランス語なりドイツ語なり)を自在に扱えない国民の割合が増えてくると、ノーベル賞級の知的ブレークスルーを起こし得る要件も減っていかざるを得ないでしょう。さらに、金もうけ至上主義に席巻された後の世界では、「金になりそうもないことはしない」という価値観が骨の髄まで染み込んだ人が多いのも、大きな問題要因だろうと思います。日本でノーベル経済学賞受賞者が出ないのは、経済に関心のある人は皆、実際のビジネスの場に出て行ってしまうからかもしれません。

 アジアの場合は、国土の蹂躙やその後の混乱及び困難な歴史に日本も取り返しのつかない仕方で加担してきたのですから、これはもう心から詫びるしかありません。そのうえであえて言うなら、近隣主要国において取れていておかしくない自然科学系のノーベル賞がまだ取れていないことには政治体制の在り方の違い以外にも理由はあるようにおもいます。それは民衆文化の違いです。1つには、日本では真にオリジナルなものに対して敬意を払い万雷の拍手を惜しみませんが、達成の果実を素早くコピーするのが賢い振る舞いとされる社会ではオリジナルなものが生まれ育つはずがないということです。他人の努力の結晶をパクることは一時的には得をしたような気がするかもしれませんが、長い目で見れば自分を毀損する大損と言える行為です。

 そして2つ目は、自分をその未熟さを含めてどれだけクールに客観視できるか、自分が今いる場所をマッピングできるかに関わる問題です。毎年話題になる村上春樹のノーベル文学賞受賞漏れも、日本では「残念だな」と思うもののそれだけの話ですが、いまだ無冠の隣国では「我が国が受賞できないのはロビー活動が足りないからだ」という、日本人には思い浮かびもしない憶測が流れるのです。このような方向に考え始めると、単に膨大な時間とエネルギーを無駄にするだけでなく、以前ノーベル賞に絡んで起きた論文捏造事件のような空気圧を生み、ますます研究者を追い詰めてしまいます。こちらの国は漢字文化を捨ててインテリの言葉としては英語へとシフトしましたが、わずか一、二世代前の文献さえ読めない状況は、自国の知的アーカイブにアクセスできないことを意味し、これはまさに自国文化の根源を喪失しつつある深刻な事態であり、他国のことながら本当にもったいない、惜しいことだと思います。

 とはいえ、日本も30年かけて文科省の愚策が完遂されつつある状況なので、もうノーベル賞受賞者が出ないという現実がいつ訪れても私は驚きません。学問に関して私が願うことは、「干渉しないで好きなことをやりたいようにやらせてみるしかないでしょう」ということです。高等教育の場ではもうそんな環境はどこにもないのでしょうか。少なくとも、「結果が何ものになるかわからないが、なんとか食べていければいいからこれを研究したい」という人たちに、呼吸ができる場を与えてあげてほしいと切に願います。



2018年11月18日日曜日

「炊飯器騒動」

 「なんかお米がうまく炊けなくなったな」と思ってから2日、ついに炊飯器が壊れてしまいました。スイッチが入らずどのボタンも押せないという明らかな故障で、保証書を調べてみると購入してから12年経っていることがわかりました。12年で壊れるのは早すぎると思うのですが、動かないのですから仕方ありません。

 新しい家電が帰るのはわくわくするもので、さっそく調査してみると驚くことがたくさんありました。先入観にとらわれてそれが当たり前と思っていたのですが、そもそも既存機はなんと5合炊き! どう考えても大きすぎます。次第に思い出したのは当時玄米にこだわっていて、それが炊ける炊飯器を最優先して選んだこと、何かの時にご飯をたくさん炊く必要があるかもしれないから5合くらいは必要かもと思ったことなどですが、今は金芽米にしているし、大量にご飯を炊く必要など起こりそうにない・・・。いつも1.5合を釜の底に薄くへばりついたような状態で炊いていたが、それとて冷蔵して2日くらいかけて食べていたのです。今はもう、何か特別な場合を想定してさえ3合でも多い、2合でよいと考えました。

 ところが調べてみたところ、2合炊きというのはほぼ存在せず、少量ということなら0.5~1.5合までがおいしく炊ける炊飯器(1~2人用)というのが主流だったのでびっくり仰天でした。時代はここまで来たかという感じです。これはもう(私は使ったことがないですが)昔あったお弁当用の保温ジャーくらいの大きさですから、どうも旅行先等に持ち歩いて自炊している人も多いようなのです。「炊飯器を持参する時代になったのか」としばし茫然。家で炊く場合も、触れ込みでは20分ほどで炊けるので、毎食食べきりの量を炊いて暖かいご飯を食べている人も多いとのことでした。お湯に関して起きている状況、魔法瓶は使わず必要な時に必要な文だけ沸かすというのと同じことが炊飯でも起きていたのです。

 某通販サイトではかなりお安い価格なので、とりあえず1.5合炊きを注文することにしました。「簡単な操作で、内釜はフッ素加工、一応保温できて、タイマーは12時間予約できるのがほしいな」と、レビューを読んでようやく1つ決めたのですが、注文しようとして不測の事態に気づきました。ここで注文したものはほぼ翌日届くという思い込みがあり、気に留めていなかったのが発送時期。よく見ると「発送は5日後」、ということは届くまで7日? 通販生活の便利さの陥穽にはまった感じでした。どうやって一週間米を炊かずに過ごせというのか、私の友達も「とにかくご飯さえあればなんとかなる」といっていたのに。

 選び直しはもう開き直り、評価が4を切っておりレビューにもばらつきがあるが、目を疑うような価格にもかかわらず先ほどの条件は満たしている製品を、ほとんど賭けのような気持ちで注文しました。これは翌日配送され、白米と無洗米のボタンがあったので無洗米0.5合炊いてみましたが、普通においしく炊けました。ただ予約設定が1時間おきにしかできず、4時間の予約設定でなぜか3時間40分後に炊き上がっていました。そのまま保温に切り替わっていたので問題はなかったのですが、何分間で炊けたのかチェックし忘れ、今後炊く合数を変えて調査してみないと、まだ評価は下せません。いずれにせよ、おもちゃのような大きさの製品および価格なのに、一応おいしくご飯が炊けるのですから、私のような米にこだわりのない人間にとってはありがたく、とても文句は言えません。

2018年11月12日月曜日

「こんなふうに老いたい」

 私は年配の方のお話を聞くことが好きですが、それはやはり長い人生経験から語られる言葉には耳を傾けなければならないと思うものがあり、考えさせられるからです。また、年下の方でもそのお話を聞いて「若いのにエライ」と思う人々は、その人自身の独自の考えと言うより周囲に立派な大人がいるのだろうと思わされることが多いです。人生の良きロールモデルを見ながら自分なりの歩みを進められる人は本当に幸いだと思います。

 私はこれまで学校においても職場においても、同じ年頃のクリスチャンの友人というものがいなかったのですが、何年か前にほぼ同い年の友人ができ、近頃は時々一緒にお茶をすることがあります。年代が同じだとこれまで生きてきた時代がおなじですから共通点も多く、今後の人生についての話も合うのです。その友人は、「こういうふうに歳をとりたいと思う人が世の中にはいないけど、教会にはいる」と言うのです。この言葉にあまりピンとこなかったのは、勤めていた時はそれなりに立派な年配者はいたし、退職後は世の年配者と接する機会がほぼ無いせいかもしれません。現在私が接するのは大体教会の方で、いつも快活でにこやか、素晴らしい働きをなさっている方々ばかりなので、年配者とはそういうものだと思っていたのですが、一般世間的にはそうではないのでしょう。

 11月の第一日曜は逝去者記念礼拝がある日でしたので、私も帰省して福島教会に参りました。この日は11月とは思えぬようなうららかな天候に恵まれ、教会堂で礼拝をささげた後、行ける人は信夫山の教会墓地で墓前礼拝を守りました。福島教会には1893年から125年の間に180名もの先に天に召された兄弟姉妹がおり、教会員を含めご遺族が何人か出席されました。礼拝説教は「死んでも生きる」と題して、ヨハネによる福音書11章から御言葉を頂きました。

「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。 生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。」 (25、26節)

 この日歌った讃美歌385番「花彩る春を」の一番の歌詞はこうです。

花彩る春を この友は生きた
いのち満たす愛を 歌いつつ
悩みつまずくとき この友の歌が
私をつれもどす 主の道へ

 この歌詞の如く、召された一人一人の信仰の姿勢が季節の中で私たちに語りかけ、生きている人とは別のしかたで触れてくるのを私は日々感じています。私にとってすでに召された信仰者が「生きている」ことは体感的にもその通りであり、先ほどのヨハネ福音書の言葉には深い感謝をもってアーメンと言うほかありません。

2018年11月6日火曜日

「紅春 129」

先日、町内会の秋の大掃除がありました。普段なにかとお世話になっているので、帰省した時こういった行事に参加できるのはありがたいことです。りくは春と秋の大掃除の時いつも外に出しておくので、もう慣れっこでおとなしく定位置で皆の働きぶりを監督しています。作業の合間に町内の方がりくのことで声を掛けてくれます。


「ずいぶん白くなったね。いくつになったい?」
「12歳です。もう高齢だから、まつげやひげは真っ白です。」
「来たばっかりの頃は白いところなんかなかったけど。」
「そうですか。一緒に暮らしているとそれほどとは思いませんでした。」

もちろん、柴犬は裏白といってお腹側は子供の頃から白いのですが、お腹なんて見せるのはまあ飼い主に対してくらいですから、他の方がそのことを知らないのは当然です。ただ、やはり白い部分が増えているのは確かです。手足も元は足袋や白い手袋程度だったのが、だんだん白いソックスくらいになり今ではもうハイソックスくらいの長さです。これが白タイツになっても、たとえ全身白柴みたいになってもりくはりくです。長生きしてください。

2018年11月1日木曜日

「病院のアンケート調査」

 通院している病院で、たまたまアンケート調査の日に当たりました。「面倒だな」と思いましたが、考えを変えて真面目に書くことにしました。こういう取り組みを日頃の鬱憤を晴らす機会と考える人が時々いますが、それはやってはいけないことです。主催は経営陣なのですから、この病院に雇用されている職員は戦々恐々としているはずです。細かいことをあら捜しされて低い評価がつけば、「患者様のご意見」を盾にどんな抑圧的な対応がなされるかわかりません。もちろん常識的に見てとんでもない職員がいれば別ですが、私の知る限りそんな人はいませんし、いたらアンケートに関わらず申し出ています。学校で行われている授業評価と同じで、特別問題がなければ、できるだけ寛大な目で評価し、相手を萎縮させぬようにもっていくのが得策です。人は気分よく働いているときが最もパフォーマンスが上がるからです。

 主な質問項目は、「治療について」、「医師の対応について」、「看護師の対応について」、「事務職員の対応について」、「採血時の待ち時間について」、「診療科の待ち時間について」、「病院内の環境について」等でしたが、私はこういう場合いつも「5」か「4」に評価します。本当は「5」だけでもよいのですが、それだといい加減に評価しているように思われてもこまるからです。(今回、食べたことはないけれど、「レストラン」の項目だけは「3」にしました。一見したところ普通のメニューなのに、これがべらぼうに高い。)

記入欄のところではそれぞれ次のように書きました。
①「診療科の待ち時間について」・・・「早朝、採血をして、診療時間まで待つのは長くても苦ではありません。ただ、採血順受付待ちの席取りはやめさせてほしいです。」
注:これは早朝、機械による受付を開始と同時に済ませて、すぐ採血場所に向かっても、既に二列目まで(誰もいないながら)長椅子に物を置いての席取りがあり、それが以前より明らかにエスカレートしてきたからです。
②「診療科の受付の待ち方について」・・・「順番に長椅子に座って待つという暗黙のルールがありますが、初めての方はこれを知らず並び直しになって気の毒です。」
③「採血に関して」・・・「採血は非常にうまいのですが、採血しにくい体質で申し訳ないです。今までに二度ほど採り直しになりました。何か良い方法があるでしょうか。」
④「医師・看護師・職員の対応に関して」・・・「全体として、皆さま高い意識をもって働いていらっしゃると思います。」

 最後の方に、「この病院を知人にも紹介したいですか」というような質問もありましたが、これは「4」の「まあしたい」です。治療に関して不満はないのですが、いつも満員状態、待合所の長椅子に空きがないほどなのです。これ以上増やしてどうしようというのでしょうか。しかも、電車の駅は見事にどこからも遠く、バスや車が必須です。最後の記入欄には、「一番の課題はアクセスの方法でしょうか。」と書いて投函しました。こうしてみると、自分がいかに「機会均等・公平無私であること」を尊重しているかがわかります。こういう発想は世界に誇れる「国民健康保険」という公的診療が、骨の髄まで身についている国で生活していなければ出てこないでしょう。私が言うのもなんですが、この素晴らしい制度だけは治療側も患者側も一致協力して無駄をなくし、将来にわたって維持していってほしいです。

2018年10月28日日曜日

「インターネット接続の修復」

 私がいつもパソコンを2台使っているのは、どちらかが不調でももう一台が用をなしてくれるからで、これは管理組合の議事録署名人であること、また教会の会報委員であることと無縁ではありません。自分の楽しみのためだけなら、修理が終わるまで待てばよいだけですが、半ば公的な ものではそうもいかず、メールが送受信できない日が一日でもあれば困ります。

 その日は、パソコンAを開いてメールチェックをした時点で、嫌な予感がしました。パソコンBには届いている今日のメールが来ていない。画面のアイコンを見ると、インターネット接続ができていない。パソコンBは正常に機能していることから、これは明らかにパソコンA独自の問題です。この手のトラブルはいつもそうですが、こうなった原因も、修復にどれくらい時間がかかるかもわからず、気が重くなりました。

 それから、設定を調べてトラブルシューティングを行ったり、何年か前に変更したプロバイダー契約を取り出してユーザーIDやらパスワードやらを調べたりしましたが、お手上げでした。本当は天気も良いしちょっと買い物身でもと思っていたのですが、それどころではありません。そのうち、「そういえば・・・」と、このノートパソコンはケーブルの挿入口もあったことを思い出し、器具庫からゴソゴソとケーブルを取り出し(何でも取っておくものですね)ルーターと繋いでみたら、インターネットに繋がりました。「いざとなったらこれで繋がる」と思ったらかなり安心し、すでに何時間もたっていたので、ここでちょっとうたた寝してしまいました。

「ああ、やっと解決できた」という夢を見て目覚めましたが、無論事態は何も変わっていません。徒労感に苛まれながら「もうひと頑張り!」と自分を叱咤しました。ともかくパソコンAが無線を捉えられていないというところまではわかりました。もう一つ、トラブルシューティングにかけても「予期しないトラブルが発生しました」と表示されること、これもヒントと言えばヒントです。そこで、グーグルに「無線がつながらない 予期しないトラブルが発生しました」と入力してみました。すると、たくさん似たような項目が検索され、その一つによれば「レジストリが壊れている」らしいとのこと。載っていた解決方法は、[スタート] ボタンから[ファイル名を指定して実行] をクリックし、名前ボックスに「regsvr32 %systemroot%\system32\netshell.dllと入力せよ」というものでした。造作もない作業なので試しにやってみる(入力はもちろんコピペです)と、何と言うことでしょう。瞬時に無線ランに繋がったのです。こんなのわかるはずがありません。ともかくも解決できてほっとしました。今後も、どういう原因で突如起こるかわからない不具合と終わりなき闘いがあると思いますが、しばらくはやめてほしいです。

2018年10月22日月曜日

「或る教会の百年」

 東京で通っている教会の「百年史」を頂きました。今は百一年目ですが、諸事情で今年発行となりました。例によって1ページごとプリンターで読み取っているので読み切るのに時間がかかりましたが、この教会の道筋はなんといっても初代牧師がつけたと言ってよいでしょう。森明は初代文部大臣森有礼の三男であり、母は岩倉具視の五女という家系に生まれましたが、生後8カ月で父は暗殺され、またひどい喘息のため、八歳になってようやく入れた学習院初等科もその夏には退学となるほどの病状で、正式な学問はほとんどしていません。まさに、「病床は私の教場であった」と言うほかない人でした。しかし、母や幾人かの優れた家庭教師の指導の下、独学で様々な学問分野を学び、ついに青山学院を宿舎としていたミュラー夫妻を通し、キリストと出会います。明が母と共に植村正久から洗礼を受けたのは十六歳の時でしたが、父有礼が暗殺された経緯から、森家にとってキリスト教は「最大の禁忌」と言うべきものであり、特に次兄(のちに信仰告白をすることになる)の大反対により、家族には内密に行われたということでした。

 生涯病苦に苦しみながら亡くなるまでの、森の牧師在任期間は10年ほどですが、そのわずかな間に大きな足跡を残しました。一つは、礼拝への姿勢で、特に関東大震災の時のエピソードが有名です。のちに、このことを或る長老が述懐しています。

 「・・・・この暗黒と混乱と不安の中にあって、すべての人は常の心を失った。私もその中の一人である。当時の麻布三聯隊に逃れて、多くの人々の中に混じってすわっていた。教会の礼拝も友人の事も、一時脳裏から遠ざかり、〈このような非常時に礼拝を欠席する事は常識的に当然の事〉として片づけておいた。九月の二日は地震後最初の聖日であった。その午後突然森先生の訪問を受けた。先生は病身のため、常には人力車を利用して会員訪問をなされていたが、その時は人力車もないので、酷暑の中を単衣のすそをはしょり、雪駄(現今の草履のようなもの)をはきステッキをついて、徒歩で渋谷から麻布まで来られたのである。先生には恐怖はもちろん、驚きとか、周章狼狽の色は少しもなく、むしろ憂いと怒りに似た表情が表れていた。そして一言〈天地が崩れるような事があっても礼拝はやめません〉との僅かな言葉を残して立ち去られた。・・・・・・・(中略)・・・・・・・先生の一言と、巷の人々の中に見いだされない厳然たる態度とは、現実の中に埋没しきっていた私を神の言の世界に引きもどした。私はしばらく夢からさめた人のごとく動く事ができなかった・・・・」

 もう一つよく知られたことは、「森先生は伝道狂気だ」と言われるほどの宣教の使命感であり、その熱意により「帝国大学基督教共助会」の結成に至ったことです。この会は、「キリストのほか自由独立」という標語に示されるように、主にある友情を重んじつつ、教派を超えてキリストを諸友に紹介せんとするものでした。この会は次第に学生の枠が撤廃されて「基督教共助会」となりますが、近年までその事務所は当教会に置かれており、牧師、長老、会員の多くが共助会員だったのです。

 今はそのようなことはありませんが、その創成期が学者の多い教会だったためでしょう、この教会では以後80年ほど教会内部から召命を受けた方が教師になるという伝統を受け継いで来ており、外からの牧師招聘の経験がなかったのです。20年ほど前に初めて外部から牧師を招聘することになった時、そのための手続きの検討から始めなければならなかったというのは驚きです。創立が百年前ということは、まさしく第一次世界大戦、すなわち帝国主義時代真っ只中のころであり、戦争に覆われた二十世紀前半の状況(戦時中の資料はほとんどないながら、宮城遥拝、国歌演奏、必勝祈願を伴う「国民儀礼」が執行されたことがわかる)も記されています。無牧の時代も二度経験し、時代の大波小波に揺られながら、それでも今日まで一日も聖日礼拝を欠かすことなく来たのです。「第一部の歴史」と「第二部の諸滑動」の記述には、多くの信仰者の途方もない努力と人間の営みを超えて働く神の経綸が示されています。この記録を読んで初めて、この教会に連なるものとして今自分がどの時点にいるのかわかったことは誠に感謝でした。


2018年10月15日月曜日

「理事会の十年ヴィジョン」

 「邯鄲の夢」もしくは「一炊の夢」と言われる話がありますが、粟粥が煮える間ではなく本当に一睡の間に見た夢について書いておこうと思います。話は十年後のことです。

 二度目の理事が回って来た。集合住宅のメンバーも少しずつ入れ代わり、若い方々、働き盛りの方々は目まぐるしい日々の生活を送っているご様子で、一方高齢化は一層進んだがお仕事をお持ちの方も多く、また、皆お孫さんの世話や老親の介護を担っておられるので、暇な人など一人もいない。十年前のやり方で理事会を運営していたら今頃破綻していたことだろう。ぎりぎりのところで運営方法を切り替えて本当によかった。最初の時の理事会の大変さを思い出すとめまいがする。理事会には集合住宅に関するあらゆる事柄が集中しており、それを全部こなさなければならなかったからだ。自分の生活を犠牲にし、睡眠時間を削り、体調不良にも耐えながらなんとか理事会の運営に携わっていたのである。こういうやり方は誰にとってもよくないし、だからこそ理事会の仕事は敬遠され忌み嫌われてきたのである。

 自分が最初の理事として2年間の在任期間に多少とも携わった仕事は、毎月の集合住宅の生活の維持に関する通常業務を別にすれば、議事録作成のための確認作業、駐輪場で起きた事故対応に端を発する駐輪場調査とその問題の把握、大規模修繕5年目のアフター点検、アフター点検に発する小規模な修繕工事対応、輪番制確立のための協力依頼と手順の作成、宅配ボックスの適正な管理、居住者の緊急連絡先資料の作成と保管、民泊禁止議案関係、書類及び文書データの整理、書庫の購入、深夜発報の火災報知器関係の事後対応、引っ越し時の居住戸からの水漏れ疑惑問題への対応、長期修繕計画策定のための工事履歴の把握及び長期的視野に基づく工事簡易表の作成、半年以上にわたった設備改修工事に関わる議案上程のための諸事項、駐輪場問題と粗大ごみ問題への緊急対応、といったところである。要するに何でもかんでも理事会の仕事なのである。

 そしてついに、ガーデニングクラブの解散が “the Last Straw” になったのである。環七に面した花壇、中庭の花壇、駐輪場側の花壇の手入れや定期的な草取りと水やり、各階プランターの手入れや定期的な水やり、中庭のトネリコの3年ごとの土の入れ替え・…たとえエントランスの植栽は管理人さんに頼み、他の部分に時折シルバー人材を入れるとしても、こういったこと全てを理事会できちんとこなし、引き継いでいけるとは到底思えなかった。理事会として担当者を決めるにしても生き物相手では荷が重すぎるだろう。ガーデニングクラブにはギリギリまで頑張っていただいたが、結局ボランティアだったため続けることが出来なかった。であれば、これを理事会の仕事として位置づけ、アウトソースするまでである。こうして、まず理事会の下部組織として植栽委員会を作り若干名の人員を募った。理事会の仕事としてやるのだから当然特典はある。大規模修繕委員会がその大変さから理事を辞退することができることに倣い、植栽委員会の仕事を2年以上やった人は輪番制の理事が回ってきた時に、本人が希望すれば1年で次の方へパスできることとした。ただし、何年やっても理事をパスできる年数は1年のみである。皆で全体のことを知り共に居住環境について考えていくという輪番制の理念を保つためである。こうして現在では園芸好きが何人か集まり、話し合いながら自分たちのペースで植栽の世話をしてくれている。

 最初は細々と始まった小委員会だったが、今ではずいぶん数が増えた。アフター点検委員会(大規模修繕工事後2年目と5年目の点検を請け負う)、長期修繕計画委員会(大規模修繕工事の翌年と5年目点検の翌年に修繕積立金の見直しをする)、設備更新委員会は分野別に2つあるが、大規模な工事を伴う仕事は交互に担当し負担を減らしている。忘れてならないのは駐輪場委員会である。この委員会は毎年の駐輪場の契約更新にかかわる業務を請け負ってくれ、また駐輪場に関する問題を解決してくれている。駐輪場委員会は数年前に結成され、自転車の使い方に関するアンケート結果から、「自転車にはたまにしか乗らないが必要になる時があるため駐輪場を確保している人」や「自転車はほぼ毎日使うがほとんどが買い物で長時間は使用しない人」がかなりの人数いることを把握し、シェアサイクルの試みを実験的に行った。自転車を処分すれば駐輪場料金と同額で一回3時間以内なら使い放題という料金設定から始め、十数名から申し込みがあったとのことだった。初期費用はかかったが実情に合わせていくつかの料金設定プランができ、今年は後部カゴ付き自転車3台分の予算請求があった。徐々に貸し出しや修理に関するルールが整備されている。駐輪場委員会は現在6名の人員を擁しているが、メンテナンスを行うとなると増員が必要かもしれない。小さなところでは毎年の消防訓練を取り仕切っている防災委員会、宅配ボックス・落とし物・ゴミ置場に関わる諸問題を扱う生活委員会もある。

 現在では組合員の半分ほどが何らかの委員会に属しており、それぞれ自分の経験や得意なことが生かせる分野で各自の力量に合わせ、またその年の自分の状況に合わせて、できる範囲で管理組合の仕事をしている。以前はなんでも理事会が抱え込んで、やったことのない仕事、やり方がわからない仕事を押し付けられていたため憂鬱だったが、現在ではそれぞれの委員会に必要な知識やデータが蓄積され保管されているので本当に仕事が楽になった。今では、理事会の仕事はほぼ、記録を残すこと、会計に関すること、各委員会の統括、あれば住民トラブルへの対応等だけである。2か月ごとに顔を合わせる各委員会からの報告を入れても、理事会は1時間以内で終了する。報告は文書またはデータでいただいているので議事録の作成もすぐできる。理事が回ってくる時には原則として委員会は抜けることになっているが、「輪番制で回ってくる理事会が一番楽だね」と皆で話している。副次的なことでよかったのは、役員活動費を廃止できたことで、これは長い目で見れば駐輪場の整備費用を補って余りあり、組合費の有効利用につながっている。社会環境の変化に伴い新たな委員会の設置を求める声が上がることもあり、希望者が何人か集まって申し出て理事会で認められれば小委員会となる。管理組合の成員全員が何らかの委員会に属するようになり、理事会が理事長、副理事長、書記、会計、監事の5名で構成される1年交代の会となる日もそう遠くないだろう。

 「ああ、よかった。十年かかってここまできたのか」と思ったら、目が覚めてしまいました。こんな夢を見たのは、頭の中でこの2年間の振り返りが進んでいるからに違いありません。やけにリアルな夢でしたが、こんなふうになれば理想的です。臨機応変で豪放磊落な方が失敗を恐れず大鉈を振るわないと無理なんでしょうね。それより何よりまだ1回目の在任期間は3か月あり、最後まで気を抜かずにやらなければならないことがあるのを思い出し、気持ちがしゃきっとしました。いい夢を見ました。


2018年10月11日木曜日

「紅春  128」

「やはりそうか・・・」と思ったのは、陸の耳のことです。兄がりくと遊びながら、「りくは耳が遠くなったのな」と話しかけていたので、私も認めざるを得ませんでした。帰っても挨拶に来ないのは年を取ったせいだと思っていたのですが、試しに、後ろからそおっと近くまで寄って、「りく」と呼んだら、明らかにビクッとしていたのでやはり聞こえていなかったのです。

 りくはまもなく12歳、人間でいえば後期高齢者になろうかというところでしょうから、加齢による体の不具合がどこかに出てくるのは仕方ありません。これがもし野生の狼だったら生きてはいけないのでしょうが、りくは生まれつき優しい子だからそうでなくてもここまで生き延びることはできなかったでしょう。まだまだ足腰がしっかりしているのは有難いことです。

「りくはもう、番犬引退ね。12歳になったら、定年退職です」
と、りくに言い渡しました。「もう好きなことしてすごしていいよ」と言いましたが、今までとどう違うのか、私もわかりません。ただ、耳が遠くなって、外の猫の鳴き声や郵便・宅配の音が聞こえなくなったのは、むしろ恵みかもしれないということです。きっと昼も夜も安心して眠れることでしょう。夜は早いうちからコテンと横になっているりくをさすりながら、「ねんねだよ~」と言っていたら、薄目を開けたりくに、「姉ちゃん、うるさい」と言われてしまいました。

2018年10月5日金曜日

「中休み」

 今年は秋バテがひどいらしいと聞きましたが、もしかするとそれかも知れません。なんとなく体調がすぐれない、体がだるい、夜熟睡できない・・・というのが主たる症状のようです。夏の暑さとそれゆえの冷房の多用による自律神経の乱れが原因とのことですが、私にはそれ以外にも思い当たる原因があります。一つはずっと理事会の仕事に忙殺されていたため、バイオリズムがここ何カ月も乱れていること、もう一つは一般社会的にも自分の周辺的にも最近あまりよくないニュースが多いので、自分自身は何不足なく暮らしているものの、気が沈みがちだということです。友人ほか幾人かの人のことは、いつも祈ってはいるのですが。

 ラジオから流れていた医者のアドバイスによると、夜は白湯を飲んで早く休み、運動はちょっとだけ体に負荷をかけるようにして、徐々に元の生活に戻していくのがよいとのこと。まず起床時間を固定するため、以前は同じ時間に起きられていたので必要なかった目覚ましをかけるようにしました。運動と言っても朝のウォーキング程度ですから、せいぜい早歩きか一歩を大きくとりながら公園を一周半し、ラジオ体操をする。帰りは、必要があれば少し大回りして24時間営業のスーパーに寄って帰ってくる・・・・を続けていたら、体はだいぶ戻ってきた気がします。

 問題はやる気が出なくて何もできないことですが、こちらはなかなか元に戻りません。こんな時は作業に限ります。家事では精神統一のごとき掃除やアイロンがけをし、またそれなりに楽しく時間を無駄遣いできる料理をする。こういったものは、やる気が充実している時はつまらなく思えて疎かになるので、こんな場合は気が晴れる作業です。片付けなどはよく精神科医が患者の治療に用いると言いますが、よくわかる気がします。材料がいろいろな変化を見せる料理も興味深く思えます。それと、家事ではないのですが、私にとってはなくてはならないこととして、紙ベースでしか手に入らない読み物を文字データにするという作業は、こんな時にうってつけの作業です。機械的な作業ですし、やる気がない割には集中できるのです。

 もう人口減少社会は始まっており、これからさらに全てのことが収縮していくと思ってよいでしょう。こういう時こそ広々とした開かれた心持を持つ必要があるのですが、なかなか現実には難しい。せめて、よいことはまず起きないと覚悟して、小さな幸せを喜ぶしかないのでしょう。ああ、忘れていました。今年は日本人科学者のノーベル生理学・医学賞受賞がありました。あれは大きな幸いですね。でも、それも何十年も前の基礎研究に与えられたもの。日本の教育環境がこのままなら、いつか「最後の日本人受賞者は〇〇だった」と語られる日が来るでしょう。「目先の利益しか頭になく、将来に対しては無為無策な人たちに国を任せて、みんなよく平気でいられるな」と思うと、中休みの期間はどんどん延びそうです。


2018年9月29日土曜日

「記号行動学による問題解決の事例」

 この夏は集合住宅で駐輪問題と粗大ゴミ問題が起きました。前者はそのしばらく前から兆候はあったのです。すなわち、居住者の入れ替わり時に、自転車を所有していなかった世帯が出ていき、子育て中で自転車は必需品という世帯が入ってきたのですから、当然、以前から課題となっていた駐輪場不足に拍車がかかりました。古い仕様の駐輪場なので、自転車が全部納まるかどうかはパズルのようなものなのですが、ついに入らなくなり、車両が一両エントランス前のインターロック上に常時置かれることとなりました。駐輪契約をしたくてもできない車両が出たことで、事情を知らない方々の中に、駐輪場の上段のラックを上げ下げして自転車を入れたり、両脇の自転車を傾斜させながら自分のラックに駐輪させるよりエントランス前の平地に置いた方が楽だと考える方がいて、あとは予想される通り、規約違反の駐輪がじわじわと増えていきました。特に誰かに迷惑をかける場所ではなかったために、これに対する理事会の対応が遅れ、ついに一部の居住者から取り締まりの申し入れがなされたのです。

 駐輪場所がない車両は理事会預かりとして目立たない場所に移し、居住者には事情説明と「エントランス駐輪はルール違反である」旨を告知する文書を出しました。人間は共有部分に対しては気が大きくなり、注意されないことは許容された事とみなし、それを既得権と考えるようで、「なぜ駄目なのか」という問い合わせがあったと後で管理人さんに聞きました。その後、違反駐輪は徐々に減ったもののなかなか無くならなかったため、居住者以外の訪問者等にも周知すべく、小さな立て札を立てることにしました。駐輪禁止の交通標識マークを取り入れ、「エントランス前の敷地は全面駐輪禁止 長時間の駐輪はご遠慮ください」と書いた掲示物をラミネート加工してもらい、玄関両脇の植栽辺りに設置して様子を見ました。これでいっぺんに駐輪はなくなりました。短時間のやむを得ない駐輪はありますが、これまであった夜間の駐輪は皆無です。人間は記号と文字に極端に反応することが確かめられました。エントランス前がすっきりし、この掲示物について、「あれいいね」と声を掛けてくださる居住者もいました。

 粗大ゴミの方は次のような経過をたどりました。これはゴミの日にどさくさに紛れて出されたものが3点あり、収集車に取り残されてゴミ置き場に保管されることになったものです。管理人さんはこういったゴミは仕方がないのでなるべく早く処分するよう本部から指示されているようでしたが、たまたま相談された私は、「それは『違反ゴミであっても管理組合が処分してくれる』という誤ったメッセージを与えるのでまずい。『出した人は持ち帰ってください』と大きく貼紙して、できるだけ目立つところに置いてください。1年は置かないといけません。理事会でも検討します」と言って、処分は待ってもらいました。自転車問題と同様、こちらも全戸配布文書を出し、「一辺が30cmを超える物は粗大ゴミです。各自で処分してください」と書いたところ、1つはすぐ姿を消しました。それから、ゴミ置き場に「粗大ゴミの大きさ」を明記し、「各自で処分」のルールを掲示し、また「違反ゴミを見つけたらすぐ管理組合に知らせてください」の貼紙もしました。というのは、ゴミ捨て場には監視カメラもあるからなのですが、画像の保存日数は2週間程度で、しかもああいうものは或る程度日時がわからないととても探せるものではありません。もし本気で監視カメラを活用するつもりなら、違反ゴミの捨て去りの発生直後に知らせてもらわないと意味がないのです。議事録には、「悪質な場合は監視カメラの利用も考える」という一文が載ったりもしましたが、その話が具体化することはありませんでした。それはつまり、監視カメラというものは何より抑止目的においてこそ最も効果を発揮するものだと皆わかっていたからでしょう。

 その後2カ月近くは膠着状態でしたが、よく調べるともう1点の粗大ゴミにはお名前が書かれていることがわかりました。ご高齢の方とわかり、たまたま理事会の粗大ゴミ処分の機会に合わせて処分し、費用はいただくことになりました。これで2つ片付きました。もう一息です。理事会では、「引っ越された方かもしれない。あとはこちらで処分するしかないのでは」という雰囲気になっていきましたが、私は、引っ越された方だという確証がない限り、早まってはいけないと思い反対しました。「こういううわさは風のように広まります。犯人は必ず現場に戻ってきます。そしてこちらの出方を見ています。あのゴミは特に大きくどこから見ても粗大ゴミとわかる確信犯です。あれを許してはいけません」と話し、終息宣言はせず、あと1カ月は引き続き粗大ゴミの処分を求めていく方向で考えるよう話をもっていきました。他の理事や管理会社の人は、「相手が誰だかわからないのに…」とあきらめ顔でしたが、私は、「『こちらは相手を知っている』というスタンスでいかないといけない」と話し、結局、皆根負けした形で私の案が通りました。私は議事録に、「粗大ゴミは残り1点となった。引き続き、当該の方に処分を要請する」と書きました。

 しばらくして帰省から戻ってみると、件の粗大ゴミはなくなっていました。管理人さんに確認すると、「某日の夜、持ち去られたようです。『出した人は持ち帰ってください』の貼紙だけがその場に残されていました」とのこと。日数を数えてみると、某日というのは議事録が配布された翌日なのではないかと思われました。かほどに人は言葉(これこそ記号ですが)に弱いのです。6割5分以上の確率で粗大ゴミはなくなるだろうと予想していましたが、実際に実現するとやはりうれしい。言葉だけで見知らぬ相手を追い詰め動かせたからです。6割5分と言ったのは、次回理事会までに解決しなければ管理組合として処分するということに私も同意していたからで、もし1年置いてもいいとしたならば、ほぼ100%の確率で同じ結果になるだろうと思います。人はゴミ捨てに来るたびに、そこに自分の悪事の残骸が晒されていることに耐えられないのです。時間はかかりますが、同じことを繰り返させないためには粘らないといけません。またこのような場合に肝心なのは、「相手を突き止める必要はない」ということです。元の状態が取り戻せればそれで完全勝利です。私は以前、盗まれたものを取り戻したことさえあるのですから、置かれたものを持ち帰っていただくくらいなんでもないことです。自分にとってはその有効性が十分に実証されているこの理論を、そんな学問はないのですが、記号行動学と呼ぶことに致しましょう。



2018年9月24日月曜日

「因縁の設備改修計画」

 集合住宅の管理組合理事会で来年の総会で上程する設備改修の施工業者がやっと決まり、ここ半年くらいの懸案が一つ片付きました。因縁のと言うのは、すでに3年前にこの件は当時の理事会で総会に上程されるところだったのですが、居住者の大反対で取りやめになったことがあるからなのです。長期修繕計画によればその設備の更新までにはあと1年あったのですが、たまたま管理会社からかなりの値引きが受けられるとして、当時の理事会がは改修を決断したという話を聞きました。私はたまたま長期修繕計画を見直す年に理事をしていたからわかったのですが、普段毎月の議事に追いまくられていると来年どんな大規模工事の年に当たっているか全く念頭になく、総会前の理事会で巨額の費用のかかる設備更新を、検討する時間もないまま上程しなければならないことに気づくのです。3年前はそれが住民生活に密接にかかわる機器だったため、全く知らされていなかった居住者から猛反対が沸き上がったのでした。

 今年の総会でこの件について、「継続審議として1年かけて検討する」と宣言した以上、きちんとやらなければと決意していました。なにしろ管理会社が今期当初に提示した額は1千数百万円という額で、これは組合員が毎月積み立てている修繕積立金から支払われるのですから責任重大です。しかしこの設備は家庭用品ではないので相場がわからない、どうやって施工業者にたどりつけばいいのかもわからない、というわけで、かつて大規模修繕に関わった委員の方々の協力も受けながら、2大メーカーの方々のお話をそれぞれお聞きし、その特約店およびネットで探した優良企業、そして管理会社を通して住宅系建設会社の4社から見積書を取りました。書いてみると一文ですが、ひとつひとつが企業と理事会メンバーとの何通ものメールあるいは電話のやりとりから成り立っており、大変根気のいる仕事でした。現場調査の日程調整や打ち合わせはやる気があれば誰にでもできるものですが、きちんとした依頼書や仕様書送付というそれなりに経験を要する手続きもあり、今回は書ける方がいたからよかったようなものの、ずぶの素人集団であれば無理だったかも…と今になって思います。見積書一つにしても、或る項目についての必要の有無をそれぞれの施工業者が独自に判断して書いていることが判明し、依頼書の再送付があったりと、いろいろありました。この件については一瞬青ざめ焦りましたが、同一条件で見積比較をしなければ意味はないので、すんでのところで気づけて失敗を食い止められたことに胸をなでおろしました。メールのやり取りは8月だけでCCも含め優に100件を超え、この仕事全体では何件あったのか見当もつきません。

 いずれにせよ先日、理事会の総意として施工業者が決まり一段落です。気が張っていたせいかどっと疲れてしばらく寝込みましたがほっとしました。当初管理会社が提示していた額より六百万円以上削減することができました。これは今期の理事会の功績と言ってよいでしょう。最終的な見積書では管理会社系施工業者から提出されたものも相当お値打ち品価格になっていましたので、それでも契約がとれなかったことに驚いたかもしれません。しかもこれは安かろう悪かろうではないのです。契約後の発注にあたって受注生産であることを示す出荷証明書を頂く確認もできており、これをもって履行が確実な証憑とすることとができます。実際の工事は来年の総会を経て、私の理事在任期間が明けた後ですが、今期はすでに2回設備更新に関するお知らせの文書を出しているし、あとは居住者説明会をすれば大仕事は終了です。平穏な生活が戻るまであと少しです。

2018年9月19日水曜日

「紅春 127」

朝の散歩を終えてりくを外に繋いでしばらくした時のことです。なんだか賑やかな話し声と「キャンキャン」という犬の鳴き声が聞こえたので外に出てみると、土手の上から白い犬を連れたご夫婦がりくに話しかけていました。りくも行きたそうだったので、土手の上まで連れて行き、会わせてみました。
「いつもおとなしく座ってるな~と思って」
との言葉をいただき、見れば向こうは可愛らしいトイプードル。う~ん、確かに長い間じっとお座りをしてっ世の中を眺めているというあたりは、小型の洋犬とは違うかもしれません。

 相手は積極的にりくに近づいてきますが、りくは腰が引けています。ご夫婦とお話しするうち、ペリーちゃんという名の2歳の女の子とわかりました。りくはまもなく12歳だと言うと、
「え~、若い。6歳くらいかと思った」
とまたまたうれしいお言葉。そうこうするうち。だんだんりくも慣れてきてちょっと仲良くなれたかなと思います。時折ペリーちゃんは腹ばいになって手足を拡げ「大」の字になるのでびっくりしましたが、ダブルコートで暑いからなのだそうです。しかも、夏でも下毛が抜けないって、本当なら可哀そうです。りくはさすがに下毛がすっきり抜け、飼い主が言うのもなんですがとても格好良く見えます。今日は新しいお友達ができました。ペリー来航、野次馬しに行ってよかったね、りく。


2018年9月13日木曜日

「幸せな早起き」

 涼しくなって早朝のサイクリングとウォーキングができるようになりました。今日はまだ暗くてちょっと早すぎるかなと思ったのですが、朝の散歩に出てみました。公園について歩いてみると、膝の違和感もほぼなくなったのはありがたく、広大な草原と森林のある朝の公園の空気は特別おいしく感じました。途中すれ違いざまに、以前何度か見かけたことのある3頭立ての柴犬軍団に出会い、2頭が草地で用を足している間、1頭が道の半ばまで来ていたので、思わずしゃがんで話しかけてしまいました。その子はクリッとした目のセナちゃん似の子で(ブログ「柴犬とオランダ人と」を参照)、喉のところをなでても平気でした。用を済ませたあとの2頭も「そっちに行こうか」と迷っている様子でしたが、飼い主さんに悪いので私の方から「バイバイ、またね」と言って離れました。

 「ああ、いい朝だなあ」と思って散歩を続け、いつものように大きな池の西側を通って駐輪場のある出口に出るところで、ああ、何ということでしょう、また出会ってしまったのです。池の東側を通って来た彼らに。向こうもこちらも同時に気づいて、笑いながら「あっ」と声をあげました。飼い主さんがリードを緩めてくれたので、幸せの塊がドドドッとやって来ました。さっきの子がどの子かわからないほど、皆同じ顔をしていました。大きさも同じなのできっと兄弟なのでしょう。3頭とも「遊んで、遊んで」とピョンピョン跳ねていましたが、顔をペロペロしてきたのがきっとさっきの子なのでしょう。「雨止んでよかったね。毎朝散歩してもらって幸せだね」と、犬たちに言葉をかけ、飼い主さんにお礼を言って別れました。早起きすると、いいことあるなあ。



「世の中わからぬことばかり」

 最近、異常気象、天変地異が多発しています。大災害は満遍なく日本列島を襲った感があり、まだ来ていないのは東海エリアと関東甲信越くらいですが、これらの地域については、ずっと早くから、地震と火山の噴火による災害が予測されています。また、1年の3分の1も続くかと思われる、高すぎる気温の日々は、もはや真夏の30℃はむしろ涼しい部類で、「ここより10℃も高いところで暮らしている人もいるんだな」と、我が身を置く現状に感謝してしまうほどなのです。

 どうしてこんなところで夏にオリンピックをしなければならないのか、私にはわからない。どうしてこんなに地震が多いところに原発を何十基も置いて平気なのか、私にはわからない。今でさえ無秩序が横行している国土に、外国人観光客を倍増の4000万人呼び込んでどうしようというのか、私にはわからない。滞在中、彼らが被災したらどう責任を取るつもりなのか、私にはわからない。私たちを取り巻く環境の悪化全部がただの自然現象なのかどうか、私にはわからない。人間の驕りについて自然が警告しているのでないとどうしていえるのか、私にはわからない。

 被災された方、家族を失った方を思うと、ヨブの時代からの問い、「なぜ義人が苦しみに遭うのか」を考えずにはいられません。義人とは言わぬまでも、まっとうに生きている無辜の方々が苦しみに遭う事態が、社会においても私の周辺においても起こっているのです。『ヨブ記』は最後に神が創造主として現れるという、意表を突かれる形で話が終わるのですが、以前は全くわからなかったその意味が今は少しわかる気がするのです。この辺りはうまく言葉で伝えることができずもどかしいのですが、ここが「鍵」なのだということだけはわかります。神が創造主であるということをわからぬ限り、地球はますます人の住めないところに近づいていくでしょうし、人が訳もなく苦しむ意味はわからないでしょう。なにしろ、このお方は、私たちがいかなる者であれ、またいかなる状態にあれ、

・・・あなたたちは生まれた時から負われ/胎を出た時から担われてきた。
同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで/白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。
(イザヤ書46:3~4)

と仰せになるかたなのですから。それなのに、自分も含め、人はなぜ勝手な思いにとらわれ、創造主を忘れて我が思い通りに生きようとしてしまうのか、ああ、わからない、わからない・・・。

2018年9月3日月曜日

「ちぐはぐな現実」

 先日明らかになった官公庁の障害者雇用数の水増しには開いた口がふさがりませんでした。27省庁 で3460人の水増しがあったと伝えられていますが、要するにチェック機能がないのをいいことに国の役所全体に数合わせが広がっていたということです。公表では2.4%を越えていた数字は、現実には1.19%だったとのことで、この数字が2.2%を切ると、毎月一人につき4~5万円のペナルティーを科せられていた民間企業は、憤懣やるかたない思いでしょう。障害者雇用促進法ができて以来、民間企業は特例子会社を作るなどして、障害があってもできる仕事を会社全体から切り出して雇用に繋げる努力を続けてきたのに、官公庁はこれを怠ってきたからです。健康診断の結果を適当に解釈したり、自己申告で障害認定をしたり、心臓病・糖尿病などの持病のある人をカウントするなどしてまで数字合わせをしてきたのは、本当に障害者に失礼な行為でした。

 どうしてこういうことが起こるのか推測してみるに、役所は法を守らなければならないことは強く認識しているものの、実際に障害のある人々がどのように働いているかをその目で見たことがなく、障害者を採用して一緒に働くことが想像できないのだと思います。私は或る会で、中途失明して全盲になりながら、国家公務員試験の点字受験の道を拓いて入省し、定年まで勤められた方を知っています。障害者の中には、一般の人には思いもよらないような本当にすごい人がいるのです。ましてやこのテクノロジーの発達した時代なのですから障害があってもできることは多く、環境を整えて採用する気さえあれば民間同様数値目標の達成はできるに違いありません。

 一方、役所というものは守れる規則は徹底して守らせるという内部圧力が働くようで、集合住宅の管理組合理事長は官庁にお勤めの方ですが、「役員活動費は受け取れない」と言っています。兼業の禁止(職務専念義務違反)に抵触するとのことですが、これを聞いた時は笑ってしまいました。理事会は毎月3時間ほどの議事をし、決まったことについて活動する時間もとられますし、理事は各自必要な仕事で通信費、印刷の紙代・インク代等の費用がかかります。特に「長」となると毎月相当かかると思われ、他の集合住宅では「長」は他の理事の2倍の活動費を与えられている場合があり、それももっともなことなのです。役員活動費さえ受け取れないというのはおかしなことだと思います。もちろんわずかばかりの役員活動費を受け取ったがために後で大変なことになっては困りますから、ご本人の判断通りにしていただきますが、馬鹿げていると思うのは私だけではないでしょう。状況は知りませんが、「ヴァレンタインのチョコを受け取ったために、しょっ引かれた人もいる」とつぶやいていました。普通に聞くと、相当変な職場ではないでしょうか。それともこういうことを放っておくと歯止めがかからなくなり、収賄事件に発展すると考える人たちなのでしょうか。今回の障害者雇用促進法に関する法令違反とのギャップが大きすぎ、まったく理解に窮します。


2018年8月28日火曜日

「種蒔きの譬えから」

 この夏は東京神学大学から夏期伝道神学生をお迎えし、礼拝や祈祷会でみ言葉を聞く幸いを得ました。キム神学生は、嵐の中でイエス様と共にあることやイエス様が「敵を愛しなさい」という困難な教えを語られた意味について、大変丁寧に解き明かしてくださいましたが、ここでは特に強く印象に残った「種を蒔く人の譬え」の説教について書きます。
 「種蒔きの譬え」はあまりによく知られた話ですから、道端や石地や茨の中に落ちた種(御言葉)は育たないので、私たちはよい地(信仰ある者)として実を結びたいものだという教えと思っていました。この時代の種蒔きの仕方は穴をあけた袋をロバに背負わせて、畑を移動させて種を蒔くという解説を記した書もあるようですが、キム神学生はどうも腑に落ちないというのです。キムさんのお父さんは農夫で、農家にとって種というのは本当に大事なものであり、収穫したらまず良いものを種として分別し、たとえ収穫が少なくても絶対に食べないと言います。そんな大事なものを、道端や石地や茨の中に落とすなんてまるで愚かだというのです。まるで畑の中に道端や石地や茨があるようではないかと。本文を見てみます。

ルカによる福音書8:4~8
8:4 大勢の群衆が集まり、方々の町から人々がそばに来たので、イエスはたとえを用いてお話しになった。8:5 「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、人に踏みつけられ、空の鳥が食べてしまった。8:6 ほかの種は石地に落ち、芽は出たが、水気がないので枯れてしまった。8:7 ほかの種は茨の中に落ち、茨も一緒に伸びて、押しかぶさってしまった。8:8 また、ほかの種は良い土地に落ち、生え出て、百倍の実を結んだ。」イエスはこのように話して、「聞く耳のある者は聞きなさい」と大声で言われた。

「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。」と簡潔に書かれているように、私たちにわかるのは、或る人が出ていって種を蒔いたということだけです。道端でも石地でもいばらの中でも良い地でもそこがどこであろうと、種を蒔いたのです。そう考えれば確かにここはそういう書き方です。私たちが御言葉を聞いた時のことを思い出せばわかります。解き明かしを聞いてみましょう。

ルカによる福音書8:9~15
8:9 弟子たちは、このたとえはどんな意味かと尋ねた。8:10 イエスは言われた。「あなたがたには神の国の秘密を悟ることが許されているが、他の人々にはたとえを用いて話すのだ。それは、/『彼らが見ても見えず、/聞いても理解できない』/ようになるためである。」
◆「種を蒔く人」のたとえの説明
8:11 「このたとえの意味はこうである。種は神の言葉である。8:12 道端のものとは、御言葉を聞くが、信じて救われることのないように、後から悪魔が来て、その心から御言葉を奪い去る人たちである。8:13 石地のものとは、御言葉を聞くと喜んで受け入れるが、根がないので、しばらくは信じても、試練に遭うと身を引いてしまう人たちのことである。8:14 そして、茨の中に落ちたのは、御言葉を聞くが、途中で人生の思い煩いや富や快楽に覆いふさがれて、実が熟するまでに至らない人たちである。8:15 良い土地に落ちたのは、立派な善い心で御言葉を聞き、よく守り、忍耐して実を結ぶ人たちである。」

 私たちは決して心が良い状態にある時だけ御言葉を聞くのではありません。心に悪魔が入り込んだ時にも、試練に遭って身を引いてしまった時にも、心が人生の思い煩いや富や快楽で一杯だった時にも、私たちは御言葉を聞いたのです。「もし神様が良い地にだけ種を蒔いたとしたら、果たして私たちは救われたでしょうか」という言葉で、キム神学生は説教を締めくくられました。本当にその通りだと思わざるを得ませんでした。私たちは一日のうちにも、心が道端になったり石地になったり茨に覆われたりする、誠に移ろいやすい者です。御言葉はいつでも必要であり、また聖霊の助けによって心が良い地へと整えられ、多くの実を結ぶようにと願わずにはいられません。



2018年8月23日木曜日

「さよなら セブン」

 いつかこの日がくると思っていました。真っ赤なトップカバーが気に入って使い始めてから6年半、どこに行くにも一緒でした。設定も一から全部やったので、君にはずいぶんと鍛えられました。PCトーカーのおかげであきらめかけてた読書も音声でガンガンでき、聴く読書は読む読書とはまた違った世界を見せてくれたし、ホームページも初めて一緒に作ったっけ。2回の工場送りは私もつらかったなあ。でもその度に、回復して帰ってきてくれました。病状を説明する私の言葉を丁寧に聞いてくれた工場のおばさんの優しさには今でも本当に感謝しかありません。戻ってきて初期設定をし直し、203個の更新プログラムをインストールしている君のそばでうとうとしながらこたつで仮眠したこともありました。もはや私の身体の一部でした。

  まもなくWindows 10全盛の時代となり、セブンで作成したものは思わぬところで不具合が出たりもしましたが、長年苦楽を共にしてきた君をとても手放すことはできませんでした。確かに、USB端子の挿入口がもうグラグラするくらい使い込んでいたし、キーボードがバックライトでないのは相当キツくなっていたのですが。私はパソコンが2台ないと何か起きた時まったく身動きできなくなるので、もちろんWindows 10ですがバックアップを用意して、ようやくそれに慣れてきたところでした。君も寿命を知っていたのかもしれません。使おうと思ってふたを開けたけど、画面は暗いままでした。の電源をスリープにしていたつもりだったがシャットダウンしていたんだなと思い、電源ボタンを押しましたが状況は変わりませんでした。パソコンの臨終を見送ったのは初めてです。ただ一度、電源ボタンが一瞬青く光り、それからすうっと消えました。お別れの挨拶でした。セブン、今まで本当にありがとね。

2018年8月18日土曜日

「紅春 126」

夏は祭りの季節です。大々的に行われる大きな祭りには全く関心がないのですが、家の近くで行われるこじんまりした盆踊りはなかなかいいと思うのです。いつも「子供盆踊り」から始まり、花火をあげたりしながら地域の愛好家たちが歌う歌に合わせて大人たちの盆踊りへと進みます。町内会が違うので「子供盆踊り」を踊ったことはありませんが、私が子供の頃から全く変わらぬ歌で続いており、明るくチャキチャキした感じが「懐かしいな」と思います。盆踊りが開催されるかどうか、いまだに昼間ポンポン花火をあげて知らせているというところはどのくらいあるのでしょうか。それを聞くと、「あ、今日、盆踊りあるんだな」と誰もが分かるのです。

 今年この曲が鳴り出し、笛や太鼓の音が聞えてくる頃、りくに動きがありました。「行きたい」と言うのです。しかし、この祭りは陸にとって鬼門、以前パニック症状を起こしたきっかけともなった出来事です。連れて行きたくなかったのですが、何度もせがむので「それでは…」という気になり、「りく、トラウマの克服だ!」と、出かけることにしました。橋を渡って土手を下りて、そのあたりは時々散歩に行くコースなので全て陸の生きたいように任せましたが、結局盆踊り会場まで着いて、そのまますぐ戻ってきました。何ともありませんでした。りくも楽しかったようで、「よかったな、りく」と言ってすぐ寝かせました。これで今後パニック症状が出ないといいなと思います。


2018年8月15日水曜日

「桃三昧の夏」

 桃という果物を柔らかい食べ物だと思っている方もいるようですが、産地で食べる桃は「カリッ」「シャリッ」と音がする硬いものなのです。東京でつい食べたくなって買っていつも失敗したなと思うのはそれが柔らかいからなのです。気持ち悪くて食べられない。あれは桃ではありません。というわけで、福島では好きなだけ桃を食べて帰ろうと思い、お盆を挟んで何日も私は直売所に通いました。この時期は戦闘態勢、開店5分前にはすでに30人ほど並んでいます。お盆前の土日は花祭りと称してさらに30分前から開店し、お供え用のお花を求める人でごった返します。

 お盆で帰省した子供に故郷の桃を持たせて返す親も多いので、やはり「あかつき」が人気だと思いますが、桃を前に「『まどか』かあ…」と迷った様子の人を見ると、「まどか」について講釈したくなってしまいます。「まどか」は「あかつき」から選りすぐって作られた品種で、真っ赤に色づいて実に甘く日持ちがよいという特徴があるのです。ただ、「あかつき」には独特の香りがあるのでそれをお望みならしかたありません。いずれにしても農家の努力の賜物をいつもありがたくいただいています。私はなるべく小ぶりの実がたくさん入ったものを選んで買いますが、それは食べればわかるように大きな桃は1個食べただけでお腹一杯になってしまうからです。農家が出品するので日によって商品の出され方は微妙に細部が違います。先日は、「あかつき」も「まどか」も5個入りでなんと200円(しかも内税!)。まだ家に残りがあったなあと思いつつも、桃は魔性の果物、もう理性は働きません。たくさん買って冷蔵庫に入れ保存しますが、冷やしても甘さが減じないのが最近の桃のすごいところです。

2018年8月11日土曜日

「次の問題」

 理事が歩けば問題にあたる・・・。このところ集合住宅の仕事がいろいろと入ります。先日は外出から帰った時に、元理事長と管理人さんが話しているところに出くわし、やはりというか呼び止められて話を聞くことになりました。この元理事長さんは多忙なご主人に代わって理事会に出られていた女性で、非常に快活で面倒見の良い方です。私たちの理事会が発足する当初も、自発的にこれまでの資料をもって理事会の引継ぎをしてくださり、その後も何かと応援してくださっています。子供会運営の中心メンバーでもあるので顔が広く、いろいろな相談事も持ち込まれるようです。

 今回の問題は駐輪場と粗大ゴミに関わるものです。駐輪問題は集合住宅永遠の課題という人もいるくらい全員が納得する方法がない問題ですが、何しろ設備が古く、電動自転車が普及していなかった時代のもので、またチャイルドシートが義務付けられた時代に対応したものではないので、一見空いているよう見見えても実際には自転車を割り当てられないラックが多く、ついに契約申し込みがあるにも関わらず配置できない自転車が出てしまいました。この自転車の持ち主がエントランス前のインターロック・ブロックに駐輪したところ、追随するルール違反の自転車が増殖し苦情が出たのです。

 粗大ゴミの方はこれまで割ときちんと出されていたと思うのですが、居住者の入れ替わり等もあり明らかな粗大ゴミが回収されないままになっているという事態が発生しました。管理会社から管理人さんへは「分解してでも早く処理しろ」という指示が出ているようですが、「出した人は持ち帰ってください」の貼紙をしたまま、理事会で議論するまで少し待ってもらっています。「ルール違反しても管理組合が処分してくれる」との誤ったメッセージを発信しないためです。

 とはいえ、次の理事会までまだ間があるため放置することは出来ず、とりあえず文書を出すことで理事会までのつなぎにすることに決めました。私が主に現状と原因説明の部分を書き、理事長が管理規約やルールの確認と遵守のお願いの部分を入れて完成版を作成し、メール開催の理事会という形で他の理事に送信し同意を得ました。これを管理人室でコピーし全戸配布して一段落しましたが、話を聞いてからここまで5日、理事会としては緊急対応ができたと思っています。理事長はせっかくの休日がつぶれて本当にお気の毒でしたが、その後の様子を見ていると効果はあったようです。言えばわかる方々がほとんどなのでしょう。あとは理事会でルール違反があった場合の具体的な対応方法を決めて告知し、実行するしかない。ヨーロッパの鉄道で実感されるように、改札が無くても皆がちゃんと切符を買って乗車するのはそれを成り立たせている実効的手段(この場合はいつ行われるかわからない検札と、無賃乗車は即犯罪者扱いという社会の厳しいルール)があるためだということを念頭に置いて、討議のたたき台となる原案を思案中です。

2018年8月6日月曜日

「過酷な責任社会を背負う人」

 集合住宅の理事をするようになってよかった数少ないことの一つは、ごくわずかな人ではありますが、お互いの暮らし方がわかってきたということがあります。同じマンションに住んでいても、生活スタイルはおろか家族構成も知らないことが珍しくありません。この目まぐるしい現代にあって、理事会の仕事をやり取りするのは主にメールですが、それぞれが発信する時間にも生活スタイルは表れます。私は超朝型なので四時くらいに起きてメールの処理をすることが多いのですが、目が覚めて眠れないとだらだらするのも嫌なので、3時くらいから起きてしまうこともよくあります。お仕事をされているかたは大抵夜10時くらいからこの作業をなさるようです。

 毎年のことだと思いますが、今期の理事会も「長」を決めるのは難航しました。このご時勢、誰もが多忙極まる生活を送っており、たとえ退職していてものんびり暮らしている人など一人もいません。結局「長」になったのは働き盛り真っ只中の方ですが、非常に仕事慣れしており、管理会社とやり取りしながら的確な指示を出してくれるので、結果的に最適の方だとわかりました。しかし、です。果たしてこれでよいのだろうかと思わされるのは、メールの送信時間です。午前零時前であることはまれで、午前1時過ぎのこともあります。夜中に帰ってきてから、また理事会の仕事をしているのです。これはいけないと、私もできる限りの下働きをしてはいるのですが、やはり「長」の肩書は重く、仕事は「できる人のところに集まる」という自然法則により如何ともしがたい状況が続いています。噂では中央官庁にお勤めの方とのことで、繁忙期には連日泊まり込みということもあるようです。

 「長」を引き受けていただき申し訳ない・・・、昨年の「長」のように倒れないだろうか・・・と思いつつも、非常に実務に長けた方なので、私もいろいろお手を煩わせたことは確かです。先日、来年予定されている或る設備の全面改修の施工業者を決めるために、依頼状を4社に手分けして送ることになった時には、自分なりに必要項目を押さえた文面を考えてみました。いざ送ろうとしてちょっと不安になり、「長」の送る文面に倣って送ればよいと思いつき、「文面の見本を送ってください」とメールして眠った翌朝のことです。三時ごろ目が覚めて起き出した私がメールチェックをすると、いくつかメールが来ていました。ぼおっとした頭で読むと、「整理して頂いたもので見積依頼書を作ります。統一的にそちらで依頼頂くのが良いかと。少し時間をください」、というメールが午前零時過ぎに、次のメールはきっかり2時間半後で、「統一的な条件で見積を行うため、見積依頼書と仕様書を作成してみました。お手数ですが添付のファイルでご確認いただけますでしょうか」という文言とともにワードの添付文書(見積依頼書と仕様書A4版3枚分)が送付されていました。驚いたのなんの、という感じで絶句しました。この方は勤めから帰宅してまたパソコンに向かい、ワード文書を作成して、ついさっき眠りについたに違いないのです。よく報道されるあきれたエリート官僚と違い、ごく普通の国家公務員の責任感と能力の高さをまざまざと思い知らされた出来事でしたが、もはや過労死しないことを目が鵜ばかりで、申し訳なくてうっかりメールもできません。


2018年7月30日月曜日

「文科省なんていらない」

 勤めを辞める何年か前から、私は静かに教育への絶望を感じていました。本質的なことはわきに置かれ、些末なことばかりに振り回されることにうんざりしていました。重点が置かれるのは、結果や成果だけとなり、学問を計る指標が生涯に得られるお金の高だけになったからです。広範囲な入試範囲のためセンター試験の勉強には効率が悪いとされる科目、その典型は「世界史」ですが、それをやらずにすまそうと学校ぐるみの不正が起きたり、冗談交じりにとはいえ、高校生の覚えるべき英単語が一つ増えるごとに将来の年収がいくら増えるかといったことが話題になったりしました。「答えを導き出すプロセスはいいから、早く答えだけしりたい」という雰囲気が蔓延していったのは、それ以降の高等教育においても、さらにその後の社会生活においても、すべてが換金性という観点からしか計られなくなった時代の倫理観の表出でした。
 これまで人間の社会は他人にはどれほど無意味で無価値に見えようとも、ただそれが面白いから取り組んでいるうちますます魅入られて、それに全精力を傾けて没頭する人々によって、途方もない達成がなされたという歴史をたどってきたのに、今ではまだ何物でもない研究をしようとする人の居場所はないし、そういうことに研究費を出す機関はなくなりました。

 今回、文科省のキャリア官僚の驚くべき公私混同のたかり体質が露にされたことで、ここまで腐敗していたのだと、今更ながら怒りがこみあげてきます。一人は、私立大学支援事業の対象校の選定に便宜を図る見返りに、時代錯誤とも思える自分の子供の裏口入学を求めたとされる文科省科学技術・学術政策局長であり、もう一人は、こちらも旧態依然たる銀座での接待を中心にした贈収賄に絡む汚職を行った国際統括官(局長級)です。問題は、二人とももうその上は文部事務次官しかいないというほぼトップの立場にある人だったことです。国家公務員のほとんどはこのような汚職に無縁で、疑いすら受けぬよう振舞っていることを信じておりますが、省の中でトップともいえる二人がこのような行為を行っていた文部科学省というのは、相当腐っていると言っても過言ではないでしょう。この事件が明るみに出て、私はすっかり全てが納得できる気がしました。このような人たちが立てた政策であるなら、あらゆることが「換金性」という観点からなされるのは当然です。「こんな人たちに日本の教育が牛耳られて、ここまで見事に破壊されてしまったのか」と思うと情けなくて涙が出ます。その結果、どうなったか、今年の科学技術白書が述べている事実はこうです。

先日発表された科学技術白書がようやく「わが国の国際的な地位の趨勢は低下していると言わざるを得ない」ことを認めた。

「引用回数の多い論文の国際比較で日本は10年前の4位から9位に転落した。論文数も減って2位から4位になったが、4倍に増えた中国はじめ主要国は軒並み増加している。」(毎日新聞、6月14日)

各国の政府の科学技術関係予算の伸び具合を00年と比べると、中国が13.48倍(2016年)、韓国が5.1倍(同)、日本は1.15倍(2018年)。博士課程への進学者はピークの03年度を100とすると2016年度は83。海外派遣研究者の数も00年を100とすると2015年度で57にまで減った。注目度の高い研究分野への参画度合い(14年)では、米国91%、英国63%、ドイツ55%に対し、日本は32%。科学研究の全分野で壊滅的な劣化が進行している。
(『サンデー毎日』に掲載された内田樹の寄稿文より)

しかし、こういったことは既に米国や英国の専門誌がとっくに述べていたことで、それを科学技術白書がようやくしぶしぶ認めたというにすぎません。今更手遅れかもしれませんが、文部科学省などない方がよほど日本のためになるのではないでしょうか。

2018年7月25日水曜日

「紅春 125」

この猛暑でりくの散歩の体制が変わってしまいました。朝5時半ころ最初の散歩をするのは同じですが、いつもならっりくの強い希望で8時ころにもまた行き、よい季節の時であれば午後1時半ころまた行き、夕方4時半ころ私としては最後の散歩をしていました。私としてというのは、その後兄が帰宅してから7時半ころ、さらには「夜遊び」と称する夜中の散歩もりくの強い希望で行っていました。こう書いてみると、いかに家族がりくの散歩に振り回されているか、よくわかります。

 ところがこの暑さです。昼下がりはおろか朝8時の散歩も到底無理で、一日中家でごろごろしています。夕方も6時に近づかないと暑すぎで散歩はできませんが、冷房の効いた中にいるりくは「もう行ける」とおもうらしく盛んに働きかけてきますが、「だめだよ。まだ行けないよ」と言い聞かせます。一度どうしても行くというので外に出たら、数十メートルで無理だったとわかり「だから言ってでしょ」ということがありました。

 しかし私から見ると、りくはかなり暑さに強いと思えます。りくと家にいる時、ぎりぎりまで冷房を我慢して、「もう冷房入れようか」というのはいつも私の方で、りくは意外と平気にしています。人間でも幼児期から冷房のある時代に育った子供とそうでない子供は大人になっても暑さに対する耐性が全く違うと思うのですが、りくの場合は後者の典型で冷房嫌いだった父に鍛えられた結果なのでしょう。しかし、毛皮を着ているのですから油断は禁物、注意して見てやらなければと思っています。今は陽が沈む頃からの夕涼みがりくの楽しい時間です。水と蚊取り線香を置いた庭の定位置で、通る人や犬を眺めながら暗くなるまで過ごします。夜、「まだ入らない」と頑張るりくを家に取り込むのが大変です。


2018年7月19日木曜日

「福島の桃」

 先日友人に、福島の桃の品種を商品名にした果汁100%のジュースをいただきました。都内のJRのどこかの駅の自動販売機で売られているペットボトル入りの飲料とのことなのですが、彼女自身はまだその自動販売機を目にしたことはないということでした。では、どうやって手に入れたかというと、これを飲んだ人が「この世のものとは思えないおいしさ」という感想をSNSで発信して広まったのが始まりで、ネットで探して一箱48個入りのものを注文したというのです。まだ味見してもいないものをこれだけ購入するのですから、福島の桃の信頼性は高いと言えるでしょう。

 さて、家で冷やしていただいた私の第一声は「うん、確かにあかつきだな」というものでした。白鳳とともに、私が子供の頃からある福島の代表的な桃です。種がカパッととれるネクタリン系の品種もあったのを覚えていますが、甘さはやはりあかつきにはかないません。子供にとって「旨い」はほぼ「甘い」だったのですが、あの頃の桃の飲料で、子供でも甘いと感じていた某菓子メーカーの缶ジュースには、ギリシャ神話の神々の不老長寿の酒の名がついていました。桃のジュースと聞いてあのドロッとした甘い飲料を思い浮かべていたら、いただいたものは完全に非なるものでした。すっきりストレート、クリアなリンゴジュースの桃版です。友人の話では、冷やした炭酸水で割るとさらにおいしいとのことでした。

 帰省してから東京での疲れがどっと出て具合が悪かったのですが、直売所で買った桃を食べて寝ていたらよくなりました。この時は暁星(あかつきから生まれた品種)で、小ぶりでしたがなんと6個入280円、とても甘くておいしくいただきました。こんなに元気が出るとは、やはり桃には何か特殊な栄養素が秘められているに違いありません。そう言えば、果物から生まれたのは桃太郎であって、他の果物ではないし、『古事記』で黄泉にイザナミを迎えに行って恐ろしいものを見てしまったイザナギが、化け物たちから逃げる時、最後に投げつけて命からがら逃げおおせたのは桃の実のおかげでした。やはり古来、桃には邪気を追い払う不思議な力があると信じられてきたのかもしれません。
 

2018年7月13日金曜日

「模様替えの一日」

 先日、一日家に居られる予定の日に部屋の模様替えを行いました。来年、共同住宅のインターホンの改修計画があることと関係しているのですが、現在、部屋のインターホン通話ができる位置は本箱の陰になっているため、これはよろしくないと自覚したのです。受話器で話す分には支障はないのですが、やがて改修となるとこのままではいけない、何より担当者の一人として今後「現場確認」があるかもしれないと思ってのことです。実際、メーカーの方からの聞き取りをした時、現場確認要請があったのですが、これは別な担当者が引き受けてくれてほっとしました。うちの場合は、「そういうことは少なくとも一週間前に言っていただかないと…」という状態なのです。

 一番の問題は、このところ冬も全く使用していなかったため忘却の彼方にあったのですが、物を積み上げておく台となり果てていたこたつをどこに移動するかということでした。私の方針は、「モノを捨てない、モノを増やさない」に尽きるので、今あるものをどの部屋のどこに移動するかを考えるだけです。巻き尺を手にあちこち計測して、ここだという場所を決めたら、上に載っていた本箱の行先はすんなり決まり、あとは玉突き的に順繰り落ち着くところに落ち着きました。重いものは少しずつ動かし、たまった埃を掃除機で掃除しながら、汗を搔き搔き作業を終えました。

 やっている間に気づいたのは自分が箱フェチであることです。出るわ出るわ、製品を買った時の箱がことごとくとってあるのです。壊れ物などは分かるのですが、それ以外もたくさんあって、要するに箱は自分にとって捨て難いもの、結構好きなものなのだと気づきました。某通販会社の配達用の箱は意識して保管していました。形や大きさが揃っているので「何かに使えるな」と考えていたからです。今回の模様替えで一番気に入ったところは、本箱を向かい合わせに少し離して配置し。その上にこたつの天板を置いた場所です。大きな作業スペースができ、さらにその上に例の箱を布でくるんで板を渡してみたら、立って行うパソコン机になりました。一台は今まで通りテーブルの上にありますが、座ってばかりいるのは健康によくないと最近よく聞くので、パソコンの作業台が2か所できたのはうれしいことでした。一日で終わってよかった。あとはこのすっきりした環境を維持できればいいのですが、ちょっと油断すると物が机の面を覆ってしまうので気を付けて過ごさなければいけません。

2018年7月7日土曜日

「テキストボックスによる会報の作成」

 このところ取り組んでいたのが、会報作成方法の簡略化です。ワードはもともと英文用の書式なので日本語の縦書きには合わないのですが、今はワードを使うしかなく、会報は縦三段組なので、横書きで作る場合の数倍の大変さがあります。委員の中にこのやり方に非常に熟達していて、いつもきれいに作成してくださる方(Tさん)がいるのですが、これは本当にもう脱帽で、私などはなかなかうまくいきません。言ってみれば、「ワード検定T流1級」くらいの方でないと、簡単には作れないのです。

 作成するのが難しいと思わせる理由は、タイトルがテキストボックスで二段抜きになっていたりすると、ちょっとした文字の増減で大きく画面が動き、せっかく作った体裁が壊れてしまうことにあります。そのうち、委員の中に「全体をテキストボックスでつくるのはどうか」というアイディアをもたれた方がいて、私はずっとその方法でうまくいくやり方を模索していました。或る時、これならなんとか簡略化できたかなと思える方法が見つかって、会員の他の方に試してもらうことになったのですが、ワードのバージョンが違っていたのでうまくいきませんでした。私のはワード2016、彼女のはワード2013だったので、新しいバージョンを読み込むときにすでにずれが起きていたのです。その後、もっと古いバージョン(97-2003)で保存したものを使ってみましたが、それでは古すぎて制約が多く、新しいバージョンのメリットが生かせません。

 だめかなあと思いつつ、もう一つのパソコン(ワード2010)で作り直し、もう一度試してもらうことにしました。そもそもパソコンを新しくしたのはそれがWindows 7だったためで、皆と合わせた時に私の画面がずれていることに気づいたからです。不安を感じながらも「作成キット」を送ると、完成版がおくられてきたのです。問題なくできたということで彼女も喜んでおり、私もとてもうれしく思い達成感を味わいました。とはいえ、このままうまくいくとは思っていません。練習と本番は違うのです。この方法で対処しきれない事例もでてくるだろうなと思いつつ、とりあえず特殊な技能を持たなくてもできるほどには簡略化できたことを喜びました。この方法が広がれば、誰でも比較的簡単に会報の編集ができるのではないかとの感触を持っています。

2018年7月1日日曜日

「共同作業の場に必要なもの」

 職場以外の場で他の人と仕事をすることの難しさについて考えています。職場では他人と共にする仕事の難しさを感じなかったというわけではありませんが、職場の場合はおのずとルールがあるし、お互い相手を知っているので対処のしようもあるのです。それ以外の雑多な人々と何かのプロジェクトを進めるときは、それが容易なものになるか困難なものになるかは構成要因の人格によると言ってよいでしょう。相手が常識のある気持ちの良い人であれば仕事自体は大変でもつまらなくても全く苦にはなりません。逆に、相手が非常識な自分本位の人の場合、職場であれば存在する規範が働かないのですから、これほどしんどい仕事はないでしょう。だいたいはこの中間で事が進んでいくはずです。

 職場であろうとその他の共同体であろうと、その会合や作業を成り立たせるのは相手あるいは相手の仕事に対する敬意です。誰もが自分では一番よいと思う仕事をしようとするのは当然ですが、人の考え方はそれぞれですから、一から十まで一致するというようなことは普通は起きません。方向性が間違っているのでなければ、7~8割がた合っていたらよいとすべきです。寛容さが必要なのです。往々にして特に能力のある人が自分の意見を通そうとしてルールを無視したり、明白なあるいは暗黙の規定を踏み越えたりすることがありますが、こういうことは厳に慎まなければなりません。わずかな差にこだわって協調的な場を壊すことよりも、大事なことがあるからです。それよりも相手の仕事に敬意を払って、さらにパフォーマンスをあげることの方がその共同体にとってどれほど有益かわかりません。長年生徒を扱ってきた経験から、こちらが敬意をもって接すれば相手はどこまでも応えてくれ、持てる力を最大限に発揮することは確信を持って言えます。時には持って生まれた力以上のものさえ発揮されます。これは大人でも同じでしょう。悲しいことに、居丈高に出れば相手が自分の思い通りになると勘違いしている大人がいますが、これは逆効果。内部の人だけの問題ならまだ我慢できますが、外部の方に対して失礼な対応があると、さすがに腹に据えかねます。ととはいえ、大人に説教するわけにもいかないしねえ。

2018年6月27日水曜日

「紅春 124」

6月下旬、ようやくりくを予防接種につれていくことができました。毎年これが終わらないと1年安心できません。その前の準備が結構大変で、毛が抜け替わった頃でないといけないし、風呂にも入れないと獣医さんに失礼だし・・・・と、準備が整った兄の休みの日、いざ出発。この日は空いていて、すぐ診察してもらえました。うれしかったのは体重が増えていたこと。昨年はギリギリ9キロを切ってしまい「これ以上減らないようにしてください」と言われましたが、今年は9.3キロで、なんと300グラム増えていました。りくは涼しい顔ですが、こちらは努力の甲斐があったと大喜びです。心音も問題なし、体温は38.6で平熱、元気そのものです。フィラリアの検査で一回「キャン」と鳴きましたが、こちらも陰性。9種混合ワクチンは今メーカーが生産しておらず、5種混合ワクチンになりましたが、これで十分なのでしょう。いつもと違う環境だとりくはすぐそわそわしてしまうので、お会計終了次第、即退散。家でゆっくり寝かせました。また来年まで、元気でいてね。

「紅春 123」

先日帰省した時、扉を開けてもりくが出てきませんでした。いつもならがさごそしていると駆けてきて大騒ぎになるのですが、その日は音沙汰無し。「上で寝てるのかな」と思いながら茶の間に行くと、ぼーっとした顔のりくが立っていました。その後はいつものような歓待の嵐でしたが、私が帰ってきた時点で気づかなかったのは初めてのことです。きっと和室で昼寝していたのでしょう。りくも歳を取ったなと思うのはこんな時です。

 私の帰省中は夕方兄が帰宅してもお迎えに出ない、私が買い物から帰ってもお迎えに来ない・・・。いずれ皆茶の間に顔を出すのはわかりきっているので、「ちょっと端折りました」という感じなのです。だんだん面倒くさくなってきてるんだなあと思うと、これは我が身と重なります。いろいろなことが面倒になるのは明らかに老化の証拠で、私も特に理由はないのに、毎日やってきたことがなんだか億劫になっています。ああ、りくと一緒に歳を取っていくんだなあと実感します。一つ今のところ安心なのは、りくが散歩に対しては極めて積極的なことです。犬川柳に、
「もう朝だ どうして散歩を ねだらない?」
というのがありましたが、こうなったら本当に一大事です。また、
「リード引く 力ないのが 寂しくて」
というのもありましたが、今のところこれもりくとは無縁です。力強くぐいぐい引いていきながら、ちゃんと歩調は合わせているから、りくは「散歩力」はまだまだ健在です。だから、散歩だけは「また行くの? 疲れるな~」と思っても、喜んで付き合ってやっています。

2018年6月13日水曜日

「長期修繕計画」


 今年ももう一年の半分近くが過ぎたのかと時の流れの速さに驚いています。一年半前に集合住宅の理事が廻ってきた時は、「今の生活スタイルでは到底できない。いやだいやだ」と思っていたのに、「あと6回理事会に出ればお役御免だ」に変わり、気が楽になりました。今年まず着手したのは、次期輪番制候補者決定の手順を明確化し、月ごとにやるべき申し合わせ事項を文書の形で確認したことです。次の理事会を成立させるのは、前理事会の責任と思っており、丁寧さが必要なのです。今年は流会を心配することなく理事会が開けるだけでも心の負担が違います。まもなく20年という時間の経過の中で、保管すべき書類でいっぱいになった書庫をもう一台購入し、次への準備もできました。

 今年の理事会の大きな仕事としては、インターホン改修計画の立案と長期修繕計画の見直しです。前者は、そろそろ更新の時期に当たるため、その機種や施工業者の選定等を行って、通常総会に上程するため、メーカーや業者にお会いして話を伺ったり見積もりを詰めていったりしなければなりません。値の張る工事なので、大規模修繕委員ほか、多くの方々のお知恵を借りて進めていく予定です。後者は、大規模修繕の翌年に立てた長期修繕計画が妥当かどうかを設計事務所に見てもらい、修繕積立金の増額など必要な見直しをするのです。先般の理事会でその中間報告があったのですが、初めて見る表でもあり、私は話についていけませんでした。これではまずいと思い、その後少し調べてみたところ、書庫の会計報告の中から行っていないものと思われていた工事の領収書を発見し、次の工事時期を遅らせることができ、少しだけ今後の出費の削減に貢献できました。任期2年で代わっていく輪番制の理事会では、これまでの工事履歴は管理会社が持っているだけで、理事の意識にあまり上らないことなので、理事会としてもこういった資料を作成して代々更新していく必要があるなと思いました。新理事会の発足時に最初から検討すべき工事内容が念頭にあれば、総会の間際になってあたふたすることはなくなるだろうと期待しています。理事の任期が1年だったらどんなにいいかと思ったことでしたが、2年目になってようやく見えてくることもたくさんあるとわかりました。いずれにしても、時期が来れば必ず終わるものはいいですね。何にしても長くやってはいけません。そのことも過去の様々な資料を調べてよくわかったことです。今なお、本理事会は「長期修繕中」なのです。

2018年6月7日木曜日

「大学敷地の変遷」

 先日御茶ノ水に行った時、用事が済んだのがお昼頃だったので、久しぶりに大学に寄ることにしました。長いこと改修で閉鎖された中央食堂は昼時でごった返しており、まず思ったのは「みんな授業に出てるんだな」ということでした。三十年前は、授業に出ない学び方や、そもそも大学に来ない生き方が許容されており、授業の時間に合わせてこれほど学食が混むということはなかったように思います。何より。以前提供される食事のメニューがガラスケースに陳列されているだけだった中二階に、某コーヒー店のカフェが入っており、大学食堂がこれでいいのだろうかとちょっと疑問を感じました。新入生を迎えてまだ2か月、大食堂に反響する声の騒々しさに嫌気がさし、結局、そそくさといつもの第二食堂移動して昼食をとりました。ふと思い出したのですが、三十年前は龍岡門の手前は畑になっていて、そこで草を食んでいるヤギを見に行ったものでした。なぜ覚えていたかというと、ヤギを見ているうちヤギの目が横長の見事な長方形であることに気づいたからです。以前は構内になんだかわからない場所がたくさんあったのですが、もうそういう場所はすっかりなくなってしまいました。敷地は全て名前のある建物で埋め尽くされ、言ってみればアメリカ西海岸のような雰囲気なのです。これも時代の流れなのでしょう。

 帰ろうとしてふとと総合図書館のまえを通ると、人が正面玄関から出入りしているではありませんか。この光景を見るのは数年ぶりです。思わず近寄ってみると、「新しくなった総合図書館を見に来てください」との貼り紙・・・。誰に対する呼びかけ化と考えると、やはり第一に学生や職員でしょうが、きっとあまりに長期間改修工事をしていたのでここを利用する人がめっきり減ったからではないでしょうか。さっそく入ってみると、途端に強烈な既視感に打たれて動けなくなりました。すでに喪失したと思っていた景色がそこにありました。三階まで続くあの赤絨毯も、三階のだだっ広い読書室の古い机と椅子も、二階のパソコンを使える読書室の場所や席数もほぼ昔通りに配置されており、各階の書架は昔のものに加えて新しく増えたものもきれいに格納してありました。最近は大事なものが消えていくばかりでしたので、まるで幻を見るような気分でボーっと立ち尽くしてしまいました。総合図書館は見事によみがえったのです。「今まで散々文句を言って悪かった。改修工事をしながらもなんとか開館で来ていたことの方が奇跡的だったのだ」と大いに反省し、この夏通えそうだなとうれしくなりました。この日は家に帰って寝るまで、なんだかふわっと幸せな気持ちに包まれていました。

2018年6月1日金曜日

「悪質タックル問題」

 アメリカン・フットボールにこれほど注目が集まったのはかつてなかったことでしょう。少し前なら報道されることなく、行き過ぎたラフプレーとして処理されていた事件だったかもしれません。しかし今回の件が国民的議論を引き起こしたのは、選手の行為が一線を越えていたことと、現代のテクノロジーにより、画像や音声データ、および関係者の証言等がいわばビッグデータとなって集積し、あっという間に拡散したことによります。
 加えて、顔と名前を出して謝罪会見をした加害選手の人となりや置かれた状況がはっきりするにつれ、世間の人々は事態の悪質さに目が覚めたのです。あれはまれに見る立派な会見でした。追い込まれてひどいことをした後、はっと我に返り深く後悔している二十歳の学生を前に、「この若者を救えないのなら、私たちの社会は救われない」という思いを、多くの人が持ったことでしょう。

 謝罪の言葉や行為に至るまでの経緯を一通り述べたのち、詰めかけた報道陣の質問に一つ一つ丁寧に答えていましたが、指導者への批判の言葉を誘導しようとする質問に乗ることなく、事実だけを繰り返したこと、「ちょっと考えれば悪いことだとわかることだった。誰に言われようと、自分で考えて行動しないといけなかった」という趣旨の発言をしていたことが印象に残りました。遅れて行われた監督・コーチの記者会見は耳を疑うようなものであり、「ああ、悪い人っているんだな」と思ってため息をつくしかありませんでした。このような誠実な青年を地獄に導いた悪辣な人々は、人としても許されませんが、とりわけ指導者という立場に立ってはいけなかったのです。「どうしても謝りたい」という本人の気持ちをかなえようとご両親が動いたことで道が開けたこと、被害者側もこの驚くべき事件の不幸な事態を理解し、加害者への深い惻隠の情もった方だったこと等は、一連の出来事のなかでは本当に幸運なことでした。

 記憶が定かではないのですが、謝罪会見での質問の中に、「もし今、同じ状況で支持が出たとしたらどうしますか」というのがありましたが、その質問には10秒ほど無言でした。じっと考えているようでしたが答えが出ず、同席の弁護士が「その質問は家庭のものなので・・・」と質問を打ち切りました。なんと酷な質問でしょう。その質問に答えられるくらいなら、この人はこんな事件を起こしていなかったと、誰だってわかるはずなのに。これは罪についての本質的な問いであり、今後その問いに答えを出すことが、彼にとって贖罪の行為の重要な部分を占めるのではないかと思います。

2018年5月26日土曜日

「パソコンの追加購入」

 つい最近、パソコンをもう一台購入しました。いつも最新のものには目もくれず、何を購入するにしても全て世間で一番最後の私ですが、さすがにWindowsは10版にしなければならないと思ったのは、所属する委員会での文書校正で私が見ている画面と他の皆さんが見ている画面が違うことがわかったからです。私のパソコンがwindows 7であることから起こる現象に違いなく、これでは校正にならないため新たにパソコンを買う決心がつきました。とはいえ、これまで6年使ってきたパソコンは、あまりにも長い間苦楽を共にしてきたので、壊れてもいないのにとても処分はできません。思いついたのは、とりあえず中古のパソコンでWindows 10に慣れ、Windows 7が寿命を迎えた頃ちゃんと購入すればよいということです。今のパソコンはUSB端子の部分に不具合が出てきており、また月一回自動的に行われるプログラムの更新にえらい時間がかかります。そのあたりは気になると言えば気になるところでした。

 中古のパソコンなんて大丈夫だろうかと思いましたが、今のパソコンを工場送りにして初期化からの設定を二度やった経験から、変な自信がついてしまいなんとかなるだろうと思いました。購入先は以前ネットで一度だけ電気製品の中古を試してみて印象のよかった店舗に決めました。移動があるのでとにかく小さくて軽いノートパソコンを探し、今はもう製造されていない希少品に辿り着きました。最新版のOfficeも付いて、値段はたぶん当時の四分の一以下でしょう。注文したらあっという間に届き、ドキドキしながら開けると新品と変わらないほどのきれいさ! 側面に多少こすれた跡はありますが、キーボードも画面もとても中古とは思えぬほどでした。驚いたのは最低限の初期設定は終わっているので、その場ですぐ使えたことです。インターネットもすぐ繋がり、Officeのインストールも無事できました。わからないことがあれば検索はもちろん、現在のパソコンの設定を確かめることができるので、今のが壊れる前にもう一台購入したのは大正解でした。音声ソフトほか必要なソフトを入れたりプリンタと繋いだり、まだまだやることはありますが、さっと使ってみてバックライトのありがたさと1.1kgという軽さに感激です。慣れるまで忙しくなりそうですが、不具合が出ず長持ちしてくれることを願うばかりです。


2018年5月21日月曜日

「歳をとると・・・」

 少し前に足を痛めて医者にかかる羽目になりました。骨折ではない自信はあったのですが、あまりの激痛に筋が切れたかと思ったほどでした。なんとか歩ける状態だったのは不幸中の幸いで、医者からは「痛みは膝の軟骨のすり減りによるもの。加齢です」と言われました。漢方薬を処方されて2週間ほどでだいぶ良くなりましたが、その間暫くは階段の上り下りもできず、「このまま動けなくなったらどうしよう」という危惧が頭をよぎりました。今までまったく気に留めていなかったエレベーターやエスカレーターを探して歩くようになり、ずいぶんそれらの位置には熟達しました。初めてこれを見た時はびっくりしたのですが、地方都市と違って大都市の凄いところは、歩道橋に上るためのエレベーターがあることです。これには本当に助けられました。A地点からB地点まで階段を使わずにエレベーターとエスカレーターだけで行けるかと思案したり、私はエスカレーターでも乗れるからいいが、車椅子の方はエレベーターのみの利用なので通る道筋も変わって来るなと頭の中で辿ってみたり、普段は考えないことを考える機会ともなりました。

 一番の問題は、普段ウォーキングやたまにジョギングをして運動している気になっていたことで、医者の話では大腿四頭筋を鍛えなければならないとのこと。とはいっても今は負担のかかる動きは無理なので、椅子に座ったり寝転んだりしてできる筋力増強法に取り組んでいます。もともと歩くのは好きなので、よくなってくると歩きたくなりますが、医者の話では「歩くことが必ずしも脚に良いわけではない」とのこと。これにはちょっと驚きましたが、まずは筋力をつけることが重要ということなのでしょう。友人も歯がだめになったと気落ちしていましたし、歳をとると今までなかった症状が様々な部位に出てくるようです。私より30年も年上なのにかくしゃくとしておられる方には、本当に脱帽するほかありません。



2018年5月19日土曜日

「紅春 122」

りくが二階への階段を初めて上ったのは、9歳の時でした。何にでも初めてはあるようで、今回帰省して兄からこんな話を聞きました。

 ある朝起きて階下に行ったら、普段やって来るりくが来ない。どうかしたかと部屋をあちこち探したがりくの姿が見当たらない。「台所の扉は閉まってるし・・・」と考え、ここで、はたと思い当たることがあった。昨夜散歩を済ませて、りくはいつも通り「まだ入らない」と言ったので、後で家に入れようと思い、そのあとどうしたっけ・・・。

 そうです。扉を開けて外を見ると、朝日を浴びて元気なりくの姿がありました。一晩外で過ごしたのですが、一度も夜中に吠えたり、「家に入りたい」と言って鳴いたりしなかったとのこと。朝見た時はゆったりと寝そべってあくびしてたらしいので、もしかすると寝ずの番だったのかもしれません。何事もなくてよかったですが、こうして思いがけず、箱入り息子りくは11歳6か月で初めての外泊(「そとはく」と呼んでください)を体験することとなりました。

2018年5月12日土曜日

「読書三昧の連休」

 連休は図書館で本を借り、ほとんどの時間を家での読書に費やしましたが、どこへも行かず、ニュース報道も最低限しか聞かなかったため、大変気分よく平静に過ごせました。余計な情報が人の心を騒がせるのだとよくわかる経験でした。読んだのは、スペシャリストでありながらジェネラリストでもあり、従って自分の研究成果を非常にわかりやすく他の人に伝えられる方々(典型は磯田道史や福岡伸一)の本です。前者は日本初の学術的忍者研究者とも言ってよい方で、忍者の末裔に伝わった秘伝書から、忍者の実態やお仕事について知り得たことを書いています。「小男が猿の皮をまとって猿に変装し家屋に浸入する」忍術があったことやら、「大名行列時の過酷な任務で過労死した忍者がいた」ことやら、「七十代の忍者の間では共有されていた全国ネットワークが若い忍者世代になるとなくなってしまっていた」ことやらを読み、時には抱腹絶倒しながら一つの組織の盛衰を垣間見ることができました。また、後者からは著名な「動的平衡」理論により、生命とは何か、生きているとはどういうことかを生化学的立場から示され、その精妙な不思議さに感銘を受けました。とりわけ生物の細胞は作ること(合成)より壊すこと(分解)を熱心に行いながら微妙なバランスを保っており、それこそが生命体の維持に必須であるというのは逆説的な深い真実だと思わされ、老化や死という現象が起こるプロセスも納得できました。両者とも共通してそれぞれ自分の研究分野が面白くて面白くてたまらないといった様子がひしひしと伝わってくる方で、「こういう人を学者というのだ」と思わされました。とにかく学問への愛がどの本でも全編にあふれています。

 毛色の違うものでは、『フランケンシュタイン』を読んだのですが、これは少し前に日本でも再評価されているような話を訊いたからで、著作権が切れているのでデータで入手できました。 つらつら考えると、今から30年ほども前に日本で英国映画が突如一世を風靡した時代が存在したと思うのですが、当時ブリティッシュ・カウンシルでは無料の映画上映がありました。或る日行ってみると入りきれないほどの人数になっておりやむなく帰ったことがあり、私の記憶が正しければ、それは「幻の城」というタイトルの映画でした。人が殺到したのは、美形のそしておそらく異常に日本人受けした俳優さんが出る映画だったためで、中身はシェリーとバイロンを軸に展開する映画でした。メアリー・シェリーとその妹と他にも誰か、訳がわからん芸術家にありがちの入り乱れた人間関係が実際史実でも有名な話でしたし、フランケンシュタインの誕生についても描かれているはずでした。結局この映画を見ることなく時が過ぎ、メアリー・シェリーの小説だけは読んでおこうかという気になったのです。フランケンシュタインはおそらく、ガリバー以来描かれた人間嫌いの産物でしょう。人間の悪は旧約聖書の時代から綿々と書かれていますが、誠に陰鬱、陰惨な人間像が克明に描かれていくのは、政治批判を内包する風刺作品『ガリバー旅行記』に始まると私は思っています。『フランケンシュタイン』は紛れもなく、この「ガリバーの系譜」に連なる作品であり、おそらくこの作品はポーの『モルグ街の殺人』やR.L.スティーブンソンの『ジキル博士とハイド氏の奇妙な事件』に影響を与えているでしょう。

 結局のところ、私は『フランケンシュタイン』には全く感情移入できませんでしたが、その理由は博士の怪物に対する愛を少しも感じられなかったためです。人造人間を造り出そうというからには或る意味、『創世記』のパロディに違いなく、それは疎外され孤独を感じた怪物が博士に、「連れ合いを造ってほしい」と頼むところからもわかります。しかし、最初から最後まで博士にとって怪物は自分が生み出したものであるにもかかわらず、敵対者なのです。人間は『創世記』で描かれる創造主なる神には決してなれないのに、造物主になろうとして逆にとんでもない化け物を出現させてしまい、その被造物なる怪物は深い孤独と疎外感から悪事を行ってしまう・・・。この物語に関心が注がれるようなら、やはりかなり行き詰った社会になっているのです。さらに、人間疎外を淡々と描いた作家と言えばなんといってもフランツ・カフカですが、彼らが書くものは皆、悪が人間の文明自体に組み込まれていることを示しています。



2018年5月5日土曜日

「補助的めがね二種」

 私は外出用の遠近両用眼鏡と読書用の眼鏡を持っていますが、ここ数年眼鏡を作っていません。それは、もう眼鏡を新しくしてもそれだけ見えるようになることはないからです。そのため眼鏡の購入には縁がないと思っていたのですが、夏を前にサングラスはあってもいいかなと思うようになりました。持病のため紫外線を避けるよう医者から言われているので、一年中日傘、帽子、マスクが欠かせない生活ですが、サングラスもないよりましかと調達することにしたのです。眼鏡についての関心が高まったのは本当に久しぶりで、いざ選ぶとなると結構のめり込んでしまいました。

 度数を計る必要がないサングラスをじっくり選ぶには通販が最適と、さっそく探し始めましたが、一口にサングラスと言っても多くの種類があることがわかりました。サングラスに関する私の知識は、「あまり濃いものにするとかえって光を取り込んでしまい、目に入る紫外線も増えるのでよくない」という程度のもの、とにかく紫外線をカットし、あわよくばブルーライト除去にも役立つものがあれば・・・というのが主な選択肢の観点です。当たり前すぎて失念していましたが、私の場合は眼鏡の上から掛けるのでそれ用の対応がなされたものでないといけないというのが、真っ先に考えなければならないことでした。そうなると、かなり大きく威圧的なものになってしまうようでサングラス探しは難航しました。跳ね上げ式のものもありましたが、運転するわけでもなく実際使わないだろうとこれはボツ。あとはレビューや購入者が付けた星の数が頼り。そのうちかなりの割引率ながら星の数が3.5に満たなかったため、よくないものかと最初は除外したものが目につきました。調べますと、評価が低いのは小さ目のサングラスだったため眼鏡が入らなかった人からの評価「1」のせいと判明し、自分の眼鏡の大きさを計りうまく納まることがわかると、これこそ探していたものだと思いました。偏光率も高く、紫外線カットはもちろんブルーライトもそれなりにカッとしてくれ、なおかつ調光仕様(太陽光の下では暗めに、暗いところでは明るめにガラスが変化する)という、うってつけのものだったのです。

 もう一つ気になっていた眼鏡は眼鏡というより掛けるタイプの拡大鏡で、最近よく聞くあれです。これは以前知り合いの購入者から聞き、試し掛けもさせていただいたのですが、倍率がいまいちで決心がつかなかったものです。倍率1.32倍、1.6倍に加えて1.85倍が出たのを知って、眼鏡屋さんに行ってみました。驚いたことにこの眼鏡は店頭の一番目立つところに置いてありました。残念ながら1.85倍のはその店にはなく1.6倍で試すしかありませんでしたが、それなりに大きくは見えます。私はもう紙ベースである程度の長さの文章を読む気力はないのですが、礼拝の時読む交読詩編だけはその場で読めるといいなと思っていたのです。移動日も近かったので、「ええい、ままよ」と、最大倍率で最近出たばかりのチタン色フレームの製品を取り寄せてもらうことにしました。フレームの色によっては通販で値引きされたものが売っているようですが、こうした場合一番恐いのは純正品かどうかわからないことです。もちろん直接本社から通販で購入することもできるでしょうが、住所の入力等煩わしいし、地方の経済活動に少しでも貢献できればという気もありました。使ってみた結果は、その場でどうしても読字が求められる時には便利ですし、何といっても当初の目的が叶えられたので、買ってよかったなと思います。今後これら二種の眼鏡は補助器具として役立ってくれそうです。

2018年4月28日土曜日

「百年前の世界」

 今になって、若いうちにやっておいてよかったと思うことの第一は、海外旅行です。定年退職してからゆっくりという方が多いことでしょうし、気力や体調が充実していればそれも望ましいことです。私の場合は時期がずれてしまったようで、もう海外に行きたい気持ちは雲散霧消しています。今思い出しても本当に楽しい時代でした。私が行きたいところは、西欧(アルプス以北、北欧を含む)・中欧・東欧、これで全部という、著しく偏った地域でしたがほぼ全て制覇し満足です。グローバル資本主義に席巻される寸前のヨーロッパを見ることができたのは幸いでした。ヨーロッパがヨーロッパだった時代はもう二度と戻らないということだけは理解しています。

 最近はスイッチを入れると不愉快なことだけ聞こえて来るのでニュースを聞く時間もめっきり減りました。その代りこのところずっと、記録と記憶の中、即ち本の世界で過ごしています。もともとミステリーは好きですがこれはいろいろなタイプがあり、時も所もわからない狂気交じりの世界は避けています。ポーなくしてヒッチコックもキューブリックもなかったことは確かですが、もう少し穏やかなのがいいですね。というわけで、このところうろついていたのはもっとフツーで単純な事件簿を所有するベーカー街221Bです。ホームズの解決したいろいろな事件を読み返しましたが、これは事件簿というより時代誌というか民俗学的記録と言った方がよいように思います。百年前の英国を記録したこのシリーズは、今から見るとほぼ全編が帝国主義時代のすさまじい痕跡で成り立っています。新大陸、アフリカ大陸、インド、アフガン、中国・・・すべてが英国と有機的に結び付いており、 当時の世界は大英帝国の庭なのです。百年前にはロンドンにも阿片窟があり、また世界中からありとあらゆる珍しい生物や危険な代物が手に入りました。そこは当時最先端の犯罪が起こる場所でもありました。交通や通信手段は冗長の感がありますがこれも風情があってよいもの、また今では許されない表現も随所にありますがこれが現実だったのです。当時から見れば現代は信じがたいほどの別世界、別の星といってよいほど変わってしまいました。流石のホームズでもこれほどの変化は予測できなかったでしょう。犯罪は世相を象徴するもの、百年後に世界があるとして、日本ではさしずめ『相棒』あたりが同様の民俗学的時代史を担ってくれるのでしょうか。

2018年4月20日金曜日

「紅春 121」

「りく、角生えて来るんじゃないの?」
最近、りくの顔を見るたびつい話しかけてしまいます。抜け毛の季節がまだ続いています。胴回りは大体終わったのですが、後ろ足のあたりはぼさぼさの股引を履いたみたいになっているのはいつものことです。しかし今年のりくは顔の額の部分の毛が左右に一点ずつ盛り上がってきており、その状態のままもう一週間ほどが過ぎました。あ~、これはミケランジェロのモーセ像みたい。あれは誤訳によって生じた笑い話のような出来事だったそうですが、りくは角生えちゃったら鹿みたいになる・・・。ハート型に禿げる方がまだいいよね。

2018年4月18日水曜日

「言葉のやり取り」

 犬がせめてこれだけでも話せたらいいなと思う言葉は、「水」と「トイレ」ですが、それ以外はどうかとよくよく考えると、むしろ人間並みに話せないからいいのだろうというところに思い至ります。こちらが言っていることはほぼわかるようで、話しかけている時にじっと聞いてくれるだけで十分です。その点、人間は良くも悪くも言葉抜きで生きることができず、またどんな無意味な言葉にも反応してしまう動物です。さらに、言葉の作法をここまで精妙にする必要があるのかと思うほど、あまりにも言葉を発達させてしまいました。

 現在ではそれらの言葉が通信機器を通して無数に行きかっているのです。友人が言うように、その95パーセントくらいは要らない言葉かもしれません。先日は何人かで共有しているメールの返信が来ないという事態に遭遇し、気をもむことがありました。私はこの会の最終的な責任者ではないのですが、会のためによかれと思う意見を述べた時のことです。言葉の第一の効能は、意見をすり合わせながらお互いの行動を決めていくことにあると思っています。これは、場合によっては相手の行動を変えさせることにもなるわけですが、今回の出来事はこの過程で起きた事態だったため苦慮するところがありました。「こちらの手順に間違いがあったのか」、「返信は他の人には届いているのか」、「この間に何か調整作業がなされているのか」、「ひょっとして気分を害されたのか」、「ペンディングはいつまで続くのか」・・・等々。こうして、「メールを送らないことによって相手は何を伝えようとしているのか」について頭を悩ませることになったのです。いくら考えても解けない謎に何日か悩みましたが、結局、相手の送信し忘れと判明し一件落着しました。わかってみればなんということはないものの、原因がわかるまでどうにも気が休まりませんでした。

 この世には言葉がなければ起き無い事件が山ほどありますが、一方、なしのつぶて、即ち問いかけに対する無応答にも人は耐えられないものです。人間はなんと面倒な存在でしょうか。言葉のやり取りの不調に拍車をかけているのは、間違いなく現代の高速通信やネット世界のあり方であると言ってよいでしょう。言葉自体はどんどんやせ細っていく現実の中で、とりあえず余計な言葉は控えて、どうしても伝えなければならないことを選りすぐって丁寧にやりとりするしかないようです。もちろん特に伝える必要のない言葉を純粋に楽しんでやり取りすることや、自ら、舌禍・筆禍を好まれる向きはこの限りではありません。


2018年4月14日土曜日

「春のピクニック」

 今年は桜の開花が異常に早い年でした。毎年この時期の楽しみは、東京と福島の両方で桜が見られることなのですが、やきもきしたのは逆のパターンになりそうだったことです。福島で「東京の桜、満開」の報を聞き、帰る頃はもう散ってるかなとがっかりしていたら、途中肌寒い日が何日かあったためギリギリ最後の桜に間に合いました。福島の方はもちろん無理でしたが。

 こんなふうに書くとまるで私が花見フリークみたいですが、どちらかというとこの時期の千鳥ヶ淵や上野などを思い浮かべただけでぐったりするタイプです。私が好きなのは、普段のウォーキングで近所の学校の校庭や公園の桜をゆっくり眺めることで、明け初める水色の空を背景に見る桜の花ほど美しいものはありません。先日は急に思いついて、友人とたまたま空いている日が一致したので、葉桜でもいいやとピクニックをすることにしました。場所は一度案内しておきたかった近くの大きな公園です。

 ピクニックという言葉の響きはふわっとした幸福感を運んできます。朝早く起きて、お弁当を作る。おにぎりやサンドイッチ、おかずは手がかからずすぐできる(卵焼きは欠かせません)をパパッとまとめて箱に詰めて出来上がり。この朝のバタバタ感がいいのです。水筒には冷茶と熱々のサイフォン・コーヒーを入れて、いざ出発。公園内をとりとめのない話をしながらゆっくり歩いて、ちょうどよさげなテーブルもあるベンチに陣取りました。桜はほぼ終わっていたのですが、開催される桜祭りは何とその週末とのこと、その狭間で混雑していなかったのが幸いでした。ぼおーっと子供の頃の遠足やピクニックの思い出を話しながら、お弁当や友人が持ってきてくれたお菓子をつまむ・・・。新緑の5月のような気候の日で、本当に気持ちのよい季節を堪能しました。友人の指摘になるほどと思ったのですが、周囲にいるのは男性のお年寄りの集団で、穏やかに話しながら集っているのはおそらく毎日の日課なのでしょう。やがてお昼前に静かに挨拶を交わして三々五々散って行きましたが、このあたりは女性陣が徒党を組んでバスツアーや有名店のランチを楽しんでいるのとは対照的です。毎日なんとなく集まって情報交換を楽しんでいる様子は近くにこのような公園があるからこその光景で、とても好感が持てました。この日はずっとしたかったピクニックが久しぶりにできて、大いに満足しました。

2018年4月10日火曜日

「なりたい職業」

 財務省前理財局長の国会証人喚問を聞いて思ったのは、「もう官僚になりたいと思う若者はいないだろうな」ということでした。天下りという形の生活の保障が危機的なものになっていることもさることながら、放映から伝わってきたのは、一昔前にはかろうじて存在したであろう財務官僚としての矜持が微塵も感じられない情けない姿で、官僚の時代の終焉をはっきり告げるものでした。そう言えば、かつて若者が夢見た職業は、医療界にしても法曹界にしても教育界にしても、腐敗や行き詰まり、また極度の緊張を強いられる職業であることが衆目の一致するところですから、これも自ら進んで選びたい対象ではなくなっています。金融やIT関係もそれ自体博打のようなもので、人生百年時代の職業として先行きの見当が全くつきません。ノーベル賞受賞者が出た年の後は学者志望も増えたようですが、今の大学の現状では無駄な書類書きに追われて研究もままならず、また短期的な結果が出せなければポストも危うい末期的な状態です。第一、急速に進む少子化の中で多くの大学が姿を消すのは間違いなく、将来どれほどの大学が存在できるのか皆目わかりません。私が今若者で、将来の職業を決めなければならないとしたら辛すぎると思うのです。

 気が滅入る日が続いたので、肩の張らない本を借りてきたのですが、その中に土屋賢二の『哲学者にならない方法』がありました。読んでゲラゲラ笑うはずだったのに、なんとこの本は自伝的エッセイだったのです。やはり人は七十歳を過ぎると自分の人生を回顧するようです。生まれ育った家庭環境には「へえーっ」と驚きましたが、私が常々抱いている「どの家庭もそれぞれに特殊である」という仮説の信憑性が確かめられました。岡山から出てきて駒場寮に入ったことで人生に目覚め、そこに描かれる自堕落な生活は笑えましたが、おおらかな時代でよかったなと思います。貧乏人の集う共和制のごとき生活を象徴する物干し焼失事件の話はまさに傑作、「この本の中で最も教化的だったのは埋み火のしぶとさだった」と言えば、読者として合格でしょうか。いつものふざけた筆致の中にも、音楽、美術、文学を通して自分でも思いもしなかった哲学に魅入られた結果、精神的に親から独立していく過程は読んでいて痛々しいほどでしたが、真剣に生きていたことだけはよくわかりました。だからこそ今、哲学の道に進んだことを大事故に遭ったようなものだと感じつつも、「どんな大事故でも、青春に起こったことはなつかしい」との思いで、疾風怒濤の日々を振り返ることができるのです。

 今の若い人も大人になる過程は基本的に同じなのですが、違うのは時の流れの速さです。昔の五倍、十倍の速さで過ぎる時間は、もはや長い目で人を見て待っていてはくれません。よほど才能があるか運のいい人しか、無事その場に到達できないようになってしまいました。そして大多数の若者は、大人になれてもいないのに、絶望的とも言える速さで「社会的老化」を強いられるのです。いつの時代も人が大人になる時には個々人の大きな変革を迫られるものですが、今の時代は若者の多くがこの課題が果たせぬまま、長い長い老後を迎えてしまうような気がしてなりません。ああ、また気が滅入ってきました。心置き無く腹の底から笑える本はないでしょうか。

2018年4月4日水曜日

「10食品群」

 ラジオをつけたら10食品群という言葉が流れてきました。また新しい栄養素の話かと思いながら、10の中身を考えてみました。「肉、魚、乳製品、卵、野菜は緑黄色野菜と淡色野菜に2分割とすると、あと4つか」というところまできて、普段自分が食べているものを思い浮かべました。「大豆製品、海草、ナッツ、あ~、ご飯というか炭水化物を忘れてた。これでどうだろう」と、自信をもって自分の答えを出しました。結論からいうと、最後の方が違っていたのですが、どうも納得できません。野菜は緑黄色野菜のみ、後半の5つは大豆、海草はいいとして、あとは芋類、果物、油脂類というのでもうビックリです。

 油脂類と言うのは現代では摂取する気がなくても十分とれてしまうものですし、第一単独で摂取できないようなものは不適格ではないでしょうか。ご飯・パン類が無くてなぜ芋類? そこまで大事な食物なのか? 果物は毎日食べているがおやつのようなものと思っていたので、これを数に入れられるのなら有り難い! 野菜が緑黄色野菜だけでよいとはとても思えないし、ナッツは明らかに健康にいいのに・・・。いろいろと疑問はありますが、どうもこれは一人暮らし等で食欲がわかず、低栄養になりがちなお年寄りの救済策らしいと気づきました。10品目なら何とかなりそうだし、多分ご飯やパンは放っておいても食べるだろうということなのではないでしょうか。油脂類についても好意的に考えると、調味料や多少の外食、惣菜などの利用で自動的に摂取できたことになり、心理的な負担にならないことを狙っているのかもしれません。一つ確実に言えることは、以前、世の中の台所をあずかる主婦からほとんど料理をしない独り者にまで、食事に関するストレスを与えた厚生省の「1日30品目を」の指針よりはずっとよいということです。数が少ない分たとえたりない栄養素がある場合でも、「もう1品目増やそうかな」と思えますし、おそらくそれこそが大事なのでしょう。


2018年3月31日土曜日

「紅春 120」

鬱々と春を過ごしています。ちょっと気持ちが晴れるのは、りくを相手にしている時くらいです。人間よりはるかに賢く、性格も素直だなあとつくづく思います。日が長くなり暖かくなったので散歩日和が続いており、りくに催促されると、「お~よしよし、りくの願いなら聞いてやるからね」と大サービスで普段は行かない遠方へも出かけます。下の橋を越えてゲートボール場を通ってさらに下の橋まで、あるいは上流の小さな池のある河原を通って上の橋のさらに先まで、土手沿いにどんどん遡って・・・。

 少し歩くと汗をかくほどの暖かさ、こんな日は水筒が必須です。1キロ近く来たかなという辺りで水筒を取り出して見せると、りくはそそくさとやって来ます。蓋に注いであげるとゴクゴクとたくさん飲むので、インドのキングコブラの動画を思い出します。旱魃のため人の住む村にやって来てペットボトルから水を飲んだというので有名になった話で、やはり水は命の源なのです。りくは極めて元気でどこまでも行こうとするのですが、ここは適当なところで折り返さないといけません。その場はよくてもやはり年は争えないので、歩きすぎで大変な事態を招いたことがあったのを教訓としています。

 散歩の後は家の日向で昼寝です。昼寝から覚めて、また肩を手っこでトントンすることもあり、「大丈夫かな~」と思いながら短めにもう一本することもあります。兄が帰宅してから行く分も含めると、1日5~6キロ歩いているかもしれません。近頃報道されるのは人間の愚かさ、醜さ、卑しさばかり・・・、りくの我儘など可愛いもので、「姉ちゃん~」と甘えた顔でやって来るのを見ると、散歩の願いなどいくらでもかなえてあげたくなります。こうしてりくへの甘やかしは日々加速してゆき、最近は、「ね~、りくは神様の最高傑作じゃないかな~」と、いつも話しかけています。



2018年3月26日月曜日

「滅びの春」

 もの憂い季節です。普通なら日が長くなり暖かくなるとうれしくなるものですが、先の世界の有様を考えると「みんなよく平気でいられるな」という気になってしまうのです。元凶は人口減少と高速通信社会で、今の子供たちの将来はどうなってしまうのか、想像も尽きません。人間の良識、常識を信じられた時代は遠く、政官財のあらゆるところでの偽装が明らかになっています。このごまかし体質はもう内側から国が亡びつつあることを示しています。

 2100年の日本の人口は5000万人と聞いた記憶がありますが、これはあまりにも先の数字過ぎるのでもう少し近いところで言うと、日本の人口が1億を切るのは2055年とのこと、ざっと30年で3000万人、1年に100万人ずつ減っていくと言う事実・・・。仙台が百万都市ギリギリくらいのところだとすると、過疎の村どころか、地方都市もインフラ整備が追いつかず生活が成り立たなくなるのは目に見えています。この時代まで生きている人(つまり今の若い人)は大変だろうなあとぼんやり思うだけです。驚くのはこのことについて国民的議論が何一つ湧き上がっていないということですが、その理由は問題が深刻過ぎて解決方法がなく、考えるだけ暗くなるからだろうと思います。55%の比較的若い方々(59歳以下)が45%の高齢者(しかもそのうち後期高齢者が半分以上)を支えるのは無理ですし、病院も介護施設も何もかも大幅に不足するでしょう。個人としては少しでも良い健康状態を保つ以外なく、話はそこで行き詰ってしまいます。2055年と言えば、今度の東京オリンピックの時に10歳の子供は45歳の働き盛り、彼らの老後は誰が支えるのでしょう。

 これに追い打ちをかけるのが教育問題で、聞くところによるともう全く希望がもてないようなのです。国内ではあからさまな批判が裂けられているこの問題を指摘したのは英米のメディアです。 特に、米国の政治外交専門誌Foreign Affairs Magazine が2016年10月号で、「日本の学校教育はどうしてこれほど質が悪いのか」について、研究の国際的評価の低下などをデータに基づいて記述した上で、日本の大学教育の過去30年間の試みは「全面的な失敗」だったと結論づけたこと、また、英国の自然科学のジャーナルNatureが2017年の3月に日本の科学研究の劣化について、かつては世界のトップレベルを誇っていた日本の科学研究が停滞している実情を伝え、「日本は遠からず科学研究において、世界に発信できるような知見を生み出すことのできない科学後進国になる」と警告を発したことは有名です。

 これら多くの問題に誰も手をつけようとしないのは、一つには忙しすぎること、一つには少しでも責任を認めるとどんどん責められるに違いないこと、そして最も恐れるのはもう手遅れであることなどが理由でしょう。花見の季節のこの国の民は、このけだるい季節の中で桜がはらはら散るのを眺めながら、「静かに滅びていくのもいいかなあ」などと思ってしまうのかもしれません。




2018年3月21日水曜日

「生産性崇拝と創造主」

 子供の頃、私にとって特に旧約聖書について不思議だったことは神と民との関係性でした。旧約聖書では神を信じる民は困ったことがあるとそのたびに神に助けを求め、それがかなえられると神への礼拝の心を忘れて堕落していくということが何度も繰り返されるのですが、なぜ神がこんなにもダメな人間を造ったのか、何故神はもう少しちゃんと言うことを聞く人間を造らなかったのか、不思議で仕方ありませんでした。今なら、自分が「神の全能性」という概念を取り違えていたとわかるのですが、当時の考えを押し進めるなら、即ち人間の自由意志を制限する方向に向かわざるを得ないのは明らかでしょう。

 しかし、人間に完全な自由意志を与えることこそが、天地の全てを支配する一神教の神の特質ではないかと思うようになったのは、保科隆著『神が遣わされたのです』を読んで多くの示唆を得たことによります。保科牧師はその本の「回顧七十年」の中で、日本の風土のど真ん中で伝道してきた者として、日本思想史学者・石田一良の言葉を引きながら、神道について次のように書いています。

 日本の神道の本質について石田一良は、それを次々と衣装を着替える着せ替え人形にたとえる。つまり、どのような衣装を着ても本体の人形は変わらないように、神道の本質は変わらないと考える。これは、神道が強い復元力を持っていることを現している。つまり、外来のどのような宗教や思想から影響を受けても、強力に元に戻っていく力が神道には備わっている。それは何かといえば、石田は一つは生産力の崇拝と今ひとつは生産力崇拝の封鎖性であるという。生産力の崇拝という点では、日本神話に見られる「高皇産霊命」(タカミムスビノミコト)などの「むすび」の神の考えがある。「むすび」の神は生産力の神格化である。その封鎖性は何かよくわからないが、これについて石田は日本の神は一定の空間的な固定性をもっていて、その領域の外に力は及ばないという。例えば「オオクニタマ」神社に祭られるクニタマの神は、その国に住む者たちにのみに恵みを与えるものと考えられている。だから地域の封鎖性があるという。サイの神などと言うのは、そこまでが空間的限界ということだろう。そこに日本の神道の考え方の特質が示されると石田は言う。

 これはおそらく世界のどこにもある地域的な神々崇拝の現状であり、私たちはそのような精神風土の中で、キリスト者であってもさほど違和感なく過ごしています。これはまたカナン的状況でもあり、イスラエルの民もおそらくこのような風土の中で適当に折り合っていたに違いないのです。

 しかし、ここに人間の確固たる自由意志というものはありません。自分の住む地域が豊饒であることを願い生産力崇拝をするなら、その時々で必要な神々と交渉し、ギブ・アンド・テイクでやり取りしながら目的を果たせばよいだけです。地域の神々に五穀豊穣を願えばそれがかない、とりあえずその地域が豊かな生産性に恵まれれば満足でしょう。

 ところが、古代イスラエルの民は、神が人間というものを造った時、敢えて何でも言うことをきく人間を造らなかったと考えたのです。言われてみればあたりまえです。神が自ら操り人形のような作品を作って喜ぶはずがない。人間でさえその程度の作品では満足しない。江戸時代のからくり人形が人気を博したのはまさにそれが「意志をもっている」かのような動きをしたからです。神が自由意思をもつ人間を創造したとイスラエルの民が考えた時、創造主と被造物という人類史上初めての概念が生まれたと言うことができるでしょう。人間はこの時初めて、「創造主が、神である自分を礼拝する(あるいはしない)自由を持った被造物を造った」という途方もない考えを手にしたのです。そして人間は自分がまさに被造物であると考えることによって、人類史上初めて「創造主の神」という概念を手に入れたのです。

 これは確かに、悪霊が地域に侵入するのを防ぎ、村人や通行人を災難から守るために祭られる「さえの神」とは全く別の概念です。万物を創造した神というものは、そのあり方からして一神教にならざるを得ず、その論理的結果として世界宗教にならざるを得ない・・・ということ全部がすとんと胸に落ちました。神は敢えて自由意志を持った人間を造り、敢えてその人間に自分を礼拝できるほどの高い精神性を求めたのです。そしてさらに、知ってか知らずか神をないがしろにしたり神に反抗したりしてしまった人間に、そのことを悔い改めるという自由さえ神は与えたのだということです。子供の頃、何度も罪を犯してはそのたび悔い改める人間を「駄目な人だな」とお思っていたのですが、そうではなかったのです。それは人間の自由意志の極限の表出でした。今なお、神がそのような至高性を人間に求めていることは間違いなく、だからこそソドムの滅亡をなんとか止めようと神と交渉したアブラハムを神は高く評価したのです。ごくわずかな人数の正しい人のゆえに、大多数が罪に染まった町ソドムを赦してほしいとのアブラハムの提案は、この世の常識からすれば全く馬鹿げたことです。しかしその時こそ、ひそかに神は「それでこそ私が選んだアブラハムだ」と、心の中で快哉を叫んだに違いありません。そのような言動こそが、「人間を造った甲斐があった」と神に思わせるものなのではありますまいか。



2018年3月17日土曜日

「分別について」

 年度替わりは整理整頓の季節です。時間のある時に少しずつたまった書類を整理して、或る程度必要なものだけ残さないと家はあっという間にゴミ屋敷になってしまいます。以前会議で出た書類をその場で分けていらないものは捨てていた同僚がいましたが、私などは「あとでやっぱり必要だった」ということにならないのかと目を丸くして見ていました。しかし、自分の分別能力に自信があるならこれは賢いやり方です。

 「創世記」1章では、神はまず光と闇を分け(4節)、それから大空によって上の水と下の水を分けた(7節)とあります。最近、この「分ける」というのは物事の始まり、また知恵の始めだとつくづく思う出来事がありました。或る会で大きなボックスに入った資料を引き継いだのですが、自分のではなく他人様の資料を整理することぐらい骨の折れることはありません。こういうことは本当はご本人にやっていただくのが一番です。とはいえ、すぐに必要な書類もあり、もう一人の方が奮闘していたので、私もお手伝いせねばという気になりました。

 この箱をざっと見て、三つに分けることにしました。①会計報告に類するものはファイルして保管、②会として残すべきと思われる書類もファイルして保管、③その他個人で保管すべきものはそのまま返却と決め、出来る限り日付順にまとめていきました。項目名を書いたファイルを用意し、とにかくどんどん綴じる・・・すると、あ~ら不思議、とりあえずこれで書類整理は済んだのです。整理するとは、「背表紙に名前をつけてファイルする」とほぼ同義でした。「分ける」とは「分かる」ことであり、「分別(ぶんべつ)」はまさしく「分別(ふんべつ)」でした。こうして、無事パンドラの箱を解体することに成功しました。爽快でした。

 もう一つ気づいたのは、とりあえず背表紙にタイトルの書かれたファイルがあれば、中身がどうであっても一応整理された感があるということです。本来は中身の方が大事ですが、背表紙がないことには大事な者とは見なされません。一方、書庫の中にはファイルは立派でも中はスカスカというものもありました。これは見かけ倒しでちょっと調べれば駄目なことはすぐわかります。やはり両方大事なのです。おそらく、こういったこと全てが書類だけではなく、人間そのものや自然界のもの全部に当てはまるでしょう。書類整理をしてみて、こんな言い方は不謹慎かもしれませんが、いろいろなものを分けて天地創造をした神様はきっとすっきりされたでしょうし、もっと言えばこの作業を結構楽しまれたのではないかと、ふと思いました。


2018年3月13日火曜日

「紅春 119」

りくはとても外面のよい犬です。普通に歩いていても人の視線を集めてしまうのです。月一回のお風呂の他はこちらはほぼ何も手を掛けていないのですが、本人がいつも体をなめなめ、身ぎれいを心がけています。散歩中、ほとんどの人は黙ってすれ違うものの、まれに声をかけて来る人もいます。

「立派な犬ですね。中で飼っているんですか。」
「中ですね。」
「そうでしょう。きれいだもの。」

 こんな具合にりくは人目を引いてしまいますが、話しかけられてもほぼ無視。愛想を振りまいたりは致しません。相手がりくをかまいたがっていても、散歩道の前方を見ながら、「早く行こうよ」と私を促すのです。こういう素っ気ないところも飼い主には可愛いのですが、相手方には面白くないだろうな~と思います。まあ、気ままな性格なのでどうしようもありません。


2018年3月7日水曜日

「伝道についての講演を聴いて」

 先日東京で、礼拝後に「伝道」という講演題で信徒研修会があり、出席したことのない教会でしたが行ってみることにしました。講師はミッションスクールの学院長で、あっという間に予定の90分が過ぎるほど大変話し慣れた方でした。講演の概要をお話しできるとよいのですが、お恥ずかしいことに断片的にしか思い出せません。話しの中で印象に残ったことを箇条書き的に書きます。

1.体験によって本当にわかった人にしか伝道はできない
  学生時代に先輩のピンチヒッターで漬物売りのアルバイトをした時の話である。午前中全然売れない自分は、「漬物売りの神様」と呼ばれていた達人から「食べてみたか」と聞かれ、食べてみたらうまかった。達人からは「これで漬物が売れる」と言われ、その言葉通り午後は2つ売れた。実際に体験してうまみを知った者にしか本当の言葉は語れないのである。

2.伝道の結果は長い時間の後にわかることが多い
 初めて赴任したとき職場に通うため家を探していると話したところ、不動産屋の態度が急変した。聴けば「娘はそのミッションスクールを卒業し、家庭をもって一生懸命働いて暮らしていたのに、交通事故で亡くなり、孫は自分たちが育てている。神様がいるとしたら、どうしてこんなことがおこるのか」という訴えだった。しばらくしてまた行ったら、不動産屋は今度はにこにこして迎えてくれた。先日の件で気持ちが吹っ切れて、亡くなった娘の部屋にやっと入れるようになり、遺品を整理していたら授業で書いたと思われる「感謝」という題名の作文が出てきた。両親に宛てて、「私をミッションスクールに入れてくれてありがとう。私も娘ができたらぜひここに入れたい」ということが書かれていたとのことだった。お孫さんは入学を果たし、三人で洗礼を受けるとの知らせがあった。

3.教会で使われる用語の中には世間で通じないものがある
 教えている学生が教会に来てくれた時はうれしいものである。その時の手順を説明していて、「礼拝の後、昼食を食べながらの交わりに呼ばれると思うけど・・・」と話したら、「何を交わるんですか」と言って学生は笑い出してしまったとのこと。さらに、「その後、青年会の人に声をかけられるかもしれない」と言ったらまた笑う。「青年会」という語はもはや農協と教会にしか存在しないらしい。

4.ミッションスクールで教える教員にクリスチャンが減っている
 ミッションスクールと言うと教員の大多数がクリスチャンと思われるかも知れないが、今ではもう半分を割っている。職場では、「あらゆる会議は祈りを持って始める」という規則があるのだが、学部によってはその中に一人もクリスチャンがいない場合がある。すると、宗教主任が呼ばれて開会の祈りをするのだが、皆おしゃべりしていて誰も聴いていない。会議内容がどのようなものになるかは推して知るべしである。ミッションスクールは祈りによって立つべきである。ミッションスクールにクリスチャンの教員を送ってほしい。

5.家族への伝道は難しいが、種まきを続けることが大事
 自分は家族の中で一人だけクリスチャンとなった者である。洗礼を受ける時はさほど反対されなかったが、牧師になると言った時は家族はもちろん親戚中から反対され、日曜ごとに誰かしら説得にやって来た。30年たって母はキリスト教系の介護付き老人ホームに入り、そこで行われる日曜の礼拝に出るようになった。その礼拝に来る牧師には「息子も牧師です」と自慢したとのことで、奏楽まで買って出たというのである。その後病を得て、オルガンはひけなくなってしまったが、今度は施設の中で聖歌隊を作り、その一員として活躍中であるという。

 このように体験に基づいた証しのみならず、キリスト教教育の由々しき現状も聴くことができました。また、ドイツ留学の際気づいた、言わば「教会外のキリスト教」について、外国のキリスト教会の現実に関するお話もありました。ドイツは言わずと知れたキリスト教国ですが、普段教会に行っていると言えるのは、信徒の0.4%とのことでした。今になって考えると、この数字にはあまり記憶に自信が持てません。と言うのは、もしその数字が正しいとすれば、ドイツのキリスト教人口は5500万人ほどと言われているのですから、これでは普段教会に通っている信徒は22万人ということになってしまいます。本当でしょうか。この数は信徒数が人口の1%を越えたことがないと言われる日本のキリスト教徒の5分の1に過ぎません。そして日本のキリスト教徒は多くがほぼ「普段教会に通っている」と言っていいのですから、非常に考えさせられる実情です。仮に日本のキリスト者で普段教会に行っている者が半分程度としても、ドイツの2倍になってしまいます。私は常日頃、信徒数が人口の1%というのは至極まっとうな数字だと思っていたのですが、それが裏付けられた気がします。だからといってうれしいわけはなく、複雑な気分です。



2018年3月3日土曜日

「小人さん賛歌」

 ピョンチャン・オリンピックでは、日程の最後の方にチームパシュートやカーリング女子の競技があり、日本がチームプレーにおいて実力を見せつけた形となりました。逆に言うと、これくらい一体化したチームでないとオリンピックでは勝てないのだということでしょう。このところ、複数人で一定の仕事をする或る会のメンバーとなり、勤めていた頃の感覚を少しだけ思い出しました。違うのはもちろん、職業として仕事する場合は皆似たような環境にあるため仕事量を公平に分け合うのが大前提でしたが、今の会の場合はこの点であまり明確な基準がありません。会の構成員が毎年違う場合、まさにそのことによって全く違った集合体となります。去年と今年、今年はまだ始まったばかりですが、私はこのことを痛感しています。

 どんな集団でも2割はよく働き、2割は働かず、後の6割はそこそこ働く・・・という話を聞いたことがあります。「よく働く人」が去った場合でも新たに「よく働く人」が出てきて、割合は変わらないというのが勘所です。と言うことは、「働かない人」が去った場合でも新たに「働かない人」が出てくるということで、これは人間のさがなのか、悲しいことです。それはさておき、昨年この会には不測の事態が次々起こり本当に大変だったので、今年も覚悟して臨みました。メンバーが半分変わり、ま私自身、月の半分は不在なのでご迷惑をかけているのですが、はっきりした変化の兆しを感じます。私の今年の役どころは、業務の引継ぎを円滑に行うこと、会の長をしてくださる方のサポートをすること、誰の仕事とも決まっていない仕事を行い全体がクラッシュしないよう気をつけること・・・辺りだろうと自分で決めています。仕事内容の共有はほぼメール頼みですが、思いついた折に会の運営に必要なことやら、帰ったらやらなければと思っていることやらをお伝えしておくと、翌朝のメールでそのことについて報告がある、他の方々が長を中心にどんどん仕事を進めている、話が予想以上にトントン拍子に進んでいく・・・という、ちょっと信じ難い状況が現出しています。また別件で大問題が起きた時、思い余って会以外のメンバー(専門家)にも助けを求めたのですが、この方もこちらが思っていた以上の働きを買って出てくださり、かなり問題が解決に近づきつつあります。

 これは何かに似ている・・・と思ったら、まさしく『小人の靴屋』です。朝起きたら、靴が何足も出来上がっている不思議な感じです。メンバーが十人いるとしたら、よく働くのは二人か・・・なるほど。でも今は飛び入りもいるしなあ、これが小人さんなのですね。いやいやながら仕事をする人を小人さんとは呼びません。小人さんはいつも朗らか、「しかたないな~」くらいは言うかもしれませんが、にこにこと機嫌よくサクサク仕事を仕上げてしまうのです。そして決して恩着せがましくしない。小人さんって素晴らしい! 私も帰宅したら、小人さんA、小人さんB、小人さんC…に倣って、小人さんになろうと心に決めた次第です。

2018年2月28日水曜日

「メールのCC機能とは」

 勤めていた時代の最後の頃に職場にIT機器革命の波が来ました。全職員にノートパソコンが配備され、全部が無線ランで結ばれただけでなく、インターネットによって全都の職員ともいつでもアクセスできるようになったのです。この時厳しく指示されたのは、複数の人にメールを送信する時はまず送信する相手以外は、CC(カーボン・コピー)ではなくBCC(ブラインド・カーボン・コピー)に送信先を入れることでした。送り先が全員職場の場合は特に支障はないのですが、外部に送信する場合に他の人のメールアドレスが知られてしまうからです。そういうわけでBCCの機能は理解していましたが、わからなかったのはCCの用法です。結局一度も使うことなく終わりました。

 今年になって集合住宅の管理組合の仕事上、管理会社および理事長とメールをやり取りすることが増えました。両者に送信する時どちらも宛先欄に入力するという通常のやり方しか知らなかったのですが、或る時私には直接関係のないメールが時々着信することに気づきました。見るとCCの欄に私の宛名が入っています。管理会社と理事長のみがやり取りしているメールのCC欄に私の宛名があるという用い方によって、初めてCCの用法が理解できました。即ち、本来二人だけで完結している話を第三者に知っておいてもらうという機能なのです。これにより、両者にとっては話の進行具合をもう一度第三者に説明する手間が省けますし、第三者にとっては本来不在の自分が知るはずのない話を、まるでそこに居合わせたかのように知ることができるということになります。これはパソコンのメール機能なくしては実現し得ない情報共有の仕方です。

 次々送られてくる両者のメールのやり取りを見ながら、自分が実に不思議な立場に立たされていると感じて、私は何か呆然とする思いでした。確かに或る意味、これは悪魔的な視座なのです。"eavesdrop"という言葉があります。立ち聞きとか盗み聞き戸いう意味ですが、これが文書で行われることは、偶然の拾い読みとでも言うのでしょうか。これこそシェークスピアがよく使う手法で、この行為から様々な悲喜劇が生まれるのです。もしその立場を手に入れた者が悪人であれば、『オセロ―』におけるイアーゴーとなることは避けがたく、この立場を悪用して両者のそれぞれに違う情報を流して翻弄すれば、両者の信頼関係はひとたまりもなく崩壊するのは必定です。CC機能とは、BCCの正しい使い方をせずに起こる情報漏洩とはまた違った意味で、大変な災厄をもたらす可能性のある代物だったのです。ビジネス等ではCCに入れる宛先はアシスタントや上司が多いようで、多忙な方々の中にはCCで届いたメールは見ないという人もいるようです。私の場合はとりあえず慣れるまで、CCで送られてくるほどには信頼されていることを有り難く受け止めつつ、この「デズデモーナのハンカチ」ともいうべきCCメールの今後の成り行きを見守っていきたいと思います。
 

2018年2月24日土曜日

「紅春 118」

りくはよく食べ物を隠します。お皿に入ったフードを食べ残す時は周囲にある布などを載せて隠そうとしますが、何もない時でも鼻で床面を掻いて隠す動作をします。みていて痛くないのかなと思うほどで、「もう隠さなくていいから」と辞めさせることもしばしばです。

 ところが先日は飲み水を入れておく深皿を隠そうとしました。最初に気づいたのは兄で、夜、茶の間で、下に敷いておいた紙束でりくが水の深皿を隠そうとしており、水がこぼれそうなほど揺れていたので取り上げたとのことでした。「認知症になったのかと思った」と言っていました。その後、私もりくの水隠し行為を難度か目撃し、「恐水症ではないのか」とその場に凍りついてしまいましたが、「いやそんなはずはない、毎年春の狂犬病の注射は欠かさず受けている」と自分に言い聞かせました。それから、どうもりくにとっては他愛ない遊びだろうということに落ち着きました。確かに昼間は暇を持て余しているのですからそういうこともあるでしょう。しかし家族はこの気まぐれな行動にも振り回され、ああでもない、こうでもないと右往左往しているのです。あんまり驚かせないでくださいよ、りく。

2018年2月21日水曜日

「おしゃべりカフェ」

 話したいことがたまってきたので、友人に連絡して話を聞いてもらいました。こういう時にはとにかく長居できるゆったりしたカフェに限ります。というわけで、或る休みの日の朝、モーニングサービスをしている名古屋発のカフェに行きました。モーニングにしては遅い十時という時間だったせいかすでに店には客が多かったので焦りましたが、なんとか最後のテーブルをゲットするという幸運に恵まれました。

 それからしゃべること、しゃべること、お腹の空き具合と相談しながら食事を注文し、様々な話題について話しました。おかげでたまっていたマグマを適切に排出でき、爆発を食い止められてよかったです。ほぼしゃべりつくしたのは四時間後、大満足で店を出ました。この店の良いところは、決してテーブルを立つことをせかされないことです。お水を足しに来たり、注文を聞きに来たりということはありますが、「そろそろ出て行ってほしい」といった態度は微塵もなく、店員の朗らかで快活な態度は交換が持てます。食事の細かな中身は客の要望を非常によく聞いてくれ、ほぼどんな注文にも答えてくれます。置いてある新聞や雑誌は読み放題、持参したパソコンも使い放題(WiFi完備)、小さい子供も落ち着くのかおとなしく遊んでいて、親も安心して長居できます。

 さすがに4時間というのは長かったのでしょう、隣のテーブルは3交代くらいしていましたが、店を出る時見たらレジの辺りの待ち合い席ででテーブルが空くのを待っている人たちが大勢いました。しかし彼らはすでに皆楽しそうにおしゃべりしています。物事をせかされないということがこれほど大きな価値として認められた時代は無いように思います。普段あまりに気忙しく、そのことに皆うんざりして疲れているのです。この店が流行る理由はそこにあると思います。

2018年2月17日土曜日

「公共心の育成 市民としての成熟について」

 今、最も厄介な事柄は、「みんなの仕事」の責任者を決めることではないかと思います。すなわち、大切な役目ではあるが、なにも自分がやる必要はないと思われる仕事、いやむしろできるだけ敬遠したい仕事のことで、例えばPTAやマンションの管理組合を思い浮かべてもらえば誰もが即座に理解できるのではないでしょうか。

 友人の話によると、小学校のPTAでは進んで役員をやる人がいないので、詳細なルールが決められているそうです。いわく、子供一人につき6年間のうちに一回は必ず○○委員をやる、いわく、××委員は特に大変な仕事なので子供が何人であっても在学中に一回やればよいが、これができるのは子供が三人以上の人に限られる等々です。メンバーにとっては合理的なルールでも、傍から関係者以外の人が見れば奇妙きてれつとしか言いようのないルールというものがこの世にはありますが、これなどもその一つでしょう。私の友人は補欠の5番なので回ってこないと思っていたら、代わってほしいと懇願されあまりに気の毒なので引き受けたら、△△という最も忌み嫌われる役職をくじで引いてしまい地獄だったとのことでした。△△委員は翌年の候補者を立てねばならず、同じ立場の役員が夜集合して、候補者のお宅を一軒一軒お願いに回ったそうですが、聞くも涙語るも涙の物語でした。一番ショックだったのは前年懇願され代わってあげた人からけんもほろろの扱いを受けたことだったと嘆いていました。このように公共のことに関わる仕事の役職決めは、情け無用の嵐が吹き荒れているのです。

 マンションの理事会の多くは輪番制で運営されているようですが、これもまたできれば避けたい仕事です。どうしても無理という人は自分で次の人に話をつける、即ちできない旨を話して引き受けてもらうというやり方で会が維持されているケースが多いことから、理事会自体もこの件にタッチしたくないという意図が如実に見て取れます。しかし、ルールに則って次の方に事情を説明しに行ったとしても、今どき事情を抱えていない人などおりませんし、自分が正当と考える理由を他人がそう認めるとは限りません。皆が事情を述べだしたら理事をやる人はいなくなってしまいます。こういった手続きを踏んだ末に辞退される方はまだいいとして、もっと困るのは、居住しているのに連絡が取れない、次の方への依頼もせず理事会を欠席し続ける等の場合です。せめてできない理由があれば理事会に来て説明するなら考えようもあるでしょうが、梨のつぶてではどうすることもできません。このような身の処し方をする方が心安く居住できているのかどうかはともかくとして、理事会の運営に支障をきたすのは必定でしょうから、どうしたって波風は立つでしょう。難しいのは、どこにでも善意の方々がいて、規則をきちんと履行させるために違反者に何らかの強い働きかけをすることがかえって問題をこじらせてしまうことがあるということです。このようなことで居住者同士でいがみあいやいざこざが起きたのでは、何のために理事会があるのか、本末転倒です。

 こういった現象の理由を考えると、一つには高齢化と世の中の急速な「電通化」で、人々が経済的にも時間的にも心理的にも余裕を失ってきたことが考えられます。一方で自己利益の追求や自らの生活を第一とする生き方があまりに身に沁みついてしまい、公共心が薄れていることも大いに関係しているでしょう。これはご本人が、「損なことはしたくない」という或る種自己防衛的な心理規制によって、そのような行動に駆り立てられているようであることからもわかります。問題はその種のタイプの人が増えすぎてしまうと、まともな社会を維持することはできないという点にあります。経験上、自己利益だけを追求する人が1割程度ならなんとかなりますが、それが2割に近づく辺りがその共同体を維持できるかどうかの分岐点ではないかと思います。人は自分の関わる環境からメリットだけを得て、責任は果たさないという訳にはいきません。しばらくはよくても、不正や不平等による不全感がまともな構成員の心を蝕み、やがてそのような共同体は必ず滅ぶのです。

 さらに、今の日本でもう一つ考えに入れなければならない要素は、人口減少および人口ピラミッドの年齢構成の変化です。どう見てもこれまであった数々の共同体をすべて維持できるとは思われず、それらを担う意思と余力のある人が相当数いない共同体はどんどん消滅していくでしょう。人口減少に伴う事態はこれまで経験のないことであるため、年配の人であればあるほどつい「そんなはずはない、できるはずだ」と焦りが出るようなことも起こり得ます。受け渡す相手に気持ちがうまく伝わるかどうかが決め手です。だからここでは、年配者の忍耐と知恵が求められるのです。社会にとってどうしても必要なものなら、皆が少しずつでも自分のできることを持ち寄り、それぞれができることをして次の世代にバトンをつないでいくしかありません。近代市民社会が存続できるかどうかは、その構成員一人一人が成熟し、後継を担う人材をどれだけ育成していけるかにかかっていると言っても過言ではないでしょう。

2018年2月12日月曜日

「プライベート・トーク」

 先日、音楽プロデューサーK氏の記者会見が物議をを呼びました。不倫釈明会見のはずが、引退会見になってしまい、騒動というか議論に発展しました。音楽に疎い私はK氏にも関心はなく、彼が音楽界で一時代を作った天才という程度の知識はありましたが、金銭問題で裁判になったことも、妻がくも膜下出血で一命を取り留めたが障害が残ったことも知りませんでした。記者会見では相当長い独白をしていましたが、聴いているうち複雑な気持ちになりました。

 議論になったのは、「仕事をやめる必要はない、妻の病状をあそこまで話してよいのか」という点に集中していたようですが、私も全体として詳細すぎると思いました。それが悪いというのではなくて、或る種、病的なこだわりを感じたのです。小説家が私小説を書くならともかく、音楽家であればそこまで話すことは求められない、もっとお座なりに済ませてよかったはずですが、「一定のけじめとして仕事を辞める」のと同様のレベルで、話さずにはいられないというふうでした。それは、すっぱ抜いた写真週刊誌に対しても、以前裁判官の声を聞いたのと同じレベルで、その暴露の所業をとらえていたことに端的に表れています。全般的に大変正直に話されていて、事の経緯や心の動きはよくわかりました。もう一つはっきりわかったのは、K氏が「贖罪」とか「罪」という言葉を使ったことからして、何らかの罪責感に深くとらわれていたということです。仕事に関しては体調不良や介護にまつわる様々な疲れから、ずっと引退を考えてもいたようですし、「やめさせてやれよ」としか言えません。それを贖罪と結び付けて考えるのは本人の感じ方ではあるでしょうが、あの場で理解してもらえるとは到底思えない内容ですし、公の場で話すことでもない気がします。「介護で悩んでいたとは知らなかった」と述べる知人のコメントがありましたが、周囲に親しい友人等で話せる人はいなかったのでしょうか。ご本人の決断は尊重しますが、いきなり全部をマスコミの前で話す前に、「誰かに相談できるとよかったのにな、有名人だとそれは難しいのかな」と、妙に寂しい気持ちになりました。一人で悩まずに教会に来ればいいのに。


2018年2月5日月曜日

「凍結の朝」

 東京で20センチを超える雪が降って大混乱になった時、福島の積雪も若干多い程度でした。私が上京するのは3日後だったのでなんとかおさまるだろうと高を括っていましたが、今年最強の寒波はなかなか去らず、陽が出ないので道路の雪が溶けません。二日目になっても首都高は混乱しているらしく、私が乗る時間のバスは運休が続いていました。明日が帰京の日という晩、雪は降り続いており、夜の散歩から帰ったりくと兄が真っ白な雪ん子になているのを見て、私は恐れをなしました。今この状態では明日はどれほど雪が凍結し、危険なことかと思い、バスではなく新幹線で帰る決心をしました。

 早朝に起きてみると冷え込みがひどく、水道も凍結しかけており、洗面所に置いてあったコップがへばりついて離れない、台所の濡れたタオルが凍って棒状になっている等の異常がみられました。そう言えば、このところ台所の野菜かごに入れていた野菜やバナナがなんとなく凍みており、オリーブ油もほぼ凍っています。南極では食料品が凍るのを避けるために冷蔵庫へ入れるという話が現実味を帯びて感じられました。

 結果から言うと、その日高速バスは平常運転だったようで、一瞬失敗したかなと思いました。東京に着くと地面にほぼ雪はなく、「道路が乾いてるって素晴らしいな」という以外の言葉が見つかりません。ただ、その日は夕方に歯医者の予約もあったし、まあ安心して帰ることができたのでこれで良しと致しましょう。新幹線はいつ以来かと考えなければならないほど久しぶりだったので、あまりの速さに新鮮な感動を覚えました。東京は48年ぶりの寒さと言っていましたが、太陽が燦々と照っており、時折吹く風が生ぬるく感じるほどでした。驚いたのは、一度刈り込んで食した後、もう一度根を水に浸けて窓際においた痘苗が15センチほとも伸び、青々としてふさふさと茂っていたことです。悪天候による野菜高騰の折、これはありがたいです。

2018年1月27日土曜日

「紅春 117」

りくに茶の間で少し早い夕飯をあげてから台所に立っていた時のことです。二杯目のごはんをあげて、「たぶん食べきれずに残すだろうな」と思っていると、しばらくしてりくが茶の間から台所へやって来ました。しかしそのまますうっと茶の間に戻って行ったので、なんとなくいつもと違うと気になり、茶の間に見に行きました。すると、いつもは食べ残しているお皿がすっかりきれいになっていました。

 普通の犬には何でもないことなのでしょうが、りくは食が細い犬で食べさせることにいつも苦労しているのです。すうっとやって来たのは、「ちょっと来て見て」だったのであり、「全部食べたよ」だったのです。もちろん褒めてあげましたが、ごはんを食べて「エライ、エライ」と褒められる犬ってどうなんでしょう。





2018年1月22日月曜日

『スター・ウォーズ』と『テルマエ・ロマエ』

 昨年の終わりごろ、映画のプロモーションに関連して『スターウォーズ』三作が放映されました。それまで一度も見たことがなかったのでちょっと興味がわき、TVも入るラジオで聞いてみました。その後、年が明けてから、日本の風呂文化を世界に知らしめたと言われる『テルマエ・ロマエ』の放映があり、こちらも同様に聞いてみました。結論から言うと、後者はそれなりに楽しむことができましたが、前者はどうしても最後まで聞くことができませんでした。

 この理由を考えてみると、第一に、前者はスペース・オペラという壮大すぎる物語で、オペラの素養がない者にはついていけなかったのに対し、後者は古代ローマと現代の日本を行き来する物語で、どちらもわりと身近で、自分の想像力でもついていけたためではないかと思います。特に前者はSFファンタジーにしてアクションが多用された映画なので、テレビではなくラジオで効果音を聞くだけではその部分の楽しみが大いに削がれたのは無理からぬことです。それに対して後者は、言葉による説明でそれなりに場の理解ができ、日常生活の中に普通に存在する事物が取り扱われていたため楽しめたのでしょう。

 第二の理由として、前者はおそらく最初から映画化する目的で作られた作品であり、独特なキャラクター等も映像がなくては楽しめないのに対し、後者は元々マンガが映画化された物であり、要所要所になるほどと思わせる掴みがあるためではないかと思います。言うまでもなく、マンガという劇画と台詞のハイブリットの読み物の市場は世界的に見ても日本の独壇場です。マンガという媒体は、少しでも手抜きやつまらない緩みがあったりすると連載打ち切りという真剣勝負にさらされています。後者はそれを乗り越えて生まれてきたものが、さらに多面的に評価されて映画化されたものであるだけに、話の展開は次々と馬鹿馬鹿しいが面白い要素がこれでもかと繰り出されてくる感じで、途中でやめてもいいけどもう少し聞いてみるかという気にさせるのです。

 第三に、前者は「正義」や「父と子」といったシリアスなテーマをもったいかにもアメリカ的な作品であるのに対し、後者は底抜けに明るいコメディでありながら、どこかほろりとさせる非常に日本的な作品であるためではないかと思います。これは好みの問題で、前者が世界的にヒットし莫大な興行収入をあげたことからもわかるように、人間性についての普遍的なテーマを持った作品です。それに対して後者は、日本の文化を風呂という観点から古代ローマのそれと比較し、極めて娯楽的な作品にしあげたもので、例えば主人公の悩みにしても「善悪」ではなく、せいぜい他人のまねをしてしまった劣等感といった具合なのです。その時の気分にもよりますが、後者は心理的負荷が少なく軽い気持ちで楽しめます。もっと言えば、タイトルからして前者は戦争映画なのに対して、後者は風呂賛歌の映画ですから、戦争を憎み、平和を愛する平たい顔族の一員が後者を好むのは理の当然なのでしょう。

2018年1月15日月曜日

「若い方へのエール」

 正月明けは忙しく、予約していた病院の待合室は、私が終わる頃にはベンチに空きがないほど混んでいました。当然ご高齢の方が多く、世にはこれほど病に苦しむ人がいるのかと思わされました。帰りのバスで途中から会社員と思われる若者三人が乗り込んできて、そのうちの一人が後部座席に向かうステップのところに立ちました。あとの二人はステップを上りきった場所で、かつ肩掛けバッグだったからよかったのですが、ステップのところの人はリュックを背負っているので、さほど混んだ車内でもないのに人が通るたびにぶつかっています。自分の立っている位置のまずさに普通気づくだろうと思うのですが、そんな気配はありません。だんだん気鬱になったのは、「この人、仕事上でもたいへんだろうな」と思ったからです。これほど自分の立ち位置がマッピングできていないとすると、悪気はなくとも万事うまくいかないだろうと思います。世の中に揉まれて経験を重ねないとわからない部分もありましょうが、ほんの少し観点を変えてみるだけで大きく開けてくる視野もあるはずです。

 それから数日後のことですが、提出書類が揃ったので確定申告に行って来ました。二月になると混むのでいつもこの時期に済ませているのです。自宅のパソコンからでもできるはずですが、わからないことがあった時すぐ訊けるようにいつも税務署に出向いています。今回の担当者は若い方でしたが、「源泉徴収票がないので還付はありませんが・・・」と怪訝そうな顔をしています。そんなことを言われたのは初めてでしたが、それはわかりきったことです。還付を求めて来ているわけではなく、これをしておかないと来年度の医療関係の書類が取れないのです。しかし考えてみれば、若くて健康な方には課税証明書がないと治療に必要な書類が整わないなどということは頭に浮かばないのでしょう。普通の人ならそれでよいのですが、税金のプロたる税務署の職員がこれでは困ります。国税という観点からだけでもよいので全体を見渡す力を培っていただきたいと思います。

 若い方に対する私の印象は一般的にすこぶる良いのですが、時々普段身を置いている仲間や組織の外側にも意識を及ぼして、その中で自分を俯瞰できるともっと良いだろうなと感じます。たまにでよいので試してみてください。期待しています。何といっても日本の将来はあなた方にかかっているのですから。

2018年1月8日月曜日

「頭の体操」

 年が明け一週間が過ぎました。東京へ戻って、今年の事始めにパソコンに向かいました。数年前に作って放置してあったサイトのコンテンツの全面改装に手をつけることにしたのです。私の知る限り、簡単に使える無料のホームページのサイトは3つあり、これはその3つ目のものです。以前、会堂建築の支援品を扱っていた時のサイトですが、それも終了して空いていたので、昨年書いた物語を載せることにしました。ご報告が遅れましたが、昨年十月に会堂再建のための教団借入金を完済することができました。ほっとしています。これも全国の皆様から祈りによって支えていただいたおかげと、心より感謝いたします。ありがとうございました。

 久しぶりにそのサイトのファイルマネジャーを開いてみて、作成の仕方が全く分からなくなっていることに気づきました。このところまいとしやっている教養学部時代の忘年会で、昨年話題になっていたのは老親の問題でした。何かおかしいと認知症を疑い同居するようになったものの、去年出来ていたことが今年はできなくなっている・・・というような話をききましたが、これは80代の老親ではなく私の身に起きていることなのだと愕然としました。何日かかけて、少しずつ記憶を手繰り寄せるようにして思い出して行きましたが、もはや「少し前に出来ていたことが今はできない」というより、「できるはずのないことをどうして少し前にはできていたのだろう」と不思議に思えるほどの理解の遠さでした。

 「これではいけない、私の世代には介護の手は回ってこないのだ、自立して生きていかねばならぬ、足腰を鍛え、頭を鍛え、認知症だけは避けなければ・・・」と、少々焦りながら多くの時間をパソコンに向かって過ごしたので、ウォーキングと最低限の家事以外、他のことは何もする時間がありませんでした。一番困ったのはトップページの右列の表に入れる文字を上揃えにできなかったことで、いろいろ調べてこれでいいはずだというタグを入れても駄目という膠着状態が三日ほど続きました。どうも出来ない理由は、表が別な表の上に重なっているためではないかと思うのですが、修正方法がわからず、ふとトップページの右列に文字を入れるのをあきらめ、表が重なっていないサブページで試してみたらすんなり出来たのです。かけた時間が長ければ長いほど、ついそれまでのやり方に拘泥して切り替えられないものですが、或る程度のところで見切るのも大事だなと知らされました。

 これであとは簡単に進むかと思いきや、サブページに載せることにした中央列の本文と右列の引照がずれていることがわかりました。これはプレヴューと実際の見え方に差異があるため、プレヴューを見ながら作成しても実際にはうまく揃わないのが原因のようで、これではプレヴューの意味がないではないかとがっくりきました。これはこまめに実際の見え方をチェックしながら、適切に空行タグを入れて中央列と右列の段差を解消していくしかなく、気が遠くなるような話です。とはいえ、見通しは立ったのであとは根気の問題で、こつこつやれば必ずできることです。ウェブ上にいつ完成版が公開できるのかわかりませんが、とりあえず第1章だけできましたので、興味のある方は下記からどうぞ。正月早々どっと疲れました。






2018年1月3日水曜日

「酉トリから戌イヌへ」

昨年は年末になって雪が降りました。少し前から裏の川に白鳥が来ているとの報があり、ひょっとしたら散歩の時会えるかもと楽しみにしていました。土手の上からは見えない安全な場所にいるらしく、りくが土手を降りて河原の道を行くのにも喜んで付き合いました。すると、枯れすすきが途切れて視界が開けたすぐ脇の川の中に、まとまった白鳥の群れがいるではありませんか。慌てふためいて家に戻り、りくを置いてカメラを取って戻ってきました。ごめんね、りく。ありがたいことにまだそこにおり、カメラのズームで見ると、明らかに大きい親鳥が2羽、まだ灰色がかった小さ目の子が5羽いることがわかり、写真に納めることができました。縁起を担ぐわけではありませんが、なんとなくよい年の瀬でした。

 それにしても最低気温がマイナス5度になることもある寒さの中で大丈夫なのか、また魚がいるような川ではないので食べ物はあるのかと、心配になってきます。その後、もっと下流の橋のところには大群がいると聞き、元日にりくと行って確かめてきました。写真を撮っていたら、どんどんこっちに寄ってきて、下流からも別な大群が集まって来ます。どうも餌をあげている人がいるようだとわかりほっとしました。間違われて期待を持たせてはいけないので、すぐ退散しましたが、これだけいると全員に食べ物が行き渡るのかと別の心配も頭をもたげます。まだ子供の鳥もいるのにと心配し出すときりがありませんが、考えてみれば人間より鳥の方が賢いに決まっています。それにいつだって神様がこれらの小さな者たちを養ってくださるのですから安心していてよいのです。干支の引き継ぎ式ではありませんが、今年はイヌ年、家にいる手のかかる子には今年こそしっかりしてほしいものです。この子については神様に遣わされて家に来たので、ちゃんと養ってやらなくてはなりません。