2018年3月26日月曜日

「滅びの春」

 もの憂い季節です。普通なら日が長くなり暖かくなるとうれしくなるものですが、先の世界の有様を考えると「みんなよく平気でいられるな」という気になってしまうのです。元凶は人口減少と高速通信社会で、今の子供たちの将来はどうなってしまうのか、想像も尽きません。人間の良識、常識を信じられた時代は遠く、政官財のあらゆるところでの偽装が明らかになっています。このごまかし体質はもう内側から国が亡びつつあることを示しています。

 2100年の日本の人口は5000万人と聞いた記憶がありますが、これはあまりにも先の数字過ぎるのでもう少し近いところで言うと、日本の人口が1億を切るのは2055年とのこと、ざっと30年で3000万人、1年に100万人ずつ減っていくと言う事実・・・。仙台が百万都市ギリギリくらいのところだとすると、過疎の村どころか、地方都市もインフラ整備が追いつかず生活が成り立たなくなるのは目に見えています。この時代まで生きている人(つまり今の若い人)は大変だろうなあとぼんやり思うだけです。驚くのはこのことについて国民的議論が何一つ湧き上がっていないということですが、その理由は問題が深刻過ぎて解決方法がなく、考えるだけ暗くなるからだろうと思います。55%の比較的若い方々(59歳以下)が45%の高齢者(しかもそのうち後期高齢者が半分以上)を支えるのは無理ですし、病院も介護施設も何もかも大幅に不足するでしょう。個人としては少しでも良い健康状態を保つ以外なく、話はそこで行き詰ってしまいます。2055年と言えば、今度の東京オリンピックの時に10歳の子供は45歳の働き盛り、彼らの老後は誰が支えるのでしょう。

 これに追い打ちをかけるのが教育問題で、聞くところによるともう全く希望がもてないようなのです。国内ではあからさまな批判が裂けられているこの問題を指摘したのは英米のメディアです。 特に、米国の政治外交専門誌Foreign Affairs Magazine が2016年10月号で、「日本の学校教育はどうしてこれほど質が悪いのか」について、研究の国際的評価の低下などをデータに基づいて記述した上で、日本の大学教育の過去30年間の試みは「全面的な失敗」だったと結論づけたこと、また、英国の自然科学のジャーナルNatureが2017年の3月に日本の科学研究の劣化について、かつては世界のトップレベルを誇っていた日本の科学研究が停滞している実情を伝え、「日本は遠からず科学研究において、世界に発信できるような知見を生み出すことのできない科学後進国になる」と警告を発したことは有名です。

 これら多くの問題に誰も手をつけようとしないのは、一つには忙しすぎること、一つには少しでも責任を認めるとどんどん責められるに違いないこと、そして最も恐れるのはもう手遅れであることなどが理由でしょう。花見の季節のこの国の民は、このけだるい季節の中で桜がはらはら散るのを眺めながら、「静かに滅びていくのもいいかなあ」などと思ってしまうのかもしれません。