2018年3月17日土曜日

「分別について」

 年度替わりは整理整頓の季節です。時間のある時に少しずつたまった書類を整理して、或る程度必要なものだけ残さないと家はあっという間にゴミ屋敷になってしまいます。以前会議で出た書類をその場で分けていらないものは捨てていた同僚がいましたが、私などは「あとでやっぱり必要だった」ということにならないのかと目を丸くして見ていました。しかし、自分の分別能力に自信があるならこれは賢いやり方です。

 「創世記」1章では、神はまず光と闇を分け(4節)、それから大空によって上の水と下の水を分けた(7節)とあります。最近、この「分ける」というのは物事の始まり、また知恵の始めだとつくづく思う出来事がありました。或る会で大きなボックスに入った資料を引き継いだのですが、自分のではなく他人様の資料を整理することぐらい骨の折れることはありません。こういうことは本当はご本人にやっていただくのが一番です。とはいえ、すぐに必要な書類もあり、もう一人の方が奮闘していたので、私もお手伝いせねばという気になりました。

 この箱をざっと見て、三つに分けることにしました。①会計報告に類するものはファイルして保管、②会として残すべきと思われる書類もファイルして保管、③その他個人で保管すべきものはそのまま返却と決め、出来る限り日付順にまとめていきました。項目名を書いたファイルを用意し、とにかくどんどん綴じる・・・すると、あ~ら不思議、とりあえずこれで書類整理は済んだのです。整理するとは、「背表紙に名前をつけてファイルする」とほぼ同義でした。「分ける」とは「分かる」ことであり、「分別(ぶんべつ)」はまさしく「分別(ふんべつ)」でした。こうして、無事パンドラの箱を解体することに成功しました。爽快でした。

 もう一つ気づいたのは、とりあえず背表紙にタイトルの書かれたファイルがあれば、中身がどうであっても一応整理された感があるということです。本来は中身の方が大事ですが、背表紙がないことには大事な者とは見なされません。一方、書庫の中にはファイルは立派でも中はスカスカというものもありました。これは見かけ倒しでちょっと調べれば駄目なことはすぐわかります。やはり両方大事なのです。おそらく、こういったこと全てが書類だけではなく、人間そのものや自然界のもの全部に当てはまるでしょう。書類整理をしてみて、こんな言い方は不謹慎かもしれませんが、いろいろなものを分けて天地創造をした神様はきっとすっきりされたでしょうし、もっと言えばこの作業を結構楽しまれたのではないかと、ふと思いました。