勤めていた時代の最後の頃に職場にIT機器革命の波が来ました。全職員にノートパソコンが配備され、全部が無線ランで結ばれただけでなく、インターネットによって全都の職員ともいつでもアクセスできるようになったのです。この時厳しく指示されたのは、複数の人にメールを送信する時はまず送信する相手以外は、CC(カーボン・コピー)ではなくBCC(ブラインド・カーボン・コピー)に送信先を入れることでした。送り先が全員職場の場合は特に支障はないのですが、外部に送信する場合に他の人のメールアドレスが知られてしまうからです。そういうわけでBCCの機能は理解していましたが、わからなかったのはCCの用法です。結局一度も使うことなく終わりました。
今年になって集合住宅の管理組合の仕事上、管理会社および理事長とメールをやり取りすることが増えました。両者に送信する時どちらも宛先欄に入力するという通常のやり方しか知らなかったのですが、或る時私には直接関係のないメールが時々着信することに気づきました。見るとCCの欄に私の宛名が入っています。管理会社と理事長のみがやり取りしているメールのCC欄に私の宛名があるという用い方によって、初めてCCの用法が理解できました。即ち、本来二人だけで完結している話を第三者に知っておいてもらうという機能なのです。これにより、両者にとっては話の進行具合をもう一度第三者に説明する手間が省けますし、第三者にとっては本来不在の自分が知るはずのない話を、まるでそこに居合わせたかのように知ることができるということになります。これはパソコンのメール機能なくしては実現し得ない情報共有の仕方です。
次々送られてくる両者のメールのやり取りを見ながら、自分が実に不思議な立場に立たされていると感じて、私は何か呆然とする思いでした。確かに或る意味、これは悪魔的な視座なのです。"eavesdrop"という言葉があります。立ち聞きとか盗み聞き戸いう意味ですが、これが文書で行われることは、偶然の拾い読みとでも言うのでしょうか。これこそシェークスピアがよく使う手法で、この行為から様々な悲喜劇が生まれるのです。もしその立場を手に入れた者が悪人であれば、『オセロ―』におけるイアーゴーとなることは避けがたく、この立場を悪用して両者のそれぞれに違う情報を流して翻弄すれば、両者の信頼関係はひとたまりもなく崩壊するのは必定です。CC機能とは、BCCの正しい使い方をせずに起こる情報漏洩とはまた違った意味で、大変な災厄をもたらす可能性のある代物だったのです。ビジネス等ではCCに入れる宛先はアシスタントや上司が多いようで、多忙な方々の中にはCCで届いたメールは見ないという人もいるようです。私の場合はとりあえず慣れるまで、CCで送られてくるほどには信頼されていることを有り難く受け止めつつ、この「デズデモーナのハンカチ」ともいうべきCCメールの今後の成り行きを見守っていきたいと思います。