2018年9月13日木曜日

「世の中わからぬことばかり」

 最近、異常気象、天変地異が多発しています。大災害は満遍なく日本列島を襲った感があり、まだ来ていないのは東海エリアと関東甲信越くらいですが、これらの地域については、ずっと早くから、地震と火山の噴火による災害が予測されています。また、1年の3分の1も続くかと思われる、高すぎる気温の日々は、もはや真夏の30℃はむしろ涼しい部類で、「ここより10℃も高いところで暮らしている人もいるんだな」と、我が身を置く現状に感謝してしまうほどなのです。

 どうしてこんなところで夏にオリンピックをしなければならないのか、私にはわからない。どうしてこんなに地震が多いところに原発を何十基も置いて平気なのか、私にはわからない。今でさえ無秩序が横行している国土に、外国人観光客を倍増の4000万人呼び込んでどうしようというのか、私にはわからない。滞在中、彼らが被災したらどう責任を取るつもりなのか、私にはわからない。私たちを取り巻く環境の悪化全部がただの自然現象なのかどうか、私にはわからない。人間の驕りについて自然が警告しているのでないとどうしていえるのか、私にはわからない。

 被災された方、家族を失った方を思うと、ヨブの時代からの問い、「なぜ義人が苦しみに遭うのか」を考えずにはいられません。義人とは言わぬまでも、まっとうに生きている無辜の方々が苦しみに遭う事態が、社会においても私の周辺においても起こっているのです。『ヨブ記』は最後に神が創造主として現れるという、意表を突かれる形で話が終わるのですが、以前は全くわからなかったその意味が今は少しわかる気がするのです。この辺りはうまく言葉で伝えることができずもどかしいのですが、ここが「鍵」なのだということだけはわかります。神が創造主であるということをわからぬ限り、地球はますます人の住めないところに近づいていくでしょうし、人が訳もなく苦しむ意味はわからないでしょう。なにしろ、このお方は、私たちがいかなる者であれ、またいかなる状態にあれ、

・・・あなたたちは生まれた時から負われ/胎を出た時から担われてきた。
同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで/白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。
(イザヤ書46:3~4)

と仰せになるかたなのですから。それなのに、自分も含め、人はなぜ勝手な思いにとらわれ、創造主を忘れて我が思い通りに生きようとしてしまうのか、ああ、わからない、わからない・・・。