2018年6月1日金曜日

「悪質タックル問題」

 アメリカン・フットボールにこれほど注目が集まったのはかつてなかったことでしょう。少し前なら報道されることなく、行き過ぎたラフプレーとして処理されていた事件だったかもしれません。しかし今回の件が国民的議論を引き起こしたのは、選手の行為が一線を越えていたことと、現代のテクノロジーにより、画像や音声データ、および関係者の証言等がいわばビッグデータとなって集積し、あっという間に拡散したことによります。
 加えて、顔と名前を出して謝罪会見をした加害選手の人となりや置かれた状況がはっきりするにつれ、世間の人々は事態の悪質さに目が覚めたのです。あれはまれに見る立派な会見でした。追い込まれてひどいことをした後、はっと我に返り深く後悔している二十歳の学生を前に、「この若者を救えないのなら、私たちの社会は救われない」という思いを、多くの人が持ったことでしょう。

 謝罪の言葉や行為に至るまでの経緯を一通り述べたのち、詰めかけた報道陣の質問に一つ一つ丁寧に答えていましたが、指導者への批判の言葉を誘導しようとする質問に乗ることなく、事実だけを繰り返したこと、「ちょっと考えれば悪いことだとわかることだった。誰に言われようと、自分で考えて行動しないといけなかった」という趣旨の発言をしていたことが印象に残りました。遅れて行われた監督・コーチの記者会見は耳を疑うようなものであり、「ああ、悪い人っているんだな」と思ってため息をつくしかありませんでした。このような誠実な青年を地獄に導いた悪辣な人々は、人としても許されませんが、とりわけ指導者という立場に立ってはいけなかったのです。「どうしても謝りたい」という本人の気持ちをかなえようとご両親が動いたことで道が開けたこと、被害者側もこの驚くべき事件の不幸な事態を理解し、加害者への深い惻隠の情もった方だったこと等は、一連の出来事のなかでは本当に幸運なことでした。

 記憶が定かではないのですが、謝罪会見での質問の中に、「もし今、同じ状況で支持が出たとしたらどうしますか」というのがありましたが、その質問には10秒ほど無言でした。じっと考えているようでしたが答えが出ず、同席の弁護士が「その質問は家庭のものなので・・・」と質問を打ち切りました。なんと酷な質問でしょう。その質問に答えられるくらいなら、この人はこんな事件を起こしていなかったと、誰だってわかるはずなのに。これは罪についての本質的な問いであり、今後その問いに答えを出すことが、彼にとって贖罪の行為の重要な部分を占めるのではないかと思います。