2018年4月18日水曜日

「言葉のやり取り」

 犬がせめてこれだけでも話せたらいいなと思う言葉は、「水」と「トイレ」ですが、それ以外はどうかとよくよく考えると、むしろ人間並みに話せないからいいのだろうというところに思い至ります。こちらが言っていることはほぼわかるようで、話しかけている時にじっと聞いてくれるだけで十分です。その点、人間は良くも悪くも言葉抜きで生きることができず、またどんな無意味な言葉にも反応してしまう動物です。さらに、言葉の作法をここまで精妙にする必要があるのかと思うほど、あまりにも言葉を発達させてしまいました。

 現在ではそれらの言葉が通信機器を通して無数に行きかっているのです。友人が言うように、その95パーセントくらいは要らない言葉かもしれません。先日は何人かで共有しているメールの返信が来ないという事態に遭遇し、気をもむことがありました。私はこの会の最終的な責任者ではないのですが、会のためによかれと思う意見を述べた時のことです。言葉の第一の効能は、意見をすり合わせながらお互いの行動を決めていくことにあると思っています。これは、場合によっては相手の行動を変えさせることにもなるわけですが、今回の出来事はこの過程で起きた事態だったため苦慮するところがありました。「こちらの手順に間違いがあったのか」、「返信は他の人には届いているのか」、「この間に何か調整作業がなされているのか」、「ひょっとして気分を害されたのか」、「ペンディングはいつまで続くのか」・・・等々。こうして、「メールを送らないことによって相手は何を伝えようとしているのか」について頭を悩ませることになったのです。いくら考えても解けない謎に何日か悩みましたが、結局、相手の送信し忘れと判明し一件落着しました。わかってみればなんということはないものの、原因がわかるまでどうにも気が休まりませんでした。

 この世には言葉がなければ起き無い事件が山ほどありますが、一方、なしのつぶて、即ち問いかけに対する無応答にも人は耐えられないものです。人間はなんと面倒な存在でしょうか。言葉のやり取りの不調に拍車をかけているのは、間違いなく現代の高速通信やネット世界のあり方であると言ってよいでしょう。言葉自体はどんどんやせ細っていく現実の中で、とりあえず余計な言葉は控えて、どうしても伝えなければならないことを選りすぐって丁寧にやりとりするしかないようです。もちろん特に伝える必要のない言葉を純粋に楽しんでやり取りすることや、自ら、舌禍・筆禍を好まれる向きはこの限りではありません。