2018年12月19日水曜日

「年賀状についての雑感」

 気づいてみると年賀状を出し始めてからそろそろ半世紀になります。年に一回のことではありますが、これだけ惰性の強い慣習も珍しく、昨今はメールでのご挨拶に変えた方も多いことでしょう。年末のこの忙しい時になにゆえ賀状を書かねばならないのか、勤めていた頃は特に面倒な慣習と思っていました。料金は今年ついに一昔前の封書と同じ値段になり、郵便局も販売促進のコマーシャルを諦めたようです。新年のご挨拶は自分に合った方法で行えばいいのですが、私は今でもメールに比べて投函までの手間暇が格段に大変な昔ながらの紙のハガキです。

 これだけ続くにはそれなりの理由があるはずで、恐らくこういう時代遅れの鈍臭いことが私の性に合っているのです。以前、知り合いから新年と同時にメールで年賀状が届いたことがありましたが、それ1年きりでした。それを除けば、毎年ほぼ同じ方々から同じ数だけ、手触りのある年賀状が届きます。私の場合はメールでの繋がりはすぐ途絶えますが、年賀状は書かれている中身のお目出たさとは裏腹に、あたかも厳粛な儀式ででもあるかのように途絶えることがありません。この歳になると明らかに安否確認の指標なのです。これほど返信義務の強い便りも珍しく、喪中の場合はともかく、それ以外で出した年賀状の返事が来ないことはまずありません。そして、もしそういうことが起こった場合は重大な事態が生じている可能性があることを知るまでに、私も長い年月を費やさなければなりませんでした。

 また、初めてご高齢の方から「年賀状は今年限りと致します」という賀状を受け取った時は、それなりにショックで悲しかったことを覚えていますが、ご本人が決めたことなら致し方ないと、今では理解しています。年を重ねるにつれて私自身の年賀状との付き合い方も変わっていくことでしょう。今のところいつもいよいよ〆切が迫って、大慌てで間に合わせの年賀状を用意するといういい加減ぶりですが、今年もとりあえず無事を知らせる賀状をせっせと出すことにします。