今年は9月に東京で通っている教会の「百年史」を頂いて興味深く読んだのを皮切りに、同教会で長く長老を務められた方から自伝を10月に、大学で日本の近現代史を研究している中学時代の同級生から書籍を11月に頂き、なんだか日本の近現代史がにわかにマイブームとなりました。
頂いた自伝では、激動の時代をキリスト者として生きられた事実が、非常に丹念な記録に基づいて書かれていました。父と同じ昭和2年のお生まれでしたので、それだけでも強い興味が湧きましたが、この年代は本当に戦争によって勉学の時間を奪われ、学問への渇望がとどまるところを知りません。戦争で人を殺したくない一心で少しでも学徒出陣を遅らせるために、全く向いていない理科系の上級学校に進学し、昭和20年5月のB29五百機による横浜大空襲に遭遇し、命からがら死屍累々の中を歩いて東京に帰った経験をお持ちです。絶望的な現実を大好きな様々な語学の学習で紛らわしていた方で、始めは全く分からなかったカントも読んでいるうちわかるようになったというから傑出した才能であることは間違いありません。この方は英語・独語ばかりでなく、他の言語も同様に自分のものにできてしまう語学の天才です。戦後は理科系の学校で身に着けた知識を用いて中等学校で理科を教えて学費を工面しながら、旧制の私立大学文学部倫理学専攻に入学し、やはりと言おうかフルブライトで留学を果たしました。今はご高齢のため礼拝に見えることも少なくなりましたが、教会でもつい最近までヘブライ語やギリシャ語を教えておられた方です。才能を専有してはならないということを身をもって示されていました。
11月に頂いた本は、人文科学系大学院の教授が編者となり、かつてのゼミ生に依頼して近代日本の思想について15の観点からまとめた研究成果でした。15講は大きく「空間」、「媒体」、「手法」の3つに分けられ、様々な切り口から、きちんとした文献学的分析また実地調査による丹念な事実の掘り起こしがあり、知らないことばかりでしたのでとてもためになりました。とにかく読んで思ったのは「学者って大変だなあ」ということで、事実と事実の間に隙間があれば決して飛び越えることができないのは私にはもどかしくてとても無理だなと思い知りました。読んでいるうちいろいろなことが繋がってきて、「これはこうなって、・・・こうなって・・・それからこうなって・・・そして・・・え~そうなの~」と、例によって想像力が暴走してしまいました。面白いことを思いついてしまうと話さずにはいられない質で、アイディアをサラサラと書いて送ったのですが、よくよく考えると失礼なことをした気がして、怒っていないか心配です。ま、これは中学の時からのことなので、今更仕方ないんですけど。人間そうそう変わるもんじゃありません。