2018年7月30日月曜日

「文科省なんていらない」

 勤めを辞める何年か前から、私は静かに教育への絶望を感じていました。本質的なことはわきに置かれ、些末なことばかりに振り回されることにうんざりしていました。重点が置かれるのは、結果や成果だけとなり、学問を計る指標が生涯に得られるお金の高だけになったからです。広範囲な入試範囲のためセンター試験の勉強には効率が悪いとされる科目、その典型は「世界史」ですが、それをやらずにすまそうと学校ぐるみの不正が起きたり、冗談交じりにとはいえ、高校生の覚えるべき英単語が一つ増えるごとに将来の年収がいくら増えるかといったことが話題になったりしました。「答えを導き出すプロセスはいいから、早く答えだけしりたい」という雰囲気が蔓延していったのは、それ以降の高等教育においても、さらにその後の社会生活においても、すべてが換金性という観点からしか計られなくなった時代の倫理観の表出でした。
 これまで人間の社会は他人にはどれほど無意味で無価値に見えようとも、ただそれが面白いから取り組んでいるうちますます魅入られて、それに全精力を傾けて没頭する人々によって、途方もない達成がなされたという歴史をたどってきたのに、今ではまだ何物でもない研究をしようとする人の居場所はないし、そういうことに研究費を出す機関はなくなりました。

 今回、文科省のキャリア官僚の驚くべき公私混同のたかり体質が露にされたことで、ここまで腐敗していたのだと、今更ながら怒りがこみあげてきます。一人は、私立大学支援事業の対象校の選定に便宜を図る見返りに、時代錯誤とも思える自分の子供の裏口入学を求めたとされる文科省科学技術・学術政策局長であり、もう一人は、こちらも旧態依然たる銀座での接待を中心にした贈収賄に絡む汚職を行った国際統括官(局長級)です。問題は、二人とももうその上は文部事務次官しかいないというほぼトップの立場にある人だったことです。国家公務員のほとんどはこのような汚職に無縁で、疑いすら受けぬよう振舞っていることを信じておりますが、省の中でトップともいえる二人がこのような行為を行っていた文部科学省というのは、相当腐っていると言っても過言ではないでしょう。この事件が明るみに出て、私はすっかり全てが納得できる気がしました。このような人たちが立てた政策であるなら、あらゆることが「換金性」という観点からなされるのは当然です。「こんな人たちに日本の教育が牛耳られて、ここまで見事に破壊されてしまったのか」と思うと情けなくて涙が出ます。その結果、どうなったか、今年の科学技術白書が述べている事実はこうです。

先日発表された科学技術白書がようやく「わが国の国際的な地位の趨勢は低下していると言わざるを得ない」ことを認めた。

「引用回数の多い論文の国際比較で日本は10年前の4位から9位に転落した。論文数も減って2位から4位になったが、4倍に増えた中国はじめ主要国は軒並み増加している。」(毎日新聞、6月14日)

各国の政府の科学技術関係予算の伸び具合を00年と比べると、中国が13.48倍(2016年)、韓国が5.1倍(同)、日本は1.15倍(2018年)。博士課程への進学者はピークの03年度を100とすると2016年度は83。海外派遣研究者の数も00年を100とすると2015年度で57にまで減った。注目度の高い研究分野への参画度合い(14年)では、米国91%、英国63%、ドイツ55%に対し、日本は32%。科学研究の全分野で壊滅的な劣化が進行している。
(『サンデー毎日』に掲載された内田樹の寄稿文より)

しかし、こういったことは既に米国や英国の専門誌がとっくに述べていたことで、それを科学技術白書がようやくしぶしぶ認めたというにすぎません。今更手遅れかもしれませんが、文部科学省などない方がよほど日本のためになるのではないでしょうか。