2023年12月30日土曜日

「転院の作法」

  今となっては今年の前半期に何をしていたか全く思い出せずにいますが、今年の総括をするなら最後の3か月だけで十分です。体調の変化、加齢の進行に合わせて転院を考え、駆けずり回ったことが一番の出来事です。

 私の場合は主に2つの診療科にかかっていますが、どれも十年以上通ってきた病院なので、それを変更するのはそう簡単ではありません。いえ、本当はそんなに難しくはないのです。1つの方は「近くで診ていただけないかと・・・」と言うだけでよかったですし、もう一方も「遠くて通いきれなくなったので、〇〇病院に紹介状を書いてほしい」と言ったら、あっさり承諾してくれました。ですから、これをせずにここまで来てしまったのは、やはり精神的にやり遂げる気力が湧かなかったからなのです。

 それなりに長い間病を抱え込んだのちに、自分の病を説明するというか、もう一度一から掘り起こされるのは気が重いものです。どちらも治るような病ではないので、いずれにせよ治らないなら同じところに通って経過観察をしていた方が楽なのです。しかし、治療に疑問を感じたり、体力がなくなって通うのに困難を感じてきたら話は別です。止むに止まれず動くにも勇気が要るのです。

 それといまだに分からないのは、どのタイミングで紹介状を書いてもらうのが良いのかということです。前に待合室で或る老婦人が、「今近くで通ってるところの先生は、『ここと話をつけて紹介状持ってきたら、うちはいつでもOKだよ』って言ってくれてるんだけど、何を理由にしたらいいか分からないのよ」と話しているのが聞こえました。この場合は理由など言わなくても「紹介状書いてください」と言えばいいので話は簡単ですが、当然紹介先の病院が決まっている必要があるでしょう。紹介状というのは、言わば転出届のようなものであって、確かに一度はかかって医師の応対や全体の雰囲気を試してからお願いするものだ、と私は思っていました。転院先が合わないところだとまた戻ることになりかねず、それはお互い避けたいはずです。

 ところがどうも医師は初回から紹介状を持ってくるのが正しい受診方法と思っている節があります。二つ目の科の転院先を求めて、「ここで引き受けてもらえないかな」と思いつつ、自分のデータを持って近くのクリニックを受診したところ、「紹介状を持たずに来たのはどういうわけ?」と尋ねられたからです。もちろん、「診ていただけるかどうか分からなかったので」と答えました。このあたり、考え方に齟齬があるらしいと分かりましたが、ともかく相手にも私の窮状は伝わったようでした。

 結局、このクリニックには受け入れてもらえませんでしたが、その理由(将来的に入院等があり得るのでやはり大学病院をお勧めする)を示してくれたので私は納得しました。それだけでなく、「〇〇病院だったら電車で通いやすいんじゃない? △△病院は近いけど、あそこは専門医が一人しかいないからなあ」等と、有意義な情報を教えてくれました。おかげで私は紹介状の宛先を決めて、次の受診日に担当医に紹介状の作成依頼をお願いすることができました。

 それが年内に届いたので、相手先に「紹介状のある初診」として予約を入れることができました。今は紹介状の無い初診を受け付けない大学病院が多いようで、この手続きが年内に済んで晴れやかな気分で新年を迎えられそうです。年が明けて実際行ってみないとどうなるか分かりませんが、ともかく一歩踏み出した感じでホッとしています。あとから振り返った時に、「あの年が節目だったな」と2023年を思い出すことになる気がします。


2023年12月23日土曜日

「別人格への変貌」

  11月は兄の入院もあって前半に2回帰省したため、12月は六週間後のクリスマスの時期の帰省となりました。前々日に連絡した時に「どんな具合?」と聞いたら、「あれから一度診察があったけど、異常無しだった」との答え、また「生活を変えた」とも言っていました。何事もなく過ぎて安堵する一方、後半部分に関しては、私は結構半信半疑でした。人間そうそう変わるものではありません。

 これまで兄の場合極端な夜型で、私とはすれ違いが多く、超朝型の私が起きる頃寝るような生活でした。朝食も、良くて、ブランチ、あるいは一日の最初の食事が昼頃ということもよくあり、とにかく生活時間帯が全く合わないので難儀しました。何かちゃんと話したいことがあってもタイミングが難しく、落ち着いて話す時間が取れない感じでした。

 ところが今回帰省してみたら、兄の生活態度が180度変わっていました。朝は6時か6時半ころには起きて、朝食を食べ、散歩に出かけるという生活スタイルになっていたのです。これには本当にびっくりしました。また、カップラーメンやお菓子の間食をやめ、甘い炭酸飲料やエナジードリンクも飲まなくなっていました。これらを備蓄・保存していた棚はすっかり空になっています。今まで買ったことのないブロッコリーやカリフラワーといった野菜、エリンギなどのキノコ類も積極的に食べているようです。

 最も困難だろうと思っていた禁煙もできており、タバコはすっぱりやめていました。以前はいくら私が頼んでも隠れて吸っており、私は二階から降りて来る化学物質を押し戻すため、階下で扇風機を回すということまでしていたのです。どうも知人から最初の発作で介護状態になってしまった人の話を聞き、心底反省したようです。

 私は今朝、台所のストーブに火を入れ、お湯を沸かして一日を始めました。そのうち、「あ、来年の『ゴミの日の一覧表』出しとかなくちゃ」と考え、その案内を探しました。毎年年の瀬になって、「12月の『市民だより』どこにある?」と聞いて、「どこかにあるはず、いじってない」とのやり取りがあり、やっと見つけ出して冷蔵庫に貼るということを繰り返していたのです。ところが今年は12月の「市民だより」に一覧表がない! 「そんなはずは…」と思ってふと見ると、すでに冷蔵庫に貼ってあるではありませんか。兄は本当に変わった、言ってみれば、「普通の真人間になった」ということを目の当たりにした瞬間でした。

 私は本当に驚いています。人間これほど変われるのですね。大げさに言うと、これは「放蕩息子の譬え」を地で行くような話です。放蕩息子は言い過ぎですが、私の目から見るとそれほどの人格の変貌というか、「人が生まれ変わった」感があります。これはもう神様に感謝するしかないでしょう。本当にすばらしいクリスマス・プレゼントをいただいた気持ちです。


2023年12月18日月曜日

「ドッグランにて」

  猛暑となった夏以来、ウォーキングの習慣を失くしていましたが、久しぶりに大好きな公園に朝のウォーキングに行きました。いつもはいかない側の入り口から入って少し行くとドッグランがあり、犬たちが引き綱なしで柵の中で遊んでいるのが見えました。小型・中型犬用と大型犬用に分かれていて、常連さんたちなのでしょう、飼い主たちは同じく柵の中でおしゃべりに花を咲かせています。小型・中型犬たちは数が多いのですが、みな思い思いに楽しんでいてケンカしている子なんていません。大型犬の柵の中では、数は少ないながらやけに細身の犬が、人間で言うとジョギング並みの速さで駆けていたりします。

 手前の方にはなんとセントバーナードがおり、私が見ているとのっそりやって来て体を摺り寄せてきます。向こうを向いてベンチに座っている飼い主さんが見て見ぬふりをしてくれたので、思わず声掛けしながら策越しに触らせてもらいました。つやつやと輝くひどくきれいな毛並みで、どれほど手をかけて手入れされているのかと思わされました。その子は白地に茶色いぶちでしたが、何ともう一頭黒いぶちのセントバーナードがやって来るではありませんか。普段見ない人が来て、仲間と遊んでいるのが気になったようです。こちらも策越しに撫でてやりましたが、2頭はそっくりの顔をしています。ここに至って、年配の飼い主さんに挨拶し、「兄弟犬ですか」と聞くと、「そう。男の子と女の子」とのこと。その日はそれだけで大満足でドッグランを後にしました。思いがけぬ朝の幸運に舞い上がってしまい、あやうくウォーキングの続きを忘れるところでした。

 翌週、「またいるかな」とワクワクしつつ公園に行くと、「あ~、いたいた」。この日は雨tが降りそうな天気だったので、犬たちは少数、大型犬のフィールドでは例のセントバーナードが離れたところに2頭いるだけでした。飼い主さんに挨拶をしていると、茶色のぶちの子が気付いてやって来ました。声掛けしながら撫でて名前を聞くと、「こっちがレイナ、向こうがキング」と教えてくれました。いつも人懐っこいのはレイナちゃんの方、やはり女の子は優しいのかな。せっかくのドッグランなのに、私が見た時2頭とも伏せていたので。「走ったりするんですか」と聞いてみましたが、「もうあんまり走らないね」とのお返事で、確かにこの巨体で走るのは大変なのだろうと思いました。ちなみにお年は4歳とのこと。

  見るとお座りしているレイナちゃんがハアハアしています。「暑いの?」と尋ねると、「まだ暑いの」と飼い主さんからのお返事。さすがスイス・アルプスの犬! もっともこの日は夜更けから朝にかけて気温が上がり朝7時でも15℃近くありました。でもこれで暑いとなると…と、思わず「夏なんか大変じゃなかったですか」と尋ねると、「24時間エアコンだね」とのお答えでした。そうだろうな~。

  その日は何といっても2頭のお名前が分かったのでとてもうれしく、「レイナちゃん、バイバイ」、「キングくん、バイバイ」と名前を読んで挨拶ができました。飼い主さんにも「ありがとうございました」とお礼を言って帰りました。犬のいる風景はなぜこんなに幸せな気持ちにしてくれるのでしょう。様々な個人(個犬)情報もゲットし、お近づきになれた幸いを寿ぎました。あ、勝手にバラしちゃってまずかったかしら。だって可愛いんだもん。


2023年12月12日火曜日

「炊飯器」

  炊飯器に関しては、これまではとにかく少量炊きでと考え、1.5合炊きの可もなく不可もなくという製品を使っていましたが、急に「美味しいご飯が食べたい」と思い立ち、新しい炊飯器を購入することにしました。最近はいろいろな会社が新製品を世に出しているのでしょうが、私にとって炊飯器メーカーと言ったら、猛獣の顔(昔より可愛くなってる?)のマークで有名なあの会社しかありません。さっそく必要十分な機能を持つ3合炊きが届きましたが、実家にある5.5合炊きと同じシリーズなので使いやすいです。

 ご飯の炊きあげ方として、「白米」、「極うま」、「エコ炊き」、「冷凍ご飯」、「無洗米」、「早炊き」として6種類に分かれています。実家では炊き分けるということは皆無で、いつも「白米」で炊いていましたが、今回私がまず試したのは「冷凍ご飯」です。冷凍用に特化した炊きあげ方とはいかなるものか興味深かったのですが、「時間をかけて給水し、べたつきを抑えてふっくら炊き上げる」と書いてあります。確かに、給水時間は「白米」より15分以上、炊飯時間は「白米」より10分以上長いようです。これより給水時間、炊飯時間とも長いのが「極うま」で、給水時間は「白米」の2倍、時間をかけて加熱することで、甘味・旨味・粘りを引き出すとのこと。この炊きあげ方で炊くと、確かにお米一粒一粒がつやつやと立ち上がっている状態で炊きあがります。してみると、ご飯を美味しく炊くこつは給水と炊飯を十分時間をかけて行うことだと分かります。「エコ炊き」、「早炊き」はまだ試しておらず、お米の炊きあげ方に命を張って研究・開発している方々には申し訳ありませんが、私の鈍い舌では炊き上がりの明確な区別は望むべくもなく、「白米」、「無洗米」でも十分美味しいと感じます。さすが炊飯器メーカーです。

 さて、これまで使っていた小ぶりの炊飯器ですが、もちろん捨てるわけはありません。これは少量のパン焼き、惣菜の調理に極めて便利だと分かりました。これまではホームベーカリーでこねたパン生地を小分けにしてフライパンで焼いていましたが、このクッカーに入れて焼くと、かわいい円柱形のパンがきれいに焼き上がります。焦げ色を付けるため、途中で一度さかさまにするひと手間を入れるとなお良いようです。また、高温になり過ぎずにじっくり加熱する炊飯器に特徴的な機能により、肉じゃがやスペイン風オムレツなどはとても美味しくできます。これはガスや電子レンジを使用して他の調理をしながらできるので、調理器具がもう一つ増えたことになります。放っておいても電気だから安心です。まだまだレシピを調べて、特に煮込み料理を試してみたいです。あとは、土鍋が大中小とそろっているので、これで冬の調理用具は万全と言ってよいのではないでしょうか。


2023年12月6日水曜日

「アドヴェントに」

  今週アドヴェントに入り教会暦では一年の始まりですが、日本では年末の慌ただしさが交差するこの時期、私はいつも一年を振り返り感謝の気持ちが日ごとに募ってきます。世界にむき出しの悪意が満ちる中、とりわけ戦禍のもとに自己の存在そのものを脅かされている人々がいることを思う時、よくまあ平和に過ごせたものだと不思議な気さえします。

 そしてまた、この時期は人間の邪悪さ、罪深さが身に沁みる時でもあります。パレスチナの絶望的な状況は、世界史で学んだ通り、そもそも第一次大戦中に戦局を有利に運ぼうとした英国の二枚舌外交(ユダヤ人国家の建設を支持する「バルフォア宣言」および、アラブ人国家の建設を約束する「フサイン=マクマホン協定」)にあります。この神をも畏れぬ所業によって、それまで平和に暮らしていた土地が突如破壊と流血の絶えない場所になったのです。英国によらずかつての帝国主義国家は現在みな百年前の悪行のしっぺ返しを食らっています。人間の罪は償う人がいなければそのまま残るしかないのです。

 人間は状況がそろえばどんなことでもしてしまう弱く恐ろしい存在です。自分の良心に一点の曇りもないという人がいたならそれはよほど鈍感と言うべきで、大抵の人は心の深淵に決して誰にも話せない暗く醜い記憶があるのではないでしょうか。これは人間によっては救われない、神様に話して赦していただくしかないものです。神の正しさを損なわずに人間の罪を赦すには、神の御子がその罪を引き受けて死ぬ以外に手立てがありません。

 毎朝感謝のうちに起きてお湯を沸かし、ガラスの耐熱ポットに注いで緑や紅の美しい揺らめきを見ながら一杯のお茶を味わう時、すべての罪赦されて在ることの平安をしみじみ感じます。今朝もラジオで人権のために差別と闘っている人の声を聞きました。神様の御旨を行う人々に大きな御祝福を祈らずにはいられません。


2023年12月1日金曜日

「ガラスの靴」

  靴選びは私にとって子供の頃から厄介な問題でした。同年齢の子供の中ではいつも足が大きかったのでサイズ探しが大変で、いくつか見つかっても「デザイン的にちょっと・・・」ということが多かったのです。しかし、とにかくあるものの中から選ばねばならず、たいてい不満が残りました。「足が小さい子はいいなあ」と思ったものです。

 しかし大人になる頃には、大柄な女性も珍しくなくなったせいか、サイズ探しに困ることはなくなりました。とはいえ足の形は人様々なようで、平均的な形から逸れるとやはり違和感なく履ける靴は多くはなかったのです。しかしこれも現在では大幅に改善され、かなり足に合う靴が増えてきたと感じています。ウォーキングに力を入れる年配者が多いせいか、特にウォーキング用の靴は足になじんでほぼ満足に感じるフィット感です。もうこの歳になるとヒールのある靴はほぼ履きませんし、見映えもさほど気にならなくなります。履き下ろした一日二日くらいは少しどこかが靴に当たることがあっても、次第に履き心地良くなっていくので、「まあ、こんなもんでしょ」と思っていました。

 ところが、最近ふと秋用にと思い立って近くのモールで試した靴は違っていました。履いてすぐ、「あれっ」と思うくらい履いた感がなく、少し歩いてみても履いているかどうか分からないくらい足にフィットしていました。今まで好んで履いていた柔らかい素材でヒールの無い靴と違い、カチッとした硬さがあり低いながらヒールも付いています。これまでは絶対に足に合わなかったタイプの靴なので「まさか」と思いましたが、ともかくそれを購入し狐につままれたような気分で家に帰りました。

 翌日は外出日で、その靴を履こうかどうか迷いました。今まではどんなに足に合うと思った靴でも最初から遠出には使わず、必ず近場で慣らしてから履いていたのです。しかし、その日はおろしたての靴で出かけ、本当にびっくり! 一日中履いて歩き回ったり少し駆けたりしたのに、帰宅するまで全く異変を感じないどころか、履いていることを忘れるほどでした。これは私にとって初めての体験で、人生何十年目かに出会った魔法の靴のようでした。「シンデレラの足にしか合わない靴とはいかなる靴か」と、これまで訝しんできましたが、「そのようなものは本当にあるのだ」と分かりました。仮にこの靴がガラス製だったとしてもスッっと自然に履ける気がしました。シンデレラの靴は一足限り(しかも片方だけ)ですが、私は翌日もう一足買いに行きました。このような靴にもう二度と出会えるとは思えなかったからです。靴選びに苦労してきた者にとって、これって王子様に会うよりうれしいことではありませんか。


2023年11月24日金曜日

「病の制御」

 この一カ月は自分の容量を超えたハード・スケジュールだったので、「来るかな」と思っていたら、やはり症状が出ました。或る朝、起きられなかったのです。薬を飲む関係上、「朝ごはんは食べなければ」と思ったのですが、食欲は全くなし。それ以上に椅子に5分と腰かけていられない状況で、バナナとヨーグルト、ソイジョイをほんの一口だけ食べて、あとは昏々と眠りました。枕元に水筒とみかんを持って来ておいたのは大正解で、寝たままで食べるみかんの美味しかったこと。「何時間化ごとに目覚める度に水分をとりながらまた寝る」を繰り返し、ほぼ24時間睡眠をとりました。

 次の日にかなり良くなっていたのは、今回の症状が風邪やインフルエンザではなく、普段抑え込んでいる持病が疲れのために抑え込めず顔を出したことを示しています。まず全く熱が出なかったのが大きく、ましてや骨粗鬆症剤アクトネル錠という化学物質を体に入れた時の症状とは比べようもなく楽で、ひどさ加減は十分の一ほどで済みました。卵雑炊を作って食べられるようになったら、もう治ったようなものです。ただこの日は、一回の目覚めにつき三時間は起きていられるようになりましたが、まだラジオ体操ができる状態ではありませんでした。直立二足歩行がいかにヒトの身体に負荷を掛ける姿勢であるか、これを手にしたことが人類史上いかに画期的な進歩であったことかを、身をもって体験しました。

 三日目にはほぼ平常に戻り、ラジオ体操もできましたが、そのキツかったこと。寝たきりになると一日3~5%の筋力が低下すると言われていますが、これは大変なものです。日頃の貯筋がいかに大切か思い知らされます。そのため、少しでも筋肉を鍛えようと歩いて買い物に行き、好きなものを買って帰りました。こんな時は可笑しなもので、普段食べている「健康にいいもの」は少しも食べたくなく、「食塩が多いから」とか「マーガリンやショートニングは体によくないから」と避けている食品や何やら添加物がたくさん書いてあるジャンクなものを、構わず買い物かごに放り込んでしまいます。全く食欲がないという状態を経験した身体はどんなものであれ食べたいものを拒むほどやわではないのでしょう。


2023年11月20日月曜日

「老牧師の帰還」

  11月に二週連続で帰省した理由の一つは、かつて東日本大震災により会堂の取り壊しかつ無牧となった福島教会に派遣され、会堂再建を果たして大阪に戻られた牧師先生ご夫妻が訪問されるという話を聞いたからです。先生は数年前に病を得ましたが、このたびどうしても一度福島に行かなければというお気持ちが募られたようで、娘さん二人が休暇を取ってご家族四人で車で大阪からおいでになりました。当日の朝、玄関でご到着を待っていると、先生ご一家はまずお向かいのお宅にご挨拶に行かれました。突然のご訪問ながら、向かいのお宅からは家人の驚きと歓喜の声が通りを隔てて聞こえてきました。とても親しくお付き合いされていたようで、先生ご夫妻らしいことだと改めて思いました。

 礼拝後、先生ご夫妻を囲んで懇談の時を持ちました。先生はかなりお体が弱られており、会堂再建の指揮を執っていた頃のご様子は影を潜めており、これが先生とお話しできる最後の時であろうということは皆わかっていました。先生は書き上げてきたものを静かに読まれましたが、それは生い立ちから今に至るまでの道のりを綴ったものでした。

 ご自宅が教会のすぐそばだったこと、日曜学校に通い、やがて礼拝に出るようになったこと、洗礼を受けたこと、高校の時の牧師だったF先生から「ケンちゃんは牧師になりなさい」と言われたこと、神学校に行き、夏の帰省のたびにF先生と親しく話をし、「ケンちゃんはいつか福島教会の牧師になるのですよ」と言われたこと・・・。

 しかし神学校卒業後の派遣先は関西であり、先生はそこでの宣教・牧会に専心されます。何年か後、F牧師の引退の時期になり、「福島教会に来てほしい」とF牧師から涙ながらに懇請されたのですが、すでに牧会する教会で会堂建築を抱えていたため、先生はこの依頼をお断りするほかなかったのです。しかしそのことがずっと心に引っかかっていたそうです。ちなみに私はF牧師が引退する最後の年のクリスマスに受洗したので、F牧師が洗礼を授けた最後の四人のうちの一人ということになります。

 時は何十年と流れ、先生が引退間近な頃にがんが見つかり、手術は成功して定期的に通院していましたが、一方で先生とは無関係に東日本大震災という災害が日本を襲いました。がんは再発なく五年過ぎれば寛解となります。そしてまさに五年目の診察で「もう来なくていいです」と医師に言われて帰った晩に、先生は或る知り合いの牧師から「福島教会に行ってもらえないか」という電話を受け取ったのでした。すでに75歳近くなり、病気も治って、誰もがまさしくこれから残りの人生を悠々自適に過ごせると思った瞬間のことです。「妻と一晩祈らせてほしい」と答えて、先生ご夫妻は福島行きを決めました。

 その後、多くの教会、多くの信徒、多くの一般の人々から大きな支援を受けて、福島教会は再建されました。この時、コンサートの開催などを含め、中渋谷教会からも多くのお支えをいただいたご縁で、現在私は、東京にいる時にはいつもこちらの礼拝に出させていただいています。また、私の場合、父の逝去がこの時期に当たっており、完成には間に合いませんでしたが、再建されることは決定していたので父は安らかに天に召されました。大雪の日に病床聖餐を授けていただいたことも忘れることができず、この時無牧だったらと思うと、父の葬儀をどうしていたか等、恐ろしくて今でも想像ができません。

  会堂再建が終わってしばらくして、先生ご夫妻は大阪に戻られました。そちらでも福島の状況を聞きたいという要望が多く、お話しするよう様々な場所に呼ばれて、お忙しくされていたようです。最後に先生は、昔、「ケンちゃんはいつか福島教会の牧師になるのですよ」と呪文のように掛けられたF牧師の言葉を思い出し、「神様はこういう形で自分を福島教会に呼んだのだな」と思ったとおっしゃっていました。おそらく、胸のつかえが下りた、そのことを皆に伝えたかったのでしょう。一人の信仰者の姿を知らされ、教会員一同やるせなくも有難い気持ちでいっぱいになりました。


2023年11月17日金曜日

「老老生活」

  先日の町内会のお掃除に、実は住民である兄は参加できず、その理由は、数日前に発熱して具合が悪かったからです。私が帰省した時には、病院でコロナでもインフルエンザでもないと診断されていたのでよかったものの、そこに至るまでの経緯によると、近所のクリニックには『砂の器』の主人公のように、蛇蝎のごとく追い払われたとかなり怒っていました。

 とりあえずそれは収まったのですが、日曜に「今は治ってるけど・・・」と別の体の不調を聞かされ、私は月曜朝一の診療を命じました。最初の病院(前述の拒絶された兄を診察してくれた病院)には該当科がなく、近くのクリニックに回され、CTでは異常なし。しかしもう少し大きな病院でMRIを撮るように言われ、撮ってみたら「これは入院ですね」ということになりました。

 私が帰省している時でよかったなと思ったのは、通院を強く勧めることができたこと、および入院の保証人欄に署名できたことによります。入院していれば安心で、私も自分の通院があったので東京に帰りました。別件で次の日曜に福島教会に行く用事があり、二週続けて帰省することになりました。前日土曜には行っておきたかったのですが、ぐったり疲れて寝込んでしまい、結局日曜の朝一の新幹線でまたの帰省となりました。

 兄の症状は、基本不摂生がたたってことなのと、大きな問題はとりあえず避けられたことは不幸中の幸いでした。最初一人部屋だった兄は、「検査の多い快適なホテルって感じ」などとふざけたことを言っていましたが、「自分が好きな食べ物がことごとく健康によくないものだった」と少しは反省しているようです。ずっと「早く退院したい」と言っており、結局9日間の入院で済みました。その間、私が病院を訪れたのは2回で、最初の時は教会の友人が心配して送迎してくれ、次の時は電車とバスを乗り継いで病院を往復しました。距離的にはそう遠くないのですが、交通機関は駅を基点にしてできているので、結構時間がかかります。地方の交通機関での移動は大変だなと思いました。

 退院の日はお昼頃帰宅とのことだったので、私は朝からスーパーで当面の食料や健康食品を買い込み、お昼の準備をしました。帰宅した兄は、「病院では気を遣って大変だった」と急に態度がデカくなった様子でした。とりあえず昼食をとりながら、私はこまごまと食事や運動の指示を飛ばしました。必要な打ち合わせをして、私は午後の新幹線で自宅に帰りました。翌朝兄から「昨夜は9時間寝た」とのメールがあり、「やっぱり家はいいでしょ」と返信。これに懲りて少しは健康に気を付けて過ごしてもらいたいものです。子供の頃母が、「二人しかいない兄妹なのだから助け合って生きていきなさい」と言っていたのを思い出します。


2023年11月11日土曜日

「故郷の町内会」

  11月の第一日曜日は伝統的に逝去者記念礼拝があり、私は毎年これに合わせて帰省するようにしています。今年はちょうど町内会の秋の大掃除の日でもあり、参加することができました。会長さんや主だった人たちは大変だなと思うのですが、すでにあちこちの空き地や側溝沿いの目立つ雑草は刈ってあり、私たちはそれを袋に詰めて縛ったり、刈り残した草を抜いたりするだけでよいようになっていました。それでもその量たるや90リットル袋に何十もできるほどでした。

 今回少し離れたところの側溝付近を手伝っていたら、名前を呼ばれました。聞けば昔お隣に住んでいた方とのことで、「あの頃、ほんとにお世話になったの」とおっしゃいます。こちらもお名前をお聞きし、「こちらこそ本当にお世話になりました」とご挨拶。お隣同士で母と何かとお付き合いのあった方なのだなとほっこりしました。あとで思い出したのですが、昔兄が転んだか何かで額から血が噴き出した時、母が額を手で押さえながら、「奥さ~ん、タクシー呼んで」と頼んだことがあったと聞いた記憶があるような・・・。それはこの方だったのでしょうか。

 それから家の近くの児童公園に移り、その中の草むしりと石ころ取りをししていた時、小学校に一緒に通っていた友達の妹さんと話をする機会がありました。その頃、その方はまだ赤ちゃんだったのですが、とても立派になられて地域に根を張っていらっしゃるのがよく分かりました。この公園のブランコにどれほど乗って遊んだことか、夕方暗くなるまで缶蹴りや「だるまさんがころんだ」をして遊んだことを思い出しました。あの頃はほんとに子供が多かったな。

 先ほどの方の娘さんが小学生の頃、ちょうどりくが家に来ました。りくと遊びにその子はよくやって来ました。お友達を連れてくることもあり、りくは誰とでも仲良くできる気のいい犬でしたが、やはり見知らぬ子供を相手にするのはいくらか緊張するようでした。兄によれば、「あの子はりくがなついていた唯一の子」だそうで、それもそのはず、父はその子が来た時にりくのおやつを手渡して、その子からあげてもらっていたのです。小さかったあの子も成長して今では離れたところに住んでいるとのことですが、時々帰ってきた時に、「りくちゃんもいないし、おじちゃんもいないし」と、こぼしているそうです。父やりくとの思い出が心に残っていてくれるのは、寂しい中にもうれしいものだなと、しんみりした気分になりました。いろいろな人との繋がりで人は生きているものだなと感じた秋の大掃除でした。


2023年11月6日月曜日

「バスを仕切る運転手さん」

 バスは公共交通機関、個性を発揮する場はなさそうに思えますが、これがそうでもありません。先日、10月末の日曜の渋谷は言わずと知れたハロウィンの厳戒態勢、私は委員会の冊子作りで教会を出たのが午後5時くらいになりました。いつも乗るバス停は既に警察車両で封鎖されており、「えっ、どこから乗ればいいの?」と掲示を見ると、どうやら宮下公園まで行かなければならないらしい。池袋方面から来るバスは駅の手前の宮下公園でUターンする形で戻るよう、一時的に変更されているようでした。

 宮下公園まで歩いて行くと折しも向こうから来るバスが左折していってしまい、バス停で次に来たのは早大正門行き。乗らずに待っていると、運転手さんが「池袋行き待ってるの。たぶん反対側の宮下公園バス停に泊っているから乗りなさい。保証はできないけど、〇分発だから急げば間に合うはず」とのこと。たまたま池袋行きを待っていたもう一人の方と乗り込み、どきどきしていると、バスは左折して反対側の宮下公園目指して走り、「あ、信号変わったからもう大丈夫。ほら、前のバスだよ」と言って降ろしてくれました。おかげで一つ前のバスに乗れました。「ありがとうございます。助かりました」とお礼を言って降りたことは言うまでもありません。考えてみると、また十数分で次の池袋行きは来るのですから、早大行きのバスの運転手さんはバス停をそのまま通り過ぎることもできたはずです。恐らくその日が特別なルートの日になったので、気を利かせてサービスしてくれたのでしょう。有難いことです。

 もう一つ、最近渋谷―池袋館で体験したことですが、どこのバス停だったか、高齢の男性二人が乗り込んでくるなり口喧嘩を始めました。前からもめていたのか、乗る時に出合い頭に揉めたのか経緯は分かりませんが、「何を~」、「何だと~」と結構激しく言い合っており、周りの人は遠巻きに見ています。バスは発車できず、運転手さんが「席に座ってください」と言っていました。こんなことは長年都バスに乗っていますが初めてです。間をおいて、運転手さんは「席に座ってください」を重々しく繰り返しましたが言い合いは止まず、「いつ動くのかなあ」と思い始めた頃に、運転手さんから「降りてください」と鶴の一声。辺りがシーンとなったところへ再び「降りてください」。私は二人が逆切れしないか心配でしたが、何と二人は降りていくではありませんか。バス内は運転手さんのフィールド、ちゃんと指示に従ったのはエライ。また、関係ない人に迷惑かけちゃいけないという、暗黙のルールも効いていたのかも。この辺が日本なんだなと思いつつ、帰路につきました。

 全国で運転手不足が報じられています。本当に大変なお仕事だと思います。運転だけに集中できればまだしも、料金の確認や乗客の安全管理など、心を砕くことが多すぎます。しかし、バスによって本当に助けられ、感謝している人が大勢います。階段も上らず地下にも潜らず路面からすぐ乗れるバスは本当に便利で、これが無くなったらと思うと私には死活問題と言っていいほどです。私はバスの前の方に乗っていた時、乗り込もうとして荷物もろとも転んでしまった老婦人に「大丈夫ですか」と手を出して助け起こしたことがありますが、そういうことは日常的に見ることです。乗客同士もごく普通に助け合うことで、少しでも運転手さんの負担を減らすことになればと思います。今一番考え中なのは、運転手さんに危害が及びそうになった時にどうしたらいいかということです。バスジャックじゃないけれど、運転手さんあってこその公共交通なのですから、この部分の安全確保が何より大事です。

 

2023年11月3日金曜日

返信できずごめんなさい m(__)m 

  大変なことを発見してしまいました。加齢や視力のことがあって、「いつまでブルログを書けるかな~」と思い、何年かぶりで設定を調べていたら、なんと返信していないコメントが見つかりました。一番古いのは2019年2月のもので、コメントが無くなる2021年まで断続的に続いていました。これはもう時間が空きすぎていますので、今から返信するというより、とにかく伏してお詫びしなければなりません。本当にごめんなさい! m(__)m  m(__)m  m(__)m  m(__)m  m(__)m

 根本的にブログでのやり取りの仕組みがわかっていないことが原因で、具体的には、普段ブログ使用に必須のメールアドレスとは違うメールアドレスを使っているために、ここまで気づかずに来てしまいました。両方チェックするような力量がなく、要するにずぼらな性格なのです。海外で読んでくださっている方もいるようで、皆様に対し本当に申し訳ないことをしてしまいました。

 猛省して深くお詫びいたしますとともに、他のブロガーの方々の信頼を貶めてはならないと考え、コメント欄を削除することにしました。そもそも私には無理な設定だったのです。いろいろなことが億劫になっていくこの頃、日記帳代わりの心覚えとして書くだけなら気持ちの整理にもなり、あとで見返して楽しむこともできるので、ブログ自体はもう少しの間のんびり続けようと思っています。

 コメントをくださった方、誠に申し訳ありませんでした。なにとぞご容赦ください。 m(__)m  m(__)m  m(__)m  m(__)m  m(__)m


2023年10月31日火曜日

「一般診療の構造的問題」

  十月は十日間の間に六回通院する羽目になりました。そのうち三回は前に記した大学病院での診察、そしてMRI検査および検査結果を聞きに行くためで、後の三回は別の科も含めてもう少し近くに病院・クリニック等を求めての受診でした。へとへとに疲れた十月の病院巡りを通して感じたことを書き記します。

1.病院と医者は足りているのか

 東京ほど病院を受診しやすい地域はないだろうと思ってはいますが、本当に病院と医者は十分なのか疑問になりました。まず、大学病院は混雑がひどく常に待合室に人があふれています。検査をしたらその日のうちに説明を受けるのが本来の診療のはずですが、患者はわざわざ結果を聞くためだけに別の日に出かけなければならず、医師も昼頃の合間の時間帯に説明の時間を無理やりとっているという慌ただしさです。消化器科の先生には小麦のグルテンが駄目な病について聞いておきた買ったのですが、「知らない」とのこと。一般人が知っていることを消化器科の医師が知らないはずはないので、これは話を長引かせないための対処法なのでしょう。実際、この先生は昼の時間帯をつぶして結果説明に来てくれているのですから、お気持ちが分からないわけではありません。とにかく忙しすぎるのです。

2.人を総合的に診ることが少なすぎる

 私が先の質問をしたのは好奇心からではなく、もしかしたら自分の体調に大きく関わる問題かもしれないと思ったからで、もし誰よりも自分の体調を良く知っている患者がこれまでの経緯を話す時間が十分持てて、総合的な診療を受けられればかなり患者の満足度、安心感も変わってくると思うのです。特に大学病院では受診科が細かく分かれており、他の科のことはほとんど知らないようです。先の消化器科の先生にちらっと腎臓のことを聞いたのですが、「あ、腎臓のことは分からない」とあっさり言われました。それぞれの科の医師が体力の限界まで一生懸命お仕事されているのは疑いのないことですが、現代は様々な病が絡み合って一つの症状を呈していることも十分考えられますから、これでは総合診療をしないと治らない患者を多数抱えてしまうのではないでしょうか。このままでは病院を変えたい、医者を変えたいと思う患者が出ても無理はありません。もしかするとこれを解決する一番の方法はAI医師の導入かも知れません。AI医師ならいくらでも患者の話を聞いてくれるでしょう。

3.歳とともに通いやすさ重視へ

 もう一つの問題は、歳をとると遠くの大学病院まで通うのがしんどくなってくるという状況です。これは私個人に限ったことではなく、年配の方から「近くの通いやすいクリニックに変えた」という話も聞きましたので、これから大いに起こって来る現象と思われます。別な科ですが、私も近隣のクリニックを試しに受診して見ましたが、大学病院に比べたら信じられないほど落ち着いた雰囲気の中で受診できました。私の話を十分聞いてくれて率直な見解を聞けたことと、大学病院では一度も話が出なかったような情報もいただけて、近くに信頼できるクリニックがあるとわかっただけで、何だか本当に安心しました。

 どこのクリニックにもある科でない場合、選択肢は限られますし、将来的なことを考えたら大学病院の方が良いという場合もあるでしょう。しかし、人の体力は徐々に衰えていきますので、まだ体力のあるうちに少しでも通いやすい所に受診科を移しておいた方が良いという気持ちが高まっています。十月はいろいろなことがガタガタっと体に起きた感じで病院通いとなりましたが、これも涼しくなった恩恵と考えることにします。

 普段は元気印の友人が「午後5時までに入れば診てもらえるはずだったのに、6時半ごろ順番が来たら『時間がないから診られない』と言われた」、「薬局に保険証を返し忘れられた」と怒っていました。皆さん忙しさが増す一方にどんどん社会が推移しており、患者・医療者の両者とも疲弊していく状況が進んでいます。これを何とか変えないとどうにもならなくなるのでは、と強く思います。


2023年10月26日木曜日

「芋煮会の秋」

 9月、10月は最高気温は高めながら、概して気持ちの良い日が多かったように思います。夏は暑すぎて、最低限の通院、最低限の買い物、どうしても必要な外出以外ほぼ何もできませんでした。これはもう冬眠ならぬ夏眠と言ってよいのではないでしょうか。しかもそれが今後常態化していく予感があります。

 10月に帰省して、「よかった、ラッキー」と思ったのは、教会の礼拝後、研修会をもった後で芋煮会ができたことです。「今年はぜひとも芋煮会をやりましょう」と4月頃から話が出ており、それが実現した形です。南東北人の季節性ソウルフードである芋煮会は、いつも楽しい思い出と一緒です。山形、宮城でもそれぞれの発展を遂げているこの大鍋料理は、牛肉か豚肉か、味付けは醬油か味噌かでかなり違うようですが、 福島では豚肉・味噌味が一般的なようです。

 本来なら芋煮会は川原でかまどを組んで料理するのですが、さすがに遠くなると参加できない人も出るので、今回は敷地内で行いました。消防の関係上、料理はすでに台所にて婦人会の方々のご尽力でできており、皆は会堂と伝道館の間の外のスペースに長机とパイプ椅子を出して、準備しました。絶好の快晴ながら、ちょうど会堂の陰になって涼しく、オープン・エアーの楽しさを存分に味わいました。私の記憶する限り、教会の敷地で芋煮会をしたのは初めてでしたが、これがコロナ以後皆で食事を共にする初めての機会になりました。クリスマスやイースターの祝会でも食事関係は全て自制してきましたので、本当に久しぶりだなと実感しました。食事を共にするのはどんな文化圏でも何等かの意味をもつことですが、教会ではなおさらで、聖餐ではないものの主イエスが弟子たちと食事を共にされたように、兄弟姉妹が同じテーブルで食事するのは特別に意味のあることだと感じずにはいられませんでした。楽しく、心地よく、全てに感謝の一日でした。


2023年10月19日木曜日

「医師の思考回路」

  今回の通院は行く前からちょっと期待がありました。前回の通院で尿酸値の上昇を指摘されて以来、自分なりに食生活を改善してきたからです。尿酸値を下げる食物摂取を心掛け、コーヒーの摂取量を減らす生活を送り、極力尿酸値を上げないよう頑張ってきたのです。(コーヒーに関してはむしろ尿酸値を下げる食品に分類されているようなのですが、体験的に私にはその逆のようなのです。ただ、全く飲まないことはできず、一日2杯に限りました。)

 この日は採決の他に腎臓のエコー検査が入っており、それを済ませてからの診察となりました。エコーはかなり時間がかかったので、「何かあったな」とは思いましたが、胆管、肝臓、膵臓の三点がエコー上では「〇〇の疑い」という見立てらしく、本科の診察後に院内予約で消化器内科の診察儲けることになりました。

 問題の本科での医師の話は、「腎機能低下はほんの少し改善がみられる程度」ということでがっかりでしたが、尿酸値を下げる薬は止めてもらいました。お腹が緩くなる感じで自分には合わず、半分くらいしか飲めなかったからです。「半分でもこのくらい改善されたのなら」と医師は受け止めたようでしたが、そうではありません。ほぼ全ては食生活上の努力の結果なのです。

 本科診察終了後の消化器内科の診察では、医師がこれまでの血液検査の結果から、「胆管はデータ上問題はないが、管の形態上の疑念を消すためにMRIをとりたい。肝臓はデータ上全く問題なし。膵臓に関しては形態上の疑念を消すためにMRIをとりたい」とのことでした。お話を聞く限り、膵臓に関しても以前他の部位で経験した症状のようで問題ないだろうと考えています。つまりエコーで「〇〇の疑い」とされたのは全部はずれと思われ、「人の体は一人一人違う。特に私は特異体質的なところがある」という、自分の仮説を一層強めました。医師は疑いがあれば一つ一つ検査してそれを消さなければならない職業なので、今回は付き合うことにしてMRIの予約をして帰りました。

 その日は疲れのあまりぐったりしてすぐ休みましたが、翌日、本科からもらってきた血液検査のデータを前回作った表計算ソフトに入れると、びっくりすることがありました。医師が「ほんの少し改善しただけ」といった検査項目は今回新たに加わった項目で、それは恐らく腎機能を詳細に見るためのものなのでしょうが、これまであった項目はかなり改善していたのです。尿酸値はこの一年半で初めて基準値内になっており、総リンパ球はこれまでにない著しい改善が見られました。また少しですが、尿素窒素UNが下がり、補体C3が上がるという良い結果でした。このデータとグラフを前にしばし唖然とし、また嬉しくなりました。医師はどうしてこういう望ましい結果を患者に強調して伝えないのでしょうか。確かに、腎機能の値が改善するには少し時間がかかるのでしょうし、医師というのは常に最悪のことを考えるものなのかも知れませんが、患者を元気づけることも必要なのではないでしょうか。ともかく、私はこれまでの仮説が正しかったことを確信し、気持ちが明るくなって、これを続けていく気力が湧きました。こうして自分の体を実験台にした食生活改善プランを実行し、少しは病気を楽しもうと思います。また次回の診察に期待です。


2023年10月12日木曜日

「秋のバレー祭り」

 パリ五輪の予選となるワールドカップ・バレーの熱戦が終わりました。日頃Vリーグをフォローしているわけでもない私ですが、何年かに一度のこの時期はかなり熱いにわかファンになります。久しぶりの観戦(ラジオの場合は聴戦(?)か、最後の3試合は帰省先でテレビを見られてうれしかった)になるので、半分かそれ以上知らない名前の選手が出場しています。新しい選手が次々と育ってきているのはすばらしいことです。女子は5連勝の後2敗し、今大会での予選突破はならず、惜しい試合だっただけに本当に残念でした。まだ可能性はあるようなので頑張っていただきたい。期待しています。

 男子は、最初の2試合が軽く2セット連取してから調子を崩してフルセットにもつれるという全く同じ妙な展開で、2試合目のエジプト戦を落としました。朝のラジオでも「格下相手に痛すぎる1敗」とアナウンスしており、私の心にも暗雲が立ち込めました。思うに、2セット落として後がなくなった相手が開き直り、上位チームとはまた違った高さとパワーのバレーで息を吹き返し、逆に日本のチームに焦りが出て体が硬くなっていたのではないかと思います。スポーツは特にリラックスしていないと体に微妙な変化が生じ、思いがけない状態になることを知らされました。

 しかし、崖っぷちに立ってからは全てストレート勝ちで3連勝し、全勝で既にパリへの切符を手にしたアメリカ戦を残して、スロベニアと4勝1敗同士の決戦となりました。詳細はよく分からないのですが、どうもセット率の関係でスロベニアに「3セット連取のストレート勝ち」をするのが、日本がパリ五輪予選を突破する要件だったようです。1セット目の最初は押され気味でしたが、多彩なコンビバレーと拾ってつなぐ日本らしさで挽回し、このセットを取りました。際どいセットをものにした第1セットが本当に勝負の分かれ目だったと感じました。簡単ではなかったものの第2セットも取り、次第に相手の焦りが明らかになりました。恐らく「相手に対する威嚇などの言動、マナー違反」のため、スロベニアにイエローカードが出た時、私は勝利を確信しました。日本チームは集中を切らさず戦い、本当にストレート勝ちを収めました。すごい試合で、選手もベンチも涙、涙・・・。第2戦目のまさかの敗退からよくここまで這い上がったものだと、誠にあっぱれな選手たちでした。監督、スタッフ、関係者一同の御尽力が報われたことと思います。最終のアメリカ戦ではこれまで出場機会の少なかった選手がスタメンで起用され、試合は全く違った様相を呈し、世界第2位のアメリカから2セットを奪う好ゲームを展開しました。こちらの選手たちも今後の成長が本当に楽しみです。

 これらの試合はゴールデンタイムに放送されましたが、私にとってこの時間は普段ならゆっくり就寝に入る頃です。その生活が3週間近く乱され、選手と共に戦っていたのですっかり疲れ切ってしまいました。実際、男子の最初の2試合が終わった日は、「毎日これじゃ身が持たない」と真剣に思いました。今年は野球の試合の観客動員数がこれまでで2番目に多かったと言っていましたが、毎日のように試合のある野球ファンの方々は、一体どうやって体調を保っておられるのでしょうか。


2023年10月6日金曜日

「或る出来事を通して知らされたこと ー神様のご指摘―」

  2022年度の不登校の小中学生はおよそ29万9千人で、10年連続増加し過去最多となったことが公表されました。22%という大幅な増加ですから、コロナによる生活環境の変化が影響を与えているのは確かでしょうが、学校制度そのものが時代の要請に合わなくなっているのです。

 周囲に不登校の子がいることもまれではなくなりました。私の身近にも同様のケースがあり、中学一年の半ばから高校三年までお子さんのご様子をお聞きしながら、見守ってきた友人がいます。中学時代はほぼ学校に行けておらず、親御さんの心痛を間近で知って祈ってきました。親御さんはお子さんと向き合うことはもちろんですが、体調管理や気分転換、カウンセリングや学校探しなど、およそ考えられるありとあらゆることを行ってきました。私には神様に祈ることしかできませんでしたが、そのことは伝えてきました。

 その後、高校へ進学できたことで少しずつ登校できるようになり、三年間休みながらも学校行事にも参加でき、なんとか通えていました。二年生の時だったか、「友達がコロナに感染し、本人は陰性だったが濃厚接触者となって今家にいる」と知らされた時は、「中学時代のことを想えば、学校に通えて友達もでき、あまつさえ濃厚接触者に慣れるなんて、夢みたいだよ」と答えたのを覚えています。

 先日教会の或る冊子に、その友人に関する、お子さんとは無関係のことを書いたのですが、ふとその日がお子さんの誕生日であることを思い出し、「おめでとう」のメールを友人に送りました。するとすぐ電話が来て、いろいろ話が聞けました。驚いたのはまだ校内での話ではあるものの、どうやら推薦で大学が決まりそうということでした。「よかったね~。おめでとう、二重の喜びだね」と言って電話を切ってから、私はこの六年間のことを思い返していました。

 たまたま友人のことを冊子に書こうと思ったこと、書いた日がお子さんの誕生日だったこと、その日に望外のうれしい知らせを聞いたこと・・・これら一連のことをあれこれ考えるうち、ちょっと震えが来るのを感じました。中学一年に始まった不登校が、中二、中三と続くにつれ、私は「これはかなり難しいかもしれない」と思うようになっていました。また、不登校や引きこもりの本を読み漁って、長引くケースも多いと知り、私の心もかなり暗く、重くなっていきました。高校に進学できた時、私は祈りつつも、また再発しないかとこれからのことに不安を抱いていたのです。それが今回無事大学へ進学できるらしいことが分かって安心し、どっと力が抜ける思いでした。中学の頃を思い出せば奇跡というほかなく、三年前のあの頃には決して想像できない結果です。

 しかし、震えが来たのはそのためではありません。私は、自分については、神様がもっと大変な時をも乗り越えさせてくださったのを知っていたのに、今回のことについては、祈りつつも神様の御力を信じ切れていなかったことを知らされたのです。神様は私に、「わたしはずっとお前を導き、祈りに応えて一番よいものを与え続けてきたというのに、まだそんなことも分かっていなかったのか」と、おっしゃったのです。その通りだと思いました。今の気持ちを表す一番ぴったりの言葉として、「神様は今回の件を通して、その栄光を私に現されたのだ」、という以外ありません。ともかく神様のご計画とその御心を自分への戒めとして、ハッとさせられると同時に深い平安を感じた出来事でした。


2023年9月30日土曜日

「ロング・ロング・サマー」

  「暑さ寒さも彼岸まで」って本当だなと思っていたら、東京は9月の最後に来て27日、28日と真夏日となりました。28日は最高気温33.2℃、その熱が残って29日の最低気温は25.2℃の熱帯夜でした。東京で最も遅い熱帯夜の記録更新です。本当に長くつらい夏でした。エアコンをつけての籠城に備えて食糧を備蓄したり、洗濯物を貯めるのが嫌で毎日衣類を手洗いしたりしていましたが、いつ終わるとも知れない猛暑の見通しにくじけそうな毎日でした。とにかく脱水を起こさぬよう水や麦茶を飲んで過ごしましたが、なかなか運動ができないので「ああ、体力が落ちていく・・・」と、自分でもよく分かりました。秋分の日の翌日の日曜日、最低気温が20℃を割り、最高気温も27℃ほどになった時は、もうそれだけで体中に力がみなぎってくるように感じるほどでした。

 でも自分でなにがしか防衛できる人間はまだよいのです。飼われている小屋の中で弱り切った牛、豚、鶏の話や、食べ物が無くて山から下りてこざるを得ない野生動物の話、またそれ以前に暑さで野菜が枯れたり、新潟の有名な米どころで雨が降らず稲が実を結ばないという話をニュースで聞くにつけ、可哀想でなりませんでした。農家の方々、牧畜に関わる方々のご苦労はいかばかりか、またどれほど気を揉んでおられることかと、本当にやるせなく胸が締め付けられるようでした。牧牛の飼い主が家族同様の牛と同じ暑さを体感するため、牛舎の中で牛と一緒に土に寝転ぶという話に胸が詰まり、一日も早く涼しくなることを願わずにはいられませんでした。温暖化に伴うこういう現象はほとんど人間の活動が引き起こしていのでしょう。

 うちの窓辺の多肉植物も半分は枯れ、あとの半分も瀕死の状態です。これからは涼しくなるので、持ち直してくれるかどうか・・・。先日はお店であまりにも元気そうな多肉植物の鉢植えを見つけ、もう大丈夫だろうと購入しました。この夏の暑さにやられてやせ細ったうちの鉢とはなんと対照的にぷっくらしていることでしょうか。日本はほぼ丸4カ月真夏となってしまったようです。来年のことは今は考えたくないです。


2023年9月27日水曜日

「経済の仕組み」

  経済学は長らく自分とは対極にある関心領域だと思っていました。その理由は、第一に数学や統計学ができないと学説が理解困難であるため、第二に、同じ経済現象を見ながら学者によって捉え方も解釈もまちまちであることで何か胡散臭い気がしたためです。さらに現在、ここまで経済をめぐる世界の状況が行き詰まってしまうと、経済学の存在意義もかなりの程度毀損されていると感じていたのです。元より財テクや資産運用には関心がありません。

 しかし、もともと経済学は人間の社会活動の振舞いを、或る一定の観点から眺めたことによって生まれた学問であり、その意味では気分によっても風土や慣習によっても違う「人間」そのものを相手にするものだったはずです。経済学の歴史には、道徳を経済活動の一要素として含んでいたアダム・スミス以来の多くの学者たちのそれぞれの願望の痕跡が認められますが、現在はもはや単なるマネーという物差ししか残っておらず、強欲な富者たちの支配する確固たる世界が創出されています。ひょっとすると今では経済学を学ぶ動機を持つ者は、金融工学がはびこるこの世界で少しでも個人資産を増やそうとあがいている人だけかも知れません。

 ところが、経済学畑出身でない人の中には、社会現象としての経済の動きを実に面白い視点で分析している方がいるようです。おそらく、敗戦後にドルを主軸通貨として精緻に発展した近代経済学において、日本の学者の発想はドル経済圏を一歩も出たことがなかったばかりでなく、ドル以外の主軸通貨の可能性を一度も検討さえしたことがなかったようです。終始ドル経済圏を支え続けてきた日本は健気と言えば健気ですが、どれだけいいように使われてきたのかと思うと国民としてはちょっと悲しく情けない。今では米国との間の互いの経済の在り方は一蓮托生、無尽蔵とも言えるほど増大させ続けてきた実体のないマネーは間違いなくいつかクラッシュするので、これに伴うカオスに付き合わされると思うと気が重くなります。

 9月22日の日銀会見で発表された金融政策決定会合の結果は誰もが予想していた通りで、全くの茶番でした。物価の上昇は誰の目にも明らかなのに、ずっと続いている大規模金融緩和を修正するには「目標の持続的安定な達成を見通せる状況には至っていない」のだそうです。それなら政府はなぜ物価高に対応する様々な経済政策を行うと言っているのでしょう。利上げはできないお約束なので、日銀はいつものお題目を唱えざるを得ないのでしょうが、どれだけ「粘り強く金融緩和を続ける」つもりなのでしょうか。バブル崩壊以降、特に21世紀の日本の金融政策はただただ国家財政を破綻させないことだけを眼目にしてきたため、ゼロ金利を押し付けられた国民は実質的な大増税を課され、貧困化したためにもはや大好きな貯金をする余裕もなくなったのです。せめて金利が2~3%あったならこれほど惨めな安い国にはなっていなかったでしょう。

 日銀会見の2日前の9月20日に飛び込んできたニュースは、英国第二の都市バーミンガムの財政破綻です。なんでも十年前からの市職員の不平等賃金の未払いに関して、債務に見あう財源がないというのが直接の原因らしいのですが、この産業革命の中心都市にしてロンドンに次ぐ大都市の破綻の報に考えるところがありました。かつて世界の海の覇権をほしいままにし、文字通り海洋帝国だった英国は第二次大戦後大きく縮みましたが、あれほど大きかった国が縮小するにしては意外とうまくソフトランディングできたのかと思っていました。縮み方の手本として日本も学ぶところがあるのではと思ったのです。

 そこに今回の大都市破綻のニュースです。昔盛んに言われた「英国病」とは結局、手厚い社会保障の負担とGDPの2倍以上の国債負担(この場合は戦費を含む)により、低成長とインフレが続いたことによります。書いているだけで「これは今の日本と同じ」と分かります。しかも日本の場合、国債の償還額がすでに膨大なばかりでなく今後も増え続けることが確実です。MMT(現代貨幣理論)の破綻を目にするのも間近なことでしょう。

 戦後の英国も金利を上げずに低金利政策(金融抑圧)を続けた結果、低成長から抜け出せず大幅にポンドが下落しました。まだ固定相場制だった1960年代、ドルが360円だったのは良く知られていますが、ポンドの固定相場は1ポンド=1008円でした。旅行でポンド建てのトラベラーズチェックを持って渡英した1980年代後半には、すでにポンドは230円ほどだった記憶があり、2023年の今は185円前後ですから、五十数年でポンドは円に対しては五分の一以下になりました。

 日本も低成長およびゼロ金利となって久しく、「失われた三十年」という言葉もあるくらいですから、今後円安が加速するのも確実でしょう。政府は株式市場への国民の参加を大々的に奨励し、個人所得を増大させようとしています。しかし、に2024年からの新しい少額投資非課税制度(NISA)に合わせ、ネット証券最大手のSBI証券と2位の楽天証券が9月以降、日本株の売買手数料を無料にするという話を聞くにつけ、そこまでして顧客として大衆を巻き込まないとならないほど追い詰められているのかと、かえって株式市場の危険感が増したと感じるのは私だけでしょうか。インボイス制度についても何やら個人事業主の捕捉に関する深い事情がありそうです。

 たぶん金融市場の在り方は、意外とシンプルなのではないかと思います。誰かの得は誰かの損であり、誰かの資産は誰かの負債でしょう。銀行の預金は個人や企業の資産ですが、銀行にとっては負債に他なりません。銀行は預金者に借金する形でお金を回しているのです。負債の相手が変わっても、結局相手先が払いきれなくなった時に破綻するのだと考えればすっきりします。そしてその国の生み出すGDP増加額より多いマネー・サプライを発生させればいつか必ず破綻しますが、日本の場合これが途方もなく増大しているのですから、いつX-DAY(エックス・ディ)が来てもおかしくないなと天を仰いで嘆息するしかありません。もちろん他の諸国、米国、EU、中国などもそれぞれに大きな問題を抱えていますが、だからといって日本の絶望的状況は増幅こそすれ、薄まるわけではないのです。まだまだ知らないことばかりですが、わからないながらも取り組んでいると、「経済って仕組みが分かればすごく面白そう」ということだけは分かってきます。通貨、金利、通貨量、GDP、資産、負債・・・その他諸々について少しずつでも学んで、分かるようになりたい。ま、分かったからと言って何ができるわけでもないのですが。


2023年9月20日水曜日

「HIMARIちゃん」

 子供の天才ヴァイオリニストがいると聞いて、初めて吉村妃鞠さんの動画を見てみました。私は音楽に限らず元来小さな子供があまり器用に巧みな芸当を見せたり、大人がそれをもてはやしたりする風潮が好きではありませんが、一目見て驚倒しました。音楽一家に生まれ、いつも身近なヴァイオリニストの母親の演奏に接し、小さなヴァイオリンで遊びながら3歳ごろから弾き始めたらしい。4歳からコンクールに出場して以来、あらゆるコンクールの最年少優勝記録を書き換えており、6歳でもうプロのオーケストラと共演しています。いくつかの動画を見ましたが、途方もないレベルの演奏でした。小さい体で大地を踏みしめるかのようにステージに立つ姿は、完全に小さな大人でした。演奏中は終始クールな表情、HIMARIオフィシャルサイトのあどけない笑顔の子供の顔とは別人です。

 演奏直後にどっと拍手が来るかと思いきや、これがバラバラと遅れてくるのは一瞬みな目の前の現実が信じられないからではないでしょうか。一体何が起こったのかという驚愕なのです。今年4月11歳で出場したモントリオール国際音楽コンクールでは、まだヴァイオリンのサイズはフルサイズではないようでしたが、優勝者に贈られる聴衆賞に選ばれました。HIMARIちゃんにとってはおじいちゃんに当たる年代の審査員席のマエストロの中には、目頭を押さえて体を揺らしながら没入している方も見られました。魅了されてしまったのでしょう。私もこんなに清々しく心洗われたのはいつ以来か。久しぶりに希望の光を見た気がしました。今はただこのまますくすくと成長してほしいと願う気持ちでいっぱいです。子供というものは本当に希望そのものだと思わされました。これから元気が出ない時はHIMARIちゃんの演奏が力づけてくれそうです。


2023年9月15日金曜日

「戸別訪問のブラック営業」

  帰省先に滞在中、玄関チャイムが鳴って出てみると、「〇〇工業の者ですが屋根の瓦がズレています」とのこと。こんな古典的な詐欺がいまだにあるのかと吹き出しそうになりました。「結構です」とバシッと扉を閉めて施錠。すると、「いえ屋根が大変なことになっているので市役所に通報します」と電話を掛ける(まねごとの)声が聞こえてきました。市役所が一個人の住宅の修繕に介入してくるわけがない。新手の手法だなと分かり、同時に爆笑の渦がこみ上げてきましたが、何となくこれ以上刺激しない方がいいと、その場を離れました。玄関には「押し売り、勧誘、訪問販売等はご遠慮ください」と、すぐ見えるところにテプラで書いて貼ってあるのに、女子供(?)だと思って甘く見ているのか。

 この件はちょっとあり得ないあくどい手法だったので後で一応兄に報告したところ、「そう言えば前に『向こうの工事に来ている者ですが、家の不具合が無いか近くを回っています』というのが2回くらいあった」とのことでした。本当に近くの工事に来ていたのかどうかは不明ですが、リフォーム業者等の営業がかなりきつくなっているのは確かなようです。人の性格にも依りますが、このような飛び込み営業が好きな人がいるとは思えない。労多く実りの少ない労働で、とにかく苛酷なノルマが課されているのでしょう。お気の毒ですが、需要はあるところにはあるし無いところには無い。正攻法で頑張っていただきたい。こちらも降りかかる火の粉は払います。

 という体験をして東京の自宅に戻った夕方、集合住宅玄関エントランスからのチャイムが鳴りました。「工事の予定をお渡しするので階下まで来てください」という声が聞こえました。ぼんやりした頭で「ずいぶん高飛車だが工事の予定なんてあったかな」と思いつつ、「何の工事ですか」と聞くと、「風呂場の工事です」とのこと。移動日で疲れていたため、「ポストに入れておいてください」と言ってインターホンを切りました。

 少ししてよくよく考えてみるとこれはおかしな話で、帰省先から頭の切り替えがうまくできていなかったなと反省。毎回理事会の議事録には目を通しているので、今現在各住戸に関わる工事予定が無いのは分かっていました。だから、「理事会を通っている話ですか」と尋ねれば、「通っていない」もしくは「理事会とは別です」と答えるに違いなく、「うちは結構です」と話を打ち切るべきでした。万一、住人が階下まで行って工事予定なるものをもらってしまったら、住人が自主的に望んだ工事として無用な面倒に巻き込まれたのかも知れません。念のため翌日ポストを見てみましたが、やはり何も入っていませんでした。顧客になりそうもない人に、それなりに経費をかけて作成した資料一式を渡す程度の無駄もできない状況なのでしょう。集合住宅といえど各戸への個別営業のやり方が巧妙さを増しているように感じます。やり取りするのも気鬱になるためインターホンに一切応答しないという手もありますが、郵便書留だけは受け取りたい。なぜか郵便書留はちゃんと制服を着た職員が配達に来るようなので、インターフォンの画面で制服を見分けるしかないのかなと思っているところです。あ、でも郵便局の制服に似た工務店等の作業着が増えちゃったりして。


2023年9月9日土曜日

「本が売れない理由」

  出版不況と言われて久しくなります。その間にも長年言論界を担ってきた書誌のみならず週刊誌の廃刊や休刊、書店の変容や廃業など出版業界の先細りはとどまる気配がありません。本が売れない理由についてはどこかで詳細に語られているのでしょうが、自分の肌感覚でその理由を述べます。この場合の「本」とはとりあえず紙の本ということにします。

 本といえば紙の本しかなかった時代が長かった世代として、私は活字の本が読めなくなってから、残念ながら本屋に行く楽しみを失いました。もし自分の目で紙の本が読めるのなら機会あるごとに立ち寄っているだろうと思いますし、たとえよく見えなくとも気に入った本、大切な本は紙の本として手元に置きたくなるのは間違いないことです。そして大事な本は紙の形で傍に置きたいと思うのは、おそらく万人に共通する欲望なのではないでしょうか。

 本が売れない第一の理由はなんといっても「読書をする時間がないから」だということに、きっと多くの人が同意することでしょう。仕事をしている人はますます時間に追われ、そうでない人でも毎日やることは数限りなくあり、情報の海の中で皆日々を必死で過ごしており、ゆっくり読書する時間が取れないのです。

 第二の理由は、「人々の関心がとめどなく拡散してしまったから」ではないかと思います。自由に使える時間があったとしても、スポーツ、旅行、音楽、絵画、舞台芸術、映像、ゲーム等は従来までとは比べ物にならないほどの次元に拡大しており、またその鑑賞だけをとっても、既に一生かかっても見切れないほどの量になっています。単にウェブ上で何かを追っているだけで一日は楽に終わります。

 それら「趣味」のごく一角を占める読書に限っても個々人の関心の拡散は顕著です。自分が音声読書になってから乱読してきた経験で強く感じるのは、人々が抱く興味・関心の領域の広大さへの戸惑いです。もちろんこれまでも各領域をカバーする本や情報はあったのですが、今はそれら一つ一つが細い毛細血管のように分化していくので、或る人の一つの強い関心は他の99.9%の人には何の意味も持たないものとなっています。興味の対象が近いと思われる場合も、時と共にさながら宇宙の膨張のようにそれぞれの方向に深化していき、気が付けば他の人の興味が向かう先を無関心に眺めるしかなくなっています。ベストセラーになる本は、或る意味その社会の多数が関心を持つ本です。人口減少や日本人の日本語リテラシーの問題もさることながら、共通のプラットホームを持たなくなった社会では100万部、200万部といった規模のベストセラーがなかなか出ないのは当然でしょう。逆に、詳細に分化した関心を引き付ける本は、それぞれの領域で元々売れる数に限度があり、爆発的に売れる見込みは少ないということです。

 現代の作家はかなりのハイペースで本を量産しないと埋もれてしまうようで、これができてデビュー後5年、10年「と生き残っている作家は真に才能にあふれた人と言わねばなりません。ただここにも気がかりとして感じることがあり、それは読者の関心を引こうとするあまりやり過ぎることで、いくら表現の自由といってもここまで書いていいのかと、個人的には大いに疑問を抱く場合がまれではありません。自分が読まなければいいだけと言えばそれまでですが、ただでさえ病んでいる社会を或る種の本がさらに歪ませやしないだろうかと考えてしまうのも確かです。自分が読んで気分の悪くなる本でも喜んで読む人がいるのかと思うと、心中非常に複雑で、時々気持ちが萎えます。

 本が売れない第三の理由は「グローバル経済の下で紙の本はコスパが悪い」という見解が浸透したことです。本が一冊出るには執筆者以外に、出版業界の編集、デザイン、印刷関係、書店、物流関係、文壇・文筆に関わる人々といった非常に数多くの手が必要で、それらの人々の努力の結果ようやく本という形になります。当然めいめいがその対価を受け取りますが、水が低きにつくように最も安価なところに落ち着くような経済環境の中では、対価はどんどん切り下げられていきます。

 また、内容を公開するだけならオンライン上でほぼ無料でできるので、そういう方法を取る人が増えてくると、本代を惜しむ気持ちも生まれます。時事的、実用的な情報などは伝達速度が最重要であり、真偽の程度は別としてウェブ上に大量に流されるので、特にそう感じるかも知れません。さらに、著作権の切れた本は正当にいくらでも読めますし、まっとうなデジタル図書館で研究書を閲覧して気の済むまで調べものができるようにもなっています。このような流れの中で現在では労働の価値が毀損されるのが常態となってしまったのです。

 こうしてみると本が売れない理由の全てにおいて、直接、間接を問わずインターネットの登場とその発展があることは明らかです。しかし、インターネットは情報収集ツールとして単に万人にとって利便なだけでなく、紙の本が読めない人にとっては命綱と言っていい不可欠な手段であり、これがなくなる事態は考えられません。紙の本の先細りがどこまで進むかはともかく、この流れは止まらないでしょう。ただ、出版業以外の社会全体の変遷を考えると、現在はインターネットのメリットがデメリットを凌駕していると自信をもって断言できないところまで来ているのも確かです。仮に電気や電磁波をみな吸収するという「電獣ヴァヴェリ」が出現すれば、今ある問題(犯罪や格差、地球環境)のほぼすべてが解決するでしょう。馬車や帆船しかない社会もそう悪くないかも知れませんが、テクノロジーは一旦始まると途中で抑制を利かすことはできず、行きつくところまで行ってしまうことを考えると、今後はむしろ生成AIが生み出すものから目が離せず、作家、文筆家たちの行く末を案じる時が来ないとは言えません。


2023年9月4日月曜日

「ラジオの皆さま」

 熱帯夜があまりに長く続いたため、すっかり睡眠のリズムが狂ってしまいました。夜は2、3時間おきに目覚め、そのまま眠れなくなって「ラジオ深夜便」を聞いたり、朝ぼんやりした頭で「マイあさ」をつけて覚醒したりするので、ラジオが手放せません。この24時間無休の媒体がいかに多くの方々によって担われているかに感嘆すると同時に、ラジオの方々はどうしてこう気持ちのいい人たちが多いのだろうと感心します。

 これぞ言葉のプロと思えるアナウンサーが大勢いて、その言葉遣い、対話相手との絶妙なやりとり、リスナーへの配慮など、磨きのかかった技に圧倒されます。一人一人個性的で、リスナーから銘々「押し」のアナウンサーへお便りもたくさん寄せられるようです。今でも葉書やファックスを書いて送る方がいる一方、話題に合わせてその場でメール送信をする人も多く、これがまた面白い掛け合いに発展します。

 アナウンサーの皆様が当意即妙で楽しくかつ気遣いのできる方々であるせいか、リスナーの皆さんも本当に善意の方が多い。新潟からは「あめの多い地域の方々には本当に申し訳ないのですが、雨が降りません」と干ばつに悩む声が届いたり、夏の巡回ラジオ体操では体操の指導者の呼びかけに答える地元の方々の元気な声が半端ない。世界中このような方々ばかりなら問題なく平穏に過ごせるだろうと思えるほどです。 

 私の「押し」は土曜日「マイあさ」担当の女性アナウンサーで、とても巧みな言葉遣いの方なのですが、時おり漏れる素の声が面白いのです。或る歌の歌詞に関する話題で、相手が「『今だからこそ言える』という現在の静かな時間はいいですね」という趣旨のことを述べた時、彼女は「私は『今だからこそ言える』ということは、言う必要のないことだと思います」と答えたので、私は「そりゃそうだ」と、可笑しすぎて捧腹絶倒。この方はまた、コロナ後の学校でプールが再開された話題で、もう一人のアナウンサーから「〇〇さんはプール好きでしたか」と聞かれ、「大嫌いでした」と即答。「学校のプールは大嫌いでした。先生に『〇〇ちゃん、みんなで同じ行動がとれるまで終わりませんよ』って言われてました」と付け加えたので私はまた爆笑。何気なく話を振った相手もそこまでの秘話は予想してなかったでしょう。さらに先日は、「9月になって一挙に長袖やスーツ姿の通勤客が増え、まだ夏服の自分は居心地悪かった」という趣旨の(日本でしかありえない)投稿に対して、「私は今日もノースリーブにサンダルです。心地よさ重視で」と、言っていました。この人、本当にいいな。同調化圧力をものともせずに頑張ってほしい。

 CMばかりで身の部分が非常に少ないテレビに比べ、ラジオは(その内容やジャンルの好き嫌いは別として)中身は充実しています。カバーする範囲が広く、全く関心をもったことの無かった分野でも聞いているうち興味が湧くこともたびたびです。それに、もしかするとこれがラジオを好きな一番の理由かもしれないと密かに思っているのは、毎時の時報が聞けることです。デジタル放送になってから時報が聞けなくなったテレビがなんとなく不安で、不満だったのだなと自覚したのはわたしだけでしょうか。寺宝の前後にほぼ確実に天気予報と簡潔なニュースが聞けるのも気に入っています。


2023年8月29日火曜日

「尿酸値を上げない食生活」

 過日の通院でまた薬が追加されてしまいました。今度は尿酸値が高いということで、尿酸値を下げる薬です。高めなのは確かですが、今回は前回よりも前々回よりも低下しているのに、その時は様子見だったのか、なぜか今頃の処方となりました。もちろん抵抗したのですが、「透析になったらどうするんですか」などと恐ろしいことをおっしゃるので、泣く泣く了承しました。

 「プリン体の多い食品を多量に摂取すると尿酸値が上昇して、場合によっては通風になる」程度の事しか知りませんでしたが、私の食生活はそんな美食家が陥るような事態とは無縁のはず。何といってもプリン体と聞いて真っ先に思い浮かぶ食べ物は、レバーとビールで、これほど私の食生活から遠いものはありません。、ざっくりいって、「肉・魚はプリン体が多く、野菜は少ない」ということを押さえておけば大丈夫と思っていましたが、今回調べてよかったのは、思っていたよりプリン体含有量が多い食品が分かったことです。プリン体は豚肉・牛肉より鶏肉に多く、魚ではマグロや鮭よりかつおに多いようです。また肉や魚より断然少ないものの、そば粉、納豆、舞茸などにはプリン体が結構含まれています。カルシウムを補うために摂取していた「食べる煮干し」も要注意。割と好きなお刺身はもちろん、かつお節のことは失念していましたが、元来たくさん食べるものでもありませんから心配はないでしょう。たとえプリン体が多くても、他に非常に良い栄養素を含有している食品はいきなり止める必要はなく、要は摂取量のバランスを心がければよいのです。

 尿酸値を下げる食品として、乳製品(牛乳、ヨーグルト、チーズは好物なのでうれしい)やビタミンCの多い野菜・フルーツがあり、じゃがいもは過熱してもビタミンCの喪失が少ないとのこと。ただしフルーツの果糖は尿酸値を上げるので注意が必要です。フルーツ好きで毎日欠かしたことの無い私は、これには多いに心当たりがあります。また、アルカリ性の野菜・海藻・いも類・きのこ類は、尿がアルカリ性に近づくとされています。プリン体の少ないきのこは、なめこ、ぶなしめじ、エリンギ等です。

 私はこれを機会に、データに基づいてこれまでの食生活と尿酸値について調べてみることにしました。俄然本気になったのです。まず、時間がかかりましたが、これまでにもらっていた血液検査のデータ1年半分をとりあえずい数値化して表計算ソフトに入力しました。その中で体調に大きく影響しそうな数値、例えば、白血球数WBC、総リンパ球数(白血球数とリンパ球%から算出)、尿素窒素UN、クレアチニン、尿酸値U、補体C3等をを抜き出し、適宜グラフ化しました。白血球には病気やけがを治したり、体に侵入した異物を撃退したりする働きがあるので、これが増加している時は細菌やウイルス等と闘っている生体反応を表します。尿素窒素は腎機能に関わる値で、不調になると高値を示しますが、脱水や蛋白質の過大摂取などでも影響を受けます。クレアチニンは筋肉を動かしてエネルギーを使った後に出てくる老廃物の一つですから、これが高いとその処理が不十分であることを示します。補体は異物の侵入等をきっかけにして活性化する血漿蛋白で、生体内で抗原抗体反応が起こると消費されて低下します。

 私の場合、総リンパ球数と補体は上昇が望ましく、尿素窒素、クレアチニン、尿酸値は低下が望まれるのですが、グラフにするとこれまで数値としてだけ眺めていた時とは全く違った様相を呈してきます。それぞれの項目がいつ頃悪化しているか一目瞭然なのと同時に、項目間に大まかな相関関係が有るのか無いのかが分かります。それによってデータを眺めると、項目によってとりわけ良くなかった時期が判明しました。人体は複雑なので、そうなった原因には摂取した食品だけでなく、気候や天気、その時期の気分、運動あるいは活動状態も大いに関係しているでしょう。一つ思ったのは、総リンパ球数が多い時は体調が良く、比較的元気なことが多く、一方で、このような高栄養の時は尿酸値が増えるのですから、総リンパ球数と尿酸値は互いに反目し合う関係にあるだろうということです。即ちこれもバランスか。というわけで今、あの頃どんな食事をし、どんな生活をしていたのか、検査値のグラフを解明するのに日記を読み返したり、食品の購入履歴を見返したりしているところです。何かヒントを得て、次の診察までに生かしたいです。


2023年8月22日火曜日

「腫れ物としての国債」

 先日ラジオを聞いていたら、経済の専門家(大学教授)が日銀の金融政策の変更について解説していました。経済用語ではYCC(イールド・カーブ・コントロール=長短金利操作)というそうですが、要するに、今まで0.5%程度で連動してきた長期金利と短期金利の幅を1.0%程度に拡大できるよう見直すということです。「やっぱりそうだろうな」と納得すると同時に、最終的には連動させないようにするほかないだろうと強く思いました。なぜなら、物価の上昇が日銀の目指す2%をかなり超えている現状では、短期金利を上げる必要がありますが、一方、長期金利は上げられないわけが存在するからです。それは膨大に膨らんだ国債のためであり、現に日銀がこれまで0.5%程度としてきた長期金利の変動幅の上限を市場の動向に応じて0.5%を超えることを容認する旨のアナウンスをした途端、国債の売り注文が増加し、ほぼ9年ぶりの水準まで長期金利が上昇した(7月28日)のです。ほんのちょっとでも金利が上がると、金利だけで何兆円も支払いが増えるのですから、国債の金利を動かすわけにはいきません。

 解説者は、「普通、金利の上昇は円高に触れるが、逆に円安が進むという説明できない事態が起きている」と言っていましたが、「何を言っとるのか」という気持ちで聞いた方は多かったことでしょう。今の日本の国庫の状態は子供にも分かるような話なのですから、解説者が知らないはずがないのですが、恐らく口が裂けても言えないのでしょう。経済の法則に反して円安が進んでいるのは、膨れ上がった国の借金があまりに大きいため信用を失っているからであり、そのうちデフォルトが起こる可能性があると思われているからに他なりません。にも拘わらず、「私も腑に落ちない」などと言える解説者は或る意味さすがで、うっかり「王様は裸だ」と口を滑らせてしまうような人は専門家失格なのでしょう。なぜなら、国家が一番考慮しなければならないことは一にも二にも「国民にパニックを起こさせない」ことだからです。東日本大震災の原発事故の時、米軍から放射能拡散の風向きを知らされていたにもかかわらず、国民に(とりわけ福島の住民に)隠したのと同じことなのです。

 国民の多くが「ついにハイパーインフレが起こるのか」と怯えている時に、間違ってもそれを声に出してはならないのです。国が故意に超インフレを起こして、「国債という借金を相対的に減らす、あるいはチャラにする」ことを企図しているのだという穿った見方もありますが、この場合は国民が預金等の形で保持している財産が吹っ飛ぶという話ですから、さすがに国民も黙っておらず、即ち政府もただでは済まないはずです。もっとも政財界の方々はとっくに海外への資産フライトを済ませているので、経済的な打撃はほぼ無く、その点は安心しているのかも知れません。それでも他国、そして全世界への波及効果を考えれば、思い浮かぶのはカオスというほかありません。

 2009年1月1日以降、10年以上取引のない預金(休眠預金)は金融機関のものではなく国のものとなったことに顕著なように、国はあらゆる手段で国庫にお金を搔き集めようとしています。私は国債とは無縁なのでこれまで国債に注目したことがなかったのですが、どうも政府の考えは、国債を保有している大多数が国民であるのをよいことに、これが満期になっても買い換えによって金利の支払いだけに留め、例えば相続時にもそのままずっと引き延ばそうとしている節があります。ここまで借金が積み上がっているのですから、気持ちは分からないでもありません。もはや、国家以外の主体が行えば詐欺的犯罪になる行為をも射程に入れなければならないところまで切羽詰まっているのでしょう。

 それならいっそのこと、「満期のない国債」を新たに作ってはいかがでしょう。「満期がない」というのは、「死後はお金が国庫に入るという条件」の国債という意味で、その方がフェアです。「死ぬまでずっと」というのがミソで、将来が不安だから貯蓄に励んでいる国民にとって、これは或る種年金を補完する手段になると思います。購入する国債の額や購入者の年齢によって金利を絶妙に設定すれば、相続人がいない人が増加する昨今、国にとっても個人にとっても悪くない選択となり得るのではないでしょうか。或いは、金利ではなく医療や介護に関する或る種の特典を付与する方法も、将来の不安を幾分でも払拭するのに有効かもしれません。

 これはいわば、「国庫にお金を納入すれば、死ぬまでそれなりのメリットを得られる」というシステムで、この「それなり」のさじ加減は頭のひねりどころとなりましょう。ただ、こんなことを資本主義経済の社会でやってよいのか分かりませんが、、とにかく今、腫れ物に触るように扱われている日本の国債が、新しいパラダイムを必要としていることは確かです。もう「借りたものは返そうよ」と誰も言えないところまで来てしまったのです。


2023年8月16日水曜日

「ゴリラに学ぶ」

 暑さで何もできない夏はゴロゴロしながら読書に限ります。ゴリラ学者山極寿一(第26代京大総長)の御本で初めてゴリラの生態を知りました。もしかするとよく知られたことかもしれませんが、類人猿の中でもゴリラの子育ては独特で、子育ての重要な部分を年長の雄(シルバーバックと呼ばれる白い毛が背中に出てくる年代の雄)が受け持つということを感心しながら読みました。動物園での観察では「ゴリラは彫像のようにほとんど動かない」という印象があったのですが、それも訳があってのことだったのです。

 ゴリラの雌は子供を4歳くらいまで母乳で育て手元から放しませんが、乳離れの時期になると子供を連れてシルバーバックのところへ行き、子供を託します。シルバーバックはどの母親の子も受け入れ、己の体をよじ登ったり滑り降りたりして遊ぶのを許します。この時、巨体が少しでも動けば子供が跳ね飛ばされたりして大けがをする可能性があり、そのようなことを避けるためシルバーバックは全く動かないのだといいます。仲間の子供に対して何かまずいことをする子は誰でも平等に叱り、分け隔てなく扱うので子供たちは皆シルバーバックが大好きで、安心して遊ぶそうです。

 アフリカの森での調査時の出来事として、母親と片手を失くした子供ゴリラの話がでてきますが、「この子は大人になるまで生きられないだろう」との皆の予想に反して、その子は他の子供と変わらず立派に成長したのです。山極氏は「ゴリラの世界にいじめはない」と断言します。シルバーバックは移動時に遅れがちなこの子ゴリラをゆっくり待つ程度のことはしますが、それ以上過剰な手出しはせず、子ゴリラは失った手の代わりに体の他の部分を使って相当なことができるようになっていきます。他の子ゴリラもその子を馬鹿にするようなことはなく、逆にその子が皆を出し抜くようなことをして皆で楽しんだ出来事もあったようなのです。この或る種障害を持つ子供も他の子供と全く同じように振る舞う関係というのは、人間の世界ではめったにない関係ではないかと、私は感心しきりでした。

 また、ゴリラの生態として若い雄同士が争いになりそうな時、子供たちも含めて全員で止めると知りましたが、これも他の類人猿にはないとのこと。他の種ではボスが止めることはあっても、明らかに下位にいる子供が止めるようなことはありません。血気盛んな雄同氏は喧嘩したいわけではなく、興奮して引くに引けなくなった状態でいるので皆で止めるのが有効らしいのです。ちなみに昔は戦闘の合図と解釈されていたドラミング(主として両腕で胸をたたく動作)は、確かにゴリラが「俺は強い」と自分の強さを誇示しているのですが、「だから戦うのはやめようよ」と呼びかける意味合いがあることにも驚かされました。

 ゴリラと言えば前にイケメン・ゴリラとして有名になった名古屋・東山動植物園のシャバーニがまず思い浮かびますが、あれはひょっとするとお顔の男振りがいいというだけではなかったのかも。私は普段から「動物の方が人間よりはるかに賢い」と思っていますが、この雄ゴリラの子育てこそお手本だと感じます。子供同士の間でいじめがないのは、大人が適切な目配りと時機を逃さぬ注意を怠らないからであり、またハンディキャップのある子供が普通に成長できるのは、配慮と同時に自立を促すバランスが絶妙だからでしょう。見事な男前と言わざるを得ません。


2023年8月11日金曜日

「39.1℃の体験と水害について」

  8月5日、帰省先でついに39℃台を体験、ちなみにこの日隣接する伊達市は全国一暑い40.0℃でした。まずいえることは、39℃は35℃とも37℃とも全く違うということです。とにかくエアコンをかけてだらだら過ごすほかなく、その後2日間も猛暑日だったため熱が溜まっていくようで、本当に炊事もできなくなってしまいました。というのは台所にはエアコンがなく、ちょっと行って調理準備をしては茶の間で涼む、それも無理になってまな板や食料品を茶の間に持ち込んで下準備をする、という状態になったのです。その日は何とか夕飯を作ったものの、翌日ははっきり無理と分かったので、兄と昼は外食し、帰りは夕食を買い込んで帰宅しました。普段音声で読書しながらする料理はさほど面倒でもなくできるのですが、この暑さではもはや思考は働きません。

 今夏の日本列島ではっきりしたのは、とんでもない猛暑と台風その他による水害です。以前から日本のあちこちで姿を見せてはいましたが、もう今後は「たまたま」被害に遭ったと言うことはできないでしょう。海水温が異常に熱いので台風は途轍もないエネルギーをもって膨れ上がるのであり、太平洋高気圧の張り出しで偏西風が押し返されほとんど動かないのであり、すべて科学的法則に合致した自然現象なのです。そして、ここしかないという通り道に日本列島があるから被害が起きるのです。台風からすれば文句を言われる筋合いはなく、気候変動により必然的に起こるべきことを示しただけです。これまで100年に一度と言われた被害でも、今後は海水温が高い(=温暖化)状態が止まらない限り、残念ながらこの程度の水害は毎年起こると考えるべきでしょう。

 広範囲に記録的な大雨が降り、甚大な被害をもたらした2019年10月の東日本台風は記憶に新しいことですが、この時首都圏を救ったのが首都圏外郭放水路(いわゆる「春日部の地下神殿」)と言われています。これは本当に有り難いことでしたが、今後さらに巨大化する自然の猛威を考慮すれば、これだけでは不十分ということもあり得るでしょう。果たしてどこまで首都圏を守れるのでしょうか。近年は線状降水帯の発生により同じ地域で長時間大雨となることが顕著で、総雨量が数百から千ミリを超えることもしばしばです。これが水害に対して十分準備できていない地方のどこでも起こるとなれば、小さな自治体では対処の使用がありません。現に今年7月の秋田における記録的大雨による被害からの復興は長引いています。毎年被害総額が兆に達する額となるようでは日本中が疲弊していくことでしょう。

 日本の水害は前提事項として覚悟する必要があるかも知れません。妙案があれば示して国民に呼びかけ、実行に移してほしいと切に願います。私はかなり暗い気持ちで意気消沈しながら、とりあえず水と食料の準備をして14日頃に来るという台風7号に備えるのみです。問題はちょうど台風来襲のころ通院の予定があるということ。これは「台風の中移動すること」と「通院をキャンセルすること」とどちらが命に関わるかという選択で、その日がいよいよ迫ってきたら決めなければなりません。。


2023年8月7日月曜日

「『ガラテヤの信徒への手紙』の奥深さ」

  「ガラテヤの信徒への手紙」を読む機会を与えられ、まだ最初の方ですが考えさせられることが多くあります。パウロの福音理解のために重要とされるこの書を、私は長らくごく単純に考えていました。この書が書かれた経緯は、パウロのガラテヤ地方伝道の後に、ガラテヤの教会に現れた人たちがパウロの伝えた福音と異なる福音を広めたため、教会の信仰がキリストの福音を外れて異なった方向に向かっていることを、パウロが看過しえないこととして厳しく指摘したというものです。

 異邦人への伝道が進む中、律法における割礼や食物規定を遵守しているユダヤ人キリスト者との間の齟齬が露わになり、やがてアンテオキア教会での出来事をきっかけにパウロはペテロを面と向かって非難しました。それまでは異邦人と食事を共にしていたペテロでさえ、或る種のユダヤ人キリスト者がやって来ると彼らに対して配慮する行動を示したからです。

 パウロが宣べ伝えた福音は、「人は律法の実行ではなく、ただイエス・キリストへの信仰によって義とされる(2章16節)」という単純明快なものです。しかし今回「ガラテヤの信徒への手紙」を読み返して分かったのは、「これを単純明快だと思うのは自分が異邦人キリスト者だからである」ということでした。異邦人にとってそもそも律法は縁がないものなので、罪からの救いを願うなら、ただ十字架の死によって人間の罪を贖った神の御子キリスト・イエスを信じればよいという点で、パウロの教えはとても簡潔です。しかし今仮に、ユダヤ人キリスト者の立場でこの書を読むとかなり違った様相を呈してきます。

 恐らくここに出て来るユダヤ人キリスト者は、律法に誇りを持っており、なおかつキリストの十字架の贖いを信じて新しい契約に入り、主イエスの直弟子であるペテロとも交際している自分たちの信仰を盤石なものと考えていたことでしょう。しかし、「人はただ信仰によってのみ救われる」という福音が異邦人世界へ広がっていく時、彼らが自分たちの信仰の優位性が脅かされるような心持になったとしても不思議はありません。

 パウロの言葉はユダヤ人キリスト者にとってはユダヤ人社会で生きるためのガイドラインが、示されているようで実は示されていません。パウロは「わたしは神に対して生きるために、律法に対しては律法によって死んだのです(2章19節)」と何やらかっこよく述べており、そしてそれは間違いなくパウロの実感であったでしょうが、実際にユダヤ社会で生きるユダヤ人キリスト者にとっては、律法を固く守るべきなのか、主キリストへの信仰さえあれば律法は守らなくてもいいのか、それらは時と場合、あるいは個々人の行動に任されているのか、その場合の救いの確かさは変わらないのか・・・といった戸惑いが頭をかすめたのではないでしょうか。彼らはそれらの問いの答えをパウロの言葉の中に十分に見いだせなかったのではないかと思うのです。

 何故この書をユダヤ人キリスト者の立場で考えてみる気になったかと言うと、日本で暮らすキリスト者とのアナロジーで考えてみると、奥深い視点が与えられる気がしたからです。日本のキリスト者は、日本の社会できちんと生活する一方、キリスト者として十分に生きることを願っています。しかし、この二つは必ずしも両立しない、そのため折に触れたびたび判断を迫られるという経験を伴います。これは状況は違えどもユダヤ人キリスト者が感じる苦悩と似たものがあると思います。こういうことに画一的な規定を決めても無意味で、むしろそれこそが当時の行き詰ったユダヤ社会をもたらしたものだったでしょう。この手紙を書いたパウロは、具体的な規定はむしろ各々の信仰を殺すことになると気づいており、だからこそ決してぶれてはいけない教えのみこの書に記したのではないかと思います。

 キリスト者は生きていくうえで間違いなく苦悩にさらされますが、それでも立ち現れる様々な場面で苦しみながらも信仰に反しない限りの対処をしていくでしょう。しかし、そこには苦しみだけでなくそれを上回る神の恵みがあることも確かです。今回思いがけずそのような視点を与えられて、感慨深くこの書を読んでいるところです。


2023年8月1日火曜日

「限界を超えた暑さ」

  7月は日本全国災害級の暑さとなりました。東京の猛暑日は13日で、これまで最高だった2001年の7日の倍近く、また例年は平均して1.4日ということからも、今年の7月がいかに並外れて暑かったかが知れます。気候変動は一定のレベルを超えると急速に進行すると言われており、冬であるはずの南半球で氷河が溶け出していると聞けば、「もしや?」の恐れが生じます。

 7月の東京都心の最高気温は26日(水)の37.7℃で、私はひたすらエアコンをかけて家にこもっていました。普段夕方の外出は避けていますが、この日はやむを得ず6時半頃やっと買い物に出られたのでよく覚えています。連日39℃台の猛暑日地点が報道されるにつけ、「これより2℃高い気温って・・・」と、今現在それがどれほどの暑さなのか全く想像が及びません。暑さで有名な北関東の都市だけでなく、どこもかしこも暑いのが今年の特徴で、この気温はもはや人間の生存の限界を超えたと言うべきではないでしょうか。

 すでに7月半ばからラジオでは、「のどが渇く前に水分をとる」、「適切に冷房を使う、あるいは街のクールスポットに避難する」、「食事をしっかり食べ、適度の運動と十分な睡眠を心掛ける」といった注意喚起が繰り返しなされていましたが、これほど熱が溜まっていく状況下では、もはや注意していれば大丈夫というレベルではありません。私の周辺でも、自分を含め「あ、もしかして熱中症になりかけか?」という際どい体験を、老若男女問わず何人もの方から聞きました。実際報道では、熱中症で亡くなる方も全国で増えています。

 私は少し前まで5時にはウォーキングに出て、一日の運動をしていたのですが、朝の時点ですでに暑すぎるようになってこれは止めました。節電効果の高いエアコンをつけて小部屋で過ごすようになったため、リビングのパソコンの一台を小部屋に移動しました。こういう巣ごもりも一日二日ならよいのですが、十日以上どこまで続くか分からないとなると、暑さ疲れが溜まって来て次第に体が弱ってくるのを感じます。

 買い物は早朝7時から開いているスーパーに行くか、あるいは、気が進まないながらしかたなく陽が沈んでから出かけたりしていましたが、最近は近所にある街のクールスポットとも言えるモールに行くことも増えました。開店と同時に入店し、昼食をそこで済ませて夕方まで過ごします。そこには近隣にお住まいの多くの方々が涼みに来ているのです。そこに行くまでの数分さえ危険を感じる暑さのこともありますが、辿り着ければ全館冷房が効いているので一日過ごした後の疲れは少ないと感じます。私は館内の階段も使って、音声読書をしながらウォーキングすることにしており、館内には休憩用のいすも多いので疲れたら休み、またこれまで入ったことのないお店を覗いては結構楽しんでいます。商品をじっくり見る時間があると良さも分かり、結局毎日何かしらは購入して帰ることになり、モールにとっても避暑に訪れる人にとってもプラスに作用しているのではないでしょうか。

 今のところいわゆるお出かけは、通院と週に一度都バスを乗り継いで教会へ行くだけですが、これもこの暑さでは途中で体調に不安を感じることが出てきます。夏休みの観光や旅行で移動する人々の話題をニュースで聞くにつけ、掛け値なしに「すごい体力だな」と感嘆します。逆に救急搬送のサイレンを聞くことも多くなり、この暑さの中で使命を果たしておられる救急隊員、医療関係者には頭が下がる思いです。今では32~33℃くらいなら涼しいと感じるまで狂ってしまった体感、これこそ危険かも知れないなと思いつつ、搬送される一人にならぬよう、最大限の注意をしなければと思います。


2023年7月27日木曜日

「日本近現代史の見直しと再建」

 日本の江戸末期から明治以降現代に至るまでの歴史の掘り起こしが進み、最近にわかに「日本の近現代とは何だったのか」について見直しが行われるようになりました。特に衝撃を与えたのは、『明治維新という過ち』に始まる、薩長官軍史観に立つ明治維新を批判した原田伊織氏の一連の著書でしょう。幕末、植民地化の惧れのある危うい時期に、諸外国に向けて有効な対処をしたのは徳川幕藩体制下の優れた官僚であったこと、薩長は混乱に乗じて幕府からの権力奪取を第一義的な目的として、そのためには天皇の勅許を偽造する、下級武士や荒くれ者を煽って常にテロと戦闘を画策するなど、幕藩体制の破壊にあらゆる手を用いたことを原田氏は一貫して述べています。

 東北、特に会津に対する長州の憎悪は天井知らずで、会津戦争に敗れ恭順を示した後でさえ、到底ここには書けないような遺体への辱めや葬りの不許可、女性への凌辱など、人間とは思えぬ悪逆非道の行為がなされました。これらは一つ一つそれぞれの場所で事実として辿れることであり、悲しみと怒りの証言は山ほど残されています。この出来事は、明治維新から120年の記念に萩市から友好都市関係の申し入れがなされた際、「まだ120年しかたっていない」と断られるほど、癒し得ぬ大きな禍根を残しました。この事実を知って、現在萩市には未来志向で関係を修復したいと働いている方々がいらっしゃるようですが、容易ならぬことです。ひとたび人道に反する行為がなされると、相手を赦すのは至難の業です。会津の方は「(会津戦争について)和解はしない。和解はしないが(萩市の方々と)仲良くはできると思う」と言っておられました。

 一番考えさせられたのは、明治維新があのようなテロと戦闘の暴力革命でなければ、夜郎自大的な太平洋戦争にまでつながる好戦的な雰囲気が醸成されることはなかったかも知れないということです。テロと暴力によって権力を握った体験から、明治以降の政府はその後の欲望の実現を同様の手法で遂行したのでした。いま静かに思い返すと、亡き元総理にまつわる数々の足跡、即ち戦争ができる国にするためにとった民主主義を踏みにじる様々な行為、全ての国民を包含する視点を持たず、反対者を敵視或いは嘲笑し虐げる態度、オリンピック招致のため世界に向けてついた原発放射能事故に関する大嘘、政権にとって都合の悪い議事録の偽造や廃棄による証拠隠滅、「桜を見る会」に象徴されるネポティズム・・・といった数えきれないほどの事柄がまさしく長州由来の手法であることに気づきます。「やっぱりそうだったか」とあらゆることが、或る意味きれいすぎるほどきれいに腑に落ちました。

 しかしもちろん、どこの出身であろうと、どんな出自であろうと、個人の在り方はその人自身が決めるもの、地域を先入観で見るつもりはありません。しばらく考えながら過ごすうち、心に確固たる強さで湧き上がってきたのは、「正しく生きなきゃいけないな」という思いでした。損をしてもいい、世渡り下手でいい、何か怪しいと感じるような汚れた行為に手を染めたくない、とつくづく思ったことでした。正しさの基準を持たない利己心は結局自分をも国をも滅ぼすからです。その場その場で好機を逃さずうまく対処したつもりでも、そこに人間として赦されざる要素があれば、その悪行はいつまでも消えることなく、何度も何度も繰り返し自分に跳ね返ってくるのです。


2023年7月21日金曜日

「三代目の電子レンジ」

  加熱の最中、突然エラーの表示が出て、電子レンジが壊れました。ネットで調べたところによると、使用中のP社の電子レンジには構造的に問題があるらしいことを何人かの人が指摘していました。思い起せば、私と電子レンジの付き合いは1980年代後半の頃からで、それはまさしく日本の半導体産業の絶頂期、世界市場シェアの過半を占めていた頃です。私にとって初代の電子レンジは「働く女性には必需品だから」と母が買ってくれたものでした。当時まだレンジは、安月給の単身者などには贅沢品の範疇にあり、自分としてはどうしても必要とは思っていなかった覚えがあります。おぼろげな記憶では今はなき(P社の完全子会社となって消滅した)S社の製品で、とても大型で高価でした。一人で抱えて持ち上げるのは困難なほど重く引っ越しに難儀しましたが、性能は非常に良く、20年以上働いて家事を楽にしてくれました。

 このたび壊れたのは二代目で、購入したのは恐らく13~14年前です。もう少し後の比較的最近の製品を購入した人のレヴューでは、三年で壊れたという投稿もあり、それと比べれば私のはよくもったというべきなのかも知れません。

 さっそく区の粗大ごみ収集に電話し、収集日が決まりました。今度収集に出す製品は。電子レンジというものがだいぶ小ぶりにはなっている頃の製品でしたので、オーブンやグリルの十分な機能が付いても、上から見て48cm四方ほどの大きさです。しかし、「持ち上げて下に降ろす」あるいは「少し移動させる」くらいはできますが、到底階下の収集所まで運べそうにないと気づきました。たぶん管理組合で台車は借りられるでしょうが、ふと小さめのが一台あれば、現在大活躍の扇風機を載せて室内の移動が楽になると思い至り、これを機に、我が家に今までなかった台車を購入することにしました。

 レンジが壊れたのが夏でよかったと思いつつ、いよいよ三代目の検討に入りました。様々な製品を検索してみると、標準仕様や価格の変わりようには隔世の感がありました。小型化、簡略化、低価格化が進んでおり、もはや消耗品に近い値段になっていることにとにかくびっくりでした。前世紀末以降、パラダイムシフトを読めず、成功体験にこだわってなすすべなく完敗した日本の半導体産業を痛々しく思い返し、世界はここまで変化したのかと、良くも悪くもため息が出ました。日本人の目から見てどれほど良い製品でも、世界で爆発的に売れるイノベーションを起こせなければ生き残れない時代になったのです。いずれにしても半導体集積回路を製造する企業が大企業の下請け的位置に置かれている限りは日本に勝機はない、これは日本企業の構造的な問題です。

 とはいえ、私はもう見る影もない感じの日本製品の中から、後発の日本の企業のものを選びました。日本の企業で頑張って働いている方々を応援する以外、私にできることはありません。今回初めてA社の製品を注文しました。処分するものよりさらに「一回り小型になっている上に、オーブン・グリル機能付きで値段は四分の一」という驚愕の実態。これでは儲けはでないでしょう。グローバル化が必然的にデフレをつくり出していくのもむべなるかなです。消費者にとっては有難いことと言うべきなのでしょうが、このままでいいとも思えません。

 昨日製品が届き、汗だくになりながらアース線等設置を完了。小さすぎずちょうどよい大きさで、取扱説明書を片手に実物の使い方をチェックすると、必要にして十分な機能を備えていることが分かりました。さっそくレンジの温め機能を試したり、オーブン・グリル機能を使用する準備として空焚きしたりしました。届いた製品の仕様書によると、消費電力は以前のものの64%ほどになっています。う~ん、これはすごい。今はとにかく、この信じがたいコスト・パフォーマンスの製品を試してみるしかありません。


2023年7月17日月曜日

「床下貯蔵庫から梅」

  発端は帰省した時に台所で極めて古臭い茶色の壺を見つけたことでした。「これどうしたの?」と兄に聞くと「梅干し漬けてる」とのこと。どういう気まぐれで始めたのか、冷蔵庫には作りかけの梅酒の瓶もありました。「これ、どこにあったの?」と見慣れない壺を指すと、「床下収納庫」と言う。ハッっとしました。実家の片づけは一度手をつけて以来もう諦めているものの、それぞれの部屋の収納スペースにどんな物があるかは把握しているつもりだったのです。でも床下収納庫は盲点でした。

 早速開けてみようとしましたが、金属の取っ手部分が錆でなかなか開かず、兄は「開けるの結構大変だった」と呑気なことを言いつつ、壺を取り出した後そのままにしたらしい。こういう時はクレ556に限る。油を差して木槌でトントン叩くうち、蓋が開きました。中には神代のものと思しき保存食糧(どろどろになった果実漬け、梅干し類、薄茶色に変色した未開封の白ワイン類、完全に茶色い油と化した未開封のマヨネーズ、いつからあるのか分からない穀物類など)がわんさか出てきました。父が果実や梅干しを漬けてたはずはないから、あれは母の手によるもの、つまり21年物でした。或る程度密閉されていたためか穀物類に虫が湧いているようなことはなかったのがせめてもの幸いでした。それなりの量があるので都会ではこういったものの処分は大変ですが、田舎では中身を裏の畑に埋めるだけで自然に返せるので、とても楽で助かりました。それから、場所塞ぎのためそこに保管されていたと思われる梅シロップを作るガラスの瓶とか麦茶を作る保存容器とかをきれいに洗い、収納庫にすっぽり収まる大きな収納ボックス2つも取り出して水洗いしました。これは人が入れるほどのサイズで2つを取り出して床下を覗き込むと、そこはまさしくただの土、屈めば家の床下全体を這い回れそうでした。何も居なさそうでしたが不気味なのですぐに収納ボックスを戻し、蓋をしました。推理小説の読み過ぎのせいで、「床下に死体や盗品を埋める」という場面を思い出し、これまで分からなかった状況が瞬時に理解できました。ともかくも一日がかりで床下貯蔵庫を掃除できてすっきりしました。

 翌日農産物直売所に行くと、完熟の梅と氷砂糖があつらえたように置いてありました。今年はもう終わっただろうと思っていたのに「まだあった」と喜び勇んで即購入。梅を洗い、竹串でヘタを取り、殺菌・除菌したガラス容器に梅と氷砂糖を交互に入れて層にし、あとは待つだけ、梅シロップ漬けが完了です。兄を梅マスターに指名し、「2週間ほどで氷砂糖が溶けるはずだから、冷蔵庫に入れて!」と、私が去った後の処理を頼みました。美味しくできるかな~。これは次回の帰省が楽しみです。


2023年7月10日月曜日

「デジタル迷惑撃退の日々」

  先日朝5時のラジオを聞いていたら、7月からお中元の配送が始まるそうで、「荷物が多すぎてまだ積み込みが終わらない。いったいいつ出発できるんだろう」との配送員の投稿が読まれました。お中元とは無縁な私は、そのために宅配業者の手を煩わせることはないのですが、「あ、まずいな」と思ったのは、ちょうど無添加の食器洗い液体せっけんの注文時期だったからです。仕方なく某通販サイトを開いて注文しようとしたところ、どうも自分がいつの間にか「プライム体験」とやらに入っていることに気づきました。前に一度気づかずにプライム会員にされてしまい、料金を取られたことを腹立たしく思い出しました。

 今回は一カ月のお試し期間中に気づけて「会員情報を更新し、プライムをキャンセルする」ことができましたが、「プライム会員資格を終了し、特典の利用を止める」に至るまで、私のような気弱な人間は大変な精神的苦痛を強いられました。「やめたい」と言っているのに少なくとも三度「会員資格を継続する」というボタンが並んで登場し、ほとんど脅迫的な力で「どうあってもやめさせないぞ」との意思が伝わってくるようでした。

 しかしこれは逆効果、このような企業精神に基づく商売自体、まっとうな利用者の信頼を失わせるものです。そもそも本人が自覚することなく、即ち「お試し体験に登録します」のボタンを押すことなく、その回路に組み込まれ、気づかずに一カ月過ぎると自動的にプライム会員にされてしまうというのは、私の感覚からすると「詐欺」以外の何物でもありません。このやり方は、オプトアウト(利用者が不承諾の意思を示さない限り、承諾したものとみなす手法)の告知が画面のどこかに記されているにしても、一般利用者の無知(「人の良さ」とも言う)につけこんだ許しがたい手口で、本来あってはならないものではないでしょうか。確かに「プライム会員登録ありがとうございました」とのメールが来ていましたが、本人は加入した自覚が無いのですから、後で調べたら当然の如く迷惑メールに分類されていました。やめた時に「お客様のご希望により、プライムの自動更新設定を解除いたしました」とのメールが来て、やっと安堵しました。

 ところがです。改めて無添加食器洗い液体せっけんを注文しようとして気づいたのは、このプライム会員資格は自動更新設定を解除した後も月末までは保持されるらしく、一般の注文であれば2~3日後に届くところ、「即日配達」となっていました。こちらは余裕をもって注文しているので、配達は3日後で十分なのです。ただでさえ人手不足の配送業界を急がせてどうする。これは注文者の意図を無視した企業の姿勢の問題です。便利さを追求する顧客の欲望につけこんだ、このプライム会員という強引なスキームは、企業の利益だけを追求し、配送に携わる人の心身の疲労を顧みない仕掛けなのではないでしょうか。2024年以降、働き方改革(年間時間外労働時間の上限が960時間に制限される)による大幅なドライバー不足、物流の停滞が確実視されている今、これは巨視的な視点に立った人権への配慮を欠くビジネスモデルだと思います。今回の件では宅配業者さんに本当に申し訳ないことをしました。

 フィッシング対策協議会に寄せられたフィッシング報告件数 (海外含む) は2023 年2月だけで、前月より 2万件以上増加し、59,044 件とのこと、さもありなんという感じです。報告していない件数を含めたらこの数倍から十倍の被害があるはずです。私も一日の中でパソコンに向かう時、まず最初にするのはメールチェックです。迷惑メールをサクサクと処理するのです。以前はいかがわしいメールには触るのも嫌でしたが、そうすると未開封のまま溜まっていくだけでなおさら気分が悪いので闘うことにしたのです。銀行、各種カード類、JR関係、スマホ関係、心当たりのない通販等を片端から「迷惑メール」設定にしていきます。続けていると、最初は一日十数通から数十通来ていた迷惑メールが次第に一桁ほどの数になってきます。同じアドレスから送信しているものは、一度設定した後は自動で捕捉され、迷惑メールに分類されていきます。先月は1か月で905通溜まっていました。月末にフォルダごと空にして終了。

 スマホは基本使っていないので、たまに見ると、数は多くないものの、あらゆる電話番号宛てに送っているのだろうと推測される偽メール・電話の痕跡があります。電話の場合は0120や0800といったフリーダイヤルからのものもあり、即座に削除行動へ移ります。ゴミ箱にポイして「削除すると元に戻せません。削除してよろしいですか」との問いに、「望むところです」と答えてOKを押して終了です。番号非通知や発信元不明の着信は「着信拒否」の設定をしていますが、どうもフリーダイヤルからの着信を一括で着信拒否にはできないようです。きっと利用者無視の業界の取り決めなのでしょう。当初は登録番号以外は「着信拒否」にしようかとも考えましたが、そもそも非常時しか使っていないので「公衆電話」からの着信は残しておくことにしました。

 朝一番に迷惑メールの処理をすると少しの作業で悪者をやっつけた気になり、気持ちが引き締まってきます。「ぼーっとしてちゃいけない、悪者をのさばらせてはならない」と気持ちがしゃきっとする一方、「たやすい手間を駆使して悪者が跋扈する、こんな世界に誰がした」との憤りも募ってきます。こうして私は毎日、デジタル機器に伴うこの世の悪と闘っているのです。


2023年7月5日水曜日

「ジェンダーレスをめぐる混乱」

  最初にラジオのニュースで聞いて「何の話だろう」と思ったのは、首都圏の或る市の公共トイレに関する者でした。曖昧な記憶ながらその概要は、「『建設計画のある市の施設のトイレは、男性用と男女共用のトイレしかないらしい』とのうわさに市民の不安の声が寄せられているが、そのような計画はない」と市長が話したという報道でした。この時は頭に疑問符だけが浮かんでまるで不可解でしたが、後にそのようなトイレ(男性用と男女共用入口しかないトイレ)が都内某所にあることがわかりました。確かめたわけではないので男女共用の部屋の内部がどうなっているか分からないのですが、仮に内部が男性用個室、女性用個室、その他の個室(例えば車椅子でも入れる広さの個室、みんなのトイレ)、パウダールーム等があるというイメージでしょうか。このようなトイレをどう評価するかは人様々でしょう。トイレという場所柄、乳幼児を連れたお母さんがおむつを替えるスペースなどがあるのかどうか、女性が安心して使える場所かどうか、疑問を持たれる方もいるでしょう。実際、女性からの要請によりこのトイレは警備員が巡回警備しているようです。

 言うまでもなく、これはLGBTQに関する課題提起から生じている事態に違いありません。 トイレに大きなスペースを充てることができ、警備員を置く予算もあるような場合は、トイレのデザインに関して工夫のしようもありますが、普通はそうではありません。これまでの慣例とあまり摩擦を起こさずに丸く収まりそうなのは、「男性用トイレ」、「女性用トイレ」、「みんなのトイレ」の入り口を分けることではないでしょうか。あまりスペースの無い場所だからと言って「男性用トイレ」と「男女共用トイレ」の二つしか作らないと、「男女共用トイレ」を使う人はごく限られるだろうと思います。女性は安心して使えず、男性も無用な誤解を受けたくないと思うからで、お金をかけて造っても結局ここは無駄なスペースになってしまうのではないでしょうか。

 そうこうするうち今度はジェンダーレス運動会の話をニュースで聞きました。「小学校の運動会の徒競争が男女混合の組み分けになっていて、ほとんどのレースで男子が一等だった」と、釈然としない気持ちを投稿した母親の言葉がきっかけでした。「えっ、そこまでぐちゃぐちゃになってるの?」と驚きを禁じ得ませんでした。オリンピックも混合でメダルを競うのでしょうか。生物学的性sexと社会的・文化的性genderを分けて考えないと、とんでもないことになるという好例でしょう。

 もっと驚いたことがあります。ラジオ番組の中で或る作家が話すのを聞いていたところ、「画一性へ向かう圧力がいかに人を苦しめるか」と「多様性を尊重する社会がいかに必要か」という趣旨の主張をしていました。それ自体は別段良いのですが、どうも本当に言いたかったのはジェンダーレストイレについてのようでした。話の最初に「ジェンダーレストイレに反対すること自体が画一性に侵された思考であること」、話の最後に「ジェンダーレストイレは多様性が目に見える形で実現したもの」という趣旨の発言があったのです。「えーっ」と思わずのけぞりました。「〇〇に反対すること自体が××に侵された思考である」という言い方は、およそ何にでも当てはまる決め台詞で、相手の自由な思考や反論を封殺する手段です。議論の大前提として、寅さんでなくとも「それを言っちゃあ、おしまいよ」と言える言葉で、言論人が言ってはいけないのではないでしょうか。この方の話の中で、ジェンダーレストイレに関する分析はほぼ皆無で、なぜそれが多様性の象徴となり得るのかについての論理的つながりも理解できませんでした。「言論的にはテロだな~」と思いつつ、言論人には事実に即した丁寧な解きほぐしをお願いしたいものだと感じました。

 このようににわかに沸き起こったジェンダーレスにまつわる課題は混迷を極めています。トイレに関して、皆が納得できる落としどころを見つけられるようにと私が願うのは、日本では特に平等・公平を意識するからです。震災時に被災地に送られた毛布の数が足らず、全員に配れないと不公平になるという理由で手つかずになったというようなこと(この場合で言うとトイレ自体が全面廃止とか)が起きないよう、皆で知恵を絞ってほしいものです。お役所的な決定はとかく男性だけでなされることが多いようですが、このような繊細で微妙な案件は男性・女性・LGBTQの三者が顔を合わせて話し合うべきものと考えます。


2023年6月30日金曜日

「徳富蘇峰について」

  日本史リブレットの『徳富蘇峰』をいただき読んでみました。といっても活字の本はもうプリンターの助けなしに読めないため、読むのに非常に時間がかかりました。それだけでなく、恐らく若い方を読者層として想定しているせいか、固有名詞以外にも丁寧にルビが振られており、正確に読み取ることが困難でした。したがって、およその概要が分かっただけの状態ですが、読後感を残しておきたいと思います。恥ずかしながら、これを読むまで徳富蘇峰は名前しか知らない人物でした。


  本書は明治から大正、昭和にかけて、日本の知識層出身の青年が、言論を用いて国民あるいは政治家に働きかけることにより、苛酷さを増す非情な世界情勢の中で、いかに日本という国を導こうとしたかの丹念な研究の成果である。この記録を通して、我々は明治維新直前に生まれた肥後の早熟な少年がやがて新聞社を創立して四十年間記事を書き続けた歩みを知ることになる。その姿は「日本の生める最大の新聞記者」との評価に値するものであるが、政界に近づき直接影響を与える欲求を満たす道を辿るうち、「平民主義」「平和主義」から「帝国主義」「皇室中心主義」へと転じた点は記者としての分水嶺だったと言わざるを得ない。

 本書は偏りない視点から徳富蘇峰という人物の生涯を紹介し、明治以降の歴史を考える手立てを与えてくれる。蘇峰にまつわる豊富な資料がまとめられ、先行研究にも触れられているため。これから研究者を目指す方々にとってお手本となる研究書である。以下、読後感を思いついた順に述べたい。


 この本を読んで真っ先に思ったのは、この時代に起きた情報革命はインターネット革命の小型版だということである。現在のネット上でのページビューの盛衰、炎上と著者叩き、あるいはインフルエンサーへの敬慕と押し活など、読者の対応は変わらない。ただ、現在は誰もがほぼ無料で出版社を持っているようなものであるのに対し、当時はそれが主として知識階級のみに与えられていた特権だったということである。


 第二に、徳富蘇峰という人について思うのは、この人が幼少期に子供らしい遊びをし、十代から二十代のうちに西洋に渡航できていたなら、その生涯は幾分違うものになっていたのではないかということである。例えば、若いうちに英国のgentry階級の家を訪問したり滞在したりするようなことがあれば、13世紀からparliamentを持つ英国の政治的末端機構を担う彼らの実態や英国の地方富裕層がいかに分厚いかを肌で感じたであろうから、恐らく英国の地方gentry層から日本の田舎紳士を想起するという夜郎自大的な夢想はしなかっただろうと思う。


 第三に、どうも私は徳富蘇峰という人をうまく理解できないのだが、何度か読むうちカフカがグレゴール・ザムザという人物を創出したわけが分かったような気がした。彼は異形のものになっても、戸惑いこそすれあまり驚いていない。普段の生活のこまごまとした事柄を煩い、「面倒なことになった」としか感じないその姿を、まさに現代人としてカフカは喝破した。無論周囲に波紋は生じるが、どんなことにも人は慣れ、何事もなかったかのように日々の生活は続く。

 蘇峰は『新日本之青年』の中で、「平民社会」への「改革」を先導するのは「明治の青年」(明治の年号とともに成長した世代)であって「天保の老人」(主として伊藤博文や福沢諭吉を念頭に置いている)ではないと宣言しているが、天保の老人たち(他に新島襄やもっと古い文政生まれの勝海舟、西郷隆盛までもこの範疇に包含すると考えたい)には感じる哲学を、この明治の青年に感じないのは、きっとこの人が現代人だからだろう。


 第四は言論と政治という容易に片付かない関係についてである。新聞や雑誌が言論によって政治を動かそうとする手段だとするなら、徐々に効果を発揮して国家の基盤を足元から変えていく可能性があるが、時代が切羽詰まって来るとそんな悠長なことはして折れなくなり、やがては政府の意向を酌んで紙面を作成できる媒体しか生き残れなくなる。言論人がその世界で生きていこうとする限り、出処進退を迫られるのは当然の成り行きである。

 漢籍にも洋学にも通じていた蘇峰がしたかったのは、言論界を先導し国益をかなえることである。蘇峰は平民を動かす迂遠な道より、手っ取り早く直接政治家に対して影響を発揮できる地位に就くことを選んだ。ただ、言論人としての立場は手放さなかったため、本人の自覚の有無に関わらず、両者の折り合いを付けて乗りこなすのに苦慮したように見える。

 政治、特に外交に関しては生真面目な正攻法は通用しない。19世紀の英国外相カニングから「文明世界最悪の嘘つき」呼ばわりされたメッテルニヒでも、老獪なタレイランにはシャッポを脱ぐしかなかった。刻々変わる情勢の中で国益実現のため「約束が守れないのは状況の変化のせい」と言い捨てて恥じない外交官でも、「言葉は嘘をつくためにある」と言い切る胆力を秘めながら、実際には膨大な情報を分析し、重要な事実だけを突きつけてくる相手には敵わない。このような手法の前では、不本意ながら相手に有利な結論に辿り着かざるを得ない自分に呆然とすることになる。

 いずれにしても、「言葉は人を動かすためにある」という確信をもつ西洋の言語は、情感を重んじる日本語とはねじれの関係にある。正式文書は別として、日本の書き言葉の原型となった和漢混交文はとりあえず『徒然草』以来の歴史があるのだから、「やまとうたは、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける」という情緒的土壌の上に立つ。日本語において表現者は真摯さを言葉に込めて、最大限の敬意を払うのである。明治期以降に生じたのは源流の異なる言葉の在り方の衝突だから、個人が前線で尽力してもどうにもならない解決困難な事態である。だから蘇峰に関しては、インフルエンサーとして振る舞い相手をうまく使おうとして、結局のところ、相手に使われてしまったのでなければよいがとの感が拭えない。


 第五は、現在でもそうであるが、世界の時勢が急速に変化する時に対応するのはどれほど大変だったことかという同情と、時流に合わせず敢えて速度を遅らせることができなかったかという無念さである。政治に関わるものは一にも二にも粘り強さが必要なのではないか。と思ったのは、G7広島サミットのせいかもしれない。政治にほぼ関心のない私が、最終日の閉会後に行われた首相の話を思わず聞いてしまったのは、それが広島出身の首相でなければできない語りでなされていたからである。外務大臣時代にオバマ大統領の広島訪問を実現させたことといい、今回の原爆資料館への各国首脳の訪問を実現させたことといい、「広島の平和教育」を受けて成長した子供はこういう大人になるのかと感銘を受けた。こういう問題に即効性のある解決はないのだから、特に外交問題に関しては、現実を理想に近づけることを諦めない粘り強さが何より求められる。


 以上、徳富蘇峰という人物伝から考えたことを自由に書きました。いつもながら、「そういうことか」と納得したのはきっと自分だけだろうな。それにしても登場する歴史上の人物について私はほぼ名前しか知らないことがよく分かりました。


2023年6月24日土曜日

「血圧計と体重計の夏」

 暑くなってきたせいもあるのだろう、だるい日が続いています。先日の通院で聞かれた時にはそのことを控えめに話しました。控えめに言ったのは、治る病ではないのだからこれ以上薬を増やされては困るとおもったからです。同系統で別の病を発症した或る作家が、「最初の頃は一日中寝ていた」と書いていたから、だるいのはもう仕方のないことなのです。このところ検査のデータはあまりよくなく、またここ数カ月「脱水気味」とのこと。「自分では気を付けているつもりなのですが・・・」と答えると、「お年を召した方は皆そうおっしゃいます」と笑顔で返されました。くっ。そのうち「血圧を計ってみましょう」ということになり、案の定高めの数値。次回は家で計った平均を申し出ることになりました。「また面倒なことを・・・」と思ったのは、何があっても降圧剤は飲まないと決めているからです。ともかくも帰宅した時にはどっと疲れが出ました。

 数日後、血圧計とついでに体重計をネットで探してみると、こういった機器はもはや実家にある何十年も前のアナログ製品とは別物だと分かりました。早速購入して血圧測定。スイッチを入れるだけで自動測定してくれる手軽さで、腕を変えたり時間を変えたり様々な体調の時に測定しているうち、血圧を計るのが楽しくさえなりました。家で計ると全く問題ない正常値、病院で計った時より上も下も20くらい低いので、一瞬「ほんとかな」と思ったものの、オムロンだから信頼しています。

 体重計は超薄型でスタイリッシュといっていい見た目、かつ乗るだけで自動測定のデジタル数値がバックライトの見やすい画面で表示されます。体重は一日の中でそう変化しませんが、これも測定が楽しみになりました。今は人生最軽量タイの数値を示していますが、歳をとると身体の全てが縮んでいくような気がするので、決して不健康なことではなく、これでいいのだと思います。体脂肪等の表示が出る製品もありますが、お年を召した方にはシンプルなのが一番です。

 血圧計の購入にあたって読んだレヴューの中で、「良い製品ですが不要になりました。測定しても治るわけではないから」という意見があり、これはこれで一理あります。また、お医者さんの中にもこういった測定は一切しないという方もいるようです。私の場合、まあ今回はきっかけがあったので、定期的に測定して記録しておくのもいいかなと思いました。自分の身体なのですから数値をどう考えるかは自分次第です。数値に振り回されず、参考として頭の片隅に置いておくくらいがちょうどいいのではないでしょうか。

 あとは脱水対策。何かで「一日2リットルの水を飲め」と言っていましたが本当でしょうか。それはいくらなんでも無理そう。ずっと前に嘔吐の発作を頻発していた頃、脱水状態で入院した前科があるので、対処法は身に付いています。水や麦茶もたくさん摂りますが、夏は強い味方・スイカがあります。スイカだけ食べて生き延びた夏もあったっけ。中玉一個をえっちらおっちら運んできて冷蔵庫に格納、好きなだけ食べています。でも、さすがに中玉、なかなかなくならない。一週間で食べきれるかどうか。


2023年6月19日月曜日

「年寄りはなぜやることが遅いのか」

  私がしている月に一度の帰省は傍目には何でもないことのように見えるかもしれません。新幹線の乗車時間は1時間半ですから、そのくらいの移動を毎日している勤め人はいくらもいることでしょう。実際、働いていた頃、入院した父の見舞いで毎週の帰省を半年続けたこともありました。金曜の夕方、終業後に新幹線に飛び乗り、翌日に父を見舞い、日曜に自宅に戻るということを続けられた時期があったとは、今では信じられないくらいです。私の帰省の現況をケーススタディとして、「年寄りはなぜやることが遅いのか」について考えてみました。


<帰省するまでの現況>

 現在帰省の準備は、ネットスーパーの受付が始まる前々日の夕方から始まります。また、なるべく出発までに自宅の冷蔵庫の中のものを減らして空に近づけますが、余ってしまったものは冷凍、冷凍できないものは持参するためまとめておきます。それから、早い時刻の新幹線を一応確認し、兄に帰省日と時刻を知らせて駅までの迎えを頼みます。ここまでが前々日にすることです。

 前日には荷造りをします。帰省先にあると便利だと思うものは日頃から旅行バッグに補織り込んでおきます。また、それがないと身動きできなくなるという意味で私にとっての貴重品、眼鏡や薬、パソコンの記憶媒体、小型ラジオ、バックライトの腕時計、普段は使っていないスマホ等を忘れずに準備します。前日は、普段かけない目覚ましを、かなり早朝(出発の1時間半前)にセットして寝ます。

 これでようやく当日を迎えます。当日は食事をしっかりとり、幾分かの水分と食料を携帯します。


1. 年寄りは長大な段取りを考える

  なぜ前々日から準備が必要なのか、そもそも食料の宅配は必須なのかと言えば、天候や体調等の理由で、買い物に行けるとは限らないためであり、前日の注文では既に宅配予定が埋まって注文停止になることがあるからです。

  なぜ早い時間帯の列車に乗るのか、午前の遅い時間帯なら空いていて体も楽ではないかと言われるなら、事故や地震が起きると列車は数時間止まり、遅れはどんどん波及するため、早い時刻の方がトラブルは少ないからです。

  1時間半も前に起きる必要があるのか、食事は待ち時間や新幹線内でも取れるのではと言われれば、外では何が起こるかわからない、最近は列車に何時間も閉じ込められるケースもよく報道されるので、備えておくに若くはないというほかありません。

  このように起こり得るリスクや考えられる不都合な事態を避けようと先々まで考えてしまうため、段取りが非常に長くなります。非常時にパッパと動けた若い時と違い、年寄りは普段と違う事態に立ち至ると自分が呆然と佇んでしまうであろうことを自覚しているので、考え過ぎと思われるほど過剰にリスク回避に努めます。


2.年寄りは一度の稼働時間が短い

  帰省するまでの手順を読んで、随分こまごました事項をちまちまとやっているなという印象を抱いたことと思います。若い方は「これ全部、三十分あればササッとできるでしょ」と不思議に思われることでしょう。私も以前はそう思っていました。「歳をとるとはどういうことか」は実際にそうならないとわからないものです。

  歳を取ってからの健康状態や体力は個人差が大きいものですが、やはり誰しも四十歳を過ぎる頃から疲れやすくなるということに同意なさるのではないでしょうか。生物において染色体のテロメアの長さはほぼ寿命に比例するとのことですが、唯一の例外が人間で、本来なら人間の寿命は38歳くらいと聞いた覚えがあります。この仮説の正しさはともかく、体感的には納得です。若い時と一番違うと私が感じるのは集中力で、とにかくすぐ疲れてこれが続かない。仕事は途切れ途切れになるだけでなく、時には段取りを考えるだけで疲れてしまうこともあります。また年寄りは何かしら病を抱えているのが普通で、休み休みしないと後で体調を崩すことが経験的にわかっています。若い時は勢いで一気に片付けられたのに、歳をとると小さなタスクを積み重ねて目標を遂げるしかありません。同じことをするにしても、休憩時間の分だけ倍以上に時間がかかるのです。


3.年寄りは自分のやり方にこだわる

  年寄りの生活は習慣に従うことにより形成され、精神的安定も得られます。つるかめ算で答えを導き出していた小学生が連立方程式を使って解を出せるようになると、「何と明快でスマートなのだろう」と思うものです。しかし、新しいものをうまく受け付けられなくなるとしたら、連立方程式を使うことをためらい、つるかめ算を使い続けるでしょう。現代のICT機器の発展は多方面に著しく、しかも急速に入れ替わりつつ進歩しているので、年寄りの多くはその速さについていけず、従ってどれほどの利便性を発揮するものなのか理解できずに日々が過ぎていくのです。私も今のところはネットスーパーでの注文ができていますが、視力の問題もあり、ウェブ上のテンプレートが改訂されて使い勝手が悪くなったりすると、「せっかく慣れてきたのに」と腹立たしく思うことになります。

  また、ICT機器を使う方向で進んだ場合のリスクや人間へのデメリットをあれこれ考えてしまうと、無邪気にその便利さを享受する気になれないという側面もあります。こうして、新しいものに柔軟に対処できればやることが比べ物にならぬほど速く進むのを知りながら、諦観とともに敢えて流れに乗らずにいるという場合も相当数あるでしょう。

  移動に伴う無駄は或る程度しかたないと頭では分かっているのですが、もったいない精神が抜けず、捨てられない人もいます。また、移動先では調理手段や調理器具が異なる場合、いつもの慣れた仕方で行うために、たとえバッグが重くなっても、自宅から便利グッズを持ち運んでしまうのが年寄りなのです。


 これが、傍から見ると、「何をしているのか分からない」、「やる気(仕事を進める気)があるとは思えない」、「ことさら不便な方法を選んでいる」としか思えない年寄りの実態です。本人の中では整合性が取れている「これしかないやり方」なので、他の方法や手順を勧めても無駄なのです。


2023年6月13日火曜日

「睡眠の個人史」

  食事や栄養よりはるかに地味な話題ですが、私が人の話を興味深く聞くのは睡眠についてです。眠りは来てほしい時には来ず、望まない時に来て抗いがたいこの欲望、4時間寝れば十分という人もいれば、8時間は寝る人、一日中眠い人がおり、歳とともに早寝早起きになるかと思えば、相変わらず夜型の人もいる・・・と、個人差の幅が大きく包括的説明に窮する生理現象です。個人の睡眠問題には役に立たないかもしれませんが、これこそ丹念に経過観察してビッグデータを集め、解析してほしいものです。

 睡眠を左右する要素としては、疲労の程度、外的環境(明るさ、気温・湿度、気象、環境音など)、年齢による身体状態などが考えられますが、いくつかのパターンが遺伝子的に決まっているということもあり得ます。そういった研究は既になされていることでしょうが、まだ明快な研究結果を聞いた覚えがありません。個々人が自分の身体を材料に考える余地はあります。私の場合、早起きが進んで四時起き、三時起きとなった時には「いよいよ年配者の仲間入り」と思いましたが、最近は早寝がさらに亢進しているためか、夜中に目覚めてしまうので、ラジオを聞いたり耳読書したりして過ごし、結局二度寝になり起きるのは六時近くです。気を付けているのは無理せず自然に任せること、今の睡眠習慣もそのうち変わる気がします。先日はめったに見ない夢まで見てしまいました。

 寝ていたら顔の辺りでむくむくするのがいる。りくが寝ていた。「なんだ、りー、ここで寝てたの?」と声掛けし、再び寝ようとして、「あれっ、りくは死んだんじゃなかったっけ」と思い、揺り動かすが、りくはムニャムニャ言いながら寝ている。「りー居たんだ」と安心し、お父さんに知らせておこうっと襖を開けると、父ではなく母が寝ていた。「お母さん、りーいたよ」と告げると、「それはいるでしょ」との返事。「お母さん知ってたのか」と、自分の寝床に戻って寝直したが、そのうち「お母さんはりくを知らないんじゃなかったっけ」と思い直し、「なんかへんだな~」と思ったところでさすがに目が覚めた。

 この夢に出て来たのは皆この世にはいない者たちです。りくを飼い始めたのは母の死の四年後であり、りくがこの世を去ったのは父の死の八年後だという点で、時間の観念がぐちゃぐちゃなのですが、それに時々気づきながらも自分の中で話は一貫しているのです。おかしな夢でしたが、「夢で会うのもいいもんだな」と、悪い気はしませんでした。昔から睡眠にまつわる一連のことは示唆的なもの、考えるところ大です。


2023年6月6日火曜日

「境界線の内と外」

  ラジオで立て続けに気になるニュースを三件聞きました。どれも日本独特の社会・経済構造にコロナ後の世界経済の影響が絡んだ事象なのですが、それは①「昼食に買ったサンドイッチと飲み物が日本円にして1700円ほどし、私の財布も痛みます」という、英国からのリポート、②「半導体が入手しにくいため、無記名スイカの発売を一時停止している」というJR東日本の発表、③空港職員の人員不足により、飛行機の発着を受け付けられない事態が生じているという航空業界からの報道でした。

 ①に関しては、人々のデモや若手医師らのストライキも起きていて、なかなか止まらないインフレの状況を伝えていました。アメリカも似たような状況にあり、世界各地をインフレが襲っているのは確かです。しかしこれに関しては世界のインフレもさることながら、四半世紀続いたデフレにより、いわゆる「安い日本」が出現したことに根本原因があるように思います。もちろん世界経済の流入により日本でも商品価格の値上がりが顕著です。今年の「わたしの川柳」(以前は「サラリーマン川柳」と呼んでいた)第1位は、「また値上げ 節約生活 もう音上げ」という句で、物価上昇は庶民の一大関心事です。

 ②に関しては、コロナ後も回復しない明らかな供給不足、③に関しては、コロナ後の人々の労働及び生活スタイルの変化によるものでしょう。

 アメリカの中央銀行が何度も利上げをしてインフレを止めようと試みて結果が出ないのは、今起きていることが需要過多に基づくものではなく供給不足に基づくものだからです。コロナ期間中に「今までの働き方って何だったんだろう」と疑問を持った人々は、もはや前の職場に戻っていないのです。スイスのIT企業で働いていた人が、IT技術を生かしながらチーズ作りをすることにしたという話も聞きました。これまでのグローバル資本の労働市場にいた人が別の場所での労働へシフトし、人が減ったので賃金は上げざるを得ない。それでも思うように人が集まらずに供給不足が起きているのですから、このインフレは当分収まらないかも知れません。インフレは通貨の供給量が多すぎて起こる現象なのですから、まず、過剰に流通している米ドルを回収して減らすことが必要なのではないでしょうか。

 日本はデフレを抱え込んだ中での世界経済の流入によるインフレですから、もっと大変です。おまけに国の財政には膨大な債務超過が積み上がっており、中央銀行が国債を買い支えているため利上げはできない。解決方法はあるのでしょうか。それとも、やはり国家財政のクラッシュは避けられないのでしょうか。たとえそうでも、老い先短い者は今更ジタバタする気力も体力もありません「その時こそは『ヨブ記』が真に理解できるのかもな」と思うくらいです。

 しかし冷静に考えてみると、あくまで今のところですが、日本でサンドイッチと飲み物の昼食であれば、先ほどの英国での報道に比べ、4分の1から3分の1の値段で調達できますし、また、よく言われる玉子の値上がりにしても、私がよく買う6個入りは130円から190円になった程度で、今までが安すぎたのです。雌鶏さんも一個産むのに22円ではやってられなかったでしょう、すまなかった。また、物価高のせいか百円ショップ(最近はもう少しグレードアップした価格の品揃えも強化している)が大盛況ですが、行くたびに「どうしてこれが百円でできるんだろう」と不思議な思いで頭がクラクラします。一時期目に見えて高騰した電気代も政府の補助により、家庭用の出費に関しては以前の水準に戻っています。

 これらは全て国境線のこちら側の出来事です。何もない所に線を引くと、こちら側と向こう側の区別が出現し、水位差が生まれます。向こう側の物を手に入れたいと思った時は、この落差を計算に入れねばならず、現在のようにこれまで同額の円で3個買えていた物が2個しか買えなくなるということが生じます。この水位差は無限と言っていいほどの理由で絶えず変化する複雑系で、五年先、十年先どころか、それこそ一寸先を予測するのも難しそうです。四年前までは新型感染症に襲われた世界を誰も想像できなかったのですから、それ以前の枠組みがずっと続くつもりで適切なリスクヘッジをせずに人生設計をすると、想定外の事態に見舞われることになるでしょう。海外赴任者や海外移住者のうち国境のこちら側の制度に経済的基盤を置いている人には大変な時代になるかもしれません。

 日本もいつ円安が亢進し、超インフレが起こるか分かりません。諸外国からは、日本は相当のんびりした国、比喩的に言えば、(私は経験ないけど)竹で編んだ買い物籠を持ち、水を張った鍋でお豆腐を持ち帰っていた時代(あの頃は本当にエコでした)にいるように見えるかもしれません。世界のデジタル化からも遠く遅れており、まだ伝書鳩を飛ばしている状態でしょう。とてもマイナンバーを導入できる状況ではなく、様々な失態が明らかになるたび不安しかありません。

 5月31日の朝6時半にJアラートが鳴り、物々しい緊張感が漂いましたが、正直に言って私がまず思ったのは、「えっ、ラジオ体操の時間はどうなるの?」でした。最近は緊急地震速報もよく流れる(先日の台風では河川氾濫警報も鳴った。アラート多すぎません?)せいで慣れがあるのか、このような平和ボケ症状が出ているのでしょう。同じ惑星に住んでいる以上、理解を絶する多様な国々と付き合っていかねばならないのは分かりますが、攻撃的な隣国には「無意味なことはおやめなさい」と言うしかなく、脅かされる環境に強硬論で応じてもいいことは何もないだろうと思います。

 経済大国を実現した自負のある方々が、若者にも同様の頑張りを求め、世界における日本の地位を保ちたい気持ちは分かりますが、皆が世界を股にかけて飛び回り、世界のどこでも稼いで生活できる人にならなければならないという理由はありません。今の生活レベルを保ったまま、日本に住んでいたいというのは随分と虫のいい願いではないでしょうか。スズメ目に属するメグロという鳥はどこかから飛んできたことが確実とのことですが、今では小笠原諸島の母島、向島、姉島にしか生息していません。飛ぶ力はあっても天敵のいない今の生息地が気に入って移動せず、小笠原諸島の固有種となっているのです。鳥でさえそうなのですから、世界に一つくらい金持ちでもない一般人が鼓腹撃壌状態で過ごせる場所があってもいいはず、誰に言うわけでもありませんが、「この場所をそっとしておいていただけないか」と願うものです。

 いずれにしても、日本はこれから徐々に未曽有の労働力不足、大幅な物不足に見舞われ、質素な生活に回帰せざるを得なくなるでしょうが、いつまでも争いごとを好まない平和な国であってほしいと思っています。グローバリズムに侵された人々から見てあまり魅力のない、穏やかで平和な島国として静かに命脈を保っていれば、また浮上する機会も訪れるでしょう。「そのうちなんとかなるだろう」と言うのはあまりに無責任すぎるでしょうか。歴史上外国に滅ぼされた平和な国はたくさんありましたが、今はその残虐性が膨大な数の映像と共に瞬時に世界に拡散される点が昔と違っています。古来から世界地図に存在した歴史ある国、多くの後悔を抱えながらも現代の世界に一定の地歩を築き、公平に見て少しは世界に貢献した跡を残す国が、その滅亡を止められないとしたら、それはよほど世界に嫌われていたということに他なりません。

 私はラジオ生活になってから、アナウンサーの絶妙な言葉遣いやリスナーの何気ない日常目線からの発言に穏やかな気持ちでいられることが多くなりました。或る種暴力的力を孕む「映像」が無いせいも大きいでしょう。リスナーの言葉で、時々耳にするが始めは意味が分からなかった、「ラジオと共に生きていきます」という言葉が私にもしっくりくるようになりました。気の重い数々の困難を抱えながらも、平和のうちに踏みとどまろうとするこの国の人間としては、「一度こちら側を体験してみませんか」と言いたい気分です。


2023年5月30日火曜日

「空白を埋める気晴らし」

  先日、湾岸地区をバスで訪れる機会がありました。考えてみればほとんど十年ぶりに近く、私が知っている風景とは様変わりしていました。これを「未来都市みたいできれい」と感じる方もいることでしょうが、タワーマンション群を遠くに近くに見ながらバスに揺られていたら、何だか気持ちが悪くなりました。林立するバベルの塔が空間という空間を埋め尽くしてゆき、恐らくこれは海の埋め立てが可能である限り、終わるということはないのでしょう。

 この姿は資本主義の目に見える成れの果てですが、そもそもそれがどこから来ているかと言えば、人間の自我の肥大化、欲望の膨張というほかないだろうと思います。近現代史というのは抑圧された自我の会報の歴史です。家族・親族という自我にとっての強力な抑圧体と村社会の掟という絶対的支配から放逐されれば即座に死ぬほかなかった時代から、次第に緩んでいく拘束帯を解いて自由な暮らしへと人々が抜けていったのは、ひとえに自我の欲求の無さシムるところです。皆が「干渉されずに自由に生きたい」と願ったから、今このような社会になったのです。

 自分の欲望を一つ一つかなえて、これ以上なく膨張してしまった自我はあらゆる空間、あらゆる時間を自分好みに埋め尽くそうとします。ふと、「そういう自分とは何者だろう」などと疑問を持ってはいけません。それはぽっかりと口を開けた虚無、完全な空虚でしかないからです。そんな深淵を見つめたら人は狂ってしまいます。

 以前、思春期の子供を持つ親御さんが、「部活動でもアイドルの追っかけ(今は「推し活」と言うらしい)でもいいから、とにかく夢中になれることを見つけさせて、この難しい時期を乗り越えさせたい」と言っているのを聞いたことがあります。そのためにどれほどお金がかかろうと、グレて不良化したり、いじめの対象となったりすること、あるいは引きこもってしまい、人生に悩んで自傷行為に走ってしまうことだけは避けたいとの一心のようです。

 また、老後に関する話には、判で押したように「『きょういく』と『きょうよう』を持ちましょう」というフレーズが出て来て、「『今日行く』所がある」、「『今日用』(事)がある」ことがいかに大事で、それを無理やりにでも作らないと、認知症になったり早死にしたりするリスクが高くなるといった恐~い戒めが続きます。この年代になっても、老いや必ず迎える死について考えるより、毎日目の前に広がる膨大な時間を何らかの気晴らしで埋めていくことが求められるのです。

 こんな世の中に暮らしていると、ふとした時に昔の哲学者の言葉がとんでもなく胸に沁みてきます。パスカルは、「人間は自分が悲惨であることを知っている点で偉大である」と言った後に、 「われわれの悲惨を和らげてくれる唯一のものは気晴らしである。しかしそれこそがわれわれの悲惨の最たるものである。なぜならこれこそが、われわれが自分について考えることを妨げ、われわれを知らず知らずのうちに滅ぼしてしまうからだ」と述べています。

 立ち止まって考えると、これほど当を得た言葉はないでしょう。確かに、物事をあまりに突き詰めすぎて「自分には価値がない」などと思ってしまうと、心身が重大な危険にさらされる可能性があるので、「気晴らしも必要だわな」と思いますが、それに終始してしまうなら心のどこかで虚しさが消えないのではないでしょうか。パスカルは科学者でもありますが、それにもかかわらず、「できれば神無しで済まそうとするデカルトを私は赦すことができない」といった趣旨のことも言っており、科学が完全に宗教を凌駕したかに見える現代でこそ、その言葉が重みを増すのだと感じます。パスカルは、我々が滅びに至るのを回避するには、どこか本当に深い心の深淵で神に出会うしかないことを示し、その深淵での神との邂逅へといざなっているのです。


2023年5月24日水曜日

「G7広島サミットから」

  5月19日から3日間行われた広島サミットが21日に終わりました。気の弱い私のような国民は、「とにかく無事に終わってほしい。外国の要人には何事もなく帰国してほしい」という一心でこの期間を過ごしたのではないでしょうか。大雨や真夏のような日差しの中での警備、飛び入りしたウクライナのゼレンスキー大統領の最高次レベルの警護など、関係の方々にはただ「お疲れ様」の一言です。

 そのような状態で過ごしたため中身にはとんと疎いのですが、最終日の閉会後午後3時ごろ何気なくつけたラジオからは、岸田首相の語る声が聞こえてきました。あまりこういったものに関心がない私がなんとなくラジオを消せずに聞いてしまったのは、首相が表面だけ取り繕った言葉ではなく、自分の言葉で語っているなと感じたからです。外務大臣時代にオバマ大統領の広島訪問を実現させたことといい、今回の核兵器廃絶への確信に満ちた言及といい、「広島の平和教育ってすごいな」と思わされました。これは広島出身の首相でなければ絶対できなかったことで、子供の頃から平和教育を受けて成長するとこういう大人になるのかと妙に感銘を受けてしまいました。

 オバマ大統領の訪問の時も、「謝罪は求めない、とにかく来てほしい」という広島市民の率直な声が大統領を動かしたと言われており、たとえ不十分でも互いの在り方をよい方向に進めたいと念じた結果でした。今回の事も、これまで熱心に平和活動に取り組んできた方々が言うように、「目新しいものがない」「非核化に向けた政府の実効性のある取り組みが不十分」といった点は紛れもなくありましょう。福島原発問題の後処理が何一つ進んでいないのと同様です。しかし、戦後七十七年の平和教育の中で、広島市民は「空想と理想は違う」、「理想は決して捨てない」、「現実を理想に近づけることを諦めない」、「この問題に短兵急な解決はない」、「ゆっくりでも歩み続ける」といったマインドを血肉化させていったのではないかと思わされました。気が短く、何でも早急な解決を求める現代人に、久々に考えを改めさせる手がかりを与えてくれた気がします。


2023年5月21日日曜日

「ちょうどよい街」

 選挙はいつも早めに不在者投票をすることにしている私は、先日、買い物がてらモールに行き、区議選の不在者投票をしました。その時の出来事で、隣のブースの母娘(母70代、娘40代くらいか)がボソボソ話していると、職員がすっ飛んできて「相談はなさらないでください」とのこと。「いえ、あの~、これ…母が名前を横書きにしてしまったと…」と、娘さんが説明すると、「枠の中に書いてあれば横書きでも大丈夫ですよ」と職員。しかし年老いた母は「間違えてしまった」と気に病んでいる様子。職員は、「僕が言いますから」とその場を収めていましたが、誰に何を言うのかは不明でした。それにしても、これほど厳格に、これほど真摯に投票行動を行う国民は珍しいのではと考えて、何だか笑ってしまいました。ほんと平和で有難い日常です。

 今回は区議選と市長選挙ですので投票は簡単。これまでの数年間のうちに全体として区政がよい方向に行っているか、あるいは駄目な方に向かっているかを考えればよいだけです。身の回りの事しか分かりませんが、私個人としては何の不満もなく、区政に関わる方々、また行政関係者は皆さん頑張って住みやすい区を目指しておられるように思います。

 私はもう人が多い所、混雑した場所は想像しただけで行きたくなくなりますが、週に一度バスを乗り継いで教会に行く時は、それぞれの一日の乗降客数が2百万人、3百万人という3つの駅近くを通ります。地下街を歩くだけでも人込みに負けそうですから、大きな街に住むことは考えられません。そこへいくと、今住んでいる街は自分にはちょうどいいサイズだとつくづく思います。お気に入りの広大な公園があり憩いの場となってくれる、歩いていける範囲にスーパーマーケットやコンビニがいくつもある、またモールもあって様々な用事を足すことができる・・・。最近は通りに面した歩道のそばに、生鮮食料品店やベーカリーもできたので楽しみが増えました。便利な都バスが自由自在に張り巡らされた東京では、時間さえかければ座れて疲れないバスの移動ができます。通院先で話した高齢の方も、「とてもラッシュ・アワーに電車に乗る自信はないので、バスで来ています」と言ってましたっけ。歩き、時々自転車、必要に応じタクシー代わりの都バスという環境で、これ以上何を望みましょう。地震さえなければ、年配者にとって東京は本当に住みやすい所です。


2023年5月16日火曜日

「野生の生命力」

 前回帰省先から上京する前に、まだほとんど出ていなかった雑草の草むしりを念入りにしておきました。ほんのわずかに出たばかりの芽も、「こんなに小さいのに摘み取ってごめんね」と言いながら摘み取りました。どんなに小さくてもこれを放置すると次回の帰省時にどうなっているか予想がついたからです。ところがこの5月、季節はまさに青葉の頃、帰り着いて呆然。「うそだろ」というほど庭の緑が爆発していました。幼芽へのあの配慮はいらなかった・・・土の下には数えきれない緑の部隊が潜んでいたのです。

 以来、朝は毎日無心になって草むしりです。草の匂いを吸い込みながらつくづく感じられるのは、計り知れない自然の生命力です。人間も自然の一部に違いなく、私は若い人たちの強靭な生命力を見くびっていたかもしれないとの思いを抱きました。人間は社会的動物ですから、その子供は社会の中で一定の場所を得るために必要なしつけや教育は不可欠でしょうが、子供の持つ生命の爆発力は本来そんなものを物ともしないはずだと思い直しました。むしろ年配者の余計な忖度こそ老害なのかもしれません。とはいえ、年老いた者は年老いた者として社会の役に立ちたい気持ちは大いにあるのです。今年は数年ぶりで町内会の春の清掃で側溝の泥揚げがあると聞きました。年配者は、あって当たり前と思われているインフラの保守管理など、裏方の仕事に徹した方がよいのではないかと考え始めています。


2023年5月13日土曜日

「昔の言の葉」

  遠方に住んでいる四十年来の友人から時々電話がきます。最初の職場での出会いから変わらず連絡を取り合っており、めったに会えませんが電話やメールでいつも相手の状態をだいたい把握しています。よほど気が合うのだろうと思われそうですが、そうではありません。「中学や高校のクラスメートとして出会っていたとしたら、たぶん友達にならなかったよね」という点でお互い意見が一致しています。互いの友達のタイプとは違うのです。この関係は最初の困難な職場で一日の半分以上を共に過ごし、文字通り戦友として互いの血と汗と涙を知り尽くしたことの結果です。

 最近は昔話になることも多く、「あの時こういうことあったよね」、「その時××がこう言って大笑いしたね」と、記憶を掘り起こして話すのですが、記憶のツボが違うらしく、お互いに相手の言うことを覚えていないことがたびたびです。先日はこんな会話をしました。

彼女:「前に『あなたの人生いつ始まった?』って、私に聞いたよね」

私:「私そんなこと言った?」

彼女:「言った。私、自分の答えは覚えてないけど、あなたの答えは覚えてる。『私は中学だな』って言った」

私:「全然覚えてない・・・・・・茨木のり子の『花ゲリラ』だね。」

(うーむ、あの頃そんな大それた会話をしていたのか・・・)

 私が通った中学は、確かにかなり個性的で面白い生徒が多く、山出しののんびりした私は驚きの連続でした。初めて出会うタイプのクラスメートにおっかなびっくり、時に格闘しながら過ごしたような気がします。子供時代のやり取りやぶつかり合いは強烈なものですが、それだけにその後のつながりは強く、今は東京組の同級生の訃報に、故郷組と連絡を取り合って悲しみを共にするほどです。

 しかし今気づいたのは、それと意図せずに発した自分の言葉の意味です。「自分の人生は中学の時に始まった」という言葉は、今聞くと全く違う様相を帯びてきます。というのは、私が洗礼を受けたのは中学の時だったからで、これもまた己にとっての「花ゲリラ」か。これまで自分がその場その場で適当にいい加減な言葉をまき散らしてきたことに慄き、もういい歳なのだから今後は「もうすまい」と自分を戒めました。それでも、風に吹き去るもみ殻のような言の葉の中から、千に一つとしても、その言葉を神様が真実に変えてくださっていたのだとしたら、本当にうれしいことです。


2023年5月7日日曜日

「大型連休悲喜こもごも」

  世の連休とは関係ない暮らしをしている私は、5月に限らず大型連休をむしろ人出の多さで移動に制限がかかるアンラッキーな時期と考えています。ラジオで主要な高速道路における数十キロの渋滞というニュースを聞くだけでぐったりし、連休の谷間に(おそらく希望が少なかったせいで)予約を入れられていた通院以外はほとんど家で過ごしました。海外旅行に出かける人や国内の観光地での混雑ぶりが報道されると、日本中そんな人ばかりのように錯覚しますが、ラジオのリスナーからはいろいろな話題を聞けました。「季節が前倒しになっているので田植えの準備で忙しいです(農家)」、「普段と変わらず仕事です。皆さん頑張りましょう(物流関係)」といった頭の下がる内容から、「近くの緑地に家族で遊びに行きます。朝から弁当作りで大変です(主婦)」、「中学生と高校生の子供が子供たちだけで祖父母の家に遊びに行ったので、連休は夫と二人になります。えらいことです。どう過ごしてよいか全く計画がありません(主婦)」といった、人生相談的内容もあり、なかなか笑えました。一番おかしかったのは、5月3日「マイあさ」担当のアナウンサーが別の同僚のことを「〇〇アナウンサーは今日から7日まで5連投です」と高らかに紹介していたこと。可哀そうすぎる!

 実を言うとこの連休中、私は一度だけ都バスの旅を行いました。都内の幹線道路は目に見えて空いていたこともあり、「都内ならいいかな」と油断したきらいはあります。もう何年も乗っていなかった路線を思い出し、涼しいうちに家を出て、目標の中途地点までは快調に行けました。しかしターミナル駅に着いてから乗り換えようとして行列にびっくり。休日のみ運行する行楽地への急行バスが出ていたのです。事前調査が不十分でよく分からぬままに乗り、見慣れぬ景色を堪能できたのはよかったのですが、私の目的地には行けないと知って途中下車。戻ろうとして問題発生、もちろん連休中の時刻表は休日運行になると把握していましたが、バス乗り場が休日に変更されることがあることまでは失念していました。なんとか元のターミナルに戻れたものの暑さもあって当日の予定は断念し、よく知っている路線でともかく東京駅まで来ました。

 まだ正午でしたが、疲れたのでもう帰ろうと八重洲口から丸の内方面へ地下道を抜けようとして、人、人、人の波にのまれました。お昼時だったせいか、どの店もひたすら行列で信じられない光景を目の当たりにしました。考えてみれば私が甘かった。東京駅などに来てはいけなかったのです。這う這うの体で帰路に向かうバス停でバスを待っていると、同じように這う這うの体で階段を上り、大きな樹の木陰に座り込む数名の欧米人観光客を見ました。無理もありません。東京駅をそれなりに知っているはずの私でも「もう無理」という極限の状況下で、外国人(しかもアジア的雑踏に慣れていない欧米人)に大型連休中の東京駅地下街はハードルが高過ぎたのです。お気の毒としか言えません。

 残りの休日は好きな本を音声で聴きながら、ゆったりと家事をしました。夏に向けての衣類の入れ替えや寝具の新潮、六月のマンション消防点検・排水溝清掃に向けての下準備などです。着る物や肌に触れる寝具やタオルはもう絶対綿100%でないと受け付けなくなっているので、購入時にそこだけは必ずチェック。また、新しい製品はたとえ綿製品でも化学物質が付着して臭いもあるため洗濯が必須です。大物は一遍に何枚もは干せないので毎日少しずつです。そうこうするうち、異常な人込みにあてられてすっかり狂った体調も落ち着きました。やっぱり連休は家でゆっくりが一番です。


2023年5月1日月曜日

「年配者のための乗り換え案内」

 先日、都内中心部の医療機関へ初めて行く用事があり、いろいろとルートを調べてみました。実は調べるまでもなく、最寄駅から東京メトロへ乗り入れている電車を使えば、家から駅まで歩く時間も含めても一番早く、しかも乗り換えなしで行けるのは分かっていました。私にとっては結構早い時間に到着しなければならず、なおかつ遅れられない予定だったため、そのルートを使うのは始めからほぼ決定事項でした。それにもかかわらず他のルートを探ったのは、年配者にとってもっと体に優しい方法がないかと思ったからです。今回は実現しなくても様々な別ルートを考えるのは楽しいものです。さらに最近は、突発的な事情で一つのルートが運行見合わせ等になった場合に、その他の方法を考えておくのはリスクヘッジ上大事なことだと感じています。

 いうまでもなく時間が十分あるという条件下で、「体に優しい」交通手段とは都バスの利用です。地下鉄に比べれば乗り降りが楽なだけでなく、よほど混んでいなければ座れる可能性が高く、窓の外から風景が見えるという楽しいおまけ付きです。私の場合、電車の駅よりバス停が圧倒的に近く、使い慣れているという点も大きなメリットです。自分の家から目的地までのおよその時間を比べますが、比較には運賃も大事な要素ですので、同じルートで往復した場合の運賃を2で割った金額を記します。ICカード利用で、都バスは必要に応じて一日券を利用することとします。


1.私鉄から東京メトロへの乗り入れ

一番早く着く交通手段で、駅まで歩く時間を含め所要時間1時間5分。乗り換えなしでひたすら乗り続けていれば着く。運賃:430円。

2.都バス利用のみ

 乗り換え2回で行けるが、目的地まで2時間10分。ただし、全ての路線で確実に座れる。私にとっては使い慣れた路線。運賃:(一日券500円を2で割って)250円。

3.都バスーJR―都バスの西回りルート、

上記の中間部分を電車利用にして移動時間を20分ほどカット、所要時間1時間50分。ただし、JRの駅は乗る駅も降りる駅も非常に乗降客の多い駅であることが難点。運賃:428円。

4.都バスーJR―都バスの東回りルート

上記より前のjR駅を利用するため、前半の都バス部分を20分短縮できるがJR利用時間は10分長いため、所要時間1時間40分。JRの駅は乗る駅も降りる駅も、比較的小さな駅であるが、電車の本数は多いので安心。運賃:480円。

5.都バスー東京メトロ―都バス

上記同様前半の都バス部分を20分短縮できるばかりでなく、この地下鉄は目的地まで大幅なショートカットとなる路線、全体として所要時間は待ち時間を含めても1時間15分程度。今までこの地下鉄路線はほぼ念頭になかったので、「おおっ」と思わぬ発見をした気分。運賃502円。

6.都バスー東京メトロ(乗り換え2回)

前期の後半部分を都バスを使わず東京メトロだけ利用。地下鉄の乗り換え2回がややネック、私にこなせるか若干不安。所要時間1時間25分、運賃:462円。


 調査結果は「時間もしくは手間と費用は概ね反比例する」という当たり前のものでしたが、帰りはバスでゆっくり帰って来るという選択肢もあるし、また天候という要素も徒歩移動を考えると考慮対象です。結局、「行きは絶対に遅刻できない」という緊張感から、最も安全な移動方法「1」で行ってきました。

  他の路線は何のことはないただの脳トレでしたが、いつか役立つ時が来るかもしれません。私の知る限り、webの「乗り換え案内」ではバス路線はほとんど考慮されておらず、乗り換えの複雑さやプラットホームまでの上下移動の手間、利用時間帯の車両や利用駅の混雑加減なども比較対象外です。若い方には所要時間と運賃だけで十分かも知れませんが、年配者向け、バス込みの乗り換え案内があってもよい時代ではないでしょうか。


2023年4月25日火曜日

「若い方を想う」

  元首相が選挙応援中に暗殺されて一年もたたずに、またしても首相が狙われるという事件が起きました。この時も帰省中でテレビの映像を見ましたが、たまたま被害に遭わなかっただけで、非常に危うい状況だったと分かり、愕然としました。爆発物が首相の足元近くに落ちたというのは、致命的にまずいとしか言いようがなく、セキュリティは一体どうなっているのかと不安になります。

 恐らく皆の注意を引いたのは、容疑者のすぐ後ろで彼を捉えた赤いシャツの男性でしょう。突発的な出来事に即応して反射的に動ける人は本当にすごい。後で漁業関係者と分かり納得、瞬時の判断の遅れが命取りとなる、海の男だったのです。

 今回の事件を先の事件の模倣犯と見なしたい向きがあるようですが、どうなのでしょう。確かに二人とも、効率主義が浸透した時代に生まれ育ったせいか、トップを狙えば世の中が注目すると考えているようではありますが、今回の容疑者は二十代前半とかなり若く、現在の選挙制度が民主主義の弊害となっているとして裁判を起こしていたとのこと、相当気合いの入った、毛色が違う方という気がします。

 確かなのは、どちらも将来への希望が見えない時代を今後も相当長く生きなければならないということです。ひたすらおとなしく、ごく自分の周囲の事のみに関心を向けている若者が多い中、二人の若者が時をおかずして大それた犯罪を起こした背景を考えると、若者の状況が一つの段階を越え、別の次元に入った可能性も考えなければならないと思います。

 「浦河べてるの家」の向谷地生良さんが本の中で、「私が親として子育てをしながら、我が子に言い聞かせてきた事がある。それは、『もし今の時代を子供として生きなければならないとしたら、生きていく自信はない』ということだ」と書いていました。私も全く同感です。親が生きてきた時代とは別物の過酷な世界が待っているのは間違いなく、これから目指す必須の事として、人が自分の頭で考え決断して、失敗してもまた起き上がる強固な精神を持つこと、また人生の分岐点とも言えるような肝心なところで、最適な人とつながれる社会性を身につけること以外ないように思います。日常的に子供をめぐる親の事件を聞く時、まるで鬼のように言われている場合でも、「この方、極限まで頑張って、でもどうにもならず、ポキッと折れちゃったんだろうな」と、やるせない気持ちになります。若い方がこの先の長い未来を見通して、毎日同じ繰り返しのつまらない生活やパッとしない自分の人生に何の意味があるのかと、嫌気がさすこともあろうと思います。でも早まらないでほしい。長く生きてみないと分からないことは確実にあり、その道筋を愛おしく思う日がきっと来るはずです。大前提は「死なないこと」、「殺さないこと」です。若い方々、どうぞ何としても生き抜いてください。


2023年4月18日火曜日

「軽量礼賛」

  歳をとって変わったことの一つに、今まで普通に持っていたものを重いと感じるようになったことがあります。昔愛用していた革の鞄などは重くてもう使えない。機能的にはまだ使えるので残念ですが、私にとっての役目は終えたというべきでしょう。母が以前祖父の家での出来事として、「お煎餅割って」と言う言葉に心の中で「お父さん、ずいぶん面倒くさがりになったな」と思ったそうですが、「自分も年老いてその意味が分かった」という話をしていたのを思い出します。力の衰えは如何ともし難いのです。

 私の場合、最初に気づいたのは携帯用日傘を買い替えた時でした。「軽量」とあったのを選んだら本当に軽かったこと。骨組みはしっかりしていて強風でも差せるので、以来愛用しています。今年初めに自転車を購入する時も、車体を少し持ち上げて自転車ラックに入れる必要から、できるだけ軽いものにしました。

 自転車用ヘルメットの話題を最近よく聞きます。通販サイトを見ると立派なものがたくさん出ているものの、重そうだし、これを商機と見なしてるのか非常に高額なものが多いようです。前回私の選択として書いた、ミドリ安全のインナーキャップのヘルメットは何とたったの60gでとにかく軽い! 帽子の下に入れられて普段と変わらずに外出できる優れものです。送料込みで760円という価格だったので、帰省先用にも注文しました。

 もう一つ最近買い替えたものは、パソコン用のヘッドホンです。長年使ったものは完全に耳を覆うタイプのもので、周囲の音が聞こえないので集中できるのですが、この場合も買い替えに当たってのキーワードは「軽量」です。ヘアバンドみたいに頭にちょっと載せるだけの、一見おもちゃみたいな本体で、コードは5mのものを選びました。パソコン上の文字データを音声で読ませながら家事をするにはこれくらいの長さが必要です。頭への負担を感じることなく、していることを忘れるほどです。これもコードを除く本体部分はたったの60g、「そういえば最近ヘッドホンをしなくなっていたのは、やはり重かったからだな」と納得しました。本当に身体は正直です。

 これからもいろいろな軽量品に乗り換えながら、生活していくことになるだろうと思います。技術は進んでいきますし、老人は爆発的に増えていくのですから、軽量化は必然的流れでしょう。もちろん日頃から貯筋は心がけなければなりませんが、やはり筋力低下のお助け用に、そのうち「お煎餅を割ってくれる」ロボットも開発されることでしょう。


2023年4月13日木曜日

「新年度…ささやかな訪れ」

  新年度の緊張や気疲れ、また華やぎというものと無縁に暮らしている私ですが、それでもこの時期は何だかそわそわします。私が真っ先にしなければならないのは難病認定の更新です。先日、病院の臨床調査票が出来上がったので、区役所に行って申請書を提出してきました。毎年のことですが、いつ行っても区役所の方は親切で、今回の担当は三十代くらいの女性でした。書類の抜けなどをすばやく見つけて漏れが無いようにしてくれ、理解不足の私に「医療費管理表」のコピーなどの必要性をいろいろ説明しながら、必要分を実費で用意してくれました。今回は保険証を忘れるという、今までしたことの無い失態を演じ、帰宅後すぐ郵送するための封筒もいただきました。本当にお世話になり、ありがたい限りです。申請が通るかどうかまだわかりませんが、取り敢えず手続きを終えてホッとしました。

 他に新年度といえば、都バスの時刻表チェックがあります。新年度に限らず、1月とか8月とか時刻表が変わる時はあるのですが、4月は変更されることが多いので、いつも使う路線は要チェックです。実は忘れていてバスを利用した時、「なんか変だ。あ、っ時刻表の改定か」と気づいたというだけのことですが・・・。私はスマホを使わないので、時刻表はA5用紙に印刷していつも携帯しています。こうしておくと際どい乗り継ぎも、時計と時刻表を見比べながら簡単にできます。体調的になかなか予定が立てられないものの、いろいろな路線の時刻表を見ているうち、気分と天気のいい日にふらりとバス旅に出られたらいいなと思いました。

 もう一つ今年度変わったことは、自転車利用時のヘルメット着用が努力義務になったことでしょうか。もともと13歳未満の子供のヘルメット着用は親の義務となっていましたが、それが全年齢者対象に努力義務となったのです。思えばこれは半世紀前から推奨されていたことで、中学の通学時に議論されていた記憶があります。当時の中学生にとって、「ヘルメット→工事現場→ダサい」という連想しかなく、これを被っている人は誰もいませんでした。見渡す限りではまだ大人のヘルメット着用者は、かっこいいスポーツ用のサイクリスト以外非常に少なく、私も「また面倒なことを・・・」と、最初する気は全くありませんでした。ただ念のため通販サイトを見ていたところ、帽子の下に隠れるサイズのインナーキャップ・ヘルメットなるものを発見し、「これならいいかも」と購入。試してみたら、外出時は必ずかぶる帽子の下にピッタリで、それなりに頭も守れるし、軽くてとても気に入りました。以前は押さえていないと風で帽子が飛ばされそうになることがありましたが、すっぽり嵌まっているためかそれが全くない。夏場の暑さにはどうかわかりませんが、今のところただの歩行中にも被ろうかと思っているくらいです。上から落下物があるとか、歩道を歩いていても危険なことが増えているということまで心配するのは馬鹿げているかもしれませんが、安全という視点をふいに与えられて目が覚めた気がしています。現に二段式駐輪場で上の段に頭をぶつけた時も痛くなかったし・・・。これがちゃんとしたヘルメットとして認められるかどうか私にはわかりません。いずれにしてもお巡りさんに呼び止められたら、頭をコンコン叩いて「努力はしてます」と言うつもりです。


2023年4月10日月曜日

「瞳を閉じる山椒魚」

  世界の学者の論文引用数を一つの指標とするなら、日本のアカデミアの知的威信が低下の一途であることは誰の目にも明らかです。論理的思考には母語の精密な読解能力が不可欠ですが、、PASAの成績を意識してか、大学の共通テストにおける国語の分野でも、様々な資料からのデータ読み取り的な試験に移行しつつあると聞きました。由々しきことです。小手先の改革はなお一層の読解力低下を招くことでしょう。

 中高生の頃、現代文の授業で昔の小説を何時間もかけて読んでいた時は、退屈で「こんなの意味あるの」と思っていたものですが、授業でもなければ一生読まなかったであろう作品は確かにありましたし、何しろ明治期以降の文人たちが西洋文明に抗い必死の思いで結実させた精華が教科書にはふんだんに盛り込まれていました。漱石、鴎外は言うに及ばず、芥川龍之介、太宰治、中島敦、梶井基次郎、井伏鱒二、詩人なら石川啄木、三好達治らを教科書で読むことには大いに意味があったのです。


 「山椒魚は悲しんだ」に始まる井伏鱒二の短編『山椒魚』は、初めて読んだ当時は随分へんてこな話だと思いました。かいつまんで話の筋を追うと、

1.二年間を自らの成長に任せ、ふと気づけば頭が大きくなり過ぎて岩屋から出られなくなった山椒魚は、動き回れる余地の無い状況に狼狽しながらも

2.穴の中から外のめだか集団をを「不自由な奴らだ」と小馬鹿にしたり、

3.産卵のため岩屋に舞い込んだ小海老の姿を、「くったく」、「物思い」と評して馬鹿にしつつも、岩屋から出ようと決意して頭を穴に突っ込みますが、詰まって抜くのも大変、小海老に笑われてしまいます。

4.それから、涙ながらに神様に泣き言を言い、「気が狂いそうだ」と嘆きます。

5.岩屋の外でミズスマシやカエルが自由に動き回っている姿に、悲しくなって目をそらす山椒魚は、もはや自分には目を開閉する自由しかなく、目を閉じれば際限もない深淵が広がっていることを思い知ります。

6.「ああ、寒いほど一人ぼっちだ」とすすり泣く山椒魚は、悲嘆が募って次第によくない性質を帯びてきます。即ち、岩屋に紛れ込んだカエルの出口を頭でふさいで閉じ込めてしまうのです。

7.山椒魚と天井のくぼみにいるカエルは互いに自分の弱みを隠して、「お前は莫迦だ」と相手を蔑む無意味な言葉の応酬をしながらひと夏過ごします。

8.翌年も口論は続きますが、さらに一年たつとお互いに黙り込んで、嘆息を相手に気づかれないように注意しています。

9.ついにカエルが嘆息を漏らすと、山椒魚は友情を瞳に込めてカエルと向き合おうとしますが、カエルは空腹で死にかけています。

10.最後の会話の場面はこうです。

「それではもう駄目なようか」

「もう駄目なようだ」

「お前は今どういうことを考えているようなのだろうか」

「今でもべつにお前のことをおこってはいないんだ」


 教科書で読んだ文はそこで唐突に終わる感じでした。後年井伏鱒二は最後の一文を削除して別な文に差し替えているようですが、それはそれとして、やはりこのままでも一つの作品であることに変わりはなく、作家にとっては晩年まで何度も手を入れた思い入れの深い作品だったことは間違いないでしょう。

 私にとっては時折挿入される地の文(作家の視点からの言葉か?)がとても印象的でした。例えば、冒頭で、「いよいよ出られないというならば、俺にも相当な考えがあるんだ」と山椒魚がうそぶく場面では、直後に「しかし彼に、何一つとしてうまい考えがある道理はなかったのである」という身も蓋もない文が続きます。また、山椒魚が泣きながら「気が狂いそうです」と神に嘆く場面に続く文、「諸君はこの発狂した山椒魚を嘲笑してはいけない」は、山椒魚をまるで客観視して冷やかしています。自分を無価値なものと感じ、もはや外界を見たくない山椒魚が目を閉じる場面では、「どうか諸君に再びお願いがある。山椒魚がかかる常識に没頭することを軽蔑しないでいただきたい」と、今度は山椒魚を憐れむかのような陰の声です。 

 山椒魚は恐らく頭でっかちで頑固な人間の象徴であり、この時代の知識人の姿の一面を揶揄しているのでしょう。或いは狭い文人の世界の居心地の悪さをあてこすっているのかも知れず、一方で社会の相当数の人間に当てはまる話だとも言えるでしょう。また、今の日本の姿そのものを言い当てていると考えると、非常に汎用性のある話であることに気づきます。現在の目で読み返してみてふと、「これってあのこと?」と思い当たるのは、山椒魚=日本銀行の可能性です。この話は日本の行き詰った金融システムの卓抜な比喩ではないでしょうか。

 膨らみ過ぎた国債はにっちもさっちも身動きできないところまで来ており、岩屋の水は淀んで出口は見当たりません。岩屋の外にいた時のカエルは水面から水底へ、水底から水面へと自由に上下に動いていたのですから、これは本来あるべき金利や株式の動向を指すのでしょう。しかしかつてはともかく、異次元の金融緩和でひととき生き延びたのも束の間、閉じ込められてもはや一蓮托生、岩屋上部の凹みに身を置いて動けなくなっています。なるほど「今でもべつにお前のことを怒ってはいない」のも当然のことだったのです。

 その直前に山椒魚の口を突く、「お前は今どういうことを考えているようなのだろうか」はいつ読んでも、歯切れの悪い堂々巡りの混乱ぶりを示す見事な表現です。さすが、文豪の筆に遺漏はありません。目を開けて岩屋の穴から外を見るのも地獄なら、瞳を閉じで闇の深淵に目を凝らすのも奈落への道。山椒魚も悲しかろうが、岩屋の中の生物は皆悲しいのです。


2023年4月3日月曜日

「懐かしの『コロンボ』」

  ミステリの中に「倒叙ミステリ」という名のジャンルがあることを知ったのは割と最近のことです。私にとってこの手法の走りは言わずと知れた『コロンボ』シリーズです。いきなり犯人が犯行に及ぶ場面から始まるのに最初びっくりしたものですが、何作かドラマを見ているうち、冒頭で犯行が明かされた後、コロンボがじわじわと犯人を追い詰めていく面白さにすっかりハマりました。たしか土曜8時の番組で中学の頃始まったと記憶しています。その頃のゴールデンタイムの世の趨勢に違わず、うちでも家族がテレビの前に勢ぞろいで放映が始まるのを待ち構えていました。お風呂か何かで少しでも遅れると、犯行の重要な部分を見逃してしまい、説明なしのほぼ無音の映像が続く中、「今どうなってるの?」、「誰がやったの?」などと聞こうものなら、「見てるんだから静かにして」と家族の顰蹙を買うこと請け合いでした。大人も子供も集中して見るこのような番組が今あるのかどうか・・・。

 話の筋やトリックは現在の日本のミステリの基準からすると単純すぎるほどシンプルで、時にお間抜けにも思えますが、犯人の視点が明かされているので、視聴者はその後の展開を予想しながら引き込まれていきます。危険を察知していない目撃者や共犯者に「あなた逃げなきゃダメ!」とか「残念だけどこの人も長くないな」とじりじりしたり、コロンボの言葉に誘導されて証拠隠滅や偽装工作を図る犯人に「この人もこれで墓穴を掘るんだな」と憐れんだりしながら、手に汗握りながら登場人物の一挙手一投足を凝視し続けることになるのです。

 シリーズが続くうち、中にはすっきりしない犯罪模様や主筋を離れた凝り過ぎの周辺話に、「なんか前の方がよかったな」と思う作品もありましたが、このあたりは好みの分かれるところでしょう。最後に有無を言わせぬ証拠が犯人に突き付けられ、一瞬の沈黙の後エンドロールに入る終わり方が私は一番好きでした。今イチよく理解できない結末のドラマの時は、「これで終わり?」、「え、どういうこと?」などと、五里霧中の頭でぼんくら家族談義になったりもしました。犯人を罠にかけて自白を引き出す手法が結構よくありましたが、あれは司法取引のあるアメリカ特有のものなのでしょうか。今なら「この程度の状況証拠と自白だけでは日本じゃ公判が維持できないだろう」と言えますが、子供の目には「警察がそんなことしていいの?」と、ちょっと恐い気がしました。この典型は『ロンドンの傘』で、最後の結末は忘れられない場面として脳裏に刻まれています。

 当時、舞台となるアメリカの豪邸や最新のテクノロジーには驚嘆させられましたが、これがアメリカならではの犯罪を構成していたのは間違いありません。音に反応して開く扉が犯行時の銃声を証明する話のインパクトは強烈で、ギーッと扉が開いて人形に光が差し込む場面は今でも思い出すと背筋がゾクッとするほどです。また、どう見ても日本の水準的には無駄にデカいアメ車には驚きを通り越して呆れるばかりで、古いポンコツ車として登場するコロンボの車さえ、「こんなに立派そうに見えても!?」と、途方もない米国の富の力に眩暈を感じたものでした。全世界に配信された『コロンボ』シリーズは、あの時代、アメリカの威信を確固たるものとすることに貢献したはずです。少なくとも日本では子供から大人まで、この風体の冴えない刑事の、いわく言い難い魅力に当てられた感じで、素直に「とても敵わないなあ」と思えました。

 或るサイトによると、『コロンボ』シリーズの傑作として必ず挙げられる作品の一つは『別れのワイン』とのこと。これは確かに、犯人の自白を引き出す最終場面が秀逸でしたが、犯行は単純なのに話がやや冗長に感じられました。何より秘書が怖すぎて私の好みに合いませんでしたが、コロンボと犯人の大人の会話のやり取りを楽しめる人には最高の出来栄えかも知れません。それに対してやはり傑作とされる『魔術師の幻想』は、最初から最後まで息つく間もなく引き込まれる構成であっぱれでした。証拠も完全、犯人の出自に仰天し、最後の奇術対決の見せ場も見事な落ちでした。

 他にもあれこれ思い出すと、壁に塗り込められた女のポケベルが鳴る幕切れの話や、サブリミナル効果を使った犯人のあぶり出し、レコードの針でマジックペンを弾き飛ばすトリック、書庫に閉じ込められて死んだ作家のダイイング・メッセージなど、もう一度全話見てみたい気持ちになりました。なるほど、何度見ても楽しめるのが、犯人捜しを主眼としない「倒叙ミステリ」の強みなのですね。これは結構悪魔的手法かも知れません。


2023年3月28日火曜日

「不滅の核家族」

 エマニュエル・トッドの家族形態論を読み、「絶対核家族」が家族形態の最も古い形と知ってから、思い当たることがいろいろあり、そのことを兄に話してみました。もっとも、「ウチは何事も平等だったな」という点では、「相続は親の自由な決定による」とされる真正の絶対核家族ではなく、「平等主義核家族」の方が近いのですが・・・。いずれにしても日本の家族形態史において核家族が全盛時代だった時を生きてきたのは確かです。

 あれこれ話すうち、特に老年になってから母が両親・兄弟姉妹と毎年のように集合して家族旅行をしていたのを兄が思い出し、「一度旅行に行ってくるか」と言ったのにはちょっとびっくりでした。これまで兄と二人で旅行したことはなく、「なんか今生の別れみたい」という思いが頭をよぎったのです。ただ、確かにこの歳になるといつ何があってもおかしくないと自覚すべきで、それもいいかなと思いました。母とヘルベルトと三人でドイツ旅行をしたことは今でもつくづくやってよかったと思うことの筆頭ですから。思えば父がりくを飼ったおかげで、私の帰省にも弾みがつき、一度家を離れてなんとはなしに遠慮があった帰省中の生活も、心の隔てなく過ごせるようになったのだなあと今だからこそ感じます。りくの手柄であり、また父の作戦だったのかも知れません。

 先日、「今、お父さんとお母さんがいたら楽しかっただろうね」と兄が言うので、私も本当にそうだと同意しました。「結局、今手にしているものは全部親からもらったものなんだよね」とも話しました。その通りなのですが、さらにその先を突き詰めれば全て神様から与えられたものなのだというところに行き着くでしょう。家族とはそういうものかもしれませんが、日常の忙しさに紛れてちゃんと話せてなかったことがたくさんあるのです。時間ができた今、核家族を構成した成員皆が、それこそ旅行にでも行ってワイワイガヤガヤ話せたらなあという、無理な願いを胸に抱くのです。そしてそこには、りくとボビー(子供の頃飼ってた犬)も当然の如く同席しています。気のいいりくはお転婆犬ボビーに振り回されています。自分の中の最も楽しい家族の風景です。

 理想としてはそこにヘルベルトもいるのですが、彼には彼の絶対核家族があるのですから、りくがイヌ属的直感で彼を「別のルーデル(Rudel群れ)の人」と見なしていたのは当たっていたのです。ちなみにトッド氏によれば、ドイツも日本も国としての家族形態は「直系家族」に分類され、家族形態が同じ国同士は移住等においてあまり摩擦が生じないらしい。おまけにヨーロッパには騎士道精神、日本には内助の功的心性があるので、母国での振舞いを普通にしててもドイツ男性と日本女性は双方とも自分が大切に扱われていることに感じ入ってしまい、これが相性のいい一因と言われます。だとすると、日本男性とドイツ女性の組み合わせは大変かもしれないと想像しますが、どうなんでしょう。

 先日帰省した時、泊りがけの旅行とまではいきませんが、近くの日帰り温泉に兄と行ってきました。ヨーロッパの湯治場とはまた違って、日本の温泉もとても快適です。昼過ぎ頃には近所の方もずいぶん来ていいて、地元の温泉もいいものだなあと思いました。何種類かの湯船と休憩所(みなマッサージ器か大仰な寝台の上で弛緩している)を何回か行き来して、入浴施設を堪能しました。帰る午後4時には駐車場はガラガラになっていましたので、「みんな帰って夕飯の支度だな」とほっこりしました。わずかな時間でリフレッシュ、また時々行きたいです。


2023年3月22日水曜日

「春の渡り」

  帰省中の3月下旬、朝の空気は冷たいながら、春の陽ざしに誘われてウォーキングに出かけました。いつもと違う対岸の土手を行くと、汗ばむくらいの暖かさでした。一つ目の橋を越し、「今日はまだまだ行けそう」と快調に進んでいくと、次の橋の手前に何やら白い塊が・・・。「えっ、まだいたの?」との驚きを隠せない。それは白鳥たちでした。「こんなに暖かくなってるのに、君たちはまだ日本にいて大丈夫なの?」と思いつつ、数を数えると15羽ほどでした。真冬のひと頃はもっと多かったから、何家族かは既に北へ飛び立ったのでしょう。

 川辺にぼやっと佇んでいると、気づけば目の前に白鳥たちが集まって来ていました。あ、まずい・・・餌をくれる人と間違えられているみたい。ここには家族で餌やりに来ている人がいると兄が言ってたっけ。おこぼれに与ろうと目ざとく鴨たちもささーとやって来ます。みんな期待の眼差しでこちらを見つめており、二、三羽の白鳥はサーッと羽を広げてアピールさえしています。まるでJALのロゴみたい。これはまずい。「ごめんなさい、何も持って来てないの~」と叫んで、すたこらさっさと逃げてきました。

 翌日、早朝は昨日の暖かさが残っていましたが、だんだん冷えて来て8時頃には「ん? 外、なんか白くない?」という状態になりました。その日は結局一日降り続き、6~7センチは積もりました。白鳥さんたちはこういう事態を予測していたのですね。雪はぼたん雪だったので翌日一日で解けました。白鳥たちの春の渡りももうまもなくでしょう。どうぞお気をつけて!


2023年3月18日土曜日

「加速するマイナンバー制度」

  「あれっ」と思ったのは確か今年1月の通院で保険証の確認がなかった時でした。それまでは毎回その月の最初の通院時に保険証の提示を求められたのですが、「変更があった時に知らせてもらえばいいです」とのこと、手続き上の漏れがあったから毎回提示になったはずなのに、「これは変だ」と思いました。頭に浮かんだのはマイナンバーカードとの関係で、もう既にマイナンバーと保健相は紐づけられているのではないかということです。そういう方向に進んでいるとは知っていましたが、ボーっと生きている私は、今のところそれは任意だろうと考えていたのです。しかし厚労省によれば、どうも「紙の健康保険証を2024年秋めどに廃止」というのは既定事項らしいのです。今回の病院の対応に接し「もうそこまで進んでいたのか」という驚きを禁じ得ませんでした。

 本来2025年まで使えるはずだった住基カードが、2022年12月以降は住民票などがコンビニで取れなくなるという連絡が来て、泣く泣くマイナンバーカードを作ったのを思い出します。住基カードによって区役所に行かずとも、また閉庁後でもコンビニで用が済む利便性はそれまでの利用でよく分かっており、それは年とともに有難いと感じるサービスでした。しかし、お役所内で留まっていた住民基本台帳制度と違い、官民挙げてのマイナンバー制度は全く別物の感があります。

 今となっては保険証とマイナンバーとの紐づけは避けられないようですが、医療情報という個人情報中最重要ともいえる情報を結び付けて大丈夫なのだろうかという危機感が強い。医療の恩恵を受けている身としては、医療機関の煩瑣な手続きの軽減は理解できますが、恐いのは情報漏洩です。或る程度の歳になれば誰でもそれなりの病歴はありますし、健康診断等のデータが蓄積されて何らかの利用に供されるのは間違いありません。今日生まれた赤ちゃんも一生の間ずっと医療情報が積み上げられていくとなると、人生に不利な結果をもたらす可能性もあり、心にうすら寒いものを感じます。何でも突き詰めずには済まない現代人の習性では、これは最終的にDNAの記録にまで行きつくのではないでしょうか。もっと迅速に起こることとしては、今雇用されている医療事務関係者は必ずや削減され、雇用がまた失われることでしょう。これは公務員も同じですが・・・。

 私のような老い先短い者には、受診に当たって身体にかかる負担をできる限り減らしたいという気持ちと、情報漏洩があってもこのさき高が知れているという捨て鉢な気持ちとで、最大限譲って保険証との紐づけはもう仕方ないとの諦観が濃厚です。ところがマイナポイントの説明を読んで驚いたことに、今回のキャンペーンで国は保険証だけでなく年金など公的なお金を受け取るための銀行口座まで紐づけることを強力に推進しているようです。住民基本台帳制度は公的な情報だけのものでしたが、マイナンバー制度では金融機関にまで触手を伸ばすとは、何というあからさまな浅ましさ。保険証も金融機関も、恐らくゆくゆくは民間の様々なサービスも1枚のカードに紐づけるというのが、支配者の夢想なのでしょうが、何もかも一緒くたにしては絶対にいけません。マイナンバーを納税者番号として納税逃れを捕捉する目的で用いるなら一般の理解も得られるでしょう。しかし、金融機関との紐づけは全くの別問題です。なぜなら、勤め人はもちろん、確定申告をしている人、年金生活者等のほとんどの善意の市民に後ろ暗いことはなく、当然国税庁はそれらの口座を把握しているからです。マイナンバーと銀行口座の紐づけが義務化された場合、善意の市民にとってはそれによって得られる現在以上のメリットはほぼ無く、それが流出した時に生じる甚大な損害があるばかりです。これまでの事件のあれこれからデータのセキュリティには不安しかなく、公的機関よりはるかにIT技術を知り尽くした悪徳ハイエナの襲来を思うと身がすくみます。人為的なミスや一定の割合で必ず存在する故意の流出事件はどんなに刑罰を重くしてもデータが流出した後では無意味です。

 マイナンバーの民間利用は凄まじいスピードで進むと思われ、やがて名前・生年月日・住所・性別、顔認証、年収や資産、借金やクレジット情報、医療履歴・健康状態、幼時からの教育に関わる全ての情報、趣味や好み、消費傾向や買い物情報、インターネットや交通機関の利用履歴など、ありとあらゆる情報と紐づけられるはずです。マイナンバー制度の手本国はエストニアとのことで、日本を代表するIT企業の社長とともに政府関係者が視察したと聞いていますが、これは日本の政官財が目指すシステムを成立させている国がアメリカや西欧にはなく、旧ソ連からの抑圧と闘った特殊事情をもつエストニア一国しかないことを物語っているでしょう。ドイツではそもそも行政分野別の番号を用いており共通の個人識別番号はありません。1970年代に検討はされましたが、プライバシー侵害を懸念する声が大きく実現に至りませんでした。また、個人識別番号制度をもつ国は、アメリカでも韓国でもスウェーデンでも制度の綻びが著しく、なりすまし事件が多発している現状に、分散化の動きもしくは何らかの見直しが検討されているようです。とんでもない展開が目に見えている総背番号制をこれからやろうとするのは愚の骨頂なのに、日本はこれから本格的にオーウェルの『1984年』を地で行く世界に突入するのです。

 息が詰まる監視社会に若者が絶望するのも無理ないでしょう。唐突なようですが、2022年の出生数はついに80万人を切りました。予測より十年早いとのこと。子供というのは未来そのものです。子供が減ったということは、経済的、社会的理由で子供が持てないこともさることながら、その心底を探れば、これから生きる未来に愛する子孫を残したくないといった真意が今の大人にあるということではないでしょうか。はっきり言えば、「生きていても楽しそうじゃないな」ということです。2042年には20歳の若者は80万人を下回る数しかいないのです。これまで割と適度に息が抜ける社会で何十年と生きてきた人には窒息しそうなこの時代でも、今まさに誕生した子供はそれが生きる環境です。しかし、子供はその環境に順応しているわけでは全くなく、生物としての限界に達しつつあるのではないでしょうか。だから子供のっ自殺も過去最多なのです。監視社会が加速し、生物にとって生きにくい時代と個体が体感すれば、少子化はさらに加速度的に進むに違いありません。何十年にもわたって推し進められてきた効率主義が止まらない暴走を続け、負の効果を雪だるま式に増大させて、人間をなぎ倒しながら進んでいます。一つの国民が消滅の危機に瀕しているのです。こういう社会をつくってしまった大人の一員として、これから国の未来に何があっても受け止めるしかありません。


2023年3月14日火曜日

「住居を楽しむ」

  住宅関係の専門家が「自分の住居に完全に満足している人は5%くらいしかいないのでは?」というようなことを述べているのを聞いた覚えがあります。居住地の地理的・地質的状況、周辺の自然環境や近隣居住者を含む社会環境、交通や買い物の利便性、学校やスポーツ・文化的施設へのアクセス環境等といった外的状況から、個々の住宅の種類、建物の広さや堅牢さ、騒音や日照等の居住快適性、セキュリティなどあらゆる観点から評価するなら、「自分の住居に完全に満足」という人はそのくらいしかいないのかも知れません。狛江の強盗事件はその凶悪さにおいて高齢者を震撼させましたし、多数の死者を出したトルコの大地震は他人事ではなく、そう遠くないうちに必ず起こると言われている首都直下地震や富士山大爆発、温暖化や偏西風の蛇行による酷暑やドカ雪まで含めれば、確かに日本のどこでも安心していられる人は一人もいないでしょう。

 それにもかかわらず、多くの人は自分の住まいに「80%くらい満足」で過ごしているのではないかと思うのです。私自身は割と何でも受け入れられる質ですから、住居に関して何の不満もありません。もっとも、毎月必ず地理的移動を伴う変則的生活をしており、できるだけ両方の良さを活用するようにしているせいもあるかも知れません。基本夏は都会より朝晩が涼しい田舎暮らしで一息つき、冬は暖かな東京暮らしで体をほぐします。この頃は陽ざしの出た穏やかな日でも、思わず言葉を失くす吾妻連峰の偉容から吹く風はまだ冷たく、気が付けば『早春賦』を歌っています。いや、「今日も昨日も雪の空」ということはもうないと思いたい。ついでに移動生活を自宅に援用して、近頃は夏は北の部屋、冬は南の部屋で就寝するようになり、これはこれで気分も変わりとても快適です。

 地方と東京の違いが端的にあらわれるのが買い物の場面です。田舎の良さは新鮮な野菜と果物が直売所で安価に手に入ること(最近はハウスものですが、キュウリや顔ほどもあるカリフラワーの甘くて美味しいこと!)、東京の良さはとにかくお店が多く、ウォーキングを兼ねた毎日の買い物ルートを考えるのが楽しいです。不思議と毎日何かしら買いたいものがあり、店ごとにそこでしか手に入らないものを目指して出かけるのは嫌じゃないことに気づきます。やはり何かしら目的がないとつまらない。しかもそれが買い物ならなお楽しいというのは、生来人間が経済的動物だからなのかもしれません。大震災から12年経ち、この幸いな生活をいつまでも・・・と願ってやみません。


2023年3月9日木曜日

「教会の友人」

 思えば私の居場所は子供の頃から家―学校―教会というトライアングルを成していました。もちろん家と学校がいつも大きな割合を占めていましたが、週に一度行く教会も間違いなく生活の一部でした。やがて学校が職場になり、私と教会を結ぶ線はますます頼りなく細くなっていきましたが、かろうじて途切れることがなかったのは神様の恵みとしか言えません。職場がなくなった今、好き勝手に生きている自分を制御してくれるのが教会の存在です。普通に生活していて聞こえてくる国内外のニュースは、胸ふさがれるような希望の無い有様で、おそらくだからこそ若い方々がたくさん自死を選んでいる現実に二重の絶望を感じるのです。教会はこの世では決して聞くことができない言葉を聴ける場所です。神様は私たちの理解を絶するような方ですが、それでも神様は私たち一人一人に目をとめ、必要な言葉をくださいます。

 社会生活で人と心通わぬことほど辛いものはありませんが、他人の心は推し量ることができないので、苦難にある友人を慰めようとしてむしろ気持ちを傷つけてしまったり、自分には全く心当たりのない理由でなぜか避けられていると感じることなどよくあることです。こういう時、真に悩み苦しみを取り去り、心の修復ができるのは主イエスだけなのです。教会の友人とそういう話ができるのは大きな慰めで、時に「祈っててね」とお願いしたり、「祈ってるね」と約束し合う友がいるのは、文字通り有難いことではないでしょうか。ここにはおそらく神の国でしかありえないような平安が人間同士の間に成立しています。

「見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。」(詩編133:1)


2023年3月4日土曜日

「春は憂いのお片付け」

 6時少しすぎには日の出という春の到来間近のこの頃は、いつも、1月、2月に蓄積された気鬱な気持ちが噴き出してきます。母も父もりくも冬に亡くなったせいで、この期間は様々な後悔に襲われます。今朝のラジオでアナウンサーが「悔やむ時間って大事ですよね」と言っていたけれど、私の場合それほど甘くない。まともに考え始めるとてきめんに体調が悪化するのが分かってからは、ほどほどで乗り切るのを常にしています。ただこの冬は幾人かの知人の訃報が重なり、それを引きずってさらに気が沈んでいます。ものすごく身近な人でなくとも、人生の中で良い接点のあった方々が亡くなられることが続くと、本当に寂しさと高齢化の進展が体に応えます。今回は「中高生自殺過去最多」の報道が最後の引き金になったようで、まだこれから3.11もやって来るというのに気が重いことです。

 こういう時は体を動かすに限る、とばかりに今年も小さな断捨離をしています。「今日は廊下の戸棚」、「明日はリビングの引き出し」と、場所を決めて集中。1年くらいじゃそんなに捨てる物はないのでは・・・と思っていたのですが、1年たってみると「要る」「要らない」は一目瞭然。要らないものをゴミ袋に放り込み、まだ要るものは分類して最適なサイズの箱に入れます。引っ越しもそうですが、片付けの基本は分類と箱詰めです。こういう時のために私は大抵の箱は取っておくようになり、今はすっかり箱フェチになりました。箱を取っておく部屋がもう一部屋あるといいなと思うほどです(これぞ本末転倒)。箱さえあればあとは楽。片付け作業は箱の最適解を探し出して品物を上手に入れ、箱自体を収納場所に格納するだけです。集中して行うと「棚が1段空いた」、「引き出しが2個空いた」と目に見える成果が出て気が紛れます。

 今年はもう活字本は読めないなとあきらめがついたので、本はだいぶ処分しましたが、収納空間の確保がそれほど切羽詰まってはいないので、子供の頃に読んだ本や長いこと手元に置いていた本はまだ踏ん切りがつかない。よって今年は手を付けずそのままに・・・。日記、手紙類もいつかは処分しなければと思っていますが、まだいいかなあ。それにしても昔は私信と言えば手紙しかなかったのだなと実感。或る時期からはメールになって手紙はぐっと減りました。デジタル遺品は時期さえ間違えなければ、ワンクリックでしょうきょできると少しは安心できます。

 今週は片付けに専念し、ぐったり疲れました。場所をあちこち移動しただけの物もあって「何やってるんだろ」ということもありましたが、箱の移動と廃棄物の運搬には想像以上に屈伸運動がきつく、大腿四頭筋と背筋が鍛えられた気がします。今年のミニ断捨離は終わりに近づいていますが、「本当は今ある物もほとんど要らないんだよな~」という心の声が聞こえてきます。無心で作業しているとき以外は気が晴れることはありませんが、これはむしろレント(受難節)にふさわしいことなのでしょう。