11月に二週連続で帰省した理由の一つは、かつて東日本大震災により会堂の取り壊しかつ無牧となった福島教会に派遣され、会堂再建を果たして大阪に戻られた牧師先生ご夫妻が訪問されるという話を聞いたからです。先生は数年前に病を得ましたが、このたびどうしても一度福島に行かなければというお気持ちが募られたようで、娘さん二人が休暇を取ってご家族四人で車で大阪からおいでになりました。当日の朝、玄関でご到着を待っていると、先生ご一家はまずお向かいのお宅にご挨拶に行かれました。突然のご訪問ながら、向かいのお宅からは家人の驚きと歓喜の声が通りを隔てて聞こえてきました。とても親しくお付き合いされていたようで、先生ご夫妻らしいことだと改めて思いました。
礼拝後、先生ご夫妻を囲んで懇談の時を持ちました。先生はかなりお体が弱られており、会堂再建の指揮を執っていた頃のご様子は影を潜めており、これが先生とお話しできる最後の時であろうということは皆わかっていました。先生は書き上げてきたものを静かに読まれましたが、それは生い立ちから今に至るまでの道のりを綴ったものでした。
ご自宅が教会のすぐそばだったこと、日曜学校に通い、やがて礼拝に出るようになったこと、洗礼を受けたこと、高校の時の牧師だったF先生から「ケンちゃんは牧師になりなさい」と言われたこと、神学校に行き、夏の帰省のたびにF先生と親しく話をし、「ケンちゃんはいつか福島教会の牧師になるのですよ」と言われたこと・・・。
しかし神学校卒業後の派遣先は関西であり、先生はそこでの宣教・牧会に専心されます。何年か後、F牧師の引退の時期になり、「福島教会に来てほしい」とF牧師から涙ながらに懇請されたのですが、すでに牧会する教会で会堂建築を抱えていたため、先生はこの依頼をお断りするほかなかったのです。しかしそのことがずっと心に引っかかっていたそうです。ちなみに私はF牧師が引退する最後の年のクリスマスに受洗したので、F牧師が洗礼を授けた最後の四人のうちの一人ということになります。
時は何十年と流れ、先生が引退間近な頃にがんが見つかり、手術は成功して定期的に通院していましたが、一方で先生とは無関係に東日本大震災という災害が日本を襲いました。がんは再発なく五年過ぎれば寛解となります。そしてまさに五年目の診察で「もう来なくていいです」と医師に言われて帰った晩に、先生は或る知り合いの牧師から「福島教会に行ってもらえないか」という電話を受け取ったのでした。すでに75歳近くなり、病気も治って、誰もがまさしくこれから残りの人生を悠々自適に過ごせると思った瞬間のことです。「妻と一晩祈らせてほしい」と答えて、先生ご夫妻は福島行きを決めました。
その後、多くの教会、多くの信徒、多くの一般の人々から大きな支援を受けて、福島教会は再建されました。この時、コンサートの開催などを含め、中渋谷教会からも多くのお支えをいただいたご縁で、現在私は、東京にいる時にはいつもこちらの礼拝に出させていただいています。また、私の場合、父の逝去がこの時期に当たっており、完成には間に合いませんでしたが、再建されることは決定していたので父は安らかに天に召されました。大雪の日に病床聖餐を授けていただいたことも忘れることができず、この時無牧だったらと思うと、父の葬儀をどうしていたか等、恐ろしくて今でも想像ができません。
会堂再建が終わってしばらくして、先生ご夫妻は大阪に戻られました。そちらでも福島の状況を聞きたいという要望が多く、お話しするよう様々な場所に呼ばれて、お忙しくされていたようです。最後に先生は、昔、「ケンちゃんはいつか福島教会の牧師になるのですよ」と呪文のように掛けられたF牧師の言葉を思い出し、「神様はこういう形で自分を福島教会に呼んだのだな」と思ったとおっしゃっていました。おそらく、胸のつかえが下りた、そのことを皆に伝えたかったのでしょう。一人の信仰者の姿を知らされ、教会員一同やるせなくも有難い気持ちでいっぱいになりました。