2023年11月17日金曜日

「老老生活」

  先日の町内会のお掃除に、実は住民である兄は参加できず、その理由は、数日前に発熱して具合が悪かったからです。私が帰省した時には、病院でコロナでもインフルエンザでもないと診断されていたのでよかったものの、そこに至るまでの経緯によると、近所のクリニックには『砂の器』の主人公のように、蛇蝎のごとく追い払われたとかなり怒っていました。

 とりあえずそれは収まったのですが、日曜に「今は治ってるけど・・・」と別の体の不調を聞かされ、私は月曜朝一の診療を命じました。最初の病院(前述の拒絶された兄を診察してくれた病院)には該当科がなく、近くのクリニックに回され、CTでは異常なし。しかしもう少し大きな病院でMRIを撮るように言われ、撮ってみたら「これは入院ですね」ということになりました。

 私が帰省している時でよかったなと思ったのは、通院を強く勧めることができたこと、および入院の保証人欄に署名できたことによります。入院していれば安心で、私も自分の通院があったので東京に帰りました。別件で次の日曜に福島教会に行く用事があり、二週続けて帰省することになりました。前日土曜には行っておきたかったのですが、ぐったり疲れて寝込んでしまい、結局日曜の朝一の新幹線でまたの帰省となりました。

 兄の症状は、基本不摂生がたたってことなのと、大きな問題はとりあえず避けられたことは不幸中の幸いでした。最初一人部屋だった兄は、「検査の多い快適なホテルって感じ」などとふざけたことを言っていましたが、「自分が好きな食べ物がことごとく健康によくないものだった」と少しは反省しているようです。ずっと「早く退院したい」と言っており、結局9日間の入院で済みました。その間、私が病院を訪れたのは2回で、最初の時は教会の友人が心配して送迎してくれ、次の時は電車とバスを乗り継いで病院を往復しました。距離的にはそう遠くないのですが、交通機関は駅を基点にしてできているので、結構時間がかかります。地方の交通機関での移動は大変だなと思いました。

 退院の日はお昼頃帰宅とのことだったので、私は朝からスーパーで当面の食料や健康食品を買い込み、お昼の準備をしました。帰宅した兄は、「病院では気を遣って大変だった」と急に態度がデカくなった様子でした。とりあえず昼食をとりながら、私はこまごまと食事や運動の指示を飛ばしました。必要な打ち合わせをして、私は午後の新幹線で自宅に帰りました。翌朝兄から「昨夜は9時間寝た」とのメールがあり、「やっぱり家はいいでしょ」と返信。これに懲りて少しは健康に気を付けて過ごしてもらいたいものです。子供の頃母が、「二人しかいない兄妹なのだから助け合って生きていきなさい」と言っていたのを思い出します。