11月の第一日曜日は伝統的に逝去者記念礼拝があり、私は毎年これに合わせて帰省するようにしています。今年はちょうど町内会の秋の大掃除の日でもあり、参加することができました。会長さんや主だった人たちは大変だなと思うのですが、すでにあちこちの空き地や側溝沿いの目立つ雑草は刈ってあり、私たちはそれを袋に詰めて縛ったり、刈り残した草を抜いたりするだけでよいようになっていました。それでもその量たるや90リットル袋に何十もできるほどでした。
今回少し離れたところの側溝付近を手伝っていたら、名前を呼ばれました。聞けば昔お隣に住んでいた方とのことで、「あの頃、ほんとにお世話になったの」とおっしゃいます。こちらもお名前をお聞きし、「こちらこそ本当にお世話になりました」とご挨拶。お隣同士で母と何かとお付き合いのあった方なのだなとほっこりしました。あとで思い出したのですが、昔兄が転んだか何かで額から血が噴き出した時、母が額を手で押さえながら、「奥さ~ん、タクシー呼んで」と頼んだことがあったと聞いた記憶があるような・・・。それはこの方だったのでしょうか。
それから家の近くの児童公園に移り、その中の草むしりと石ころ取りをししていた時、小学校に一緒に通っていた友達の妹さんと話をする機会がありました。その頃、その方はまだ赤ちゃんだったのですが、とても立派になられて地域に根を張っていらっしゃるのがよく分かりました。この公園のブランコにどれほど乗って遊んだことか、夕方暗くなるまで缶蹴りや「だるまさんがころんだ」をして遊んだことを思い出しました。あの頃はほんとに子供が多かったな。
先ほどの方の娘さんが小学生の頃、ちょうどりくが家に来ました。りくと遊びにその子はよくやって来ました。お友達を連れてくることもあり、りくは誰とでも仲良くできる気のいい犬でしたが、やはり見知らぬ子供を相手にするのはいくらか緊張するようでした。兄によれば、「あの子はりくがなついていた唯一の子」だそうで、それもそのはず、父はその子が来た時にりくのおやつを手渡して、その子からあげてもらっていたのです。小さかったあの子も成長して今では離れたところに住んでいるとのことですが、時々帰ってきた時に、「りくちゃんもいないし、おじちゃんもいないし」と、こぼしているそうです。父やりくとの思い出が心に残っていてくれるのは、寂しい中にもうれしいものだなと、しんみりした気分になりました。いろいろな人との繋がりで人は生きているものだなと感じた秋の大掃除でした。