今週アドヴェントに入り教会暦では一年の始まりですが、日本では年末の慌ただしさが交差するこの時期、私はいつも一年を振り返り感謝の気持ちが日ごとに募ってきます。世界にむき出しの悪意が満ちる中、とりわけ戦禍のもとに自己の存在そのものを脅かされている人々がいることを思う時、よくまあ平和に過ごせたものだと不思議な気さえします。
そしてまた、この時期は人間の邪悪さ、罪深さが身に沁みる時でもあります。パレスチナの絶望的な状況は、世界史で学んだ通り、そもそも第一次大戦中に戦局を有利に運ぼうとした英国の二枚舌外交(ユダヤ人国家の建設を支持する「バルフォア宣言」および、アラブ人国家の建設を約束する「フサイン=マクマホン協定」)にあります。この神をも畏れぬ所業によって、それまで平和に暮らしていた土地が突如破壊と流血の絶えない場所になったのです。英国によらずかつての帝国主義国家は現在みな百年前の悪行のしっぺ返しを食らっています。人間の罪は償う人がいなければそのまま残るしかないのです。
人間は状況がそろえばどんなことでもしてしまう弱く恐ろしい存在です。自分の良心に一点の曇りもないという人がいたならそれはよほど鈍感と言うべきで、大抵の人は心の深淵に決して誰にも話せない暗く醜い記憶があるのではないでしょうか。これは人間によっては救われない、神様に話して赦していただくしかないものです。神の正しさを損なわずに人間の罪を赦すには、神の御子がその罪を引き受けて死ぬ以外に手立てがありません。
毎朝感謝のうちに起きてお湯を沸かし、ガラスの耐熱ポットに注いで緑や紅の美しい揺らめきを見ながら一杯のお茶を味わう時、すべての罪赦されて在ることの平安をしみじみ感じます。今朝もラジオで人権のために差別と闘っている人の声を聞きました。神様の御旨を行う人々に大きな御祝福を祈らずにはいられません。