前回帰省先から上京する前に、まだほとんど出ていなかった雑草の草むしりを念入りにしておきました。ほんのわずかに出たばかりの芽も、「こんなに小さいのに摘み取ってごめんね」と言いながら摘み取りました。どんなに小さくてもこれを放置すると次回の帰省時にどうなっているか予想がついたからです。ところがこの5月、季節はまさに青葉の頃、帰り着いて呆然。「うそだろ」というほど庭の緑が爆発していました。幼芽へのあの配慮はいらなかった・・・土の下には数えきれない緑の部隊が潜んでいたのです。
以来、朝は毎日無心になって草むしりです。草の匂いを吸い込みながらつくづく感じられるのは、計り知れない自然の生命力です。人間も自然の一部に違いなく、私は若い人たちの強靭な生命力を見くびっていたかもしれないとの思いを抱きました。人間は社会的動物ですから、その子供は社会の中で一定の場所を得るために必要なしつけや教育は不可欠でしょうが、子供の持つ生命の爆発力は本来そんなものを物ともしないはずだと思い直しました。むしろ年配者の余計な忖度こそ老害なのかもしれません。とはいえ、年老いた者は年老いた者として社会の役に立ちたい気持ちは大いにあるのです。今年は数年ぶりで町内会の春の清掃で側溝の泥揚げがあると聞きました。年配者は、あって当たり前と思われているインフラの保守管理など、裏方の仕事に徹した方がよいのではないかと考え始めています。