2023年5月13日土曜日

「昔の言の葉」

  遠方に住んでいる四十年来の友人から時々電話がきます。最初の職場での出会いから変わらず連絡を取り合っており、めったに会えませんが電話やメールでいつも相手の状態をだいたい把握しています。よほど気が合うのだろうと思われそうですが、そうではありません。「中学や高校のクラスメートとして出会っていたとしたら、たぶん友達にならなかったよね」という点でお互い意見が一致しています。互いの友達のタイプとは違うのです。この関係は最初の困難な職場で一日の半分以上を共に過ごし、文字通り戦友として互いの血と汗と涙を知り尽くしたことの結果です。

 最近は昔話になることも多く、「あの時こういうことあったよね」、「その時××がこう言って大笑いしたね」と、記憶を掘り起こして話すのですが、記憶のツボが違うらしく、お互いに相手の言うことを覚えていないことがたびたびです。先日はこんな会話をしました。

彼女:「前に『あなたの人生いつ始まった?』って、私に聞いたよね」

私:「私そんなこと言った?」

彼女:「言った。私、自分の答えは覚えてないけど、あなたの答えは覚えてる。『私は中学だな』って言った」

私:「全然覚えてない・・・・・・茨木のり子の『花ゲリラ』だね。」

(うーむ、あの頃そんな大それた会話をしていたのか・・・)

 私が通った中学は、確かにかなり個性的で面白い生徒が多く、山出しののんびりした私は驚きの連続でした。初めて出会うタイプのクラスメートにおっかなびっくり、時に格闘しながら過ごしたような気がします。子供時代のやり取りやぶつかり合いは強烈なものですが、それだけにその後のつながりは強く、今は東京組の同級生の訃報に、故郷組と連絡を取り合って悲しみを共にするほどです。

 しかし今気づいたのは、それと意図せずに発した自分の言葉の意味です。「自分の人生は中学の時に始まった」という言葉は、今聞くと全く違う様相を帯びてきます。というのは、私が洗礼を受けたのは中学の時だったからで、これもまた己にとっての「花ゲリラ」か。これまで自分がその場その場で適当にいい加減な言葉をまき散らしてきたことに慄き、もういい歳なのだから今後は「もうすまい」と自分を戒めました。それでも、風に吹き去るもみ殻のような言の葉の中から、千に一つとしても、その言葉を神様が真実に変えてくださっていたのだとしたら、本当にうれしいことです。