熱帯夜があまりに長く続いたため、すっかり睡眠のリズムが狂ってしまいました。夜は2、3時間おきに目覚め、そのまま眠れなくなって「ラジオ深夜便」を聞いたり、朝ぼんやりした頭で「マイあさ」をつけて覚醒したりするので、ラジオが手放せません。この24時間無休の媒体がいかに多くの方々によって担われているかに感嘆すると同時に、ラジオの方々はどうしてこう気持ちのいい人たちが多いのだろうと感心します。
これぞ言葉のプロと思えるアナウンサーが大勢いて、その言葉遣い、対話相手との絶妙なやりとり、リスナーへの配慮など、磨きのかかった技に圧倒されます。一人一人個性的で、リスナーから銘々「押し」のアナウンサーへお便りもたくさん寄せられるようです。今でも葉書やファックスを書いて送る方がいる一方、話題に合わせてその場でメール送信をする人も多く、これがまた面白い掛け合いに発展します。
アナウンサーの皆様が当意即妙で楽しくかつ気遣いのできる方々であるせいか、リスナーの皆さんも本当に善意の方が多い。新潟からは「あめの多い地域の方々には本当に申し訳ないのですが、雨が降りません」と干ばつに悩む声が届いたり、夏の巡回ラジオ体操では体操の指導者の呼びかけに答える地元の方々の元気な声が半端ない。世界中このような方々ばかりなら問題なく平穏に過ごせるだろうと思えるほどです。
私の「押し」は土曜日「マイあさ」担当の女性アナウンサーで、とても巧みな言葉遣いの方なのですが、時おり漏れる素の声が面白いのです。或る歌の歌詞に関する話題で、相手が「『今だからこそ言える』という現在の静かな時間はいいですね」という趣旨のことを述べた時、彼女は「私は『今だからこそ言える』ということは、言う必要のないことだと思います」と答えたので、私は「そりゃそうだ」と、可笑しすぎて捧腹絶倒。この方はまた、コロナ後の学校でプールが再開された話題で、もう一人のアナウンサーから「〇〇さんはプール好きでしたか」と聞かれ、「大嫌いでした」と即答。「学校のプールは大嫌いでした。先生に『〇〇ちゃん、みんなで同じ行動がとれるまで終わりませんよ』って言われてました」と付け加えたので私はまた爆笑。何気なく話を振った相手もそこまでの秘話は予想してなかったでしょう。さらに先日は、「9月になって一挙に長袖やスーツ姿の通勤客が増え、まだ夏服の自分は居心地悪かった」という趣旨の(日本でしかありえない)投稿に対して、「私は今日もノースリーブにサンダルです。心地よさ重視で」と、言っていました。この人、本当にいいな。同調化圧力をものともせずに頑張ってほしい。
CMばかりで身の部分が非常に少ないテレビに比べ、ラジオは(その内容やジャンルの好き嫌いは別として)中身は充実しています。カバーする範囲が広く、全く関心をもったことの無かった分野でも聞いているうち興味が湧くこともたびたびです。それに、もしかするとこれがラジオを好きな一番の理由かもしれないと密かに思っているのは、毎時の時報が聞けることです。デジタル放送になってから時報が聞けなくなったテレビがなんとなく不安で、不満だったのだなと自覚したのはわたしだけでしょうか。寺宝の前後にほぼ確実に天気予報と簡潔なニュースが聞けるのも気に入っています。