元首相が選挙応援中に暗殺されて一年もたたずに、またしても首相が狙われるという事件が起きました。この時も帰省中でテレビの映像を見ましたが、たまたま被害に遭わなかっただけで、非常に危うい状況だったと分かり、愕然としました。爆発物が首相の足元近くに落ちたというのは、致命的にまずいとしか言いようがなく、セキュリティは一体どうなっているのかと不安になります。
恐らく皆の注意を引いたのは、容疑者のすぐ後ろで彼を捉えた赤いシャツの男性でしょう。突発的な出来事に即応して反射的に動ける人は本当にすごい。後で漁業関係者と分かり納得、瞬時の判断の遅れが命取りとなる、海の男だったのです。
今回の事件を先の事件の模倣犯と見なしたい向きがあるようですが、どうなのでしょう。確かに二人とも、効率主義が浸透した時代に生まれ育ったせいか、トップを狙えば世の中が注目すると考えているようではありますが、今回の容疑者は二十代前半とかなり若く、現在の選挙制度が民主主義の弊害となっているとして裁判を起こしていたとのこと、相当気合いの入った、毛色が違う方という気がします。
確かなのは、どちらも将来への希望が見えない時代を今後も相当長く生きなければならないということです。ひたすらおとなしく、ごく自分の周囲の事のみに関心を向けている若者が多い中、二人の若者が時をおかずして大それた犯罪を起こした背景を考えると、若者の状況が一つの段階を越え、別の次元に入った可能性も考えなければならないと思います。
「浦河べてるの家」の向谷地生良さんが本の中で、「私が親として子育てをしながら、我が子に言い聞かせてきた事がある。それは、『もし今の時代を子供として生きなければならないとしたら、生きていく自信はない』ということだ」と書いていました。私も全く同感です。親が生きてきた時代とは別物の過酷な世界が待っているのは間違いなく、これから目指す必須の事として、人が自分の頭で考え決断して、失敗してもまた起き上がる強固な精神を持つこと、また人生の分岐点とも言えるような肝心なところで、最適な人とつながれる社会性を身につけること以外ないように思います。日常的に子供をめぐる親の事件を聞く時、まるで鬼のように言われている場合でも、「この方、極限まで頑張って、でもどうにもならず、ポキッと折れちゃったんだろうな」と、やるせない気持ちになります。若い方がこの先の長い未来を見通して、毎日同じ繰り返しのつまらない生活やパッとしない自分の人生に何の意味があるのかと、嫌気がさすこともあろうと思います。でも早まらないでほしい。長く生きてみないと分からないことは確実にあり、その道筋を愛おしく思う日がきっと来るはずです。大前提は「死なないこと」、「殺さないこと」です。若い方々、どうぞ何としても生き抜いてください。