2023年4月3日月曜日

「懐かしの『コロンボ』」

  ミステリの中に「倒叙ミステリ」という名のジャンルがあることを知ったのは割と最近のことです。私にとってこの手法の走りは言わずと知れた『コロンボ』シリーズです。いきなり犯人が犯行に及ぶ場面から始まるのに最初びっくりしたものですが、何作かドラマを見ているうち、冒頭で犯行が明かされた後、コロンボがじわじわと犯人を追い詰めていく面白さにすっかりハマりました。たしか土曜8時の番組で中学の頃始まったと記憶しています。その頃のゴールデンタイムの世の趨勢に違わず、うちでも家族がテレビの前に勢ぞろいで放映が始まるのを待ち構えていました。お風呂か何かで少しでも遅れると、犯行の重要な部分を見逃してしまい、説明なしのほぼ無音の映像が続く中、「今どうなってるの?」、「誰がやったの?」などと聞こうものなら、「見てるんだから静かにして」と家族の顰蹙を買うこと請け合いでした。大人も子供も集中して見るこのような番組が今あるのかどうか・・・。

 話の筋やトリックは現在の日本のミステリの基準からすると単純すぎるほどシンプルで、時にお間抜けにも思えますが、犯人の視点が明かされているので、視聴者はその後の展開を予想しながら引き込まれていきます。危険を察知していない目撃者や共犯者に「あなた逃げなきゃダメ!」とか「残念だけどこの人も長くないな」とじりじりしたり、コロンボの言葉に誘導されて証拠隠滅や偽装工作を図る犯人に「この人もこれで墓穴を掘るんだな」と憐れんだりしながら、手に汗握りながら登場人物の一挙手一投足を凝視し続けることになるのです。

 シリーズが続くうち、中にはすっきりしない犯罪模様や主筋を離れた凝り過ぎの周辺話に、「なんか前の方がよかったな」と思う作品もありましたが、このあたりは好みの分かれるところでしょう。最後に有無を言わせぬ証拠が犯人に突き付けられ、一瞬の沈黙の後エンドロールに入る終わり方が私は一番好きでした。今イチよく理解できない結末のドラマの時は、「これで終わり?」、「え、どういうこと?」などと、五里霧中の頭でぼんくら家族談義になったりもしました。犯人を罠にかけて自白を引き出す手法が結構よくありましたが、あれは司法取引のあるアメリカ特有のものなのでしょうか。今なら「この程度の状況証拠と自白だけでは日本じゃ公判が維持できないだろう」と言えますが、子供の目には「警察がそんなことしていいの?」と、ちょっと恐い気がしました。この典型は『ロンドンの傘』で、最後の結末は忘れられない場面として脳裏に刻まれています。

 当時、舞台となるアメリカの豪邸や最新のテクノロジーには驚嘆させられましたが、これがアメリカならではの犯罪を構成していたのは間違いありません。音に反応して開く扉が犯行時の銃声を証明する話のインパクトは強烈で、ギーッと扉が開いて人形に光が差し込む場面は今でも思い出すと背筋がゾクッとするほどです。また、どう見ても日本の水準的には無駄にデカいアメ車には驚きを通り越して呆れるばかりで、古いポンコツ車として登場するコロンボの車さえ、「こんなに立派そうに見えても!?」と、途方もない米国の富の力に眩暈を感じたものでした。全世界に配信された『コロンボ』シリーズは、あの時代、アメリカの威信を確固たるものとすることに貢献したはずです。少なくとも日本では子供から大人まで、この風体の冴えない刑事の、いわく言い難い魅力に当てられた感じで、素直に「とても敵わないなあ」と思えました。

 或るサイトによると、『コロンボ』シリーズの傑作として必ず挙げられる作品の一つは『別れのワイン』とのこと。これは確かに、犯人の自白を引き出す最終場面が秀逸でしたが、犯行は単純なのに話がやや冗長に感じられました。何より秘書が怖すぎて私の好みに合いませんでしたが、コロンボと犯人の大人の会話のやり取りを楽しめる人には最高の出来栄えかも知れません。それに対してやはり傑作とされる『魔術師の幻想』は、最初から最後まで息つく間もなく引き込まれる構成であっぱれでした。証拠も完全、犯人の出自に仰天し、最後の奇術対決の見せ場も見事な落ちでした。

 他にもあれこれ思い出すと、壁に塗り込められた女のポケベルが鳴る幕切れの話や、サブリミナル効果を使った犯人のあぶり出し、レコードの針でマジックペンを弾き飛ばすトリック、書庫に閉じ込められて死んだ作家のダイイング・メッセージなど、もう一度全話見てみたい気持ちになりました。なるほど、何度見ても楽しめるのが、犯人捜しを主眼としない「倒叙ミステリ」の強みなのですね。これは結構悪魔的手法かも知れません。