私がしている月に一度の帰省は傍目には何でもないことのように見えるかもしれません。新幹線の乗車時間は1時間半ですから、そのくらいの移動を毎日している勤め人はいくらもいることでしょう。実際、働いていた頃、入院した父の見舞いで毎週の帰省を半年続けたこともありました。金曜の夕方、終業後に新幹線に飛び乗り、翌日に父を見舞い、日曜に自宅に戻るということを続けられた時期があったとは、今では信じられないくらいです。私の帰省の現況をケーススタディとして、「年寄りはなぜやることが遅いのか」について考えてみました。
<帰省するまでの現況>
現在帰省の準備は、ネットスーパーの受付が始まる前々日の夕方から始まります。また、なるべく出発までに自宅の冷蔵庫の中のものを減らして空に近づけますが、余ってしまったものは冷凍、冷凍できないものは持参するためまとめておきます。それから、早い時刻の新幹線を一応確認し、兄に帰省日と時刻を知らせて駅までの迎えを頼みます。ここまでが前々日にすることです。
前日には荷造りをします。帰省先にあると便利だと思うものは日頃から旅行バッグに補織り込んでおきます。また、それがないと身動きできなくなるという意味で私にとっての貴重品、眼鏡や薬、パソコンの記憶媒体、小型ラジオ、バックライトの腕時計、普段は使っていないスマホ等を忘れずに準備します。前日は、普段かけない目覚ましを、かなり早朝(出発の1時間半前)にセットして寝ます。
これでようやく当日を迎えます。当日は食事をしっかりとり、幾分かの水分と食料を携帯します。
1. 年寄りは長大な段取りを考える
なぜ前々日から準備が必要なのか、そもそも食料の宅配は必須なのかと言えば、天候や体調等の理由で、買い物に行けるとは限らないためであり、前日の注文では既に宅配予定が埋まって注文停止になることがあるからです。
なぜ早い時間帯の列車に乗るのか、午前の遅い時間帯なら空いていて体も楽ではないかと言われるなら、事故や地震が起きると列車は数時間止まり、遅れはどんどん波及するため、早い時刻の方がトラブルは少ないからです。
1時間半も前に起きる必要があるのか、食事は待ち時間や新幹線内でも取れるのではと言われれば、外では何が起こるかわからない、最近は列車に何時間も閉じ込められるケースもよく報道されるので、備えておくに若くはないというほかありません。
このように起こり得るリスクや考えられる不都合な事態を避けようと先々まで考えてしまうため、段取りが非常に長くなります。非常時にパッパと動けた若い時と違い、年寄りは普段と違う事態に立ち至ると自分が呆然と佇んでしまうであろうことを自覚しているので、考え過ぎと思われるほど過剰にリスク回避に努めます。
2.年寄りは一度の稼働時間が短い
帰省するまでの手順を読んで、随分こまごました事項をちまちまとやっているなという印象を抱いたことと思います。若い方は「これ全部、三十分あればササッとできるでしょ」と不思議に思われることでしょう。私も以前はそう思っていました。「歳をとるとはどういうことか」は実際にそうならないとわからないものです。
歳を取ってからの健康状態や体力は個人差が大きいものですが、やはり誰しも四十歳を過ぎる頃から疲れやすくなるということに同意なさるのではないでしょうか。生物において染色体のテロメアの長さはほぼ寿命に比例するとのことですが、唯一の例外が人間で、本来なら人間の寿命は38歳くらいと聞いた覚えがあります。この仮説の正しさはともかく、体感的には納得です。若い時と一番違うと私が感じるのは集中力で、とにかくすぐ疲れてこれが続かない。仕事は途切れ途切れになるだけでなく、時には段取りを考えるだけで疲れてしまうこともあります。また年寄りは何かしら病を抱えているのが普通で、休み休みしないと後で体調を崩すことが経験的にわかっています。若い時は勢いで一気に片付けられたのに、歳をとると小さなタスクを積み重ねて目標を遂げるしかありません。同じことをするにしても、休憩時間の分だけ倍以上に時間がかかるのです。
3.年寄りは自分のやり方にこだわる
年寄りの生活は習慣に従うことにより形成され、精神的安定も得られます。つるかめ算で答えを導き出していた小学生が連立方程式を使って解を出せるようになると、「何と明快でスマートなのだろう」と思うものです。しかし、新しいものをうまく受け付けられなくなるとしたら、連立方程式を使うことをためらい、つるかめ算を使い続けるでしょう。現代のICT機器の発展は多方面に著しく、しかも急速に入れ替わりつつ進歩しているので、年寄りの多くはその速さについていけず、従ってどれほどの利便性を発揮するものなのか理解できずに日々が過ぎていくのです。私も今のところはネットスーパーでの注文ができていますが、視力の問題もあり、ウェブ上のテンプレートが改訂されて使い勝手が悪くなったりすると、「せっかく慣れてきたのに」と腹立たしく思うことになります。
また、ICT機器を使う方向で進んだ場合のリスクや人間へのデメリットをあれこれ考えてしまうと、無邪気にその便利さを享受する気になれないという側面もあります。こうして、新しいものに柔軟に対処できればやることが比べ物にならぬほど速く進むのを知りながら、諦観とともに敢えて流れに乗らずにいるという場合も相当数あるでしょう。
移動に伴う無駄は或る程度しかたないと頭では分かっているのですが、もったいない精神が抜けず、捨てられない人もいます。また、移動先では調理手段や調理器具が異なる場合、いつもの慣れた仕方で行うために、たとえバッグが重くなっても、自宅から便利グッズを持ち運んでしまうのが年寄りなのです。
これが、傍から見ると、「何をしているのか分からない」、「やる気(仕事を進める気)があるとは思えない」、「ことさら不便な方法を選んでいる」としか思えない年寄りの実態です。本人の中では整合性が取れている「これしかないやり方」なので、他の方法や手順を勧めても無駄なのです。