2023年7月27日木曜日

「日本近現代史の見直しと再建」

 日本の江戸末期から明治以降現代に至るまでの歴史の掘り起こしが進み、最近にわかに「日本の近現代とは何だったのか」について見直しが行われるようになりました。特に衝撃を与えたのは、『明治維新という過ち』に始まる、薩長官軍史観に立つ明治維新を批判した原田伊織氏の一連の著書でしょう。幕末、植民地化の惧れのある危うい時期に、諸外国に向けて有効な対処をしたのは徳川幕藩体制下の優れた官僚であったこと、薩長は混乱に乗じて幕府からの権力奪取を第一義的な目的として、そのためには天皇の勅許を偽造する、下級武士や荒くれ者を煽って常にテロと戦闘を画策するなど、幕藩体制の破壊にあらゆる手を用いたことを原田氏は一貫して述べています。

 東北、特に会津に対する長州の憎悪は天井知らずで、会津戦争に敗れ恭順を示した後でさえ、到底ここには書けないような遺体への辱めや葬りの不許可、女性への凌辱など、人間とは思えぬ悪逆非道の行為がなされました。これらは一つ一つそれぞれの場所で事実として辿れることであり、悲しみと怒りの証言は山ほど残されています。この出来事は、明治維新から120年の記念に萩市から友好都市関係の申し入れがなされた際、「まだ120年しかたっていない」と断られるほど、癒し得ぬ大きな禍根を残しました。この事実を知って、現在萩市には未来志向で関係を修復したいと働いている方々がいらっしゃるようですが、容易ならぬことです。ひとたび人道に反する行為がなされると、相手を赦すのは至難の業です。会津の方は「(会津戦争について)和解はしない。和解はしないが(萩市の方々と)仲良くはできると思う」と言っておられました。

 一番考えさせられたのは、明治維新があのようなテロと戦闘の暴力革命でなければ、夜郎自大的な太平洋戦争にまでつながる好戦的な雰囲気が醸成されることはなかったかも知れないということです。テロと暴力によって権力を握った体験から、明治以降の政府はその後の欲望の実現を同様の手法で遂行したのでした。いま静かに思い返すと、亡き元総理にまつわる数々の足跡、即ち戦争ができる国にするためにとった民主主義を踏みにじる様々な行為、全ての国民を包含する視点を持たず、反対者を敵視或いは嘲笑し虐げる態度、オリンピック招致のため世界に向けてついた原発放射能事故に関する大嘘、政権にとって都合の悪い議事録の偽造や廃棄による証拠隠滅、「桜を見る会」に象徴されるネポティズム・・・といった数えきれないほどの事柄がまさしく長州由来の手法であることに気づきます。「やっぱりそうだったか」とあらゆることが、或る意味きれいすぎるほどきれいに腑に落ちました。

 しかしもちろん、どこの出身であろうと、どんな出自であろうと、個人の在り方はその人自身が決めるもの、地域を先入観で見るつもりはありません。しばらく考えながら過ごすうち、心に確固たる強さで湧き上がってきたのは、「正しく生きなきゃいけないな」という思いでした。損をしてもいい、世渡り下手でいい、何か怪しいと感じるような汚れた行為に手を染めたくない、とつくづく思ったことでした。正しさの基準を持たない利己心は結局自分をも国をも滅ぼすからです。その場その場で好機を逃さずうまく対処したつもりでも、そこに人間として赦されざる要素があれば、その悪行はいつまでも消えることなく、何度も何度も繰り返し自分に跳ね返ってくるのです。