2022年度の不登校の小中学生はおよそ29万9千人で、10年連続増加し過去最多となったことが公表されました。22%という大幅な増加ですから、コロナによる生活環境の変化が影響を与えているのは確かでしょうが、学校制度そのものが時代の要請に合わなくなっているのです。
周囲に不登校の子がいることもまれではなくなりました。私の身近にも同様のケースがあり、中学一年の半ばから高校三年までお子さんのご様子をお聞きしながら、見守ってきた友人がいます。中学時代はほぼ学校に行けておらず、親御さんの心痛を間近で知って祈ってきました。親御さんはお子さんと向き合うことはもちろんですが、体調管理や気分転換、カウンセリングや学校探しなど、およそ考えられるありとあらゆることを行ってきました。私には神様に祈ることしかできませんでしたが、そのことは伝えてきました。
その後、高校へ進学できたことで少しずつ登校できるようになり、三年間休みながらも学校行事にも参加でき、なんとか通えていました。二年生の時だったか、「友達がコロナに感染し、本人は陰性だったが濃厚接触者となって今家にいる」と知らされた時は、「中学時代のことを想えば、学校に通えて友達もでき、あまつさえ濃厚接触者に慣れるなんて、夢みたいだよ」と答えたのを覚えています。
先日教会の或る冊子に、その友人に関する、お子さんとは無関係のことを書いたのですが、ふとその日がお子さんの誕生日であることを思い出し、「おめでとう」のメールを友人に送りました。するとすぐ電話が来て、いろいろ話が聞けました。驚いたのはまだ校内での話ではあるものの、どうやら推薦で大学が決まりそうということでした。「よかったね~。おめでとう、二重の喜びだね」と言って電話を切ってから、私はこの六年間のことを思い返していました。
たまたま友人のことを冊子に書こうと思ったこと、書いた日がお子さんの誕生日だったこと、その日に望外のうれしい知らせを聞いたこと・・・これら一連のことをあれこれ考えるうち、ちょっと震えが来るのを感じました。中学一年に始まった不登校が、中二、中三と続くにつれ、私は「これはかなり難しいかもしれない」と思うようになっていました。また、不登校や引きこもりの本を読み漁って、長引くケースも多いと知り、私の心もかなり暗く、重くなっていきました。高校に進学できた時、私は祈りつつも、また再発しないかとこれからのことに不安を抱いていたのです。それが今回無事大学へ進学できるらしいことが分かって安心し、どっと力が抜ける思いでした。中学の頃を思い出せば奇跡というほかなく、三年前のあの頃には決して想像できない結果です。
しかし、震えが来たのはそのためではありません。私は、自分については、神様がもっと大変な時をも乗り越えさせてくださったのを知っていたのに、今回のことについては、祈りつつも神様の御力を信じ切れていなかったことを知らされたのです。神様は私に、「わたしはずっとお前を導き、祈りに応えて一番よいものを与え続けてきたというのに、まだそんなことも分かっていなかったのか」と、おっしゃったのです。その通りだと思いました。今の気持ちを表す一番ぴったりの言葉として、「神様は今回の件を通して、その栄光を私に現されたのだ」、という以外ありません。ともかく神様のご計画とその御心を自分への戒めとして、ハッとさせられると同時に深い平安を感じた出来事でした。