2023年3月4日土曜日

「春は憂いのお片付け」

 6時少しすぎには日の出という春の到来間近のこの頃は、いつも、1月、2月に蓄積された気鬱な気持ちが噴き出してきます。母も父もりくも冬に亡くなったせいで、この期間は様々な後悔に襲われます。今朝のラジオでアナウンサーが「悔やむ時間って大事ですよね」と言っていたけれど、私の場合それほど甘くない。まともに考え始めるとてきめんに体調が悪化するのが分かってからは、ほどほどで乗り切るのを常にしています。ただこの冬は幾人かの知人の訃報が重なり、それを引きずってさらに気が沈んでいます。ものすごく身近な人でなくとも、人生の中で良い接点のあった方々が亡くなられることが続くと、本当に寂しさと高齢化の進展が体に応えます。今回は「中高生自殺過去最多」の報道が最後の引き金になったようで、まだこれから3.11もやって来るというのに気が重いことです。

 こういう時は体を動かすに限る、とばかりに今年も小さな断捨離をしています。「今日は廊下の戸棚」、「明日はリビングの引き出し」と、場所を決めて集中。1年くらいじゃそんなに捨てる物はないのでは・・・と思っていたのですが、1年たってみると「要る」「要らない」は一目瞭然。要らないものをゴミ袋に放り込み、まだ要るものは分類して最適なサイズの箱に入れます。引っ越しもそうですが、片付けの基本は分類と箱詰めです。こういう時のために私は大抵の箱は取っておくようになり、今はすっかり箱フェチになりました。箱を取っておく部屋がもう一部屋あるといいなと思うほどです(これぞ本末転倒)。箱さえあればあとは楽。片付け作業は箱の最適解を探し出して品物を上手に入れ、箱自体を収納場所に格納するだけです。集中して行うと「棚が1段空いた」、「引き出しが2個空いた」と目に見える成果が出て気が紛れます。

 今年はもう活字本は読めないなとあきらめがついたので、本はだいぶ処分しましたが、収納空間の確保がそれほど切羽詰まってはいないので、子供の頃に読んだ本や長いこと手元に置いていた本はまだ踏ん切りがつかない。よって今年は手を付けずそのままに・・・。日記、手紙類もいつかは処分しなければと思っていますが、まだいいかなあ。それにしても昔は私信と言えば手紙しかなかったのだなと実感。或る時期からはメールになって手紙はぐっと減りました。デジタル遺品は時期さえ間違えなければ、ワンクリックでしょうきょできると少しは安心できます。

 今週は片付けに専念し、ぐったり疲れました。場所をあちこち移動しただけの物もあって「何やってるんだろ」ということもありましたが、箱の移動と廃棄物の運搬には想像以上に屈伸運動がきつく、大腿四頭筋と背筋が鍛えられた気がします。今年のミニ断捨離は終わりに近づいていますが、「本当は今ある物もほとんど要らないんだよな~」という心の声が聞こえてきます。無心で作業しているとき以外は気が晴れることはありませんが、これはむしろレント(受難節)にふさわしいことなのでしょう。