2021年12月30日木曜日

「紅春 195」


   秋口から本格的にりくの「脚力強靭化計画」に乗り出し、せっせと散歩に励んでいたところでした。歩く時少し弧を描いていた右後ろ脚も改善してきて、半分までしか上れなかった階段も七分目まで上れるようになってきたところだったのに、自分の方がアクシデントに遭ってしまいました。この騒動で早めに上京することになり、りくに申し訳ない気持ちです。帰る時、いつもは寝ているりくがわざわざ起きてきて、「姉ちゃん、もう帰るの?」という顔で見つめているので、「散歩してあげられなくてごめんな」と言いました。「姉ちゃん、また治して来てね」と、りくの声を代弁する兄に駅まで送ってもらいながら、「くれぐれもりくの散歩よろしく」と頼んできました。

 思えば暮れも押し迫った15年前の12月30日、「新しいうちで新年を迎えられてよかったね」と柴犬舎の人に見送られながら、りくを連れて帰りました。大きなケージの隅っこでちょこんと座っていた生後11週の本当にちっちゃな子犬でした。用心深いりくは本当に少しずつ家に慣れていき、父の薫陶を受けながら近所デビューをしてあっという間に人気者になりました。やがて恐ろしく賢い成犬になり、いつしか老犬になりました。年末か年始のどちらかをりくと過ごすのが恒例でしたが、今回はずっと東京で残念です。りくに会いたいなあ。



2021年12月25日土曜日

「リアルな老後体験」

 帰省先で不注意からアクシデントに遭遇、時節柄地方の病院にかかるのは気が引けたので、クリスマス礼拝にだけ出席して急遽自宅に戻ることにしました。翌日受診すると、「骨折してます。一カ月は安静に」と言い渡されました。あまりにお間抜けなことなので詳細は控えますが、たぶん人生初の骨折です。痛いは痛いのですが、骨折箇所が脚ではなかったため、「骨折してても帰省先から新幹線で戻れる程度なのか」と妙に感心しました。入院せずに済み、湿布を貼り換えながら自然に治るのを待つだけでよいと知り、ひとまずホッとしました。

 最初の一、二日はかなり痛かったのでほとんど動けず、何年後かの身体動作の予行演習のようでした。以前罹った変形性膝関節炎が完治し、違和感なく過ごせるようになるまで三年かかり、また、その後に生じた五十肩は受診して注射で即日治ったっけ。膝の時は経路にあるエレベーター、エスカレータの設置場所を頭に叩き込んで行動しなければなりませんでしたし、五十肩の時は受診するまで日ごとに痛くなって寝返りも打てない状態だったことをつらつら思い出しました。いろいろ体験していてお恥ずかしい限りですが、あまり高齢にならないうちに今回のことが起こってよかったと思うのは、こういう場合の対処法が体感できたのと、まだ持ちこたえる気力が十分ある歳だったというのが大きいです。少しずつでも確実に良くなっていくのを実感しながら、このリアルな老後体験も神様の御差配だなと思い至りました。横臥して考えるのは今後の将来設計に役立つことばかりです。

 身体に異常が起きたとき一番気になるのは、「今どういう状態にあるのか」ということだと今回実感しました。そしてそれが判っただけで、ほとんど治ったと言えるほど気分が楽になったのです。さらにまたしても知らされたのは、自然治癒力のすごさです。これほど医療の進んだ現代でも、自然に治るのを待つしかないとはなんと小気味よいことでしょう。「夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない(マルコ4:27)」といった自然現象と同様、このような治癒力はまさしく自然のものでえありながら、その自然を司る超自然的な方がおられるのを感じます。幸い日常生活は支障なくできる状態なので、神様から少しお休みをいただいたと受け止めています。朝夕祈りつつおとなしく過ごす静かな年末年始です。


2021年12月22日水曜日

「今年の私的ヒット調理器具」

1.鉄製蓋つきグリルパン

 「今年の」と言っても、私が知らなかっただけで既に多くの方に使われている製品なのでしょう。電子レンジは別として、ガスを使う調理には、大きく「焼く・炒める・煮る・蒸す」等の方法があり、これまで調理器具として、焼き網・フライパン・鍋・蒸し器等くらいしか使ってきませんでした。焼き魚は普通コンロ下に付属しているグリルを使いますが、臭いが出るのでこれまで東京ではやったことがなく、帰省した時しか食べられませんでした。焼き魚用の電気ロースターもあるようですが、私の台所には置き場がないほどの大きさです。そこから検索するとコンロ付属のグリルで使うグリルパンがヒットし、購入することにしました。いつも調理器具を買う時は半分以上期待外れを覚悟していますが、このグリルパンは大正解でした。以下はそのメリットです。

(1) ガスコンロ付属グリルのスペースを利用しない手はありません

 ここに入るサイズの鉄製蓋つきグリルパンを選んだので、使用後の収納場所に困りません。陶器製のもありましたが、①鉄製である、②蓋が付いている、③ハンドルが付いている、の三点から商品を決定しました。そのメリットは、①熱伝導がよく壊れない、多少焦げても気にならない、②料理によって蓋が付け外しでき、蓋つきで蒸すと食材がふっくらし、臭いを抑えられる、その後に蓋を外して焦げ目がつけられる、③他の多くはミトンで取り出す仕様でしたが、やけどが恐くてハンドル付きはありがたい、といったところでしょうか。

(2) 魚はもちろんですが、肉や野菜を入れて蓋をして焼くだけで、素材の美味しさを味わえることが分かりました。特に肉がふんわり焼けるところはフライパンとは明らかに違います。

(3) この商品の気を付ける点はただ一つ、「中火」以上にしないこと」です。このことは取扱説明書にくどいくらい書いてあるのですが、なぜか添付されているレシピの冊子には「強火で焼く」と書かれているため、レヴューに記載された不具合はこの間の齟齬に起因するようです。この点は製品に合わせてレシピの方を書き改めるべきでしょう。強火で焼いてはいけません。鉄製なので使用後、洗った後は水気を拭きとり油を塗っておく等の手入れは必要ですが、とにかく手軽なので困った時のグリルパン頼みになりそうです。


2.耐熱ガラスの保存容器

 これまで下ごしらえした食材や調理した料理はタッパーで冷蔵庫や冷凍庫に保管してきましたが、重いというハンディはあるもののガラスの容器がよいかと思い、サイズ違い8点セットの蓋つき耐熱ガラス保存容器に買い換えました。以下、利点です。

(1) 400℃の耐熱ガラス

 料理を小分けにして保存し、必要な時にそのままオーブンに入れることができます。

(2) 汁物OKの保存容器

 容器が密閉できる蓋付なので、横にしても中身が漏れないとのこと。故意にやったことはありませんが、今まで鍋ごと冷蔵していた汁物も気軽に保存でき、場所をとらず、冷蔵庫内が整理できます。

(3) 中身が一目瞭然、重ねて使える利便性

 タッパーでも半透明で或る程度中身の区別はできましたが、ガラスだとさらに明瞭で、欲しいものがすぐ取り出せます。うまく冷蔵庫の棚の高さに合わせているようで、二段重ねもちょうどよくでき、冷蔵庫が広くなった感じです。

(4) 蓋の開閉が容易な空気孔の存在

 保存時の温度によっては蓋が外れないほど密閉しますが、空気孔が付いているので問題なく開けられます。


 よく考えられた保存容器で、1セットあるとなにかと重宝します。気を付ける点があるとしたら、当たり前ですが直火で使わないこと、蓋をしたまま電子レンジやオーブンにいれないことでしょう。コロナ禍で自粛生活が長くなり、調理についてまだ改善点があるとわかった年でした。ちょっとしたことですが、利便性が上がると気分も軽くなります。


2021年12月17日金曜日

「紅春 194」


 本格的な冬支度をしながら、最近のりくはすっかり寒がりになったなと思います。以前は秋口から下毛がびっしりと生え、見た目ぷっくりとした感じになったのですが、今は痩せ犬のまま・・・。天然のコートがなくては寒がりになるのもやむなしと、りくの寝床をパワーアップしました。厚手の毛布の一部を縫って袋状にし、なるべく体が飛び出ないようにしてこたつにセットしました。今までの寝床も少し嵩上げし、その上に毛布を置くようにしたのでふかふかのはずです。りくも気に入ったみたい。

 また、全身を濡らして風邪でもひかれては大変と、この冬はお風呂に入れるのは断念しました。そのかわり、シャンプーを薄く溶いたお湯にタオルを浸して絞り、りくの体を拭くことにしました。これを三回繰り返し、最後はお湯で拭くと相当きれいになります。りくも毛づくろいをしてもらっているとわかるらしく、嫌がるどころか喜んでいます。またいい季節になったらジャブジャブ洗ってあげましょう。

 一年で最も日の出が遅い季節、りくが早朝起こしに来ることはなくなりました。私が5時頃起き、台所でストーブに火を入れてごそごそしていると、しばらくしてりくが顔を出します。それから阿吽の呼吸で散歩に出かけるのがこのところの日常です。


2021年12月13日月曜日

「思わず納得、少子化の真の理由」

  一般に議論される少子化の原因や対策とは全くベクトルが違う面白い説を知りました。赤川学の『これが答えだ!少子化問題』(ちくま新書、2017年)で詳しく紹介されている高田保馬という学者の説です。高田保馬は明治生まれ(1883-1972)の経済学者にして社会学者、歌人でもある独創的な学者ですが、京都大学で高田保馬から経済原論と経済哲学の講義を聴いた中に、森嶋通夫がいたというだけでも、そのすごさの度合いが分かります。

 マルサス(1766-1834)は、幾何級数的に増える人口と算術級数的にしか増えない生活資源との均衡によって、人口増加のメカニズムを説明しましたが、産業革命後の社会では人口問題に影響するファクターが格段に増え、議論は一筋縄ではいかなくなりました。高田保馬は一般的に見られる「豊かな国は出生率は低い」、「貧困層の出生率および富裕層の出生率は高いが、中間層の出生率は低い」という現象に目をとめました。そしてこれらを説明する理論として、準拠集団における生活水準と生活期待水準の水位差という概念に思い至り、中流層における出生率の低下を個人の力の欲望によって説明したのです。すなわち、少子化は、個人が自分と子供の社会階層の上昇を成し遂げる手段として、子供の数を制限して持てる資力の分散を回避することで起こる現象と考えたのです。この説は、『ディスタンクシオン』を著したピエール・ブルデューより六十年も早く理論化されており、少子化問題など全く浮上していなかった1910年代に、やがて日本にも起こるはずの少子化に目を向けていたこの学者の視界は、実に広く遠かったというべきでしょう。

 その理論において、社会が利益社会的、個人主義的になっていくことが出生率の低下をもたらすというところまでは「なるほど」と理解できましたが、そこからの展開は驚くべきもので、少子化対策として「国民皆貧論」を唱えているのにはぶっ飛びました。利益社会化と生活水準の上昇を押し止め、全国民が貧乏に自足すれば少子化が止められるというこの説は一読すると無謀に聞こえますが、どっこい、貧困をあくまで相対的生活水準の問題であると喝破し、絶対的生活水準の上昇を否定していないところがさすがです。問題は、社会の中で上位に立ち、その位置を維持しようとする力の欲望なのです。これが少子化問題の真相だろうと私も思います。

 世界の他の地域、とりわけ水や食料、電気等のエネルギーが手に入らない、交通・通信手段といったインフラが整わない国に比べたら、日本には一見そういう意味での絶対的貧乏と呼べるものはないように見えます。基本的に貧困感は大方「他人は所有しているものを自分は持っていない」という焦燥感と同義なのです。これまで経済発展の強力な推進力になっていたこの新自由主義的思想を骨の髄まで身体化してしまった人々が、子供さえ「選択と集中」という戦略の対象にした結果が少子化の進行でした。

 あらゆることを自分にとって「得か、損か」という観点からのみ考えるというあり方は社会の隅々まで浸透しています。待機児童が解消されない理由として、保育園や認定こども園等を造ろうとしても周辺住民の反対にあうという話はよく聞きますが、もっと強く反対するのは誰あろう、すでに既得権を持っている幼稚園や保育園だと聞いたことがあります。寡占状態であれば、子供不足に悩むことなく経営が成り立つからです。親は少しでも評判がよく費用がかからない園に預けたいと考え、施設側も少しでも良い家庭の子供を入園させたいと考えるのですから、いつまでたっても待機児童問題は解決しないのも当然です。また、もう一つ記憶にあるのは、都立高校の授業料が無料になった時、すでに授業料が無償であった世帯からさらなる支援を求める声があったという話です。他の人の生活水準が少しでも上がれば、自分の生活期待水準も上がるという典型的な例ではないでしょうか。

 一億総中流と思い込んでいた時代、「みんながしていることをし、みんなが持っているものを持つ」のが国是の国では、結婚して子供をもつのが当たり前でした。その時代を思うと隔世の感がありますが、中流からの転落不安が喫緊の脅威になっている現在、もう少しばかりのインセンティヴ(子供手当等)では子供を産む思い切りがつかなくなっています。それは何より、社会の下層に組み込まれるのでは「子供が可哀想」と思うからでしょう。こう考えると、高田保馬の「少子化対策としての国民皆貧論」は俄然現実味を帯びてきます。人が自分の準拠集団より下層の集団との間に生活水準の開きを感じる限りにおいて貧困感を払拭できるとするなら、下層集団に支援を与えて生活水準を上げても、それより上層にいる人々の生活期待水準が上がるだけなので、どこまで行ってもこれは追いかけっこです。なにしろ日本は国民がみな中流意識を持っていた国だけに、この競技に巻き込まれる人数は諸外国に比べて桁違いに多く、したがって少子化の速度も加速しています。このまま日本の経済的地盤沈下が進み、富裕層が国外に脱出していなくなった後しばらくして、出生率は上昇に転じるのかもしれません。

 そして恐ろしいのは、各種の社会学的データによって明確になっているように、ここ三十年以上、非正規雇用の拡大によって、単に下層なのではない底辺層が形成され、正規雇用との間の格差増大により、その層がますます分厚くなりつつあるという事実です。この過程はまるで国民皆貧への道筋を見せられているようだと感じます。力の欲望のメカニズムによって、国民皆貧が達成されるまで少子化が止まらないとしたら、それも仕方ないのかもしれません。ただ、高田保馬が思考した百年前と今とで違う点は、地縁・血縁のつながりによるセーフティネットがほぼ完全に崩壊してしまっていること、それどころか、世界経済がグローバル化しマネーが国境を越えて移動するようになったことで、国民国家という概念さえ揺らいでいることです。社会にポツンと放り出され、子供どころか自分の明日の生活さえ見通しがない国民がこれほど出ようとは、そして事実上国家に帰属しない富裕層が国民国家の解体を推し進めることになろうとは、高田保馬にも想像できなかったのではないでしょうか。自由に居所を変える富裕層とは無関係に、残された国民の間で皆貧化はスピードアップするでしょうが、これが生活水準の相対的貧困ではなく、絶対的貧困である可能性はかなりあります。


2021年12月9日木曜日

「家事をめぐる家族の形」

 最近聞いて面白かった2つの話として、一つは海外赴任したご夫婦の体験談、もう一つは家事の減量方法についてのアイディアがあります。

1.海外赴任の主夫と主婦

 二つの体験談は、日本で双方とも仕事をもっていた夫婦の片方が海外赴任となり、夫婦で話し合いの末、単身赴任ではなく、もう一方が仕事をやめて配偶者についていくという選択をしたケースでした。

 夫が仕事をやめて家事を担当したケースでは、日本の主婦と同様、よい食材を求めて奔走したり、子供のお迎え時になんとなく会話に加われず手持無沙汰を感じたり、学校の休みが多くて子供を持て余し、自分の時間を切望するといった姿に、「主婦と変わらないな」と思いました。それだけでなく、妻に申し訳なくて自由にお金が使えない、なんとなく妻の機嫌を伺ってしまう、趣味的に週末料理をする妻をありがた迷惑に思うなど、役割分担が逆転すると夫婦の立場も逆転すること、また、男女の家事能力に性差はないことがわかりました。このケースでは夫が普通の感覚の人だったためそうなりましたが、日本ではこのような場合でも酒浸り、ギャンブル浸りで恬として恥じないタイプの夫が存在します。個人の意識の問題と言えばそれまでですが、日本に厳然としてある家父長的風土がそれを許す土壌となっているのではないでしょうか。

 二つ目は割とよくあるケースで、商社勤務の夫の海外赴任に妻が同行した体験談です。この体験談では、妻は仕事をしたいのに商社の内規で労働ビザが取れないようになっていたという実情がありました。ビジネスマンの配偶者ビザで渡航するのだから、家事の切り盛りを期待されているのでしょう。ただ、東南アジアへの赴任ではメイドを雇うことが一般化しており、時間が余るのでこの女性はネットで現地の記事を書くなどの仕事を見つけ、細々となさっていたようです。「今日はメイドさんが来る日だから、家をきれいにしておかなきゃ」というのは笑えますが、これが日本の主婦の普通の感覚でしょう。そして、笑えなかったのは、この方が「今、自分がこの国にいられる根拠は夫のビジネス渡航の配偶者であることに存し、夫の愛情を失って離婚すれば何も持たずに退去するしかないと気づいたことです。すでに日本での仕事を辞めてきているのです。日本ではぼんやりとしか意識されていなかったことが外国で暮らすことによって先鋭化したのでしょう。

2.家事はどこまで減らせるか

 上記の課題に真摯に取り組んでいる主婦たちがいて、様々な情報を共有し合っています。これはどうも小さな減量を細かく積み重ねていくことでしかまとまった時間は作れないようで、特にお子さんのいる働く女性には必須のスキルです。

  一息入れようと座った途端子供に「麦茶ちょうだい」と言われた体験から、考えに考えて麦茶のミネラルは別の方法で摂取することにし、水道直結のウォーターサーバーを設置、子供が自分で飲める体制を作りました。掃除はお掃除ロボットにお任せで、「ルンバのために道をつけてあげて」と言うと、子供は喜んで片づけをしてくれるとのこと、あっぱれです。洗濯は干す手間を省くため、泣く泣く全自動乾燥機付きドラム式洗濯機に買い替え、乾いたら山にして各自自分でそこから取る、もしくは、下着だけは数を厳選しておき、すぐその場で各自の下着ケースに収納。一番手間のかかる料理については、作り置き家事代行を依頼したり、週に1日は夫に外食してきてもらう、スーパー等でお弁当を買ってくる、子供がテーブルで一緒に作れるような料理(お好み焼き、おにぎり等)にするといった工夫をされていました。時には料理を休んで子供の話をよく聴くようになり、カリカリしながら夕飯作りをしていた時より家庭の雰囲気がずっとよくなったとのことで、これは本当にすばらしいことだと思います。

 一分、一秒がとれないお母さんにはどんな方法を使っても家事を減量し、もっと大切な子供との時間に使ってほしい、また、政府は家事負担の軽減を支援していただきたいです。需要はあるのに高額なのではなかなか手が出ず、成長分野であるはずの家事軽減サービスも発展しないでしょう。残念ながら私には取り入れられそうな減量方法はありませんでした。家事をするのは健康維持と認知症予防が主目的ですし、掃除ロボットを必要とするほどの空間もありません。それに聴く読書になってから、家事の間はむしろご機嫌です。


2021年12月6日月曜日

「紅春 193」

 

 りくの脚が弱ってきています。進行方向に対して体が斜めになって歩いたり、トイレのため踏ん張ろうとして後ろに一歩、二歩と後退して尻もちをついてしまったり・・・。左の後ろ脚をかばっているようです。朝の一周2キロ散歩は何とか行けていますが、このままではいけません。変形性膝関節症から回復した自分の体験から、大事なのは大腿四頭筋を鍛えることだとわかっています。脚を傷めない範囲で負荷をかけて歩くしかないのです。

 幸いりくは散歩が大好きです。家に帰って4時間ほど寝ると回復するらしく、行きたいだけ行かせようと出かけます。途中で動けなくなったら肩に担いで帰る覚悟です。先日、いつものコースを逆回りした時、途中にある上り階段を勢いをつけて上って行ったのですが、中程で止まってしまいました。いつもはこれが下り階段だったので気づかなかったのですが、もう全部は上れなくなっていたのです。でも、あとの数段を抱っこして上げてやると、また歩き出し、結局一周できました。

 こんなふうに歩いては寝て回復し、また歩くということを繰り返しています。三回目にまた一周できたこともあります。一日に三周は新記録。脚力はすぐにつくものではないので忍耐が要ります。問題はこれから冬本番になること、寒いのはしかたないけど、雪は降らないでほしい。積もれば滑ってひねって脚を痛める危険があるし、積もらないまでも小雪の混じった吾妻おろしはつらい。りくも最近は歳とって寒がりになったしな。


2021年12月1日水曜日

「たのしみは ~橘曙覧の世界~」

 東京で通っている教会では年4回の会報のほか、毎年教会員の自由投稿で冊子を編んでいます。今年はコロナによる自粛生活を綴ったものも多く、庭の木々に宿る蝶や鳥の見守り、頼まれて飼育し始めた金魚や猫のお世話に関する話など、制約のある日常の中でも愛しきものに目をとめて過ごされた様子に胸がほっこりしました。まさしく「たのしみは 朝おきいでて 昨日(きのふ)まで 無(な)かりし花の 咲ける見る時」と詠んだ橘曙覧の世界です。

 この江戸時代後期の国学者、歌人は困窮の中でもささやかな楽しみを見つける天才で、誰もが「それわかる!」と共感を覚える歌をたくさん読んでいます。なかでも「たのしみは」に始まる52首の独楽銀(どくらくぎん)は正岡子規が絶賛した傑作で、ドナルド・キーンが英訳してアメリカで有名になったようです。前述の歌は天皇皇后両陛下を招いた晩餐会でクリントン前大統領が引用したことで、逆輸入のような形で彼の人気に火が付き、国内での掘り起こし、再研究につながったとのことです。いくつかあげてみると、

「たのしみは 艸(くさ)のいほりの 莚(むしろ)敷(し)き ひとりこころを  静めをるとき」

「たのしみは 空暖(あたた)かに うち晴(は)れし 春秋(はるあき)の日に 出(い)でありく時」

「たのしみは 常(つね)に見なれぬ 鳥の来て 軒(のき)遠からぬ 樹(き)に鳴きしとき」

「たのしみは そぞろ読みゆく 書(ふみ)の中(うち)に 我とひとしき 人をみし時」

「たのしみは 世に解(と)きがたく する書(ふみ)の 心(こころ)をひとり さとり得(え)し時」

「たのしみは 家内(やうち(やぬち))五人(いつたり) 五(いつ)たりが 風だにひかで  ありあへる時」

「たのしみは 心(こころ)をおかぬ 友(とも)どちと 笑ひかたりて 腹(はら)をよるとき」

「たのしみは たのむをよびて 門(かど)あけて 物もて来(き)つる 使(つか)ひえし時」

「たのしみは 木(こ(き))の芽(め)瀹(に)やして 大きなる 饅頭(まんぢゅう)を一つ  ほほばりしとき」

「たのしみは ほしかりし物 銭(ぜに)ぶくろ うちかたぶけて かひえたるとき」

「たのしみは 昼(ひる)寝(ね)せしまに 庭(には)ぬらし ふりたる雨を さめてしる時」

「たのしみは 妻子(めこ)むつまじく うちつどひ 頭(かしら)ならべて 物(もの)をくふ時」


 要するに全てが超絶「あるある」で、全部を紹介せずには済まないほどです。その中に、「たのしみは 神の御(み)国(くに)の 民(たみ)として 神の教(をし)へを ふかくおもふとき」というのがあってハッとしましたが、橘曙覧は国学者ですからここで言う御国というのは皇国のことです。でもこれはクリスチャンが日々感じながら過ごしている思いでもあります。「ここも神の御国なれば」という讃美歌がありますが、クリスチャンはどこの国にあっても創造主なる神が治めるところという意識があり、置かれた場所で神を賛美しながら生きていこうとする民です。私は歳をとってメンタルが弱まっているようで、近年は不正や暴力が渦巻く混沌とした世界やあまり過酷な社会の現状に向き合うのが耐えがたくなっています。小さな喜びを見出す、ごく普通の感覚を失くしたら発狂してしまうかもしれないところまで厳しい時代になったのです。


たのしみは 雑事の合間キッチンに ふっとコーヒーの 薫り立つとき

たのしみは 書籍情報友に聞き 芋づる式に 読書する時

たのしみは 窓に雨音聞く夕べ なみなみの湯に つかりおる時

たのしみは 散歩をせがむ犬の手の 肩とんとんを 三度待つ時

たのしみは 今日は礼拝あるのみと 日曜の朝 予定知るとき


2021年11月27日土曜日

「非婚化、少子化が止まらないこれだけの理由」

 このところ男女の働き方やワークライフバランスについての本を集中的に読んでいます。細部に記憶違いがあるかもしれませんが、私が把握できた大まかな概要を感想と共にまとめておきます。まず、学者が一様に言っているのは、結婚した女性は概ね二人程度の子供を産んでおり、少子化の主な原因は非婚化にあるということです。何を当たり前のことをと思われるかもしれませんが、問題はその度合いが急速に進んでおり、その原因の一端に誤った政策があるということです。立法においても行政においても見当違いの方向に進んでいるのは、政策の立案や施行に当たる立場の者が一般人の生活とかけ離れたところにいて、時代の動きを肌で感じられないためです。例証にはコロナ自粛の際、総理大臣が優雅に家で紅茶を飲む動画を挙げるだけで十分でしょう。そのため、少子化を何とか食い止めようとしてあがけばあがくほど、実態として少子化が進行するという負の連鎖になっているのです。俎上に上がる政策案の多くは、為政者が日本古来の慣習と信じる物の考え方によって駆動されているのですが、実はその慣習の始まりは明治以来でさえない、高々戦後の一時期に形成されたものだったりします。それでもその慣習を支える物の考え方を支持する人は一定数いて、中には年配者を中心に相当数の人に共有されて固定観念化しているものもあります。また、こういう有識者会議に招かれる女性は、人並外れた努力と恵まれた状況の重なりにより結果を出したスーパーウーマンが多く、為政者の願望を体現した実例として、その固定観念を補強するように働いてしまうのは何とも残念です。

 以下は、彼らに身体化されたマイナス要因マインドです。

1.「望めば誰でも結婚できるはず」という幻想

 大半の男が大黒柱として働き、専業主婦たる妻を養えたのは、偶然的幸運によって可能となった経済発展に支えられた高度成長の一時期に過ぎません。戦前まで家を絶やさぬため普通にあった養子縁組においては、子供を養子に出せる家はむしろ或る程度資産がある家系で、部屋住みとして一生を送る次男、三男以下の男達も大勢いました。これらの人々が生計の道を得て結婚できるようになったのは、ひとえにそれを可能にする速度で経済が発展したからです。明治以前にすでに世界的大都市だった江戸でさえ、極端な男余り社会だったことはよく知られており、自分一人食っていくのが精一杯で所帯までは持てない人が多数でした。「宵越しの金を持たない」は、「持てない」を表す江戸っ子なりの気っ風のいい表現です。

2.「高すぎる日本の女性の家事水準」の当然視

 日本の女性の家事能力は世界最高水準にありますが、この能力が戦後の高度成長期に専業主婦によって達成されたものであることは間違いありません。戦前は農業に従事する世帯が多く、農家は一家総出の農業労働団で家事どころではなく、家事の水準の低さは問題になりませんでした。私の母が学徒動員で農家の手伝いに行った時の体験では、朝食はご飯と味噌汁と漬物で、食べ終わった後はめいめいがご飯茶碗に白湯を入れてきれいに飲み干し、ひっくり返して農作業に出る生活でびっくりしたと聞いたことがあります。食器を洗うという手間さえかけられない家事水準にあったのです。現在でも、世界各国の家庭で料理にかける手間を比較検討すれなら日本の主婦がやったら手抜きと言われかねないレベルです。家事の大半を女性が担っている現状では、それに見合うメリット(主に生活保障)がなければ、結婚によって奪われる無償労働時間を思い浮かべて、二の足を踏む女性が多くなるのもむべなるかなです。そしてまさにそのメリットを提供できる経済力のある男性は一握りになりつつあります。

3.「子育ては女性が担うべき」という固い信念

 いわゆる狭義の家事(掃除・洗濯・料理)だけなら或る程度手抜きも外注もでき、夫婦さえそれでよければ何とでもなりますが、そうはいかないのが育児です。子供という新しい生命を守り育てる大仕事は夫婦が力を合わせなければ本来無理なはずなのに、なぜか暗黙のうちにそれを女性が担うものとされているのです。「男は仕事中心、女は家事・育児も」というのは働く女性にとってはあり得ない前提で、運よくそのような先入観がない男性に巡り合ったり、育児を託せる近くにいる助け手(多くは実家の母親)の協力を得られなければ、到底容易には結婚できません。現在働く場に身を置く女性なら、職場を離れて赤ちゃんの「三年間抱っこし放題」という発想そのものが働き続けるためにいかに絵空事かを感じないわけにはいかないでしょう。仕事を持つ女性は日々の格闘の中で共に育児を担ってくれる配偶者を切実に求めているのです。

4.事実婚への忌避感

 日本ではおそらくこれが少子化の最も乗り越え難い障壁になっていると思われます。フランスやスウェーデンでは結婚していないカップル間での出産・育児がもう半数かそれ以上になっており、関連して合計特殊出生率もほぼ2.0に回復しているのですが、出産を結婚と切り離せない日本では、或る意味最も即効性のあるこの解決法がとられることはないでしょう。選択的夫婦別姓でさえ認められていないのが現状ですから。

  また、この感覚は家父長的家族観に基づいていることが多く、家制度の歴史の中で育まれた規範は今なお強固です。トーク番組で芸人さんなどが妻のことを「嫁」というのを初めて聞いた時、私は「若そうなのに結婚している息子がいるのか」と、訳が分かりませんでした。照れくささを隠す「妻」の婉曲表現だとやっと気づいた時は、地球外生命体を見るような気持ちで、「これ、放送倫理的に大丈夫なの?」と思ってしまいました。この言い方が不思議なこととされずに容認されている社会ですから、将来当たり前のように配偶者家族の介護まで負わされる女性の中に、結婚に踏み切れないリスクを感じる人がいてもおかしくありません。近年は婚姻関係中に夫の親族との間にあった様々な確執に耐えてきた場合などに、夫との死別後に姻族関係終了届を出して法律上の関係を解消したり、さらに復氏届を出して旧姓に戻る人もいます。

 以上、現在国の支配的立場にある方々の基本的マインドを挙げてみました。戦後の成功体験を抜け切れないこのようなマインドの為政者が良かれと思って遂行する政策により、現実との乖離が臨界点を越え、結婚を端から諦めて別の人生に幸せを求める人が激増しているのです。特に以前なら確実に主婦になっていたタイプの女性たちの中に、収入は低くても納得できる仕事を見つけそれなりの幸福を感じて非婚化するという層が確実に出てきています。

 私が一番まずいと思うのは、税金や社会保障費に関わる法改定が現状の問題解決に逆行していることです。例えば、法人税の引き下げや逆進性の高い税制改訂によって減少した国家収入の穴埋めを、第二の税金と言ってよい社会保障費として取りやすいところから取っていることが挙げられます。税金と社会保障費を合わせた日本の徴収額はもはやスウェーデンを超えているのです。よく言われる専業主婦家庭の税制優遇措置も、共働き家庭が増えた現状では理屈に合わない税制の一つです。これは夫婦双方の年収が高くない場合、夫婦が共に働き、何とか二人で家事を分け合って力を合わせて子育てしたくとも、国に取られる徴収額が多すぎて相対的に貧困化していくという恐ろしい現実が進行していることを示しています。経済政策が格差を助長しているのです。この状況で結婚しない人が増えるのは当然であり、この方向で進む限り、非婚化と少子化はとどまるところを知らないでしょう。

 ただ、絶対悪のように規定されている少子化がなぜ問題なのかを考えると、これはなかなか難しい問題です。少子化で誰が困るかと言えば、まず財界の人、そして国力は国の人口数によると考える人、国民の幸せを国家の経済的繁栄という観点からしか考えられない人などが頭に浮かぶからです。今のところ国家の繁栄を願って少子化を諸悪の元凶と見なす考え方が優勢ですが、日本では残念なことに、建設的な議論を積み上げて世論を動かすことより、個人が現状を踏まえて静かに行動することによって世論が示されるのが一般的ですから、非婚化、少子化の加速という現実こそが今の若い方々の答えであり、国民の考え方の変化を否応なく伝えていると言えるでしょう。


2021年11月24日水曜日

「紅春 192」

 


 りくの脚を鍛えなければとできるだけ外に連れ出すようにしています。といっても、りくは散歩大好き犬なので、行きたいと言ってきた時に「はい、はい」と出かければよいだけです。

 先日はいつもはあまり行かない逆ルートで、対岸から上の橋まで一緒に歩きました。柴の子犬を連れたおばあさんに出会い、なんとなく話をしました。その子はまだ1歳3か月とのことで、とても活発な感じです。一方りくは堂々老犬の落ち着き。私が「おじいちゃん犬なんです」と言うと、おばあさんは「まあ、おじいちゃんなんですって」と子犬に向かって話し、「おとなしいんですね」と、りくの頭を撫でました。りくもおとなしく撫でられていましたが、その時急に子犬がガウり出しました。おばあさんが「あらっ、どうしたのかしら」と驚いているので、「やきもち焼いたんですよ」と教えてあげました。りくが大事なおばあちゃんの気を引いたのでムッとしたのです。りくは全く動じず(認知的問題のせい?)、おばあちゃんはまんざらでもない様子でした。

 さよならをして散歩を続けながら、「りくはこれまでいろんな経験を積んできたなあ」と思い返しました。他の犬と出会って私が気をとられていても、りくがガウったり騒いだりすることは一度もなかったな。でもそう言えば、そばでちょっと悲しそうにしてたかも。人間でもそうですが、感情がすぐ外に出てしまう性向と、感情を内に秘めてしまう性向があるのは犬も同じです。内向的な犬でも、家族には何でも言って甘えてくるので、このくらいがちょうどいいのでしょう。


2021年11月22日月曜日

「働く女性の現在地」

 相変わらず、男女をめぐる家庭や仕事についての本を読んでいます。いま生起している様々な現象は明らかな社会変化を示しています。社会学者によって、親世代、祖父母世代の生活形態(男は仕事・女は家事)の方が日本史的には稀有な時代だったことが解明されています。今は次のパラダイムへの移行期であることは確かなのに、むしろ前世代の家族の在り方を取り戻そうとする真逆の主張が勢いを増しているように見えるのは残念です。それは、曲がりなりにも次へのシフトが成功しなければ、若い人に未来はないと思えるからです。

 実際、世相小説や実話には知らなかったことが満載で、「世の中こんな恐ろしいことになっていたのか」と思わされます。まっとうな生活をされている方も多いのでしょうが、それは意外と本人の楽観性と幸運によるのかもしれません。これまで読んだ話は多くが女性の生き方に焦点を当てて女の視点で書かれており、庶民には計り知れない世界もありますが、ほとんどが女性なら誰もが深く考えさせられる話です。すなわち私は、

①超が付くほどのお金持ちの間でも歴然とした階層差があり、階層降下を回避するために全精力を傾ける底なしの自意識に驚愕し、

②階層格差をあからさまに可視化したタワーマンションに住む主婦たちの、際限のない無意味な探り合い、気の回し合いにげっそりし、

③キャリアを保持しながら30代前半までに結婚と二人の子の出産を済ませるため、会社探し・配偶者探しを念入りに行う女子大生の計算高さにうんざりし、

④実際に秒単位と言えるほどのスケジュールで仕事と子育てをこなし、ちょっとでも不測の事態が起きたら生活は破綻するという崖っぷちのママたちに同情を禁じ得ず、

⑤男女同等の家事分担を前提に働いていたキャリア女性が、突然無職となった夫を前に自らの欺瞞性に気づき、無職の夫との新たな人生構築をしていく姿に納得し、

⑥安定第一の上昇婚を望み、家庭持ちが暗黙の前提である企業人と結婚して望みは適えたものの、体裁を整えるだけの心通わぬ家庭生活で変貌していく女性の姿をやるせなく思い、

⑦夫が仕事を失うとあっという間に家庭崩壊する現状に、これからは男女とも仕事をせずに済む時代ではないと強く思い、

⑧退職後すぐに夫の死亡した妻を「なんてうらやましい」と話す主婦たちに背筋を寒くし、「この人たちにとって結婚ってなんだったの?」と不思議でしかたない、等々の感想とともに、申し訳ないけれどこういうことを今まで知らずにいられて、幸せだったとつくづく思ったのです。

 別世界のセレブは文字通り別として、庶民が家庭を持って生きるには夫婦双方が働きながら力を合わせ、家事や雑事の分担も折り合っていくしかありません。事実、男だけが家族を養う時代は終わっているのに時代の流れに逆行して男性だけが変わらぬ働き方と責任を負わされているから、非婚・少子化が止まらないだけでなく(何しろ家事を減らすには世帯の成員を減らすしかないと学者が言っているのです)、女性に比べて圧倒的に男性の引きこもり、自殺が増えていると考えるのは故無きことでしょうか。思い浮かぶ解決法は2つあり、1つはこういったことの先進国(主にオランダ、フランス、北欧)を参考にすること、もう1つは家事ロボットの開発です。優れた家事ロボットがあればかなりの負担軽減になり得、実際IOT(物をインターネットでつなぐシステム)が実用化されつつあります。しかし、これが掃除・洗濯・料理といった狭義の家事を担うだけではさほど効果はありません。子育てをどうするかという大きな問題があるからです。常に問題になる保育園のお迎え、家で過ごす子供の見守り、学習や習い事の世話(私の知り合いは、「小学校に入ったら少しは楽になるかと思ったら、学童期の方がかえって大変になった」と言っていました)、またPTAやご近所、町内会等の必要な付き合いまで含めたら、これはもうアンドロイドが必要です。しかし、今でさえ子供がお掃除ロボットに愛着を持ってしまって、買い替えができないという話を聞くと、子供と親の関係がどうなるのか考えてしまいます。その先の想像をたくましくすると非常に恐ろしいことがなりかねないので、このへんで止めておきましょう。鍵は多分バランスですね。

 


2021年11月18日木曜日

「1時間天気を司る方」

  私がほぼ毎日見るサイトに「1時間天気」があります。特に地域を指定しなければ住居のある地区の天気を1時間単位で示してくれ、とても重宝しています。午後3時までは曇りマークだが、4時から畳んだ傘や開いた傘のマークなら「用事はその前に済まさなければ」と計画できて、大変助かります。上記のケースで本当に4時から雨がポツポツと振り出した時など、その的中率の高さに驚いたものです。科学技術が進んで天候を決定するあらゆる情報が手に入るようになり、これまでの何十年ものデータや経験知を駆使して予想できるようになったのなら、このようなことは当たり前なのかもしれません。

 「中途視覚障碍者の復職を考える会」から始まったタートルというNPO法人が今年40周年を迎えました。その名の通り、人生の途中で思いもかけない視覚障害に見舞われた人々が苦悩の末に辿り着く場所で、ゆっくりでも着実に進む姿を団体名に託したのでしょう。一介の相談者のために、全盲の会長ほか眼科医、リハビリの訓練士、元厚労省官僚というプロ集団が終業後の疲れた体で相談会を開いてくれるような、文字通り通常あり得ない有難い存在です。この方々は自分には何の得もないにもかかわらず、相談者の話を聞き、状況を見極め、助言し、サポートするというしんどい務めを淡々とこなし、そのおかげで職場復帰や社会復帰、またその後の道を見出すことができた人がどれほどいたことか。全てが「今、ここ、自分」の欲望へと収斂するばかりの世の風潮の中で、このような働きを担う方々はまさしく得難い希望です。

 人間一人一人の人生の道のりは、神様から見れば最初から最後まで全てが明らかで、1時間天気のようなものなのだと思います。思い返してみて、家族や友人・知人だけでなく、社会の中の第三者という形でも、必要な時にはいつでも必要な出会いが与えられてきたのを実感しています。これらの方々の多くは、苦境に直面せずには存在さえ知り得ないものであり、まさしく吹き抜ける涼やかな風のような出会いです。そしてまた、歳を重ねるにつれ増えてくる、様々なお別れについても、適切な時が与えられてきたのだと思わざるを得ないのです。人間的な感情としては悲しみや苦しみに満たされることがあっても、神様のなすことには全く遺漏がなく、これからも私の道行きが守られていくのだと平安の中にいます。


2021年11月11日木曜日

「世相小説が示すもの」

  学識を駆使して社会のパラダイム変化を縦横無尽に解説するのは学者の仕事ですが、優れた作家がその成果を踏まえて書いた小説が最近多く出ているようです。こういった小説は素人が面白く読めるだけでなく、学術書ではピンとこない事柄をぐいぐい読ませる力があり、教えられることが多くあります。世相を表す現実を鋭くえぐる筆致には「よく勉強してるな」と感心させられるとともに、深刻になりがちなテーマをコミカルに描くところに、落ち込むことなく飽きずに読める手腕を感じます。

 社会における家族形態の変容は最も中心的なテーマで、たとえ一世代あるいは二世代前と同じに見える家族構成でも中身は全く変貌していることをこれでもかと知らされます。私が読んだ限りでは、かろうじて家族の形を保っている家庭において、家族が崩壊しないための法則が一つあることが多くの書き手によって示されています。それは家庭における役割分担をできるだけ公平にするということです。平たく言うと唖然とするほど簡単なことで、「家事は女が担うもの」という先入観を捨てることです。これは夫婦がフルタイムで働いている場合だけでなく、驚くなかれ、夫が定年退職した年配の夫婦、夫が家計の全収入を担い妻が専業主婦の夫婦に至るまで、通底するルールのようです。たとえ家庭科共修の世代でも「一般に女は雑事に配慮してくれるもの」との思い込みが無意識レベルで浸透しているのは恐ろしいほどで、どうもここを崩さないとなんとか家庭を維持することが困難だと考えられているようです。

 「男は仕事、女は家事・育児」といった親の世代の常識的観念の中で育てられ、すっかりそれに染まってしまった人にとっては困難な未来が待っています。多くの話の中でそれとなく描かれるのは、男も女も結婚によってそれまでより生活が楽になることを期待しているということです。女は生活費を、男は家事労働を、相手に依存しようとしているのですが、並行して女は家事労働を、男は生活費を全面的に提供することはあまり念頭にないようです。これからは両者がどちらも担うことになる、即ち結婚前より大変な生活になることを前提にしなければ、家庭を存続することはできないという実例を、成功例・失敗例とともに教えられます。生活が今より大変になる、さらに、やがては子育てという責任ある大役を引き受けることになるという状況に踏み出すには、相当の覚悟が必要です。逆にお互いが協力的かつ楽観的で、適宜話し合いながら生活できるなら、家庭はなんとかなっていくものです。それは心情的には相手を思いやるという一語に尽きますが、実際的、具体的には仕事力、家事力を合わせての生活力を上げるしかないということなのです。

 もう一つ見過ごせないのは親子関係です。親の子を思う気持ちは自然なものですが、親には親なりの希望があるため、それが強すぎると大きな障害になります。親による代理婚活というものがあると知って驚きましたが、こういうものはご縁ですし、そこに至るまでに様々な過程があるでしょうから、いいとも悪いとも言えません。曇りのない目で子供の幸せを考えてほしいと思うだけです。ただ、話の中で年老いていく親が自分の老後を計算に入れて動く姿を見せられると、何とも言えない悲しさがあります。無念なことかもしれませんが、時代の転換はあまりに早く、今の年配者は前時代の幻を追うより、自分の老後は自分で面倒を見るという決心が必要だろうと思います。

 小説はいつでも現実より先駆的ですから、もはや一世代前に中心的だった家庭とは相容れない疑似家族形態もたくさん登場します。こちらは血縁や婚姻関係に関わりなくその時々の事情により緩い共同生活をするつながりですから、当事者同士の気持ちの赴くままに離れたり別れたりすることが容易に起こります。そしてその舞台は百人百様であり、家族であろうと疑似家族であろうと住み処を必要とする以上、これは地域を含めた住まいの問題と切っても切り離せない様相を呈しています。地域としては、都心、郊外、ニュータウン、地方の小都市、過疎地、海外・・・、住居としては、一戸建て、分譲マンション、二世帯住宅、シェアハウス、親の実家、高齢者用住居、独身寮、賃貸住宅、ホテル住まい・・・と十人十色です。住むところとはその人の生活そのものであり、生活を変えると多くは住まいを変えることになります。人間の悩みは全て人間関係の悩みだと言われますが、もちろん経済的要素も悩みの大きな要因になります。住まいの選択にはバブル経済とその破綻、その後の就職氷河期、サブプライムローン問題に端を発するリーマンショック、東日本大震災、長引く超低金利、もう成長しない経済、増える非正規雇用、上がらない賃金、進む高齢化、下がる年金、拡大する格差・・・という、一般国民には制御しようのない要因が、その時々の年齢に応じて決定的な影響を与えます。これらは個々人の生活に複雑に絡んで、一様ならぬ展開を見せますが、ほぼ運任せと言えます。自分の力で何とかなる部分は、上述したように、力を合わせてより良い共同生活ができる生活力を身につけることしかないようです。こう書いてしまうと何だかつまらない結論ですが、今のところ私が読んだ小説においては、社会を分析する目を持った優れた作家たちが口をそろえてそういうのですから、間違いないのだろうと思います。もし自分らしさや譲れないこだわりのためわずかな歩み寄りもできないのなら、人間社会は際限なく砂粒大の個に分裂していくほかはないのでしょう。



2021年11月6日土曜日

「紅春 191」


 秋晴れのよい気候の日が続いています。日が短くなってきているので、早朝の散歩も5時以降になり、普段よりずいぶん寝坊できて助かっています。この頃りくはできるだけ近くにいたいと思うらしく、寝ている間に定位置のこたつの場所から移動して、私がベッドから足を下ろすと生暖かいしっぽを踏んで、「ひゃっ」と飛びのくこともあります。もし気づかずに踏んだらと思うとぞっとします。

 兄に聞いた話で、朝方不穏な鳴き声がするので飛んでいくと、廊下にお尻をペタンとつけてちょっと変なお座りのポーズをしながら、兄の顔を見つめて鳴いている・・・。そのまま抱き上げて外へ連れて行くとおとなしくなったとのことでした。「家に入れる時、拭いてやったお尻が痛かったのかな」と兄は言っていましたが、恐らくそうではないでしょう。一人目覚めてなんだか急に寂しくなったのではないかという気がします。

 この頃、福島とは思えぬほど穏やかないい天気なので、りくを遊ばせながら庭木の剪定や庭掃除をしています。一段落して家に入る時、大抵りくは「まだ外にいる」と言うので、お水だけそのまま残してりくをおいておきます。静かにしているなと時々のぞきながらしばらく過ごし、「もういいだろう」と外に出るとりくは私の顔を見たとたんに「ハアハア」と声を上げ、「暑いよ、家に入りたい」と猛アピール。確かに外は暑いくらいなのですが、何といっても11月です。「自分で外にいるって言ったんでしょ」と声を掛けつつりくを取り込みながら、「これは甘えが度を越しているな」と認めざるを得ません。子供返りしているのかもしれません。


2021年11月2日火曜日

「分岐点を振り返って」

 先日恒例の症状が治まりかけたところ、父方の伯母の訃報が入りました。少し日数の猶予があったため、参列できるくらいには体調が回復するだろうと帰省しました。ここ二十年近くお会いしたことはありませんでしたが、子供の頃からのことが頭をめぐり、ずいぶんお世話になったことを思い返しました。殊に私の結婚披露宴ではスピーチを賜り、『いい日旅立ち』に倣って、「日本どころか世界のどこかにあなたを待っている人がいる」と明言してくださったことを、ふいに思い出しました。

 兄と車で行く道筋では山の紅葉が図らずも最盛期で、その美しさを堪能することができました。告別式会場の親族の控室では名前も知らない方々が大勢いらっしゃいましたが、何十年ぶりかでお会いする比較的近い親族の方々と言葉を交わせたことは感謝でした。そのうちのお一人が、「以前ヘルベルトさんと会津を訪ねてくれて子供たちと遊んでいただき、楽しかったです」とおっしゃり、自分自身も忘れていたことを思い出しました。その方の娘さんは元来英語が好きでしたが、さらに好きになって勉強に拍車がかかり、今は英語関係のお仕事をされているとのこと。記憶を掘り返せば、確かに結婚のご報告と披露宴出席の御礼を兼ねて、夏休みにヘルベルトと猪苗代や会津、蔵王、仙台、山形などを巡る東北旅行をしたのです。親族の方々はそれぞれの地で歓迎してくださり、地元の観光地に連れ出してくださったり、会食をしたり、ああ、そんなこともあったなあと懐かしい思いがこみ上げてきました。ヘルベルトはとても楽しい人でしたので、子供たちにも大人気で、そんな小さなことでもお子さんの人生に関わったと思うと、感無量でした。

 亡くなった伯母は小学校教諭の職を退いた後、地域の婦人会で更生保護事業のために尽力し、大車輪の活躍をされていたようで弔電がたくさん届いていました。子供の頃、お盆に父に連れられて遊びに行くと、いつも優しい笑顔で「上がっせ」と迎えてくれたものでしたが、やるべきことを淡々となさるすごい方でした。このご葬儀は思いがけず自分の来し方を振り返る時となりました。私は「人生が二度あれば」と考えたことはないのですが、いま改めて人生の節目節目の分岐点を思う時、同じ状況で同じ選択を迫られるなら、やはり同じ答えを選択しただろうと思うのです。その意味ではいいことも悪いこともひっくるめて後悔はありません。自分を愚かだなと思うことはあっても、他にどうしてみようもなかったのです。その意味では本当に幸せな人生だとしみじみ思った次第です。


2021年10月27日水曜日

「シニアライフとその後の考察」

 どうも老後とその先の死について考えるのは女の独擅場になっているようです。男は配偶者より先に逝くのが大前提のためか、敢えてこまごました雑事から眼を背けているとしか思えず、五十代半ばからいつその時が来てもおかしくないとあれこれ考えるのは女だけだと、世にある数多の本が物語っています。私ももはや抵抗感や悲壮感なく、正面からシニアライフを設計する時期であることを冷静に受け止めています。

 この四十年ほどをざっと振り返って、表面的事象として変わったこととしては、なんといっても葬儀や埋葬に関する儀式の簡略化、縮小化でしょう。これはもう目を見張るばかりの変化で、見送る側の人数も体力も到底追いつかない状況になっていることを示しています。変わらないこととしては、これほど都会の空室率が上昇しているというのに、高齢者の民間の賃貸入居は依然として難しいということ、また高齢者の場合身元保証人がいなければ賃貸どころか入院も難しいということです。詳しく調べたわけではありませんが、悪い方に変わったこととして、国が介護付き老人施設の建設から在宅看護に舵を切ったにもかかわらず、訪問医療が充実してきたとは到底言い難いことです。 

 老後は持ち家がないと住むところがないと脅されてきた世代として、安心して住める住居があるのは有り難いことです。今のところウォーキングや買い物等に便利な周辺環境も、騒音被害がなく明るい住環境も、玄関・台所・風呂場に窓のあるコンパクトな間取りも全て気に入っており、できるだけ長くここで暮らしたいと思っています。老人施設のことを少し調べてみましたが、そもそも私は集団生活が無理な性分ですし、逆に介護が必要になったら退去しなければならない施設は何の為にあるのか分かりません。可能性として、最期はホームホスピスのようなところにお世話になるかもしれませんが、なにしろ団塊の世代が分厚く立ちはだかっているのですから、私ごときの世代に恐らく空きはないでしょう。

 私が一番避けなければならないと思っているのは、自分の意思を問われることなく延命治療されてしまうことです。もう十分生きたので、治る見込みがあらばこそ、そうでないのに気管切開、心臓ペースメーカー、胃瘻、腎臓透析などされるのは一切御免です。それには医者に「延命治療は固く辞退致します」とはっきり伝えること、救命医療を要請しないことしかないようです。救急車を呼べば救急救命士はどんな状態の人でも救うのが仕事なのですから、本人に意識がない場合、上記のような治療を施される事態を回避することができません。そして深刻なのは、一度治療を始めてしまうと途中で止めることができないということです。これに関しては医療裁判も含め多くの事例があります。もちろん、どんな状態でも生きていたい人はその希望を叶えればよいのです。自分一人の時はよいのですが、福島で倒れた時のために、先日兄にも「尊厳死を望んでいるから、明らかに助からなそうだったら救急車は呼ばないで」と伝えましたが、「そんなことはできない」と言うので、自分の希望を詳しく説明したところ「考えておく」とのことでした。この問題は同じ人でも年齢の進行とともに考えが変わり得ることでもあり、これからまだ二十年は考える余地がありそうです。

 戦後のベビーブーマーというボリュームゾーンが1年に1歳ずつ歳をとるのですから、高齢人口が増加するのは当然ですが、少子化の方は政治の力でなんとかできたはずなのです。(過去形なのはもう手遅れだろうと思うから。)「都会での子育ては罰ゲームみたいだ」と言った人がいます。相変わらず待機児童がおり、その後も子供と親の両者にとって眩暈がするほど様々なリスクがあり、子供の健やかな成長には厳しい社会が待っています。この五十年間で女性の初産年齢が23歳から30歳に上昇しました。生物学的に普通の形で産める子供の数が減るのは当然です。友人のお嬢さんの話ですと、大学でも女子学生がキャリア志向と専業主婦(まだこの語があったとは!)志望に両極化しているとのことですが、今どき専業主婦になれる人など一握りではないでしょうか。大多数の人は夫婦が力を合わせないと家庭が成り立ちませんし、様々な理由で単身世帯も増えています。単身世帯は今や全体の三分の一となり、殊に高齢者でその伸び率が大きいことは見逃せません。現状目に映ることは全て家族の形が変わってきたことにより生じています。そして家族のカタチの変貌こそは、誰でもない我々皆が快適な暮らしを求めて突き進んだ結果だということは否定できません。両親を見送り後顧の憂い無い身として、私はこれまでの人生に感謝し、全てを受け入れています。不定期で寝込むような持病があっても、いやあるからこそ、今後のやり過ごし方や身の処し方の訓練を積んでおり、当面の心配は何もありません。いや、まだ老犬のりくがいた。なるべく長生きしてくれるよう、私もまだまだ頑張らねば。


2021年10月18日月曜日

「紅春 190」

 


 りくには悪いことをしました。せっかく誕生日に合わせて帰省したのに、その日は新しい冷蔵庫の来る前日。極力中を空にしなければならないため今回はスーパーの配達便も頼めず、ドッグフードのトッピングには東京から凍らせて持ってきた鶏肉と缶詰、チーズくらいしかありません。誕生祝いは冷蔵庫が来てからすることにして、当日の朝はいつもの「おはよう」の挨拶に加え、「りく、15歳おめでとう」と言って、ぎゅうっと抱きしめました。

 その後の三日間は旧製品のお掃除、台所の片づけと搬入経路の確保、新製品搬入後の家具、物品の配置などに追われてりくの相手はあまりできず、りくは外に置かれていました。ようやく一段落してりくの様子を見に行くと、長いワイヤーに繋がれたりくが向こうからピョンピョンと跳んでくるではありませんか。久しぶりに見る疾走する姿に、「まだこんなことができたのか」と胸が熱くなりました。ずっと外にいたので外界の様々な刺激を受けたのがよかったのかも知れません。家の中でも、弟くんたちをブンブン振り回しては飛ばして追いかけるという活発な動きを見せ、ちょっとびっくりするくらいの元気さでした。もちろんお誕生祝いのご飯は二種のお肉ほかたっぷりのトッピングで、一心不乱に食べて完食、16歳に向かって新しい一年の始まりは、なんだか希望に満ちています。


2021年10月16日土曜日

「冷蔵庫の入れ替え」

 冷蔵庫の交換はすぐできるだろうと簡単に考えていたのですが、なにしろ旧製品が古い。脚立に乗って真上から見るとすごい埃で、雑巾で掃除するうち当時のカタログが出てきました。見ると25~27年前のもの、想像以上の年季ものでした。ふと年間電力消費量をチェックすると、新規購入のものは一回り小さいとはいえ、ほぼ半分になっています。これがこの間の技術の進歩の一端を雄弁に物語っています。それから覚悟して掃除に取り掛かりました。神代のものかと思われる食品その他は捨てながら、中身を部分ごとに分けて袋にまとめ、汚れを拭いていきました。液体がこびりついて乾燥した汚れも、何度も拭くうちそれなりにきれいになりました。リサイクル即ち廃棄物なのですからそこまでする必要はないとも思ったのですが、会津藩では鶴ヶ城落城に際し、敵方に明け渡すだけのお城をピカピカに磨き上げたという史実に倣って、私も力が入ってしまいました。ドラマでは確か「会津のおなごの心意気じゃ」と言っていたような・・・。磨いているうち、「両親の時代からよくもまあ25年も働いてくれた」と感謝の気持ちが募ってきました。まとめた袋は中に入れたまま、前日の夜に電源プラグを抜きました。当日は11時に新しい冷蔵庫の搬入のため、取り出しは1時間前でいい、午前中はそれなりに冷えているはずです。

 それから台所の掃除にかかりましたが、兄と相談し、これを機に物品の配置を少し変えることにしました。とにかくコンパクトにまとめるため、拡張型の食卓は折りたたんで小さくし、相当場所塞ぎだった分別ごみの置き場はテーブルの下に移動と決めました。テーブルは大きければ大きいほどどんどん物が散らかると分かったからです。テーブルの一角にA4用紙大の箱を置き、市民だよりや広報誌、チラシ類をどんどん入れていくことにし、壁際にはレジ袋・紙袋の保管場所、冷蔵する必要のない食品を置く場所を設置することにしました。

 これで準備は完璧と思って当日に臨んだのですが、それでもいろいろなことが起こるものです。この辺りの番地は紛らわしく一度トラックが行き過ぎてしまったり、十分広さを確保したはずの経路は、台所の入り口がアコーディオンカーテン仕様で壁が低いためそこから出せず、結局勝手口からの搬出入になったり、つり銭が無いよう用意したリサイクル代のお札の一枚が封筒に残って「あれれ」状態になったり、と小さな失敗がありました。十月とはいえ、業者さんもこちらも汗だくでなんとか終わった時には1時間半ほど経っていました。新しい冷蔵庫はコンパクトながら収納も十分で、期待通りのものでした。冷蔵庫と言えば白物家電の代表ですが、今回黒っぽいものにしたのも気分が変わってなかなか良いです。兄は自動製氷の冷蔵庫は初めてらしく驚いていました。私はと言えば、冷蔵室、野菜室、冷凍庫の位置が今までと全く違うのでまだ戸惑っていますが、あとは慣れるだけです。とても疲れましたが、ただ捨てるだけでなく、物が新しくなるのはやりがいがあり、精神衛生上もいいもんだなと思いました。

2021年10月15日金曜日

「紅春 189」


 朝、ゴミ出しに勝手口を出ると、「東北電力です。メーターの検針に来ました」と係の人が歩いて来るのに出くわしました。「やけに早いな」と内心思っていると、ニコニコしながら「今日はワンちゃんいないんですね」と言うので、「今うちの中で寝てるんですよ」と答えつつ、ハッとして「ご迷惑おかけしてませんか」と尋ねました。なにしろ庭はりくの縄張り、ほぼ全域自由に動けるうえ、繋いでおく杭はまさしく電気メーターの真下なのです。以前、女性の検針員の方は双眼鏡片手にりくが届かない位置から見て、調査票に書き込んでいたのを思い出しました。

 すると、「いや~、いつもこっちが遊んでもらって・・・。おりこうさんですよね」との答え。犬好きの方だったのです。すかさず、「ほんとにおりこうさんの子なんですよ」と、親バカならぬ飼い主バカ丸出しで相槌を打ってしまいました。ひとしきり話して検針して帰られましたが、ふと「こんなに早く来るのはりくに会うためでは?」との疑問が胸に浮かびました。朝7時半というのは、私が帰省していない時にはほぼ確実に兄が散歩から帰って、りくを外に繋いでいる時間帯です。まさかと思いますが、犬好きとしてこの推論は否定しきれません。まだ四十代の頃、入院した父を見舞いに毎週新幹線で帰省していた時がありましたが、病院のあるローカル線の駅前の家にいるセントバーナードに会うのをどれほど楽しみにしていたことか。「ああ、りくを抱っこしてでも見せてあげればよかった」と思った時には後の祭りでした。東北電力のお兄さん、がっかりさせてすみません。


2021年10月9日土曜日

「通販で帰省先に家電を設置する困難」

  ずっと気になっていたのですが、帰省先の冷蔵庫を新しくしたいと思い、本格的に探し始めました。この冷蔵庫はいつの時代からあるかと考えても、到底20年ではきかない代物で、まだ動いているのが不思議なくらいです。不具合が出ているし、経験的に言って、こうなると或る日パタッと壊れるのが冷蔵庫です。冷蔵庫無しでは一週間でも辛い、寒くなる前に、そして暑さが去った今こそやらねばと決心しました。これには、1.最適な製品を選ぶ、2.最適な価格で購入する、3.帰省日に合わせて搬入・リサイクル品の搬出を手配する、という手順があります。

1.今では見る影もないとはいえ、「家電と言えば国産」という世代なので海外の企業には目もくれず探すことに・・・。兄の希望は「もう大型のは要らない」でしたが、夏場を考えるとそれなりに容量は必要、野菜室もほしいな、と考え、3段式で300L前後の製品を探し、1つの製品を選びました。ポイントは年間電力消費量ですが、今回調べてわかったのは小さいからといって省エネではなく、むしろ大容量の製品が省エネだということ。小さいと省エネの機能を中に組み込めないのが理由らしい。これは知らなかった。

2.大手通販会社2社で最適価格の商品を決めるのは簡単だと思っていたのですが、これがそうでもなかったのです。私が欲しい商品は他の皆さんも欲しいらしく、決して新商品ではないのに入荷まで10日ほどかかるところが多い。今はどこも在庫をほとんど抱えないのだなと実感しました。何回か通販サイトを見ていると、欲しい商品が1台出ていたのでさっそく購入手続きに入ったのですが、届け先が帰省先のため、新たに様々な入力事項があり、戻ってみたらもう「入荷停止となりました」との表示。きっとどなたかが先に購入したのでしょう。がっくりきました。

3.次回の帰省時に合わせての入れ替えを目指して、ネット上の個人商店に電話で「福島に配送して設置してもらえるか」を問い合わせてみましたが、「在庫なし」や「在庫はあるがリサイクル品の引き取りはしていない」との答えで、目論見は頓挫しました。

 そこへ先日の地震です。おかげで普段ならとっくに寝ている時間に起きていたのでよかったのですが、同時に虫の知らせというか、この買い替えはできるうちにやっておいた方がいいなと思いました。すぐに他の国産メーカーで同等のスペックの商品を見つけて再びトライ。購入に失敗した商品より少し高めでしたが、年間電力消費量が少なかったので「この方がいい」と購入交渉に入りました。まず、メールを送って購入意思を示すと「在庫アリ」の確認メールがあり、設置場所、設置日、リサイクル商品の有無、を記入して送信して待つこと数時間。「承りました」のメールが来た時のうれしかったこと、注意事項(前日に配達時間の確認電話あり、当日配達人に手渡しするリサイクル費用・収集運搬料について、設置場所と搬入経路について等)を読みながらドッと疲れが出ました。余震等で帰省できない場合に備え兄に当日の手順を知らせて、とりあえず今できることは全部やった感じです。

 以前、通販でエアコンを購入した時あれほど簡単だったのは、自宅への取り付けだったこと、エアコンの無い部屋への取り付けだけでリサイクル品がなかったこと、そして何より東京という地の利が決定的だったように思います。地方でも自分が住んでいるならもう少し楽だったのかもしれませんが、やはりそうでもないなという気がします。一口に通販と言ってもただ商品を受け取るだけなら、地方でも1~2日遅れになるというだけのことですが、取り付けのある家電になると状況は違ってきます。販売者が提携する地方の業者の都合があり、事実今回、設置日を決めるにあたって、「お客様の地域の設置日は月、木、土限定となります」との制約がありました。地方では微妙に様々な制約があるのです。こんなふうなので、たぶん私が地方に住んでいたら、家電の量販店に行ってその場で購入、設置日を決めてくることになったでしょう。その方がはるかに楽ですから。さて、あとは帰省して、今使っている冷蔵庫のお掃除、中身の取り出し、搬入経路の確保を搬入日前日までにするだけです。帰省中に入れ替えの手配というのは、今になってみると、結構針の穴を通すようなむずかしさでした。それに比べたら、前日までの準備なんて軽い、軽い。


2021年10月4日月曜日

「FIREという選択」

  最近若い人に選択される生き方として、ファイアFIREということばを時々聞きます。「Financial Independence, Retire Early」の頭字語をつなげたアクロニムで、「経済的自立と早期リタイア」という意味のようです。有名なのは、給料の8割を手堅い老舗のアメリカ株に注ぎ込んで金融資産を増やし、30歳でセミリタイアした青年です。これなどは株の運用においても決して無謀な感じはしませんが、毎月同世代の中では高額の給料をもらえる会社に就職した点は見逃せず、非正規雇用の場合などではまず無理だと言えるでしょう。

 昔はデイ・トレーダーが十年で燃え尽きて30代でリタイアとか、その後は、大学在学中に起業し上場して売却後リタイアとか、若くしてリタイアする話はいつもありましたが、一部の人の特殊な事情と見られてきました。現在FIREが広範に若者の関心を引いているのは、①定年まで一つの職場で働くという発想そのものがない、②生活のために労働に縛られ続けたくない、③年金を当てにできないので、自分の老後に備えたい、という強い動機から、金融資本主義の申し子たちによって、止むに止まれず考え出された手法であり、あっぱれと言うべきものでしょう。ネットスーパーで買い物をするのと同じ感覚で株を買える者でなければ、こんなこまめな投資はなかなかできないことです。前述の方の場合、入社初日から違和感を禁じ得なかったとのことですが、どんな職場でも人間関係の難しさや理不尽なルールはあるでしょう。また、根本的な企業の体質および社内体制や上司の在り方等への懐疑や不満が解消できない場合、FIREへの願望がいっそう強くなるのは否めません。未来に対して「きっとなんとかなるだろう」という楽観的観測を持ちえない社会が眼前にある以上、もはや「強いられた労働はしたくない」という彼らの意志を止めることはできません。

 かつては、テレビが来て家中に笑いがあふれたとか、車という自由な空間を手に入れて高速道路をぶっ飛ばしたとか、一世一代の買い物であるマイ・ホームに引っ越して至福の休日を過ごしたという時代がありました。今の若者に買いたいものなどあるのでしょうか。一口にFIREと言っても、短期間で支出を減らし資産を増やす方法は様々な形態があるようですが、人によってはFIRE達成のため生活費は年に百万円、残りの給料は全て投資と貯蓄に回すという実情を知ると、この人がお金で買いたいのはきっとお金そのものなのだと思えてきます。かつての若者は家電や車や家を見ながらにんまりしていたものでしたが、きっと今は預金通帳や株価の収支を見てこの上ない喜びを感じるのでしょう。こうなると居住空間を含め身の回りの物は全て賃貸やレンタルで構わないはずですし、むしろ所有物は面倒で不便だと感じるかもしれません。

 リタイアした後、彼らは何をするのでしょうか。縛られた労働を避けて何をしたいのか、そこが一番の関心事です。株というのは持っている限りにおいて利益を生み出す元手ですから、手放すわけにはいきません。何かする時の資金はおそらくクラウド・ファンディングで調達するので問題ないのでしょう。若い時を山や海外を歩くことに費やした私などには想像もつかない時代になってきました。あの時間を、老後を見据えて計画して実行する時間に充てなければならなかったとしたら・・・と考えようとして、考えることすら無理だと気づきました。「新人類」という言葉を初めて聞いた時、「旨いこと言うもんだな」と思ったものでしたが、さてさてそうすると今の世代はさしずめ5G(第5世代)くらいでしょうか。自分はアリだと思っていましたが、今の見地からするととんでもないキリギリスだったとは! いえ、決して自分の来し方をおちょくっているのではありません。そこまで時代が切羽詰まってしまったことに愕然としているのです。なにはともあれ、若い人には思いのままに頑張ってほしいです。「若い時の苦労は買ってもせよ」という金言だけは、今も昔も変わらないでしょう?


2021年9月30日木曜日

「病の原点に返る」

 帰省中、りくの世話、草むしり、家事一般に加えて、実家の片づけに精を出したせいか、帰ってからドッと疲れが出て寝込んでしまいました。今までの感触では「明日は大丈夫だろう」と思える体調でも、起きると「動くのはちょっと無理」だとわかるという状態が五日ほど続き、やはり一年と言えない老化が進んでいるなと実感しました。とはいえ、いつものように自宅に帰ってすぐ、必要な食料品は買い込んでいたので、全く何の心配もなく自宅療養をしています。

 昏々と寝る時期が過ぎるとやはり何か読みたくなってきます。もう読書といっても全て耳から聞くものですが、東日本大震災から十年たって、あの惨状のなか格闘した医師たちの記録を読んでみました。災害直後の設備も医療品もほぼない状況で、助けを待ちつつ懸命にできることをし続け、患者と向き合った姿に素直に感動を覚えました。患者も病状に応じ、自分ができることを探して、医療従事者を手助けしようとしており、大災害下の野戦病院的な特殊事情において医療の原点を見る思いでした。

 状況を比べることはできないものの、現在の感染症における対応について、素人なりに考えるところが二つあります。一つは死がすぐそこにあった大災害時と違って、全体的に微妙な緩み、公への依存的な心情・態度の存在を否めないこと、もう一つは大都市と地方の医療格差の問題についてです。

①感染症を避けようとしたら、とにかく衛生に気を付け、人との接触を極力減らすしかないので、動けるうちにしばらく籠城するくらいの準備が必要です。顧みると、日本では食料はじめ生活必需品の買い出しを禁止されたことはなかったのですから、感染症対策が長引く中でも災害対策に準じて籠城準備を各人、各世帯ごとにできたはずです。感染症問題が政治マターなのは間違いありませんが、それが強調され過ぎると「自分の身は自分で守る」という基本が忘れられがちです。政府の対応に問題があったにせよ、皆が少しずつクレーマーになれば解決するというものではありません。様々な事例から、自分の体を知ることがどれだけ重要かを知らされ、自分の命を守るまでの道のりを政府任せにするのは、とてもリスクがあると学びました。

②大病院、大学病院は大都市に集中しています。それでも感染症下では医療崩壊したのですから、致死性の低いパンデミックでは自宅療養をデフォルトとした対策を戦略的に練らなければならなかったのだと思います。それよりも問題は平常時です。普通に考えて、都市部の病院がすべて経営的に安定するためには多くの患者を必要とするはずです。よく過疎地域・人口減少地域では自治体ぐるみで予防的医療を推進し、病院の医療費削減を図っているという話を聞きます。おそらく個々の住民が治療に通う症状は自治体ごとに差があり、近くに病院があれば生きるか死ぬかにかかわらない、できれば改善すべきという程度の症状でも治療することが推奨されるでしょう。(いま念頭にあるのは、程度にも寄りますが、メタボとか高血圧とかです。)ひょっとすると、薬を用いて治すことによって体に別の症状が出たり、症状は無くなっても逆に当人の人生に何らかの弊害があり得る案件もあり得るのではないでしょうか。人の体は百人百様ですから、検査によって一律「正常値」を適用されてもあまり意味がありません。何も治療しない方が実は長生きだったという場合も無いとは言えません。

 つまり大震災の記録を読んで現在の事情に目を向けると、日本ではちょっとしたことで人々が病院に行き過ぎるのではないかという印象を抱いたのです。病院が身近にあるのは幸いなことであり、体調に不安があれば病院に行くのは当然です。しかし今になってわかるのは、歳をとるということは昔の体とは違う自分になるのだということで、体のどこかしら悪いのが自然な状態なのです。私のように医者の手を煩わすことなく、おとなしく寝ていればそのうち良くなるというのは、最高のやり過ごし方じゃなかろうか・・・。寝転がりながら読書をし、つらつらとそういう結論に至りました。これはしかたないんだな、と納得できれば次の段階に行けるというものです。


2021年9月27日月曜日

「紅春 188」


 帰省する前日か前々日あたりに兄に確認メールをする時、りくの様子を尋ねることがあります。最近のは「涼しくなってご飯もバクバク食べてるし、わりと元気」というものでした。帰省して持って行ったおやつをご飯に混ぜてあげてみると、全部は食べないだろうと思っていたのに、すっかり平らげたのでうれしくなりました。しかし一方、「あれ、これまさか認知症じゃないよね」という思いが沸き上がってきました。人間の場合、ちゃんとご飯を食べたのに本人が「食べていない」と言って虐待を疑われるという話を聞くからです。

 その後、りくの状態を見ていると、脳の満腹中枢は機能しているようで、お腹いっぱいになると途中でやめますし、散歩して帰って来て空腹を感じると残りを食べているので大丈夫でしょう。食の細いりくがたくさん食べてくれるのは本当にうれしく、脚を鍛えるために無理のない範囲でなるべく歩かせ、モリモリ食べてほしいと私も頑張っています。人間にとってずっと座っているのはよくないのと同様、りくも適宜外につないでなるべく立たせています。ご近所さんが通る時、「りくちゃ~ん」と声をかけてくださることもあり、りくは聴こえていないようですが、それでもあまり見えない目でそちらを見ているようです。少しでも外部の刺激があるのはよいことでしょう。ありがたいことです。


2021年9月22日水曜日

「電子メールの発展的消滅」

  使っていない携帯電話会社の名を騙る偽メールを見つけて、またかと不快な気分になりました。といっても私程度であれば、偽メールは月に2~3通あるかどうかで、あとは心当たりのあるものばかりです。すなわち、宅配関係の注文に関する返信、使用しているプロバイダーやカード会社などからの毎月の請求書等です。しかしだからといって嫌な気分が減じるわけでないのは、偽メールへの対処は一度の失敗でも致命的になり得るからです。また広告欄に前もってチェックの入った注文メールは、うっかりオプトアウトし忘れ、メールマガジン等が配信されるのも腹立たしい限りです。

 他の人はこういうことをどのように処理しているのかと思う時があります。ジャンクメールを上手に仕分けしたり、捨てアドを作っていくつか用途別にアドレスを分けたりしている方は多いことでしょうが、有名人や仕事の関係上アドレスを公開せざるを得ない人は、月に何千、何万というメールを受け取っているのではないでしょうか。SNSをやっている方はなおさらです。開封すべきメールかどうか判断する時間が無駄ですし、大事なメールが迷惑メールフォルダに入ってしまう事態もゼロにはできません。このように、とんでもない数のメールが何カ所かのアドレスに送られてくるとしたら、到底対処できるものではなく、未開封のメールが何万通、何十万通とたまっている場合もあるでしょう。つまり、もう電子メールは機能として半ば死んでいるのです。

 私は基本的に登録されている知人・友人からのメールは必要に応じてテキストを別の記憶媒体に保存していますが、その他でチェックするのは自分がアクションを起こした返信メール(通販の配達予定など)のみです。あとは複数あるパソコンから順次1~3か月ごとに受信メールと迷惑メールを全削除しています。これは災害で所有物を全部失くしたとかパソコンが壊れたと思えば何でもないことで、実にすっきりします。これまでの経験から、以前のメールを探し出してもう一度確認するなどということは金輪際したことがないのですから、全部要らないものなのです。

 ジャンクメールや偽メールに侵食されて電子メールという便利な通信手段が消滅していくのは残念ですが、現状を見ると宿命かもしれないと思います。「○○、急用にて連絡待つ、△△」とか「◇◇、至急家に戻られたし、✗✗」といった短い電報のような機能は残るかもしれません。いっそのこと全部なくなって手紙に戻るとかすれば、どんなにのどかになることでしょう。偽はサクラに通じ、私はもはや「世の中にたえてメールのなかりせば日々の心はのどけからまし」という気分です。


2021年9月16日木曜日

「『子供』と『子ども』」

 十数年ほども前でしょうか、「子ども」という表記を見て「変なの」と思いました。その後、この書き方はじわじわと広がり、今では市民権を得た感があります。私にとっては依然として非常に違和感のある書き方で、それ以上にこういう書き方をすることにより或る種の表明がされているらしいことに何か落ち着かない感じがするのです。それを分析すれば、「私は子どもに対して配慮を怠らない人間です」という「配慮の装い」とでも言ったらいいのでしょうか。一説には「子供」の「供」は「お供」から来ており、「大人に付き従う者」という意味であるとか、「供え物」から来ているとか、といった理由が挙げられるようです。私には複数を表す接尾語の古い形にしか思えず、従って「子供」を「子ども」に変えるのはこじつけの感が拭えません。また、昔から単語に漢字とひらがなが混じるというのはそうそうあるものではなく、こんな間の抜けた書き方があっていいものでしょうか。

 何の変哲もない誰もが使う単語だった「子供」を「子ども」に変えることで、この言葉には何とも言えないおかしなニュアンスが加わります。敢えて口にするなら、配慮すべきもの、保護されるべきもの、弱いもの、虐げられているもの、特別扱いすべきもの・・・という意味合いでしょうか。社会の中の当たり前のメンバーとしての子供が、それ以外の視点で眺められているのです。私のこども時代はあくまで「子供時代」であって、間違っても「子ども時代」ではありません。ちゃんとした大人がいて、普通に子供がいたのです。

  もっと気になるのはこの語がメディアに浸潤してきていることです。それも自らの見解を問うことなく、圧力に負ける形で自己規制していくとなると、ろくなことにはならないと分かるので肌に粟を生じるのです。つまり一般的に言って、何かを区別し目印をつけると、それを或る種の目的でいいように利用することができるようになります。そこに生まれた間隙に小さな差別が忍び込んできて、そこから利権が生まれるという経過を辿ります。そういうことを私は忌み嫌っています。

 たとえば、現代は何だかよく分からない病が増えています。社会が複雑化し、人々が人体に有害な物質に囲まれて生活している中で、得体の知れない病が起こるのは理解できますし、実際それを示す脳に残された痕跡が脳科学によって解明される場合もあります。しかし、精神医療の領域で特に子供をめぐって病が作られるということもあるのではないでしょうか。昔はADHD(注意欠如・多動性障害)の子どもなんていませんでした。単に「子供」と言ったのです。かくして病は見いだされ、「子ども」は手当されねばならない存在になるのです。どれほど子供と家族の気を萎えさせることでしょう。病に限らず「子ども」とタグ付けすることで広がる暗くて深い深淵に怒りと悲しみを感じます。

 古い言葉が消えていくのは致し方のないことです。昔の文学や芸術作品はいわゆる「政治的に不適切な」言葉で満ちており、今では「本文中の引用には現在の基準に照らして不適切な部分もあるが作品のままとする」といった断りなしには掲載できません。しかし、程度の問題は重要で、不適切な言葉の妥当性と、それが際限もなく増えていくことの不便さを慎重に見極める必要があります。言葉あっての世界なのですから、「目の見えないお方」などと言われたのでは座頭市も浮かばれないでしょう。全盲の方が「何故『めくら判』といってはいかんのだ」と怒っているのを聞いたことがありますが、差別的として葬られた言葉が返り咲くことはありません。「子供」という表記もすでに分水嶺にあるのかもしれませんが、私は誰かに遠慮や差し障りがあるわけでもないのでこれからも使います。私にとって「子供」というのはほっこりとした温かさを持ち、歳とともに郷愁さえ覚える言葉なのです。


2021年9月13日月曜日

「八方塞がり」

 ニュースはコロナか政局ばかりなので、このところラジオを聞いていません。読書がはかどるのはいいのですが、何を読んでも楽しめず鬱々としています。以前も書きましたが、コロナについて私にわかったのは、2020年の日本に限った総死亡者数は前年より9373人減少したことであり、それまでの10年間の総死亡者数が毎年平均2万4千人ずつ増えていたことを考え合わせると、見方によっては、昨年はコロナの流行により3万人以上の人が命拾いをしたと言えなくもないのです。諸外国とくに欧米では全く違った状況かもしれませんが、日本においてはインフルエンザ以上に悪い影響をもたらしたとは言えません。この不思議な結果の前提となるファクターXはまだ分かっていませんが、以前ささやかれたBCG接種との関連などは、主症状が肺疾患に深く関わる点でさほど見当外れとは言えないのではないでしょうか。異なった感染症であれば違うタイプの遺伝子情報を持つ方が影響を被ることでしょうが、生活環境を含む人間の遺伝子情報は千差万別なので、完全に解明するのは難しいかもしれません。

 この時代になってもまだ経済成長を唱える人がいますが、見渡す限りもうフロンティアは無いように思えます。それでも経済成長を望むなら無理にでもフロンティアを創出しなければなりません。これまでは戦争がその役割を担ってきました。しかし、それ以外にも方法はあるようで、それは「災厄」です。ゼロサム的世界では「甲の得は乙の損」という形でその内部にフロンティアを作り出し、持てる者はさらに富を増し加えることができます。また、自然災害であれ人的災害であれ大災害となれば、そこにフロンティアができます。こんな形でしか「経済成長」できないのなら希望は見えません。

 日本学術会議の問題は、1950年および1967年に示されていた「軍事目的のための科学研究を行わない」との声明を踏まえて、2017年3月24日に出された「軍事的安全保障研究に関する声明」が大きな一因なのでしょう。せっかく戦争法案を通しても国産の兵器がなくては戦えませんから。首相は任命拒否は学問の自由に抵触しないという論拠として、「学者が自由に研究するのは妨げない」といった趣旨の答弁をしていたように記憶していますが、学問の自由はそもそも国家権力の介入からの自由を指しているのですから、これほど国民を愚弄する発言はないでしょう。こうしたむき出しの邪悪さが露わになっても、もはや文書改竄を平気で行えるようになった政府に恐いものはありません。しかし、政府が学問の自由にまで手を出すようになったら、その国に未来はないでしょう。

 健康や医療関係の本は特によく読みますが、ほとんど分からないというのが正直なところです。ただ、「人間の身体は一人一人未知のものである」ということは確かなようで、既に抱えている病はしかたないにしても「できるだけ医療には関わらないでいたい」と強く思いました。知れば知るほど暗い闇が横たわっているようです。水や食べ物にしても本当に安全と言えるものはなさそうですから、せいぜい少しでも汚染度が低いものを選ぶくらいしかできません。また、今まで気に留めていませんでしたが、家の内外の電磁波の問題もあります。これとて都市で社会生活をするならば完全に避けられる場所などあるわけがなく、せいぜい調理中の電子レンジから離れたり、スマホは遠いところに置いておくといった対処しかありません。

 他にもインターネットを用いた犯罪に巻き込まれる危険や、外出時の回避できない事態(交通事故や無差別犯罪)に遭遇する危険は常にあり、ひとときも気が休まる時がないのです。どうしてこんなことになってしまったのでしょう。その経過の時代を生きてきたのですから、自分も含め多くの同時代人の欲が際限なく実現していった結果と認めざるを得ません。こうなると、若い方々の怨嗟の叫び、鬼束ちひろのヒット曲まで一直線です。でもあれは20年も前のこと・・・。この間、状況は悪くなりこそすれ、全く好転していません。そして昨年は、10歳から39歳までの死因の第一位が自殺なのです。絶句するほかない。そして現在はSNSで「死にたい」などと呟いたりしたら、瞬く間に、砂糖に群がるアリのように、何人もの人が邪悪な目的でコンタクトしてくるという恐ろしい時代です。私に何か言えるとしたら、「教会に来ればいいのに」ということだけです。そこでの礼拝は静謐と平安に満たされ、私が唯一安心できる時間です。歳をとるほどにそう感じますが、一体どれくらいの人がそういう時間と空間をもてているのでしょう。ぜひ若いうちから神様の恵みを知って、この困難な世界を生き延びられるようにと心から願います。


2021年9月6日月曜日

「紅春 187」

 


 夜中に目覚めて、「今日も来るんだろうなあ」と思っていると、傍らでシャッシャと密やかな音が・・・。もう来てる・・・りくが前足で布団のヘリを搔いているのです。見ると満面の笑み、散歩のお誘いです。でも今は午前3時、外は真っ暗。「まだ早いよ」と撫でて帰すのですが、りくはめげずに間をおいてまた来ます。その間隔が次第に狭まり、「だめだ、もう絶対に眠れない」と起きるのが4時。それでもまだ暗い。着替え始めると、りくは散歩に行けるとわかるので、せわしなく家中を歩き回って気持ちがますます高まっていくようです。

 下の橋まで一周約2キロ、朝は涼しいし、りくも大丈夫歩けるのでこの運動は大事です。何よりうれしそうに勢い込んで、道端の情報を読み取るのに真剣です。帰ってきて外に繋ぎ、水の入った容器と蚊取り線香を設置、りくは届く範囲でそのへんをぶらぶらしたり、草むしりする私の働きぶりを見たりしています。可動域を広げるため兄がワイヤーを伸ばしたので、りくは半径7メートルくらいを自由に歩けます。雑草は全部取って帰ったはずなのに、帰省するたび「うそだろ」というほど風景が変わっています。なにゆえ草はこんなに伸びるのか・・・。ご近所の迷惑にならぬよう毎日小一時間草むしりをするので、雨の日などは正直休めてほっとします。

 その後は朝食、りくがまだ外にいたいという時はりくを残して家に入ります。最近はここでうっかりしてはいけない、時々覗いて見ると大変なことになっています。引き綱が木に絡まって立ち往生していても、日陰もあるのになぜか陽の当たるところでハアハアしていても、突然ザっと雨が来ても、りくは黙っているのです。慌てて出て行って、「姉ちゃん呼ばなきゃダメでしょ」と言いながら、りくを取り込むことになります。どこ吹く風のりくに食事を食べさせて、なんとか朝は一段落です。りくは家でお休みタイム。弟くんたちとまどろんでいます。あたしも寝たいよ!


2021年8月30日月曜日

「皮膚感覚」

  私はデジタル機器が苦手です。スマホは非常用に保持しているだけで、常にGPSは切って自宅に固定、帰省する時は持っていきますがそのまま机上に置いてあります。先日、友人から「テレビ通話できれば・・・」と話があったのですが、まずやり方がわかりません。機種によって簡便に使えるもの、アプリを入れて使うもの等さまざまあるようです。ラインはもう社会インフラになっているなどと言われて、これなら初心者でも簡単にテレビ通話ができるのだそうです。しかし、以前いろいろと問題になったように、使い始めると同時に電話帳が抜き取られたり、文字や通話の情報が漏れなく開発企業に送られて集積されたりするようなものを、よくみんな平気で使えるなと言うのが率直な感想です。いずれにせよ何らかの利便性を享受しようと思えば同様のことが起こるのですから、もはやどこのリトル・ビッグブラザーを選ぶかの違いしかないともいえるのですが・・・。テクノフォビアとしては少しでも安全そうなデジタル通信機器を用い、ごくごく必要な時しか使うまいと決めています。

 そうは言っても、ありがたく使っている機能もあります。感染症の不安がある中、教会のオンライン礼拝が聴けることは以前には享受しえなかった恩恵です。もちろん会堂での本物の礼拝とは全く違いますが、とにかく同じ時間を共有することができるのは有難いことです。しかし、ZOOM等による双方向の会合には一度も参加したことがありません。どうしてもそういう気になれないのです。どうしてかなと考えても、感覚的に無理と言うほかない気がしていました。

 先日、皮膚について研究されている傳田光洋氏の本を読んで、なるほどと思うことがありました。ちょっとうろ覚えですが、それによると、類人猿の中で人間だけ体毛がほとんどないという普段見過ごされがちな事実から、人間が体毛を失っていった時期と人間の脳が巨大化していった時期が同じであるということに注目して独自の理論を展開されています。それは皮膚から入る膨大な情報を処理するために大きな脳が必要になったという説です。なんとなく、人間の健康を左右するのは「腸」という臓器であると聞いた時と同じ既視感がありますが、傳田氏は皮膚を「思考する臓器」と考えておられるようです。また、「コンピュータが人間の意識を持つことはない。なぜなら電脳空間には皮膚がないからだ」という趣旨のことも述べておられましたが、私がZOOMを使う気になれない理由としてこれほど腑に落ちた説明はありません。画像や音声は伝わっても、今のところ触ることはできない。中枢としての脳とは違い身体のあらゆるところを覆う皮膚が、人間史上では脳に先行するものであるという指摘には考えさせられるものがあります。


2021年8月28日土曜日

「紅春 186」


 8月下旬、帰省して台所でガサゴソやっていると、りくが起きてきました。こちらから起こすと寝ぼけてお漏らししてしまうことがあるので、最近は自然に起きるのを待つようにしています。やって来たりくは「あ、姉ちゃんだ」と私を認めましたが、これといったリアクションはありません。「りく、今日なんか感動薄くない?」と言ってみましたが、りくの中では様々な記憶が混ざり合って、私が家にいるのが日常と思ったのかも知れません。

 晴れた日にお風呂に入れた時も、さほど嫌がりませんでした。もう風呂桶に入れるのは無理なので、普段の格好のままさっと洗いましたが、りくはボーッと立ったままおとなしく洗われていて、騒ぎ出す前に終えることができました。楽と言えば楽ですが、これでいいとも思えません。

 今朝は散歩していて、いつものように草地をクンクン嗅いだ後、普通に歩き出そうとしてコロッとこけました。前の右脚がカクッとなって右脇腹を地面につけるように倒れたのですが、これには本人もびっくりしたようです。幸いケガはなく、いつも通り歩き始めたので安心しましたが、傾斜のある場所でもない平地でこんなことが起きたので、私も少なからず驚きました。やはり認知的なことも含め、いろいろな面で少しずつ弱ってきているのは否定できません。そのくせ本人は「散歩大好き!」なのですから、脚でも折ったら大変です。「ゆっくり気を付けて歩かないと・・・」と、大事に至る前に気づけて良かったと思いました。


2021年8月27日金曜日

「無知蒙昧を恥じる」

 コロナ問題を考えていて、厚労省の2020年の人口動態統計を調べたところ、5歳刻みの年齢別死亡原因が第1位から第5位まで載っているのに気づきました。この中にコロナによるものはありませんが、インフルエンザが死亡原因の第5位になっている2つの年代層がありました。1歳から4歳までと5歳から9歳までの子供たちです。合計で10万人当たり30人の死亡数なので、この年代の全体数がわかればインフルエンザによる死亡の実人数もおおよそわかります。少子化の進行が進んでいるので、1歳から9歳の子供の数はおそらく900万人に満たないとして、それでも2700人近くはインフルエンザで亡くなったことになります。季節性のインフルエンザは冬が流行の時期ですが、仮に10カ月で割ったとしても一日9人近い死亡者数です。これだけ10歳未満の子供が死んでいても、インフルエンザの場合それにフォーカスされなかったのです。今、私は不明を恥じています。

 さらに見ていくと、40歳から上の世代では、90歳~94歳の心疾患、95歳以上の老衰を除いて、死亡原因の第1位はすべて悪性新生物〈腫瘍〉だということがわかりますが、これは思った通りです。ところが、その間の世代、10歳から39歳までの死亡原因に目が釘付けになりました。この層の死亡原因の第一位がすべて「自殺」だったのです。思わず、文字通り腰が抜けた感じで、すとんと尻もちをついていました。なんと痛ましいことでしょう。まさしく、学校や社会で学んだり働いたりするど真ん中の世代でおびただしい数の人がじさつしているのです。ここにこの国の不幸が端的に示されています。コロナ問題など吹っ飛ぶほどの衝撃でした。

 しばらく呆然とするうち、頭に浮かんだのはなぜか『グレート・ギャツビー』の冒頭部分でした。

 In my younger and more vulnerable years my father gave me some advice that I've been turning over in my mind ever since.

 'Whenever you feel like criticizing anyone,' he told me, 'just remember that all the people in this world haven't had the advantages that you've had.'

 ぼくがまだ年若く、いまよりももっと傷つきやすい心を持っていた時分に、父がある忠告を与えてくれたけれど、爾来ぼくは、その忠告を、心の中でくりかえし反芻してきた。

「ひとを批判したいような気分が起きた場合にはだな」と、父は言うのである「この世の中の人がみんなおまえと同じようには恵まれているわけではないということを、ちょっと思いだしてみるのだ」 (野崎孝訳)

 「生まれる国や家庭を選べる人はいない」という、言い古された言葉がこれほど心に迫ったことはありません。どこにもセイフティ・ネットがなければ、まだ人生の基盤を築いていない、あまりに脆い年齢層の一部は、いつしか死に飲み込まれてしまうのでしょう。痛ましいというほかありません。この歳まで生きられて、そんなことも知らなかったとは、私は本当に大馬鹿者です。


2021年8月25日水曜日

「通院しながらコロナについて考えた」

  東京の新規感染者五千人超が続いた日、しかたなく眼科の通院に出かけました。2月に予約をキャンセルして取り直してもらったためもうキャンセルはできない。なにしろ10カ月ぶりなのです。今思えば2月の感染状況など可愛いものだったと思い返しつつ、このところ体調が良いので免疫力が上がっているこの時を逃す手はありません。実際、病院内に入る前の自動検温では平熱ながら高めの体温でした。自然治癒力は高まっているはず、今通院せずにいつするのかと、変な自信がありました。

 私の中ではこのところコロナ問題に関する考えが徐々に変わってきているのですが、その第一の理由は、厚労省の発表で「2020年の国内の総死亡数が前年より9373人減少した」ことを知ったことによります。何しろ日本では高齢化の進行に伴い、2010年から2019年まで10年連続で総死亡者数が増加、しかもこの間の増加幅は年平均約2万4千人であったというのに、コロナによって総死亡者が増えるどころか、9千人以上減ったというのは物凄いことではないでしょうか。

 インフルエンザの年間死亡者数はおよそ1万人と推計されているようですが、2021年8月24日のコロナに関する厚労省発表のデータでは、国内のこれまでの陽性者数は累積1,314,531人、死亡者数は累積15,656人です。これは2020年2月18日~2021年8月22日までの約1年半の累積数ですから、1年間のコロナ死亡者数はおよそ1万人強ということになり、インフルエンザと変わらないことになります。症状のあらわれ方は多少違えど、よく取り沙汰されるように感染症5類に分類されてもおかしくない弱毒性であることは確かです。さらに驚いたのは、私が知らなかっただけかもしれませんが、コロナの場合、報告を速やかに行うために「新型コロナウイルス感染症の検査陽性者が入院中や療養中に亡くなった場合、厳密な死因を問わずコロナによる死に計上する」旨の事務連絡が2020年6月18日に厚労省から出ていたことです。インフルエンザの場合にも、その流行の間接的な影響による死亡を考慮に入れる超過死亡概念により、死亡者数の推計が行われていますが、コロナの場合はかなり無茶苦茶なことになっているように私には思われます。これによると、他の疾病で入院・治療していた場合でもPCR検査で陽性となれば、亡くなった場合コロナにカウントされますし、さらに、コロナ感染を回避するための病院不受診や生活習慣の変化に伴う持病の悪化による死亡もコロナによる死亡にカウントされるというのは、随分変な話です。

 それにもかかわらず、コロナによる死亡者がインフルエンザ程度にすぎず、なおかつ前述したように、日本の昨年の総死亡者数が1万人近く減っているのです。これらの数字を冷静に考えれば、昨今の騒ぎはいかなることか、何か相当おかしなことが起きていると感じないわけにはいきません。この事実が意味することを誰もが噛みしめる必要があるでしょう。いずれにせよ、今は軽症どころかかなり重症とみられる場合でも入院先がない状態ですから、一般人がすべきことは、毎日の食事、睡眠、運動によって免疫力を上げておく、これしかないでしょう。そして、もはや症状が出ても放置されるかもしれないと腹を括って、食糧その他の備えをしておくことです。そう言えば、私はもう十年以上そうやって暮らしてきました。コロナに関しても、間違ってもお上に頼ろうとしないこと。頼りがいがないからではありません(それもあるけど)。自分の身は自分で守るという強い気持ちが感染症に打ち勝つカギになるだろうと思うからです。


2021年8月19日木曜日

「チャリンコ騒動」

 朝、いつも運動する公園に行こうとしてふと見たら、キーホルダーに自転車の鍵がない! 仰天して鍵探しを開始し、自転車置き場から玄関までを往復しましたが、見つかりません。朝の予定はキャンセルし、がっくり肩を落として家に戻りました。普通、スペアキーがあるではないかと思われそうですが、驚くなかれ、私の自転車は二十年来の代物なのです。全体に錆が出て、いかにも古くみすぼらしい。高さが調節できるサドルも一度ポロっと取れましたが、はめ直して金属用の強力接着剤で固定してあります。そう言えば、以前、自転車盗難防止キャンペーン中の警察官に声をかけられたのはあまりにボロい自転車だったせいなのかと、今頃になって合点がいきました。ネットで「自転車の鍵をなくしたら」を検索してみると自分にはできそうもない奥の手も紹介されていましたが、その他には「交番で鍵を開けてもらう」、「自転車屋で鍵を交換してもらう」という的外れの答えしか見つかりません。そこまで運ぶのが第一関門なのですから。結局、スペアキー探しに逆戻りです。

 これまで自転車を買い替えなかったことには理由があります。東京に出てくる時、田舎から持ってきた新品の変速自転車がほどなく盗難にあったのです。とても気に入っていた自転車だけに、あの時の失望と悲しみは何十年たっても忘れません。こういうのを心的外傷と言うのでしょう。私が盗人に対して非情なのはそのせいです。今思い出しても、せっかく買って持たせてくれた両親に申し訳ない気持ちでいっぱいになります。それ以来、新品の自転車には乗れなくなりました。「いや、それより今はスペアキーっ・・・」と、何十年も前の出来事を思い出してさえずーんと気が沈みかける自分を叱咤して、心当たりを探すことにしました。あれからスペアはどこへ行ったやら~。

 それから15分、「もしやこれでは?」と思われる鍵が2つ見つかりました。キーの番号が違うのでそれぞれ別の自転車の鍵らしいと分かりました。勇んでそのうちの1つを自転車ロックの鍵穴に入れると、回すまでもなく途中からポキント折れ、先端が鍵穴に残ってしまいました。「ひえー、もうだめかも」と思いつつ、部屋に取って返し、とげぬきを持参。中で変に曲がってはいなかったようで、何度か試すうち先端を取り出すことができました。ついで恐いもの知らずのようにもう一つの鍵を鍵穴に入れ、鍵に負担がかからぬようロックのつまみを指で押しながら回しました。「カチン!」と音がして開いた時には信じられないような気持ちでした。

 実を言うと、これまで何度か自転車を買い換えようかと思わなかった訳ではありません。しかし、古い自転車を捨てられないもう一つの理由は、昔の製品は万事がちゃちな今の物とは違い、本体が非常に頑丈にできていることです。満身創痍であってもまだ使える物は捨てられない。寿命を全うさせてあげたいという思いから、これまでもタイヤの交換等は適宜してきました。今はまず鍵を交換すること、それからついでにライトをLEDに換えてもらうこと(ライトは自分が見るためではなく、相手から見られるためにある)が必要と決めて、自転車屋さんへ。数時間前のことを考えれば、文字通りここまで来られたこと自体が夢のよう。自転車屋さんはものの10分で二つの作業を終了しました。疲れたけど、何はともあれ感謝! 時々こういう活が入るのも悪くないかも。


2021年8月13日金曜日

「免疫力を上げるには?」

  燎原の火のようにコロナ・ウイルスの感染者が広がっています。緊急事態宣言にお構いなく活動する人がいる一方、人員・医療品不足が深刻化する医療現場からの悲痛な叫びが聞こえています。6月に二度目のワクチン接種が済んでいるという高齢者が感染して亡くなったとの報道もあり、「自分の身は自分で守る」ことを改めて呼びかけられています。

 結局のところ感染症に対峙するには免疫力を上げるしかないのですが、これは普段の生活における「食事・睡眠・運動」を高いレベルに保つという地道な努力によって成し遂げられるものです。感染症にかかった人の多くが「だるい」という症状を意識しますが、これは血液中のリンパ球の数が減少していることを示しているのでしょう。この辛さはよくわかります。私の持病もだるさが半端ない病ですが、いつもリンパの値が大変低く、これまで努力の甲斐もなく改善が見られませんでした。

 コロナ以後は開院時間まで病院に入れないところも多いのではないかと思いますが、先日の通院でそれを忘れて早く着いてしまい、開院時間まで並んで立って待てるか心配だったのですが、比較的元気で乗り切れました。そう言えば最近、暑さにもかかわらず横になっている時間が減っている気がしていました。すると驚いたことに、その日の検査の結果ではリンパ球の値が急上昇していることがわかりました。「リンパ球が多いと体がこんなに楽なのか」という実感です。医者も不思議がっていましたが、私にも原因はわかりませんでした。これまでもできることは全部してみても改善はなかったのです。

①食事は野菜中心、大豆、卵、動物性タンパク質、乳製品をバランスよく摂り、発酵食品、海藻類、きのこ類、果物も欠かさない。主食はご飯(金芽米)、パンや麺類は一日一食までにする。

②早寝早起き、疲れたら休む、無理をしない。

③雨でなければ、早朝の公園までウォーキングを含め小一時間の運動をする。

 そうやってなんとか体調を維持してきたのですが、それでも画期的な変化はなかったのです。急にリンパ球の値が改善したわけはわかりませんが、まさかと思うことがあります。通院まで数週間ずっと、大好きな福島の桃ジュースと友達が手作りした美味しい梅ジュースを飲んでいたことです。熱中症対策の水分補給の一つとして、お茶やコーヒーと同じように飲んでいただけなのですが、何かそれまでとの違いを挙げるとしたらそれしか思い当たりません。多分偶然なのでしょうし、自分の体にいい物は一人一人違うのかもしれません。自分でも半信半疑ですが、相性のいい食べ物が見つかったのならうれしい。睡眠と運動はこれ以上変えようがないと思うので、今後も様子を見ながら、免疫力を上げる食事を探していけたらいいなと思いました。


2021年8月9日月曜日

「紅春 185」

 


 どこにも行けないような暑さが続き、りくと早朝の散歩をする以外は家にいる毎日です。8時にはすでに暑いのですが、まだ風の取り込みと扇風機でしのぎ、10時過ぎころから冷房を使っています。この冷房が電池を交換してもリモコンで調節できず、本体のスイッチを背伸びしながら押すと28℃の冷気だけは出るという代物で難儀しています。

 とはいえ真夏にはエアコンなしには過ごせず、スイッチを入れて一息ついていると、そのうち寝ていたりくが出ていきます。見に行くと、信じられないことに明らかに暑い廊下や隣室で寝ているのです。夏でも毛皮を着ているだけ犬の方が暑いと思うのですが、これはいったいどうしたことか。思い当たるのは一つしかありません。父に鍛えられたのです。徐々に分かったのですが、父は冷房や扇風機の風が嫌いで、自分一人の時は使っていなかったのです。私が帰省してスイッチを入れると、場所を移動したり「風の向き換えて」と言って、眉根を寄せて不機嫌そうでした。りくに選択権はありません。この父のもとで育ったりくは人間より暑さに強い犬になったとしか思えません。事実、りくが普段寝る場所は冷房の風が当たるところなので、最近そこを避けて寝ています。様々のことに対する動物の耐性は、きっと子どもの頃に養われるのでしょう。恐ろしいほどです。

 今年はりくを連れて遊びに行くのは無理かと思っていたのですが、ドライブくらいならということで出かけることになりました。りくが気配を察してあたふたと家の中を駆け回っている間に、お出かけ用の水筒や飲み物、カメラ、りくのトイレ用品を用意し、出発。「今日はクリニックじゃない」とわかるらしく、りくもうれしそう。以前のりくは車の中でも窓の外を見ようと動き回ったものでしたが、今ではだいぶおとなしくなりました。途中、山際を走る山形新幹線の車両が通り、絶好のシャッターチャンスがあったのですが、りくを膝の上で抱えているのでカメラを取り出せず、残念。目的地はやはりあづま運動公園の駐車場、オリンピックの野球の試合はないはずなのになぜか「許可証ありますか?」と聞かれ、「無い人は手前の方に止めてください」とのことでした。車をほんのちょっと降りただけでも暑いので、りくのトイレだけ済ませてすぐ退散。そのまますぐ帰ってきました。もともとドライブのつもりだったので、まあこれでよかったのです。帰りにコンビニで冷たい物を買い、家でゆっくりして、りくの夏休みは終わりました。



2021年8月7日土曜日

「虫屋さん」

  帰省して冷蔵庫を開けたら、昆虫ゼリーなる不気味な袋が入っていました。これから人口爆発時代の食料危機を救うのは昆虫と言われており、一瞬ぞっとしたのですが、「これ、なに?」と兄にきくとカブトムシのえさとのこと、胸をなでおろしました。虫が苦手という人は多いと思いますが、私もその一人です。子どもの頃は裏庭の杉の木の根元から地蜘蛛を捕まえたりできたのですが、もうまるで駄目です。写真に撮るくらいはできそうですが、傍で羽ばたかれたりすると「ひい~っ」と絶叫してしまいます。たぶん、都会の台所に時折出没するあの黒光りする忌まわしい虫を思い出すのでしょう。

 さてカブトムシはというと、角のある雄で、土手の橋のたもとを照らす街灯の下に落ちているのを猫から守るために拾い、虫用の透明の箱に入れて裏の小屋に置いてあるとのこと。兄は一匹では可哀そうと思い、雌を買って来たところ何故か入れておいた雄がいない・・・という話は帰省した日に聞いていました。その後、休日の午後、息せき切って兄が帰って来たので何かと思えば、水場のある自然公園まで車で行き、五十メートル先の林の樹にとまっている点を見つけ、「執念で採ってきた」と、カブトムシ2匹、クワガタ1匹を見せてくれました。私はというと、「テカテカと光る黒い冑の殻はやはり気味悪い」という気持ちと、「子どもの頃はカブトムシとクワガタは平気だった、どっちかというと好きだった」という気持ちで葛藤がありましたが、なんとか触れました。兄は「昔採れた所にはもういなくなった」と言っていたので、気候や環境の変化で虫の植生が変わっているのかも知れません。カブトムシは大き目のガムシロップのような容器に入った昆虫ゼリーを1日1個食べるそうで、いま冷蔵庫の一角をこの袋が占拠しています。

 もう一つ、小屋から兄が持ってきたのはキイロアシナガバチとコガタスズメバチの巣です。思わず「げえ~っ」という感じでしたが、前回の帰省時に自転車を出そうとしてハチの襲撃にあったことを伝えておいたので、退治してくれたのでしょう。私はたまたまカッパを来ていたので無事で、以後は蚊取り線香を炊いて様子を見ていたもののどうなったかと案じていたのです。ハチは両方とも天井に巣を作っており、小さな穴から殺虫剤を噴霧したらすーっとハチが落ちてきたそうです。標本のように紙にテープでとめられた2種のハチの死骸も見せられ、こちらは本当に「ひい~っ、無理!」というほかありませんでした。昆虫愛好家というのはそれ以外の人から見ると理解しがたいものがありますが、こんな近くに虫屋さんがいるとは思いませんでした。


2021年8月2日月曜日

「若い力に励まされ」

 オリンピックはほとんど念頭になかったのですが、帰省してテレビがあるとついつい見てしまいます。オリンピックに出るくらいなのですから、本人の努力はもちろんですが、天性の才能があり、周囲に支えてくれる人々がいる恵まれた若者たちなのだと思いつつ、勝っても負けても必ず感謝の気持ちを口にする真摯な姿勢に心打たれています。

 近頃の若い人は変わったなと思うところが一点あります。以前はぎりぎりの競った場面では日本は必ず負けるという印象があったのですが、最近は競り勝つことが多いと感じます。それは思うに、様々な競技において世界と闘った経験を持つ選手が増え、どっちに転ぶかわからない接戦を制する勝ち方を知っているためではないでしょうか。アスリートの身体にとって最大の脅威は間違いなく恐怖感でしょう。個々の技にしても相手の力にしても、失敗するのではないか、負けるのではないかと思って少しでも体がこわばると、途端にその通りになるのです。闘い慣れ、恐怖に耐性ができた身体は、迷いなく最高のパフォーマンスを保証してくれるに違いありません。

 さて昨夜は、普段ならとうに寝ている時間を超えて、29年ぶりの決勝トーナメントを決めた男子バレーの試合を最後まで見てしまいました。第三セットを惜しくも落としたところでがっくり来ましたが、選手は後がなくなり開き直ったのか第四セットを取り返し、メンタルで負けていないことを証明しました。15点先取で勝ちとなる第五セットについては、勝負は時の運としか言えませんが、これを制したのは本当にすごいことで、若い選手の成長の軌跡を見せてもらいました。テレビの前の若い方々にもこの試合が勇気となって届いていることを願っています。

 翻って社会の現状を見ると、どこもかしこも酷いとしか言えず、今50代以上の人は皆この現状に何らかの関わりがあるのですから、「申し訳ない」と謝るしかないとの思いが募ってきます。究極まで行き詰った現状を打破し、これからどのような社会を作っていくか、若い方々に任せた方がよいのではないかと、全然違うことを試合を見ながら考えていました。老齢の者は応援だけで力を使い果たし疲労困憊。唯一、頑固な頭の命ずるところでは「民族的慣習以外のタトゥーを入れている者は出場停止にすべし」ということです。何かで隠せるならそれでもいいですが、見たくないものを見せられる立場に立って考えてほしいです。



2021年7月29日木曜日

「紅春 184」



 台風接近の予報に一日予定を早めて帰省しました。仮に福島に上陸していれば統計を取り始めて以来初めてとのことでしたが、影響はほとんどなくほっとしました。りくの熱い歓待はありましたが、今のところ気温は予想より涼しくて助かります。朝は4時過ぎからりくと散歩、帰って周囲の草むしりをし、太陽が出たらりくの体を洗って外に繋ぎます。それから午前中の早い時間に農家の直売所へ野菜と桃の買い出しに行く、これは必須です。春先の霜の害を心配していたのですが、杞憂だったようです。今年のあかつきの甘いこと!

 夜は電気を消して、網戸の前でりくと夕涼み。涼しい風が入り、ゆっくりと時間が流れて、子供の頃の夏を思い出します。りくは相変わらず散歩が大好きですが、土手に上がる急勾配の道を登るのが結構きつくなってきました。ヨタつきながらやっとこさという感じで登っていきます。以前はりくの夏休みにと、あづま運動公園に遊びに行ったこともありましたが、今はせいぜい近くの散歩がいいところかもしれません。「あそこの球場で今オリンピックの試合やってるんだよ」と、りくに話しながら、涼しい部屋のテレビで野球観戦です。りくと静かな日々を過ごしています。


2021年7月27日火曜日

「なぜ嘘をついてはいけないのか」

  今までに嘘をついたことがないという人がいたら、その人は噓つきだと断じて構わないでしょう。それほど身近にある嘘ですが、自ずとその嘘には軽重があり、私たちは通常「ついてもいい嘘」があるのではないかと考えています。カントの著作の中に「人間愛からなら嘘をついてもよいという誤った権利について」(1797年)という小論があります。この中で、「われわれの友人を人殺しが追いかけてきて、友人が家のなかに逃げ込まなかったかとわれわれに尋ねた場合、この人殺しに嘘をつくことは罪であろう」と言っており、これは困惑を覚える言葉です。

 カントによれば、「いない」と嘘をついても、犯人と友人が出会い頭にぶつかって友人が殺されてしまうかもしれず、逆に「いる」と真実を告げても、その人は抜け出して不在かもしれず、嘘をつけば友人が助かり、真実を語れば友人が殺されるという因果関係は成り立たないというのです。この説明を聞いても、依然として私たちの困惑は解消されないように感じるのは私だけではないでしょう。カントの定言命法は行為の目的や結果に関わらず、それ自体善なるものとして普遍的に妥当する行為を、無条件的に命ずる原則を示しています。「仮に・・・とすれば」とか「・・・・の時は」といった例外を設けず、絶対的に断言するのです。「誠実は絶対的な義務であって、契約に基づくあらゆる義務の基礎とみなされなくてはならず、もしこれに少しでも例外を認めさえすれば、義務の法則は動揺して役に立たなくなる。したがってあらゆる陳述において誠実であるということは、神聖で無条件的に命令する理性命令である。この命令はどんな都合によっても制約されない」ということです。

 なんとも割り切れなさは残りますが、カントの言う原則はまさにその通りというほかなく、ここが崩れて誰もが「このくらいの嘘は許されるだろう」とか「我が身を守るために嘘をつくのは当然だ」と考えるようになると、それこそ社会が崩壊の危機に瀕することは、あまりにも多くの見え透いた嘘が氾濫している現代においてひしひしと感じることなので、カントの言明のすごさが身に沁みます。嘘が知性と深く結びついていることは子どもの発達を観察すれば誰にでもわかることであり、詐欺師などは本当に舌を巻くほど「賢い」のです。創世記第三章1~4節には次のように書かれています。


主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった。蛇は女に言った。

「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか。」

女は蛇に答えた。

「わたしたちは園の木の果実を食べてもよいのです。でも、園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神様はおっしゃいました。」 

蛇は女に言った。

「決して死ぬことはない。 それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」 


 これには前段があって、「主なる神は、見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらすあらゆる木を地に生えいでさせ、また園の中央には、命の木と善悪の知識の木を生えいでさせられた」(2:9)と、、「主なる神は人に命じて言われた。『園のすべての木から取って食べなさい。ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう」(2:16~17)を受けています。ここからわかるのは、「賢い」蛇が神の言葉を捻じ曲げて、神が言っていない嘘の質問に作り換えているということです。蛇の嘘が神への人類最初の背き(罪)を犯させる契機となりました。日本では「嘘つきは泥棒の始まり」というよく知られた言い回しがありますが、「詐欺師の始まり」と言っていないのは、古来から泥棒が忌むべき悪の代表的行為だったからでしょう。

 善悪の知識の木の実を食べてしまった人間は「必ず死ぬ存在」になりました。「食べてはいけない」という神の禁止を破ったことが出発点だったためか、人間は善悪を知りながらたびたび悪を選んでしまう存在となったのです。嘘をめぐる命題はまだまだわからないことだらけです。カントの定言命法を破って嘘をつくことを選択する状況もあるでしょう。ただ、先ほどの明らかに友人の命が危険にさらされているような究極のケースでは、嘘をつく方も自分の命を賭ける覚悟を求められるはずです。それを止める力は誰にも、どこにも無いと思います。また、「嘘だけはつかないで!」という言葉は最も近しい間柄で交わされる約束ですが、こういう関係での嘘は致命的であり、全てを失う覚悟が必要でしょう。相手が作ったまずい食事を食べて、笑顔で「おいしかった」と言う、相手を傷つけないための嘘はおそらくカントの思考の範囲外でしょうけれど。


2021年7月19日月曜日

「効率至上主義と『しかと力』」

  4度目の緊急事態宣言発出に際し、酒類提供の停止要請に応じない飲食店に対して、金融機関から働きかけを要請する旨を示唆した政府が、この要請を撤回し陳謝しました。この件は金融庁、国税庁に話を通したうえで経済再生担当相の発言があったわけですが、さらにこれには前段があることがわかりました。既に1か月前、東京都の酒類販売業者が支援金給付を申請する際、「休業要請等に応じていないことを把握した場合には当該飲食店との取引を行わない」旨の誓約をさせる一文があったのです。これは内閣府地方創生推進室と内閣官房新型コロナウイルス感染症対策推進室から、各都道府県宛に出された通達に従って、都の事務方が挿入した一文でした。おそらくこの一件に象徴される対応は、あらゆる分野において過去二十年にわたって取られてきた方法で、その意味で政府やお役所の目から見れば当たり前の手法だったのです。

 今回の例で言うと、まず「感染者を減らさなければならない」という大前提があります。その目標を実現するため飲食に関して御上が考えたのは、①コロナは飛沫感染するので、黙食の励行が重要、②酒類は理性を緩ませるので、酒類の提供停止が効果的、ということでした。大枠の考え方は間違っていないのでしょうが、それを現実化する術を考える時、決定的に見誤っていた点が2つあります。一つはノミニケーションの文化を甘く見ていたことで、これは昔ほどではないでしょうが、終業後飲食を伴う会食の場で、一日の振り返りをしたり、憂さを晴らしたり、明日への活力を養ったりということは就業者にとってどうしても必要な時もあるということです。就業していない人にとっても、飲食しながら友人や知り合いと親交を深めることは当然の欲求でしょう。家で飲酒すれば済むようなことではないのです。現代は禁酒法どころか家飲み法でさえ我慢できないほど人々の欲望は膨れている時代です。

 もう一つは、目標達成を最大限楽な(すなわち効率的な)方法で済まそうとしたことで、この点は私にはいっそう興味深く思われます。私の感覚では2000年頃からこういった通達や事務連絡が濫発されるようになったと感じています。文書一通出せばよいだけなのでお役所にとってこれほど楽なことはありません。翻弄される現場はできる限りこれを果たそうとするのですが、内容があまりに現実離れしていたり、次から次へと無意味な文書が来るのでは到底まともに果たせなくなります。真面目過ぎる人は無理な課題に向き合って鬱になったり、体を壊したりすることになります。この時期から本当に無駄な作業が増えました。

 我が身をなんとしても守るため、多くの人が取った戦略はやりすごすことです。つまり一応やろうとする態度を見せながら、どんどん時間が経っていく状態です。無理難題を吹っ掛けられている人にとって、これが一番効率の良い対処法です。そしてそれは、政府や官僚が法治国家の範囲内で、証拠を隠蔽・改竄しながらあまりに見え透いた嘘をつく有り様を、砂被りで見てきた国民が学んだ結果なのです。長く続いたお役人様の効率至上主義に対して一般人が身につけたこの能力を、仮に「しかと力」と呼んでおきます。

 一例として、学習指導要領の改定時に、外国語学習において、最終的に外国語を用いてディベートできる力を養うことが盛り込まれました。母語でさえできない(というか日本の文化に反する論争ゲームなので行われてこなかった)ことを何故求めるかと考えれば、主として英語で商談をバンバンまとめて経済戦争に負けない人材を育成したいからだと容易にわかるので、すっかり気持ちが萎え、真面目に考える気にはなれませんでした。加えて、ずいぶん前からオーラル重視の指針が出されていたため、現在、高校の現場で働く人の話では、もう文法を基礎とする英作文は壊滅状態と聞いています。それでもそれなりの大学に合格していくという驚くべき現状があるとのことで、大学も大変だと思いやられます。インターネットの時代には、相手のメールを正確に読んで的確に返信するため、書く力をこそ身に付けさせなければならないはずなのに、現実からあまりに乖離した学習指導要領が出されたため、却って英語力が落ちているという現象が起きています。現実を見ずに立てた目標がどれほど逆効果を生むかわかる一例です。いまの若者が外飲み、街路飲みを注意された時とる行動は、「はい、やめます」と素直に言って場所を移動し、同じことを続けることです。決して「ディベート力を養って議論によって自分の主張を通す」などという非効率なことはしません。「しかと力」を身につけたのです。

 今回、お役人が酒類販売業者に対して「違反営業する飲食店には酒類を提供しない」旨の事務連絡をしたところまではいつもの手法であり、酒類販売業者も「しかと力」で応じていたのです。なぜなら、「当該飲食店との取引を行わない」のは「休業要請等に応じていないことを把握した場合」であり、「把握していませんでした」「知りませんでした」と言えば済むからです。しかし政府は、実効が上がらないとみるや金融機関を使って脅すという致命的な思い違いを実行しようとする挙に出ました。これにより事態が一変したのです。酒類販売業という一業界がなんとかやりすごそうとしていた状況が粉砕されました。政府にとってこれが一番効率的に目標を遂行する方法でしたが、酒類販売業の背後にいる何千、何万の飲食店、何千万人かの一般大衆の欲望に考えが及びませんでした。尾を踏まれた大勢の獣が目覚めたのです。あまりに実情を無視した政策は破綻せざるを得ません。今回政府がすぐ引いたのは、ガバナンスの不全があからさまになるよりは謝った方がましだからでしょう。「感染拡大を抑えたいとの強い思いがうまく伝えられなかった」というようなことも述べられていたようですが、明確に伝わったからこそ騒動になったのです。こういう言葉の一つ一つが国民の「しかと力」を益々醸成していくのは間違いありません。ただ今回は、「取引停止命令」が素人目にも法的根拠をもつとは到底思えないものだったためこれで収まりましたが、次に政府は法律を作り、それを盾に国政を動かそうとするでしょう。できるだけ効率よく、包括的に国民を縛る法律を作るに違いないと考えると、これから作られる法律はどれほど悪辣なものになるか恐ろしくなります。そしてそれは、何よりも憲法改正時に盛大に盛り込まれるでしょう。そういう予測を盾ながら、今回の騒動を得難い事例として、国民一人一人が学んでいく必要があると思います。



2021年7月13日火曜日

「もうすぐ普通の風邪になる?」

  英国では7月19日から感染症防止措置制限の全面解除になると報じられています。毎日3万人感染していてもこの判断を下したということは、英国がコロナ感染の弱毒性を公式に認めたということです。すでにワクチンはあり、接種したい人はいつでも接種できるし、経済活動の沈滞ぶりを考えると、あとは「自己判断でどうぞ」ということでしょう。これはこれで一つの見識です。それにしても人口6800万人にも満たない国で一日3万人の感染はすごい。本当にワクチンは効いているのでしょうか。それとも接種していない人が多いのでしょうか。そんな状況でも医療が回っており、重症者があふれていないのなら、コロナはもうただの風邪、といって言い過ぎなら、季節性のインフルエンザ程度になったのです。

 日本では今年になって緊急事態宣言や蔓延防止等重点措置が出されていなかった日数は28日間だけということですが、厳密な意味でのロックダウンもせずにここまできたのは或る意味すごい。オリンピックさえなければもう少し別な対応もあったのではないかと思いますが、緊急事態宣言のただなかでオリンピックをする「柔軟性」は世界の常識を越えています。メリットがほぼ無い状況下で、日本の自己犠牲の精神を全世界に印象付けることでしょう。

 4度目の緊急事態宣言で要請に応じられないほど追い詰められている業界、職種に向かって、経済再生担当相の「金融機関から働きかけを行っていただく」発言には誰もが驚いたはずです。国民との間にプラットフォームが全く共有できていないという、非常に根本的な断絶を感じたのは私だけではないでしょう。そう言えば、以前、新型コロナウイルス感染症対策分科会会長の発言に対し、オリンピック担当大臣は「全く別の地平から見てきた」旨の応答をしていました。同じ地平にいないのなら、言葉が届くはずはありません。

 先日外出してみたら、皆さん普段通りに活動しているようで、交通機関は普通に混雑していました。当たり前です。何らかの宣言が出ている期間が圧倒的に長かったので、出ている状態が「普通」になったのです。みんなの意見は案外正しい。重症病床の逼迫がなければ、最低限のルールを守りつつ、自己判断で動いてもいいのではないかという気がしています。私は自己判断で家にいますけど。


2021年7月11日日曜日

「紅春 183」


 「家にいる間、俺はずっとりくに見張られている」

「私も同じだよ」

 兄の言葉に笑ってしまいました。兄は帰宅するとすぐりくを散歩に連れ出し、外に繋いで夕飯の準備をし、中に入れて食べさせるのですが、その後兄の夕食のお相伴をし、雑用を済ませる間も、入浴する間もそれとなく様子をうかがっているとのこと、「なんか息が詰まる」と言っていました。

 私が帰省している時も、眠っているとき以外は必ず姿が確認できる位置にいて、思わず踏みそうになる場所にいることもあります。最近は夜わざわざこちらのベッドのすぐそばまで来て、寝ていることもあるので、気をつけないと本当に危ない。「あっちにりくのふかふかの布団あるでしょ」と言っても、夏になったせいか平気なようです。たまに起きて手っこを出してきたり、ブルっと体を揺すって気を引こうとしたりするので、こちらも若干寝不足気味。何事か心配でもあるのか、昼となく夜となく一緒にいたいようです。「りくは世界中で一番かわいい子なんだよ」といつも声掛けしていますが、わかっているんだか、いないんだか。


2021年7月5日月曜日

 ワクチン陰謀論の背景」

 ワクチン陰謀論なるものが特にネットを介して広まっていることを最近知りました。かなり無謀な話をもとに実力行使を煽る場合もあるようで、広範な社会的同意を得られる活動ではないでしょう。ただ、どのような現象にもその背景があるのは確かですから、全くの愉快犯以外の二つのケースを考えてみます。

1.突然の事態をうまく呑み込めず、「これで儲けたのは誰か」という観点から犯人捜しをして或る結論に至った人が義憤にかられて吹聴するケース

2.社会の中に陰謀論の論旨(全部または一部)に「心当たり」がある人が相当数おり、その人を介して徐々に広まっていくケース


 「1」のケースは、あまたある世の陰謀論と同様の論理ですが、一つの現象を或る人物や団体が故意に起こした事象としてとらえる点が共通しています。陰謀論信奉者は、まるで世界の奥義を知ったかのような全能感を覚える一方、相対する人物や団体が強大であればあるほど、自説で説明できないものは無くなり、当の本人はますます確信を深めることになります。この確信は強固で、いかなる実証的事実によっても左右されることはありません。しかし、これだけで荒唐無稽な論が急速に社会に広がるということは通常なく、大方の人は笑って聞き過ごす類いの話です。

 「2」のケースは少々厄介です。それはこの言説がたとえ部分的にでも信頼する筋から裏書きされたり、何らかの点でそれまでの自分の体験にかすっていたりするからです。ある説を頭から否定できないと感じる時、それは心に引っかかって容易に消えません。それゆえ、じわじわと人々の間に浸透していくのです。

 今回のワクチン陰謀論はあまりに馬鹿馬鹿しいと感じますが、それにも関わらずその論が広まり、人々のワクチン接種を妨げているとしたら、その原因はこれまでのワクチン行政への不信感が根底にあるのではないでしょうか。ここには半ば必須の予防行為としてなされてきたワクチン接種と健康被害の歴史が大いに関わっているでしょう。これまでワクチン接種は免疫力の個人差を無視して行われてきたため、一部の人に健康被害が発生しました。ところが、接種した本人にはワクチン接種とその後の体調不良の因果関係は体感的に明白にもかかわらず、行政の委託を受けた専門機関によって「因果関係なし」で片づけられてきた歴史があります。ワクチン接種による副作用という専門的な問題を、一般市民がどうして証明できるでしょうか。また、或るワクチンに疑念を持ち何らかの因果関係を疑う医療関係者がいても、保身のため異論を呈したり行動を起こしたりすることはまずありません。事象を糊塗するかのように、副作用ではなく副反応と呼ばれていることも被害者の憤りの一因でしょう。このようなことが続いた結果、残念なことにワクチンへの信頼が失墜したと言えるでしょう。

 医師のほとんどが粉骨砕身患者の治療に取り組んでいるのは間違いありません。しかし、製薬業界等と結託してデータ改竄に手を染めた医師や研究者がいたことも事実で、そのため社会に消し難い不信感が横溢するまでになってしまいました。一部の人が行った不正行為でも長年にわたって正されずにいると、社会そのものが侵食されて不健全にならざるを得ないでしょう。これが医療に限らずあらゆる産業、学術、教育の分野でなされたなら、それら全てが相乗的に積み重なって社会は取り返しがつかない程度まで損なわれてしまいます。完全に壊れた社会の再建は不可能です。まだそうなっていないことを願っていますが、もしすでに「嘘をついてはいけない」、「不正をしてはいけない」という言葉さえ空しいとすれば、我々はもう「2+2=5」と唱えなければ生き残れないビッグ・ブラザーの支配する世界にいるのです。あ、これって陰謀論かしら。それとも真実?


2021年7月3日土曜日

「紅春 182」


  もうずいぶん前から、りくのしっぽは常時ほぼ垂れているようになりました。しっぽをくるっと巻き上げておくにも体力がいるのでしょう。外に散歩に行く時は気が張っているらしく、見慣れた立派な巻き尾ですが、それ以外はへな~っと垂れています。老化現象ですから致し方ありません。

 先日、比較的涼しい日だったのですが、りくには少し暑かったのかコンビニまで行っての帰りが大変でした。歩きが非常にスロー。水を上げてもさほど飲まず、時々立ち止まりながらゆっくり歩いています。突発的なパニックや発作など何かあるといけないので、りくを抱いて帰ろうと思いました。十メートルほど歩いたところ、「自分で歩く」と言うので、降ろしてゆっくり時間をかけて帰ってきました。その後も元気でほっとしましたが、夏場はすぐ戻れるくらいまでの散歩にしないとだめだなと思いました。

 一方、りくが弱っているわけでもない現象もみられます。朝は依然として3時くらいから断続的に散歩をせがみに来ますし、実際外に連れ出すと、引き綱はピンと張り、こちらが早足で着いていかねばならないほどの速さで進んでいきます。散歩はりくの一番の楽しみです。ところが下の橋までの一周が終わりかけ、家路につく時は歩みが急に遅くなります。道草を食いながら時間稼ぎをし、帰りたくない様子がありありです。老獪な戦術です。昔からなかなかの策士でしたが、いっそう年季が入ってきているようです。


2021年7月1日木曜日

「国産品の応援」

  このところ食品の値上げが報道されていますが、これは生活実感と一致します。世界中で人間の生産活動が縮み、原材料の総量が減少する一方、その生産品への需要が減らないのであれば、値上げも当然です。消費は人口動態の変化から導かれる予測値が何年分も前倒しになったような落ち込みようです。感染症の流行以来、手近なところで手に入る食品、日用品以外は通販に頼ることが多くなっていますが、私は可能な限り国産品を購入することにしています。

 これまで書いたデジカメ、桃ジュース、ひのきオイル(虫よけや床掃除にも最適)はどれも非常に良い商品でしたが、もう一つ日本製レースのカーテンについて記します。これは二十年以上使っていた自宅のカーテンが弱ってきたため新調したのですが、このようなものさえ進化を遂げていることが分かりました。私が購入したのは「レースのカーテン」という範疇に置かれていたものの、外からはもちろん、中からも外が見えない、薄手の白いカーテンでした。今のカーテンはUVカット、遮熱が主流らしく、購入品も紫外線や熱はカットしつつ、光の明るさは存分に差し込む製品でした。最初、中からは外が見えた方がいいかなと思ったのですが、そのうちこれはこれでとてもよいと感じました。今までは紫外線を避けるため昼間も一部カーテンを引いたり、目隠しをしたりしていたのですが、今度はその必要がなく、とにかく明るい。これは何かに似ているなと思って考えたら、それは日本の優れた建具の「障子」でした。製作者にそのアナロジーからの閃きがあったのかどうか知りませんが、まさしく布製の障子といった感じです。ふーむ、これが二十年間の進歩かと感心しましたが、あまりにお値打ち価格であることに愕然とし、気の毒になりました。

 食料の高騰は困りますが、消費者さえ「物が安すぎるのでは?」と感じる事態ってどうなんでしょう。「安いだけのことはある」といった粗雑な商品ならいざ知らず、もう十分に優れた魅力ある商品が相当安価な値段でしか流通できないというのは率直におかしいと思います。物には正当な値段があるでしょうに、このようなラットレースを続けてどこに行くつもりなのでしょう。毎日報道される小さな事実の一つ一つが、社会が突然死を迎える前の断末魔の叫びに聞こえるのは私だけでしょうか。国民国家に生きる者として、微力ながら、日々誠心誠意お仕事に取り組まれている方々を心から応援したいと思っています。良い商品に対しては、以前はほとんど書かなかったレヴューも書くようになりました。評価はもちろん「5」。レヴューというより応援レターのつもりです。今のところ外食は完全に避けているので、飲食店、外食産業の応援は無理かなあ。


2021年6月30日水曜日

「カオスの中の五輪準備」

  オリンピックがまともにできるのか案じています。もともと自らの嘘(何度でも言いますー 最終プレゼンでの安倍首相の発言「(福島第一原発の)状況はコントロールされている」)で引き寄せた災厄なのですから、案外世の中は公正になるようできているのかもしれないと思う一方、自国開催となるとあまりみっともないものになってほしくないと願うのが国民としての心情です。しかし、空港で感染が判明してもその場で濃厚接触者を特定できなかったという事実一点をとっても、つい最近まで本当にオリンピックをやる気が合ったのかどうか疑問です。依然として、感染者が出た選手団の宿泊環境については詳細が詰められておらず、事前合宿受け入れ地は苦慮しているようです。ボランティアのワクチン接種に関しても準備が抜け落ちていて、ワクチン接種なしでも大丈夫だろうと考えていたなら、ウイルスの変異についての見通しが甘すぎますが、ワクチン接種の遅れについて問われた担当大臣の「1回目で一時的な免疫を」という発言を聞けば、結局司令塔が根本的に何も分かっていないのだと結論せざるを得ないでしょう。この方は国政に出馬するまで選挙に行ったことがないと聞いていますので、或る程度のスパンを視野に入れて地道に計画を立てるのは無理な方だったのでしょう。

 結局感染者の数が下がりきらないうちに、再び増加の傾向が顕著になっているにもかかわらず、人々の中に活発な活動がじわじわと戻ってきており、総合すると、意図せずに、国民全体としてオリンピックに感染のピークを合わせようとしているのではないかとさえ思えてきます。交流があってこそのオリンピックでありましょうのに、そこを止めないといけないのですから、何のための大会なのかわかりません。私自身はウイルスに滅法弱い体ですのでどこにも行く気はありません。ただ地方にも危険が及ぶ可能性はありますので、わずかな病原をも察知できるよう「炭鉱のカナリヤ」としての役目を果たすのみです。でも、オリンピックにひそむ本当の危険として私が一番恐れるのは、猛暑や天変地異やテロなのです。他国から来る方々のことを思うと、今年だけは涼しく何事もない夏になってほしいと心から願います。


2021年6月25日金曜日

「過去の映像記録を前に」

  家の中の片づけをする機会が続いています。これまでも自分のマイ・ブームの残骸はいろいろと見つかっていますが、今回は昔のDVD等の記録媒体を発掘しました。家には受像機がなく、パソコンに繋ぐのも面倒で、ポータブルの再生専用プレーヤーを購入しました。以前は何でもなかった些細なことが全て面倒になっている私には、ネットフリックス等を利用して毎月定額で映画やドラマを視聴している人々のエネルギーには脱帽です。ただ手元にあるものは、時間ができたら見ようと思って収集していたに違いない作品なのでしょうから、捨てる前に一応見てみるかという感じです。

 過去の作品を見てまず思うのは時の流れです。「その設定はスマホ時代には無理だわな」といった、テクノロジー絡みの筋立の古さもさることながら、今の感覚からすると話の展開のテンポが相当遅い。現代社会に乗り遅れているような私でさえそう思うのですから、世間の皆様はなおさらでしょう。この十年に限っても、どれだけ社会のテンポがはやまったことかと思いやられます。昔の作品はじっくり見せるタイプが多く、まどろっこしいほど話が進みませんが、そういうものだと思って見れば、大きな流れに揺られていくのは楽ですし、予定調和的に終わるので安心です。視聴者の耳目を引くため、異常で凶悪な事柄を扱うことが頻発したり、相当無理などんでん返しが多用されがちな最近の作品とはやはり違う古さを感じます。

 また、作品そのものの評価以外に時の流れを痛感することがあり、気を取られてしまうのは避けられません。「ああ、この俳優さんはもうこの世にはいないのだっけ。残念だな」、「このアーティストは厄介な事件に巻き込まれたんじゃなかったっけ」、「この女優さんが何か問題を起こしたのはいつ頃だったかな」、「この人は突然芸能界を去ったようだが、今どうしているんだろう」、「確かこの人の配偶者は不貞行為を働き、その後・・・」(以下続々)と、枝葉末節的なリアルに引っかかって、作品の中身より諸行無常の鐘の音が頭に響いて、何ともやるせない思いが浸潤してくるのです。

 まだ、ごく一部だけ見た感触ですが、確かに後世に残すべき作品はあるものの、「大体がゴミだな」と感じました。子どもはガラクタ集めの天才ですが、子どもの場合はそれは成長過程の中で必要な時間でしょう。思春期、青年期には、傍から見ればどうでもいいような情報やトリビアが仲間内で高値で流通するため、ゴミの山を後生大事に抱えているということがよくあります。この点、今ではもう年配者もそうなのかもしれません。よく話題になるゴミ屋敷では、お住まいの方にとっては決してゴミではないと聞きますが、程度の差はあれ、それと本質的に変わらないのかもしれません。おそらく私たちは大切なものだと思って何かに執着して、それを日々収集しながら過ごしているのでしょう。ゴミ屋敷の住人を笑ったり白眼視したりできないのです。ゴミをゴミだと認識できる程度に成長したのならよいのですが、ゴミによってさえ気が紛れるほど過酷な現実があることを忘れている可能性もゼロではありません。

 書籍でも映像でもデジタル・アーカイブ化が進行しているようで、著作権をはじめとする様々な権利問題などと誠実に格闘しておられる方もいるようです。こういったものが世界のデジタル業界を支配する一握りの企業に牛耳られぬよう、書籍に関しては日本でも国立国会図書館を軸に必要な記録を残すことに尽力してほしいと願っています。しかし一方、テクニカルな問題や権利に関わる困難な課題を乗り越えられたとして、すべての作品を収めることが果たしてどの程度大事なのか、確信が持てずにいます。作られたすべての作品が意味のあるものだとしても、人間がいつかゴミの山に埋もれてしまうことはないのでしょうか。


2021年6月22日火曜日

「加速するワクチン接種によせて」

  高齢者のワクチン接種が進み、年齢制限撤廃、、職域接種等、ワクチン接種が加速しつつあります。これについて、接種できない立場の者として、私自身は言うに言えない思いがあります。漏れ聞く若者の声によると、接種に積極的でない人が結構いるようです。若い人の中には、「コロナに罹患しても重症化することはないだろう」と思っている人もいますが、それ以上に「コロナよりワクチン接種の方が危ない」と考える若者が多いようなのです。「ワクチン」そのものへの不信感と言えば、やはり思い当たるのは悪名高い子宮頸がんワクチンでしょう。ワクチンの恐ろしさを国民に知らしめたこのワクチンは身近な問題として若者の頭に残っているのだろうと推察されます。

 しかし、職域接種となると微妙な問題が生じます。ワクチン担当大臣は「体調に合わせてそれぞれの判断で」というようなまっとうな発言をされていましたが、医療や介護の職場、主に人と関わる仕事をする職場で皆で一斉接種となると、正論が通らないこともあるようです。上司に接種を強要されたり、「接種しないとクビ」と脅されたりという事例が報告されており、接種しないとの表明は困難な立場に立たされることを意味します。これは大変な事態です。万一、接種して何事か起きた場合でも、責任を取ってくれる人はいませんし、補償をされても健康を失っては無意味です。

 免疫体系には個人差が大きい。元来ほとんど薬を飲まず、どうしても仕方のない時だけ風邪薬を飲むと、これが効きすぎるくらい効いていた私のような人間は、以前、新型インフルエンザの予防接種を受けて死にそうになりました。そしてそれが引き金となって今の病を発症しました。これは私が身をもって学んだことです。これまでのワクチン行政においてはどんな体調の悪化が起きても「ワクチンとの因果関係は不明」で事が済んでいます。自分以上に自分の身体の問題を知っている者はこの世にはいないのです。ことこの点については、医者が何と言おうと「私の方が正しい」と断言できます。残念なのは我が身を実験台としてこうした確信を獲得しなければならなかったことです。やがては細胞レベルでワクチン接種の危険度の個人差を明示できる時代が来ることでしょうが、それまでは無辜の犠牲者は避けられないでしょう。

 このところ弱毒性の病原に接したようで、微熱を出して少し寝込みました。いつもの事で超低空飛行ではあっても心配はなく、昏々と二日寝ると1℃近くするすると熱が下がり、いつもの感じでじきよくなりました。今後どんな感染症が起こってもワクチンを打てない者はずっとこんな状態で暮らすことになるのでしょう。若い方々の中に一部でもワクチン接種により将来にわたって取り返しのつかない事態になる方が生じないようにと願うばかりです。



2021年6月17日木曜日

「紅春 181」


 りくの定期健診に行ってきましたが、何日か前からそこに至る準備が大変でした。5分で体を洗うだけでも唸り声をあげて嫌がるし、気ままな食生活をなだめすかしてできるだけフードを食べさせ、外に置く時は虫よけのひのきオイルをつけたタオルで体を拭いてやり、抜け替わりでボサボサの下毛を取ってやり(おかげで痩せ犬具合が目立っている)、毎日の顔拭きとタオルでの歯磨き(歯周病が気になる)・・・。人間と同じで、少しでも体裁を繕い良い結果を出したいと最後のあがきを怠りませんでした。

 りくはもちろん獣医さんのところに行くのが好きではありませんが、最近は体重の減少や血液検査で引っかかる項目があるのはわかりきっているので、連れて行く人間の方も気が重いのです。しかし、りく自身はいたって元気で、朝4時前から散歩をせがみに来ますし、本人が食べたい分だけはきっちり食べています。つまり、いまの状態は生物として避けられない、ただの老化現象だということです。それ以外は健康です。ここまで来ると、好きなことをしながら好きなものを食べて過ごすのが、一番の長生き法ではないのでしょうか。

 診察懐紙の15分前に行き、何とか駐車スペースを見つけ、周辺を散歩させながら順番を待ちました。お薬だけもらいに来ている患者もいるようで、すぐにりくの番になりました。感染症の時代になって、診察室に入れる飼い主は一人だけとされているので、あとは兄に任せて私は待合室で待機。今年からワクチン接種はしないことに決めたので、問診と身体測定、血液検査、フィラリアの検査だけで、鳴き声もせず15分ほどでりくは放免になりました。フィラリアの結果を待つ間、兄から獣医さんの話を聞いたところによると、「腎臓ケアのドッグフードとトッピングの肉類は相反の関係にあり、腎臓のことだけ考えるならタンパク質は控えた方がよいが、もう老年なのでどんなものでも食べられることの方が大事」とわかりました。つまり、考えていた方向でよかったということです。ドッグフードを主体にできるだけバラエティに富んだトッピングをして、とにかく食べさせるしかないのです。フィラリアは陰性でお薬をもらい帰宅しました。ワクチン注射がなかったのでりくは元気にしていました。あとは血液検査の結果が送られてくるのですが、多少悪くてもどうすることもできないので、あまり気にせずいつものペースで過ごそうと思います。


2021年6月16日水曜日

「ローカル局」

  今年の桃はだめらしいと、帰省して知人に聞きました。春先に急に暑いくらいになったと思ったら、その後霜が降りて花がやられてしまったのです。こういう時は一晩中桃の木の下で火を焚いて温めてやらなくてはならないのですが、あまりに突然の冷え込みで不意を突かれたのでしょう。だいぶ前に農家の方が「可哀そうなことをしました」と言って肩を落としていたのをテレビで見ました。今年はあまり桃が食べられないかも・・・と私も心配ですが、農家の方々のお力落としには比すべくもありません。

 先日帰省して夕方のニュースでも見ようとテレビをつけると、若い女性が木に登ってチェンソーで枝を伐採している場面で、思わず引き込まれてしまいました。途中から見たので県内のどこの話かわかりませんでしたが、その二十歳そこそことしか思えない女性は林業を志して先輩方に教わりながら学んでいるようでした。周囲の評価は「非常に真面目」とのことで、男社会で奮闘する彼女を温かく見守る雰囲気が感じられました。彼女は口数の少ない人でしたが、印象的だったのは「3Kと言われる林業だが、そう思ったことはない」ということと、「未来に残せるものがあるとしたら森しかないと思う」と言っていたことでした。くどいようですが、見た目はまだ少女と言っていいような若い女性です。その人がすでに「未来に何かを残す」ということを考えているのです。途中、原発事故の話がちょっと入ったので考えてみると、その当時彼女はおそらく小学生、ひょっとすると中学生になっていたかどうかという年齢だったでしょう。この十年間様々なことがあったに違いありませんが、あのような未曽有の体験はこんなにも人を成長させてしまうのかという思いに打たれました。

 また別な折に見た報道では、会津地方で酒造りに関わっているご老人の話を伝えていました。会津は放射能はほとんど関係なかったのですが、やはり甚大な影響を受けたとのことで、東電に対して厳しい批判をしていました。その方の憤りは補償がなされていないことではなく、補償できようもないシステムを平然と稼働させていたことにありました。無理もありません。福島原発の電気は1ワットも福島では使われていなかったのですから。「これからはエネルギーも地産地消でしょ?」と確信をもって問いかけており、私は思わずテレビに向かって「おっしゃる通りです」と答えていました。

 こういった放送が他の都道府県で放映されたり、何らかの形で伝わったりすることはほぼ無いのでしょう。しかし、これらはすでにある情報を垂れ流しているのではなく、地域に住み、地域で起きているトピックを「伝えなければ」と思った人が、自分で取材して報道していることに大きな意味があります。いろいろな立場で地域に根差して一生懸命働いている人を見ると、心から応援したいと思わされます。



2021年6月11日金曜日

「デジタルメディアと生身の人間」

 先日、友人が落ち込んだ声で電話してきたので何かと思えば、某通販会社の偽サイトから来たメールに反応してしまったという話でした。個人情報の入力はしておらず、通信会社に調べてもらっても不審な点はないと言われたとのことで一安心だったのですが、薄気味悪さと一抹の不安は消えず、何より注意していたのに引っかかってしまったことでずんと心が沈んでいるようでした。私もその気持ちはよくわかります。発信元を突き止めて対応するなどの技術を持った人ならいざ知らず、一般の人にはもはや到来するメールが本物なのかどうか簡単に知るすべがありませんし、たとえ技があっても全てのメールについてそのようなチェックをする時間は到底ないでしょう。これがメールでなければ、普通は電話するか、直接会う方法を選びます。メールの場合は、しかたなく自分が送信したメールの返信のみ開くことになりますが、これとて偽装返信の可能性はありますし、何より私からメールを受け取った相手が真正のメールかどうか送信元の真偽を判断できないのではないでしょうか。つまり、この便利なデジタルメディアを不正に使う人が増えれば増えるほど、メディア自体が信用を無くし使われなくなる、すなわち消滅していくしかない深刻な事態なのです。

 これはもちろんメールに限ったことではなく、捏造記事、改竄画像、偽装動画、フェイクニュースなど、およそメディアが扱う全ての領域に及びます。そしてまた、これらはデジタルメディアだけでなく、紙媒体メディアや口伝等も含めてこれまでいくらもあったことです。しかし、とりわけデジタル時代の到来とともに、その拡散の量と速度がそれまでとは別次元になり、伝達行為の意味が質的に変容したのは確かでしょう。「何が秘密なのか」も秘密という歯止めなき隠蔽増殖保護法のもと、取材側が委縮し、記者クラブでの会見内容そのままか、差し障りのない案件しか報道しないとしたら、マス・メディアとしての存在意義はどこにあるのでしょうか。また、各テレビ局がそもそも認可制で与えられた電波権を排他的に専有し、時々「電波権の停止」をちらつかされながら事業を続けるとしたら「こういう放送になるのは無理ないわな」と思わざるを得ない状況です。さらに、社員が社内での個人的野心のために報道内容を捏造したり変容させたりするケースもまれとは言えぬ頻度で起こっています。伝達内容は一度発信されれば訂正されても取り返しがつかないのが常ですから、こういったことは社会の大迷惑です。背信的行為ではないにせよ、足を使って汗をかいた取材もなく当たり障りのない放送だけを続けるなら、自ら消滅へのカウントダウンをしているようなものです。

 とにかく世にあるメディアのどれも信じられない時代になりました。流される報道のどれが本当の現実なのか(少なくともその一端を示しているのか)、誰もわからない。新聞を古紙回収に出し、テレビ・ラジオ・パソコン・スマホの電源を切って仙人のような暮らしをするのもよいですが、そうそう世間離れした暮らしを続けられるものでなし、せいぜいできるのは伝達内容の発信元を確認することでしょうか。誰が書いた記事か、誰が流したニュースか、誰が撮った画像・動画かというように、最終的には責任ある個人に行き着かざるを得ないと思うのです。「人なんて立場や場面で言うことがコロコロ変わる」と思われるかもしれませんが、それでも他のメディア情報よりはるかにマシな気がします。推理小説でよく他人に成り代わる話がありますが、日々の生活の中でその変貌ぶりを怪しまれないなんてことがあるのかと、私はちょっと信じられないのです。実際、それが糸口となって話が進む場合がほとんどですね。しばらく会わなかった人に、10年ぶり、20年ぶり、30年ぶり、40年ぶり・・・に会った時、「この人変わったな、別人みたい」と思ったことが私はいままで一度もありませんでした。それどころか、「ここまで見事に全然変わってないのか」と驚き、愉快な気持ちになることばかりでした。あ、でもこれはもしかすると、私の知り合いが権力と無縁の人ばかりだからかもしれません。これから先、デジタルメディアが衰退し、本当の話を聞くためには直接人に会わなければならない時代が来ると思います。発信元に確信が持てず悩みの種になるくらいなら、そんな媒体は無い方がましです。人間の邪悪さ、愚かさがせっかくの便利な媒体を無効化してしまったのは残念でなりません。


2021年6月7日月曜日

「デジカメの進歩」

  最近は夜が明けるか空けないかという時刻に公園に行くのが楽しみになりました。水辺の鳥たちの食事の時間が始まるからです。雨上がりの翌日などは虫が多いのか、人が歩く歩道のすぐ近くまで来てせっせと朝食を食べています。少し前まで近寄るとササっと逃げていましたが、今は慣れたのか「大丈夫な人」と認識されてきたようです。カモは草地に大体つがいでいるのですが、一世帯(?)だけ三人家族もいます。それぞれいつも同じあたりにいるところを見ると、広い草地を分け合って、おおよその縄張り的な境もあるのかもしれません。鳥は顔の側面に目がついているので、警戒中は横顔を見せながら移動しますが、通い慣れて顔なじみになったせいか、正面からドドドッと一直線にやって来るカモが1羽いて、時節柄近寄らずにいますが、とても可愛いです。

 離れたところから被写体を大きく撮るためカメラを新調することにしました。今までは写ればいい程度の関心しかありませんでしたが、ちょっと調べてみると最近のカメラの性能の底上げ具合にはものすごいものがあるとわかりました。そこそこのものでも画素数の改善度合いがすばらしく、しかもコンパクト! とはいえ、腕もないのに本格的なカメラに手を出したり、様々な機能にあれもこれもと欲を出すと結局は満足度が低くなると思い、「望遠に特化した、片手で持てるサイズ」と方向性を決め、あとは値段を考慮して一つに絞りました。

 カメラが届いた翌日、公園に行くと南の空に朝の月が見えました。白くなりかけた月にレンズを合わせ、ズームを上げていくとなんと図鑑で見るような表面のボコボコ(いわゆるクレーターですね)が見えるではありませんか。初めて望遠鏡をのぞいたガリレオもかくやと思うほど驚きました。これはすごい! その距離だと手振れがひどく画面に収めるのが一苦労でしたが、とりあえず撮影できました。昨日や今日カメラを手にしたばかりの素人にこんな写真が撮れるとは、どれだけ技術が向上したことかと恐れ入りました。そのうち空が見る見る明るくなっていき、野鳥たちが木々を飛びながら呼び交わし始めました。さすがに飛行中の鳥をカメラに収めるのは無理でしたが、鳴き声のする方向にカメラを向けてズームすると、2羽の野鳥が街灯の上で何やら朝の挨拶を交わしている模様。普段なら私には絶対見えないものを見ることができ、「おおっ、こんな使い方もあるのか」と感動しきりです。離れたところの生き物の様子を画面いっぱいの大きさで観察したり、画像として保存したりということは今まで考えたことがなかったので、散歩中の楽しみになりそうです。それにしても自然の中の動植物を見ていると、つくづく神様の造られたものはすばらしいと思うのです。


2021年6月2日水曜日

「紅春 180」


 犬の中にはいろいろな物を食べる子がいて、みかんやリンゴはもちろん、キャベツや加熱したジャガイモを食べることもあるようです。或る程度雑食なのかとかつては思っていたのですが、りくの場合は全く事情が違います。野菜・果物は食べないし、ビスケットなどのお菓子類もにおいを嗅ぐだけで「ふっ」と鼻を鳴らして行ってしまいます。タンパク質しか興味がないのです。

 帰省する時は、スーパーの宅配が届く前に何かあげられるよう、ちょっとした食べ物を持って行きます。冷凍した肉の切れ端とかチーズとかです。到着して散歩に出、家に帰って一段落すると、りくは「なんかお土産ないの?」と言うように様子を見に来たり、台所と茶の間を行ったり来たりするので、「なんか食べる?」と言って、ドッグフードに混ぜてあげます。普段食べている物とそんなに違わないのですが、ちょっとでも目先が変わった物をもらうのはうれしいようです。これで、「姉ちゃん」=「美味しい物を持って来てくれる人」が定着するのです。

 一休みしながら途中で買ったふわふわのクリームチーズパンを食べていると、りくが隣でお座りすることがあります。食べないだろうと思いながらも、「食べる?」と聞いて少しだけちぎってあげてみると、たまに食べます。こういう時はどういう具合か2口、3口と食が進み、半分近く食べられてしまうこともあります。美味しいパンはわかるのか? こんなふうに自分が食べている物を分けてあげる時には食べるかどうか聞いてからあげるのですが、以前ヘルベルトは「りくに『食べる?』って聞く?」と笑っていました。「犬なら何でも食べるだろう」との含意だったのでしょうが、りくはそんじょそこらの犬とは違います。タンパク質以外は基本食べないので、無駄にならぬよう聞いているのです。

 帰省中は私がりくの栄養士兼食事担当ですが、慣れてくるとりくはその味に飽きるらしく、美味しい物だけ食べてさっと行ってしまったり、皿の中を一瞥して「またトリか~」と言うようにふっといなくなったりします。これにはさすがにイラっとして、「そんな贅沢言う子は食べなくていい。世界にはビアフラの子供たちみたいに(いつの時代だ?)食べられない子もいるんだよ」と叱るのですが、数分後に美味しい物が追加されたかどうか平気の平左で皿を見に来るのですから、りくには勝てません。そのマイペースぶりに振り回されています。


2021年5月27日木曜日

「往年の山ガール」

 大学を卒業して赴任した先は西多摩のはずれでした。「あの頃、よく山歩きをしたなあ」と無性に懐かしく、朝三時起きでおにぎりを握り、水と非常食を持ってわくわくしながら出かけたことを思い出します。ちょっと車で行けばもう登山口という場所に住んでいたのですから、今思うと時期を逃さず山歩きをしておいてよかったなと思います。今は視力的にも体調的にも到底できないことですが、あの頃は元気いっぱい活力にあふれており、「一人では何かあった時危ない」との周囲の声もなんのその、山歩きは一人でするものと思っていました。読み漁ったその手の本の一冊、ラインホルト・メスナーの『ナンガ・パルバート単独行』を引くまでもなく、世の登山家はみな基本的に単独行動ではありませんか。レベルは全然違っても、自分ですべての計画を立て、自分のペースで歩く単独行でなければ意味がないと思っていました。そして、それは実に楽しいものでした。

 引き出しの整理をしていたらその頃のメモが見つかり、私の山歩きは1980年代後半の2年間に集中していたことが分かりました。1980年代後半といえばバブル真っただ中のはずですが、都心の狂騒を遠く離れて山歩きに没頭できたのは幸いなことでした。まず近場の低い山から始め、体を慣らしてからだんだん高く遠くへの山行をしましたが、1日行と半日行のルートを考え、奥多摩の山はほとんどしらみつぶしに歩いたと言ってよいほどです。季節は春から秋に限られ、冬山は守備範囲外。東北人として冬という季節に見せる山の姿が人間の手に負えるものではないことを知悉していたからです。交通手段はほぼ自家用車ですが、車を登山口に止めて同じ場所に戻る場合と、車は駐車場に止め、そこからバスを利用して登山口まで行き、山登りをして駐車場に戻る場合がありました。山の北面から登り始めて南面の駐車場に下りたら、ダンプカーのあんちゃんに「もう下りてきたの」と驚かれたことがありました。登り口のあたりに採石場があって、その運搬の仕事をしている人に目撃されていたのです。個々の山々の風景はほぼすっかり忘れていますが、柔らかく弾力のある山道の感触は足裏にリアルに残っています。メモに沿って、ざっと歩いたところを書き残しておきます。

198×年

7月  ・軍畑-高水三山-御嶽駅

    ・奥多摩駅-鋸山-大岳山荘-御岳山-鳩ノ巣駅

    ・境橋-避難小屋-御前山-小河内峠-奥多摩湖

    ・ドラム缶橋-イヨ山-ツネ泣き峠-三頭山-鞘口峠-ドラム缶橋

    ・東日原-稲村岩-鷹ノ巣山

    *ほかに群馬県みなかみ町藤原での谷川岳登山あり

8月 *帰省中に一泊で飯豊連峰縦走

9月  ・川井-獅子口小屋-川苔山-鳩ノ巣

    ・小川谷橋-天祖神社-小川谷橋

    ・小川谷橋-分岐-酉谷小屋跡-酉谷山-ハナト岩-一杯小屋-東日原

10月 ・沢又-白地平-権次入峠-棒ノ折山-沢又

    ・鴨沢-小袖乗越-七ツ石小屋-雲取山-鷹ノ巣小屋-倉戸山-奥多摩湖

11月 ・御祭-三条の湯-北天のタル-(飛竜山)禿岩-サオラ峠-丹波

    ・二ノ瀬-黒エンジ尾根-笠取小屋-黒エンジ尾根-将監小屋-三ノ瀬

198△年

2月  ・柏木野-連行山-生藤山、三国山-浅間峠-上川乗-柏木野

3月  ・丹波村 越ダワ-小菅-白糸の滝-フルコンバ-ノーメダワ-追分-藤ダワ-丹波

4月  ・仲の平-西原峠-仲の平

    ・宝-千段の滝-白竜の滝-三ツ峠-宝

5月  ・鳩ノ巣-大根山の神-本仁田山-奥多摩駅

    ・有馬ダム林道-日向沢峠-有馬ダム林道

6月  ・乾徳山入口-銀晶水-錦晶水-扇平-乾徳山山頂-笠盛山-黒金山-大ダオ-徳和

    ・新地平-雁峠-水晶山-雁坂峠-雁坂嶺-雁坂峠-新地平

7月  *群馬県みなかみ町藤原での武尊山登山。

*一泊で富士山登山。

10月 ・瑞牆山荘-富士見平-瑞牆山-富士見平

    ・富士見平-大日小屋-金峰山-大日岩-富士見平-瑞牆山荘


 こうしてみると、この飽くなき収集癖ともいえる情熱はすごい。これも或る種のバブルと言ってよいでしょう。結局、奥多摩の山を歩き尽くし、大菩薩峠を越えてほとんど甲府近くまで足を延ばし、車を使っても一日では山に登って帰って来られない事態に至って、ようやく止みました。行き着くところまで行って山歩きバブルが弾けたのです。最後は奥秩父の山行で終わりました。

  唐突に始めても違和感がなかったのは子どもの頃の山歩き体験があったからです。こういう原体験があるかどうかで、その後の自然との関わり方が違ってきます。自然の中での子どもの頃の楽しい体験がなければ、自然に関心が持てず森林を保守しようとする気持ちなど生まれないでしょう。自然の中で遊ぶ心地よさは一生ものです。それがかなわない歳になっても、まさに夢は山野をかけめぐるのです。


2021年5月25日火曜日

「ももジュースの恵み」

 以前友人からストレートの桃ジュースをいただいて美味しかったことを思い出し、探してみました。するとJR駅の自販機で売られているレアもの以外に、なんとJAふくしま未来でもストレートの桃ジュースを出していることがわかりました。こちらは缶ジュースですが190gの飲みきりサイズ、さっそく通販で箱買いしました。 すぐに届いて飲んでみると、やはりストレートはうまい。すっきり甘すぎず、濃縮還元ジュースとは全然違います。

 販売者の住所は福島の隣の伊達市、そして保原といえば前に父が入院していた病院のそばです。夏の終わりから半年間、毎週新幹線で帰省して見舞っていましたが、ローカル線の駅からも1キロ以上離れた病院でした。周囲に高い建物など何もない、だだっ広い果樹園の中に立っていた印象しかありませんが、窓から見えた桃畑と吾妻山の美しさは忘れられません。父は春になる前に退院したので、桃畑が花を咲かせた様子は見られなかったのですが、一面開花した桃畑を描いた大きな絵画が掛かっていた記憶があります。「あそこの桃か~」と思ったら感無量でした。

 製造所が山形というのはちょっと心当たりがあります。先日帰省したとき直売所で山形のりんごジュースを売っていたので試してみたのですが、これがやはりめっぽう美味しかったのです。まったく同じサイズの缶ジュースだったので、同じ加工場所かもしれません。ももジュースは「常温で保存してください」と書いてありますが、もちろん数本はすぐ冷蔵。そもそも常温とはどのくらいの範囲の気温なのか。辞書の一つに15℃という説があり、こうなると真夏には部屋置きというわけにはいかないでしょう。これからの季節、冷えた桃ジュースほど疲労回復に効果的なものはありません。なにしろ桃は古事記の世から魔性の果物、炭酸水も用意して暑気払いの準備は万端です。