4度目の緊急事態宣言発出に際し、酒類提供の停止要請に応じない飲食店に対して、金融機関から働きかけを要請する旨を示唆した政府が、この要請を撤回し陳謝しました。この件は金融庁、国税庁に話を通したうえで経済再生担当相の発言があったわけですが、さらにこれには前段があることがわかりました。既に1か月前、東京都の酒類販売業者が支援金給付を申請する際、「休業要請等に応じていないことを把握した場合には当該飲食店との取引を行わない」旨の誓約をさせる一文があったのです。これは内閣府地方創生推進室と内閣官房新型コロナウイルス感染症対策推進室から、各都道府県宛に出された通達に従って、都の事務方が挿入した一文でした。おそらくこの一件に象徴される対応は、あらゆる分野において過去二十年にわたって取られてきた方法で、その意味で政府やお役所の目から見れば当たり前の手法だったのです。
今回の例で言うと、まず「感染者を減らさなければならない」という大前提があります。その目標を実現するため飲食に関して御上が考えたのは、①コロナは飛沫感染するので、黙食の励行が重要、②酒類は理性を緩ませるので、酒類の提供停止が効果的、ということでした。大枠の考え方は間違っていないのでしょうが、それを現実化する術を考える時、決定的に見誤っていた点が2つあります。一つはノミニケーションの文化を甘く見ていたことで、これは昔ほどではないでしょうが、終業後飲食を伴う会食の場で、一日の振り返りをしたり、憂さを晴らしたり、明日への活力を養ったりということは就業者にとってどうしても必要な時もあるということです。就業していない人にとっても、飲食しながら友人や知り合いと親交を深めることは当然の欲求でしょう。家で飲酒すれば済むようなことではないのです。現代は禁酒法どころか家飲み法でさえ我慢できないほど人々の欲望は膨れている時代です。
もう一つは、目標達成を最大限楽な(すなわち効率的な)方法で済まそうとしたことで、この点は私にはいっそう興味深く思われます。私の感覚では2000年頃からこういった通達や事務連絡が濫発されるようになったと感じています。文書一通出せばよいだけなのでお役所にとってこれほど楽なことはありません。翻弄される現場はできる限りこれを果たそうとするのですが、内容があまりに現実離れしていたり、次から次へと無意味な文書が来るのでは到底まともに果たせなくなります。真面目過ぎる人は無理な課題に向き合って鬱になったり、体を壊したりすることになります。この時期から本当に無駄な作業が増えました。
我が身をなんとしても守るため、多くの人が取った戦略はやりすごすことです。つまり一応やろうとする態度を見せながら、どんどん時間が経っていく状態です。無理難題を吹っ掛けられている人にとって、これが一番効率の良い対処法です。そしてそれは、政府や官僚が法治国家の範囲内で、証拠を隠蔽・改竄しながらあまりに見え透いた嘘をつく有り様を、砂被りで見てきた国民が学んだ結果なのです。長く続いたお役人様の効率至上主義に対して一般人が身につけたこの能力を、仮に「しかと力」と呼んでおきます。
一例として、学習指導要領の改定時に、外国語学習において、最終的に外国語を用いてディベートできる力を養うことが盛り込まれました。母語でさえできない(というか日本の文化に反する論争ゲームなので行われてこなかった)ことを何故求めるかと考えれば、主として英語で商談をバンバンまとめて経済戦争に負けない人材を育成したいからだと容易にわかるので、すっかり気持ちが萎え、真面目に考える気にはなれませんでした。加えて、ずいぶん前からオーラル重視の指針が出されていたため、現在、高校の現場で働く人の話では、もう文法を基礎とする英作文は壊滅状態と聞いています。それでもそれなりの大学に合格していくという驚くべき現状があるとのことで、大学も大変だと思いやられます。インターネットの時代には、相手のメールを正確に読んで的確に返信するため、書く力をこそ身に付けさせなければならないはずなのに、現実からあまりに乖離した学習指導要領が出されたため、却って英語力が落ちているという現象が起きています。現実を見ずに立てた目標がどれほど逆効果を生むかわかる一例です。いまの若者が外飲み、街路飲みを注意された時とる行動は、「はい、やめます」と素直に言って場所を移動し、同じことを続けることです。決して「ディベート力を養って議論によって自分の主張を通す」などという非効率なことはしません。「しかと力」を身につけたのです。
今回、お役人が酒類販売業者に対して「違反営業する飲食店には酒類を提供しない」旨の事務連絡をしたところまではいつもの手法であり、酒類販売業者も「しかと力」で応じていたのです。なぜなら、「当該飲食店との取引を行わない」のは「休業要請等に応じていないことを把握した場合」であり、「把握していませんでした」「知りませんでした」と言えば済むからです。しかし政府は、実効が上がらないとみるや金融機関を使って脅すという致命的な思い違いを実行しようとする挙に出ました。これにより事態が一変したのです。酒類販売業という一業界がなんとかやりすごそうとしていた状況が粉砕されました。政府にとってこれが一番効率的に目標を遂行する方法でしたが、酒類販売業の背後にいる何千、何万の飲食店、何千万人かの一般大衆の欲望に考えが及びませんでした。尾を踏まれた大勢の獣が目覚めたのです。あまりに実情を無視した政策は破綻せざるを得ません。今回政府がすぐ引いたのは、ガバナンスの不全があからさまになるよりは謝った方がましだからでしょう。「感染拡大を抑えたいとの強い思いがうまく伝えられなかった」というようなことも述べられていたようですが、明確に伝わったからこそ騒動になったのです。こういう言葉の一つ一つが国民の「しかと力」を益々醸成していくのは間違いありません。ただ今回は、「取引停止命令」が素人目にも法的根拠をもつとは到底思えないものだったためこれで収まりましたが、次に政府は法律を作り、それを盾に国政を動かそうとするでしょう。できるだけ効率よく、包括的に国民を縛る法律を作るに違いないと考えると、これから作られる法律はどれほど悪辣なものになるか恐ろしくなります。そしてそれは、何よりも憲法改正時に盛大に盛り込まれるでしょう。そういう予測を盾ながら、今回の騒動を得難い事例として、国民一人一人が学んでいく必要があると思います。