2021年9月13日月曜日

「八方塞がり」

 ニュースはコロナか政局ばかりなので、このところラジオを聞いていません。読書がはかどるのはいいのですが、何を読んでも楽しめず鬱々としています。以前も書きましたが、コロナについて私にわかったのは、2020年の日本に限った総死亡者数は前年より9373人減少したことであり、それまでの10年間の総死亡者数が毎年平均2万4千人ずつ増えていたことを考え合わせると、見方によっては、昨年はコロナの流行により3万人以上の人が命拾いをしたと言えなくもないのです。諸外国とくに欧米では全く違った状況かもしれませんが、日本においてはインフルエンザ以上に悪い影響をもたらしたとは言えません。この不思議な結果の前提となるファクターXはまだ分かっていませんが、以前ささやかれたBCG接種との関連などは、主症状が肺疾患に深く関わる点でさほど見当外れとは言えないのではないでしょうか。異なった感染症であれば違うタイプの遺伝子情報を持つ方が影響を被ることでしょうが、生活環境を含む人間の遺伝子情報は千差万別なので、完全に解明するのは難しいかもしれません。

 この時代になってもまだ経済成長を唱える人がいますが、見渡す限りもうフロンティアは無いように思えます。それでも経済成長を望むなら無理にでもフロンティアを創出しなければなりません。これまでは戦争がその役割を担ってきました。しかし、それ以外にも方法はあるようで、それは「災厄」です。ゼロサム的世界では「甲の得は乙の損」という形でその内部にフロンティアを作り出し、持てる者はさらに富を増し加えることができます。また、自然災害であれ人的災害であれ大災害となれば、そこにフロンティアができます。こんな形でしか「経済成長」できないのなら希望は見えません。

 日本学術会議の問題は、1950年および1967年に示されていた「軍事目的のための科学研究を行わない」との声明を踏まえて、2017年3月24日に出された「軍事的安全保障研究に関する声明」が大きな一因なのでしょう。せっかく戦争法案を通しても国産の兵器がなくては戦えませんから。首相は任命拒否は学問の自由に抵触しないという論拠として、「学者が自由に研究するのは妨げない」といった趣旨の答弁をしていたように記憶していますが、学問の自由はそもそも国家権力の介入からの自由を指しているのですから、これほど国民を愚弄する発言はないでしょう。こうしたむき出しの邪悪さが露わになっても、もはや文書改竄を平気で行えるようになった政府に恐いものはありません。しかし、政府が学問の自由にまで手を出すようになったら、その国に未来はないでしょう。

 健康や医療関係の本は特によく読みますが、ほとんど分からないというのが正直なところです。ただ、「人間の身体は一人一人未知のものである」ということは確かなようで、既に抱えている病はしかたないにしても「できるだけ医療には関わらないでいたい」と強く思いました。知れば知るほど暗い闇が横たわっているようです。水や食べ物にしても本当に安全と言えるものはなさそうですから、せいぜい少しでも汚染度が低いものを選ぶくらいしかできません。また、今まで気に留めていませんでしたが、家の内外の電磁波の問題もあります。これとて都市で社会生活をするならば完全に避けられる場所などあるわけがなく、せいぜい調理中の電子レンジから離れたり、スマホは遠いところに置いておくといった対処しかありません。

 他にもインターネットを用いた犯罪に巻き込まれる危険や、外出時の回避できない事態(交通事故や無差別犯罪)に遭遇する危険は常にあり、ひとときも気が休まる時がないのです。どうしてこんなことになってしまったのでしょう。その経過の時代を生きてきたのですから、自分も含め多くの同時代人の欲が際限なく実現していった結果と認めざるを得ません。こうなると、若い方々の怨嗟の叫び、鬼束ちひろのヒット曲まで一直線です。でもあれは20年も前のこと・・・。この間、状況は悪くなりこそすれ、全く好転していません。そして昨年は、10歳から39歳までの死因の第一位が自殺なのです。絶句するほかない。そして現在はSNSで「死にたい」などと呟いたりしたら、瞬く間に、砂糖に群がるアリのように、何人もの人が邪悪な目的でコンタクトしてくるという恐ろしい時代です。私に何か言えるとしたら、「教会に来ればいいのに」ということだけです。そこでの礼拝は静謐と平安に満たされ、私が唯一安心できる時間です。歳をとるほどにそう感じますが、一体どれくらいの人がそういう時間と空間をもてているのでしょう。ぜひ若いうちから神様の恵みを知って、この困難な世界を生き延びられるようにと心から願います。