2021年5月27日木曜日

「往年の山ガール」

 大学を卒業して赴任した先は西多摩のはずれでした。「あの頃、よく山歩きをしたなあ」と無性に懐かしく、朝三時起きでおにぎりを握り、水と非常食を持ってわくわくしながら出かけたことを思い出します。ちょっと車で行けばもう登山口という場所に住んでいたのですから、今思うと時期を逃さず山歩きをしておいてよかったなと思います。今は視力的にも体調的にも到底できないことですが、あの頃は元気いっぱい活力にあふれており、「一人では何かあった時危ない」との周囲の声もなんのその、山歩きは一人でするものと思っていました。読み漁ったその手の本の一冊、ラインホルト・メスナーの『ナンガ・パルバート単独行』を引くまでもなく、世の登山家はみな基本的に単独行動ではありませんか。レベルは全然違っても、自分ですべての計画を立て、自分のペースで歩く単独行でなければ意味がないと思っていました。そして、それは実に楽しいものでした。

 引き出しの整理をしていたらその頃のメモが見つかり、私の山歩きは1980年代後半の2年間に集中していたことが分かりました。1980年代後半といえばバブル真っただ中のはずですが、都心の狂騒を遠く離れて山歩きに没頭できたのは幸いなことでした。まず近場の低い山から始め、体を慣らしてからだんだん高く遠くへの山行をしましたが、1日行と半日行のルートを考え、奥多摩の山はほとんどしらみつぶしに歩いたと言ってよいほどです。季節は春から秋に限られ、冬山は守備範囲外。東北人として冬という季節に見せる山の姿が人間の手に負えるものではないことを知悉していたからです。交通手段はほぼ自家用車ですが、車を登山口に止めて同じ場所に戻る場合と、車は駐車場に止め、そこからバスを利用して登山口まで行き、山登りをして駐車場に戻る場合がありました。山の北面から登り始めて南面の駐車場に下りたら、ダンプカーのあんちゃんに「もう下りてきたの」と驚かれたことがありました。登り口のあたりに採石場があって、その運搬の仕事をしている人に目撃されていたのです。個々の山々の風景はほぼすっかり忘れていますが、柔らかく弾力のある山道の感触は足裏にリアルに残っています。メモに沿って、ざっと歩いたところを書き残しておきます。

198×年

7月  ・軍畑-高水三山-御嶽駅

    ・奥多摩駅-鋸山-大岳山荘-御岳山-鳩ノ巣駅

    ・境橋-避難小屋-御前山-小河内峠-奥多摩湖

    ・ドラム缶橋-イヨ山-ツネ泣き峠-三頭山-鞘口峠-ドラム缶橋

    ・東日原-稲村岩-鷹ノ巣山

    *ほかに群馬県みなかみ町藤原での谷川岳登山あり

8月 *帰省中に一泊で飯豊連峰縦走

9月  ・川井-獅子口小屋-川苔山-鳩ノ巣

    ・小川谷橋-天祖神社-小川谷橋

    ・小川谷橋-分岐-酉谷小屋跡-酉谷山-ハナト岩-一杯小屋-東日原

10月 ・沢又-白地平-権次入峠-棒ノ折山-沢又

    ・鴨沢-小袖乗越-七ツ石小屋-雲取山-鷹ノ巣小屋-倉戸山-奥多摩湖

11月 ・御祭-三条の湯-北天のタル-(飛竜山)禿岩-サオラ峠-丹波

    ・二ノ瀬-黒エンジ尾根-笠取小屋-黒エンジ尾根-将監小屋-三ノ瀬

198△年

2月  ・柏木野-連行山-生藤山、三国山-浅間峠-上川乗-柏木野

3月  ・丹波村 越ダワ-小菅-白糸の滝-フルコンバ-ノーメダワ-追分-藤ダワ-丹波

4月  ・仲の平-西原峠-仲の平

    ・宝-千段の滝-白竜の滝-三ツ峠-宝

5月  ・鳩ノ巣-大根山の神-本仁田山-奥多摩駅

    ・有馬ダム林道-日向沢峠-有馬ダム林道

6月  ・乾徳山入口-銀晶水-錦晶水-扇平-乾徳山山頂-笠盛山-黒金山-大ダオ-徳和

    ・新地平-雁峠-水晶山-雁坂峠-雁坂嶺-雁坂峠-新地平

7月  *群馬県みなかみ町藤原での武尊山登山。

*一泊で富士山登山。

10月 ・瑞牆山荘-富士見平-瑞牆山-富士見平

    ・富士見平-大日小屋-金峰山-大日岩-富士見平-瑞牆山荘


 こうしてみると、この飽くなき収集癖ともいえる情熱はすごい。これも或る種のバブルと言ってよいでしょう。結局、奥多摩の山を歩き尽くし、大菩薩峠を越えてほとんど甲府近くまで足を延ばし、車を使っても一日では山に登って帰って来られない事態に至って、ようやく止みました。行き着くところまで行って山歩きバブルが弾けたのです。最後は奥秩父の山行で終わりました。

  唐突に始めても違和感がなかったのは子どもの頃の山歩き体験があったからです。こういう原体験があるかどうかで、その後の自然との関わり方が違ってきます。自然の中での子どもの頃の楽しい体験がなければ、自然に関心が持てず森林を保守しようとする気持ちなど生まれないでしょう。自然の中で遊ぶ心地よさは一生ものです。それがかなわない歳になっても、まさに夢は山野をかけめぐるのです。