2021年5月5日水曜日

「郵政民営化の罪々」

  2021年4月1日、日本郵便は「はがきや手紙など郵便物の土曜日配達を10月から廃止(速達や書留、ゆうパックなどの荷物の土日配達は継続)する」ことを発表しました。 そればかりでなく、『翌日配達』を原則取りやめ、配達にかかる日数が1~3日延びるとのこと、郵政民営化が決まった時からわかっていたことですが、「ああ、やっぱり」という思いです。民営化前にも宅配便は離島や僻地での配達を郵便事業に頼っていたのですから、本来こういうものは民営化してはいけない事業だったのです。

 そもそも郵政民営化は、ゆうちょとかんぽの潤沢なマネーを狙う米国の年次改革要望書に従って、小泉純一郎首相のもと行われたことが今では明らかになっています。実働部隊は筋金入りの新自由主義三羽ガラスで、竹中平蔵(郵政民営化担当大臣)、規制改革・民間開放推進会議議長宮内義彦オリックス会長、銀行界からは三井住友出身の西川善文初代日本郵政代表執行役社長(のちに第2代日本郵政公社総裁)によって断行されました。竹中氏は、サブプライムローンという詐欺的な商品を証券化して売りさばき世界中を苦難に陥れた当該国について、2008年4月に或る番組の中で次のような見解を述べました。

 「サブプライムローンそのものが悪いわけではない、・・・・ある国が政治的な意図をもってアメリカの金融機関を乗っ取ってしまったら、アメリカ経済が影響を受けるのではという懸念も出てきている。・・・・日本郵政は民営化したので、・・・アメリカから見ると安心して受け入れられる民間の資金。アメリカに対しても貢献できるし、アメリカの金融機関に出資することで新たなビジネスへの基礎もできる。・・・『民営化された日本郵政はアメリカに出資せよ』と申し上げたい。」

 この発言にはあっけにとられるほかなく、人の不幸を弄ぶあまりの暴言にふつふつと怒りが沸いてきます。こういうのを普通「国を売る行為」と言うのではないでしょうか。

 またその後起きたいわゆる「かんぽの宿問題」も同様です。日本郵政が全国のかんぽの宿170施設と社宅9物件を109億円という破格の安さで、なんと郵便民政化に大きく関わっていた宮内氏が会長を務めるオリックス不動産に一括売却するというのですから、鉄面皮も甚だしい。批判が相次いだのは当然でしょう。加えて、民営化後に次々と明らかになったかんぽ事業での不正販売は、経営陣の過度なノルマ達成の押し付けが引き起こしたものでしたが、会見時の西川総裁の態度の悪さは誰の目にも「こりゃ、だめだわ」と映ったことでしょう。

 一連の方々の言動から私が感じることは、「この方々は自分が日本の国民であるという感覚はないのではないか」ということです。新自由主義者には国民経済という視点がありません。その発信地米国の国益を自国の国益に先んじて考え、そして何より自分の利益のみを考えた行動に徹しています。

 幸い、政権交代(新政権そのものはお粗末でした)があったり、300兆円ともいわれたゆうちょマネー(ゆうちょとかんぽの金融2社のお金)が株式市場で売られ、「虎の子の国民の財産を失えば日本は終わる」と、事の重大性を理解した憂国の政治家もまだいたらしく民営化法は法改正され、加えて東日本大震災による復興財源が必要になるなど様々なことがあって、2017年9月までに完全売却が定められていた株式は「できるだけ早期に処分」と変わりました。株式市場というのは賭博場です。安心して預けていたはずのお金が紙くずになる一方、海の向こうのどこかでは必ず莫大な儲けを得る人がいるのです。

 ゆうちょマネーは国債に当てられ、財政投融資に回される大事なお金です。株価買い支えのためどんどん膨れ上がる「赤字」国債は、それはそれで頭の痛い問題ですが、低成長時代の屋台骨となっているのも事実です。「バランスシート的には今のところ問題ない」という根強い専門家の意見もあるようですが、このあたりのことは私にはわかりません。いずれにしても、無駄な公共事業やそれにまつわる汚職、官僚の天下り先問題は解決されなければなりませんが、道路や橋といった国土の重要インフラの改修費用さえなくしたらどうするつもりでしょうか。

 2020年11月末現在、日本郵政はゆうちょの89%、かんぽの64%の株式を保有とのことですが、日本郵政には国が57%出資しており、金融2社の民業を圧迫しないよう新商品・サービスの発売には国の認可が必要という規制がかかっています。しかし、日本郵政(現社長は増田寛也氏)はこの足枷を解くため、2025年までに保有する金融2社の株式の割合を50%以下にしようと企図しています。2020年9月中間期の単体決算で、ゆうちょ銀行株は株価が簿価の半額以下になったため、ルールに従い下がった分の減損処理で約3兆円もの特別損失を計上しましたが、まだまだ諦める気はなさそうです。

 郵政民営化を考える時、類比的に国鉄民営化が頭をかすめます。儲かる路線をもったJR東海がある一方、どう頑張っても儲からないことが初めから分かっており成果を出せずに自殺に追い込まれた社長がいたJR北海道がもう一方にあります。そして今度は郵政民営化です。国鉄民営化より郵政民営化の方が経済的見地から圧倒的に波及する広さも深さも大きいですが、郵便事業だけ取り出せば地方切り捨てという根本問題は同じです。どんなに僻地でもどれほど遠い離島でも国民が住んでいる限り、インフラを整えておくのは国民国家の基本でしょう。効率一辺倒の理屈をつけて大事なインフラを奪っておいて、国防も何もあったものではありません。諸外国ともめている日本の領土はすべて離島です。日本政府が本当に国を守る気があるのかどうか、私は大きな疑念をもっています。

 この原稿のタイトルは「郵政民営化の功罪」のはずだったのですが、書いているうち「功」がほとんど見つからないことに気づきました。強いて挙げれば、郵便局員の不正が数多く見つかったことくらいでしょうか。あるいは特定郵便局問題でしょうか。そのくらいの弊害はあるでしょう、なにせ150年も続いたシステムなのですから。それはそれで別個に正せばよいことで、やがて国民の生活が必ず揺らぐとわかっている政策を実行したことは許しがたいと思います。言われたくないことでしょうが、米国でさえ郵便事業は国有であることを新自由主義者だって知らないはずはありません。これだけをとっても、彼らが国のことには関心がない、金のことしか頭にないことがわかるでしょう。