このところずっと林業づいています。昨年大胆に枝を切り落とした庭木が美しい花を咲かせたのがきっかけかもしれません。ずっと欅だと思っていた木の白い花を見て、ネット検索したところどうもヤマボウシのようです。両親が植えた木をこの歳まで知らずにいたとはなんとも私らしい情けない出来事です。山法師(やまぼうし)はミズキ科とのことで確かにハナミズキに似ていますが、こんな美しい花は見たことがないと思うほど清新なたたずまいです。昨年手を入れたので美しい花を咲かせてくれたのでしょう。10メートルから15メートルほどにもなるそうで、すでにてっぺん近くは大型の脚立でも全く届かず、枝を切るのは無理そうです。
世界中に四万本の木を植えたという生態学者の宮脇昭先生の御本に触発されたり、世事に疎いため映画化されたのに知らなかった『神去なあなあ日常』(三浦しをん著)や、若者だけの林業会社東京チェンソーズの奮闘を書いた『今日も森にいます』を読んだりするうち、すっかり頭は林業モードになりました。若い方々が林業に取り組まれているのは、一つにはそこに他では得られない癒しの空間があるからでしょう。山主さんと力を合わせてぜひとも頑張ってほしいです。
なんだか私も木に触れたくなって、古くなりすぎて放ってあったまな板にかんなを掛けてみようと思い立ちました。ミニかんなを購入し「こんなんで大丈夫かな」と思いながら使ってみると、しゅるしゅると面白いように削れ、子どもの頃父とした日曜大工を思い出しました。木の匂いは本当にいいものです。すっかり固くなって滑らなくなっていた箪笥の引き出しも相当削って、ずいぶん楽に動くようになりました。
林業は今始めても結果が出るのは早くとも三十年後、もっと長く五十年、百年というスパンで考えなくてはいけないところが同じ自然にかかわるものでも農業とは違います。戦後の林業は経済合理性に振り回された歴史でしたが、林野庁も含めもうそういう時代ではないことを皆気づいているはずです。林業に関わる人がそれぞれに後世の子孫に受け渡すべき森林を守りつつ、生活を楽しんでいける道を模索してほしいと思います。あと何十年か若ければ林業女子としてお役に立つこともできたかもしれませんが、今となってはせめて消費活動で日本の林業を盛り立てるしかないようです。
さっそく檜一枚板の大き目のまな板を購入しました。魚を丸ごと捌けそうな大きさですが、台所では使いません。リビングのテーブルの一辺に置いてみたらちょうどよい大きさです。檜の匂いが部屋中に広がって、なんとよい香りであることか。テーブルに突っ伏して頬をつけていると、あまりにいい匂いでもう離れられません。傍から見ると何してるのかと思われそうですが。ぜひとも少しずつ、サイズ違いのヒノキ板をそろえていきたい。"touch wood"や"knock on wood"という言葉が幸運と結び付けられているのは、誠にゆえ無きことではありません。