先日恒例の症状が治まりかけたところ、父方の伯母の訃報が入りました。少し日数の猶予があったため、参列できるくらいには体調が回復するだろうと帰省しました。ここ二十年近くお会いしたことはありませんでしたが、子供の頃からのことが頭をめぐり、ずいぶんお世話になったことを思い返しました。殊に私の結婚披露宴ではスピーチを賜り、『いい日旅立ち』に倣って、「日本どころか世界のどこかにあなたを待っている人がいる」と明言してくださったことを、ふいに思い出しました。
兄と車で行く道筋では山の紅葉が図らずも最盛期で、その美しさを堪能することができました。告別式会場の親族の控室では名前も知らない方々が大勢いらっしゃいましたが、何十年ぶりかでお会いする比較的近い親族の方々と言葉を交わせたことは感謝でした。そのうちのお一人が、「以前ヘルベルトさんと会津を訪ねてくれて子供たちと遊んでいただき、楽しかったです」とおっしゃり、自分自身も忘れていたことを思い出しました。その方の娘さんは元来英語が好きでしたが、さらに好きになって勉強に拍車がかかり、今は英語関係のお仕事をされているとのこと。記憶を掘り返せば、確かに結婚のご報告と披露宴出席の御礼を兼ねて、夏休みにヘルベルトと猪苗代や会津、蔵王、仙台、山形などを巡る東北旅行をしたのです。親族の方々はそれぞれの地で歓迎してくださり、地元の観光地に連れ出してくださったり、会食をしたり、ああ、そんなこともあったなあと懐かしい思いがこみ上げてきました。ヘルベルトはとても楽しい人でしたので、子供たちにも大人気で、そんな小さなことでもお子さんの人生に関わったと思うと、感無量でした。
亡くなった伯母は小学校教諭の職を退いた後、地域の婦人会で更生保護事業のために尽力し、大車輪の活躍をされていたようで弔電がたくさん届いていました。子供の頃、お盆に父に連れられて遊びに行くと、いつも優しい笑顔で「上がっせ」と迎えてくれたものでしたが、やるべきことを淡々となさるすごい方でした。このご葬儀は思いがけず自分の来し方を振り返る時となりました。私は「人生が二度あれば」と考えたことはないのですが、いま改めて人生の節目節目の分岐点を思う時、同じ状況で同じ選択を迫られるなら、やはり同じ答えを選択しただろうと思うのです。その意味ではいいことも悪いこともひっくるめて後悔はありません。自分を愚かだなと思うことはあっても、他にどうしてみようもなかったのです。その意味では本当に幸せな人生だとしみじみ思った次第です。