2015年12月31日木曜日

「紅春77」

 「かわいい顔して眠ってるわ。」  
りくの寝顔に見とれてしまいます。スースー寝息を立てていたり、ゴロンゴロンと寝返りを打って仰向けに寝ていたり、たまにピュークククク(怖い夢でも見るのか?)とうなされていることもありますが、いつ見てもりくの寝ている姿はかわいくて、これを見られるのは飼い主の特権です。

 最近私は例の座卓とちゃぶ台のベッドに寝ているため布団にあがれないりくは夜やってこなくなり、お互いゆっくり眠れます。こたつにりくの寝るくぼみを作ってあげているので、りくはこたつの余熱で温かいはずです。

 いつもは私が起きる頃(冬はまだ暗い時間です)、りくも茶の間でスタンバイしていますが、たまに具合が悪い時はりくが起こしに来ても、「ごめんね。今日姉ちゃん散歩行けないから。」と言います。りくにはわからないので、ガシガシ布団の上まで手を出してきて可哀そうになります。「一人暮らしの人は病気の時大変でしょう」と思われがちですが実は逆なのです。東京では具合が悪くても好きなだけ寝ていられるのでほっとします。私の体調不良は時間の長短はあってもほぼだいたい睡眠をとることで元通り回復します。

 猫の夜泣きなどでりくが落ち着かず、しかたなく兄がりくと夜のパトロールに出かけた日などは、私が朝起きてもりくがまだお休み中ということもあります。そんな時は台所で朝食の用意をしているうちに、りくが「寝坊しました。」という顔で、きまり悪そうにもそっとやってきます。
「おっ、りくおはよう。今日も元気。」
と言って一緒に朝の散歩に出かけます。


2015年12月28日月曜日

「わからないページビュー問題」

 ブログをアップする時まず統計のページが開くので必ず目に入るのですが、先日グラフの形が一目でわかるくらい変わっていたので「また来たな。」と思いました。年に一、二度の頻度で普段のページビューの100倍~1000倍の数字になるのです。これは海外からのアクセスのせいなのですが理由がわからず不気味です。りくのかわいさにアクセス殺到ならいいのですがそんなわけありません。(紅春がうちの犬の血統書名であるということすらわかるはずがありません。)

 とにかく気味が悪いので理由を知りたい。私は危ない話題には近寄らないようにしていますし、書いているのは無難なことだけ、どこにもリンクは貼っていません。自動で設定された検索の網に引っ掛かったのだとしか思えないのですが、こういうことが起こるのはこれまでイスラエルか中国のどちらかに限られています。日本語で書いているのに本当に読んでいるのでしょうか。あらゆる言語で書かれたものに検索の網をかけているのでしょうか。検索対象はブログのタイトルだけなのか、テキスト本文にも及んでいるのか、それとも定期的にすべてのブログに検索をかけているのか、ああわからない。

 或る種の単語に反応するプログラムが組まれ情報を収集する組織(諜報機関?)があるのでしょうか。トンデモ本の紹介をしたことはありますが最近はしていない。それとも一度目をつけられると定期的に見張られてしまうのか。聖書の解き明かしを自分なりに理解して書くことはありましたが、ダヴィンチ・コードのような話ではない。それとも今後に釘を刺す意味での警告なのか。ユダヤ人の特異性に敬意を表明することはあっても誹謗したことは一度もありません。なぜ一時的に大量のアクセスがあるのか、ああわからない。

 「そうだっ。」と思いついて、これまでしたことがなかったのですが各タイトルのアクセス数を調べてみたら、多かったのは①「ドイツに住む柴犬」、「紅春」、②「象の墓参り」、「父の腕時計」、③「プリンツェンのドイツ」、「マクベス夫人の憂愁 2」④「都内一周都バスの旅」、「ベジブロス」でした。
①は例のドイツで二匹の柴犬およびオランダ人の夫と暮らす日本人女性のブログの紹介で、もしかするとトラッキング機能を駆使して柴犬つながりで紅春にたどりついたのかもしれません。
②は象は墓を作り墓参りもする高等な動物であるという話の紹介で、父が亡くなる前に交換した腕時計の思い出と私の中では同様の領域にある話です。
③はドイツのロックバンドの歌詞に見る国家観とシェークスピアの戯曲に描かれた王位継承の無慈悲さについて書いたものです。
④は情報ネタで、今となってはすでに廃止されてしまった都バス路線の紹介となってしまいました。ベジブロスに限らず食品についての関心は概ねどれも高いようです。

 しかし、この結果にもかかわらず、時折急増する海外からのアクセス数ははるかに膨大でその比ではないのです。やはり疑問は解けません。私の何がいけないのという気持ちです。

2015年12月25日金曜日

「三つの小さな道標」

 今年の誕生日は運転免許証の更新にあたっていましたが、さすがにもう視力が出ないので免許証を返納しに行きました。警察の方が一度返納したらもう取れないですよと慰留してくれたのですが、事情を話したら納得されました。いずれにせよ免許証はずっと前に車を手放して以来、身分証明書としての役割しかなかったのです。代わりに身分証明に使える「運転経歴証明書」なるものがもらえるということもわかりよかったと思いました。「車庫から車を出すとかでも絶対運転しないでくださいね。」と念を押されましたが、車自体がないし、「それは自殺行為ですから。」と答えました。記憶をたどると運転免許を取った理由はキューブリックの「シャイニング」を見て、ジャック・ニコルソンの発狂ぶりのすごさに恐れをなして、旦那が狂ったとき雪道を逃げられるように車くらい運転できないと、と思ったのがきっかけでした。もうさすがに必要ありません。

 二つ目はマイナンバーの通知が少し前に私のところにも来ました。別にほしくはないのですが、移動の多い生活なので区役所に戻ってしまって面倒なことになるのはいやだなと思っていたのです。感心したのは点字でちゃんと「まい なんばー つーち」と書いてあったこと。あれは必要なもので、目の不自由な方に配慮されていたのは本当によかった。個人番号自体は何に使うのかよくわかりませんが、区から配布された広報によれば以下の通りです。「住民基本台帳カードがあり、有効期限がまだ先の方は、有効期限まで個人番号カードとほぼ同様に使えるので、すぐに個人カードと交換する必要はありません。」と書いてあり、住基カードの有効期限が平成28年3月前後で切れる方には12月22日までに、(なんと個人番号カードの申請ではなく)、「住基カード」の更新を勧めていました。この説明によってむしろ区役所は信頼できると思いました。私の場合、有効期限はいつまでかなと思って住基カードを見てみたら、驚くことに2025年! 区の説明ではそれまで何もする必要がなさそうです。何のためのマイナンバーなんだか。これはとにかく怪しいでしょ。

 三つ目は文字認識ソフトの使用です。どうしても紙ベースで何かを読まなければならない時、(この機種は東京の自宅にしか置いていないのですが、)プリンターををパソコンにつないでパナソニックの「読取革命」というソフトで読んでもらうことがお多くなりました。準備や設定、活字の読み取りにかかる時間を含めても自分で読むよりは早い、第一自分で読む気力はもうないのです。(眼科医からはこの状態でまだ文字が読めているのは奇跡だとまで言われています。) 時間はかかりますが見えないことをカバーしてくれるいろいろな技術があるのは本当にありがたいことです。こういうわけで2015年は見えないことを自覚する出来事が結構ありましたがおとなしく受け入れることにいたしましょう。

2015年12月21日月曜日

「クリスマスピラミッド」

 先日日比谷公園にクリスマスマーケットが出たと聞いて、ふうんと思ったのですが、そこにあるクリスマスピラミッドはドイツから職人さんが来て立てたものとのことで俄然行きたくなってしまいました。行ける日程が限られていたので無理かなとも思いましたが、翌日友達と行くことができました。
 内幸町の方の入り口から入ってすぐ、クリスマスピラミッドとクリスマスマーケットのテントが見えました。私が冬のヨーロッパを訪れたのは一度のみ、その時の寒さに懲りて以後行っていなかったので記憶が相当薄れていたこともあり、クリスマスピラミッドが想像以上に大きなものであることを再認識しました。クリスマスツリーとメイポールの合体形といったあんばいの素朴な木製の装置で、メルヘンチックな人形や動物がゆっくりくるくる回っている、いかにもドイツらしいものでした。ヘルベルトとクリスマスマーケットを訪れたのは夕方だったのでしょう(ドイツの冬はもう午後3時半頃から暗くなる)、イルミネーションがとてもきれいで幻想的と言ってよいほどでした。たぶんここも夜の方が美しいのでしょう。一番の違いはコートもいらないくらいの暖かいクリスマスマーケットだったこと。

 土曜日だったので人出が多く、屋台は客をさばききれない文化祭の出店のようでした。列の短い屋台に並んでファストフード(これすなわちソーセージを中心とする食べ物)を味見しましたが、直輸入には違いないもののこういうものはやはり現地で食べるのが一番です。小ぶりのニュールンベルガーとかカレーヴルストとかがあるとよかったな。クリスマスマーケットにはかかせないグリューワイン等のアルコールを出している店は結構ありましたが私は飲めないし、スイーツ系のお店がほとんどなかったのが残念でした。というわけで、最後は銀座まで歩いて(といってもほぼ新橋にある銀座ウエストは数分のところです。)お茶して帰りました。クリスマスピラミッドが見られて大満足でした。


2015年12月18日金曜日

「追い込み練習」

 メサイアのハレルヤ・コーラスの本番が近づいてきました。東京ではそんなに大声で練習できる機会がなく、せいぜい朝のウォーキングの時に公園に差し掛かったあたりで、少し大きめの声を出して練習できる程度です。ただ歩いている時は楽譜を見るわけにはいかないので、これでかなり曲が自分のものになってきた気がします。同じ歌詞でほぼ同じメロディなのだが微妙に違っている部分など、まだ自信がもてないところは帰ってから楽譜を見て確かめます。もう一歩のところまできているはずです。

 福島では家の立地からして思い切って声を出しても大丈夫な感じです。観客はりくなのですが、最初のころは聞いていてくれたのに、最近は「もう勘弁してください。」と言うようにすっといなくなってしまいます。りくの薄情者~。こうして自分ではりくにも飽きられるくらい練習しているつもりです。しかし、皆と合わせての練習は少ないのでこれが難点です。ありがちなのは他のパートに引きずられたり、ちょっとしたアクシデントで動揺して歌えなくなったりすること。そうならないようにするにはやはり曲全体を身体化するしかないのです。という具合に相当追い詰められた状況で練習しています。アンコール? そんな余裕あるわけないでしょ。

2015年12月15日火曜日

「紅春 76」

 散歩中に時々会う黒柴ちゃんがいます。「おじさんが散歩させてる子?」と、兄も結構会うらしい。今まで話しかけたことはなかったのですが、先日りくが近寄って行きました。
「そっち、大丈夫? うちのは大丈夫だけど。」
「うちのもおとなしいので大丈夫です。」
ということでちゃんと会わせてみると気が合いそうでした。犬同士の相性は一瞬でわかるようで、あれはどういうことなんでしょうね。匂いなのか、気性なのか、とても不思議です。今回はりくの方が積極的でした。
「いくつ? 6歳くらい?」
わー、そんなに若く見えるんだ・・・。人間でなくともうれしくなってしまいます。黒柴ちゃんの方はりくより年上だなあと思って聞いてみると、なんと16歳! それでもしっかりした足どりで散歩で来ているのがすごい。でもおじさんの話では、両眼とも白内障で見えておらず、耳も聞こえていないということで、この夏は食欲もなく心配したとのことでした。しかも外飼いだというので、またびっくり。外飼いでそんなに長寿の犬がいるとは。
「りくもがんばらねばね~。」
と声をかけて家に戻りましたが、せめて天寿を全うできるよう可愛がってあげなければと気持ちを新たにしました。やがて介護が必要な時も来るのでしょう。新しい友達に会って喜んで帰宅したりくを横目に心に思ったのは、
「りくがよぼよぼ、よたよたになったら、兄ちゃんと姉ちゃんで面倒見るからね。」

2015年12月12日土曜日

「不正な管理人のたとえ」

 イエス様のたとえ話の中で最も難解と言われる「不正な管理人のたとえ」について、先日初めて胸にすとんと落ちる解き明かしを聞いた気がします。まだ自分の中で完全に咀嚼できていないし、全体がわかったわけではないのですが、それでも「エウレーカ!」と叫びだしたい気分です。聞いたこととそれをうけて自分で考えたことが入り交じっていますが、とりあえずわかったところまで整理しておきます。

 まずルカによる福音書にある原文を新共同訳でたどってみます。話は次の「金持ちとラザロ」とも密接に関係しているようですが、長いのでとりあえずルカ16章1節から18節まで。

イエスは、弟子たちにも次のように言われた。「ある金持ちに一人の管理人がいた。この男が主人の財産を無駄使いしていると、告げ口をする者があった。そこで、主人は彼を呼びつけて言った。『お前について聞いていることがあるが、どうなのか。会計の報告を出しなさい。もう管理を任せておくわけにはいかない。』 管理人は考えた。『どうしようか。主人はわたしから管理の仕事を取り上げようとしている。土を掘る力もないし、物乞いをするのも恥ずかしい。そうだ。こうしよう。管理の仕事をやめさせられても、自分を家に迎えてくれるような者たちを作ればいいのだ。』 そこで、管理人は主人に借りのある者を一人一人呼んで、まず最初の人に、『わたしの主人にいくら借りがあるのか』と言った。『油百バトス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。急いで、腰を掛けて、五十バトスと書き直しなさい。』 また別の人には、『あなたは、いくら借りがあるのか』と言った。『小麦百コロス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。八十コロスと書き直しなさい。』 主人は、この不正な管理人の抜け目のないやり方をほめた。

この世の子らは、自分の仲間に対して、光の子らよりも賢くふるまっている。
(ここから16章9節)
そこで、わたしは言っておくが、不正にまみれた富で友達を作りなさい。そうしておけば、金がなくなったとき、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる。ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である。だから、不正にまみれた富について忠実でなければ、だれがあなたがたに本当に価値あるものを任せるだろうか。また、他人のものについて忠実でなければ、だれがあなたがたのものを与えてくれるだろうか。どんな召し使いも二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」 金に執着するファリサイ派の人々が、この一部始終を聞いて、イエスをあざ笑った。 そこで、イエスは言われた。「あなたたちは人に自分の正しさを見せびらかすが、神はあなたたちの心をご存じである。人に尊ばれるものは、神には忌み嫌われるものだ。律法と預言者は、ヨハネの時までである。それ以来、神の国の福音が告げ知らされ、だれもが力ずくでそこに入ろうとしている。しかし、律法の文字の一画がなくなるよりは、天地の消えうせる方が易しい。 妻を離縁して他の女を妻にする者はだれでも、姦通の罪を犯すことになる。離縁された女を妻にする者も姦通の罪を犯すことになる。

 前半の16章8節前半部分までが、イエス様が間違いなく口にしたと思われるたとえ話の中核です。そのあとに書かれた言葉は、このイエスのたとえ話の難解さに困って苦肉の策として加えられた解釈であることは否めないでしょう。ですから読めば読むほどわからなくなります。たとえ話の最後の「主人は、この不正な管理人の抜け目のないやり方をほめた。」という言葉からして、ここではわざと矛盾した書き方をしていることは明らかです。不正な者をほめたというのですから。主人が不正な者をほめるというところでまずつまずいてしまいそうですが、ここに理解の鍵があるのです。

 このたとえに出てくる「主人」「管理人」「借りのある者」がそれぞれ誰なのかについては、どうも非常に重層的な読み方があり一概に対応を決めることはできないようですし、イエス様がこの話をする相手である「弟子たち」や今現在このたとえを聞いている「私たち」がどこに位置するのかも簡単にはきめられませんが、単純に納得できることから入ってみます。普通に考えれば、主人は不正なことをしている管理人を首にすればいいだけです。そして実際に管理人に首を言い渡そうとしてその証拠固めのために会計報告を出させようとしています。しかしここでまず念頭に置くべきは、「ぶどう園の労働者のたとえ」と同様、主人というのは神様のことだと連想することが想定されているだろうということです。借りのある者がどれほどいるのかわかりませんが、こんなに大量の油や小麦の貸し手になれるのは神様しかいない、とすれば第一義的には、神様が首にしようとしている不正な管理人とは無論イエス様しかあり得ないでしょう。

 ぶどう園の労働者のたとえが単に労働賃金の話ではなかったように、この話もまた借金の話だと思ってはいけない。すぐ前にあるのは放蕩息子の話であり、ルカは第一章から一貫して「悔い改めと神への立ち返り」について述べているのですから。(先ほど引用した部分の最後の方に、「律法と預言者は、ヨハネの時までである。」とはっきり書いてありました。そしてこのルカこそがマタイやマルコには記述のないヨハネについて、イエスのために道を用意する者としてはっきり記しているのです。) 

 ここでいう借金とは膨大な量に膨れ上がった罪の値です。そしてそれをせっせと減らして証文を書き換えている管理人がイエス様です。神は正しい方ですから、値なしに(誰かに借金すなわち罪の肩代わりをさせることなしに)は罪人を許すことはできません。信賞必罰が世の中の道理、そうでなければ示しがつかない。神にとっては罪人を許すこと自体が「不正」なのです。しかしこの話では主人は不正な管理人をほめた。罪を減らす証文を必死で書いているイエス様に「それでいい。それが愛というものなのだ。」とおっしゃったということです。(しかしそれも長くは続かないのです。不正会計の証拠が挙がったイエス様はこの仕事を解かれてしまうことになる、すなわちこの世では十字架の死が約束されているのです。)

 あとの説明は不要でしょう。ああ、そういうことだったのか。そう思ってあらためて読み返してみると、冒頭に、「。この男(=管理人、すなわちイエス様)が主人の財産を無駄使いしていると、告げ口をする者があった。」とあるのは、後に出てくるファリサイ派の人々のことで間違いない。律法を楯にイエス様の行動を批判し、自らを神と等しいものとして振る舞うイエス様を殺そうとした人々です。こうなると隅々まで納得できる話で、イエス様らしい弟子たちへのちょっとした謎かけや律法学者に対する皮肉を含んだきわめて見事なたとえ話だということがよくわかりました。

 この後に「金持ちとラザロ」の話がつながっています。生前贅沢に遊び暮らしていた金持ちが死後陰府におり、生前辛酸をなめていた貧しいラザロ(「神の愛によって生きる者」という意味の名)は天に上げられアブラハムとともにおり、金持ちは兄弟が自分と同じことにならぬよう使者として死んだラザロを遣わしてほしいいとアブラハムに頼むのですがそれは原理的にできない(間に大きな淵があるから)と断るのです。先ほど「金に執着するファリサイ派の人々」という言葉が出てきたことからして、この話で言及されている金持ちとはファリサイ派の人々でしょう。そしてアブラハムが最後に言うのは、「もし彼らがモーセと預言者とに耳を傾けないなら、死人の中からよみがえってくる者があっても、彼らはその勧めを聞き入れはしないであろう」という言葉です。ここでまたしても「モーセと予言者が出てくるのです。モーセと予言者というのは旧約そのものですから、古い約束、すなわち「現に今あるもの、すでに示されているもの、知ろうとすれば誰にでも手の届くところにあるもの」を持ちながら神の愛に生きていないのだから、死人の中からよみがえって来る者すなわち「新しい約束であるこの私(=イエス様)」に出会ってもその勧めを信じはしない、現にいま信じていないでしょうとファリサイ派に向かって言い渡されたのです。これですべてがつながった気がします。

 あらためてこのたとえ話のまとめとも言うべきイエス様の言葉、「主人は、この不正な管理人の抜け目のないやり方をほめた。」に戻ると、「抜け目ない」という言葉は「自分のことを真剣に考えている」という意味で、新約聖書ではここにしか使われていない言葉だそうです。もし自分を管理人の立場に置いたとして、「自分のことを真剣に考えている」なら他人の借金を差し引いてあげなさい、すなわち罪を赦してあげなさい、「あなたも私(=イエス様)のとりなしで神様から罪を赦してもらったのだから」、ということになるのではないでしょうか。これは「主の祈り」そのものです。

わたしたちの罪を赦してください、
わたしたちも自分に負い目のある人を
皆赦しますから。
     (ルカによる福音書11勝 4節)

 負い目とはまさに借金を指すのですから、こことぴったり符合することが明確になりました。こうなるともう、神様から見たら不正な行為である「罪という借金の棒引き」をあえてしてくださっている方に、「ああ、イエス様、こんな私のために本当にありがとうございます。」と申し上げる以外何ができましょう。

2015年12月8日火曜日

「旅にある日々」

 月に一度の集まりでずっと読んできた「出エジプト記」を読み終えました。私が参加したのは途中からですが5年かかったそうです。25章あたりから途中の金の子牛と戒めの再授与の話を別にすれば最後の40章まで幕屋のことが中心に書かれています。40年にわたるシナイ半島での民族の放浪によって、イスラエル民族の民族性が決定づけられたと言ってよいでしょう。普通に進めば1か月ほどで到達できるはずのカナンへの道程に40年かかった、1世代が完全に交代する年月旅路にあったということ、その中で移動のたびに幕屋すなわち神を礼拝する場所を持ち歩き、どこであっても正確に再現できるよう詳細な設計図を残したのです。この民族的体験が、国土を持たずして滅びぬ民、全世界に散らばっても雲散霧消しないという前代未聞の民を形成したのです。
 
  私も毎月旅にあるようなものですが、自宅と実家の行き来なので生活必需品はどちらの家にもそろっており放浪の旅とは全く違うのですが、ほんの少しだけ疑似体験ができるような気がしています。場所の移動はその距離の長短にかかわらずエネルギーを要するものです。現代のように乗り物に乗ってさえそうなのですから当時はさぞ大変だったことでしょう。そして移動の間はとりあえず何もできない、できるのはせいぜい頭の中で考えることくらいです。これがただの思い煩いで終わるのか賛美になるのかは大きな違いです。

 身一つで移動する場合は持ち物はたぶん身の回り品だけ、あとのことは全面的に神にゆだねるしかない。私は荷物を軽くするため持ち歩くのはどうしても必要な物だけにしているのですが、最近はノートパソコンとタブレット型パソコン(1年半の間に二度壊れてからはスペアを持たずには怖くて移動できなくなりました。) 、あとはパンを焼くのに春ゆたか(北海道産小麦)を持って帰省し、帰りは野菜や果物を持って上京というのがいつものパターンです。私の場合は移動前に食材を使い切ってこなければならないなど、わりと計画性が必要ですが、この点はイスラエルの民はマナで養われたのですから全然違いますね。持ち運ぶのが幕屋のようなものでなくてちょっと情けない。でも今は教会は全国にあるからいいのです。

2015年12月4日金曜日

「師走」

 「勤めているわけでもないのになぜこんなに忙しいのだ?」という日々が続いています。普段行うことのほかに今抱えているのはまず文集作成です。福島教会では東日本大震災から会堂の再建と献堂までの記録を残そうという話になり、現在進行中です。当初クリスマスの発行を目指したのですがまったく間に合わず、年越しは必至です。

 2つ目は青色申告の提出書類作成。過去二回やってみて今年の分でやめることにしました。つまりこの12月で廃業です。仕入品をすべて帳簿に残しかつ領収書をノートに貼る、12月に帳簿をまとめて会計諸表を作り、年明けにする青色申告の書類を作成し、いつでも税務署に提出できるようにしておくのは相当大変な作業です。それもあと1回で終わると思うとうれしい。会堂も再建され、景気づけ的存在として一定の役割を果たしたはず。2年半支援商品作成と発送をよくやったと思う。買ってくださった方々に心から感謝です。あとは体調に合わせて献品という形で活動を続け、一方で月定会堂献金によって今後20年にわたる借入金の返済をしていきます。

 3つ目は伝道に関わる広報の仕事。新会堂にともない新しい「教会案内」や伝道行事のチラシ作成、通常業務ではあるが「福島教会ホームページ」の更新や記録保存用の「福島教会アルバム」の作成等です。完璧を目指さず、「ないよりまし」をモットーに試行錯誤で行っています。

 4つ目はもちろんクリスマス関係の諸行事の準備。「クリスマス礼拝・クリスマスイヴ礼拝」のチラシは出来上がり、まもなく市内に配布されるでしょう。メサイアの練習は難航しています。高音が出ないのは初めからわかっていましたが、音程が取れているだけでは駄目で、とにかく休止符の後入るタイミングが難しい。東京在住の時は私は練習に加われないので自宅で特訓、これが甚だ不安です。伴奏担当の方が急なご事情で伴奏できないかも・・・といった不測の事態も起こります。ネットを見たら、「メサイアのピアノ伴奏CDを大至急さがしています。どなたかご存知ありませんか。」という切羽詰まった書き込みがあり、「うちだけじゃないんだ。」と変に安心したり・・・。

 こんな感じで過ごしており、クリスマス以降のこと(大掃除や年賀状)は今はとても考えられる状態ではありません。クリスマスまでは健康管理に特に気をつけなくては。

2015年11月30日月曜日

「部屋の模様替え」

 先日実家の片づけに再び着手する機会がありました。兄とは「捨てる」「捨てない」でしばしばけんかが勃発、うっかりしていると全て捨てられてしまうので気が抜けませんでした。すでに母が残していた布製品をだいぶ処分されてしまい、物置にあったちゃぶ台も捨てられるところだったのを死守しました。父と母の所帯はこのちゃぶ台1つから始まったと何回か聞いていたのでこれはすてられない。客間にあったテーブルも捨てるというのでやめてもらいました。兄の考えはとにかく今の時点でいらないものは捨て、必要に応じて買えばいいというものですが、私の考えは今あるものを現在の必要に応じて工夫して使うというものです。年をとると畳に座るのがつらくなるのでテーブルに椅子掛けは楽です。粗大ごみに電話までされていたところを引き取り、私は和室に絨毯を敷いて置くことにしました。今まであった座卓とちゃぶ台を並べて置くスペースもあり、こちらはベッド代わりです。やってみると快適この上ない。確かに和室にテーブルとベッドは合わないかもしれませんが、何不自由ない部屋になりました。そういえば、「何か書いたりするのは明るい部屋でやれよ。」ってお父さん言ってたな。お父さん、お母さん、ヘルベルトの写真が見える場所に置いたテーブル席に腰かけて、今これを書いています。

2015年11月25日水曜日

「マイナンバー以前の問題」

 マイナンバーの送付時期は自治体ごとに差があるようですが、先日報道されたところでは北海道ではすでに10万通が郵便局の保管期間を過ぎて自治体に戻ってきているとのこと、そうだろうなあと思いました。10月5日時点での住民票の住所に配達されるのですが、配達開始がそこから40日も経っている場合も多いようです。死亡、引っ越し、旅行などの短期不在等、受け取れなかった人には様々なケースが考えられますが、世帯ごとの配達なので亡くなった人でも同居家族がいれば返送されることはないはずです。自治体から送付される選挙のはがきなどと根本的に違うのは簡易書留なので本人確認が必要なこと。ピンポーンと鳴らして出てきた人に名前を確認して渡せればそれで終了でしょうが、不在の場合は持ち帰り郵便局保管。簡易書留は1週間のみの預かりだそうでこれはかなりタイトな日程です。詳細未確認ですが、引っ越しの転送手続きをしていても、どうもまず10月5日の住所に郵送されるようです。

考えてみれば「国民全員に本人確認して何かを手渡す」ということ自体が初めてのことではないでしょうか。マイナンバーの中身以前にこれ自体が壮大な実験のようなもので、よほど郵便事情に自信がないとこんなことをやろうとする国さえまずないでしょう。学生などで住民票を移してはいないが実家の家族に受け取ってもらえる人はよいですが、単身者に限らず世帯ごとの引っ越しの際何らかの理由で住民票を移していない人わどれくらいいるものか・・・。例えば集合住宅で部屋番号しか表示していない場合、次に入った人が前の方の書類を受け取ってしまうケースもありうるのではないでしょうか。別に悪意がなくても耳が遠いとか認知症の症状があるなどのケースです。そこまで心配したらキリがありませんが、制度が始まる前段ですでに大変そうです。

 中身については税と社会保障のためとしか知りませんが、1月から必要なのは児童手当と雇用保険らしいので当面私は必要ありません。そうでなくても区から送られてきたお知らせには、住民基本台帳カードがある人は次の更新までマイナンバーについては何もしなくてもよいとはっきり書いてありました。マイナンバーはゆくゆくは銀行と連携して国民の銀行預金を丸ごと掌握しようという企みらしく、別に不正をしていなくてもそんなことはされたくないと思います。とにかく必要がなければ急がないのがなによりです。今回のプロジェクトでは、はからずも国民の家族構成や高齢化率、流動性、几帳面さ、あるいは生活困窮率といったことがあぶりだされるのではないか、そしてそのことの意義は非常に大きいと言えるでしょう。まさかこれが織り込み済みということはないでしょうね。


2015年11月21日土曜日

「紅春 75」

 りくのことでバタバタすることが続いています。帰省して思わず、「りく、問題起こさなかった?」と兄に聞いてしまったほどです。りくが悪いのではなく、悪いのはほとんど私なのです。

 先日はりくが二階に上がることより大変なことがありました。いつものように朝の散歩から帰って外につないでいたのですが、小一時間たつころ雨が降ってきたのでりくを入れようとしたところ、いない。目を疑う感じで名前を呼びましたがやっぱりいない。外の杭につないだひもが切れている。リードは付いたままの状態でりくがいなくなったのです。あの子のことですからあまり遠くへ行くとは考えられない。が、最近二階へ行くという冒険の楽しさも味わってしまったから、もしかしたら・・・という懸念がないでもない。

「りく~、りく~」
大声で呼んでみましたが姿は見えない。大変なことになったと、私がすぐ土手に駆け上がろうとしたところ、土手を歩いていた人が
「犬を捜しているんですか。橋のところに犬がつながれていますよ。」
と教えてくれました。橋は家からすぐなのですが、気ばかり焦ってなかなか脚が前に進みません。こけつ転びつという感じで土手に上がって
「りく~」
と叫ぶと、りくも
「姉ちゃん、ここ~。」
とワンワンなきます。やっと橋にたどり着いてみると、りくはそのたもとにゆるくつながれていました。遠くに行かないようにとの配慮なのかもしれませんが、これでは戻って来られないではありませんか。

 とにかくすぐほどいて連れ帰りました。帰りはゆっくりでもよかったのですが、なぜだか二人して家まで走りました。心の中で
「りく、こめんね。姉ちゃんが悪かった。」
と繰り返しながら。家に入れ、床に倒れこむようにしてようやく落ち着きました。
「りくを無事救出。」

 外のひもは二度と取れないようなものにしなければ。危ないところでした。たまたま雨が降ったから早く気づけてよかったようなものの、時間が長引けばどうなったかわかりません。橋はたくさん人が通るので悪い人がいたら危害を加えられていたかもしれないし、「ああ、かわいい子だ。」と連れ去られてしまったかもしれません。大いに反省です。

2015年11月19日木曜日

「運のいい日」

 通院の日、たまたま1つ前のバスに乗れてしまい、受診受付開始2分前に病院に着きました。地下の診察受け付き機の前に直行したところすでに数名の患者が待っていました。機械は3台あるので私の受付番号はなんと3番。いつのは1階の受付機を通るのですが、たくさん並んでいるのでこれまで最も早かった時でも17番でした。「1ケタの人っていったい何時に来てるのか。」と疑問でしたが受付機の場所によるのかもしれません。

 その日地下の受付機を通ったのには訳があります。血液検査の場所が地下なのです。私もようやくわかってきたところなのですが、ここの血液検査の順番取りには厳格な不文律があります。窓口の前にある長椅子(番号が振ってある)に座って、採血の受付時間まで待つのです。ですから、受付後最短時間で長椅子にたどり着くには地下の受付機を通るのが一番です。受付機は1階にしかないと思っていたのですが、先日地下にもあるのを見つけたのでこの日試して正解でした。そしてこの日長椅子に行ってみると、驚いたことにそこには一人しかいませんでした。(あと30分もするとあっという間に80番台くらいになります。)私が2番の席に座ると、しばらくしてなぜか1番の人が立ち上がって「ここどうぞ。」と言って行ってしまいました。こうして私はなんと1番に繰り上がってしまいました。もう二度とないことでしょうが、血液採取が早く済み、いつも1時間くらい遅れる診察も時間通りであっという間に終わりました。一日がかりの通院がこうして時間短縮できることがわかり得した気分です。たまたま幸運が重なっただけかもしれませんが。


2015年11月17日火曜日

「聖母教会 Liebfrauenkirche 」

 先日久しぶりにブログ「柴犬とオランダ人と」を開いたところ、11月16日のところに街中の修道院の話があり、もしやと思って見るとあまりに懐かしい画像とともに聖母教会 Liebfrauenkircheのことが紹介されていました(教会名は書いてませんが)。数年来フランクフルトに住んでいる著者でさえ初めて気づいたというこの教会は確かに修道院が付属していますが、画像の多くは聖母教会そのものでした。カトリック教会なので内も外も聖画や像で満ちており最初違和感を感じましたが、何度も訪れるうちにとても落ち着ける教会となりました。以前私はこの教会のことを「祈りの場」というタイトルでこう書いています。

 ヨーロッパを旅していて気づくのは、どんな騒々しい繁華街でも、ほぼ無音といってもいいような空間が存在することです。フランクフルト Frankfurt で言えば、最も観光客の多い市庁舎のある丘 Römerberg のすぐそばに、聖母教会 Liebfrauen があります。ヘルベルトの母教会でしたから渡独するたびに訪れましたが、一歩入ると市街の雑踏がうそのように静かな場所でした。(今、念のため、愛用していた「地球の歩き方」を見たところ、市街地図に載っておらず、何かの間違いではないかと思ったのですが、「そっとしておいてほしい」という市民の気持ちの表れなのかもしれません。)

 マリア像の前のろうそくはいつ行っても画像の通り、置き場がないくらい灯されていました。またこのすぐわきに祈りのための小部屋があるのですが、ひざまずいて一心に祈っている方(一般人)がいるので気軽には入れない雰囲気でした。詳細はわかりませんが、祈ってほしい人の名前を事前に届けると祈祷会で祈ってもらえるらしく、母が亡くなった時ヘルベルトが頼んで祈ってもらったようなのです。祈られた人のリストに母の名前も書かれた週報が届いたのを覚えています。今ならパリ同時多発テロの被害者のために追悼を行っているかもしれません。

2015年11月14日土曜日

「アクション映画の秀作」

 最近テレビで「るろうに剣心」3部作の映画を放映したのを機に、少しは世間で流行っているものも知っておいた方がいいかなと思い、あまり期待もせずに見たところ、何年か前に若い女性が急に「かたじけない」とか「拙者は・・・」とか言い出したわけがわかりました。アクション映画というのはほとんど見ないのですが、以前機内であまりに暇なので見た「300 (スリーハンドレッド)」以来の見ごたえのある作品でした。(「300」はその名の通り300人の鍛え上げられた戦士と共に100万ともいわれるペルシャ軍と戦った(テルモピュライの戦い)スパルタのレオニダスの雄姿を描いたものです。暴力満載で野蛮極まりないおどろおどろしい映画ですが、ほとんど男子新体操のような一糸乱れぬ動きの部分があまりにすごかったので、戦闘シーンをつい2回も見てしまったのを思い出します。この戦闘ではスパルタ軍300名は敗死しますが、その後最終的にペルシャ軍はギリシャから撤退するのですから、ヨーロッパをアジアの侵略から守る礎となったこの戦いはヨーロッパ人の心に深く刻まれているのでしょう。この映画を見ればどんなに経済危機がひどくても簡単にギリシャを切り捨てられないEUのジレンマがよくわかります。

 私が最初に意識したアクション映画は言うまでもなくブルース・リーのものです。今回見た「るろうに剣心」の1作目は大業なスペクタクルと明らかな悪役の存在からしてそれを彷彿とさせるものでしたが、ストーリーの繊細さは日本の方が優っています。そしてやはりチャンバラは日本人のDNAに染みついたものなのか、カンフーよりしっくりくるのは確かです。やっぱり拳法よりは剣術です。

 この映画を見てあらためて認識させられたのが、明治初期というのはまさにチャンバラすなわち内乱の時代であったこと(西南戦争は明治10年のこと)、おそらく廃刀令など始めはまったく笑うべきもので誰も守っていなかったこと、薄氷を踏むような綱渡り的展開の中で、ひょっとしたら幕府側が政権を手中にする可能性もあったこと、その場合欧米列強の植民地化を阻止できたかどうか何とも言えないが逆に自らの立場を勘違いせずに国際社会でもう少しましな世渡りができていたかもしれないこと、いずれにしても幕藩体制を支えた武士たちが新時代を担ったこと、斎藤一の転身に見られるような、大量に失業した武士がいかにして食い扶持を稼ぐかという実際的な問題が大きく存在していたこと、国の統一と引き換えに実際に多くの者が血を流す思いで平和を選び取ったのだということ(この点、アメリカとは比べものにならない長い間、武器を携帯していた日本人が自ら武装解除したことの意味は大きいと言わざるを得ない。)、これらはこれからの日本を考える手立てになるでしょう。

 何はともあれ、この映画の成功の大半は演じた俳優の魅力に帰せられてしかるべきでしょう。主役を演じる俳優に、ピュアでありながら健全すぎてはならない、ちょっと陰がなくてはならないがありすぎてもいけない、おっとりしすぎてはいけないがある種の高貴さがなくてはならない(美男ではあってもアラン・ドロン的労働者階級の顔立ちではならず、この点でちょっと顔立ちの似ているジャニーズの某とは一線を画している)、佐藤健を起用した監督はさすがです。

 主人公は新しい時代を来たらせるため討幕側に立って幕末に相当な人斬りをしたのですが、今ではそれを悔いて「殺さずの誓い」をたてています。だから携帯する刀は「逆刃刀(さかばとう)」という、相手に向く刃が峰になっている(つまり刃が自分の方を向いている)刀なのです。剣で生きてきた人が明治新時代になって十年、半生を振り返りつつ償いをしていくというのが主眼の話なのでなかなか考えさせられるのです。主人公にとって生きていくということがそのまま償いなのです。普段は物静かな人ですが、平和な世が乱されそうになると逆刃刀を取って戦う、その戦い方が見どころです。相手は皆この世の犠牲になったような人ばかりで、気の毒な境遇なのですが倒さざるを得ない、殺さずに倒すのです。そしてその時に、これからどう生きるべきかは各々が生きる中で考えていくしかないことを告げるのです。

 独りよがりな勘違いではないと思うのですが、この主人公は日本という国を体現しているのだろうと思います。「殺さずの誓い」と「逆刃刀」は日本国憲法そのものです。第3作の最後で憎悪と暴力の権化であっ人物、志々雄を倒した後、静かな日常に戻って終わりになります。庭の美しいもみじ葉を薫殿(町道場、神谷活心流の跡取り娘で、モデルは北辰一刀流免許皆伝の千葉佐那らしい)に手渡すシーンです。
「その葉が一番美しい。・・・・こうやって生きていくでござるよ。」
「生きて。新しい時代を。」
「薫殿、ともに見守ってくださらぬか。」
「えっ。」
薫殿の驚いた顔と剣心のはにかんだ顔で幕となる。
やられたという感じでした。これが今の若い日本女性にとっての(そしておそらく若い男性にとっても)理想の幸福であるといって過言ではないのだろうと思います。大事な人と退屈ではあっても静かに穏やかな日々を過ごしたい、ただそれだけ。これが映画が大ヒットした理由でしょう。アクション映画の完結シーンはやっぱりこうでなくちゃ。世間で流行る作品にはそれなりのわけがあるのですから、少しは関心をもって触れてみるものだなあと思ったことでした。


2015年11月12日木曜日

「紅春 74」

私が東京にいる間にりくは少しずつ二階への階段の上り降りに慣れてきたようです。特に今まで自分でできなかった降りがゆっくりですができるようになりました。元々土手の急な階段を降りられていたのですからできないはずはなかったのです。ただ、この階段が途中から向こう側の見えるスリット式の階段なので恐いのかもしれません。これでまずは安心ですが、やはり長時間家を空けるときは二階に行かないよう上り口の柵を閉めて出かけます。

 先日半日ほど出かけて帰宅しましたが、りくが出てこないし声もしないのでちょっとぎょっとしました。二階への柵は閉まっているから階下にいるはず。りくの名前を呼びながら家中探しましたが出てこない。どこかでひっくり返っているのではないかと青くなりました。
「りく~。」
大声で呼ぶと二階でコトッと音がし、りくが何事もなかったかのように降りてきました。柵を越えたのか?助走をつければできるだろうが階段前にそんなスペースはない。その日、帰宅した兄に話すと、「欄干のすきまから入ったのだろう。」とのこと。ともかくそこに厚紙を張って入れないようにしました。

 この柵に関しては他にも兄に聞いたエピソードがあります。夜中にガタッと音がして降りてみると柵が取れて下に落ちていた。りくが茶の間から首を出してこちらを見ていたので、「大きな音してごめんな。」と言ってとりあえずまた寝た。しかし考えてみると、石膏ボードとはいえ3本のネジ鋲で留めてある蝶つがいが自然落下するはずがない。りくが乗り越えようとして体重をかけた可能性が高いだろう・・・。とすると、柵が落ちて驚いたりくは急いで茶の間に舞い戻り、兄が降りてきたときには何食わぬ顔で様子をうかがっていたということになります。まったくりくときたら・・・。まあ無事でよかったけど。

2015年11月9日月曜日

「漱石の時代」

 最近ニュースを聞く気がなくなり、青空文庫で夏目漱石を読み返したりしています。かといってこれが楽しいというわけではありません。自分のことで手一杯なのに、何ゆえ他人の問題まで抱え込まねばならぬのかとげんなりしつつも、言ってみれば連続テレビ小説と同じで次を読まずにいることもできないのです。テレビのない時代、新聞の連続小説はまぎれもなく毎朝の日課的娯楽だったことでしょう。(それにしてはエンターテイメント性に欠けるが。)朝鮮や台湾、満州の話が普通に出てきてやはり時代だなあと思う一方、大学を出ても職がないという言葉があり(「彼岸過ぎ迄」)今と変わりません。この時代の学士さまは今とは比べようのないエリートですがそれでも就職難なのです。

 本を読んでいてとても奇妙な感覚にとらわれたのは、とにかく話が全てお金の工面の問題と結婚への圧力の話から成り立っていることです。この時代お金が必要となれば家族・親族・知人に用立ててもらうしかありません。現在から見るとこの手間暇が尋常ではない。高等遊民というパラサイトな人たちが登場し、大学を出て職に就かず、資産家の親から当然のように仕送りしてもらいながら過ごしている・・・。そればかりでなく自活できていない子供に親がしきりに結婚を迫る・・・。非正規雇用で収入が少ないから結婚できない(この現実を肯定するわけではありません。)という主張の方がまだまっとうな感覚のように思え、「この人たちっていったい・・・。」と率直に感じます。しかしこの時代は結婚していなければ「人」ではなかったのですから、こうなるのもいたしかたないのでしょう。たぶんこれが嫌さにサラ金が発達し、家族・親族の解体が起き、現在があるのだと思います。

 それとは別に、漱石が一貫して関心を抱いているのはやはり現代人の罪の意識だろうと思います。中期から後期の作品になるにつれてこの問題意識は顕著であり、友人への裏切りというテーマを執拗なまでに描いています。結婚以外生きる道のなかったこの時代の女性は家庭内でどんなに勢力をふるっていても所詮家の付属物です。小説の中で女性の存在は番外にあり、問題は男同士の間で先鋭化します。自分がしたことは自分が一番分かっており、罪を償うことも誰かに赦しを乞うこともできない以上、常に不安に苛まれそれが消えることはないのです。ようやく春が来たのに、「うん、しかしまたじき冬になるよ」(「門」)と答えなければならないこの終わりなき絶望感、つらいだろうなとお察しします。漱石はキリスト教的罪概念に接近しながら、その赦しについての奥義は受け入れられなかったようです。神が信仰心を強要することはないので、気の毒ですがどうすることもできません。漱石の描く人間の苦しみは日ごろ見聞する類の説得力のあるものですが、そこで終わってしまっているのが残念です。

2015年11月6日金曜日

「メサイアの練習」

 今年のクリスマス・イヴは教会で「メサイア」をうたうことになりました。歌われたことのある方はおわかりでしょうが、聞きなれたメロディとは裏腹にちゃんと歌うのはかなり難しい曲です。パートごとの旋律の入ったCDを受け取り、それをICレコーダに入れていつも聴いています。難しいのはパートごとに旋律がずれるためで、だいたいずれるのだが時々一緒になるというところでしょう。詳しく知らない方には、楽譜通り歌われているのかずれているのかわからないかもしれません。

 私は歌が苦手で高い声もでないのですが、かといって主旋律しか覚えられそうにないのでソプラノを歌います。前半の山場手前の、早口言葉のような掛け合いは覚えるのに相当時間がかかりましたがなんとかついていけるようになりました。他のパートにつられなくなるにはもう少し時間が必要です。最近は礼拝や祈祷会のあとに残れる人は残って皆で練習しています。牧師先生が音楽に堪能な方なので丁寧に指導してくださっています。「メサイア」のよいところは、歌っているときも歌った後もグングン力が湧いてくるところです。歌詞がほどんと「ハレルヤ」(主をほめたたえよ)なのですから。これはくせになるな~と思っています。クリスマスまであとあと一か月半、練習も佳境に入ります。


2015年11月5日木曜日

「パソコンに負けないもん」

 ハードディスクを交換して設定しなおし更新プログラムのインストールも終わったところで、一見うまくいったように思ったのですが、結局Windowsのアップデートに失敗していることがわかりました。修理工場に電話して話をすると、
「普通はしないのですが、それではWindowsのアップデートが済んだ状態にしてお渡ししましょう。」
とのこと。大変ありがたいお申し出でしたがそうするとまたパソコンを送り返さなければならない、つまり相当しばらく使えなくなります。それは不都合なので、なんとか電話でやり方をお聞きしやってみて、それでもダメな場合に送り返すことにしました。リカバリなのでまたまっさらな状態になるとのことですがしかたありません。

「電源を入れた瞬間にF12を乱打してください。」
に始まる指示に従ってリカバリを始めました。ポイントはまずMicrosoft Officeをインストールすること、次にインターネットにつないでコントロールパネルからWindows Updateを行うことでした。
「お客様の場合は3年も前のパソコンですから、相当長い時間がかかることが予想されます。」
パソコンの世界では3年前でももう化石のような扱いなのか。時間がかかることはすでに体験したので身に染みている・・・。私は2日がかりも覚悟しましした。

 さてコントロールパネルから入って更新のボタンを押すと197個の更新プログラムが始まりました。それから本格的に睡眠をとり夜中に見てみると、「195個の更新に成功しました。2個の更新に失敗しました。」の表示。やっぱりだめかと思いつつ、ほかの選択肢はなかったので再起動のボタンを押しました。その後プログラムの構成が始まり、なんだか目が離せないのでパソコンの傍のこたつでうとうとしながら様子を見守りました。そのうちパソコンも私と同じスリープ状態になり・・・もう一度電源を入れてみると、しばらくなにがしかの働きがあってそのうち完全にシャットダウンしました。それから恐る恐るもう一度電源を入れると今度はきちんと立ち上がりました。もう駄目だと思っていただけに、「えっ、これって全ての更新プログラムのインストールに成功したってこと?」と信じられない感じでした。メールの設定も問題なくでき、とりあえず最低限の設定は終わったかなと思っているのですが、まだ何日か使っているうちに不具合がでるかもしれません。縁起でもないですが、次回またリカバリしなければならない事態になったとしたらいったい何百の更新プログラムのインストールが必要なのか、そして私がそれに耐えられるのかどうかかは自信がありません。


2015年11月3日火曜日

「飼い主を呼ぶ犬のように」

 りくには見習わなければなららいことがたくさんありますが、その第一は信頼心です。二階に上がって降りられない時もそうですが、その他用事のある時、りくはワンワンないて家族を呼びます。これは相手がやって来るまで続きます。呼んでも来てくれないのではないかなどどいう不安感はみじんもなく、呼べば必ず来ると思っていつまでも呼ぶのです。つくづくすごいことだと思います。

 「散歩に連れてってください。」などのお願い事をする時のお座りも同様です。必ず顔の方向にやってきてきちんと座り、目を合わせて待つのです。「今忙しいから。」と言って目をそらすと、またその方向にきて目を合わせてきます。前足でトントンが出る時もあります。その顔ときたら、「ね、ちゃんと聞いてる?」と問うようなかば不満げ、なかば悲しげな表情なのです。つぶらな瞳で見つめられ、前足でトントンされると願いを聞いてあげざるを得ません。

 カリスちゃんという犬を飼っている女性の牧師さんがいます。家を長時間空ける時は置いておけないので一緒にやってきます。ゴールデンリトリバーのおとなしい子です。教会での地区集会の間などは外につながれていますが、先日は自転車置き場の近くにいたので集会後にちょっとかまってしまいました。(飼い主は近くにあるもう一つの教会に寄ってから戻ることになっていました。)そんなことは知らないカリスちゃんは、ずっと一人だったので遊ぶ気満々で、私は帽子を取られてしまい返してくれません。その場にいた人からは、「やっぱり遊んでくれる人はわかるのね。」などど言われましたが、しばらく遊んでそろそろ帰ろうと思い、帽子を取り戻すのに一策を講じました。
「あ、○○先生。」
と叫んで適当な方向に首を向けると、カリスちゃんはハッっとした様子でそちらを見て口を開けました。その瞬間を狙って帽子を抜き取り作戦成功です。(カリスちゃん、だましてごめんね。) このように、犬は飼い主の名が出ると意識が一挙にそちらに集中し他のことを忘れてしまうのですから偉いものです。

 聖書では犬は散々な扱いを受けていて残念ですが、もし当時の某所に柴犬やゴールデンレトリバーが存在していたなら扱いは一変したことでしょう。彼らが主人に向けるような思いを、人間が神様に対して向けられるなら、神様はどれほどお喜びになることでしょうか。そしてそういう場合には、神様はきっとその人の願いをきき届けてくださるであろうと、これまでの経験から私は思うのです。

2015年10月28日水曜日

「パソコンをめぐる受難」

 パソコンが壊れ修理に出しました。1日、2日ならデジタルデトックスもいいのですが、そうそうのんびりしてもいられません。1年半前に同じパソコンを修理に出したとき緊急に買って、それ以来使っていなかったタブレットを取り出して使うことにしました。このパソコンはOSのバージョンが違うので音声読み上げソフトを入れられず不便なのです。(これを機にバージョンアップした読み上げソフトを注文しました。) タブレットは慣れればよいのでしょうが、わたしにはキーボードが最適なので、キーボード付きタブレットケースを取り付けて使っています。まず困ったのは自宅が無線ランの設定になっていないのでインターネットが使えないこと。KDDIに電話してどうすればよいか尋ねたところ、「こちらから無線ランのレンタル機器を送って使用していただくこともできるが、それだと毎月使用料がかかるので、量販店で無線ラン機器を買って取り付けるのがよいのではないか。」とのお話でした。ご自分の得にならない方法を教えてくださったことに感謝。(もう8年来KDDIだったせいもあるのか、「長く使っていただいてありがとうございます。」と言われました。) こういうことに全く疎いのですが、さっそく機器を購入して付けたら自分でもできました。セキュリティキーとは危機に書いてある暗号化きーのことなのですね。こんな簡単なことだったらもっと早くやればよかったと思いました。これで家中どこでもインターネットが使えるようになりました。メールの設定は依然やった時のままで何もせずに送受信できたのでとりあえず最低限の必要は満たされました。

 そうこうするうち修理に3週間かかるといわれたパソコンが1週間ほどで戻ってきました。ハードディスクの交換だったのでまっさらの状態に戻っています。前回もハードディスクの交換で設定を一からやり直したのでまたあれをやるのかと思うととてもブルーです。身にしみてわかったのはパソコンは壊れるものだということです。購入した時、長期5年保証に入っておいて正解でした。今回も無料でやってもらえてありがたかったです。設定を始めていちばん厄介だったのはメールです。なにしろ全ての設定が飛んでおり、サーバのURLとかユーザーIDおよびパスワードがよくわからない。そこを何とかクリアしたとして、送信サーバ認証等の詳細設定が皆目わからない。いくつか試してダメで思いあぐねていた時、タブレットの方の設定を丸写しすればいいと気づきそれでうまくいきました。ですからタブレットがなければできなかったのではないかと思うのですが、あの時これをどうやって設定できたのか、今となっては忘却の彼方です。また次がないとも限らないので、今度はこの情報はメモに取りノートにしっかり残しました。アナログだけど一番確実です。

 とりあえず必要な設定を終え、パソコンをシャットダウンして「終わった~。」と声を上げたら、パソコンには「203個の更新プログラムをインストールしています。電源を切らないでください。」の文字。パソコンに「ご苦労様です。」と礼を言って就寝しました。夜中にふと見たら、更新は終わったらしく「シャットダウンしています。」の一行のみが書かれていました。そのうち終了するのだろうと思って私は再び眠りに落ちましたが、実は問題はここからだったのです。朝になっても同じ表示のままでしたので、外出予定のあった私はそのまま外出しました。こういう時はひたすら待つことが大事です。ところが7時間後に帰宅した時、画面は真っ暗でしたが電源ランプはついたままでまだ終了できていないことがわかりました。思案のしどころです。もう10時間ほどもシャットダウンできていないのです。このパソコンは自力ではシャットダウンできないのだと私は判断しました。ハードディスクのアクセスランプが消えていることを確認し、電源ボタンを4秒押して強制終了しました。しばらくして再び立ち上げたところ、「Windows更新プログラムの構成をしています。」、ほどなくして「windows更新プログラムの構成に失敗しました。変更を元に戻しています。」の表示が現れ、これが永遠に続くかと思われました。この時点でもう電話で聞くしかないと思いましたがどこにかければいいのでしょう。これは修理に伴うトラブルなのでメーカーのサポートセンターではなく修理先にかけることにしました。若い女性が丁寧に応対してくれわかったことは、ハードディスクを交換すると購入時からの更新プログラムのインストールが始まるので、購入時からの期間が長ければ長いほど時間がかかり場合によっては2日かかるようなこともあると。それから誰かに確認に行かれその後に受けたアドバイスは、「今ハードディスクがチカチカ点滅しているのは正常に動いている状態なので、長い時間がかかってもそのままにしておいてください。」とのことでした。再び壊れたのではないとわかりほっとして、「また困った状態になったらお電話します。」と言って切りました。その後、1時間もしないうちにパソコンは無事再起動し復活したのでした。IT危機に関しては特に感じるのですが、にっちもさっちもいかず途方に暮れた時、適切なアドバイスをしてくれる人は本当に天使のように思えます。まだ一山も二山もありそうですが、わかる人に聞きながら地道に進むしかありません。

2015年10月23日金曜日

「紅春 73」

りくはすっかり元気になりました。兄のいる二階にも時々お邪魔し慣れてきたようです。兄の話では、最初は控えめだったのに今では我が物顔にふるまっているとのこと。ところがそのうち困ったことが起きました。兄が外にいた時のことですが、兄の姿が見えないので二階にいるものと思ったりくは階段を上って二階に行き、ご想像の通り降りられなくなってワンワンないていたというのです。

 また先日私が帰省した時のことですが、買い物に行って帰ってくると、いつもと違って勝手口を開けてもりくが出てきません。たまにりくが和室にいると知らずに襖を閉めて閉じ込めてしまうことがあるので、私は「あ、やっちゃったかな。」と和室に飛んでいきました。しかし・・そうなのです。激しくないている子は二階にいたのです。「姉ちゃん、早く~、降りられないよ、ワンワン。」

 ちょっとした問題の発生です。その日は買い物だけだったので家を空けたのは1時間弱でしたからよかったようなものの、半日留守することだってあるのです。もしその時同じことがおきたら水も飲めずに大変なことになるでしょう。というわけで、階段前でりくをブロックする緊急処置をすることになりました。もちろんりくが自分で階段を降りられるよう訓練することも必要ですが、まずは緊急対策です。兄が日曜大工で作業をし、蝶つがいの板が必要に応じてマグネットで上り口に固着する柵が出来上がりました。留守するときはこれを閉めて出ればりくは二階に上がれません。とりあえずほっとしました。この前のことがあるので、ストレスによってパニック症状がぶり返すような要素は極力除いておかなければなりませんから。柵ができたことをりくがどう思っているのかはわかりませんが、今まで通り兄に用事がある時は階段の下でワンワンやっています。

2015年10月17日土曜日

「神を知らぬ者」

 このところ、小学校の教科書に載っていた八木重吉の詩が頭をかすめます。

うつくしいもの

わたしみづからのなかでもいい
わたしの外の せかいでも いい
どこにか 「ほんとうに 美しいもの」は ないのか
それが 敵であつても かまわない
及びがたくても よい
ただ 在るといふことが 分りさへすれば、
ああ ひさしくも これを追ふにつかれたこころ

 いつの頃からか、日本では偽装が当たり前になりました。食品関係の賞味期限や食材の偽装、一級建築士による耐震偽装も、その後に起きたゴーストライターや幻の万能細胞事件に比べたら、実害がないかわいいものだったといえるほどです。最近では、東京オリンピックのエンブレムの白紙撤回がありましたが、有名アートディレクターの仕事ぶりのお粗末さに驚かされた人も多かったと思います。日本ばかりではありません。フォルクスワーゲン社のエコ偽装の衝撃はさらに計り知れないものでした。日本の小さな企業であれ、ドイツの大企業であれ、人を欺いても業績をあげることが最優先されるのです。比較的品質管理が厳しい国でもこうなのですから、世界中どこでも同じなのでしょう。

普通に考えれば、「それを行うことで得るものと失うものの軽重は子供でも判断がつくのに・・・。」と誰もが思います。これはむしろ基本的に生活を背負う必要のない子供だから判断がつくのであって、日常の積み重ねの中で自己と家族の保全を図らなければならない大人にとっては簡単なことではないのです。仕事が最終的にコストの問題に還元され技術的にそれをクリアできるとなると、罪責感は薄まりその可能性を試してみたい誘惑に駆られるのでしょう。もしくは罪悪感からこれができない場合はその場を去らなければならないという究極の選択を迫られる・・・大人であれば多少なりとも身につまされる話ではないでしょうか。そして一度手を染めてしまうとあとは隠蔽するしかありません。始めはほんのちょっとだった偽装が加速度的に勢いを増していき、本人も怖いくらいになった頃には誰の眼にも明らかな不正として立ち現れてきます。そして残念なことですが、これは程度の差はあれ、こういうことは人間の歴史を通してずっと行われてきたのだろうと思わざるを得ないのです。八木重吉よりずっと前から詩篇の詩人は言っています。

詩編14編1節
指揮者によって。ダビデの詩。
神を知らぬ者は心に言う
「神などない」と。
人々は腐敗している。
忌むべき行いをする。
善を行う者はいない。

これは詩編53編2節にもほぼ全く同じ言葉があります。忌むべき行いの中身は偽装ではないでしょうが、神をなきものとして暮らしていることに変わりありません。そのような局面に落ち込むことなく過ごせますようにと願うばかりです。


2015年10月12日月曜日

「高齢化と少子化の果て」

 高校の頃、「あと40年もすると老人がこんなに増えちゃってるのね。」と話しながら、ふと自分たちもほぼその中にいると気づいて笑えない話になったことがありました。今は60歳と言っても老人扱いしたら失礼でしょうが、一応還暦ですからこの年齢を基準に考えてみます。今現在は60歳以上の人口は国民の三分の一くらいでしょうが、ざっと推測してこれが30年後には二分の一になるでしょう。今でさえ混雑時にはシルバーシートに座りきれないほどの高齢者が若者同様立って乗車しています。まもなくシルバーシートそのものが無意味になって消えるでしょう。国民の半分が60歳以上となるこの頃から、それまでは微減だった人口が急激に減り始めるはずです。シルバーシートの代わりに若い人や子供専用のシートが確保されるようになるかもしれません。

そこからさらに40年経つ頃(すなわち2080年代)には、ざっくり見積もって日本の人口は今の半分くらいになるのではないかと思います。高齢化はいいとしても、問題は少子化です。これまでと同じ仕方で子供が生まれると仮定すると、この頃にはもう十代以下の子供は人口の一割もいない。子供を産める年代の女性の数が今の半分近くまで下がるのでいたしかたのないことです。それから30年すればもう子供は生まれなくなるでしょう。高齢化は防げませんが、少子化の方は本当になんとかする気があればできていたはずなのです。小さな子供を抱えて、「入れる保育所がない。子供は少なくなんかないのよ。多すぎるのよ。」と叫んでいた同僚もいました。結局女性に負わせてきたつけを払わなければならないのです。

将来の展望がどんなに陰鬱でも、この問題に本腰が入らない本当の理由は、一つには「人口問題に口を出すような国はろくな国ではない。」という嫌悪感であり、もう一つは「そんな長期的な視点から国の将来を考えても自分には何一つ益がない。」という実際的な感覚であろうと私は思っています。問題の性質上短期目標を設定する要請がまずないし、遠くを見すぎても気力がわかない。だってそのころもう自分はいないもの・・・・。実際、30年後どころか10年後でさえ、世界がなんとか機能して保たれているのかどうか私には全く想像がつきません。高齢化などという贅沢な問題で悩む前にもっと恐ろしい事態が世界を席巻しないと誰が言えるでしょう。



2015年10月5日月曜日

「フォルクスワーゲン VW」

 フォルクスワーゲンによる米国での前代未聞のエコ偽装事件には本当にびっくりさせられました。びっくりというよりがっかり、いや悲しいに近いなんとも言えない気持ちです。ドイツでは自動車産業は特別の地位にあると思います。シュツットガルトでは駅の上で巨大なベンツのエンブレムがゆっくりと回っておりましたし、ベンツはもちろんポルシェやBMWも自社の博物館を持っていたはずです。比較的南に多い自動車産業の中で、フォルクスワーゲンは北のニーダーザクセン州にあります。州自体が大株主なのですから州の役所や警察関係の公用車はもちろんVWです。なぜかフランクフルトのあるヘッセン州もそうだったような気がするし、とにかく北では優勢という感じでした。ヘルベルトもVWを愛用していました。車で旅行に出る時にいつも乗っていたので私も愛着があり、今回のことは本当に残念でなりません。

 最初は、「そうすることで失うものと得るものを秤にかければ、なぜこんな割に合わないことをしたのだろう。」と思ったのですが、かなり根深い問題がありそうです。ディーゼル車は排気ガス中に存在する「PM」と呼ばれる微粒子と「NOx」なる窒素酸化物の排出削減が技術的に難しい車種らしいのですが、NOxに関しては尿素水を吹いて還元する方法と或る特殊な触媒を使って還元する方法とがあるそうです。ベンツやトヨタは前者を用いていますが、VWは技術的に難しい触媒を使ったタイプを開発してアメリカ市場で販売したということです。ところが米国の厳しい環境基準をクリアするとコストが合わない・・・・ここまでくればわかります。なぜ悪魔のささやきに耳を貸してしまったか、それは物事が単にコストの問題になったからです。触媒を長持ちさせるためには使用時間を短縮すればよい、普段は使わずに検査の時だけ作動するようにすればよい、検査は屋内の決まった環境でなされるからそれを感知できればよい・・・技術的にできることなのだからやらない手はない。これがもう10年も前から行われていた。

 VW自体がもともとは国営企業として生まれたのですが、その後民間企業になっても同族経営にして州も労組も一体みたいな企業であってみればもう何が行われても止めることはできません。この問題は米国に限らずEUにも波及するでしょう。道路で使用すれば違法と警告しつつ部品を提供していたボッシュは無論のこと、スイスでは以前から国内でのこの車の販売を禁止していたというのですから、知っている人は知っていたはずです。そして違っていればよいのですが、ドイツの自動車産業は根底では何らかの形でつながっていると思われるので、他のメーカーにも波及するのではないかと恐れています。まさしく「国民車」のスキャンダルにより、ドイツ・ブランドはいたく毀損されました。国立競技場や東京オリンピックのエンブレムの白紙撤回とは桁が違う、国民が気の毒です。

2015年10月1日木曜日

「紅春 72」

朝、兄からメールが来ていたのでりくに何かあったのかとちょっとぎくっとしたのですが、今回は別な意味でびっくりのメールでした。「二階で寝ていて夜中にふと誰かいる気配がして起きたら、暗闇にりくの姿があった」というのです。そりゃあ驚いたろうと思います。りくはこれまで階段を登って兄の部屋に行ったことはなかったのですから。

 信じられないくらい用心深いりくは、最初赤ちゃんの頃は自分の部屋と思っている茶の間と台所と廊下だけを行き来していましたが、だんだん父が寝室にしていた和室に入れるようになりました。私が使っていた洋間に入れるようになったのはさらにずいぶん時間がたってからでした。お風呂は強制的に入れられていましたからあとは二階だけなのですが、物理的には登れるはずの階段を登って兄の部屋に行くことはなく今日まで来たのです。兄に訴えごと(「兄ちゃん、起きる時間だよ。」とか「姉ちゃんいなくなったから探して。」とか)がある時はいつも階段の下で吠えていましたが、決して登って行くことはありませんでした。

 今回のことは、りくが発作を起こした時に兄が下の部屋で2~3日りくと一緒に寝たことが関係しているでしょう。夜中に目覚めて誰もいない、とっても寂しい、でも上には兄ちゃんがいる・・・と思いだし、会いたい一心で登って行ったのでしょう。りくにしては大冒険だったろうと思います。兄によれば、「来ちゃったけど怒ってなーい?」という顔で布団に伏せていたとのこと。

 それからとりあえず一度散歩に出ようとしたが、急な階段だからか、なかなか降りないので抱っこして降りたと。その後散歩から帰ってよく諭してから別々に寝たら今度はちゃんと寝てたと。何から何までりくらしいと思いました。りく、勇気出したなあ。もう家じゅう、りくに行けないところはありません。9年かかったけど。



2015年9月30日水曜日

「アンスリューム」

 夏の過酷な暑さの中、温室での2週間の耐久テストを生き抜いたのは、やはりベゴニアだけでした。これさえ瀕死の状態でしたが、その後息を吹き返し小さな花を咲かせました。これだけでは少し寂しいなと思い、やっと暑さがひいた頃また花を買いに街の花屋さんに行ってみました。初めて入るお店でしたが、季節柄お供え用のお花や彼岸用のお花を求めるご婦人方で結構込み合っていました。お店の人が他の人の相手をしている間、じっくり店の花を見ましたがあまりピンとくるものがありませんでした。私の番が来ました。
「お客さんは?」
「鉢物で少し長持ちするのがいいのですが・・・」
それでは、というので薦められたのがアンスリュームでした。一見して苦手なタイプでしたが、今朝入ったばかりという新鮮さにひかれて、物は試しと買ってきました。指示通り、バケツにつけるくらい十分水を与えてからよく水切りし、家の中に入れました。温室に入れてみると、あ~ら不思議、これほど映える鉢もない。もともと熱帯のジャングルの木の根元に生える植物なので、多湿に強く葉からも水分を取り込むとわかり、これはいいかもと期待を寄せています。なんでも試してみるものです。

2015年9月28日月曜日

「同年代の問題」

 最近、今の基準からすると十分若い芸能人が癌でなくなったり手術を受けたりということが続けて起きました。長く生きていれば二人に一人が癌になる時代ですし、驚くことではないのですが、やはり同年代ですとこたえるものがあります。これまでも知り合いや知人の姉妹で、ずいぶん早いなと思う歳で同じことがありましたが、この年頃は注意が必要な年代なのかもしれません。もう少し上の年代の方でしたが、「もう約束ができなくなってしまって・・・。」と話されているのを聞き、これは私にもわかる気がしました。予定していても当日元気とは限らない、何回かキャンセルするうち、約束するのが億劫になってくるということなのです。

 これまで病気に縁のなかった人が突然倒れるとか、健康に人一倍気を配った食生活をしていた人が急に病を発症するとか、毎年検診を受けていたのになぜといったケースも多いので、病気になるのに理由はないのだというのが本当のところかもしれません。だからというわけではありませんが、もうこのくらいの年になって許されるのならば、好きなものだけ食べたり、好きなことだけして過ごしたりしてもいいのではないかなあと思うのです。その方が免疫力も高まって病を遠ざけることになるかもしれません。今から思うと仕事というのは最大の中毒、本人が気づかなくても見る人が見れば危険な状態ということもあるに違いありません。同年代の「働き盛り」と呼ばれる世代の方には十分注意していただきたいと思います。


2015年9月26日土曜日

「W杯バレー」

 私の子供時代はとにかくプロ野球の時代でした。相撲はあったもののそれほどの人気ではなく、サッカーJリーグもなかったのでプロ野球の独壇場でした。大人も子供も男は野球の話ができなくては人にあらずといった状況で、女子は同じ試合を毎日見て何が面白いのだろうといつも思っていたはずです。試合を見て薀蓄を垂れながらだらだらしていたら他のことは何もできない。実際2時間以上試合を観戦する代わりに、「プロ野球ニュースで済ます。これなら45分で済むから。」と言っていた人もいたほどです。

 女子のスポーツと言えば、まずバレーボール、少し遅れてテニス、他には思いつきません。「アタックNo.1」「サインはV」「エースをねらえ!」は当時多大な影響を与えた漫画およびテレビ番組です。バレーもテニスも私が集中して観戦できる数少ないスポーツですが、チームプレーの分だけバレーの方が見ごたえがあります。4年に一度なので毎回新鮮な気持ちで見られるのもとてもよいです。この時ばかりはプロ野球ファンの気持ちがわかる。同じ人が出ていても決して同じ試合ではない。ファン心理というのは理屈ではないのです。でもこれが毎年あったのではやはり他のことが手につかないだろうから、これくらいでいいと思っています。

 女子はロンドンオリンピックで銅メダルに返り咲き久々の快挙でしたが、このところ男子バレーは特に低迷していてもうバレーなどする子はいないのではないかと思っておりました。ところがとんでもなかったのです。日本の男子バレー史上最高の逸材と評される選手(まだ19歳、ついこの間まで高校生といった感じ)やバレー歴7年目という選手(普通これでワールドカップレベルになるものだろうか)、慶応から社会人に入ったプリンスも出てきて実に多彩、最終戦まで十一戦も闘う体力はあるのかとの懸念も払拭する出来で、今後に向けて希望のもてるものでした。ただ外国人と比べるとやはり体格、特に骨格がまるで違う。身長差もさることながら「こんなに華奢ではボールを受けた時コートに叩きつけられるのでは。」と心配なほど体が細い。体格は変わらないのでこの差を何かで埋めるには、速さやうまさ、粘りや狡猾さも磨かなければならないでしょう。しかし、自分たちよりはるかに実力が上のチームにもひるまず向かっていく気力が前面に出ていたので、試合ごとに観客が増していく盛り上がりを見せたのは当然のことでした。何であれ若い人が鍛錬し、一生懸命物事に取り組んでいるのを見るのは本当にうれしいものです。でも1か月間集中して観戦したのでやっぱり疲れたな。

2015年9月23日水曜日

「治水」

 鬼怒川の反乱による災害はあらためて大洪水の恐ろしさを見せつけました。この前後の数日間は、都心でもまた東北南部でも怖いくらい雨が降りました。以前水害を経験した関西の友人から安否を問うメールをもらい、返信するうちいろいろと思い出すことがありました。

 ここ何年もかけて裏の河川敷の工事が済んでいたので、今回の大雨は安心して過ごせたのですが、子供の頃は本当に恐かった。昔はもっと川幅も狭かったし、大雨の時は土手下まで濁流が押し寄せ、実際歩行者のための木製の小さな橋は何度か流されたことを思い出します。この、人しか通れない橋は時代と共にだんだん立派になっていき、今でこそ鉄筋に名ていますが、私の記憶にある最初の橋には欄干がなかったのです。まさかと思われるでしょうが、戦場にかける橋そのままに欄干がなかった。ですから、吾妻おろしのひどい時は吹き飛ばされないよう慎重に歩かなければなりませんでしたし、母は油断した中学生が自転車ごと橋から転落するのを見たことがあると言っていました。

 昔は集中豪雨があっても避難勧告など出た記憶がありません。判断は各個人に任されていたのでしょう。何を手掛かりにどういうタイミングで避難するつもりだったのか不明ですが、母は子供たちにもそれぞれ小さなリュックサックに必需品を詰めさせ、それを枕元に置いて皆一緒に床についたのを覚えています。なぜかこういう時に限って父は出張で不在、母はさぞ心細かったことと思います。

 以前は科学技術が発達すれば治水が可能になると考えていましたが、昨今、日本列島が亜熱帯化していることがあるにせよ、どんなに文明が進んでも所詮人間が水を治めることなどできないのではないかと思うようになりました。大雨、洪水だけでなく津波も含めればもうこれは明らかでしょう。

日本の民話「大工と鬼六」を思い出します。川の氾濫で何度も橋を流された人々が、頑丈な橋を架けることを大工に依頼します。川の中から現れた赤鬼は希望通りの橋を架ける代わりに、大工の目玉を要求します。恐くなって山に逃げ込んだ大工は鬼たちの集会を目撃し、赤鬼の名が鬼六であることを知ります。再び川へ戻った大工は鬼と対峙し、自分の名前を言い当てたら目玉は取らずに見逃してやるという赤鬼に対して、「お前は鬼六だろう。」と答えると赤鬼は川の中に姿を消し、その後は赤鬼が現れることも橋が流されることもなくなったという話です。子供心にも示唆深い物語でしたが、つい最近放送された、サイバーテロと闘う日本のトップ・プロによる、「攻撃を止めるには相手を突きとめて、”I know you”を突きつけることだ。」という言葉と照らし合わせて、今も昔も、どんな事象でも、それをおさめるには相手が何者であるかを知ること以外ないということを知らされます。

詩編69編2~3節
神よ、わたしを救ってください。大水が喉元に達しました。
わたしは深い沼にはまり込み
足がかりもありません。大水の深い底にまで沈み
奔流がわたしを押し流します。

詩編77編17節
大水はあなたを見た。神よ、大水はあなたを見て、身もだえし
深淵はおののいた。
詩編77編20節
あなたの道は海の中にあり
あなたの通られる道は大水の中にある。あなたの踏み行かれる跡を知る者はない。


2015年9月18日金曜日

「詩編の詩人の言葉から」

 人が孤立するとどれほど危険な存在となるかは、JRの架線切断事件や熊谷での強盗殺人事件を待つまでもありません。自分以外に心の思いを打ち明けて話せる人がいないとなれば、自分が神にならざるを得ないのです。自分の思いをぶつける相手がおらず、不満をため込み募らせていくことがどれほど深い闇に人間を追いやることか。

 詩編を読む時、まず圧倒されるのが神とのあまりの近さです。こんなに何でも話してよいのかと、いぶかしくもありうらやましくもあるほどです。えげつないほどに敵の殲滅を願う気持ちなども包み隠さず話しています。詩編を読んでいると、わだかまりを心に持つよりは何でも話した方がよほどよいのだとわかってきます。なぜなら、彼らにはそこに話すべき唯一の神がいるからです。彼らはどれほど一人であっても孤独ではないのです。

詩編46編(新共同訳)
46:1 【指揮者に合わせて。コラの子の詩。アラモト調。歌。】
46:2 神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。
46:3 わたしたちは決して恐れない/地が姿を変え/山々が揺らいで海の中に移るとも
46:4 海の水が騒ぎ、沸き返り/その高ぶるさまに山々が震えるとも。〔セラ
46:5 大河とその流れは、神の都に喜びを与える/いと高き神のいます聖所に。
46:6 神はその中にいまし、都は揺らぐことがない。夜明けとともに、神は助けをお与えになる。
46:7 すべての民は騒ぎ、国々は揺らぐ。神が御声を出されると、地は溶け去る。
46:8 万軍の主はわたしたちと共にいます。ヤコブの神はわたしたちの砦の塔。〔セラ
46:9 主の成し遂げられることを仰ぎ見よう。主はこの地を圧倒される。
46:10 地の果てまで、戦いを断ち/弓を砕き槍を折り、盾を焼き払われる。
46:11 「力を捨てよ、知れ/わたしは神。国々にあがめられ、この地であがめられる。」
46:12 万軍の主はわたしたちと共にいます。ヤコブの神はわたしたちの砦の塔。〔セラ

11節の「力を捨てよ、知れ/わたしは神。」は、文語訳では「汝ら静まりて我の神たるを知れ」でした。これもまたすばらしい訳です。口語訳も捨てがたい。1章1節は、
「悪しき者のはかりごとに歩まず、
罪びとの道に立たず、
あざける者の座にすわらぬ人はさいわいである。」

もう初っ端からすごい。安保法案を強行採決した国会の大混乱を見ても、私の心は騒ぐことがありませんでした。「主の成し遂げられることを仰ぎ見よう。主はこの地を圧倒される。」

2015年9月12日土曜日

「平和をつくり出す者」

 今ほど日本の未来が揺らいでいる時はないでしょう。平和憲法は今や風前の灯です。このところの報道や国会中継を聞いていると、偽りの言葉をもって人々の危機感をあおり、戦争への道のりを突っ走ろうとしている方々がいることがはっきりわかります。もはや、恐ろしいはかりごとを隠すことなく、底知れぬ戦争とテロの連鎖に国民を引きずり込もうとしているのです。

詩篇35編17節~28節
主よ、いつまで見ておられるのですか。彼らの謀る破滅から
わたしの魂を取り返してください。多くの若い獅子からわたしの身を救ってください。
優れた会衆の中であなたに感謝をささげ
偉大な民の中であなたを賛美できますように。
敵が不当に喜ぶことがありませんように。無実なわたしを憎む者が
侮りの目で見ることがありませんように。
彼らは平和を語ることなく
この地の穏やかな人々を欺こうとしています。
わたしに向かえば、大口を開けて嘲笑い
「この目で見た」と言います。
主よ、あなたは御覧になっています。沈黙なさらないでください。わたしの主よ、遠く離れないでください。
わたしの神、わたしの主よ、目を覚まし
起き上がり、わたしのために裁きに臨み
わたしに代わって争ってください。
主よ、わたしの神よ
あなたの正しさによって裁いてください。敵が喜んで
「うまく行った」と心の中で言いませんように。「ひと呑みにした」と言いませんように。
苦難の中にいるわたしを嘲笑う者が
共に恥と嘲りを受け
わたしに対して尊大にふるまう者が
恥と辱めを衣としますように。
わたしが正しいとされることを望む人々が
喜び歌い、喜び祝い
絶えることなく唱えますように
「主をあがめよ
御自分の僕の平和を望む方を」と。
わたしの舌があなたの正しさを歌い
絶えることなくあなたを賛美しますように。

 先日、4度目の安保関連法案の反対集会に行きました。新宿伊勢丹前の歩行者天国道路です。時折激しく降る雨の中、新宿駅に向かって先が見えないくらい大勢の人が集まっており、傘が開いたり閉じたりしていました。考えてみればあらゆる世代の老若男女がこのように集まる集会は稀有と言ってよいでしょう。

  思いは一つ、「戦争やめろ」、「憲法守れ」、本当に願いはこれだけなのです。(この日スピーチされた京都大学名誉教授で「朝日歌壇」選者の永田和宏さんが紹介された歌に、「「総理大臣からその国を守らねばならないといふこの国の危機」というものがありました。どれほど情けないことか、他の何よりも総理大臣から自国をまもらなければならないとは。この問題はすでに政治問題であり、そうであればシュプレヒコールに安倍はやめろ」「集団的自衛権はいらない」も加わります。) 雨の中、全員でこれをコールする、強く、強く、強く、思いを込めて。

 「自分の将来が不安」という若者より「日本の将来が不安」という若者の方が多いといいます。無理もないです。戦争したくてたまらない大人がこれだけいて、ごまかしだらけの法案を通し、もういつどこでも米軍の戦争に加担しようとしているのですから。大人の多くが「せめて自分が生きているうちには戦争が起こらないでほしい。」と思っていたり、株が何十年ぶりの上げ幅だとかいうようなことばかりを大々的に放送する安倍様のNHKとなり果てた公共放送を聞いたり、他局にしても消費税アップ時の軽減税率(これも還付金方式という全くデタラメなもの、マイナンバーと抱き合わせで実施しようとしている、けしからん話である。)について、「安保法案でもあれだけ反対があったのですから、もっと身近なこの問題はどれだけ反対があるでしょうか。」などとあきれ果てたコメントをするキャスターがいるこの国の将来が不安にならないわけがないでしょう。(安保法案に関してはテレビ局でかろうじてがんばっていたのはTBSだけだと思う。) 鬼怒川流域の大洪水で濁流に飲み込まれそうな家の屋根から、家人の災難救助にあたる自衛隊員を見て、これこそ私たちが切望する自衛隊の活動なのだとどなたも思ったことでしょう。安倍首相は「人命第一」と言っておりましたが、それにはまず安保関連法案を撤回することしかないとなぜわからないのでしょうか。さっそくイスラム国が、日本を米国が主導する軍事作戦に参加する「連合国」の一員として非難し、日本の在外公館への攻撃を呼び掛けていることが報道されました。ここで明確に言っておきたいのは、「やがて必ずや国内で起こるテロに関して安倍首相、あなたは200%責任がある」ということです。戦争とテロをもたらすあなたは国にとっての災いです。平和的に安保法案に反対してきた全ての人が決してあなたを許さないでしょう。

平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。(マタイによる福音書5章9節)

2015年9月11日金曜日

「紅春 71」

 りくの発作が起きてから初めて福島に帰る時が来ました。ドキドキでした。扉を開けた瞬間、フラッシュバックが起きて大変なことになったらどうしようと頭の中で考えていました。普段は家に近づくと侵入者を察知してワンワンが始まるのですが、この日は扉を開けるまで何の音沙汰もなかったのでやはりまだ治っていないのかと不安でした。しかし扉を開けて少しするとりくがとことこやってきていつもの挨拶をしました。「姉ちゃんお帰り。どこ行ってたの、ワンワン」と。私の足音が降り続く雨にかき消されて聞こえなかったようでした。

 それから、りく最優先で様子を見ながら、遊ばせたり寝かせたりしましたが、すっかり元のりくに戻っているようでほっとしました。「ゆうれい手っこ」(うらめしやのポーズ)で「お腹をなでて」というのも前と同じです。一番心配だった散歩は、「行きたい」といった時に雨でも行きましたが(大雨の時は本人が行きたがらないので小雨の中です。)、なるべく行きたいように行かせ、あまり歩くと足に疲労が出るかと短めにしました。引き返す時ちょっとドキドキ、前にちょっと綱を引いたらパニックを起こしたから。でももう大丈夫。本当によかったです。あの時、頭の中の恐怖回路が確立してしまっていたら、一生治らない危ないところでした。兄が極力いつもの生活に戻して過ごしてくれていたおかげで治ったのだと思います。兄には本当に感謝です。


2015年9月7日月曜日

「紅春 70」

この写真は8月なかばに「りくにも夏休みを」ということで、茂庭のダムを見に行った時の写真です。この時はよかった。この日に帰れたらどんなんにいいことか。りくに未曾有の事態が起きたのは翌々日でした。午前3時頃、「キャン」という聞いたことのないりくの鳴き声が聞こえ、「どうしたの。」と声をかけると、けたたましい「キャンキャン」が始まったのです。どこか痛いのか、何があったのかまったくわからず、ただならぬ発作という感じでずっと止まりませんでした。兄もすぐ降りてきて小一時間ほどあやしながら過ごしました。夜が明けて、その日はお盆真っただ中の日曜でしたが、やっている動物病院をさがして連れて行きました。あれからずっと鳴き声は「キャン」で「ワン」が一度も出ていません。獣医の先生はとてもよい方で、どこが痛むのか丁寧に診てくださいましたが、診察室ではりくに異常は見られず、とりあえず痛み止めを打ってもらい家に帰りました。

 しかし、翌日も翌々日も発作がたびたび出るようになり、どうもパニック症状のようなものではないかと思うようになりました。何かでスイッチが入ると、キャン鳴き、動悸、体の震えなどが止まらなくなるのです。散歩中にこれが起きた時は生きた心地がしませんでした。原因として思い当たるのは、というよりもいつもと違うことをしたのはそれだけなのでそう考えるしかないのですが、前日に連れて行った盆踊り見学です。前にも行ったことはあったのですが、今回何らかの理由で怖い体験として残ったのではないかと思うのです。土手下の会場までは降りず、上から眺めただけで花火の始まる前に帰ってきたのですが、少し遠かったし夜だったし結構な人出だったのがいけなかったのではないか。りくにも夏らしい体験をと思ったのがあだになりました。りくも歳をとってきているので、少し長めの散歩とかいつもと違う体験とかに対応できなくなってきているのかもしれません。行かなきゃよかったと心底悔やみました。りくには本当に申し訳ないことをしました。

 発作が始まる原因はわかりませんが、散歩から家に帰ろうとしたり、外から家に入れようとしたり、家の中で一緒にいる時その場をちょっと離れようとしたり、りくにとって何かいやだと感じることが引き金になるのかもしれません。兄にはべったり甘えていますが、恐怖体験をしたとき一緒にいた私にはちょっと距離を置いている時があります。記憶がよみがえるのかもしれません。そのことでかなりへこみましたが、私の具合が悪い時などはちゃんとわかって一緒にいてくれたりします。

 数日後私は東京に戻らなくてはなりませんでしたが、りくが怖い記憶を忘れるにはその方がいいかと思いました。私とともにフラッシュバックが起きないとも限らないからです。しかしその夜、発作がひどく出て再びりくを病院に連れて行ったと兄からメールが来ました。レントゲン、血液検査異常なし。やはり精神的なものなのか。獣医さんの話では、「発作は出る時には出る」ということなので、兄は発作以来下の別室でりくと一緒に寝ていたのですが、これまで通り二階に戻り別々に寝ることにしたそうです。東京で私は臨戦態勢でいつヘルプの要請がきてもいいように荷造りしたままでした。メールでりくの様子を尋ねると、本当に少しずつではありますが回復してきているようで、ワン鳴きも復活し、猫や郵便屋さんにも反応するようになってきたとのことでした。

 この三週間は悪夢のようでした。心の中でずっと、「りく、ごめんな。姉ちゃんが悪かった。」を繰り返していました。兄は、長めの散歩などで筋肉痛や関節痛が起きている可能性も捨てきれないと思っているようですが、いずれにしてもりくの加齢は侮れないということを痛感しました。人間で言えばもう還暦なのですから、やはり心身ともに思いもしなかったことが生じるのでしょう。私の感触では、パニック症状は圧倒的に「雄」に起きやすいのではないかと思います。繊細な柴男の中でもりくは特に繊細な方だと思います。あっという間に壊れてしまうさまを見て震撼しました。ドイツに住む例の柴女だったらこうはなっていなかったでしょう。目新しいことをするより毎日の習慣を淡々と行いゆっくり過ごさせてやりたいと思います。再発の可能性を考えるとまだまだ安心できません。






2015年9月2日水曜日

「安保法案反対集会 その2とその3」


8月26日は体調不良でしたが、やはり行かねばなるまいと思い日比谷の野音に出かけました。日弁連、学者の会(創価大学有志の会も1500だったかの署名をもって参加、数字は記憶が定かではありませんが、この運動をするのは「勇気がいった」という言葉は記憶に残っています。)、ママの会、学生の会、市民、野党議員(辻元清美、福島瑞穂も参加。他には共産党議員が十数名でしょうか。)、雨模様にもかかわらず総勢4000人ほど集まったようです。「誰の子供も殺させない。」がスローガンのママの会のスピーチがものすごい迫力でした。シールズ(学生の会)からその日スピーチした方は、「もう疲れました。」と言ってはいましたが、話の中で次のようなことを述べていました。

「シールズがんばれっていわれるけど、これって僕たちだけの問題じゃないですよね。このようあんが通ったら、そのあとどうするんだと、まだ法案が通ってもいないのに心配されるんですよ。法案が通ったからといって終わりじゃない。僕たちにとってこの問題はずっとずっと続いていくんです。」と。
まさにそうなのです。この法案が通ったら、まさにその時こそもっと激しく抵抗しなければならないのです。それから彼は希望についての或る人の言葉を紹介しました。

「希望は逆説的である。(中略)希望は、うずくまった虎のようなもので、跳びかかるべき瞬間が来た時に初めて跳びかかるのだ。(中略)希望をもつということは、まだ生まれていないもののためにいつでも準備ができているということであり「たとえ一生のうちに何も生まれなかったとしても、絶望的にならないということなのである。(中略)弱い希望しか持てない人の落ち着くところは、太平楽か暴力である。」
「強い希望を持つ人は、新しい生命のあらゆる徴候をみつけて、それを大切に守り、まさに生まれようとするものの誕生を助けようと、いつでも準備を整えているのである
 「希望を持つというのは一つの存在の状態である。それは心の準備である。はりつめているがまだ行動にあらわれてはいない能動性を備えた準備である。」 

 この或る人というのはあとで調べたところ、エーリッヒ・フロムの「希望の革命」よりの言葉と判明、知らなかった。フロムがこんなことを言っていたのか。私はこの言明に全面的に賛同したいと思います。それはまた、イザヤ書4031節の言葉をも想起させます。
「主に望みをおく人は新たな力を得
鷲のように翼を張って上る。
走っても弱ることなく、歩いても疲れない。」
このスピーチをした学生さんは、名前からしてもしやと思ったのですが、どうも父上が牧師さんのようです。今後もキリストの平和のうちに歩んでいってほしいと、神のご加護を祈らずにはおれません。

私にとっての3回目の集会は、8月30日の10万人国会行動でした。この日は日曜でしたので、礼拝とそのあと行われた年に一度の恒例行事に参加してから、国会へ向かいました。すでに3時近かったので、警察による規制のバリケードが張られており、永田町の駅出口の角の交差点から国会方面には一歩も動けない状態でした。雨の中、大勢の人が集まっているのはわかりましたが、その実態を知ったのは毎日新聞が飛ばしたヘリからの空撮写真によってでした。「こんなふうだったんだ・・・。」と、12万人集結のすごさを実感しました。安倍内閣はどうあっても法案を通すつもりですが、「国民の生命と平和な暮らしを守るのは政府の責任だ。」(8月31日の記者会見での菅官房長官の発言)というような、国民を出しに使ったおためごかしの口実だけは絶対に許さない。

 安保法案が出てからずっとそのことで心を悩ませ、私も疲れました。主よ、いつまでなのですか。

 


2015年9月1日火曜日

「要約すると」

 一読して次の文が何を言いたいのか分かる方は、どのくらいいるのでしょうか。

戦後七十年にあたり、今こそ先の大戦への道のり、戦後の歩みを振り返り、未来への知恵を学ぶ時です。
かつて西洋諸国による帝国主義時代には植民地支配があり、その危機感が日本を近代化させたことは事実です。アジアで初の立憲政治国家となり独立を守り、日露戦争はアジア・アフリカの人々に勇気を与える快挙でした。
死者一千万人を出した最初の世界大戦後、民族自決の動きが進むと同時に、平和を願って国際連盟が創られ、不戦という国際社会の潮流が生まれました。
当初その流れに加わった日本も、その後の世界恐慌と欧米諸国の経済ブロック化によって経済が立ち行かなくなり、軍事力による問題解決へと動き出しました。政治システムはそれを止めることができず、満州事変、国際連盟からの脱退を経て、戦争への道を歩んでいき、ついに敗戦を迎えました。七十年前のことです。
国内外のすべての犠牲者に痛惜の念と、世々限りない哀悼の誠を捧げます。
 先の大戦で亡くなった三百万余の同胞の中には、酷寒あるいは灼熱の戦地にあった人々、広島、長崎の原爆の犠牲者、東京ほか各都市で空爆にあった方々、沖縄の地上戦での犠牲者等があります。
戦場となった中国、東南アジア、太平洋の島々などの地域では、多数の若者の命が失われただけでなく、一般市民の犠牲や尊厳を深く傷つけられた女性の存在を忘れてはなりません。
夢も家族もあった無辜の人々に、我が国が計り知れない損害と苦痛を与えたという取り返しのつかない歴史をかみしめる時、断腸の念を禁じ得ません。
 現在の平和は、このような尊い犠牲の上に成っているのです。
二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。
事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。すべての民族の自決の権利が尊重される、植民地支配のない世界にしなければならない。深い悔悟の念と共に我が国はそう誓って、戦後我、不戦を貫く自由で民主的な国家を創ってきました。七十年間に及ぶ平和国家としての歩みをこれからも貫いていきます。
我が国は先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。そして実際の行動として、東南アジアや近隣諸国の人々の平和と繁栄のために尽力してきました。
 こうした歴代内閣の立場は、今後も揺るぎないものですが、私たちがいかなる努力を尽くそうとも、家族の喪失、戦禍の苦しみを被った方々の記憶は癒えることがないでしょう。
ですから、六百万人を超える引揚者が戦後日本の原動力となったこと、三千人近い中国残留孤児が成長して祖国に戻れたこと、米国や英国、オランダ、豪州などの元捕虜の方々が訪日し相互慰霊を続けている事実を忘れてはなりません。
それは、幾多の葛藤と努力を経たのちに示された寛容さに他なりません。
寛容の心で和解のために尽力し、日本が国際社会へ復帰を果たす手助けをしてくださったすべての国々、すべての人々に心から感謝します。
 戦後生まれの世代が八割を超える現在、あの戦争には何ら関わりのない世代および未来の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりませんが、一方で、世代を超えて過去の歴史を直視し、謙虚な気持ちで過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。
戦後の焼け野原からの復興ができたのは、先人の努力と共にかつての敵国から善意と支援をいただいたおかげであり、そのことを私たちは語り継ぐ必要があります。歴史の教訓を忘れず、アジアと世界の平和と繁栄に尽力する責任があります。
 我が国はいかなる紛争も平和的・外交的に解決すべく、世界の国々に働きかけ、また核兵器の不拡散と廃絶を目指し、国際社会で責任を果たしていきます。
 私たちは戦時下において尊厳や名誉を傷つけられた女性たちの過去を忘れず、二十一世紀こそ女性の人権が守られるよう、世界をリードしていきます。
経済のブロック化が紛争につながった過去から学び、我が国は自由で公正な国際経済システムを発展させ、発展途上国を支援してきました。今後も暴力の温床ともなる貧困をなくし、世界に医療、教育、自立の機会を提供していきます。
 我が国は過去の歴史を忘れず、自由、民主主義、人権といった同様の基本的価値を堅持する国々と共に、「積極的平和主義」のもと世界への貢献を推し進めていく、そう決意しています。

 以上は、1784字ほどの文ですが、「安倍談話」の原文をやっとのことで半分程度に縮めたものなのです。もっと短く大意要約したかったのですができませんでした。たとえ林先生でも頭を抱えるのではないでしょうか。要約できなかったのは難しい文だからでも拙い文だからでもなく、要約されないことを目指して書かれた文だからです。その理由は要約されたら大変なことになるからでしょう。

唯一わかるのは、どうあっても謝りたくないということです。確かに4つのキーワードのうち、「痛切な反省」と「心からのお詫び」は出てきます。これまで繰り返しその気持ちを表明してきましたよという形で。「植民地支配」という言葉は原文では3度出てきますが、そのうち2度はそもそも西洋諸国が始めたものだという文脈で使われており、なぜか体言止めで登場する「侵略」というキーワードとともに、日本がそれを行ったという明確な言及がないのです。(ただし、西洋諸国に対する微妙な配慮のためか、帝国主義という言葉は用いられていません。) また、戦後深い悔悟の念で不戦を誓ったのは我が国であり、ご本人ではありません。

 一番わからなかったのは、まん中あたりに出てくる「ですから」という接続詞です。「アジア、近隣諸国の平和と繁栄のためにどんなに尽くしても、戦争によって味わった苦しみは癒えない」、ことがなぜ、「引揚者の帰還、残留孤児の帰還、欧米系戦争捕虜による訪日相互慰霊といった事実を忘れてはいけない」ことにつながるのか、その理路がさっぱりわからないのです。(しかも原文は倒置による体言止めになっており、これがわかりにくさを一層深めています。この表明文では、言いにくいことや言いたくないことを述べる時のくせが体言止めとして表れているようです。) これはもしかして、村山談話には一度も出て来なかった「寛容」という言葉と関係があるのでしょうか。(ちなみに、原文を半分以下の約500字に要約した村山談話は文末にあります。こちらは趣旨が明確に理解できました。) 安倍談話の原文では、2度「寛容」という言葉が出てくるのが特徴的で、その心をもって日本の国際社会への復帰に尽くしてくれた国と人に謝意を示しています。裏返せば、寛容の心を欠き、事あるごとに反日をもちだす国と人に、それとなくジャブを放っているのです。

 信じられなかったのは、前半にある「尊い犠牲」という言葉の使い方でした。アジアにおける戦争のあらゆる犠牲者は尊い犠牲のはずがありません。彼らは悲惨なただの被害者です。これには戦争で亡くなった方は全て英霊であるというような感覚が働いていることは間違いないでしょう。はしなくも露呈した首相の歴史認識に愕然とし、だからこそ夢も家族もあった無辜の人々に計り知れない損害と苦痛を与えたとしても、断腸の念すなわち「悲しくつらい」と感じるだけなのでしょう。安倍談話のわずか三分の一あまりの字数で書かれた村山談話に2度使われた「反省」という言葉は、安倍談話では1度、それも村山談話の引用という形で出てくるだけです。いうまでもなく、「痛惜の念」も「哀悼の誠」も「断腸の念」も、「反省」とは違うものです。

 これまでなかった点として目を引くのは、8割を超えた戦後世代に「謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」というくだりです。村山談話では、「私たち」という言葉は日本国民という意味で使われていますが、安倍談話の場合、場合によっては「戦後を生きてきた世代」に限定して使ってもいるのです。このいわば「もう謝りませんよ」宣言は、近年の近隣諸国、殊に韓国の対日姿勢に対する答えに相違ないと思いますが、これが通るのならどんなに楽かと思いつつ、その場合やはり国民国家は崩壊せざるを得ないだろうと思います。

 また、村山談話では一度も使われなかった女性という言葉が3度使われていますが、これは安倍首相が目指す「女性が活躍する社会」へのアピールに結び付けられており、日本が「女性の人権が守られるよう、世界をリードしていく」であろうということを、よもや信じる人はいないでしょう。

安倍首相は決意の締めの部分で、日本は自由で公正な国際経済システム(これはすなわちグローバル経済のこと)を発展させ、自由、民主主義、人権といった基本的価値を共有する国々とは、ともに「積極的平和主義」のもと、世界の平和と繁栄に貢献したいと述べています。言い換えれば、価値観を共有できない国と手を携えて進む道を模索する気はないということです。このような中で達成される平和と繁栄がどのようなものになるか、想像がつくというものです。積極的平和主義とはその地ならしをするためのものであり、そのような日本を今後戦後百年に向けて創り上げていく決意だというのです。

こうして、安倍談話をよくよく読んでみるとぞっとする決意表明文です。安倍首相が知ってか知らずか遂行している国民国家の解体が進んで、「私は除けといて。」と言えたらどんなにいいだろうと思うほどです。人間にとって一番難しいこと、人間が一番したくないことは、「自らの非を認めて謝罪すること」と「相手の非を赦すこと」だと思うのですが、安倍首相は自分は回避し続けていることを相手には要求するという態度ですから、国際社会でまともな評価をされるはずがありません。村山談話の最後の言葉にあるように、政治家に最も必要な信義が彼には全く欠けているからです。

おまけ
  以下は、「安倍談話を500字以内で要約し、書かれていない結論を推測して50字以内で述べなさい。」というテスト問題が出た時の、私の解答です。

戦後七十年、今こそ先の大戦への道のり、戦後の歩みを振り返り、未来への知恵を学ぶ時です。
かつて西洋諸国による帝国主義時代には植民地支配があり、その危機感が日本を近代化させ、日本はアジアで初の立憲政治国家となりました。最初の世界大戦後の平和の潮流を壊したのは、世界恐慌と欧米諸国の経済ブロック化です。軍事力による問題解決を図った日本は戦争に敗れました。国内外の全ての尊い犠牲者に深い哀悼を捧げます。
戦後我が国は、繰り返し痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明しており、実際に東南アジアや近隣諸国の人々の平和と繁栄のために尽力してきました。しかし、どんなことをしても戦争の惨禍を被った方々の記憶が癒えることはなく、それができるのはただ寛容の心だけです。寛容の心で日本の国際社会への復帰を助けてくださった国々や人々には心から感謝致しますが、戦後世代の人たちにこれ以上謝罪を求めないでください。
我が国は過去の歴史を忘れず、グローバル経済を発展させ、自由、民主主義、人権といった基本的価値を同じくする国々とは、「積極的平和主義」のもと世界への貢献を推し進めていこうと決意しています。 (486字)


結論:ですから、基本的価値を共有しない国々の脅威に対抗するためには、集団的自衛権が不可欠なのです。 (46字)




村山談話要約
戦後50年、内外の多くの犠牲者を思い胸が痛みます。
戦後の復興は国民一人一人の努力の賜物であり、またこれまで寄せられた世界の国々の支援と協力に感謝します。また、アジア太平洋諸国・米国・欧州との間に友好関係が築かれたことは大きな喜びです。
私たちは過去の過ちを繰り返すことのないよう、平和な日本において若い世代に戦争の悲惨さを語り伝え、世界においては諸国との間に理解と信頼を築くため平和交流事業をしています。また、戦後処理問題にも引き続き誠実に取り組みます。
今心に銘記すべきは、歴史を学び未来への道を誤らないことに尽きます。
我が国は先の大戦で、国民を存亡の危機に陥れ、またアジア諸国の人々に植民地支配と侵略による多大の損害と苦痛をあたえました。痛切な反省と心からのお詫びを表明し、内外の犠牲者に深い哀悼を捧げます。
この深い反省から、我が国は独善的ナショナリズムではなく国際協調に立って、平和と民主主義を推進する責任を負っています。同時に被爆国として核兵器の廃絶、核の不拡散など国際的軍縮の推進を担うこと、これこそが犠牲者に対するつぐない、鎮魂でありましょう。
政治はなによりも信義の問題なのです。 (494字)



2015年8月24日月曜日

「ネットサービス諸々」

 年金機構のコンピュータからデータが流出したことが大問題となった時、今年動き出す予定のマイナンバー制度でも同じことが起きるのではないかとの危惧が取り沙汰されました。実は私は少し前に住民基本台帳カードを作っていました。住民基本台帳にしてもマイナンバーにしてもいろいろと問題がある制度ではありますが、データが漏れても漏れなくてももう作られているものなのですから使わない手はないのです。住基カードの便利なところは、コンビニのマルチコピー機から住民票や印鑑登録や課税証明などが取れることで、朝6時半から夜11時まで大丈夫だしなんと料金は役所で取る時の半額です。楽なのに安いのです。

 こういう便利さを初めて感じたのは、ビューカードを作ってえきねっとで新幹線の予約ができたときでした。窓口に並ぶ必要がない、予約だけしておけば当日乗る前に券売機からすぐ切符が買えるというので本当に楽になりました。さらなる驚きだったのは、普通らくで便利なものはそれなりの手数料が必要なのにこちらは逆に安くなっているということ。高速バスでも、ネット通販でもみんなそうで、要するに費用がかさむ原因は人件費だということにようやく気付きました。だからインターネットが使えないと不便なだけでなく実質的な損失を被ります。インターネットの社会とは、持てる者は労せずに富を増し、持たざる者はより一層貧するという格差の増幅を内包しているものだということがよくわかります。

 以前からよく利用している外資系通販会社から注文品が届くのが速くなったと感じていたのですが、今月来たクレジットの明細書を見てそのからくりがわかりました。年会費の請求があって初めて気づいたのですが、驚いたことにいつのまにか自分がプライム会員になっていたのです。会員登録をした覚えはなく、調べてみると「体験」から一定の時間が経つと会員になってしまうらしいと知り、開いた口がふさがりませんでした。こういうことに疎い人がいるのをいいことに、いつのまにか年会費を引き落とすとは、これは詐欺ではないのでしょうか。すぐに退会手続きをとりましたが覆水盆に返らずです。某通販サイトに対する信頼も揺らぎました。サービスを利用した以上たとえ詐欺ではないにせよ、あまりにえげつないやり口に憤懣やるかたない気持ちです。私は朝注文して夕方届くような、それほどの速さを求めていません。日本水準で普通の、ほどほどの便利さで、そして事前にきちんとした説明責任と意思確認を果たす誠実さをもって商売を営んでほしいと願っています。



2015年8月18日火曜日

「犬たちに学ぶ安全保障」

 犬たちの世界にも様々な掟と関係性があるようです。以前「紅春 44」に電飾ガオー君のことを書きました。あの子はとにかく凶暴でそれゆえ普通の時間帯には散歩ができないのです。それでも飼い主さんに大事にされている様子はほほえましいのですが、犬社会ではやはり困った存在と言ってよいでしょう。りくがすれ違いざま襲われた時、りくは前足で相手を突いて身を振りほどくなりなにがしかのやり返しをしたのですが、これこそが正当防衛、国でいえば個別的自衛権の行使でしょう。両者の飼い主が真っ先にしたのは二匹を引き離すことでした。被害を出さないためには戦わせないことしかないのです。最悪なのは加勢が来ること。りくなりガオー君なりにそれぞれ味方がやってきたら、興奮した犬たちはもう収拾がつかず戦いは激しくなりまた拡大するのは火を見るより明らかです。だから集団的自衛権は絶対だめなのです。

 もう一つの例は毎朝のことなのですが、散歩から帰った後しばらくりくを外に出しておいた時のことです。そういう時りくは土手の道を通る人たちに挨拶したりされたりしています。大人も子供も知っている人は土手の上から「りくちゃ~ん」と声をかけてきます。りくはおすわりをして見送ります。ところが先日、犬たちの激しいガウり声が聞こえ飛んでいくと、大きくてでっぷりしたコリーと飼い主のおじさんがいて、犬同士は一戦を交えた模様でした。おじさんは平謝りしており、私はりくに怪我がないことを確認しほっとしました。このコリー君はゆったりしたおとなしい子で、普段土手の道ですれ違う時はなんの問題もありません。この時はコリー君が「りくに会いたい」というのでおじさんが庭まで連れて来たとのこと。私がその場にいれば展開は全く違ったのでしょうが、はっきりしたのはりくがこれを縄張りの侵害と受け取ったということです。りくはいつも縄張りの保全に余念がなく、猫などの敷地荒らしを許しません。今回もりくはりくなりに家を守らなければと行動に出たのです。ここからわかることは、国家でいえば普段から領土の保全にこまめな目配りをしながらしっかり防衛することと同時に、自国が他国を侵犯したと受け取られかねない行為は極力避ける、すなわち外へ出て行かないことが一にも二にも大事だということです。同盟国の援軍のつもりで第三国の領土へ出て行ったりするのはもってのほかです。

 犬は本能的に戦いを最小限にしようと行動しています。無意味な殺し合いはしないのです。なんと賢い生き物でしょうか。国会で審議中の安保法案の趣旨は、「自国が攻撃された時だけでなく、自国の存立や国民の生活に危機が迫っている時も攻撃できる。自国と密接な関係のあるる同盟国とともに世界中どこでも軍事行動ができる。」ということですが、これが「”戦争”法案」以外の何物でもないことは明白でしょう。結局そのために用いられている論拠は大きく二つ。

「自国の平和が他国の兵士の血の上になりたっている、これでよいのか。」 (「戦争に行きたくないというのはわがままだ。」という自民党若手議員のホンネはこれを延長させたもの)
「今日日本の安全保障環境は大きく変化している。横暴なふるまいをする外国の脅威には軍事力で対抗する姿勢を見せることが抑止力になる。」

 これらについては端的に「その論拠は的外れですよ。」と言っていくしかないと思う。前者については、「戦争で血を流したくないなら戦争をやめるしかないですよ」と言い続けること。「皆が戦争をやめれば血は流れない。加勢に行くのは戦争が拡がるばかりなので、絶対ダメ」と。米国の腰巾着でかつスキだらけの日本でイスラム過激派のテロが起きないのは、「曲がりなりにも平和な国として他国で人を殺してこなかったから」以外の理由があるでしょうか。米軍の軍事行動に加わった時点で日本はテロの餌食になるでしょう。今回の安保法案は日本を戦争に引き寄せると同時に、テロを日本に引き寄せるものに他なりません。

 後者については、「ありありと思い出せることとして、冷戦時代には本当に身近に核戦争の危機が迫っていた。今現在、安全保障環境の変化というなら、それはなんといってもテロの脅威でしょう。これは昔はほとんどなかったことだからです。いま本当に切迫した危機として受けとめる必要があるのは、近隣諸国の軍事的脅威よりむしろテロの脅威なのです。そして、軍備拡大と同盟国との軍事協調行動は、抑止力になるどころか相手国のさらなる軍拡を助長するだけ。まったくの逆効果です。」と言い続けること。

 どちらにしても日本政府が米国の評価を気にする仕方と程度は異常です。ひ弱で丸腰の自分がけんか好きの友人に「一緒に戦ってくれ」と言われても困る。「悪いけどそれはできない。相手が悪すぎて家族までやられちゃうから。」と断るか、端的にバイバイするしかないでしょう。別の道を考えるのです。この理路がわからない人は、何の彼の言っても戦争がしたい人だと断定して構いません。

 この二つを同時に解決する方法があります。戦争の世界から「いち抜けた」をする、すなわち世界に向かって「我が国は永世不戦国です。」と宣言することです。戦争に誘われないためには、「あのさ~、とにかくうちは戦争しないんだよね~。」と宣言して、みんなに知ってもらうのが一番ですよね。あれ、これって憲法九条そのものじゃないですか。



2015年8月15日土曜日

「Aに告ぐ」

1 父祖の無念を忘れるな。言行背反の家訓を貫徹し、しつこくしぶとく行うこと。
2 上位者の自覚を持て。上に立つものは愚昧な民衆を導いてやらねばならない。
3 目的のためには手段を選ぶな。結果が全て、流れに逆らうものはやがて消える。
4 経済を最優先せよ。パンと娯楽さえ与えておけば民衆はおとなしくなる。
5 迷わず大胆な嘘をつけ。どんな嘘でも繰り返せば本当になる。
6 マス・メディアを掌握せよ。目障りなメディアは懲らしめてやらねばならない。
7 論理破綻を恐れず同じ言葉を繰り返せ。言葉に意味を持たせてはならない。
8 うるさい反対者は受け流せ。言うことをきかない場合は時々恫喝せよ。
9 小さなほころびをを徐々に拡大せよ。既成事実の積み重ねあるのみ。
10 戦争は経済活動と心得よ。ビジネスは弱肉強食、犠牲はつきものである。

ここが正念場。
AよりAに告ぐ、戦争法案の作り方。






2015年8月14日金曜日

「共感的な傍観者」

 岩手のいじめ事件で自殺した中学生が、先生と生活記録ノートの交換をしていたことが報道されました。いじめ自殺としては2011年10月の大津の事件以来の大事件として受けとめられました。大津の場合は、担任が葬式ごっこの追悼文に加担したのをはじめ、学校と教育委員会の悪質な隠蔽工作に日本中が憤激したのですが、今回は内容を知って別の意味で愕然とした方も多かったのではないでしょうか。生徒は明白に自殺をほのめかしており、どうしてこれで何も対応しなかったのか理解できないからです。

 担任については年齢や経験等の詳細は知らされておらず、女性教諭ということしかわかりませんが、「もうつかれました。もう氏にたいと思います」「しんでいいですか?(たぶんさいきんおきるかな)」「もう市ぬ場所は決まってるんですけどね」などと書かれたら、普通まず保護者のところにすっ飛んで行く事態でしょう。(「死」という文字に当て字をしているのが今更ながらあわれです。) 生活連絡ノートはおそらくクラス全員とやっていたのでしょうから、相当な手間をかけながら返事を書いていたであろうに、一番大事なことがまるで何も書かれていなかったかのようにスルーされたのでした。まるで言葉にさえしなければ存在しないものであるかのようです。忙しすぎて場当たり的な返事を書いていたのかもしれません。もう普通の反応ができないほど神経が麻痺するような現場なのかもしれません。今となっては本人も平常な精神状態ではおられないでしょうから、責めたくはありません。でもやはりあの時思考停止してはいけなかったのです。原発事故に関して東電がとったような方策、すなわち起きてはならないことは起こらないものとして処理するような心性が働いたのではないかというのが、最も真実に近い解釈だと私は思っています。



2015年8月12日水曜日

「紅春 69」

猛暑の夏、りくの散歩コースに変化が出ています。数年かかって完成した河川敷工事のおかげで川床が整備されたのですが、家の近くに二箇所コンクリートが敷かれた場所があります。そこは普段3センチほどの水の流れがあり、りくが遊ぶのにちょうどよい深さなのです。最近は冷たくて気持ちがいいのか自分から入って行きます。私はその隣に埋め込んである大きな丸石の水上部分を飛び石のようにしながら、一緒に向こう岸まで渡ります。それから河原を歩いてもう一か所のコンクリート部分を渡って戻ってきます。念のため私はいつも長靴です。時々水かさが増えている時がありますが、そういう時はりくはじっとみていて決して水に入りません。とても用心深いのです。夏休み中の子供たちが何人かで遊んでいることもあり、りくも楽しいみたいです。思わぬ効果はお風呂に入れる時わかりました。水に慣れたせいで、以前のようにお風呂を嫌がらなくなりました。よかったです。


2015年8月11日火曜日

「株式市場」

 「どうして株なんてするんだろう。」
昔から不思議で仕方ない。あれがなぜ経済活動と呼ばれるのかさっぱりわからない。普通に考えて株とは博打だとなぜ言わないのでしょうか。こんな本当のことを声高に言って皆が株に手を出さなくなったら、国の経済が回らないのかもしれません。

 先日の中国の株式暴落の餌食になったのは8割が一般庶民だと言われていますが、あの出来事で一番世界を仰天させたのは、中国では企業が自社の判断で勝手に取引を停止できるという事実ではないでしょうか。それゆえ株の取引を停止した企業が市場の半数に上り、あとの国有企業は政府が資金を投入して買い支え、一見、上げ戻したように見せていますが、これはもう株式市場ではありません。思い出すのは、以前中国に進出した日本の企業が人件費の高騰により撤退しようとした際、工場等を差し押さえられてしまった事態で、これはまさしくその株式版と言ってよいでしょう。また信用貸し付けと称して、本来個人の自由になる額の何倍ものお金を貸し付けるところはアメリカのサブ・プライム・ローンと同じです。

 今回の出来事は中国株に投資していた外国人投資家をどれほど震撼させたことかと思います。それとも、株はギャンブルであるというマインドをしっかりもって行っていた方々なのでしょうか。日本にカジノは要りません。株でそのスリルは十分味わえるでしょうし、ひょっとしたら莫大な利益だってあげられるかもしれません。

2015年8月6日木曜日

「老化と体調管理」

 人間のすることは何千年も変わっていませんが、老化は各個人に訪れるものですので誰にとっても初めての体験です。ある程度の年齢になるといやでも体調の変化に気付くようになります。元気印で活発な友人も、「もうヨーロッパまでの12時間のフライトはつらい。」と言っていたので、彼女でもやはりそうなのかと思いました。私の場合、若いころは体調を崩す予感が前日からわかったものでしたが、最近は昨晩寝る時はなんでもなかったのに、朝目覚めたら急に具合が悪くなっていたということが起きたりもします。退職して本当によかったと思うのはこんな時です。

 職場に電話して休むのはいいとして、その際一日の予定を勘案してある程度細かく具体的な指示やお願いをするのは大変です。言っているうち、「体調がこんなに悪くなかったら出勤して仕事した方が楽」という心持ちになったものです。しかし今は誰にも気兼ねせずゆっくり寝ていてよいのです。以前、高齢者の医療費負担が無料で病院の待合がサロン化していると言われていた頃、「今日、あの方みえてないわね。どこか悪いのかしら。」という笑い話がありましたが、あれは実に真実味のある笑い話だったと思うようになりました。本当に具合の悪い時はとても病院に行ける気力・体力はないのです。風邪や普通の体調不良なら睡眠によって大抵治ります。

先日はちょうど通院の日に体調を崩しましたが、そもそも起床が早すぎたのでもう一眠りしたらなんとか行ける状態になりました。退職してもそれなりに課せられている務めがあり、そういう意味では大事な日に具合が悪くなると困りますが、そうなったらなったでそれはしかたがないのです。よい日も悪い日もあるけれど、悪い日は何もできなくてよい、少しでも気分よくいられたらよいというくらいに考えようと思います。

2015年8月3日月曜日

「紅春 68」

りくに関して心配にもなり感心もするのは、食べ物に全く執着しないところです。何かあげるとき出した途端にかっさらっていくとか、がっついて食べるということがないのです。お気に入りのおやつを「はい、食べ。」とあげる時も、まるでスローモーションのようにふわっと口をあけ、端っこをそっとくわえて私の手を離れるまでに数秒かかります。おやつを渡すだけなのにどうしてこんなに時間がかかるのかと思うくらいです。例のドイツの柴犬は始終お腹を空かせて飼い主にプレッシャーをかけているようなのが、ちょっとうらやましいくらいです。特筆すべきは、この二匹の柴犬は野生のネズミやウサギを狩ることで、これは真似してほしくない。ま、りくには無理だろうけど。犬歯の長さと鋭さがりくとまるで違うのです。いつも磨きをかけているからでしょう。

 暑くなるとりくの食欲は目に見えて落ちます。
「りくのごはん茶碗どこかやった?みあたらないんだけど。」
「いつものとこでしょ。隠してるんじゃないの。」
半信半疑でいつもの置き場の隣にあったタオルをのけてみると、確かにその下から相当ドッグフードを残したままりくの茶碗が現れました。余分な食べ物を隠しておくのは動物の習性なのでしょうが、今までも何か踏んだなと思うとりくがラグの下に鼻で隠したドッグフードだったことがよくありました。しかしこんなに完璧にタオルで隠してしまうとは・・・。食事を残したことで叱ることはないのですが、暑くて食欲がなくて残すと、「またこんなに残してる。」とがっかりしてしまいます。もしかすると家族の失意を汲み取って、この行動にさらに拍車がかかってしまうのかもしれません。こっちはこっちで、あげたものをおいしそうに食べているのを見ると無上の幸せを感じるのですからいたしかたないのです。

2015年8月1日土曜日

「静かで熱い安保法案反対運動とデモ」

 国会中継での与党答弁を見ていて思うのは、この人たち本当に戦争が好きなんだなということ。イラク戦争時に米軍と共に戦えない自衛官の苦悩を強調しているのを聞いたりすると、あれはねつ造された大量破壊兵器への脅威をてこに行われたものではなかったっけと、目が点になります。これから日本はこういうことに付き合わされるのです。アメリカ従属以外の政策をなぜ考えられないんだろうと、あまりに凝り固まった柔軟性のなさにうんざりしてしまいます。
 
 7月31日に国会近くの平河町で「安全保障関連法に反対する学生と学者の共同行動」がありました。こういう反対集会は出所が大事です。私は「安保関連法案に反対する学者の会」で知ったのですが、上野千鶴子と内田樹が前面に立って共闘なんてまずないことでしょう。今回の集会を主催したのは毎週国会前でデモを続けている学生団体「SEALDs」と、「安保関連法案に反対する学者の会」で、両団体の共同行動は初めてとのことでした。「学者の会」と言っても、サイトを開くと市民も反対署名ができます。(市民は所属や専門を「なし」にすればよい。)7月末現在、学者は1万2千人、市民は2万7千人を超える人が署名しています。デモとか好きじゃないし、夕方出かけるのはもっと嫌だけどしかたないという感じで行くことにしました。
 
 当日は第一部が「学生と学者の共同集会」、第二部が「学生と学者と市民の共同集会」でしたので、第二部の時刻に出かけましたが、両者にほとんど区別なく、学者と学生と市民(お子さん連れ、お孫さん連れらしき人多し)が入り乱れておりました。二回分で数千人といったところでしょうか。第二部では、学生(女)、学者(女)、学生(男)、学者(男)の順に一人5分くらいでスピーチがありました。学生からは、「十年前の絵本『戦争の作り方』を読み返してみて、今そうなっていることにぞっとした。私たちが学んでいるのは希望ある未来のためではなかったのか。」「安倍政権がやろうとしていることは先の戦争で亡くなった方に対する冒涜ではないのか。」との言葉を聴きました。学者は「今更立憲主義だとか、憲法を守れとか政府に言わなければならないとは情けないし恥ずかしい。」と嘆いておられましたが、論理のぶつかり合いではないのでもともと学者の出る幕ではないのです。
 
 私がはっとしたのは、学生がスピーチの中で「剣をとる者は剣で滅びる。」と述べた時です。聖書の言葉だがまあ人口に膾炙した言葉だからなと思いました。しかし本当に驚いたことに、しばらく後にその人が「私は安倍総理や政府の方々が正しい判断をできるように祈ってます。」と言ったのです。この時小さな笑いが起きたのはこれをあてこすりと解釈したからでしょうが、私は純粋に感銘を受けました。あかりちゃんが言うように「狂った政権が一番の脅威だ」と思ってきましたが、この学生さんは狂った政権のためにも祈っているのです。キリストの香りがしました。
 
 それから5列に並んで国会までデモ行進、幟やプラカードを持っている人もいます。私は「てれっとしたりくの写真」に「平和維持活動中」という紙を貼って持っていきました。警官に「水分取ってください。」と言われながら隊列は進んでいきます。私はがなりたてるような品のないシュプレヒコールが大嫌いなのですがあれがなくてよかったです。国会請願では民主党や社民党、共産党の方々に拍手で迎えられ、「へえ~、こんなことしてるんだ。」と初めて知りました。りくの可愛い写真見てくれたかなあ。

*次回は9月6日(日)、場所は青山あたりで計画中のようです。
 今日のちらしによれば、合言葉は「#本当に止める」です。


2015年7月28日火曜日

「パロディの傑作」

 自民党制作のアニメ動画「教えてヒゲの隊長」をもじった「教えてあげるヒゲの隊長」がネットで本家本元を上回る再生回数で話題を呼んでいます。試しに見てみたら抱腹絶倒でした。

「あれ、あかりちゃん?」
「いや、知らないし、電車で急に話しかけないでほしいんだけど。」
に始まる会話で、あかりちゃんはまず、おっさんが若い女の子に教えるシチュエーションそのものを批判します。作成者不明とのことですが、これを作ったのは女性でしょうか。ヒゲの隊長こと佐藤正久元自衛官の福島なまりの話しっぷりが、あかりちゃんのクールな口調と対比され、なんともいえないおかしさを醸し出しています。
元版の隊長の言葉、「そりゃ大変だ」「そんなことない」「おかしいよね」「そんなに簡単じゃないんだ」等をそのまま切り取って、あかりちゃんとの会話に埋め込んで、話を逆転させているのも笑えます。You Tubeを見ていない方のために部分的に引用します。出だしから圧巻。

「どっかの与党がわけわかんない法案、強行採決しようとしてるわけよ、知ってた?」
「そりゃ大変だ。」
「じゃズバリ言うけど、今回の安保法制、憲法違反だよね。」
「そりゃ大変だ。」
「チョー大変だよ。この時代に立憲主義の否定なんて。どこの独裁国家って感じ。ありえない。恥ずかしすぎて国際国家に顔向けできないんだけど。」
「そんなことない。」

あかりちゃんは一つ一つ安保法案のおかしな点を指摘していきます。
「国民の8割が説明不足、6割が反対って言ってるのに、理解が得られなくても決めるって、首相も高村さんも言ってたよね。」
「国民に面と向かって説明し、改憲したいならしたいで堂々と筋通せよ。」
「ミサイルの照準が向けられてるのは冷戦の時から変わってないんだけど、何のために危機感あおってるの。」
「現実にミサイル撃ってきたら、個別的自衛権で対応できるでしょ。あんたたちが無理やり押し通そうとしてる集団的自衛権の話とは関係ないよね。それにミサイルを撃たせないようにするのが政治なんじゃないの?」
という感じで、自衛隊の飛行機の緊急発進回数が10年前の7倍といっても冷戦期にはそれ以上の回数だったこと、安倍政権になってスクランブル回数水増し疑惑さえあること、尖閣諸島付近の船に先制攻撃をしたら国際法上相手に正当防衛権が与えられることなどを述べながら、バッサバッサと隊長を論破していきます。このあたりからが第二の山場。

「北朝鮮も核実験を繰り返しているし、最近はテロもサイバー攻撃もほんとに深刻なんだ。」
「サイバー攻撃とか言ってるヒマあったら、まずは年金の情報流出の件なんとかしてくんない?っていうか、テロって戦争に参加するから狙われるんだけど、あんたたちは戦争に参加できるようにしたいんだよね。自分の言ってることが矛盾してるのわかってる?」
「私たち日本人もいろんな脅威にさらされているんだ。」
「狂った政権が一番の脅威だってのは、私もビックリだけど。」
「そこで問題なのはね、今ある法律ではね、いくつかスキマがあって、万が一の事態に対応できないということなんだ。」
「その前に政府の答弁のスキマもなんとかしてくんないかな。」
その後、アメリカの軍艦で邦人避難時や、ミサイルでの日本攻撃時に応戦するアメリカの軍艦を守れないとか、その設定がいかにおかしいかを説いていきます。
「いやだからさ、日本が狙われてるんだったら個別的自衛権じゃん。このかなり無理ある設定をなんで集団的自衛権を説明しようとしてるの、おかしくない?」
「おかしいよね。」
「あんたの言ってることがね。」

大爆笑、腹を抱えて笑えます。いよいよさらにこの問題の核心に迫っていきます。
「日本人の安全を守るため、いろいろな法律を点検してスキマを防ぐこと、そして協力し合って日本を守ることが大事。」
「そうね、それ自体否定しないよ。」
「そうすることで抑止力がさらに高まり、戦争を未然に防ぐ、それが平和安全法制の目的なんだ。」
「直前までいいこと言ってんのにね、なぜそのための安保法制って説明には全くなってないのが、マジ怖い。むしろ、つけいるスキマを増やすことになるだろうね。」
「抑止力が高まれば戦争が起きにくくなる。」
「抑止力って言葉、ほんと好きだよね。対テロ戦争にそんな抑止力なんて利かないし、アメリカ見てみなよ。日本は今まで戦争しない国として様々な平和貢献をしてきた。特に紛争地域、貧困地域における民間レベルの活動はほんとに大きな信頼を得てる。それこそが一番の抑止力でしょ。なのにそんなことも無視して、無駄なマッチョイズムを政治に持ち込むわ、そのために憲法違反まで犯して突っ走っちゃうわ・・・。あんたんとこのボスに一言伝えてあげてよ、『狂ってますよ』って。簡単でしょ。」
「そんなに簡単じゃないんだ。」
「でしょうね。」
「でも、何重にも備えることは大事。」(ここで隊長の姿が増殖する。)
「増えてんじゃねえよ、キモいな。」

そして、積極的に国際社会の責任を果たすことを強調する隊長に対し、あかりちゃんはそれを肯定しながらそれは戦争に参加することとは別物だと言い返します。そして人道的な貢献の幅を増やす(戦争参加)ことの重要性を説く隊長に、今現在現地で働く日本人NGOや医師たちがこの改悪法案に猛反対していることを告げます。最後に、政府が狙っているのは経済的徴兵制、貧困に陥った若者が自発的に自衛隊に入隊するよう仕向けることであること、選挙権を18歳に引き下げたのもそのためであるとあかりちゃんは指摘します。(そうか、国立大学の人文社会学系学部の廃止もここにつながってくるわけか。)

「絶対にあり得ない。だって、だって、だって・・・」
と繰り返す隊長は、破綻している論理を壊れたレコードのように繰り返す安倍首相を髣髴とさせます。
「ほらね、その先言えないでしょ。図星だもんね。あんたたちが間抜けなことばっか言ってる間に、国会前は法案に反対する人であふれかえるよ。もし来てくれたら、主権在民っていう中学で習う単語について教えてあげるね。待ってますよ、佐藤正久議員。」
「ははっ、お手柔らかに。」
See you.

お見事です。これほど秀逸なパロディはめったにありません。細部に通じており全体もよく見えており、問題の争点をスキマなくカバーしています。冷静にここまでできるのは政治学者でしょうか。そしてユーモアがあって女性?そんな人いたかしら。

2015年7月27日月曜日

「国立大学の人文社会学系学部の廃止について」

 このことはすでにインターネット上ではだいぶ前から取り沙汰されていたようですが、私は知らずにいました。うかつと言えばうかつだったのですが、新聞報道等が少なかったこともさることながら、文科省がここまで狂っていたとは想像していなかったことにもその原因はあります。これはもうすでに2014年9月に文科省が国立大の組織改革案として「教員養成系、人文社会科学系の廃止や転換」を各大学に通達したことに端を発しているのですが、ほとんど報道されなかったのは、経済効率至上主義が産業界だけでなくメディアにも国民全体にも浸透しきっていたためでしょう。

 官僚というものは何か新たな制度を作ったり改革案を立てたりしないと、業績にならないのでしょうが、国立大学の文学部、法学部、経済学部等を廃止してどうしようというのでしょう。目先の目的は国民の税金を、理系や医療系のいわゆる稼げる学問に集中させることなのでしょうが、一連の流れを見るとその先の目標はもはや国民国家の解体なのだと思わざるを得ません。すでに小中高校と国語をなおざりにしてまで異常な英語重視教育をさせていること、従来の講義型の授業をしりぞけ教室でのアクティブラーニングを推し進めてきたこと等考え合わせると、国民から知性や思考力を奪いつつあたかも自分で考えているかのように思わせる愚民化に成功しているようです。この上、大学の人文社会学系学部を廃止すれば、膨らみすぎた大学進学率を減らすことができ、同時に黙って働く「安価で良質な」労働力を得ることができるようになります。産業界の要請に合致する改革なのでしょうが浅薄な考えです。

 今回の通達の代償は計り知れないほど大きなものとなるでしょう。一度失われたものはもう取り戻せないからです。アカデミズムが崩壊すれば、人文社会科学系、理系・医療系に関わらず真に先見性のある知的活動は日本では生まれなくなります。もうそうなりつつあるのだと思います。文科省の指導に従っていたら日本の教育は滅ぶ。せめて何もしないでほしい、「学校に手を出さないで」と叫びたい気持ちです。

 海外に目を向けた時、この対極にあるのは例えばユダヤ人の教育方法でしょう。ユダヤ人をユダヤ人たらしめている即ちこれをやめたらユダヤ人はもうユダヤ人ではなくなる教育とは、旧約聖書の学びです。詩編全150編の暗唱そのものは受け身の学びのように見えますが、その中身は飽くことなき神との対話であり、神こそ恐るべき唯一のお方という悟りと賛美です。ノーベル賞レベルの知性の核心にあるのはおそらくこれなのです。それは我が国がつい最近経験したスタップ細胞のような事件が起こりようのない土壌なのだと思います。

2015年7月24日金曜日

「高学歴ワーキングプア問題」

 高学歴ワーキングプアの問題が明らかになってきていますが、これは以前から存在したオーバードクターとどう違うのだろうかと疑問をもっています。学問と職業についてこれまで個人的に見聞きしたことをずっと昔からたどってみました。

高校の時、先生がフランス文学科の大学院を出た卒業生の就職先がないとぼやいていたこと。
大学院を目指す人が「ちょっと計算すると、就職するまですぐ35歳か40歳になってしまう」と言っていたこと。
大学院を目指すような人は能力的に優れており学問的探究心も旺盛だったこと。
大学院修士課程を出て外資系会社に入りその後転職した友人に、「あなたが学卒で都立高教師になったのは大正解だった。」と言われたこと。
大学院を出たあとに専任として大学にポストを得た人は、ある意味世渡りがうまく外向性を必要な時に発揮できること。
高名な学者の中には、研究者として生活費を稼げない間、養ってくれる連れ合いがいたこと。

 こうしてみると、40年も昔から高学歴になるほど専門を生かした就職は狭き門であり、ポストを得られるかどうかは性格や運に左右される部分もあるということがわかります。現在の状況が問題視されているのは、基本的には以前のオーバードクター問題と本質的なところは違わないのですが、周辺部の状況が大いに変わり、それらが積み重なって質的変容を遂げたように見えるためです。

大学進学率が飛躍的に上昇し、また1990年代の大学院重点化政策により、学部卒で就職せずに大学院に進学する学生数が増加したこと。
大学院の定員を満たすため受け入れた(あるいは誘導された)学生の中には、以前ならそこで学ぶレベルに達していない者もいたが、博士号取得後、専任としての就職口が増えたわけではないので正規雇用にあぶれた人が大量に出たこと。
他方、ポスドクと呼ばれる博士研究生の職が創出されたが、絶対数が足りず、3年程度の期限付きであり、かつ概ね35歳が上限という制約のため、いつまでも継続できる職ではないこと。
2007年4月施行の学校教育法から、助教(以前の助手にあたる職階)の採用が場合によっては期限付きの任用制になり、任期内に業績をあげないとクビになる可能性が出てきたこと。
昔と違って、返済義務のない奨学金が無くなり、ほぼ強制労働付学生ローンとなり果てたこと。(これは学生の身分を失った途端、返済義務が生じることを意味する。)
グローバリゼーションがそれこそ世界中に広がり、一分一秒を争って国境を越えて昼夜休みなく動き続けるため、社会全体が経済的にも時間的にも余裕がない状態となったこと。
グローバリゼーションに対応するため、効率最優先、成果主義、短期的業績評価、数値目標至上主義といったものが、まるで何かにとりつかれたかのように急速に社会を席巻したこと。
 
 こんなふうにちょっと思いつくことを書くだけでも、本当に気が重く憂鬱になります。非常勤講師を掛け持ちしながらなんとかギリギリの生活をしている方々を思い、胸が痛くなります。大学の千人枠の採用が一見公募であっても実はコネであるという指摘もあります。思うにこれはとても難しい問題です。求職者に対しこれほどポストが少ない中で、まっさらな公募ということはあり得ないだろう、無理からぬことだと部外者でも想像できてしまうのです。そういえば、10年前くらいから高校にも高学歴者が職を求めるようになってきたのですが、覚えているのは、候補として来た二人のうち一人は語学で有名な大学の大学院を出られた方、もう一人はアメリカの大学を卒業した方だったこと(二人とも女性)。迎え入れる側の言葉は、「もっと普通の人いないの?」でした。高校は研究機関ではありませんから、こういった場合最も優先されるのは「一緒に気持ちよく仕事ができるかどうか」ですが、大学だってそう変わらないのではないでしょうか。能力や将来性などより、快活な性格や礼儀正しさだといったら言い過ぎでしょうか。

 あらためて考えると、自分が曲がりなりにも定職に就けたのは偶然の産物に過ぎなかったことがよくわかります。能力に恵まれず知的好奇心もなかったこと、実社会で働きたいという思いが強かったこと、それまで教師に恵まれてその職によい印象をもっていたこと、金もうけに興味がなかったので会社は眼中になかったこと、キャリア教育のない時代で他の職業について無知だったこと。ありがたいのは、公平に見ればマイナス要因と見えることが結果的にプラスに作用したことで、「禍福はあざなえる縄の如し」です。もちろん時代的な幸運も大きかったと思います。今ならきっと非正規雇用だったでしょう。

反戦活動家 Antiwar Activists



 平和を愛する種族です。70年間平和を守ってきました。一度も戦争をせず、他国の兵士を一人も殺さずにきました。「普通」じゃなくて、「変だけど平和な種族」でいいのです。
安保法案に強く反対します。

  We, Japanese dogs and people, are the tribes that love peace.  We have lived together in peace with other countries for 70 years.  Never did we have one war, nor did we kill one soldier in any countries in 70 years.  We are definitely strange tribes but, what is more important is, we love peace.  There is no advantage in war, that’s for sure.
  We are strongly against the security bills forced through the lower house by Abe.