月に一度の集まりでずっと読んできた「出エジプト記」を読み終えました。私が参加したのは途中からですが5年かかったそうです。25章あたりから途中の金の子牛と戒めの再授与の話を別にすれば最後の40章まで幕屋のことが中心に書かれています。40年にわたるシナイ半島での民族の放浪によって、イスラエル民族の民族性が決定づけられたと言ってよいでしょう。普通に進めば1か月ほどで到達できるはずのカナンへの道程に40年かかった、1世代が完全に交代する年月旅路にあったということ、その中で移動のたびに幕屋すなわち神を礼拝する場所を持ち歩き、どこであっても正確に再現できるよう詳細な設計図を残したのです。この民族的体験が、国土を持たずして滅びぬ民、全世界に散らばっても雲散霧消しないという前代未聞の民を形成したのです。
私も毎月旅にあるようなものですが、自宅と実家の行き来なので生活必需品はどちらの家にもそろっており放浪の旅とは全く違うのですが、ほんの少しだけ疑似体験ができるような気がしています。場所の移動はその距離の長短にかかわらずエネルギーを要するものです。現代のように乗り物に乗ってさえそうなのですから当時はさぞ大変だったことでしょう。そして移動の間はとりあえず何もできない、できるのはせいぜい頭の中で考えることくらいです。これがただの思い煩いで終わるのか賛美になるのかは大きな違いです。
身一つで移動する場合は持ち物はたぶん身の回り品だけ、あとのことは全面的に神にゆだねるしかない。私は荷物を軽くするため持ち歩くのはどうしても必要な物だけにしているのですが、最近はノートパソコンとタブレット型パソコン(1年半の間に二度壊れてからはスペアを持たずには怖くて移動できなくなりました。) 、あとはパンを焼くのに春ゆたか(北海道産小麦)を持って帰省し、帰りは野菜や果物を持って上京というのがいつものパターンです。私の場合は移動前に食材を使い切ってこなければならないなど、わりと計画性が必要ですが、この点はイスラエルの民はマナで養われたのですから全然違いますね。持ち運ぶのが幕屋のようなものでなくてちょっと情けない。でも今は教会は全国にあるからいいのです。