鬼怒川の反乱による災害はあらためて大洪水の恐ろしさを見せつけました。この前後の数日間は、都心でもまた東北南部でも怖いくらい雨が降りました。以前水害を経験した関西の友人から安否を問うメールをもらい、返信するうちいろいろと思い出すことがありました。
ここ何年もかけて裏の河川敷の工事が済んでいたので、今回の大雨は安心して過ごせたのですが、子供の頃は本当に恐かった。昔はもっと川幅も狭かったし、大雨の時は土手下まで濁流が押し寄せ、実際歩行者のための木製の小さな橋は何度か流されたことを思い出します。この、人しか通れない橋は時代と共にだんだん立派になっていき、今でこそ鉄筋に名ていますが、私の記憶にある最初の橋には欄干がなかったのです。まさかと思われるでしょうが、戦場にかける橋そのままに欄干がなかった。ですから、吾妻おろしのひどい時は吹き飛ばされないよう慎重に歩かなければなりませんでしたし、母は油断した中学生が自転車ごと橋から転落するのを見たことがあると言っていました。
昔は集中豪雨があっても避難勧告など出た記憶がありません。判断は各個人に任されていたのでしょう。何を手掛かりにどういうタイミングで避難するつもりだったのか不明ですが、母は子供たちにもそれぞれ小さなリュックサックに必需品を詰めさせ、それを枕元に置いて皆一緒に床についたのを覚えています。なぜかこういう時に限って父は出張で不在、母はさぞ心細かったことと思います。
以前は科学技術が発達すれば治水が可能になると考えていましたが、昨今、日本列島が亜熱帯化していることがあるにせよ、どんなに文明が進んでも所詮人間が水を治めることなどできないのではないかと思うようになりました。大雨、洪水だけでなく津波も含めればもうこれは明らかでしょう。
日本の民話「大工と鬼六」を思い出します。川の氾濫で何度も橋を流された人々が、頑丈な橋を架けることを大工に依頼します。川の中から現れた赤鬼は希望通りの橋を架ける代わりに、大工の目玉を要求します。恐くなって山に逃げ込んだ大工は鬼たちの集会を目撃し、赤鬼の名が鬼六であることを知ります。再び川へ戻った大工は鬼と対峙し、自分の名前を言い当てたら目玉は取らずに見逃してやるという赤鬼に対して、「お前は鬼六だろう。」と答えると赤鬼は川の中に姿を消し、その後は赤鬼が現れることも橋が流されることもなくなったという話です。子供心にも示唆深い物語でしたが、つい最近放送された、サイバーテロと闘う日本のトップ・プロによる、「攻撃を止めるには相手を突きとめて、”I know you”を突きつけることだ。」という言葉と照らし合わせて、今も昔も、どんな事象でも、それをおさめるには相手が何者であるかを知ること以外ないということを知らされます。
詩編69編2~3節
神よ、わたしを救ってください。大水が喉元に達しました。
わたしは深い沼にはまり込み
足がかりもありません。大水の深い底にまで沈み
奔流がわたしを押し流します。
詩編77編17節
大水はあなたを見た。神よ、大水はあなたを見て、身もだえし
深淵はおののいた。
詩編77編20節
あなたの道は海の中にあり
あなたの通られる道は大水の中にある。あなたの踏み行かれる跡を知る者はない。