2015年9月1日火曜日

「要約すると」

 一読して次の文が何を言いたいのか分かる方は、どのくらいいるのでしょうか。

戦後七十年にあたり、今こそ先の大戦への道のり、戦後の歩みを振り返り、未来への知恵を学ぶ時です。
かつて西洋諸国による帝国主義時代には植民地支配があり、その危機感が日本を近代化させたことは事実です。アジアで初の立憲政治国家となり独立を守り、日露戦争はアジア・アフリカの人々に勇気を与える快挙でした。
死者一千万人を出した最初の世界大戦後、民族自決の動きが進むと同時に、平和を願って国際連盟が創られ、不戦という国際社会の潮流が生まれました。
当初その流れに加わった日本も、その後の世界恐慌と欧米諸国の経済ブロック化によって経済が立ち行かなくなり、軍事力による問題解決へと動き出しました。政治システムはそれを止めることができず、満州事変、国際連盟からの脱退を経て、戦争への道を歩んでいき、ついに敗戦を迎えました。七十年前のことです。
国内外のすべての犠牲者に痛惜の念と、世々限りない哀悼の誠を捧げます。
 先の大戦で亡くなった三百万余の同胞の中には、酷寒あるいは灼熱の戦地にあった人々、広島、長崎の原爆の犠牲者、東京ほか各都市で空爆にあった方々、沖縄の地上戦での犠牲者等があります。
戦場となった中国、東南アジア、太平洋の島々などの地域では、多数の若者の命が失われただけでなく、一般市民の犠牲や尊厳を深く傷つけられた女性の存在を忘れてはなりません。
夢も家族もあった無辜の人々に、我が国が計り知れない損害と苦痛を与えたという取り返しのつかない歴史をかみしめる時、断腸の念を禁じ得ません。
 現在の平和は、このような尊い犠牲の上に成っているのです。
二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。
事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。すべての民族の自決の権利が尊重される、植民地支配のない世界にしなければならない。深い悔悟の念と共に我が国はそう誓って、戦後我、不戦を貫く自由で民主的な国家を創ってきました。七十年間に及ぶ平和国家としての歩みをこれからも貫いていきます。
我が国は先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。そして実際の行動として、東南アジアや近隣諸国の人々の平和と繁栄のために尽力してきました。
 こうした歴代内閣の立場は、今後も揺るぎないものですが、私たちがいかなる努力を尽くそうとも、家族の喪失、戦禍の苦しみを被った方々の記憶は癒えることがないでしょう。
ですから、六百万人を超える引揚者が戦後日本の原動力となったこと、三千人近い中国残留孤児が成長して祖国に戻れたこと、米国や英国、オランダ、豪州などの元捕虜の方々が訪日し相互慰霊を続けている事実を忘れてはなりません。
それは、幾多の葛藤と努力を経たのちに示された寛容さに他なりません。
寛容の心で和解のために尽力し、日本が国際社会へ復帰を果たす手助けをしてくださったすべての国々、すべての人々に心から感謝します。
 戦後生まれの世代が八割を超える現在、あの戦争には何ら関わりのない世代および未来の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりませんが、一方で、世代を超えて過去の歴史を直視し、謙虚な気持ちで過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。
戦後の焼け野原からの復興ができたのは、先人の努力と共にかつての敵国から善意と支援をいただいたおかげであり、そのことを私たちは語り継ぐ必要があります。歴史の教訓を忘れず、アジアと世界の平和と繁栄に尽力する責任があります。
 我が国はいかなる紛争も平和的・外交的に解決すべく、世界の国々に働きかけ、また核兵器の不拡散と廃絶を目指し、国際社会で責任を果たしていきます。
 私たちは戦時下において尊厳や名誉を傷つけられた女性たちの過去を忘れず、二十一世紀こそ女性の人権が守られるよう、世界をリードしていきます。
経済のブロック化が紛争につながった過去から学び、我が国は自由で公正な国際経済システムを発展させ、発展途上国を支援してきました。今後も暴力の温床ともなる貧困をなくし、世界に医療、教育、自立の機会を提供していきます。
 我が国は過去の歴史を忘れず、自由、民主主義、人権といった同様の基本的価値を堅持する国々と共に、「積極的平和主義」のもと世界への貢献を推し進めていく、そう決意しています。

 以上は、1784字ほどの文ですが、「安倍談話」の原文をやっとのことで半分程度に縮めたものなのです。もっと短く大意要約したかったのですができませんでした。たとえ林先生でも頭を抱えるのではないでしょうか。要約できなかったのは難しい文だからでも拙い文だからでもなく、要約されないことを目指して書かれた文だからです。その理由は要約されたら大変なことになるからでしょう。

唯一わかるのは、どうあっても謝りたくないということです。確かに4つのキーワードのうち、「痛切な反省」と「心からのお詫び」は出てきます。これまで繰り返しその気持ちを表明してきましたよという形で。「植民地支配」という言葉は原文では3度出てきますが、そのうち2度はそもそも西洋諸国が始めたものだという文脈で使われており、なぜか体言止めで登場する「侵略」というキーワードとともに、日本がそれを行ったという明確な言及がないのです。(ただし、西洋諸国に対する微妙な配慮のためか、帝国主義という言葉は用いられていません。) また、戦後深い悔悟の念で不戦を誓ったのは我が国であり、ご本人ではありません。

 一番わからなかったのは、まん中あたりに出てくる「ですから」という接続詞です。「アジア、近隣諸国の平和と繁栄のためにどんなに尽くしても、戦争によって味わった苦しみは癒えない」、ことがなぜ、「引揚者の帰還、残留孤児の帰還、欧米系戦争捕虜による訪日相互慰霊といった事実を忘れてはいけない」ことにつながるのか、その理路がさっぱりわからないのです。(しかも原文は倒置による体言止めになっており、これがわかりにくさを一層深めています。この表明文では、言いにくいことや言いたくないことを述べる時のくせが体言止めとして表れているようです。) これはもしかして、村山談話には一度も出て来なかった「寛容」という言葉と関係があるのでしょうか。(ちなみに、原文を半分以下の約500字に要約した村山談話は文末にあります。こちらは趣旨が明確に理解できました。) 安倍談話の原文では、2度「寛容」という言葉が出てくるのが特徴的で、その心をもって日本の国際社会への復帰に尽くしてくれた国と人に謝意を示しています。裏返せば、寛容の心を欠き、事あるごとに反日をもちだす国と人に、それとなくジャブを放っているのです。

 信じられなかったのは、前半にある「尊い犠牲」という言葉の使い方でした。アジアにおける戦争のあらゆる犠牲者は尊い犠牲のはずがありません。彼らは悲惨なただの被害者です。これには戦争で亡くなった方は全て英霊であるというような感覚が働いていることは間違いないでしょう。はしなくも露呈した首相の歴史認識に愕然とし、だからこそ夢も家族もあった無辜の人々に計り知れない損害と苦痛を与えたとしても、断腸の念すなわち「悲しくつらい」と感じるだけなのでしょう。安倍談話のわずか三分の一あまりの字数で書かれた村山談話に2度使われた「反省」という言葉は、安倍談話では1度、それも村山談話の引用という形で出てくるだけです。いうまでもなく、「痛惜の念」も「哀悼の誠」も「断腸の念」も、「反省」とは違うものです。

 これまでなかった点として目を引くのは、8割を超えた戦後世代に「謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」というくだりです。村山談話では、「私たち」という言葉は日本国民という意味で使われていますが、安倍談話の場合、場合によっては「戦後を生きてきた世代」に限定して使ってもいるのです。このいわば「もう謝りませんよ」宣言は、近年の近隣諸国、殊に韓国の対日姿勢に対する答えに相違ないと思いますが、これが通るのならどんなに楽かと思いつつ、その場合やはり国民国家は崩壊せざるを得ないだろうと思います。

 また、村山談話では一度も使われなかった女性という言葉が3度使われていますが、これは安倍首相が目指す「女性が活躍する社会」へのアピールに結び付けられており、日本が「女性の人権が守られるよう、世界をリードしていく」であろうということを、よもや信じる人はいないでしょう。

安倍首相は決意の締めの部分で、日本は自由で公正な国際経済システム(これはすなわちグローバル経済のこと)を発展させ、自由、民主主義、人権といった基本的価値を共有する国々とは、ともに「積極的平和主義」のもと、世界の平和と繁栄に貢献したいと述べています。言い換えれば、価値観を共有できない国と手を携えて進む道を模索する気はないということです。このような中で達成される平和と繁栄がどのようなものになるか、想像がつくというものです。積極的平和主義とはその地ならしをするためのものであり、そのような日本を今後戦後百年に向けて創り上げていく決意だというのです。

こうして、安倍談話をよくよく読んでみるとぞっとする決意表明文です。安倍首相が知ってか知らずか遂行している国民国家の解体が進んで、「私は除けといて。」と言えたらどんなにいいだろうと思うほどです。人間にとって一番難しいこと、人間が一番したくないことは、「自らの非を認めて謝罪すること」と「相手の非を赦すこと」だと思うのですが、安倍首相は自分は回避し続けていることを相手には要求するという態度ですから、国際社会でまともな評価をされるはずがありません。村山談話の最後の言葉にあるように、政治家に最も必要な信義が彼には全く欠けているからです。

おまけ
  以下は、「安倍談話を500字以内で要約し、書かれていない結論を推測して50字以内で述べなさい。」というテスト問題が出た時の、私の解答です。

戦後七十年、今こそ先の大戦への道のり、戦後の歩みを振り返り、未来への知恵を学ぶ時です。
かつて西洋諸国による帝国主義時代には植民地支配があり、その危機感が日本を近代化させ、日本はアジアで初の立憲政治国家となりました。最初の世界大戦後の平和の潮流を壊したのは、世界恐慌と欧米諸国の経済ブロック化です。軍事力による問題解決を図った日本は戦争に敗れました。国内外の全ての尊い犠牲者に深い哀悼を捧げます。
戦後我が国は、繰り返し痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明しており、実際に東南アジアや近隣諸国の人々の平和と繁栄のために尽力してきました。しかし、どんなことをしても戦争の惨禍を被った方々の記憶が癒えることはなく、それができるのはただ寛容の心だけです。寛容の心で日本の国際社会への復帰を助けてくださった国々や人々には心から感謝致しますが、戦後世代の人たちにこれ以上謝罪を求めないでください。
我が国は過去の歴史を忘れず、グローバル経済を発展させ、自由、民主主義、人権といった基本的価値を同じくする国々とは、「積極的平和主義」のもと世界への貢献を推し進めていこうと決意しています。 (486字)


結論:ですから、基本的価値を共有しない国々の脅威に対抗するためには、集団的自衛権が不可欠なのです。 (46字)




村山談話要約
戦後50年、内外の多くの犠牲者を思い胸が痛みます。
戦後の復興は国民一人一人の努力の賜物であり、またこれまで寄せられた世界の国々の支援と協力に感謝します。また、アジア太平洋諸国・米国・欧州との間に友好関係が築かれたことは大きな喜びです。
私たちは過去の過ちを繰り返すことのないよう、平和な日本において若い世代に戦争の悲惨さを語り伝え、世界においては諸国との間に理解と信頼を築くため平和交流事業をしています。また、戦後処理問題にも引き続き誠実に取り組みます。
今心に銘記すべきは、歴史を学び未来への道を誤らないことに尽きます。
我が国は先の大戦で、国民を存亡の危機に陥れ、またアジア諸国の人々に植民地支配と侵略による多大の損害と苦痛をあたえました。痛切な反省と心からのお詫びを表明し、内外の犠牲者に深い哀悼を捧げます。
この深い反省から、我が国は独善的ナショナリズムではなく国際協調に立って、平和と民主主義を推進する責任を負っています。同時に被爆国として核兵器の廃絶、核の不拡散など国際的軍縮の推進を担うこと、これこそが犠牲者に対するつぐない、鎮魂でありましょう。
政治はなによりも信義の問題なのです。 (494字)