2024年12月31日火曜日

「2024年の終わりに」

  歳をとるに従い、一年が短く感じるようになるものだが、今年はなぜか「長かったな」という思いがある。もし「めまぐるしい」という一語の漢字があれば、間違いなく私の「今年の漢字」になったであろう。前半は新しい病院に慣れるのに精一杯で、そのうち長い夏が来て何もできなくなり、ようやく少しは外出できる季節になったかと思えば、すぐ水難・デジ難(デジタル関連の災難)に会い、家で電話を待つ生活がやっとつい先日終わった。

 その間、社会は大災害、大事件続きで、防災、防犯の意識を否応なく高めねばならなかった。面倒で手を付けていなかったメールアドレス変更も行い、必要なところへは概ねお知らせした。う古い方のアドレスにあるメールは取り敢えず全部アーカイブに移動し、受信トレイをまっさらにしたので、さっと見て知らせ忘れたメールだけすくい、あとはまとめて削除するだけでよくなった。ただ通販関係・宅配関係は元のアドレスを使う。この辺りから新しいアドレスが漏れるのを防ぐためである。商業的に接触するということは何が起こるか分からないという覚悟を要し、接触する組織が大きくなればなるほど個人情報は漏れやすくなる。

 まっとうな人間の常識を食い物にし、騙そうとする犯罪が増えている。このようなことを企図する輩を許してはならない。したがって、たまに「+」で始まる国際電話が来るようになったスマホも、登録者と公衆電話以外からの着信をブロックする設定にした。救急の用事で知らない人から連絡がある可能性は否定できないが、安全のために背に腹は代えられない。どうしても連絡したい場合は、登録者のスマホから電話していただくしかない。また、病院などで自宅の電話番号以外に携帯番号を求められた時は、「そちらの電話番号を教えてください。登録番号以外はブロックする設定になっているので」と伝えなくてはいけない。

 今年社会に与えた衝撃で最大のものは、社会におけるプレディター(predator捕食者)の激増であろう。「まっとうに稼ぐ」ことが時間や労力に比して「あまりにもコスパが悪い」と感じる者たちが、「労働」によってではなく「他者から奪い取る」という犯罪の手法によって生きる道を選択しているのである。だから以前のような甘っちょろい手段は取らず、コスパ、タイパのアップグレードがなされた。即ち、従来の、家人が在宅していない時に盗みをする窃盗ではなく、わざわざ家人の在宅時に直接暗証番号を聞き出すために強盗に入るという戦慄の手法に変わっていった。恐怖というほかない。

 犯罪ビジネス(闇バイトという名は軽すぎる)に加担している者たちはもちろん捕食者なのだが、彼ら自身もっと大きな闇の世界の者たちに捕食されるカモである。仰天すべきは彼らの判断力のなさで、「ちょっとしたバイト」が「強盗殺人」まで一挙に突き進んでしまう行為を見れば、何かが致命的に欠けていると言わざるを得ないだろう。個人情報を握られてしまうと、あとは自分をかばう自己保存以上に優先するものは何もないと思い込むようである。自分に傷がつくことは、他人を傷つけても(あるいは殺しても)絶対に避けなければならないことなのだろう。無論、犯罪ビジネスについて初等・中東教育で教える必要はあろうが、こうなると、我が身可愛さでここまで「無思慮」な者には、もはやそういう仕方で解決できるとは到底思えない。

 その一方で、世の中には善きことのために献身的に働いている人がたくさんいることを教えられた一年でもあった。日々大変な仕事を黙々とこなしている多くの人々、被災者のために、迫害されているもののために、お腹を空かせた子供のために、貧困にあえいでいる人々のために、虐げられて苦難の中にある人のために、自分の利益や見返りを求めず働いている人は本当に多い。帰省先でいつもお会いする身近な人が、実は障害者福祉のNPOを運営していたり、あるいは被団協の支部で事務を担っている方がいたり(この方は、被団協のノーベル平和賞受賞はまさに青天の霹靂とおっしゃっていた)、また、帰省先の教会では毎月一度「子供食堂」の運営所として集会室を開放している。私は帰省の度にわずかながら寄付させていただいているが、これほどはっきりとした形でお金が役立つ使い方をされる姿を見ることはない。働き人には本当に頭が下がる。心から感謝である。

 この世は悪しきものとの絶えざる戦いと言える。善きことのために汗を流す働き人の存在を知らされ、希望を失わすにやっていく力を日々与えられることに感謝する。


神よ、あなたは私たちを試み/火で銀を練るように私たちを練った。

あなたは私たちを網に追い込み/腰に重荷を付け

人が私たちの頭の上を乗り越えることを/お許しになった。/私たちは火の中、水の中を通ったが/あなたは私たちを広々とした地に導き出された。

   (詩編66編10~12節)

・・・・・・

神を畏れる人はすべてここに来て、聞け。/神が私に成し遂げてくださったことを語ろう。

私の口は神に呼びかけ/舌をもって崇めます。

私が心に悪事を見ているなら/わが主はお聞きにならないでしょう。

しかし、まことに神は聞き入れ/私の祈る声に心を向けてくださいました。

神をたたえよ。/神は私の祈りを退けず/慈しみを拒まれませんでした。

   (詩編66編16~20節)

 まことにその通り、アーメンというほかない。


2024年12月26日木曜日

「家計の把握」

  先日ラジオでファイナンシャル・プランナーの方が、「12月こそ家計の棚卸を」という話をしていて、「毎月の支出を一つ一つ把握している人は少ない」と言うと、聞き手のアナウンサーは「そうですね。電子決済は便利ですが、その時限りで、後で電子明細をチェックしたりしませんね」と答えていた。私は「みんなそれで不安にならないのか」と少しびっくりした。紙の通帳や明細書が電子のものに変わり、そのチェックがしにくくなったのは事実である。いちいちログインしてみなければならず、場合によってはそのたびに2段階認証を求められ、面倒この上ない。

 決済情報が一つにまとめられていればまだよいが、電子決済の方法はたくさんある。最近は量販店ごとにクレジットカードと紐づいたカードを勧めてくるので、そのたびに作っていたら大変なことになってしまう。家計簿アプリなるものもあるそうだが、私に使いこなせるわけがない。個人情報もどこから漏洩するか分からないため、私はエクセルで簡易的な家計簿をつけている。

 月初めに、まずメインとして使っているクレジットカードでの支払い明細をダウンロードする。これによりカードによる今月の支出(主に公共料金、電子マネーのチャージ代、クレジットで支払った新幹線料金、医療費、通販購入品の代金など)がわかるので、予め作成した家計簿欄に品目と金額をざっくり写しておく。あとはこの下に、日々の買い物ごとに今月の支出を書き加えていく。とはいえ、いつも行く5、6店舗は、店ごとに何を買うかは大体決まっているので、実際に買った細目は省く。つまり、日付と店名と値段を入力するだけである。最後に「食品」なら「2」、「雑貨」なら「3」というように、「交通費」「医療費」「通信費」、「公共料金」等々の品目を表す数字を入れておく。

 月末にはそれぞれの品目の合計が出るようになっているので、これを別ページに貼り付け、12か月揃えば一年間の品目別支出が分かる。退職してからこの方法でずっと家計簿をつけている。人は経済活動をしない日がほぼないので、家計簿は紛う方なく経済的観点から見た「日記」になるし、年次による変化も一目瞭然である。ただ、確かにこれは、時間に追われる方々には無理かもしれない。私も勤めていたころはとてもそんな時間はなかった。しかし、今の人たちはIT技術を使って適切な家計把握をできるはずだから、各自が自分に合った方法で、年に一度の棚卸をすればよい。棚卸と言えば、そろそろ来年の確定申告の準備をする時期、慌ただしさが募る師走である。


2024年12月18日水曜日

「食糧難の時代」

 ラジオを聞くことの効用は、自分では関心のない情報も得られることであり、これは自ら選んで行う読書ではすっぽり抜け落ちてしまう視点である。曰く、「カナダ国立公園で火災、北米で森林火災相次ぐ」、「アマゾンの森林伐採、2023年前半で約34%減少」、「アフリカ南部、アジア西部で砂漠化加速、世界で農地として使えなくなっている土地が毎年1億ヘクタール以上(日本の国土の2.6倍)」、「サウジアラビアの植物工場、使用する水の量は従来の1割未満、現在は葉物野菜のみ、今後は小麦やコメの技術開発が望まれる」、「温州ミカンが今ではいわき市でも栽培、千葉でバナナの栽培の試み、特産品になる日も?」、「ボルドーのワイナリーでしょうゆ造り、良質なぶどう栽培の先行き不安に備えて多角化」・・・

 今年は物が何でも高くなり、従来の値段では同じ物が手に入れられないことが深く庶民に浸透した。とりわけ米不足はこれまでと様相を異にしていた。新米との端境期には本当に市場から消えたのである。購入予約はできてもその場で手に入る米はなかった。それを知ったのは、教会で或る人から「お米どうしてます?」と聞かれたからで、家に買い置きがあった私は翌週その一部をお裾分けし、その後はネット上で米の出荷状況を注視することになった。

 田舎にならあるだろうと思った帰省先でも、スーパーの店頭に米はないという。農協の直売所に並んだものの、もたもたしているうちに後ろの人にかっさらわれてしまった。戦後のヤミ米市場もかくや、である。もっとも不埒な秩序紊乱者は1名だけで、周囲の人はあきれて見ており、殺気立った状況ではなかったが。私のように「パンも麺類もあるしな」と思える人ならよいのだが、家族、特に子供たちを食わせなければならないとなると、上記のようなことも起こるのであろう。

 私は悟った。高くても手に入るうちはいい。しかし今後の農業人口を思えば、いつか食糧が無くなる日が来るかもしれないということが、リアルな現実として眼前に去来したのである。

 令和の米騒動については、無論米を買い占めて値段を釣り上げるという投機的な動きはあった。こういう輩はいつもいる。コンサートのチケット等の価格高騰も同様らしいが、こういう輩から決して購入してはならない。いつまでも不正な行為を止めないからである。それとは別に、新米の価格が現在も高止まりしているところから見て、米の価格はこのまま定着するものと思われる。担い手不足などからやはり米の収穫量が減少傾向にあり、必要経費の上昇を考慮すれば正当な値段であるという結論になる。今までが安すぎたのだと言うこともでき、消費者は正当な価格を受け入れる必要がある。そのうえで政府には、需要を満たす十分な供給がなされるよう農政を牽引していただきたい。「米さえあればなんとかなる」というのは、或る程度日本の食卓の真実なのだから。

 キリスト教界で唱えられる「主の祈り」は次のようなものである。

天にまします我らの父よ。

ねがわくは御名をあがめさせたまえ。

御国を来たらせたまえ。

みこころの天になるごとく、

地にもなさせたまえ。

我らの日用の糧を、今日も与えたまえ。

我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく、

我らの罪をもゆるしたまえ。

我らをこころみにあわせず、

悪より救い出したまえ。

国と力と栄えとは、

限りなくなんじのものなればなり。

アーメン。

 子供の頃、母に「『日用の糧』って何?」と尋ね、「毎日のご飯よ」という答えを聞いた時の驚きを忘れない。他の箇所が何か非常に高尚なことを言っているので、特別な意味があると思っていたのである。その時受けた感じとしては「ズッコケた」が一番近い。ひもじい思いをしたことがなく、何不自由なく育った頭でっかちな子供には、この一節の重みが分かっていなかった。人間の弱い身体の養いに、主イエスが心を砕かぬはずがなかった。他の節と同様、人間が生きるのに必要不可欠なものであったと、今ならわかる。


2024年12月12日木曜日

「メールアドレスの新設」

  インターネット接続の件でプロバイダと連絡を取ったのを奇貨として、新たにメールアドレスを新設することにした。こういったことにはできるだけ手を付けたくなかったのだが、ここはもう勢いである。迷惑メールが増え過ぎて、大事なメールが紛れてしまいそうになっているのがずっと気になっていた。思い起こせば数年前にプロバイダを変えた時、メールの設定は工事の人にやっていただいた気がする。ネットで「メールアドレスを追加する」というサイトを見ると何だか自分でもできそうな気がするが、ちょっと考えてすぐプロバイダのカスタマー・サービスに電話して、技術担当の方の派遣をお願いした。自分でやって不測の事態が起きた時対応できないし、もし何かの手違いで現在使用しているメールアドレスが使えなくなったら元も子もない。

 予定では「12時から3時の間に伺います」ということだった。ところが1時半を過ぎても「これから伺います」との連絡がなかった。1時間くらいで終わるのかもしれないが、だんだん不安になり、カスタマーセンターに問い合わせる。「確かに予定は入っております。前のところが延びているのかもしれません。お待ちください」とのことで安心して待つ。この時点で私は自分の思い違いに気づく。「12時から3時」というのは私のところで設定にかかる時間ではなく、「その時間帯に到着します」ということらしい。2時半ころ「午前中のところが今終わりました」との電話があり、担当の方が到着したのはほぼ3時であった。

 私としては今後自分でもできるようになるために、メモを取りながら、ゆっくり進めてほしかったのだが、時間的にもそれは望むべくもない。私の後にもスケジュールが埋まっているのである。担当者はまずプロバイダの設定状況を確かめ、それからの手際の早いこと早いこと。マウスではなくタッチパッドを魔法のように操りながら、速攻で設定し終えた。私がしたのは「はい、ここにパスワードを入れてください」と言われたときに、それを入力しただけである。そのうち私の頭に疑問が浮かんだ。「この設定はパソコンごとに行うのですか」と聞くと、「パソコンごとです」との答え。私は愕然とした。家にはパソコンが3台ある。せめてあと1台は設定していってほしい。お願いするともう1台も設定してくれた。この2台だけでも既にバージョンが違うらしく、設定方法の若干の違いを説明してくれたのだが、私は意味も分からないまま書き留めるのみ。途中、「お昼食べてないんじゃないですか」とお聞きすると、「来るときに車の中でパンを食べました」とのこと、あまりに過酷な環境である。唯一私にできたのは、「これをエネルギー補給にどうぞ」と板チョコをお渡しすることだけだった。「わー、仕事に来ておやつもらっちゃった」と歓声を上げ、その方は私のパソコン2台の設定を終えると風のように去っていった。また新たな人手不足を目撃した出来事だった。

 さて、パソコンの新アドレスと自分の携帯メール、およびパソコンや携帯のGメールとの送受信を確認した後、残ったのはもう一台のパソコンをどうするかという問題である。これは非常に古いパソコンで、ソフトのバージョンも十年以上前のものである。だからこのパソコンに関してはもうメールの送受信はやめてもよいのだが、困るのは帰省先に置いてあるパソコンである。こちらは自分で設定しない限り、帰省先では新アドレスへのメールが受け取れないことになる。私はこの古いパソコンを練習台にして自分で設定する作業を試みることに決めた。

 「メールに新しいアカウントを追加」のサイトを見ると簡単そうに書いてあるが、古いバージョンだけに最初の画面から違っている。一応読んで手順を頭に入れたものの最初の感触は「とても無理だな」というものだった。いずれにせよまず必要なのはプロバイダにおける自分の設定状況である。しかしプロバイダのマイページに入るにも2段階認証で、送られて来るパスワードを入力するのに携帯に駆け寄らなければならず、機械に使われている感が強い。肝心の設定状況は、セキュリティが強化されたせいか加入時の設定状況とは異なることが分かった。それとともに、windows 8からwindows 10にアップグレードした時に起こる不具合についての説明もあり、「これもたぶん関係あるな」とチェックした。一日目はこれらの情報集めに費やし、自分なりに「こうかな」と思う入力をしながら試したが、テストメールの送信に失敗し続けた。エラー番号でエラーの原因も調べたが、さっぱり分からなかった。

 翌日、新たな気持ちでトライ。昨夜は睡眠中もずっとこの課題が頭を去らなかったように思う。既に設定が済んでいるパソコンの「メールの設定」を覗いて参考にする。バージョンの違いで細部が異なるため、「これでいいのでは?」、「今度こそいくのでは?」と、試行錯誤で一つ一つ駄目な組み合わせを消していく。あれこれ試すうち、テストメールの「受信メールサーバーにログイン 完了」と出て、夢かと思った。あとは送信メールサーバーだけ。自分でももう一歩のところまで正解に近づいているのをひしひしと感じる。朝8時から始めてお昼を挟んで午後も頑張る。「もう一度初めから・・・」と切り替えてやってみると、今までなかった「自動で設定する」というボタンが現れていた。「古いバージョンだから手動のはず」とは思ったが、取り敢えず押してみる。するとあっという間に「送信サーバーにログイン」も「完了」と出て、テストメールを送信できた。狐につままれた気分だったが、とにかく設定が終了したのである。ほとんど偶然みたいなもので、「自分で設定できた」と言ってよいのか分からないが、目的は達した。この2日間慣れないことで消耗したが、成果があったので疲れも吹っ飛んだ。きっと神様が憐れんでくださったのだと思う。あとはこの練習を踏まえて帰省先のパソコンの設定を成し遂げるのみである。できるかなあ。ま。最近は「すべてが社会勉強」と割り切っているので、駄目元でチャレンジ!


2024年12月5日木曜日

「一難去ってまた一難」

  11月の水難の後に私を襲ったのはインターネット関係の苦難である。これも私の超苦手な分野であり、今回の問題もまさしく悪夢であった。或る朝起きたらネットがつながらなくなっていた。始めは気づかずに「今日はメールが来ないな」とのんきに考えていたら、インターネットアクセスを示す扇状の波が出ていない。慌てて自分が知り得る限りの回復法を試してみたが、全く修正できない。何しろネットで修復法を探そうにも、それが使えないのである。

 「これはカスタマーセンターに電話で問い合わせないと駄目だな」と思って、次の瞬間私は完全に凍り付いた。電話も使えないのである。受話器を上げても赤ランプがつかない。私は電話とインターネットのプロバイダを変更するとき、両者を一括で同じ会社に変更した。そのせいで今どちらも使えない状態になっているのである。せめて別々にしておけばどちらかは使えたであろうが、プロバイダは一括で契約を勧めるのが通常である。一応室内のルーターは無事働いているので、これは「インターネットのケーブルが接続されていない」という状態である。

 「物理的な修繕を必要とする状況」だとほぼ思いかけて、ふと「もしかしたら何らかの悪意のある者が私のアカウントを乗っ取って使えなくしたのかもしれない」との思いが頭に去来した。そして「このままだと被害が拡大するのではないか」との恐怖に捕われてしまった。悪い想像はどんどん亢進するものである。取り敢えず、外部との唯一の交信手段であるスマホでサポートセンターに電話するが無情にも、「本日の営業は終了しました」の音声。ここまででほとんど全日つぶれたことになる。「インターネットでのお問い合わせは24時間行っています」と聞こえてきたが、スマホをほぼ使っていない私にはハードルが高すぎる。その日は区内にある支店の電話番号と住所を書き留めるだけに終わった。

  私はフリーダイヤルというものを信頼していない。つながるまでに長時間かかるからである。眠れぬ夜を一晩過ごし、私の心は決まった。「直接行くのが一番」である。翌朝、加入した時の書類一式を鞄に入れ、区内の支店に行く。行きにくい場所にあるのでタクシーを使う。運転手さんも会社の名称だけでは分からなかったので、「住所を調べておいてよかった」と思った。

  だが、行ってみると6階と書いてあったのは事務所で、1階店舗が開くまで1時間もあった。私は蛮勇を振るい、職員通用口から入り、そこで会った職員の方に「インターネットと電話が突然使えなくなり途方に暮れています。助けてください」と懇願した。その方はびっくりしていたが、私の苦境を思いやって別の階に移動して次の方につないでくれた。紹介された方も、これは彼の仕事の範疇ではないのだが、私の窮状を聞いて、「ご迷惑かけてすみません」と言ってすぐ工事関係の部署につないでくれた。これにより、その日のうちに工事の方が来てくれることになった。こういうのを惻隠の情というのであろう。この時、「電話も一緒に使えなくなったのなら、メールアドレスの乗っ取りと言うことはないでしょう。電話はテレビ線を使っているので」と説明してくれたことで、私の心配は一挙に吹き飛んだ。我ながら「どれだけアナログなんだ!」とは思うが、急激に前進したのは確かである。

  部屋の片づけをして工事の方からの電話を待つ。その間、兄に電話、メールして実家においてあるパソコンを調べてもらう。そちらはインターネットもメールも問題なく使えると分かったホッとする。やはり自宅での物理的な問題である。そのうち工事の方が来て、パソコンの電源を落としてから、家のケーブル付近で古い部品を交換したが復旧しない。「共用部の機械を見てきます」とのことで階下に行き、結局、「共用部のブースターの故障」と判明した。解決の出口が見え、私は全身の力が抜ける思いだった。電話機の受話器を持ち上げて赤いランプを確認、プーッという音が聞こえる。夢のようである。インターネットもつながって扇形の波長が見える。こうして悪夢は終わった。工事の人が変える前に、二つ質問をした。①「こういった場合どこに電話すればいいか」には、加入者向けの番号を教えてくれ、②「メールアドレスを変えたいが自分でするのは心配」に対しては、電話した時に出張サービスを頼めばよい」との答えが得られて助かった。

  朝出かけた時は、「今日中に見通しがつくといいな」と祈るような気持ちでいたが、ここまで回復できるとはまさに夢のようである。神様に感謝。この勢いのまま、迷惑メールが多くなったアドレスの変更しようと決心し、先ほど聞いた加入者用のフリーダイヤルに電話する。長時間待つのを覚悟したが、10分ほど待ってつながる。「メールアドレスは削除できないが、アドレスの追加をすればよいこと」および「メールアドレスはメールの機能を用いてでオン、オフの切替ができる」ことが分かった。新しいメールアドレスを考える時間が必要なので、メールアドレスを作るにあたっての注意を聞き、来訪の日時を決める。

  今度こそ悪者に知られにくいメールアドレスを作りたい。悪者にアドレスが漏れるのは、アドレスが簡易だからという理由ではないのかもしれないが…。今日はもうへとへとだが、「電話とインターネットで外部と交信できるようにする」という最大の課題は解決したので心は晴れ晴れ。一連の事態の収拾に力を貸してくれた方々には感謝のほかはない。これからメールアドレスの変更の手続きが残っている。ITおよびICT音痴にとって苦難はまだまだ続く。


2024年11月29日金曜日

「お役所仕事と民間企業」

  公的機関あるいは民間企業であっても公的性格の強い企業と言えば、役所、警察、消防、病院、銀行、公共交通機関などが真っ先に頭に浮かぶが、歳を取るとこのような公的機関と接触する機会が増えるように私には思える。仕事に費やされていた時間が減少し、生産性どころか端的に体力が弱まって様々な不都合が生じ、公の世話にならざるを得なくなるのである。お役所仕事と言えば悪評と相場が決まっていたが、もうこれは完全に間違っていると体験的に断言できる。私が接した範囲では、この方々は本当に仕事に真摯な態度で取り組み、原則に従って粘り強く課題解決に向けて進んでいく印象が強い。

 先日、銀行で順番を待っていると、或る男性老人が手続きをしに来ていたが、この方の態度が誠によろしくなかった。「これがいわゆるカスハラ、カスタマー・ハラスメントか」と、何とはなしに聞き耳を立てていると、その老人はぶつぶつと悪態をつきながら、聞くに堪えない言葉で暴言の限りを尽くしていた。最初に応対した受付の女性は用件を聞き、「各種申請」の担当部署に振り分けるところまでが役目である。この時までに既にこの老人は「いいから早くやれよ」などと何度も暴言を吐いており、「こんな人もいるのか。あの人恐かっただろうな」と私は驚きもし、また対応の矢面に立つ行員の苦労を思った。

 「各種申請」の窓口でも、その老人は「さっさとやれよ」などと口汚く言い、キャッシュカードの再発行か何かで本人証明が必要なのに、「区役所に行ってきた、何度言わせるんだ」と叫ぶばかり。区役所に行ったのは本当らしいが、この態度では相手にされるはずがない。この老人は今まで相手を恫喝することで話を進めるという手法で生きてきたのだろう。「駄目なものは駄目」と当たり前の姿勢で対処されても、正攻法でない何らかのあくどい手法で切り抜けることに慣れてしまったに違いない。対応に当たる窓口の若い女性は少し本人を待たせた後で戻ってきて、「今わたくし、区役所に電話いたしました。もう一度おいでいただかないと出せないそうです」と毅然と対応。この人すごい。私は心の中で喝采を送った。

 次に本人証明として銀行の端末に個人情報を本人が入力するという方法があるのでそちらを試すことになった。しかしこの方は、私から見てもお気の毒なくらいITに不慣れな方で、全く入力できない。「あんたやってよ」という言葉に、担当女性は「ご本人にやっていただくことになっています」と一蹴。「まず、『か』を2回連続押してください。『かか』になっちゃいました。×印押して消してください。連続でポンポンと2回押してください」と四苦八苦しながらもほとんど進まない。この方法が駄目だと見るや、彼女はフリック入力に切り替えたらしく、「では『か』を長押しして指を左に滑らせてください。あ、できましたね。では次・・・・」となって、この方法で結構入力が進んでいくようだった。その丁寧で的確な指示の出し方に私は感動を覚えながら、「無事終わるといいな」と応援していた。

 この方の対応法のすごいところは、決して門前払いしないということである。こんなに態度の悪い相手もあくまで客として扱い、できるだけのことをしようとするその姿勢自体、私などからすれば驚嘆に値する。さて、入力作業はもう少しで終わるかと思われたが、本人自身が最後まで辿り着くのは無理と分かったらしく、自ら入力作業を中途で放棄。老人は「もういい。他でやる」と捨て台詞を残して去って行った。店内の皆がほっとしたはず。まあ、あのまま続いて個人情報が駄々洩れになっても困るし。それにしてもこの若い女性行員の対処の見事さには脱帽。働くことの尊さを見せていただいたと思った。私の番が来るまで1時間かかったが、これも社会勉強、この女性行員はもちろん私の用件も、一つ一つ手順を踏みながらテキパキとさばいてくれた。

 民間会社との対応として最近経験したのはお湯の配管工事である。これに関しては、恐らく現業全般について言えることだと思うが、圧倒的な人手不足を実感した。原因特定の調査に入ってから見積りが出るまでに2週間、工事はその1週間後という状況で、こちらは気を揉みながら待つしかなかった。管理会社から「水道管会社と直接対応で工事をしてください」と言われたのでそのようにし、「できる限り急いでください」とのメールを打ってもみたのだが返信なし。10日程たって途方に暮れ、管理人さんを通して管理会社から連絡してもらったらその日の夕方に電話があり、見積りも夜になって送られてきた。ここから学んだことは、「個人で動いても効果は薄い。管理会社を動かすしかない」と言うことである。恐らく管理会社の方は少しでも手間を省こうとして水道管会社との直接対応をさせようとしたのだろうが、これは功を奏しなかったわけである。管理会社の方も水道管会社の営業の方もどちらも目一杯やってくれているのはよく分かる。忙しすぎるのである。仕事が多すぎるのである。人手が足りなすぎるのである。

 現場の工事に来た2名は、こんがらがった配管を丁寧に突き止めながら、その場の状況判断で工法を変えなければならない大変な工事をやり遂げてくださった。職人さんのこういう現場対応力は一朝一夕に培うことができないものであろう。感謝のほかはない。こういった一連の事態に直面して、社会で働く人々のお世話になっている身としていつも思うのは、現役世代の方々や今の子供たちを何とか応援していきたいという願いである。彼らの上に幸いがあらんことを心から願うばかりである。


2024年11月22日金曜日

「非常持ち出し袋」

  水難をきっかけに私の防災意識は一挙に高まり、それまで用意していた緊急避難袋の点検を始めた。区から届いた「災害時安否確認申出書」に同封されていた「非常持ち出し品」のチェックリストを見るや、私は自分の考え違いを悟った。チェックリストを順に書き出すと、

 飲料水・食料(水やお湯を使わないもの最低2食分)、上履き、タオル・着替え、スマホ・充電器、電池・懐中電灯、携帯ラジオ、ティッシュ、ポリ袋、簡易トイレ、常備薬・お薬手帳

<感染症対策として>

 マスク、アルコール消毒液、体温計、ハンドソープ・固形せっけん、使い捨てビニール手袋

となっている。要するに、「そのまま食べられる最低2食分の食料」というところから分かるのは、「非常持ち出し袋」とは、まず取り敢えず1泊を乗り切る程度の最低限の準備だということである。これなら家にあるものをまとめて大きめのリュックに放り込むだけでよい。

 これまで避難袋に私が入れていたのはかなり余分なものが多かった。アルファ米、ラップ、スイスアーミーナイフ(大小のナイフと缶切りやら栓抜きやらを一体化して折りたたんだ携帯用具)、同じ会社のスプーンとフォークが組み合わされて折りたたんだ携帯用食事用具、コップ、はさみ、爪切り、ライター、ろうそく、トイレットペーパー、軍手、ミニ洗濯物干し、ロープなどなど…。確かに最低限普通の生活をするにはこういったものが必要であろう。しかしこれらは、何とか家で暮らせる状態もしくは一旦家に戻れる場合に必要になるモノである。つまり「避難対策は2段階で行わなければならない」ということである。恥ずかしながら、私はこのことを初めて意識した。これからは1泊用の「非常持ち出し袋」と家用の「避難用品箱」に分けて考えることにした。

 家の「避難用品箱」には、ペットボトルの水、お湯を注げば食べられるインスタント食品、アルファ米、缶詰などの食料、それに簡易コンロを備蓄しておく必要がある。これまでの備蓄品を点検すると問題が明らかになった。アルファ米は完全に消費期限切れ(このさい賞味期限は問題外)であり、簡易コンロは最後に使ったのがいつか思い出せないという危険な状態であった。ラーメン等のインスタント食品は塩分が気になって普段ほぼ使っていなかったが、このところ電話待ちで家から出られないことが続いた経験から、「これもやはり少しは必要だな」と実感。買い物に出られないというのは一種の非常事態である。

 次に1泊用の「非常持ち出し袋」の食料に関しては、愛用しているカロリーメイトは最適だと思う。まさか1泊の避難生活先で魚の缶詰を開けて食べるわけにもいくまい。あとはカンパンもよいが美味しくはないので、代わりにお菓子類(チョコレート、飴、お煎餅)も侮りがたいのではなかろうか。期限切れを起こさないための工夫としては、家の「避難用品箱」に入れる食料はキッチンの食品庫ではなく、初めから分けて「避難用品箱」に入れ、古いものから消費すればよい。アルファ米など普段食べないものは1年に1度入れ替えるくらいでよいだろう。1泊用の「非常持ち出し袋」に入れる食料も初めから分けてここに入れ、同じく古いものから消費すればよし、これはそもそも普段食べているものだから問題なく回っていくはずである。

 さて、チェックリストの物品を「非常用持ち出し袋」に詰めていったが、次々と疑問が湧く。飲料水1ℓは重い、500mlでよいか、季節にもよるな、夏ならもっと要る、季節によると言えば着替えだってそうだ、ここは冬を旨とすべしかな、低体温症になったら大変、タオルならバスタオルは要らないか、いや枕にもなるしな、スマホと充電器はいつも電源に繋いであるので袋には入れられない、電池は単4でいいのかな、携帯ラジオがそうだから、電池も定期的に入れ替えないと消耗するな、お薬手帳はいつも通院グッズと一緒のところに置かないと忘れるから、薬の説明書でいいか、アルコール消毒液は小さめのスプレーボトルに入れないとすぐ使えないな、体温計の保管場所は薬箱から「非常用持ち出し袋」に変更しよう、マスクや使い捨てビニール手袋は5枚くらいずつあればいいのかしら・・・・。書いてないけど、あと大事なのは初動の服装。普段はパジャマじゃないと眠れないが、いざという時はやはりジャージの上下と運動靴だろう。薄手のヤッケもあるといいかな。これらは別の袋に入れて枕元へ置いておこう。合理的と思われる準備をしていったら、山歩きしていたころのリュックはパンパンになった。寝袋も出てきて、これは役立つこと間違いなしだが、これらを背負って果たして私は避難できるのだろうかという究極の疑問が残った。


2024年11月15日金曜日

「水難の相」

 1日目

 帰省から帰ってメールボックスを開けると、集合住宅のシステムセンターから「階下で水漏れが発生しています」との仰天のプリントが入っていた。「応急処置として水道の元栓を閉めています」とのことで、慌てて管理会社に連絡を取り、翌日水道設備点検会社にきてもらうことになったものの、「水栓はできる限り閉栓しておいてください」とのことで、洗濯も料理も入浴もできないと分かった。管理会社や水道設備会社との電話のやり取りや電話待ち等で階下の被害状況も分からぬまま一日あわただしく過ぎる。

 どっと疲れが出たが、しっかり食べねば翌日以降の対応に差し支えると、当日と翌朝の食料をコンビニで入手した。気落ちしてほかは何も手につかず。ただ、トイレだけは水槽に水を貯めねばならないので、仕方なく「水栓を開けては超特急で閉める」の繰り返しで、全く落ち着けない。防災の日にペットボトルの水を入れ替えてあったこととお風呂に水が張ってあったことで、飲料水や身体の清拭には困らなかったのがせめてもの幸いだった。


2日目

 朝5時に目覚める。昨夜は12時まで眠れなかったが思いがけず5時間ぶっ続けで眠れ、すっきり起床できた。9時に水道設備点検の方が来た。キッチンや洗面所の裏板を外し検査していたが、どうも温水の配管から水漏れしていることが分かった。それから洗濯機付近やお風呂場へと移り、場所はお風呂場と特定された。水道屋さんが「参ったな~」と渋い顔をしたのは、風呂場は全体がユニットバスで構成されており、裏板を外して見ることができないから。どうも厄介な工事になるらしい。また、配管を今までのように裏に隠すことは無理とのこと。エアコンのように管をカバー付きで壁を這わせるしかないという。私に否やはない。とにかく早く修復してほしいだけである。私の住戸の配管が修復されない限り、階下の修復も遅れてしまう。できるだけ早く見積りをおくってもらうため、郵送ではなくメールアドレスをお伝えした。

 問題の在り処が判明し、見通しが立ってほっとした。私にとって一つ希望が持てたのは、「使えないのは温水の配管だけで、水の配管の方は使える」ということ。水だけ使えれば当面十分ありがたい。ようやく気分が晴れて、買い物にでる。帰りに玄関で管理人さんに水道点検の結果を報告すると、「見積りを取って工事したら、報告書を水道設備点検会社に書いてもらって、被害宅の保険金の申請をする」という手順だと教えていただく。そのまま階下のお宅にご挨拶に行く。原因を伝え、と被害を与えたこと、ご挨拶が遅れたことをお詫びする。私と同じかなり昔からの居住者のためか、「どこの家でも起きうることですから。わざわざどうも」と言ってくださったので、ほっとした。帰って、お風呂の水を入れ替え、洗濯をし、夕ご飯をきちんと作って、「ああ日常が戻った」と思った。同時に、地震や水害の被災者はどれだけ大変なことかと思わずにはいられない。


3日目

 朝、集合住宅の管理組合が入っている保険会社から電話あり。

 この保険には共用部の災害補償だけでなく、個人賠償責任の補償が含まれているので、階下への被害はここから支払われることになる。電話の用件は、水漏れ事故の確認と私個人で入っている保険の確認だった。電話をもらうまで、個人加入の保険会社のことは頭になかった。「当然連絡しているだろう」というニュアンスだったが、何しろこんなことは初めて、それどころではなかったのが現状。また、階下へのご挨拶が済んでいるかとの確認もあった。昨日のことを話すと、「話の通る方で、よかったですね」と。

 電話を切ってすぐ、個人加入の火災保険を引っ張り出し確認する。それから管理会社に「管理組合加入の保険と並行して個人加入の保険の問い合わせを行ってよいのか」と電話で質問する。答えは、「管理組合加入の保険と個人加入の保険会社の間で情報共有することになり、保険金の請求は併せて行えるので、担当者のお名前と連絡先を聞いておいてください」とのこと。

 さっそく、個人加入保険の代理店に電話して用件を話すと、保険会社から電話があった。恥ずかしながら私が初めて知ったのは、保険は「建物」補償と「個人賠償責任」補償に分かれており、「建物」の補償としては、「水道管の破損等は補償の対象ではない」ということ。それじゃ、保険に入っている意味がないと私は思うのだが、多分こういうものまで補償していたらもたないのであろう。補償するのはそれによって被った床の水濡れ等の被害とのこと。私の住戸には今のところ目に見えるような被害はない。「取り敢えず『保険金請求書』を送るので、水道設備会社の水濡れ『報告書のコピー』と水濡れの『写真』、『修復の見積り書』を送ってください」とのことだった。これはほぼ自分には関係ないなと思いつつ聞いていると、「個人賠償責任」補償の方は、別の部署から電話が来るということだった。

 電話を待つがこの日は来なかった。工事や保険のやり取りでは「電話を待つ」ということが多く、家を空けられないのでちょっとした買い物もできずに閉口する。こんな具合で、この日も大変だったが、確実に進んでいる実感を糧に一歩一歩やっていくしかない。


4日目

 朝起きたら、トイレの床に水濡れがあった。雑巾では吸い取れないくらいで、水道設備会社を呼んでくれるよう、朝一で管理人さんにお願いする。「すわ、これが例の水濡れか」と思ったのである。その日のうちに来てくれることになり、何度か電話でやり取りする。午後4時ころ営業の方が来てくれることになり、私も水の出所を調べているうち、どうも破損した配水管関係ではなく、水道管とタンクが接続するあたりから3秒に1回ほどぽたぽたと水滴が落ちていると分かった。二日前に調査に来た時そのボルトも開け閉めしていたので、閉めの調整が足りなかったのではないかと思われた。直前にもらった電話でそのことを話しておいたところ、営業の方だったが工具を持って現れ、なんとか調節していただけた。大事でなかったことに安堵したが、一難去ってまた一難である。ついで風呂場の温水の配管についても少しお話を聞き、こちらから連絡できるよう、名刺をいただいておいた。

 ところがこれで終わらず、もう一つ「が~ん「となることがあった。水を浴槽に入れてあればお風呂の追い炊きはできると思っていたのだが、5分くらいは「追い炊き」が点滅して消えるという事態に遭遇。お湯の配管と関係があるかどうかは分からないが、メーターボックスの中は怖くて触れないので、今度工事に来た時に見てもらうしかないと思う。まあ、やかんにお湯を沸かして体の清拭はできるし、顔や足は水で問題なし。能登の方々を思えばなんてことない。とにかく今日はトイレの床の水濡れ問題が今日中に解決したことを神様に感謝。


5日目

 昨日直してもらったトイレのタンクのつなぎ目からは1~2時間に1滴ほどの水滴が落ちることが判明。これはもう工事の時、再度調整をしてもらうしかないと腹を決め、タンク下に水受けを置く。お風呂の追い炊き機能については、お湯の配管がつながらないと追い炊きできない仕様のガス給湯器なのではないかと思い至る。これも工事の時確認しなければならない。なかなかすっきり片付かないが、ここはじtっと我慢だな。他の生活はきちんと保たれていることに感謝である。


6日目

 日曜で礼拝に出かける。これまでの数日を思い、「安息日とはこのようにありがたいものか」としみじみ感じる。


7日目

 午後4時半過ぎ、個人加入保険の「個人賠償責任」補償担当者から電話あり。「連絡がいきます」と言われてから3日ほど経っている。下の階の方の連絡先を聞かれるが、「住所はわかりますが電話番号は知りません。集合住宅の管理組合加入の保険会社が対応してくれるはずです」とお答えする。「補償のことで何かありましたら、連絡ください」とのことでお名前と連絡先をお聞きし、管理組合加入の保険会社にもお伝えする許可を得る。次いで管理会社の担当者にもその旨お伝えする。


8日目

 外出から帰宅して夕方、水道設備会社に、「お風呂の追い炊きができず、トイレのタンクからも微量の水滴が落ちているので、できる限り急いで見積りを送っていただき、工事に着手してほしい」旨のメールを送る。 


9日目

 最近水難を経験し、にわかに防災意識が高まってきた。ずっと前に用意した緊急避難袋を更新して整備しなくてはと気づく。衣類等も選択が必要だし、他の生活用品や食料品の見直しも必要だが、準備するのに何日かかかりそう。

 折しも区から「災害時安否確認申出書」なるものが届き、河川の水位・非難の情報を電話で知らせてくれる制度の申請登録書もあった。有り難いことである。緊急時の避難や避難所での留意点などを書いて申請した。最近は町内会に入っていない住戸も少なくないと言うが、集合住宅として加入している町内会があってよかった。災害時には個人情報云々を言っている場合ではないのだ。できることは極力自分で行うが、こういう行政サービスがあると安心である。のほほんと暮らしていた日頃の生活を反省させられている。

 


2024年11月8日金曜日

「教会墓地」

  今年の11月3日は日曜でした。毎年11月の第一日曜は逝去者記念礼拝と決まっており、いつもそれに合わせて帰省しています。今年は少し前に教会員で親しくしている方にメールで連絡を取ると、前々日の金曜に教会墓地のお掃除があることが分かりました。「私も参ります」と返信して、当日は兄に信夫山の教会墓地まで送ってもらいました。所定の時間より前に到着したのですが、皆さん(私のほかに3名)すでに掃除に取り掛かっていました。敷地は少し前までにシルバー人材センターの方にお願いして草むしりが済んでおり、あとは飛び出た枝葉を落とし、枯葉を熊手や箒でかき集めて捨てることと、墓石を一つ一つ洗って雑巾をかけ、お花の水を用意する仕事が残っているだけでした。いつもは前日にお掃除をするそうですが、今回は週日雨の予報だったので急遽金曜になったそうです。

 そうこうするうち、たまたま信徒の姉妹の方がお花を供えに見えたのでしばし懇談し、その方がスマホに入れてきた伴奏に合わせて、「いつくしみ深き」の讃美歌を皆で歌うことができたのは、思いがけない僥倖でした。お掃除が終わると、今回のリーダー役の方がその場でコーヒーとお菓子を振舞ってくださったのにはびっくりでした。教会墓地の敷地は学校の教室よりは少し広いくらいの面積で、お掃除はやはりそれなりに時間がかかります。今年初めてお手伝いしながら、「毎年こんなに大変なことをしてくださっていたのか」と改めて申し訳なく、また感謝しました。来年以降も少し早めに帰省してお掃除に参加することをお約束してきました。

 さて3日当日、前日の大雨に関わらず快晴でしたので、「11月3日は『晴れの特異日』というのは本当だな」と感心しつつ、教会に向かいました。「ヘブライ人への手紙」11章13節~16節より「旅人であり寄留者」という題で説教をお聴きし、地上の生が短くなり天の国が身近な歳になった今は、「本当にその通りだ」という感慨を抱いています。礼拝後、有志の方々で信夫山に行き、墓前礼拝を献げました。聖書は「コリントの信徒への手紙一」15章42節~44節、

 死人の復活も、また同様である。朽ちるものでまかれ、朽ちないものによみがえり、卑しいものでまかれ、栄光あるものによみがえり、弱いものでまかれ、強いものによみがえり、肉のからだでまかれ、霊のからだによみがえるのである。(口語訳)

 この箇所も、教会が天に送った歴代の召天者を頭に浮かべる時、「本当にそうだなあ」と心底思います。11月の福島とは思えない絶好の日和で、心から感謝の時でした。


2024年10月31日木曜日

「つかの間の秋」

  近年ずっとそんなきがしているのですが 、今年もいつから秋になったのか皆目分かりません。急に肌寒くなる日があったかと思えば、10月過ぎても30℃を超える日があり、ちょっと動くと汗が噴き出す有り様でした。どうもこの夏、私は猛暑による

 PTSDを発症したようで、「夏」というワードを聞くと、苦痛を伴う不快な気持ちで息苦しくなります。熱中症の恐怖、暑すぎて動けない不安、運動できずに弱まっていく体力、膝関節症の悪化で歩けない焦燥感、家事ができないほどの倦怠感、終わりが見えない猛暑の長さ・・・こういう心理状態に追い込まれていくのでは、トラウマティックになるのも当然でしょう。

 9月はほぼ夏と断じてよく、10月は雨やどんよりした曇りの日が多かった印象です。それでもちょっとは涼しくなったので、部屋の片づけや園芸を少しずつできるようになったのがこの10月でした。夏の間にすっかり駄目になった多肉植物を整理し、新たに秋から冬にかけての花の苗を鉢に植え替えて楽しみたいという気力が湧いただけでも、1カ月前には想像できなかったほどの回復ぶりです。

 「さわやかな青空の懐かしい秋はどこへ・・・」と思っていたら、10月最後の日(あ、ハロウィンか)、ようやく秋晴れに恵まれました。私はたまたま帰省中で、朝のうちパアーッと青空に洗濯物を干した後、近くの農協の直売所に行きました。まだトマトやキュウリといった夏野菜もありましたが、通常の野菜とともに秋の味覚の里芋や果物類(梨、柿、キウイなど)をたっぷり買ってきました。リンゴはまだ早いようで、好みのものが見当たらず残念。帰り道ふと見ると、或るお宅の北側の垣一面、朝顔が満開でした。あれはどう見ても朝顔でした。植物も季節が分からなくなっているのでしょう。いずれにしても今日は里芋が手に入ったので、夕飯は迷いなく東北のソウルフードたる「芋煮」、いわゆる里芋の豚汁で決まりです。


2024年10月25日金曜日

EVをめぐるジレンマ ― フォルクスワーゲンとトヨタ ー

 10月初旬、「フォルクスワーゲンがドイツ国内の工場閉鎖を検討」というニュースが世界に衝撃を与えました。言うまでもなく自動車産業はドイツの基幹産業であり、これは国全体を揺るがす大問題です。日本で言うなら「トヨタ、国内工場閉鎖」に匹敵する出来事で、社会に及ぼす影響の度合いがわかろうというものです。ドイツの自動車メーカーとしては比較的北部のヴォルフスブルクに本社があり、私になじみ深いフランクフルトを拠点に考えた時には、ドイツ南部にある他の有名な自動車メーカーより親しみを感じているので、このニュースが現実化するとしたら本当に悲しいことです。工場閉鎖は、一言で言うなら「コスト削減のための対策」であり、ドイツ車がここまで追い込まれた直接の原因は、ここ2年ほどの中国メーカーによる極端な低価格攻勢にあると言ってよいでしょう。ただ、そこに至るまでの経過は一言で言えるものではありません。

 私は事の詳細を知りませんが、EV車をめぐる動向については一定の関心を持って眺めてきて、日本はこれまでかなり不当な扱いを受けてきたという印象を持っています。例えば、トヨタについて述べるなら、これまで積極的にEV車を量産しようと試みた様子が見えず、国外向けの車としては専らハイブリッド車(ガソリンで動くエンジンと電気で動くモーターを備えた車)の製造および輸出に特化してきました。その分野に強みを持っているからです。ハイブリッド車は欧州でもよく売れましたが、この車を欧州市場から締め出そうとしてEVへのシフトを推し進めたのがドイツだったと言って過たないでしょう。Co2の排ガス規制における偽装をきっかけに、欧州ではディーゼル車から一挙にEV車へと振り子が触れました。温室効果ガスの排出規制は2017年の京都会議以降、待ったなしの案件としてかなり厳しい心的圧迫を伴って浸透していき、私は非常によく覚えているのですが、ちょうど2年前の10月27日に欧州連合と欧州議会が「欧州内では2035年に、ガソリン車などの内燃機関で動く新車販売を禁止することで合意した」という報道がありました。よく覚えているのはかなりのショックを受けたからで、「本気かな」と疑心暗鬼にもなりました。ここには、脱炭素という大義名分を掲げて、長年技術的に優勢だった日本のハイブリッド車を欧州市場から駆逐する意図があったでしょう。日本の自動車産業の行く末を案じた人も多かったはずです。ところが、もちろんドイツ車も或る程度健闘したものの、欧州のEV市場で大きなシェアを獲得したのは、まずアメリカのTeslaであり、またここ数年で急速に広まった中国のBYDでした。この猛攻にドイツ車は非常に苦戦し、この土俵で戦う限りさらなるコスト削減を目指さねばならず、その結果が今回の工場閉鎖の方針につながったと言えます。

 現在、欧州市場では需要に対してEVの供給過多の状態が続いていると言います。理由は様々考えられますが、根本的な課題は電気の供給に関するものと言ってよいでしょう。電気自動車が環境に良いのはその通りですが、どのようにしてその電力を得るかが問題なのです。電力の供給方法やコストに関しては、各国がそれぞれ異なった状況にあり、それゆえ異なった課題を抱えています。自然エネルギーへの転換がどれくらい進んでいるか、原子力発電を採用するかどうか、化石燃料としては何を用いるか等々により、電力の生産能力は千差万別です。各国の国土の地勢や資源の特徴、歴史的経緯などを無視して、或る時点から一斉に「車の動力に電気以外は許さない」というのはそもそも無理があったのではないでしょうか。北欧の某国が水力発電で電気需要の90%以上を賄えるからと言って、これを国のサイズも国土の状況もまったく違う国に一律に当てはめるのは現実的ではありません。温暖化対策は言うまでもなく大事です。ただ、「待ったなし」と言われても、人々には日々の生活があり、それを急に変えることはできません。それは「角を矯めて牛を殺す」ことになります。影響を被る人にとっては、生活破壊を伴う電力至上主義は横暴以外の何物でもないのです。自然エネルギーは今のところやはり供給の不安定さを免れませんし、なおかつ脱原発、ウクライナ戦争以後のロシア産天然ガスの供給ストップとなれば、電気代は高騰します。「EV問題」とは詰まるところ「エネルギー問題」なのです。

 EVとは即ち電気自動車であり、乱暴に言えば電化製品です。電化製品というものは、少なくとも内燃機関車よりは性能を高めるためのマイナー・チェンジが容易です。世界中のEVメーカーがしのぎを削って開発、改良に邁進しているのですから、あっという間に性能は向上するでしょう。ということは、新車があっという間に低性能の中古車になるということです。高級イタリア車を短期間で乗り換えて、いつも最新の車に乗っている人もいますが、そんなことができるのは下取りに出しても高く売れるからです。EVではそんな乗り方はできなくなるのではないでしょうか。そういえば、イタリアのメーカーはどの程度EVを販売しているか、顕著な成果をあまり聞いたことがありません。

 トヨタ車はEV開発にあまり力を入れてこなかったように見えると前に述べましたが、本気でやるつもりなら、まずバッテリーをチャージする充電ステーションを国中に作ったことでしょう。政府も全力でそれを後押ししたはずです。日本における充電ステーションは3万か所程度と言われていますが、私が車の運転をしないせいか、近隣で充電ステーションを見たのは一か所だけです。東京でこうなのですから地方はなおさらでしょう。今は自動車業界も政府もその気がなかったと考えるほかありません。いや考えるまでもなく、現在でさえ夏場は電力不足がたびたび懸念される状況なのです。エネルギー資源に恵まれない、国土が狭く地震の多い国にとって、エネルギーの調達は全く容易ではありません。このうえ、車までEVになって電気を必要とするなら、電気の供給が到底足りないことは政府や自動車業界ならずとも一般庶民が一番肌で分かっています。特に昨今の電気代の高止まりは生活に大きな影響を与えており、この状況でEVの購入を選択肢に入れる人は多くないに違いありません。そういう現状であればこそ、トヨタは国内で売れにくいEV車製造には本腰を入れず、政府も「COP28で『化石賞』を受賞(2023年10月3日)」という不名誉にも甘んじてこれまでやってきたのです。国民経済を守るためなら背に腹は代えられません。世界から白眼視されても、「工場閉鎖で多くの従業員が路頭に迷うよりはまし」という判断をしたのなら、国民として誰がそれを責められるでしょうか。

 欧州自動車工業会によれば、2024年1月から7月までのEU域内の新車の販売数は653万台、そのうちEV車は81万台余りで、前年同時期に比べ全体では3.9%増えたものの、EVの販売台数は0.4%減とのことです。特にドイツでは昨年12月にEVを購入する際の補助金が打ち切られたこともあってか、およそ20%減少とのこと。EUは中国国内で過剰に生産された低価格のEV車が流入することを警戒して、7月からは中国産EVに対し暫定的な追加関税を発動しています。EU域内でEVの販売は減ったのに、自動車全体では3.9%増というのは何かと言えば、これはハイブリッド車の売れ行きが絶好調だったことによります。この部分は日本車の面目躍如たるところです。

 もう一つ根本的な問題があるのは、ドイツの経済全体を考えた時、ドイツだけでなく欧州各国に当てはまることとして、日本にはない厳しい条件が思い浮かびます。国債1400兆円超えの日本人からすると、ドイツでは国の収支が合っていてマイナスになっていない(借金がない)と聞けば、「スゴイな」の一言ですが、借金をゼロにしなければならないのは通貨がユーロだからです。日本が国債1400兆円でも平気で暮らせるのは、日本には通貨発行権があり、通貨発酵益を享受できるからですが、ドイツ連邦銀行やドイツ政府はEUの通貨ユーロを発行することはできません。通貨発行権のある国が国民のための支出を国債発行で賄ってもそれは借金ではありませんが、EU加盟国がユーロの発行元の欧州中央銀行からユーロを調達すれば、それは返済必須の借金です。日本が欧州連合の中にいたら、とっくに破綻していたことでしょう。これまでドイツは欧州域内のビジネスにおいて一人勝ちに近い成果をあげ、経済的に潤っていたため、この件が前景化しなかったのだと思いますが、今後を考えるとこれは不安材料です。この件を突き詰めるとEUの解消に行き着いてしまうので、ここに手をつけるとしたら大騒動に発展するのは間違いなく、軽々には口にできない案件です。

 もしも、トヨタが7、8年ほど前のEV隆盛の兆しの中で、「EV至上主義は早晩行き詰る。この方向に行ったら果てしない低価格競争に巻き込まれ、いいことは何もない。EV市場に参入するにしてもそれは今ではなく、勝機が見えた時だ」との深謀遠慮の末に、経営上の厳しい時期を「何を言われようとじっと我慢でやり過ごし、雌伏して(つまり開発・研究に専心して)時機を待つ」、という腹の括り方をしていたのだとしたら、それはすごいことだと思います。買い被りすぎでしょうか。しかし、これほど長く自動車業界のトップにい続けられること自体信じがたいことですから、やはり何かあると思わねばならないでしょう。

 ここで思い出すのは・・・そう、「忠臣蔵」の世界です。大石内蔵助(大石良雄)が日本人に人気なのは、討ち入りを成功させ主君の仇を討ったためではありません。彼の人物像において絶対欠かせない側面は、「昼行燈」と呼ばれた「うつけ者」を演じられる度量です。別に人を欺くためではなく、そうして時間をつぶしながら、じっと好機を待つという在り方です。その時が到来したら、やる時はきっちり目的を達成する・・・こういうマインドが日本人は大好きで、私にはそのような振る舞いができる人物をひとつの理想像と考えているように思えるほどです。

 EVの生産に消極的と思われていたトヨタは、コロナ禍真っ只中の2021年12月に行われたEV戦略会見で、「2030年のEV販売台数の目標を350万台とする」という発表をしています。現状を考えると大言壮語に聞こえますが、トヨタが何の勝算もなくこのような発言をするはずはなく、深い戦略がきっとあるのでしょう。日本国内でのEV車の普及には、まず何といっても全固体電池といった国産の高性能バッテリーや充電ステーションの設置が必要でしょう。比較的安価で使い勝手の良い軽自動車または超小型車なら、サブカーとしてほぼ近隣だけの用途で使う人は多そうな気がします。国外に目を向ければ、インド政府が本格的にEV車の普及に舵を切ったようですから、今後巨大市場として熾烈なシェア争いが繰り広げられるのは必至でしょう。日本産のEV車はどのように展開していくのか注視したいと思います。いずれにしてもエネルギー調達の方法は未来においても一つではあり得ないことを考えれば、少なくともトヨタは今後EVの製造を重視しつつも、やはり全方位戦略を維持するのではないかという気がします。


2024年10月18日金曜日

「予言と預言」

  友人からの書籍情報で読んだ本の中に、高島俊男の『お言葉ですが…』があります。1995年から2006年まで週刊文春に掲載されたコラムをまとめたもので全11冊になります。普段テキトーな言葉遣いをしている私には、言葉についての子細な説明についていけない感もあり一部しか読んでいませんが、この本はおかしな日本語の用法、漢字の表記などについて、中国文学者の立場から容赦なく一刀両断しており、その小気味よさが人気の理由でもあったようです。 

 最後の巻に「予言」と「預言」の用法について、長々と詳しい分析があります。著者周辺の編集者が軒並み前者を「これから起こることを見通して語ること」、後者を「聖書の中で神からの言葉を預かった人が語ること」、と区別していたことに驚いて、「預言」という漢字二字には「言を預かる」といった読み方の用法はないと言います。即ち、「予」の正字は「豫」であり、これを略して「予」あるいは「預」と書いたりするが、これらは異体字で全て「あらかじめ」という意味なのです。最初期の聖書は清代の漢訳聖書(これは英語の欽定訳聖書、いわゆるKing James Versionからの翻訳)であるから、「豫言」「予言」「預言」の間に意味の差はない、ということになります。漢訳聖書は(当然のことながら)全て漢字で書かれており、漢訳聖書の日本語版の漢字は漢語の借用にすぎません。このことが物語るのは、西洋の事物はまず当時の「学問の言葉」である漢語によって日本に流入したという時代状況です。なお、その後中国ではprophetという語を「豫言者」ではなく「先知者」と訳し、現在に至るという事実にも触れています。

 「なるほどなあ」と思いました。確かにprophetと英語で聞けば受験英語のレベルでは「予言者」が真っ先に頭に浮かびますし、実際初めて英語の聖書を読んだ時、「あれっ、預言者はprophetでいいのか」と、私も少し肩透かしを食った感がありました。ちなみに、「預り金」と言う言葉(漢字で書けば「預金」となる)は、室町時代の末期頃には既に存在し、「預り金」や「預り銀」といった言葉は江戸時代には盛んに用いられたといいます。明治政府がお金を集める必要から銀行制度を創設して「預金」という言葉を案出した時も、「預金」と書いて「あずかりきん」もしくは「あずけきん」と読んでいたとのことで、著者はこれが「よきん」と読まれるようになったのは日露戦争の頃ではないかと推察しています。これ以後「金を預ける」もしくは「金を預かる」という、名詞を目的語とした漢字二字の用法が現れたことが示唆されているようです。

 また、読者からもたらされた情報として、大正時代初めにできた日本語訳聖書では「前もって」という意味で用いた言葉に「預」の字があてられている箇所が何か所もあることから、この頃の日本では「預」が「予」の異体字として無造作に使用されていた証拠とされています。

 「予言」と「預言」の区別が次第に辞書や用語集に載るようになったのは戦後のようです。広辞苑では昭和三十(1955)年の第一版ですでに「予言」とは別に「預言」の項があり、それが1991年の第四版で明確化され「神の言葉を預かる」という意味での記載が見られるとのことです。その中間にあたる1971(昭和46)年版平凡社世界大百科事典には、「予言」のみが用いられ「預言」の文字はないが、翌1972年になると解説文はそのままで漢字だけが「預言」に変更されているとのこと。どうもこの辺りで何かが変わったらしいと推測できます。思い返せばこれはまさしく私の子供時代。もちろん私の頭の中にも「預言者」=「神からの言葉を預かる人」とインプットされました。

 私にとって「予言」と「預言」を区別することが間違いかどうかという論点よりずっと興味深いのは、なぜこの区別が燎原の火のように日本に広まったかということです。

 手元のオクスフォード現代英英辞典Oxford Advanced Learners Dictionary (Oxford University Press 2010電子版)でprophetの項を直訳すると、

①(キリスト教、ユダヤ教、イスラム教において)人々を教え、神からのメッセージを与えるために神から遣わされた人。原文 (in the Christian, Jewish, and Muslim religions) a person sent by God to teach the people and give them messages from God

②イスラム教を創出した預言者ムハンマド

③未来に起こることを知っていると主張する人

④新しい思想や理論を唱道する人

となっています。これを見ると、現代においてprophetはまず宗教上の特別な単語として用いられていることが分かります。特に①を日本語にした「神からのメッセージを与えるために神から遣わされた人」と「神からの言葉を預かる人」との間には紙一重の差異しかなく、この間の変換は容易に起きたことでしょう。

 それより三十年前の英英辞書として手元にある1976年初版THE CONCISE OXFURD DICTIONARY 第6版の第十刷(1980)には、prophetの項に次のように書かれています。

①霊感を受けた神の意志の教示者、啓示者、通訳。旧約聖書中の書き手または書 ※1 この後に具体的な預言者名の説明がある(大預言者はイザヤ、エレミヤ、エゼキエル、ダニエル、書の分量が短い小預言者はホセアからマラキ)。原文:Inspired teacher, revealer or interpreter of God's will; prophetical writer or writing in O.T. (major -s, Isaiah, Jeremiah,  Ezekiel, Daniel; minor -s, :Hosea to Malachi, whose surviving  writings are not lengthy)  ※2 さらにthe Prophetと大文字で書いた場合は、第一にムハンマドMuhammadの意、第二にモルモン教創始者ジョセフ・スミスJoseph Smithの意と書かれています。

②何らかの主義の代弁者、主張者。出来事を予言する人。予想屋。

 これを見ると、この時点ですでに、prophetは第一義的に旧約聖書の中でもっぱら用いられる語、そこからイスラム教、モルモン教等に派生していった宗教用語であったこと、またその他の、いわゆる「これから起こることを語る予言者」という意味についての扱いは、「或る思想の唱道者」や「予想屋」等と共に非常に簡素で大雑把に括られているだけであることが分かります。

 二十世紀は聖書の文献学的研究が世界中で急速に進んだ時代でしたが、事情は日本でも同じです。原語であるヘブライ語やギリシャ語での研究ほか独語、英語の研究成果を大いに取り入れて、日本でも聖書学が目覚ましく発展した時代でした。死海文書の発見という大事件もあり、子供心にその熱量の高まりはなんとなく覚えています。

 聖書学の進展に伴い、prophetという用語の特殊性も日本語の聖書の翻訳に徐々に浸透していったはずです。「預言者」という日本語が漢字の用法としては誤りでも、その特殊感を出す工夫が「預言者」という造語ではなかったでしょうか。いくらそんな漢字はないと言われても、日本人には新語作りの天性があります。「神の言葉を預かる人」とは、なんとぴったりくる言葉かと考えれば、或る意味、この語訳は正鵠を射ていたと言えるのではないでしょうか。

 敗戦後の日本人は、大本営発表に代表される空しい言葉ではなく、真の神の言葉を欲しており、加えて「預金」を「金を預かる」と読むことに何ら痛痒を感じなくなっていたため、恐らくこれを援用して「預言」という言葉を生み出したのです。してみると、これはタイムリーな歴史の偶然の積み重ねによる幸運なハプニングと言ってよいかも知れません。確かにこの言葉は多くの日本人の心に抵抗なくすんなり収まったのでしょう。でなければ誰もが知るほど、このような区別が定着するはずがありません。


2024年10月11日金曜日

「AIの未来に望むこと」

  毎日の暮らしを思い浮かべると、人工知能が生活のあらゆる領域にわたって深く浸透しているのを感じます。生活インフラ、公共サービス、生産・製造・通信・流通・金融などの経済活動のどれをとっても、AIなしには一日も暮らせません。定型文書の作成や定型的な対応の繰り返しおよび機械的な応答はAIが得意とするところで通常は人間よりも正確なのですから、任せておけばよいわけで、それらは元来人間の仕事ではなかったとも言えます。一方、囲碁や将棋の世界における対局で一頃衝撃的に受け止められたような、「人間が人工知能に負けた」といった見解も、「マラソン選手がポルシェと競って負けた」と嘆くのと同じくらい的外れです。これまでの全試合のデータを読み込ませてあらゆる勝ちパターンを覚えさせたら、まず誰にも負けるはずがないからです。

 ディープ・ラーニングによって自分で判断する力をもった生成AIの空恐ろしさは、やはり非生物学的意味でヒトのクローンを造れることではないでしょうか。或る人の乳幼児からの発した言葉、周囲から聞いた言葉や他者とのやりとり、遊びに行った場所での体験、自分の振る舞いや他者とのコミュニケーション、読んだり書いたりした絵本や文章、触れた書画や動画、聞いたり歌ったり演奏した音楽、その他ありとあらゆることを読み込ませれば、一定程度その人の脳科学的クローンができそうです。自分のクローンができたら、現在何かの判断で迷ったときどんな決定をするのか参考に知りたい気もしますが、そうすると自分自身はもう要らなくなる? 実際、美空ひばりのAI歌唱や手塚治虫のAI漫画など、亡くなった芸術家の作品データを取り込むことによって、その作者が存命であれば生み出したであろうような作品の制作を世に出す取り組みはこれからも行われることでしょう。無論、これらを冒涜と感じる人は常に相当数いて、この主張は将来にわたって絶えることはないでしょう。

 芸術家のファンというものはどちらかというと自分の好みに合わないイメージ・チェンジを嫌うので、それまでの歩みを踏まえてAIによって制作された作品は、別の意味で一定の価値を生むかもしれません。ただそれは、あくまでその芸術家が生きていたところまでのデータが生み出したものにすぎず、その後にどのような体験をしてどのように感じ、どのような作品を生んだかは誰にも言えません。突如天啓に打たれて、全く作風の違うものを製作したり、あるいは全く沈黙することだってあり得るのですから。愛する者をよみがえらせたいという思いは分かりますが、それは自分のために幻影を創り出す可能性を十分意識したうえで為さなければならないでしょう。

 ただ一つ「これならAIもいいかな」と私が思うのは、人の最期に立ち会うことに関してです。もし自分のAIができたら、私が頼みたいのは自分の看取りです。これからますます増える単身一人世帯の最終的願いはこれでしょう。「人手が足りない」という問題は人的資源を埋め合わせる以外、解決の仕様がありません。これはどれだけお金があっても解決できない事柄の一例です。現在、老齢人口の身元保証に関わる難題は零細的事業が少しあるばかりで、公的、根本的な解決に関してはその糸口さえ見えません。自分の全データを搭載したAIロボットが造れるなら、今まさに地方自治体や福祉関係者の善意のみによって支えられ、遂行されている途方もなく大変な業務のほとんどが解決されるでしょう。第二の自分(AI)を自らの身元保証人とすることができれば、年老いても元気なうちは身の回りの細々した用事を部分的にこなしてもらうことで相当長く在宅で過ごせるし、認知症になった場合は以前の自分の思考や意図を汲み取って対応してくれたら本当に有難い。そして、いよいよ最期の時には、その看取りとその後の一切を託せるならば、どれほど安心してその時を迎えられることか。もちろん、AI自身は自分の相棒の最期を見届けたのち、自動消滅するプログラムでなければなりません。


2024年10月4日金曜日

「空洞化する時間」

  タイパ(タイム・パフォーマンス)という言葉を聞くにつけ、映画やドラマその他の動画を倍速で視聴したり、出だしから一足飛びに移動して音楽のサビの部分を聴くような鑑賞方法について考えてしまいます。恐らくほとんどの人が部分的にこのような手法を使ったことがあるはずで、それを好む人々の気持ちが全く分からないわけではないのですが、ほぼ常にそうしているとなると話は別です。家庭にビデオデッキがない時代に生まれた人は、黙って流れる映画なりテレビなりを見るほかなく、画像的には動きのない間合いを含めてじっくり細部を味わうのが当たり前でした。現在は映画やドラマならものの数分、動画や歌のイントロならそれこそ数秒で視聴者の心を掴まないと、別のコンテンツに切り換えられてしまうリスクがあります。なにしろ鑑賞対象はいくらでもあり、リモコンや指の動きで対象を自在に操れる視聴者こそ絶対者なのですから、彼らに選ばれるためにはますますその需要に沿った作品作りがなされるでしょう。

 何のためにそこまでするかと言えば、世にあふれる膨大な作品を少しでもこなして人に先んじるため、そして或る非常に狭い領域での識者になるためです。「〇〇のことなら✗✗が詳しい」ということが流布することにより、その人は仲間内であるいは或る特定の集団の中で一定の場所を占めることができ、「何者か」になれる地位を手にするのです。目的達成の手段としてこれほどタイパの悪い方法はないように思えますが、他に比肩する者のない秀でた才能をもつ少数者以外はこのような方法を取るしかないのかも知れません。それさえ次々送り出されてくる作品の洪水に対して勝ち目のない戦いをするだけです。その場合、そこで費やされる時間の中身は果たしてコンテンツの「鑑賞」と呼べるのでしょうか。それは或る種からっぽの時間なのではないでしょうか。

 今からみると相当のんびりした時代に育った私でさえ、長い説明を聞く時は心の中で「早く結論を言え」と思ったり、話のまどろっこしい進行速度にイラっとすることがあるのですから、このタイパ重視の流れに取り込まれているのを認めざるを得ません。しかし、世の中は時間をかけて煮詰めていくしかない事柄や急かさずに見守るしかない事象で満ちています。人間の成長は行きつ戻りつしながらの、非常にゆっくりしたものだとつくづく実感する出来事がありました。四十年前の生徒が便りをくれたのをきっかけに、当時から現在までを埋める手がかりとなる話を、手紙という形で何度かやり取りしました。私は念のためemailのアドレスも添えて手紙を書いたのですが、メールで返信されることはなく、いつも手紙での返信でした。あの頃私が知らなかったことやその後の歩みの断片を教えてもらい、それまで長い間冷凍されていた疑問やわだかまりがゆっくり溶けていくようでした。知らないままで終わるはずだったことを知るのに四十年かかりました。それだけの時間が必要だったのです。思えばあの頃は生徒と格闘する毎日で、互いに分かり合えなくても相手を軽くかわそうとはせずに、真正面から付き合っていました。がちんこ勝負はめいめいの心にそれなりの痕跡を残さずには済まず、後悔ややるせなさが澱のように沈んでいきました。それらが空しい、無駄な時間ではなかったと分かるのに四十年を要しました。果たして今、人に対して無意識のうちにタイパを考慮して向き合ってはいないか、改めて自分自身に突き付けられていると感じます。


2024年9月27日金曜日

「現状把握力」

  気を付けないといけないなと最近とみに思っていることは、物事の正しい理解であり、避けなければならないのは認識の誤謬です。周囲を見渡して様々な事象、現状、事件等を知るにつけ、現状を正しく把握できていないために多くの有害で無用な問題が発生しているように思います。このようなことを自分の身には起こしたくないと強く思うのは、歳をとるほど「自分の行動は自分で決めたい」という気持ちが強くなるからです。若いうちにできた「我慢」も、或る年齢を超えて歳に反比例するかのように体力、気力、時間等の残余が減ってくれば必須の要素ではなくなります。日々の生活様式を決めるためには自分の置かれた現状を明確に知る必要があり、この時は悲観的にも楽観的にもならず、きっぱり私情を捨てて自分を客観的に見ることが不可欠です。どんな決定も現状の把握という基盤の上に行わなければ過つからです。

 先日、整形外科を受診しました。これ以上通院を増やしたくなかったのですが、片足の痛みが2週間以上続き歩くのに難儀したので観念しました。何があるにしても診てもらうのは早いに越したことはなく、「今、自分がどういう状態にあるのか正確に知りたい」という一念でした。エックス線を撮った時点で「異常なし」と分かり安堵したのですが、医師に「でも痛いんですよね?」と聞かれ「痛いんです」と答えると、後日MRIを撮ることになりました。長年骨が脆くなる薬を服用してきたので心配でしたが、結局エックス線では分かりづらい部分も含め、骨に異常はないことが分かりました。痛みを感じていた向う脛は問題なく、確認されたのは膝の軟骨のすり減りでした。ここに私の認識の誤謬がありました。主観的には「向う脛の骨が痛い」と感じていたのですが、実際は軟骨のすり減りが痛みの原因でした。それを聞いて心底安心したのは、もう片方の足で同じ状態を以前経験し、それを今は克服できていたからです。今後の見通しが立ち、「ほぼ完治に至るまで3年かかるが必ず治る」と思えることで、悩みから解放されました。

 毎日生活していくうえで必要なのは、「自分または自分を取り巻く状況を正しく知る」と言うことに尽きます。これはあらゆる分野に及び、巨視的に言えば、あからさまな不正と暴力が頻発する世界の中で、高齢化と少子化が進む社会の中で、生存を脅かす環境になりつつある気候変動の中で、弱肉強食が加速する世界経済と食糧問題の中で、「いま私は世界の中の日本という国でどんな局面に立たされているのか」を正確に知りたいと思っています。知ろうとすれば学びによって真実を知ることができるという特権は、世界的には誰にでも与えられているわけではありません。不正確な情報、粉飾、隠蔽、フェイク、洗脳がはびこるこの世でそれらを免れることは容易ではなく、そういう環境を手にすること自体が恵みと言うべき途方もない幸運なのです。真実を隠すのが致命的に駄目なのは、それによって正しい対処法を見つけることができなくなるからです。「骨が折れている」のと「軟骨がすり減っている」のでは治療法が違うように、問題の在り処が正しく究明されなければ過った対処法により、事態を一層悪くしてしまいます。それを故意に行う人々がいるとしたら許し難いことで、このような輩を糾弾しつつ、真実を見る目を養いたいものです。


2024年9月20日金曜日

「四十年後の生徒」

  最初の職場で担任をした生徒から久しぶりに葉書が来ました。十年ほど前まで時折年賀状が届いていましたが、こういう便りはいつか発展的に消滅するのが世の習いと思っていたので、今回は「おやっ」と驚きました。このように書くと、『二十四の瞳』的な麗しい師弟関係が思い浮びそうですが、全く違います。当時の学校を取り巻く一般的状況を一言で言うと、「校内暴力が荒れ狂った時代」と言ってよく、変な言い方ですが「素朴な暴力の段階」でした。私は大学を卒業してすぐ高校教員になったので、教える生徒は自分とそれほど歳が違わないのですが、或る意味近くて遠い存在でした。この最初の赴任先は都内でも指折りの「教育困難校」で、今風に(体のいい言葉で)言えば、「やんちゃな生徒」がたくさんおり、私ごときが到底対処しきれる生徒たちではありませんでした。

 彼女の葉書は私の下の名前をちゃん付けで呼ぶ書き出しで、「〇〇ちゃん、元気してますか。めちゃ、ごぶさただけど・・・」という当時と何ら変わらない言葉遣いで始まり、用件はと言うと、私の住所が変わっていないか(郵便が届くか)、まだ先生をしているのかを確かめたかったようです。私も当たり障りのない返事をサラサラと書いてすぐ投函しました。

 まもなく今度は長い手紙が届きました。それまでもその時々で或る程度の近況を聞いていましたが、その手紙には連絡がなかった間に起こったいろいろなことが綴られていました。かつての亡くなった級友のご遺族の話には胸が締め付けられ、逆に、時々会う同級生がモールのお店で店長をしていると知れば、「当時の流行りの、くるぶしまである超ロングスカートを履いてたあの子が・・・」と、立派になった姿をうれしく思いました。当時の人間関係を丁寧に育んできた様子も分かりました。彼女自身については、育て上げた娘さんが巣立っていったこと、犬の死をきっかけに引越したこと、その後病を得たことなど、「本当によく頑張ったな」と、一生懸命に生きてきた年月に心からの拍手を送りました。教育現場は「ツッパリ」全盛の、困難さの中身が現在と全く異なっていた時代でしたが、一つだけ確かに言えるのは、「あの子たちには生きる力があった」と言うことです。

 在学中、彼女と私は決して良好な関係ではなく、それどころかかなり険悪な緊張関係の中でやり合った記憶があり、実際、ずっと前に連絡をもらった時も意外な気がしたものです。「今ならもう少しうまくできたかも知れない・・・」という後悔があり、「いややはりあれ以外できなかった」とも思い、顧みて「本当に未熟な教師だった」と、結局そこに行き着くばかりです。もう教師でも生徒でもなく、ほとんど同年配と言っていい大人同士なのですから、私も最初の葉書には書かなかった近況をそれなりに詳しく書いて封書を返信しました。現在の私にできることはほとんどなく、一つだけ、闘病中の過ごし方についてはできる限りの助言を書きました。なぜまた私を思い出したのか分かりませんが、娘さんを独立させてちょっと気が緩んだのでしょうか。否応なく、悔いの多い二十代の自分を思い起こさせられ心は乱れますが、四十年前の駄目駄目な教員を思い出してもらえたのは有難いことと言うべきでしょう。


2024年9月13日金曜日

「最近の文学」

  読書が最大の楽しみの自分にとって、目が不自由でも音声で読書ができるのは本当に有り難いことです。近頃、人文・社会科学系の本を好んで読むのは考える手がかりを得られるからで、別な面から言うと文学が分からない」という側面もあります。私見では、経済成長のなかった「失われた30年」が中間層に及ぼした影響は計り知れず、人が自分の周辺の事象のみを深化追及するようになったという印象を抱いています。「貧すれば鈍す」ではなく、逆に「貧すれば敏す」とでも言えるような細やかさですが、人が自分に対して鋭敏になりすぎるのは、私には決して健やかなこととは思えないのです。

 世間でよく読まれている最近の文学書は必ずと言っていいほど経済の停滞を基調に格差や差別の救いがたい広がりを前提に描かれており、特に生育時における毒親の影が伏線になっていない作品は珍しいほどです。これに、ジェンダーやLGBTの問題が複雑に絡んで重要な主筋を形成している作品が多くみられます。自分の知らない現在の社会状況を詳細に知ることができるものの、率直に言ってその実情の描き方にも登場人物の繊細な心情にも、ついていけない感を抱いています。「文学賞の受賞作やわだ井の本を読んでも、なんか面白いと思えないの」と、たまに電話してくる友人が言った時、「私だけじゃなかったんだ」と思いました。

 多くの方が感情移入できているからこそ売れているはずの作品が、私にとっては「こんなちまちましたことで頭が満たされているとしたら、端的に辛すぎる」としか思えません。最近ラジオにもよく登場する、漫画家にして豪快な思想家ヤマザキマリが、正確な言葉でないながら、確か「日本(日本人)はどうしてこんなにちっちゃくなっちゃったんでしょうね」という趣旨の発言をしていました。「そりゃあ、若い時にあなたのような体験をする人がいなくなったからでしょ」というに尽きます。「かわいい子には旅をさせよ」が死語になり、大人は子供が転ばぬよう何歩も先まで気を配るようになって三十年経ちました。実際危険な世の中になってきたのは確かで、子供が減っていく過程で過度に手を掛けるようになったことは、自分もその流れに手を貸してきた者として否定することはできません。「みんなでひきこもりラジオ」や「尾崎世界観のとりあえず明日を生きるラジオ」など、今の日本に不可欠な本当に貴重な取り組みに尽力されている方々の働きを多としますが、それは社会がそこまで行き詰ってしまったということでもあります。とても辛い気持ちです。


2024年9月6日金曜日

「つかのまの幸い」

  いつまで月一の帰省を遂行できるだろうかと思い始めています。自分にとって果たすべきこととして行ってきましたが、今年は7月の帰省ができず8月にもつれ込んだり、移動時の不安が頭をかすめることが増えました。今回の帰省は不安定な天候と膝の痛みが悩ましい点でした。始発の新幹線に乗れれば自由席でもほぼ確実に座れるのでいつもそうしてきましたが、その時間には都バスが動いていないので最寄り駅まで歩かねばなりません。これまでは「担いで行く荷物が重いな」という程度の困難さでしたが、今回は「駅まで歩けるかな」という根本的な不安がありました。通院その他のスケジュールが決まっていると、帰省日の自由度はあまりなく、9月の帰省予定日は雨の予報でした。考えた末、「倍の時間をかければ多分駅まで歩ける。でももし、朝の出発時刻に雨だったら翌日にずらす」と決めて、兄にも連絡し、当日を迎えました。その朝は100%に近い湿度ながらギリギリ雨ではなく、無事出発でき、休み休みしながら駅まで歩けました。結局始発の新幹線に乗れ、福島に時間通り到着できました。意外な関門は新幹線からローカル線までの長い乗り換え距離とローカル線到着駅での会談の上り下りでした。さすがにここにはエレベーターはない。「今日は遅かったね」と、車で迎えに来ていた兄に言われました。

 そんな状態でしたが、帰省してよかったのは涼しくてよく眠れたこと、農家の直売所で桃、梨(豊水)、りんご(つがる)と故郷の味覚を存分に楽しめたことです。9月になって桃がまだあるとは思わなかったな。「さくら白桃」という初めて聞く名のとても美味しい桃でした。また、涼しくなったので8月にほとんどできなかった草むしりも少しできました。急がずゆっくり動けば家事も何とかなり、久しぶりにキッチンに立てました。この辺りは適切な気温と故郷パワーのおかげかなと思います。もっと涼しくなったら運動も再開して、必ず膝を直すつもりです。当たり前にできていたことが突然困難になるという事態は初めてではないとはいえ、改めてまた経験しなおして今思うのは、一日一日過ぎていく時間を、与えられた恵みの時として感謝しなければならないということです。「無理のない程度に精一杯頑張る」ことが目指すべき在り方だなと悟りました。「人の命は神様の御手のもの」、このような時が来年も来るとは限らないとの思いを、そこはかとない、しかし確かな秋の気配の中で胸に沈めたことでした。


2024年8月30日金曜日

「涼、求ム」

  暑さのピークは過ぎたかと思っていたら、軽い熱中症になってしまいました。あんなに注意していたのに…と考えると、その原因は「猛暑が長すぎることにある」としか思えません。常に冷房をかけている程度のことではどうにもならないほど、体内に熱が蓄積したのでしょう。熱中症の原因として、夏になってからの気温の総和は大きな基準になるはずです。体温付近の暑さが持続し限界を超えると、体は様々な機能を失っていきます。他の病でもそうですが、私の場合は横になってよく眠ることで回復し、大事に至らず済みました。ただ、注意していたのにそうなったことが何よりショックでした。

 そうこうするうち、今度は変形性膝関節症がひどくなり、今まで比較的軽かった方の脚が痛くて歩行がつらくなりました。これも原因は元をたどれば暑さです。6月くらいまではウォーキングにより大腿四頭筋を鍛えていたので無事でしたが、その後暑さで運動ができなくなり、膝に負荷が掛かったのです。暑さのせいでお風呂に浸からず、シャワーで済ませていたことも悪化の一因です。今のところ、ゆっくりなら割と歩けることもあるかと思えば、歩き出そうとした瞬間に「ギクッ」と飛び上がるほどの痛さに襲われることもあります。「飛び上がるほど痛い」というのは変形性膝関節症には不適当な表現で、実際は飛んだり跳ねたりを想像するだけで恐怖を感じる痛さです。

 暑いと料理をする気になれないのもよくないのでしょう。一応栄養には気を付けているのですが、食欲もないのでとても作る気になれず、外食するか中食に頼るかといった情けない状態です。やる気のない時は無理せずやり過ごして・・・と自分を甘やかしていますが、ラジオで「面倒くさいは認知症へ一直線」と聞いて「前門の虎、後門の狼」といった気分です。でもあと5℃気温が下がって、湿度も20%くらいのさわやかな気候にならないと、到底無理だなと言う気がします。

 加えて、農作物への影響も看過しえません。現在「令和の米騒動」と言われるコメ不足状態ですが、つい先日人に「お米ある?」と問われて通販サイトで検索してみると、「在庫切れ」が続出。在庫があるものも私の知らない銘柄ばかりで、値段も普段の2~3倍と見受けられました。確かにいくらコメ不足と言っても、「知らない銘柄のコメをいきなり十キロ買う勇気はないよな」とサイトを閉じました。他にも、きゅうりやトマトといった何でもない夏野菜が、収穫量が少ないのか、値が張るようです。

 また、現在九州から日本列島を横断しつつある台風を見ても、初めの予想はもっと東寄りで、関東も上陸予想内にありました。現在は全く違う進路を辿っていますが、一週間ほど前に「台風直撃」を心配したクリニックから予約変更を打診するお電話をいただき、有難く思いました。台風の進行速度があまりに遅かったので結果的には必要なかったのですが、最近の台風の進路を予想をするのは誰にもできないことでしょう。

 自力で動けない台風を押し上げて移動させる風がないため、進行速度が遅く降雨が何日も続くので、九州などは積算総雨量が過去最高の1000~2000超予想、台風から離れた東海、関東でも大雨・洪水警報が目白押しです。風も最初奄美辺りにいたころは一部建物倒壊レベルの60~70m/hという過去経験がない猛烈な強風でした。新幹線も最近よく止まる。以前はこんなことはめったになかった気がします。移動予定の人はスケジュールを立てるのが大変でしょう。人命が危ぶまれる状況で、他の生物、植物、農作物に影響がないわけがありません。「動かない台風」が常識になる時代、収穫の秋を前に心配を禁じえません。元をたどれば全て温暖化問題に行き着きます。これが解決する見込みは当面ないのですから、こんな夏が毎年続くのです。ラジオで誰かが「昔の夏はもっと楽しかった気がする」と言っていました。100%同意します。


2024年8月23日金曜日

「イヤホンの形」

  生活するための情報の多くを耳から得るようになって、イヤホンは私にとって欠かせないものになり、ヘッドホン型のものから耳の中に入れるものまでそれぞれ数種類をいつも手元に置いています。ヘッドホン型は3m以上とかなりコードが長く、パソコンを音声ソフトで読ませながら家事をするのに便利ですし、耳に入れるタイプのイヤホンは1mから1.5m程度の長さのコードで、それぞれ携帯用音声読書器を胸ポケットやタスキ掛けにしたポーチに入れて聞くのに最適です。

 しかし長年の課題として、なかなか体に合うイヤホンがないという問題を感じています。ヘッドホン型では非常に軽量の、頭を押さえつけないタイプを使っていますが、どうも耳の形に合わせて装着するよりも逆向きに頭に置く方がしっかり固定できます。別にどの向きに当てなければならないという決まりはないので構わないのでしょうが、一般的に想定されている向きで使用するとずり落ちやすいことを考えれば、自分の頭の形は標準からずれているのかもしれないという、これまで考えたこともない疑問が浮かびます。

 耳の中に装着するタイプのものはなおさらです。小型ラジオなどに付いてくるおまけのような片耳(もしくは両耳)用のイヤホンをインナーイヤー型イヤホンと呼ぶそうですが、これは耳の表面の耳介(外耳孔を囲んでいる貝殻状の突起)と呼ばれる部分にイヤホンの音の出る部分を引っ掛けて装着するタイプです。私はこのタイプのイヤホンが耳に合った例がありません。だいたい「接着面が少なく外れやすい」という以前に、「こんな大きなものがどうやって耳介に収まるのか」と思えるほどのサイズで、最初は「使用法が違うのか?」と謎で仕方ありませんでした。推理小説などで犯人の耳の形が分かった場合、耳の形は一人一人違って、指紋に匹敵する証拠能力があるという話が出てきますが、納得のいくことです。このタイプのイヤホンはせっかく付属していてもまったく無駄になるのが残念ですが、いずれにしてもこの形状では音漏れするに違いなく、少なくとも外では使えません。

 一方、外耳孔に深く押し込むようにして使用するタイプのイヤホンをカナル型イヤホンと言うそうですが、こちらは音の出る部分にシリコンのカバーが付いているのが一般的です。初めてこのタイプのイヤホンで音を聴いた時には、外部の音が遮断できるその密着感に感動したものです。仕様がしっかりしたものは左右で形状が違い、外耳孔に合わせて描くゆるやかな弧のおかげで上手くフィットするようです。集中して何かを聴きたいときにはこれに限ります。逆に、散歩中に聴く場合などは片耳は外しておいた方がよいかも知れません。音楽を専門に聴く方の中にはインナー型を愛用する人がいるとのことですが、個人的には私はカナル型の愛用者です。しかしこれにも問題があります。通常交換できるシリコンのサイズは大中小の三種類あるものの、私の場合大きいサイズを用いてもなお、耳孔の間に少し隙間ができて外れやすいのです。ここに至って、残念ながら、恐らく私の耳の形状やサイズは標準から外れているのだろうと結論せざるを得ません。身長など目に見えるサイズで標準云々を気にしたことはありませんでしたが、普通比べることのない部分では思った以上に個人差が大きいこともあり得ると自覚した次第です。この歳になってこんな身近なことで新たな発見があるとは思いませんでした。


2024年8月16日金曜日

「パリ五輪雑感」

  オリンピックとは不思議な大会です。普段さほどスポーツに関心のない人も「にわかファン」にしてしまう力があるのです。そしてこれはナショナリズムの高揚と分かちがたく結びついているのが特徴です。私の場合は子供のころとは違って、単純に自国の選手が勝てばうれしいといった感じではなくなり、一つのことに打ち込んできたアスリートがその成果を発揮する舞台として見るようになりました。ただ、その人間の限界に挑んだ究極の成果を残したのが自国の選手であれば、やはり特に注目してしまいます。戦火を交えている国同士の選手が、どのような心持ちで試合に臨んでいるか知るべくもありませんが、この大会が本当の意味で平和の祭典になる日が来ることを願わずにはいられません。

 私がざっと試合を見て感じたことを一つ挙げるなら、「とても公平な大会だった」という印象です。今回も含めて今まであまりオリンピックをかじりつくようにして見た経験がないのですが、これまでは結構「あからさまに不公平な審判」や「観衆が見てもあり得ない採点」や「世紀の大誤審」などがあって、「こんなの見るに値する大会じゃない」と思うことも多かったのです。しかし今回はそういう後味の悪いことはなく、とてもよかったと感じています、

 私が注目していたバレーボールについて言うと、男子は1勝のみ、女子は一試合も勝てていない。それでも男子が決勝トーナメントに進めたのは、出場国12チームのうち最初に4チームだけふるい落として8チーム残すからです。つまりA、B、Cの3つのブロックにおいて、各ブロックの3位であってもその中の最下位でなければ決勝トーナメントに進めるのであり、まさに日本は第8位でここに滑り込んだのです。そしてその順位の決定方法は非常に精妙に手順が定められています。今回私が初めて知ったこととして、①勝ち点の数え方(勝った場合、3-0と3-1は3点で、3-2だと2点。負けた場合、0-3と1-3は0点で、2-3だと1点)、②セット率の計算方法(得セットを失セットで割る)、③得点率の計算方法(得点を失点で割る)があり、勝利数が同じならこの順で決定されます。とてもよくできているなと思います。

 そもそもこのオリンピック予選を通過して本選に臨める12チームに入るということ自体、途轍もなく大変なことであり、どんな強いチームでもほんの少しの不測のファクターがそれを阻むことになりかねないレベルの高さです。このくらいきっちり決めておかないと優劣つけがたいチーム揃いと言ってよいでしょう。ですから、決勝トーナメントに関しては、私は「勝負は時の運」だと思っています。

 決勝トーナメントのイタリア戦は地上波の放映はなかったので翌日惜敗(2セット連取してから3セット取られた)という結果を聞き、「残念無念」の一言でした。退任するブラン監督の肩に顔をうずめて涙する選手を動画サイトで見て、「本当にいい監督だったのだな」と、彼らしか知りえない掛け替えのない時間に思いを馳せました。「勝たせてあげたかったな」とは正直な気持ちですが、それは不遜で傲慢な考えです。選手自身が一番悔しく、「力が足りなかった」と情けない思いをしているのです。しばらくしてからキャプテンの石川祐希が「・・・・これが今の実力。この結果を受け止めて、ここから強くなるしかない。・・・・」という趣旨のコメントを出しました。自分で全て分かっているのです。そして、「さらにバレーボールを極めたい」との決意を述べているのはさすがです。

 イタリア戦終了後に、選手に対しSNS等で心無い誹謗中傷をした者がいると聞いて、はらわたが煮えくり返りそうでした。バレーに限らずほかの協議の選手に対しても同様のことがあったとのこと、言語道断のとんでもない行為で、このような人たちはファンどころか人として最低です。こういう人は自分のために日本チームを応援していただけであって、選手の人気を笠に着て、ただ自分の自尊心を満足させたかっただけの人たちです。選手は何の責任も感じる必要はありません。本当のファンはどんな時でも応援するものです。悩み、苦しみの日のためにファンがいることを忘れずにいてほしいと思います。


2024年8月9日金曜日

「2024年の夏」

  暑さはあと2か月は覚悟していますが、8月7日は暦の上での立秋でしたので、今夏の前半、これまでのところを総括してみます。それはずばり、「猛暑とパリ五輪と経済不安の夏」ではないでしょうか。

 猛暑については何度も書いていますが、付け加えるなら「東京では7月の熱中症による死者が123人だった」ということです。「無理もない」と十分納得できる数字で、私も最低限の外出以外は家でエアコンをかけてじっとしていることしかできません。帰省先は東京よりは耐えられる暑さでしたが、今年は午前5時でも暑くて草むしりがほとんどできませんでした。料理をする気にもなれず、兄と車で外食に出るか、調理せずに食べられる惣菜を買いに行くといった悲惨な状態でした。一番困るのは、長引く暑さでウォーキングや運動ができず、筋力低下のためにちょっとした動きで肉離れが起きたり、変形性膝関節症や手足の関節の痛みが次々と起こっていることです。エアコンをかけても眠れぬ日が多く、あと2か月体がもつだろうか、一日も早く涼しくなってほしいと祈るばかりです。

 パリ五輪は帰省中かなりテレビを視聴し、堪能しました。やはりスポーツ観戦はラジオでは少々きつい。私が一番驚いたのは柔道のルールが相当変わっていたことです。はるか昔の私の記憶では、柔道は両者ともなかなか組み合わず、何かとてもせこいポイントで勝敗が決まる、全くつまらない試合が多かった印象がありましたが、現在では攻めないと失点するというルールになっていてとても面白くなったなと感じました。実力が試合にきちんと反映するルールを設定することの大切さを知らされた思いです。また、開催国フランスの柔道熱の高さに驚くとともに、世界のスポーツとなった日本発の武道を感慨深く鑑賞しました。あとは何といっても体操男子20歳の「みんなの慎ちゃん」の金メダル3冠(団体総合、個人総合、個人鉄棒)でしょう。内村航平の全く板についていないインタヴュアーぶりもよかったけど。

 経済に関しては、新札が7月10日ごろから出回り始め、数字がやけにでかくて慣れないうちはおもちゃみたい。物価高は相変わらず続いており、いずれ必要と分かっているものはさらに高くならないうちにと取り敢えず購入するという買い物パターンがすっかり身に着きました。ちょっと前までずっと、円安が止まらない一方、どこまで続く株高状態となっていましたが、8月に入って激しく乱高下。株価は一日でこれまで最大の暴落(4400円超え)を示したかと思えば翌日には最大の上げ幅(3400円超え)となり、円の価値も150円あたりを挟んで10円以上目まぐるしくかわる状況です。

 私は一昨年「経済を学ぶ」というタイトルで次のように記しました。

 「日本の経済、特に金融界で扱われている事業はほぼアメリカ直輸入のコピーですが、こういうことに庶民を巻き込むのはいかがなものかと強く思います。金融の強欲資本主義がサブプライムローンという詐欺的手法で奪ったものが庶民の家と暮らしだったことを忘れてはならず、新自由主義者たちは人の道に反する悪徳商品で儲けることに全く罪悪感がない人たちだということを心に銘記すべきです。・・・・不安を煽られて金融経済に巻き込まれていく人が増えるだろうと思うと、やりきれない思いです。

・・・・・・経済をどのくらいのスパンで考えるかにもよりますが、今後マイナス金利が続こうと私のような怠惰な年寄りは「もうこのままでいい」と静観の境地です。金融の世界は』誰かの得は誰かの損』になる世界、一般人が今更ゼロサムゲームに参加しても、投資で飯を食っているプロの餌食になるだけでしょう。日本人は『バスに乗り遅れるな』的掛け声に非常に弱いですが、昨今の投資への煽りはカモを呼び集めている気がして仕方ありません。賭場におけるヒリヒリするような感覚が好きな人、一か八かの賭けに出るところまで切羽詰まっている人、あるいは二十年先まで真剣に考えて策を練っている人でなければ、『みんなやってるし』程度の気軽な気持ちで乗せられてよいのか、他人事ながら危惧しています。なぜなら実感として、今まで政府や金融界が推し進めてきたことで庶民にとってよかったことなど何もなかったからです。・・・・・・」・

 また、昨年9月には「経済の仕組み」の中で次のように記しました。

 「・・・・・・今では米国との間の互いの経済の在り方は一蓮托生、無尽蔵とも言えるほど増大させ続けてきた実体のないマネーは間違いなくいつかクラッシュするので、これに伴うカオスに付き合わされると思うと気が重くなります。・・・・・

・・・・バブル崩壊以降、特に21世紀の日本の金融政策はただただ国家財政を破綻させないことだけを眼目にしてきたため、ゼロ金利を押し付けられた国民は実質的な大増税を課され、貧困化したためにもはや大好きな貯金をする余裕もなくなったのです。せめて金利が2~3%あったならこれほど惨めな安い国にはなっていなかったでしょう。・・・・・

・・・・日本も低成長およびゼロ金利となって久しく、「失われた三十年」という言葉もあるくらいですから、今後円安が加速するのも確実でしょう。政府は株式市場への国民の参加を大々的に奨励し、個人所得を増大させようとしています。しかし、2024年からの新しい少額投資非課税制度(NISA)に合わせ、ネット証券最大手のSBI証券と2位の楽天証券が9月以降、日本株の売買手数料を無料にするという話を聞くにつけ、そこまでして顧客として大衆を巻き込まないとならないほど追い詰められているのかと、かえって株式市場の危険感が増したと感じるのは私だけでしょうか。・・・・・」

 心配していた通り、いわゆる新NISAを始めて、少なくない方が今回の株の暴落で被害を被ったのではないでしょうか。そしてもちろん、不慣れな投資でなすすべなく失ったマネーをごっそり手に入れて大儲けした相場師もいるのです。

 株は私には無関係ですが、ただ一つ、最近「これはいかん」と行動を起こしたのは米の購入です。気候変動の影響は米も例外ではなく、どうも米不足になりそうだと聞いて、さっそく通販にアクセスしてみると、なんといつも買っている「つや姫金芽米」5キロがない! あっても1.5倍の値段になっている! まだ3キロ以上玄米があるものの、「食事は米さえあれば何とかなる」と思っている身としては、これは由々しき事態。かろうじてまだあった「まばゆきひめ」5キロを購入することにしました。初めて聞くブランド米ですが、品種としては「ひとめぼれ」らしい。山形の同じ産地の米だし、「ひとめぼれなら美味しいはず」と取り敢えず注文して、ほっと一息ついて到着を待っています。何だか大変な夏です。


2024年8月2日金曜日

「マンション管理組合のあるべき姿」

 先日、たまたま集合住宅のロビーで出会った居住者Aさんと立ち話をする機会があった。Aさんとは普段行き来するような間柄ではないが、ことマンションの管理に関する課題についてはお互い問題意識を共有することが多く、そのたびに連絡を取り合う仲である。実は、先月の管理組合理事会の議事録にあった「管理協力金」について私は大きな疑問をもっており、彼女の意見を聞きたいと思っていたところだった。

 「管理協力金」とは何かと言えば、「理事を辞退する住戸が支払うお金」とのことで、私は仰天した。ここ2、3年は理事会の出席率は9割ほどで議事運営に支障はないと思われるのに、ずっと欠席し続けている理事のことが問題になっているらしく、そういう「どうしても理事を引き受けられない」ケースに備えて、「協力金」(という名目で事実上の罰金)を科した方がよいという話になっているらしいのである。

 これは由々しきことである。今の理事会の方には分からないと思うが、私が理事だった7~8年前は理事会に人が集まらず、定足数に足りるかどうか毎回ハラハラして理事が集合するのを待っていたものだった。なぜそんな状態だったかと言うと、このマンションの理事会は発足当時輪番制ではなく、輪番制に移行したのが十年以上たってからだったためである。それまでの経緯が様々あってスムーズに運営できるシステムがなかなか確立せず、隣の住戸の方が理事になれば「次は自分の番」と分かる程度のことだったのである。どのような組み分けで今現在どのように順番が進んでいるのかという具体的な俯瞰図が周知徹底されていなければ、あまり自覚がないまま理事になり、よく分からないし面倒だから理事会に出たくないと思う人がいてもおかしくない。

 私に理事が回ってきたのはまさにそのような時で、私自身理事会のことを考えるといつも本当に胃が痛かった。従って私がまず手をつけたのは総括的な輪番表づくりだった。これを理事が後退する時期の半年前に全戸に配り、自分はどの班で、自分の班の次の理事は誰か、また自分のところに理事が回ってくるのは何年後かが一目瞭然に分かるようにした。これによって各戸に理事の自覚を醸成でき、また各期の理事会がそれぞれ欠席者に声掛けするなど尽力した結果、出席率9割の理事会が出来上がったのである。

 理事会の仕事は時に非常に大変で、この負担を免れている住戸に批判の目が向くのも理解はする。「一度も出席できないなんてことがあるか!」という苛立ちも分かる。全員出席できるに越したことはないが、今回検討されている「協力金」案はその解決にならないと自信を持って言える。なぜなら、「やむを得ず理事を辞退する場合には協力金を払う」という制度が確立すれば、これは理事をしたくない人の頭の中では容易に「協力金を支払えば理事を辞退できる」と変換されるに違いないためで、私は何よりこれを恐れるのである。はっきり言って喜んで理事会の仕事をする人はまずいないので、お金で解決できるなら…と皆が考えれば理事をする人はいなくなる。これまで苦労して築き上げてきた理事会の在り方があっという間に崩壊するのが目に見えるようだ。

 この提案の決定的な欠陥は「やむを得ず理事を辞退する」ことができる基準を理事会が提示できないことにある。今どき全くの健康体で通院等がない高齢者などおらず、また仕事や子育て、介護や看護等で忙殺されていない家庭などないのだから、或る住戸が理事を辞退でき、別の住戸はそれが承認されないなどということはあり得ない。もしあれば、巨大な不満が他ならぬ理事会に向かって渦を巻いて流入するであろう。「協力金」が或る住居から得られない場合、それを取り立てる法的根拠はあるか、誰が徴収するのか、毎月ある理事会に1回だけ出席した場合はどうするのか・・・といった、具体的な手順を少しでも考えれば「これは到底無理だ」と分かるだろう。そしてどんな場合もそうであるように、お金が絡んだ場合の不和は回復できないものとなる。

 或る不都合な事態を改善する簡単な方法などあり得ないと、私は日頃から思っている。軽く考えて実行に移した場合、以前よりも一層事態が悪化することも多い。こと居住環境の保全または改善に当たっては、全員が相応の責任を負って、力を合わせて進んでいくしかない。世の中には仕事の分かち合いという形でしか保てないものもあるのである。

 その後、Aさんより連絡があり、大規模修繕など他の問題も含めて意見のある方々が、理事会に臨席して意見を述べ、問題を解決したとのこと。「協力金」に関しては廃案になったと知らされた。すごい行動力! Aさんは前のマンションで、理事会が管理会社の言うままに管理費をとめどなく増額させていったのに業を煮やして引っ越してきたというツワモノ、やはり経験知が違う。こういう人がいると本当に心強い。


2024年7月26日金曜日

「変わりゆく渋谷」

 帰省している時以外は、ほぼ毎週日曜は礼拝出席のため渋谷に行きます。そのためここ数年、再開発によって渋谷駅界隈が変貌する姿をつぶさに見てきました。地名に「谷」という字があるだけあって、渋谷はどこに行くにも坂が多い街です。私が通う教会は丘の上にあるので、以前は駅から登っていく位置にありました。通い始めた十年以上前はそんな坂など物ともせずに登り降りしていましたが、牧師先生が説教の中で「坂道を毎週えっちらおっちら登ってくる」ご高齢の信徒のことに触れるたび、「このルーティンを毎週こなすのが大変になる時が来るのだな」と心していました。また、実際に変形性膝関節症になった時は、エレベーターとエスカレーターの位置を頭に叩き込んでおかないと移動できないこともあったのです。教会堂自体も再開発に伴い、少しの距離ではありますが移動せざるを得ず、新会堂への引っ越しはやはり大変な事業でした。

 先日、ラジオで「渋谷駅にあらたに新南改札が設けられた」という話をぼんやり聞いて、「ん? それはもしかしてあのJR線の真上のこと?」と、思わす耳をそばだてました。もしそうなら、「JRを使う人にとって教会までの道程は恐ろしくショートカットになるな」と思ったのです。期待に胸を膨らませて、先日礼拝に行く際に注意して見れば、小さいながら真新しいJR改札ができており、「これはすごい!」とうれしくなりました。ここしばらくの暑さは私でも「無事に帰って来られるかな」と心配になるほど災害級に強烈ですが、私よりはるかに年長の方が礼拝に出席されているのには感嘆するほかありません。案の定、その日はこの新南改札の話題で持ちきりでした。JR駅からエスカレーターを使って、ほぼ水平移動で教会までたどり着けることになったのです。

 実のところ、私はバスで移動しているためこの新改札の恩恵はまずないのですが、これだけ近いと時短のためたまには利用してみようという気になります。渋谷ヒカリエより南や東へ延びる総合施設の開発も急速に進み、外国人を主客層とする渋谷ストリームSTREAMや、異文化をつなぐスポットとして設計されたらしい渋谷アクシュAXSHなどが次々と完成しました。この間、一週ごとに変貌していく様子を砂被りで見て来られたのは、なかなか楽しい体験でした。ただ、少し心配なのは鎌倉や京都や富士山麓ほどではないにしても、やはりオーバーツーリズムではないかということです。これまで渋谷駅西口からのバスは、そこで大方の人が降車するので必ず座れたのですが、先日はバスの後方まで行ってもまさかの満席、そしてその多くが外国人でした。私は顔までは認識できないのですが、体のサイズが日本人離れしていたので恐らくそうだろうと思います。もしかすると路線バスを手軽な観光バスとして利用していたのかも知れません。京都の市バスの混雑を気の毒がっていたのに、まさかこんなところにまでインバウンドの影響が出るとは思いませんでした。シルバーシートに座るのも気が引けるし、乗客が多い路線はバス便を増やす以外ないのではないかなあ。それに二人掛けのシートに外国人が二人で座るのは相当きついだろうし・・・。観光立国を標榜するなら移動手段の整備もきっちりやっていかないと、観光客も居住する都民もストレスが溜まりそうです。小池都知事、都心を体験しようとやってくる多くの方々のため、移動手段へのテコ入れもなにとぞよろしくお願い致します。


2024年7月20日土曜日

「自己実現のパラドックス」

  若い人の就職について考える機会がありました。現在の若い人々の就労の在り方は一昔前からは想像できないほどの変化を遂げているようです。初職を得た職場にずっと勤めるつもりの人は多いとは言えず、転職は当たり前の事らしい。特にここ数年は若手労働者の取り合いになっているようで、「数年前まで大企業の採用は新卒9に対して中途(いわゆる第二新卒)1だったのに、今はほぼ5対5になっている」とラジオでは告げていました。

 大抵の人にとって「自分がしたい仕事」、「自分に合った仕事」というものはもちろんあるでしょう。他面、それを選択してうまくいくかどうかは、或る意味、誰にも分らない永遠の謎と言えるのではないでしょうか。一般的に仕事の選択にあたっては、「やりがいや使命感」を軸に、賃金や労働環境、ワークライフバランス、将来の見通しなどの視点を勘案して決定するのでしょうが、今の若い人はこれに加えてさらに、社会に出る前から将来にわたる自律的キャリア形成のヴィジョンを求められます。かつて芸術系の世界で自己実現を望んだ若者が自発的におこなった選択とは違い、これは社会の要請によるものであり、学校のキャリアセンター、就職情報企業の就活セミナー、若者を採用する企業の就職説明会をはじめ全メディアを挙げて喧伝されているのです。このターゲットはかつて高等教育に進まず夢を追った若者層ではなく、高等教育を受けて正社員を目指す若年労働者のボリューム層です。この層に向けて集中的に同じ方向づけがなされるのですから疑問を持つ人はまれで、皆乗り遅れまいと何だか分からぬ巨大な潮流に飲み込まれてしまうのは如何ともしがたい。或る年代以上の人には経験のないこの事態、すなわち、将来のキャリア形成を見据えて目の前の仕事を主体的に意味づけし、社会状況の変化に常に対応できるよう持続的に学ぶこと、そして下した決定がもたらす現況は全て自己責任として本人に帰せられるという過酷な風潮が、今の若者に課せられているのです。

 同世代の過半数が高等教育を受けるようになり、またキャリア教育が徹底されるようになった現在、社会の中で自分の場所を見つけようとする時、若者が苦悩するのは理の当然です。現状を分析し、そこに最適化できるようにスキルや経験を積み上げようとする人は今いる地点に満足せず、転職してさらに上を目指すでしょう。自律的キャリアを生きるべく教育されたため、自分のしたいこと(本人にとってはそれができなければ生きる意味がないと思えるようなこと)がそれなりに確固としてあるので、それがかなわぬ状態では不満がくすぶり続けます。「どこまでも自分は自分でいたい」という自己実現の願望はキャリア教育によって格段に強固なものにされたと言ってよいでしょう。才能や運に恵まれうまくキャリア形成ができる人がいる一方、逆に「ここじゃない」と転職をくり返して心身をすり減らしたり、職場で不遇感を募らせる人も多いでしょう。よりよいキャリア形成のために「こうすればほぼ必ずうまくいく」といったことはあり得ず、どのような結果が出てもそれは自己責任として受け入れなければならない社会になりました。

 職業を決める時の一番の動機は、まず誰にとっても「やりがい」であることは確かで、自分の仕事が社会でどのように役に立つ仕事であるかを考えない人はいないはずです。しかし、新卒一括採用が基本となっている現状では、これまで進学時における入学試験で経験してきたのと同様に、同世代の中での偏差値という視点を捨てきれず、みんなが目指す企業を選択肢に入れ、取り敢えずそこにおさまってしまう場合が非常に多いように見受けられます。既存の大企業が今後どれだけ発展できるのか私には分からないものの、これまでのやり方では駄目だろうという予感だけは強くあります。だから、仕事への関心や覚悟、向き不向きや才能を度外視して従来の思考枠の延長で就職した場合、自分が望んだキャリア形成に成功する可能性は低いと言わざるを得ません。勉学で成果を上げられるマインド及び能力は、仕事で成果を上げるためのそれとは全く別物だからです。ここに至って「何をして生きていくか」という仕事における自己実現は本当に大きな課題となって若者の日常を覆うことになります。

 『夜と霧』で知られるV.E.フランクルは強烈な体験をもとに、精神医学会でロゴセラピーという研究分野を創出しました。『夜と霧』のドイツ語原文タイトルは“Ein Psycholog erlebt das Konzentrationslager”(『或る心理学者の強制収容所体験』)ですが、その後に出版された講演集のほぼ同名のタイトルに付された前置き、“…trotzdem Ja zum Leben sagen: Ein Psychologe erlebt das Konzentrationslager”(『それでも人生にイエスと言う』に注目するだけでも、これはもう途轍もない内容の本だと分かります。自殺を企図するものが続出するという極限状況において、それでも生きる意味を問うということは、穏やかなご利益宗教が横溢する環境にある者にには理解をはるかに超えた到達点です。真正のユダヤの知性がその特殊な人生を自分への問いとして捉え、究極の思考の末に辿り着いた境地なのだろうと想像するしかないのです。

 ロゴセラピーの日本での提唱者、勝目茅生さんは『ロゴセラピーと物語』の中で、「いわゆる自己実現は普遍的な意味を実現させたとき、その見返りとして初めて出てくるものなので、これを行動の目標にすることはできない」と述べています。そしてフランクルの譬え「自己実現のブーメラン」を引いて、「そのような(自己実現を目標にする)人たちは、ブーメランのようなものだ。ブーメランがいつでも投げたハンターのところに戻ってくるというのは間違っている。ブーメランは目標に達しなかった時だけ、つまり獲物に当たらなかった時にだけ、自分のところに戻ってくるのだ(フランクル『ロゴセラピーと実存分析』)」と書いています。何と卓抜した比喩でしょうか。ここで言う「普遍的な意味」とは万人に共通するという意味での普遍性ではありません。刻々と人生から送られてくる問いかけを各人が耳を澄まして聴き取り、それに対して全力で応えていくという意味なのです。人生からの問いに答えようと専心した時にのみ自己実現ができるのであって、目標を間違えて自分だけに目を向けてしまうと、まさにそのことによって自己実現に失敗すると述べているのです。

 護送船団方式的メンタリティで長年やってきた世代では、或る程度流れに乗っていれば惰性で過ごしていてもなんとかなりました。自己実現などと言う大仰なことを考えなくて済んだのです。終身雇用が当たり前だった時代には、考慮すべき問題はほぼ職場の中に限定されており、人生の大転換を伴うようなキャリア形成や将来の展望など考えずに過ごした人が過半でしょう。それに比して、少なくとも戦後の日本においては今ほど個人の決断がその人の将来の在り方に直結する時代はなく、その点で今の若者は大変です。

 しかし、そのことは決して悪いことではないと、最近思うようになりました。それは年を重ねると、もうさほど長くない残りの人生について決断ばかりが増えるからです。次々と生起する問題に適切な判断を下すことは、生活の満足度や積もり積もって臨終における後悔しない生き方につながるので、真剣にならざるを得ません。それは絶えざる学びとたゆまぬ努力を必要とするものです。もし各人が若い時から一つ一つの選択について真剣勝負で学んで判断していくなら、そしてその経験の積み重ねによって人生を形成するなら、その人は自分についてのエキスパートになるはずで、そうである以上どのような人生になってもそれを受け入れる地平に達するに違いないと思うのです。今の人に一つメリットがあるとしたら、それは少子化です。とにかく労働人口が極端に不足するのは間違いないのですから、考えようによっては「自分のしたい仕事」ができる可能性は広がっているわけです。若い方々の健闘を祈ります。


2024年7月15日月曜日

「猛暑が変える生活様式」

  安生正の中編に、真冬の低気圧による大雪でホワイトアウトする都心の帰宅難民を描いたパニックもの『ダイアモンドダスト』がありましたが、厳寒の東京の恐ろしさもさることながら、昨今の異常気象が日本各地にもたらす脅威はなんといっても猛暑、それに大雨と洪水でしょう。梅雨も明けぬ7月上旬、危険な暑さに覆われた東京での生活は控えめに言っても戯画的にならざるを得ませんでした。

7月〇日  いつものウォーキングに出ようとして、とても無理と気づく。5時の時点で25度をはるかに超えている。買い物の必要があり、7時に開くスーパーに行く。「少しは歩かなければ」と思っての外出である。すでに太陽がギラギラと照りつけ、思わずクラッとする。たかが400mの距離が本当につらい。店内の冷気で一息つき、必要なものを購入して、よろよろと背負って帰る。この時間から「気を確かに持たなければ」と自分に気合を入れねばならぬ状態である。たったこれだけの外出で汗びっしょり、シャワーを浴びて人間に戻る。家でエアコンと扇風機を併用しながら過ごす以外、何もできそうにない。

7月×日  今日は500mほど離れたスーパーに用事がある。普段なら丁度良い運動になるところだが、午前中から30℃近いこの暑さの中歩いて行くほど命知らずではない。切り替えて、家のすぐそばのバス停から反対方向のバスに乗り、数キロ離れた別のスーパーに行く。この店舗がバス乗り場から100m以内だからである。ここで欲しいものが手に入ればそれでいいことにするつもりだったが、やはり用事が済まず、再びバスに乗り駅に向かう。件の最初に予定していたスーパーは駅のすぐそばで、それなら最初からバスで駅に向かえばよさそうなものだが、その店舗が高架を越えた向こう側にあること、そこに向かうバス乗り場が日蔭のない場所にあるのが難点だったのである。ようやく欲しいものを手に入れ、駅からバスで帰宅する。命を守るためには500m歩くよりも、数キロバスに乗ってでもバス停から近いお店を選択するほかない。


7月△日  「いい加減外出して体を動かさなければ体調が悪化する」と思い、朝早めに家を出て、時間をかけてバスで大学の図書館に行く。音声読書器はもちろん持参だが、暑いし重いのでパソコン等の電子機器はあきらめる。1時間ほどかかるがバス内は涼しいのでむしろ体調が整う。バス停から図書館入り口まで250mといったところか。樹木が多いので涼しく、自然の偉大さを体感する。館内では本の検索をしたり、開架書庫にある本をパラパラめくったりする。時々は閲覧室で座って読書を試みながら、1階から5階まで探検するのはとてもいい運動になる。しかし、疲れても横になる場所はないので午前中で切り上げ、昼食をとって帰る。

 この暑さでの交通機関の選択には、その日の天気、気温、湿度のほかに、「乗り場までどれだけ歩くか」、「乗り場までの道のりは日向か日蔭か」、「乗り場に屋根のある待合所はあるか」、「乗り換えがある場合は待ち時間はどれくらいか」、「都営地下鉄は地下での乗り換えが可能か、地上を歩いての乗り換えか」、「地下鉄の駅がショッピングができる地下街につながる位置にあるか(冷気が流れ込んで涼しい)」等、これまでにない要素を考慮しなければならない。大げさに言えばこの条件を加えるということは、これまでの都営交通体験の総決算として脳内コンピュータで最適解を弾き出すということである。かなりうまく対処できていると思うが、近隣の建物の工事の影響でバス乗り場が少し移動しているのには参った。前の場所は木陰だったが、今の場所は全く太陽を避けるものがない。さすがにそこまで見越して行動しろと言うのは無理でしょ。繰り返すが、まだ梅雨明け前。これからが思いやられる。


2024年7月10日水曜日

「バス旅愛好者」

  同好の士とはいるもんだと思ったのは、西村健の〝都バス三部作〟を読んだ時でした。これは定年退職してからシルバーパスを使っての都バスの旅にハマった主人公(元警察官)が、出会う人と都バス愛好者の輪を広げつつ、持ち込まれる小さな謎解きをしていく話(もっとも謎を解くのはいつも家にいる安楽椅子探偵タイプの料理研究家の奥様という設定)です。列車と違い時刻表トリックのような精密な謎はありませんが、都バスの旅と事件の謎解きを両立させるあたり、さすがに推理作家です。事件や謎自体はほんわかした内容なので、本格推理に重きを置く向きには少し物足りないかも知れませんが、私は好きです。この作家は方々にある富士塚や暗渠、江戸時代からの歴史ある地域性などに関心がおありのようで、私の知らないことがいろいろ書かれている一方、 「あ~、この人もバス旅に取りつかれちゃったんだな」とか、「そうそう、あの路線は本当に興味深いよね」などと声に出しながら楽しく読めました。

 主人公が利用しているシルバーパスは都営地下鉄も乗れますが、やはり地上の車窓を見ながら行けるバスは格別のようで、少しだけ徒歩で歩けば別の路線に乗り継ぎできるルートを発見したり、同じ路線を辿らず一筆書きで戻ってくるルートを考える楽しさは、私もまったく同感でうれしくなります。初めて知って驚いたのは、シルバーパスは都内であれば民間のバスや公営のコミュニティ・バスも全て乗車できるということで、これは都バス一日乗車券や都営まるごと一日券にはないメリットなので、「ぜひ長生きして試してみなければ」という気持ちになりました。それにしても十年前に比べたら、廃止された路線、まだ残ってるけど風前の灯火の路線、どの路線でもやせ細っていく時刻表など、これから都バスはどうなっていくのか多少心配ではあります。

 列車であれ車であれ、あるいは船であれ飛行機であれ、人は常に乗り物に一方ならぬ情熱を寄せてきました。その時代の技術の粋を集めて、乗り物は発明され発展してきたことを考えると、ホモ・エレクトゥスhomo erectusと呼ばれた「直立する人」が次に大きな関心を抱いたのは、まさしく移動するための手段に違いなく、人類のその段階を「乗り物に乗る人」と呼んでよいのかもしれません。ラテン語でなんて言うんでしょ、homo equitantes vehiculo?


2024年7月4日木曜日

「バレー熱、再来」

  つい最近まで、女子バレーはパリ五輪に出場できるかどうか気をもんでいたのに、いつのまにかVNLで銀メダルを獲得して帰国したのにはびっくりしました。福岡ラウンド以外は地上波での放映がなく、ラジオにBSは入らないため、試合をつぶさにフォローできずに残念でした。それにしてもまさかまさかの快進撃、久々にうれしいニュースでした。

 男子はどうしたろうと、すぐにネットで見てみると、準決勝スロベニア戦に勝ち、決勝へ進んだことが分かりました。スロベニアはパリ五輪予選で日本がパリ大会への出場を決めた時の因縁の相手で、VNLの予選リーグでは最も勝利率が高かったチームです。この試合は動画配信サイトで一部見ましたが、3-0のストレート勝ちという結果からは想像もできないほどの接戦で、どちらが勝ってもおかしくない試合内容でした。それでも3回続けて勝利を収めたのには何らかの理由があるでしょう。50秒を超えるラリーでの英語の実況中継では、拾って拾って拾いまくるディフェンスの粘りにアナウンサーも大興奮、最後に石川祐希がスパイクを決めた時はほとんど絶叫に近い「ジャパ~ン」コールでした。世界ランク1位のポーランドで行われた決勝だけに、これは日本のバレーが世界を魅了したプレーと言っても過言ではないでしょう。リベロの山本智大はベストリベロ賞を獲得しました。

 男子バレーの場合は明らかに、石川祐希という一人の選手が出現したことによって、ここまでの歩みがあったと言えます。学生時代からすでに「日本男子バレー界最高の逸材」と言われ、その後のイタリアリーグでの精進により着実に力をつけてきました。決勝でフランスに敗れた今回のVNLではベストアウトサイドヒッターに選ばれながらも、録画とともに行われたインタヴューでは「悔しい気持ちがまたふつふつとこみあげてきました」と。銀メダルでも浮ついたところが全くないストイックな姿勢には脱帽です。この人のすごいところは言葉と行動の両方でチーム作りができるところでしょう。彼の姿に触発されて、いつのまにか大きな目標を目指してチームが一丸となっている、細かなプレーの端々にお互いへの敬意と信頼がにじみ出るようなチームになっているのです。

 バレーが国民的熱狂に彩られていた時から50年以上たって、自分が生きているうちに、バレーボールの黄金時代再来か、と思わせてくれるような時代が訪れるとは思ってなかったな。希望の源となるような人が一人出れば、状況は本当に変わっていくことを教えてもらい、若い人に勇気をもらいました。


2024年6月28日金曜日

「人間の悪を形作るもの」

  私はこの世の悪にかなり絶望しているのですが、それだけに人間が行う悪行に関して、何がそれを生み出しているのか、しばしば考えます。人がしてはならない行為に及ぶのはどんな時か、その根本にあるものは何かについて、考える材料は社会で報道される事件の中にいくらでも見出されます。犯罪ほどその社会の病理をあぶりだすものはあありませんが、最近特に見られる顕著な傾向もあります。確かにリストラや派遣切りで一挙に貧困化して犯罪に手を染めることがあるとはいえ、例えば終戦直後のように純粋な貧困が原因の犯罪はまれでしょう。それは、海外を拠点に大規模な詐欺を行っていた集団がとんでもない贅沢な暮らしをしていたことを知るだけで分かります。経済的要因は様々な形で犯罪に絡むことがおおいものの、それだけで起こるわけではありません。5万円の年金で朗らかに生きている方の話を読んだことがありますが、この方はその秘訣として「他人と比較しないこと」と言っていました。これはとても示唆的な言葉ですが、これこそまさしくできる人にはできるが、できない人にはできない類の事かもしれません。

 行動経済学によって明らかにされたこととして、近年とみに重要だと思うのは、人間は報酬を望む以上に強く損失を回避する傾向があるということで、「損失を被ることにまつわる不快感や喪失感の耐え難さは人の心の在り様に深く根差している」ということが解明されたのは、行動経済学の手柄でしょう。すなわち、或る利益について何らかの理由で、「本来自分に帰せられるべきもの」とか「何事もなければ当然手に入ったはず」と思い込んだ場合、その利益はすでに自分のものと意識されているため、それを不当に奪われる不安や恐れ、またその裏返しとしての怒りや恨みが発動して、たとえ悪いと分かっていても自分の考えを正当化し、損失回避行動に踏み切ることが非常に頻繁にあるのです。犯罪までいかなくても、損切りできずに被害を拡大する行為やギャンブル中毒などもこの延長線上にあるのでしょう。この損失回避行動としての犯罪は経済に関する事例が分かりやすいですが、直接的に金銭に関わるものばかりではありません。地位や名誉、あるいは異性や友人をめぐるものでも同様で、推理小説では動機としてむしろこの方が主流です。

 行動経済学は人間の本性という従来なかった領域にまともに取り組んだことで生まれた学問ですが、「人間、この不合理なるもの」を扱うとしたら、その根幹にあるのは人の「自尊心」でしょう。 自尊心とは、自分の人格を掛け替えのないものとして大切に思う心であり、別名プライドとも呼ばれます。これを持たない人間はおらず、誰もが、少なくとも究極的な局面では、自分の考え方や行いに揺るがぬ自信を持っているものです。自分が大切にしているもの(人でも者でも思想でも)、また生涯かけて築き上げてきたもの、さらにそんな大仰なものでなくても自分なりの些細なこだわりといったものさえ自分の一部となっており、すなわち自尊心とは自分そのものなのです。ですから、人は自尊心を守るためにはどんなことをも(それこそ自殺でも殺人でも)実行するのをためらいません。

 近年、人権尊重が絶対の大義となっており、或る年齢までそれに則った教育を受け、また、確かにそれが可能な局面では人権に十分配慮されることが増えました。一方、SNSの発達により自我はますます肥大化し、それだけに一層、成長して社会に出て様々な差別やあからさまな不平等にぶつかり、不正が横行する残酷な現実の中で、自尊心が無残に打ち砕かれることが増えました。そして、その時の反動が想定外の残虐性を帯びるようになってきたのです。

 「自分が被ろうとしている損失の回避」と「自尊心を傷つけるものへの攻撃」を動機とする犯罪の割合はこれからも増え続けるでしょう。そしてそれは犯罪に至らないまでも、人の邪悪さへの呼び水となり続けるでしょう。自分と他人を比較してこの二つを結びつけてしまった場合は、それこそ巨大なマグマを蓄えて激烈な仕方で爆発するのではないでしょうか。秋葉原や町田の公道でなされた大量殺傷事件、障害者施設での史上最悪の殺人事件、アニメーション制作現場での残虐極まる放火事件、多発する電車内での不特定多数を標的にした殺傷事件などはその例と言ってよいでしょう。

 悪について聖書ではどのように扱っているかを見ると、主イエスが洗礼者ヨハネから洗礼を受けた直後に、荒れ野で悪魔の誘惑にあったとが、マタイ4章およびルカ4章に書かれています。三つの誘惑の一つ目は、四十日間何も食べずに空腹だったイエスに、悪魔は「神の子なら、この石にパンになるように命じたらどうだ」と言うもので、これに対しイエスは、「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」と、『申命記』8章3節の言葉を引いて答えます。悪魔による二つ目の試みは、この世の国々の全ての権力と繁栄をイエスに見せ、「もし私を拝むなら、それは皆あなたのものになる」と言うもので、これに対しイエスは、「『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある」と、再び『申命記』の言葉(6章13節)を引いて答えます。三つめの試みとして、悪魔はイエスをエルサレム神殿の屋根の端に立たせて、「神の子なら、ここから飛び降りたらどうだと言います。これは、「神は天使たちに命じてあなたをしっかり守り、あなたの足が石に打ち当たらないように両手で支える」という詩篇91編11~12節の言葉を踏まえての誘いでしたが、イエスは「『あなたの神である主を試してはならない』と言われている」と、三たび『申命記』の言葉(6章16節)を引いて答えます。

 この3つの「荒れ野の誘惑」は、最初は飢えという試練、二度目は権力や富への誘い、三度目は奇跡的なわざを成し遂げる能力と、またそれによって得られる名声への誘惑を示しているのでしょう。言ってみれば、一つ目は身体的試練、あとの二つは富を背景にして肥大化した自尊心を満足させることへの誘惑でしょう、それをイエスはすべて『申命記』の言葉で斥けています。『申命記』は、貨幣経済の発達で社会が変貌していくまさに激動の時代に、再確認された律法であり、主の民がとどまるべき場所を示したものです。当時の社会の変化は、金融資本主義に翻弄される現代とその激烈さにおいて変わるところがないのですから、今こそ人は主イエスの言葉を堅く心にとめるべきなのです。

 マタイによる福音書20章の「ぶどう園の労働者」の譬えは、このことを別の視点から教えてくれます。一人の主人が夜明け時、朝9時、正午、午後3時、午後5時のそれぞれの時間に広場にいる労働者を皆ぶどう園で雇うのですが、そのすべてに同額の賃金を支払ったという、あの話です。現代的に考えれば、広場に残っている人は遅くなればなるほど、「能力が低い」、「地縁・血縁等のコネがない」、「コミュニケーションが下手」、「自分に自信がない」、「この世に希望がない」という状況だったでしょう。しかし、主イエスの語る天国においてはそうではなく、みな同じ賃金を受け取るというのです。能力も様々な環境も関係なく、神からの恵みが与えられるというのです。「自分は自分のままでよい、そのままで愛されている」という神の国にとどまることができるなら、その人はきっとこの世の悪と無縁でいられるだろうと思うのです。


2024年6月22日土曜日

「梅シロップの季節」

  ラジオで「今年は梅の実が不作」と聞いてハッとしました。いつもは八百屋の店先に梅の実の1キロ袋が並ぶので、「もうその季節になったか」と買い求め、氷砂糖1キロとともにガラス瓶に漬け込んでいたのですが、そう言えば今年は見た記憶がない。私が気付かなかっただけかもしれないけど。

 梅雨というのは「梅の熟するころ降る雨」ですが、「梅雨入りが平年より遅れている」とのラジオ情報を考え合わせると、もはや出遅れたかもしれないと、あわてて梅の実探しをしました。結局、大手スーパーで群馬産のを見つけて購入し、今年の梅シロップ作りも無事終わりました。ただし、値段は去年の倍。収穫量が、たとえば梅の産地和歌山でも去年の6割ほどとのことで、軒並み各地で同じような状態なのですから、需給バランスから言ってこれは仕方ありません。暖冬が植物の成長に不具合をもたらし、めしべの長さが短いものは受粉がうまくいかなかったようです。

 帰省して兄に聞くと、やはり福島でも今年は梅が不作とのこと、ただ兄は家の裏手の梅の木にはしごを掛けて登り、1キロほど実を集めて梅干しにしたと言っていました。確かにいつもはたくさん落ちて道を汚している梅の実が、今年はさほど目立たない。「あ~あ、福島で梅シロップ作りは無理かな」と思いつつ直売所に行ってみると、あつらえたように梅の実1キロの袋が1つだけ残っているではありませんか。氷砂糖とともに即購入。値段はやはり去年の倍ながら、それでも東京の半値でした。

 私にとって梅シロップは、水や炭酸で割るだけで夏の暑さ疲れを吹き飛ばしてくれる最高の栄養ドリンクです。あのクエン酸たっぷりの梅エキスは、一口飲んだだけで体が歓喜の声を挙げるのが分かります。それまであと2週間、ああ楽しみだな。


2024年6月17日月曜日

「高まるバレーボール人気」

  最近、日本だけでなく世界各国でバレーボールの人気がブームと言っていいほど高まっているのを感じます。秋以外の季節に地上波でバレーボールの試合が放映されるようになったのはいつからか知らずにいて、先日は男子のネーションズリーグの福岡ラウンド第1戦、イラン戦を見逃し(聞き逃し)、悔しい思いをしました。昨日やきょうのバレーファンではない私は、その後はラジオにかじりつくようにしてフォローしていますが、聞けば日本の男バレチームはアイドル並みの人気だとか、高橋藍選手のSNSフォロアーは二百万人を超え、それも半分以上がヨーロッパやアジア諸国の方々だと言うのですから、すごい時代になったものです。フィリピン等アジアでの人気は、日本人は欧米に比べて背が低いのに決して負けてはいないということがその要因の一つのようです。

 石川祐希選手や高橋藍選手が所属したイタリアリーグが最高レベルなのは知っていましたが、今回第2戦のドイツ戦では、サッカー、テニス以外でも、ドイツでこんなに強いスポーツがあったのかと、その人気と実力に目が覚める思いでした。その日、既にパリオリンピックの出場権を獲得しているドイツは非常に強く、精度の高い素晴らしいサーブと高い身長から繰り出されるミドルブロッカーの攻撃に、日本はなすすべなく翻弄され、途中までは明らかな負け試合でした。私は日本を応援していましたが、ドイツびいきでもあり、「ドイツすごいな」の一言でした。第4セットを何とかギリギリで日本が取り返したものの、全く予断を許さない状況でした。途中、「おやっ」と思ったのは、ドイツのキャプテンが何事かをしきりに審判に訴えていたことで、これは度が過ぎたと判断されたのかレッドカードが出されました。もともと論理的な思考をする国民性で、納得できないことがあったのでしょうが、この出来事は余裕かと思われたドイツチームにも焦りがあることを示していました。連れ合いのヘルベルトはいつもユーモアを交えて諄々と話し、決してカリカリすることがなかったので、「この状況はドイツにとってあまりよくないな」と思いました。最後の第5セットはそれまで驚異的に決まっていたドイツのサービスエースが、ほんの少しの心身の動きのズレによってか、ミスが目立つようになり、中盤までは競った試合でしたが、後半はなぜか一方的な日本ペースになり、逆にそれまでほぼなかったサービスエースも出て、日本は勝利をものにしました。ドイツにしてみれば、釣り上げたと思った勝利がするりと手からこぼれ落ちた感じではなかったでしょうか。敢えて日本の勝因を挙げるなら、ミドル中心の相手の攻撃に合わせるかのように、日本も普段多くないミドルの攻撃を多用して攻め方を変えたこと、パワーと気迫にあふれた西田有志の決定率が後半目立って上がったこと、苦戦しながらもキャプテン石川の冷静な頭脳プレーと勝負勘、またオールラウンダー高橋藍持ち前のレシーブ力やつなぎのスーパープレイが健在だったことなどでしょうか。

 現在のバレー人気は『ハイキュー』というバレーを扱ったアニメが火付け役になったようですが、ヨーロッパにおいてバレーボール関連のアニメはもっとずっと昔から放映されており、日本のアニメがヨーロッパのバレーボール人気に大きくかかわっているのは、間違いないと思うのです。三十年前のヨーロッパ旅行で現地のテレビを見ることがありましたが、私の記憶ではドイツでもイタリアでも『アタックNo.1』を放映しており、「こんなところで子供のころ読んだ漫画に出会うとは」と、思わず見入ってしまったのです。「コズエ」、「ミドリ」などと現地語で聞こえてくる名前に懐かしさ全開でした。『アタックNo.1』は、なんといっても私が小学生のとき初めてお小遣いで買った単行本の漫画でした。富士見学園の前に立ちはだかった福岡のライバル校のキャプテン垣之内良子の名は今でもフルネームで言えるのですから、これが五十数年前のことであることを考慮すれば、どれほどのめり込んでいたか分かろうというものです。他にも八木沢三姉妹の「三位一体」攻撃は、前衛の三姉妹がトスが上がると同時に三方から集まってジャンプし、体が重なってボールがどこから飛んでくるか分からないというミラクル技でした。子供心にも「こんなのありかなあ」、「こんなところで三位一体という言葉を使っちゃっていいのかな」などと思いつつ、真剣に読んでいました。日本ジュニアの強化合宿ではメンバーが対立や不和を乗り越えて、鬼コーチのもと次第にまとまっていく・・・というような話もあり、バレーを通して人の道を学んでいく教化的なスポ根ものでした。

 それにしてもバレー観戦で面白いのは、同じルールで競い合うチームのプレースタイルがどうしてこうも違うのかという点です。それぞれ異なる特徴を持つ成員の各集合体が、最高のパフォーマンスを出して相手を攻略できるかどうかは、どれだけ早く相手の攻め方を先に読み、どれだけ短時間でプレーを修正して対応できるかにかかっています。AがBに勝ち、BがCに勝ったからといって、AがCに勝てるとは限らない、全てのチームに対応できる力はランキングでは測りきれないものがあります。これが本当に面白く、自分たちのプレーを柔軟に修正する選択肢をできるだけ最大化するよう日頃から鍛錬しているかどうかが一番の見どころなのです。

 女子バレーは試合のない日にオリンピック出場が決まるという展開になりました。フルセットにもつれた末に敗北(カナダ戦)、という日の翌朝はぐったり疲れを感じましたが、とにもかくにもオリンピックに出場できるのですから、就寝時間を削りながら応援した甲斐があったというものです。今夏の楽しみができました。


2024年6月10日月曜日

「室内のホコリ・かび対策」

 マンションの消防点検、排水管清掃に合わせて、毎年この時期に大掃除をしています。何日かかけてあちこち清掃した中で、今年最も力を入れたのがホコリとかびの除去です。まずリビングのエアコンは昨秋の終わりに一応フィルターの水洗いをしておいたのですが、念のためもう一度取り出してハンドクリーナーでホコリを取り、パネルの水吹きをしました。こちらはシンプルな構造ですし、もう二十年以上使っているのでお掃除方法も熟知しています。

 もう一台は昨年使った後そのままにしていましたが、購入したばかりの製品で「確かそんなにお掃除に手がかからなかったはず」との認識しかなく、改めて取扱説明書を熟読しました。パネルを開けての掃除方法も書いてありましたが、それはよほどホコリが溜まった場合の話らしく、取り敢えず今回は「おそうじ」スイッチを押すだけの簡便な方法を選択、こういう点にこそ電化製品の進歩はあるのです。この「おそうじ」機能はエアコンが運転終了するごとに自動で行われるのですが、長期間使わなかった時は手動でスイッチを押すようにと書かれていました。静音状態がしばらく続き、次に冷房状態、続いて暖房状態、最後にまた静音状態という流れで四十分以上もクリーニングしていました。暖気が出ていたところを見るとカビ対策もしているのかも。自動でお掃除、君はえらい!

 他には換気口ですが、これはしばらく前に雑音が出て、「そう言えばここは掃除したことがなかった」と気づき、トイレと風呂場の換気口はクリーニングしました。しかし洗面所の天井をふと見て思わず、「ん? ここに換気扇なんてあったか?」 そうです、逃していたのです。その時点ではよく見えなかったので踏み台を持ってきて昇ってみると、なんと表面にホコリがびっしり! 「重力に逆らってこんなことがあるのか」としばし絶句しました。空気を吸い込んで換気するのですから天井の換気口にホコリが貼り付いてもおかしくない。二十年分のホコリが5ミリほどにもなっていました。あ~恐ろしい。あとは必要なところに湿気取りを配置して終了。

 つい先日ラジオで、「能登地震で建てられた仮設住宅のエアコンの中に、クリーニングされていないものがあった」と聞きました。居住者が「パネルを開けて中を見たら、ホコリがいっぱいで気持ち悪かった」と言っていましたが、私は「あ、この人もあの放送を聞いていたのか」と真っ先に思いました。私がホコリとかびの対策に乗り出したのも、少し前の「ジャーナル医療」でそれが体に及ぼす害について取り上げられ、ちょっと怖くなったからです。中高年層にはテレビよりラジオ派が多い。たぶん何千万人もの人があの放送を聞いていたに違いありません。電波の力はすごい。きっと同じ時期にエアコン掃除に励んだご家庭は多かったことでしょう。


2024年6月6日木曜日

「成瀬の未来に幸あれかし」

  友人に2024年の本屋大賞を勧められ、『成瀬は天下を取りに行く』を読んでみたら、あまりに面白く、続編の『成瀬は信じた道を行く』もすぐに読了しました。近頃の小説は私の理解を超えていて読む気がしないため、もう小説に期待しなくなっていたのですが、これは懐かしい感じのする青春小説でした。何よりうれしかったのはこういうまっとうで普通の本が本屋大賞に選ばれたという事実そのもので、私同様、社会や世相にヒントを得て陰鬱で異様なテーマを扱った話に辟易していた人も殊のほか多いのかもしれないと思いました。

 筆者の自己認識や体験を踏まえたと思われる、元気で天真爛漫な女子が関西の地方都市でのびのびと過ごしている姿が本当にまぶしい。自分をはぐくんだ土地への揺るがぬ郷土愛やこの年代特有の一途な行動力は読者全ての心の琴線に触れたに違いなく、それらを最大限に生かすための枠組みは成瀬のアセクシュアル性でしょう。成瀬が話し方からして女言葉でも男言葉でもないことに示されている通り、男女差も人の目も気にしたことがない十代の女子に怖いものはありません。自分が人と違っていることなど歯牙にも掛けない成瀬の姿は多くの女子(もしくは往年の女子)の共感を呼んだのでしょう。女子校に通った者がドはまりするのも当然で、何らの雑念なく我が道を行けたあの頃、「そうだ、そんなことあった。傍から見れば何やってんだか分からない事に血道を上げてたっけ」と、懐かしい思いが湧き上がってくるのを禁じえませんでした。

 この物語の主人公は女子でなければならない。男子は第一義的におじさん社会に最適化することを目指して成長せねばならず、にもかかわらず、それをうまく達成したところでおじさん社会はもう完全に行き詰っている時代です。今自由に動けるのはつまらない社会を見限って、いち早くそんな不毛な地帯を離れた女子と、人生をかけて清水の舞台から飛び降りた一握りの男子だけでしょう。日本中で特に公立の女子高は消滅しつつありますが、或る女子校の先生が「せめて高校までは男性優位社会の枠組みを持ち込ませたくない」と言っていました。迂闊にも最近になるまで知らなかったのですが、家庭内が全くの男女平等であり、学校は大学まで全くの男女平等で過ごし、日本で最も男女平等が徹底した教員という職場に勤めた者に、世間一般の男性優位社会は全く理解の外だったのです。Adoさんの歌に出てくるような、宴会でグラスが空いたら酒を注いだり、皆が食べやすいように串を外したりといったことが女子の当然の役目にされるという事態が、どうやら世間には本当にあるらしく、そりゃ、Adoさんでなくても「は~ぁ?」となるでしょう。「自分のことは自分で」が大前提で、学年会では男性教諭がお茶汲みすることも普通にあった職場環境にいた人間にとって上記のような慣習は「くだらない」の一言に尽きます。でも気づけば、こんな僥倖に与れるのはたぶん日本じゃ百人に一人? 本を勧めてくれた友人が、「あなたは私にとっての成瀬なのよ」と言うので、「えっ、さすがにあそこまで変わり者じゃないと思う」と答えた後、「…でも、自分でも少し成瀬っぽいところあるかなとは思ってた」と答えたら笑っていました。『成瀬は・・・・』これからどんな道を進むのか、さらなる続編を望みます。社会人になっても成瀬にはおじさん社会に埋没せず、このまま突き進んでいってほしい。あ、大津の「西武百貨店を再建したい」って言ってなかったかしら。 もし実現したら、それは日本にこれまでなかったような体質の企業になるのは間違いありません。成瀬の未来は日本の未来、がんばれ成瀬!


2024年5月31日金曜日

「認知症防止策」

  私は認知症について調べたことがなく(知りたくないのかもしれない)、従って唯一知っていることと言えば、アルツハイマー型は脳にアミロイドβがたまって起こる現象だということです。進行を止める薬も開発されているようですが、それを飲む適切な時期を見極めるのが難しいとも言います。先日、「これは!」と、自分なりに納得のいくいくつかの防止方法を見つけました。

①散歩を中心とした運動をする

 アミロイドβは体に取り込んだ余分な栄養が変化したものらしいので、大事なのは体を動かしてそれを消費すること、また昨今よく言われる「腹七分目」は正しく、つまり食べすぎに注意が肝要と言うことです。ラジオ体操や「その場足踏み」でもよいが、景色が変わる道を、匂いや音に注意して風を感じながら歩くのが一番よい。これは納得です。暑くなってきたこともあり、最近は早朝バスが動き始める前に駅まで歩くことも増え、安全で気持ち良い朝の外出になるよう試みています。

②気がふさいだ時は無心になれる作業をする

 認知症が進むと、その一症状として鬱っぽくなることがあります。そのまま落ち込んでしまうと元に戻すのが大変なので、重くならないうちに軽い作業をします。作業内容は、本人がともかくもとっかかれるものなら何でもよいようで、塗り絵、積み木遊び、写経、音読、音楽鑑賞といったものから、掃除、料理、家事など体を動かすものまで多種多様です。私の場合は帰省した時の草むしりかな。無心でやっているうちに頭の中が空になり、それなりに成果も見えるので沈みがちな気持ちがリセットされます。

③イベントの予定を入れる

 気持ちが上向いてきたら、なるべく毎日イベントを入れるように心掛けます。これはごく小さなことでよく、できれば自分で計画して無理のない範囲でやり遂げることを目指します。もちろん誰かが立ててくれた予定を一緒にこなすのもありで、これだと体を動かすことと組み合わせるのも楽にできます。私の場合、朝の外出は乗り物も適宜使いながら毎日違ったルートを組み立て、実行するのを楽しんでいます。2~3時間で気持ちよく疲れて帰宅でき、それでもまだ朝9時前(ほぼ一日の始まりと言ってよい時刻)なので、残りの時間を有効に使えます。毎日何かしら必要になる食材や雑貨をこれまた「一筆書きルート」で買い物に行くのも小さな脳トレかもしれません。イベントと言ってよいかどうか分かりませんが、日曜は教会の礼拝に行くし、毎月の帰省や定期的な通院もあります。

 「なあんだ、私、認知症防止対策、無意識にやってたんじゃない」と思いましたが、私の欠点は良いと思ったことをついついやり過ぎてしまうこと。そのため、どっと疲れが出て一日寝たきりとか、エアポケットに入ったみたいに何もせずボーっと過ごしたりということが時折起きます。持病もあるのでこれはこれで必要な時間なのでしょう。それにしても、頑張ってる割に物忘れが治らないと思うのは気のせいでしょうか。認知症防止策を続けることによってこれ以上進まないようならいいんですけど。


2024年5月25日土曜日

「街の修理屋さん」

  いつも履いている靴のかかとがかなりすり減ってきたので、一昨日の外出は別な靴ででかけたのですが、途中で歩きにくさが募って予定を果たせずに帰宅しました。「やはりあの靴を修理に出さなければ」と堅く決心し、リペア店を探しました。以前利用していた修理屋のおじいさんのお店がいつのまにか消えていたためそのままになっていたのですが、そういう訳にもいかなくなりました。“mottainai”は日本の暮らしに染みついた麗しい心性なのに、もう修理などという時代遅れのサービスをしてくれる所はないのかとネットで調べたところ、近くのモールに入っていることが分かり、開店と同時にさっそく入店、修理屋さんに向かいました。

 一番乗りで用件を述べると、「お急ぎですね」とその場ですぐ見てくれましたが、「結構値が張る」との診断。しかし、新しい靴を一足買えるほど高くはなく、またこれほど自分の足に合った靴には今後出会えそうにないので、即座に修理をお願いしました。この修理屋さんはとても若そうなのですが、途中別の依頼をしてくるお客をさばきながら、手慣れた仕草でサクサクと修理を進めていきます。

 その間お店を見回してふと、「さすがに傘は扱ってないですよね」と聞いてみると、「やってますが、修理できるものとできないものがあります」との返事。「これなんですが・・・」と、愛用の傘を見てもらいました。強風で傘骨が曲がってしまったものの、折れてはいないので捨てられずに使い続けていたものでした。リペアラー(リペアマンの「政治的に正しい」呼び名)は一目見て料金を述べたので、これも即決で直してもらうことにしました。鉄の骨なら直せるそうで、「あ~あ、こんなことならもっと早く来ればよかったなあ」とつくづく思いました。

 今回の修理品はどちらも私にとっては非常な優れもので、言ってみれば「余品をもって代えがたい」愛用品です。まだ寿命を迎えておらず、ほんの少し修理の手を加えれば今まで通り使えるものです。捨てずに済んでよかった、また必ずお世話になるだろうなと思いつつ、本当に気分よくお店を後にしました。願うことはただ一つ、こういうリペアのできる店は何としても生き残ってほしい、経済合理性はないかもしれないけれど、資源合理性はきっとあるはずです。


2024年5月19日日曜日

「三つの日本語訳聖書」

  聖書協会共同訳聖書をいただき、少しずつ読むようになってすぐ、「おっ、これはいいかも」と思いました。ここしばらくずっと1989年版の新共同訳を読んできましたが、1954年版の口語訳聖書で育った私にはなじめない箇所が多く、「果たしてこの訳はどうなのか」と思ったり、訳文が口語訳に比べその厚みにおいて何だかがっかりすることがしばしばあったのです。ところが聖書協会共同訳ではその思いが解消され、懐かしい感覚を覚えました。

 まず詩編23編の冒頭ですが、説明の語句を除いて、口語訳、新共同訳、聖書協会共同訳の順に見てみますと、

主はわたしの牧者であって、/わたしには乏しいことがない。

主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。

主は私の羊飼い。/私は乏しいことがない。

となっていて、聖書協会共同訳はほぼ口語訳に戻っており、主がただの羊飼いではなく「私の」羊飼いであること、また「欠ける」という半ば客観的指標を思わせる語ではなく、「乏しい」という主観的な程度を表す表現になっていることが好ましく思えます。

 また、箴言17章17節は

友はいずれの時にも愛する、/兄弟はなやみの時のために生れる。

どのようなときにも、友を愛すれば/苦難のときの兄弟が生まれる。

友はどのような時でも愛してくれる。/兄弟は苦難の時のために生まれる。

となっており、意味合いが元に戻って心底ほっとしました。新共同訳を読んだ時、おそらくそう訳せる十分な根拠があるのだろうとは思いながらも、「そんな抽象的、思索的なことを言っているはずがない」とかなり強い疑問を感じていたからです。これも基本的に口語訳に回帰してとてもなじみ深く思います。

よく取り沙汰されるヨハネによる福音書1章5節は

光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。

光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。

光は闇の中で輝いている。闇は光に勝たなかった。

であり、これもほぼ口語訳、それをさらに簡潔にした訳ですっきりしました。新共同訳の「暗闇は光を理解しなかった」もそれはそれで味わいのある訳ですが、一般的な日本語とは言えないでしょう。

 しかし次のような場合はどうでしょう。例えば、詩篇46篇10節(11節)

「静まって、わたしこそ神であることを知れ。わたしはもろもろの国民のうちにあがめられ、/全地にあがめられる」。

「力を捨てよ、知れ/わたしは神。国々にあがめられ、この地であがめられる。」

「静まれ、私こそが神であると知れ。/国々に崇められ、全地において崇められる。」

これも口語訳に回帰していますが、新共同訳はやや意訳なのかも知れないと思いつつ、なぜか捨てがたい訳です。「静まれ」を用いる訳なら、何と言っても文語訳の、「汝等しづまりて我の神たるをしれ、われはもろもろの国のうちに崇められ全地にあがめらるべし」の右に出る訳はないでしょう。

 また、詩編102編18節(19節)

きたるべき代のために、この事を書きしるしましょう。そうすれば新しく造られる民は、/主をほめたたえるでしょう。

後の世代のために/このことは書き記されねばならない。「主を賛美するために民は創造された。」

このことは後の世代のために書き記されるべきです。/新たに創造される民は主を賛美するでしょう。

についても、新共同訳は日本語の文意は他の二つと異なっていますが、こう訳すことも可能だとすれば、きっぱり言い切っていて、口語訳、聖書協会共同訳のぼんやりした印象とは一線を画しています。

 他には、文学的言葉遣いに帰すことのできる訳文の違いが多いようです。こうなってくると、それぞれの訳の受けとめは、慣れや好みの問題と言えるのではないでしょうか。説明の語句を除いた詩編19編冒頭と伝道の書(コヘレトの言葉)3章11節を見てみます。

詩編19編冒頭

 口語訳:もろもろの天は神の栄光をあらわし、/大空はみ手のわざをしめす。この日は言葉をかの日につたえ、/この夜は知識をかの夜につげる。話すことなく、語ることなく、/その声も聞えないのに、その響きは全地にあまねく、/その言葉は世界のはてにまで及ぶ。

 新共同訳:天は神の栄光を物語り/大空は御手の業を示す。昼は昼に語り伝え/夜は夜に知識を送る。話すことも、語ることもなく/声は聞こえなくても/その響きは全地に/その言葉は世界の果てに向かう。

 聖書協会共同訳:天は神の栄光を語り/大空は御手の業を告げる。昼は昼に言葉を伝え/夜は夜に知識を送る。語ることもなく、言葉もなく/その声は聞こえない。その声は全地に/その言葉は世界の果てにまで及んだ。

伝道の書(コへレトの言葉)3章11節

 口語訳:神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。

 新共同訳:神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を始めから終りまで見極めることは許されていない。

 聖書協会共同訳:神はすべてを時に適って麗しく造り、永遠を人の心に与えた。だが、神の行った業を人は初めから終わりまで見極めることはできない。

 聖書の日本語訳は、その時代の学問の進展や日本語及び社会の変化に合わせ、そしてもちろん神学上必要な学究的検討を経て改変されているものでしょう。ただ少し比較しただけでも、今回の訳は、新共同訳の見直しと口語訳の文学性への立ち返りを意識していることは確かだと思います。もう一つだけ例証を加えます。

詩編23編2節

 口語訳:主はわたしを緑の牧場に伏させ、/いこいのみぎわに伴われる。 

 新共同訳:主はわたしを青草の原に休ませ/憩いの水のほとりに伴い 

 聖書協会共同訳:主は私を緑の野に伏させ/憩いの汀に伴われる。

 「あ、あれはどうかな」と思ってすぐに確かめたのは、ヨハネによる福音書1章1節です。これはどの訳でも同じ文言で、「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」となっています。「言」を「ことば」と読ませるのも同じで、これは他に訳しようがないのだろうなと感じ入りました。翻訳というのは一つの言語から別の言語へと、ほとんど全人格をかけてなされる模索の結果生み出される表現に違いなく、一つ一つの語の選択に訳者の熱を感じながら今後も読み比べてみたいと思いました。


2024年5月13日月曜日

「医療の力」

  通院の翌日は時間をかけて、いただいてきたデータを整理し、自分なりの分析をすることにしています。十年以上通った大学病院から別の大学病院に転院したのは今年の一月、初診の診察では時間が遅くなっていたこともあり、問診と血液検査の指示を受けて終了でした。「今後使いたい」という新たな薬のお話をちらっと聞きましたが、まだ診断を下すデータがないため、処方薬は取り敢えずそれまでのものを引き続き飲むようにとのことでした。2回目の二月の通院は、前回時間的に遅くなってできなかったX線検査をし、異常がないことを確かめた後、診察となりました。問診しながら処方薬の微調整をし、希望通りお薬を二つ削ってもらいました。また、私にとっての新たな薬の処方について具体的な提案があり、これは網膜に影響を及ぼす可能性があるため、私の通院する眼科への問い合わせをしてくださるとのお話でした。

 三月の3回目の通院では、新たな薬を試す前に必要な心電図の検査をしてから診察になりました。眼科から「問い合わせのあった薬を処方して構わない」との返信があり、心電図も問題ないということで、この日から新たな薬が処方されました。持病に対して効果があるかどうか、いよいよ試してみることになったのです。担当医は「この薬が効くと思うんだよね」とおっしゃっていたので、私の期待も高まりました。

 新たな薬が処方されて7週間目、4回目の通院がありました。担当医が血液検査のデータをプリントアウトし、何やら書き込みながらサクサクと説明していきます。その場では全てを理解できないながら、「どうも結果はよかったらしい」ということは分かりました。おかげで従来からのお薬を少し減薬することができ、とてもうれしく思いました。「これからの季節、紫外線に気を付けてください」との指示を受けて、診察終了です。私はずっと夏でも長袖、冬でも日傘の生活をしてきましたので、言われずともそんな事は訳ありません。減薬できたことでちょっとスキップしたいくらいの気持ちで帰宅しました。

 通院日は疲れてすぐ休みましたが、翌日検査データの詳細を分析しました。免疫系の病の治療は、炎症として現れる生体反応を調べ、また徐々に低下していく腎機能の状態や長期にわたる薬の服用で生じる体調の変化について継続的に留意することになります。私の場合、注視している数値は、腎機能に関わる尿素窒素UN、クレアチニン、尿酸値UAの数値と、異物の侵入に対する生体反応に関わる白血球数WBC、総リンパ球数、補体C3の数値等です。尿素窒素は腎機能に関わる値で、不調になると高値を示し、クレアチニンの数値の高さは老廃物の処理が不十分であることを示します。白血球の増加は細菌やウイルス等と闘っている生体反応を表し、総リンパ球(白血球数とリンパ球%から算出)の減少は感染症や自己免疫疾患のリスクの増加を示します。また、補体(或る種の血漿蛋白)は異物の侵入による抗原抗体反応で低下します。すなわち、望ましい状態は尿素窒素、クレアチニン、尿酸値の低下であり、総リンパ球と補体は上昇が望まれます。今回の結果は以下のようでした。

1.尿素窒素UNは1年前の高値から改善傾向でしたが、基準値より少し高かった前回より下がり、ついに基準値内になった。

2.クレアチニンはまだ基準値を超えているものの、前回より改善した。

3.尿酸UAは長らく基準値を超えていたが、ついに基準値内になり、ここ2年半で最低値であった。

4.白血球WBCおよびリンパLYMPHOの値は改善したが、総リンパ数はまだ依然として低い。

5. 補体C3は、残念ながら基準値より少し低下した。

 この他に、感染症や膠原病ほか様々な病で体内での炎症が強まると上昇する「赤血球沈降速度:赤沈」という値が劇的に低下していたこと、また「尿蛋白/クレアチニン比」(一日の総蛋白排泄量を導き出すための計算式)の値も大幅に減少していたことなどを確認しました。総合的に見て、これは新たな薬が非常によく効いたことを物語っています。前回のデータの一覧表とざっと比べただけでも、この7週間の間に、10個あった「H(基準値を外れた高値)」が5個になり、依然として基準値を外れているものも良い方向に改善しており、2個だった「L(基準値を外れた低値)」は3個になったものの、これはギリギリ基準値を外れてしまったものであり、あまり心配する必要はないという結果でした。う~ん、これはすごい。私自身、食事、運動、休息に最大限留意しながら過ごしているのは確かですが、現在もたらされた身体状況は明らかに新たに処方されたお薬の効果でしょう。これまで一方が改善すると他方が悪化するという形で、はかばかしい改善がなかった体調が7週間で明らかに変わりつつあります。努力が報われたようで、「また頑張ろう」という気になります。医療の力をまざまざと知らされた思いで、思い切って病院を変えて大正解でした。加齢による通院のしにくさから敢行した転院でしたが、これだけ結果が変わってくるのですから、やはり自分に合った病院を探すのは大事だなと痛感しました。ただこういったことは、タイミングというかご縁というか、たまたま見つかったものであって、何か合理的な理由で探し当てられるものでもない気がします。神様に感謝です。


2024年5月6日月曜日

「消えゆく日本の電化製品」

 この頃中古の家電を購入することが多くなりました。家電の買い替えといえば十年ぶり、十五年ぶり、あるいは二十年ぶりということもざらですから、普通は現在の製品の方が目覚ましく進化しており、圧倒的に優秀です。しかし、個人にとって分野によってはそうとも言えない、昔の製品がよかったということもあり得ます。私はずっと同じシリーズのノートパソコンを使い続けており、自宅に3台、実家に1台所有し、大変快適に使用しています。これなどは、その製品を知り尽くし、必要十分の機能やサイズ・重量といった総合的な観点からその製品に満足し、使い勝手が良いからにほかなりません。一台が不調でも、別のものが用をなしてくれるので、安心して対処できます。この製品は現在は生産されていないので、おのずと中古品を購入して備えることになります。

 最近2台続けて同じラジオを中古で購入しました。中古状態が「非常に良い」との商品説明の通り、ほぼ新品に近い状態のものを手に入れることができました。この製品の優れたところは、AM・FMラジオとTV音声が聞けることで、地域指定のプリセット編集で手間なく自動的にその地域のクリアな音声設定ができるのです。ポケットサイズではなく、手のひらよりは大きいが家に置くのに丁度よいサイズの家庭用ラジオです。とても良い製品だったので、続けて実家用に2台目を買いました。地方ではラジオに雑音はつきものという印象があったのですが、これなら都道府県別の地域設定があるので手間なくチューニングできます。日本の家庭用に特化した最適のラジオです。

 視力的にテレビは私には必要がなくなり、そうでなくてもテレビのコンテンツが劣化の一途をたどる昨今、こんな製品はますます求められるはずなのに、生産終了とは残念でなりません。2台目を続けて買ったのは、この製品が生産終了である以上、中古でしか手に入れることができない製品であり、従って価格はどんどん上昇していくに違いないからです。事実、同じ新品に近い製品ながら、2台目は三千円ほど高い価格でした。

 こういったものは他にも数多くあるはずで、良い製品なのにそれらが中古でしか手に入らないことに愕然とします。日本の企業に、こういった真に優れた製品を作る余裕がなくなっているのは、本当に残念で深刻な問題です。生成AIによるレシピと連動した冷蔵庫とか調理器具とかの話を聞くたび、「自分には縁がないな」と思う人は私だけでしょうか。家電とは人の生活を楽にしてくれる道具ですが、年を取った今、私にとっては「自分の頭で考えて便利なものはちゃんと使わせていただくが、振り回されたくはない。昔ながらの仕方でやっていくから巻き込まないでほしい」というのが本音です。世界を制するようなイノベーションを起こせるごく一握りの企業しか生き残っていけないような世の中は何か間違っています。


2024年4月29日月曜日

「激動の老人ホーム史」

 私が目の色を変えてウォーキングや外出に取り組むようになったのは、ラジオで介護を取り巻く施設の状況を聞いてからです。今まで在宅訪問看護を含めてほぼすべてのヘルパー派遣に応えてきた施設のホーム長が「ついにそれが不可能になった」と述べていました。理由はもちろん人手不足で、「ついに来たか」という気持ちで聴きました。今でさえそうなのですから、いよいよ自分が介護状態になっても介護してくれる人がいないという事態が実際の状況として身に迫ってきたのです。これまでは何とかなるだろうと甘く考えていた事柄ですが、どうしても医療の世話にならざるを得ない最期の最期まで、「自立して生きていかねば」と今回はっきり自覚しました。

 思えば介護の歴史はこの四十年の間目まぐるしく変わりました。私が若い頃は高齢者の看取りは家族に任されており、老人ホームに入るのは珍しいこと、よほどの」富裕者が法外な費用のかかる恒久施設に入る以外は、要介護老人のための特別養護老人ホームに入るしかなく、ここは非常に長い入所待機者がいる状態だったと記憶しています。

 家族構成や人口動態および社会の変化により、家族による高齢者の介護が時代に合わなくなり、2000年に介護保険制度が始まったことによって、介護を巡る状況は著しく変貌し始めます。 女性が社会の働き手としてこれまで以上に中心的な役割をになうようになってきたため、家族・親族の介護が社会の役目になっていったのは理の当然で、その観点から介護保険制度は大きな意味がありました。新しい事業ということで、介護福祉の希望に燃える人々がこれに取り組んだのは確かですし、或る時点まで国庫(すなわち国民の税金)からの十分な予算も組まれていました。

 施設の職員に関して言えば、理想の介護を目指してこの業界にやって来た熱意ある素晴らしい職員がいる一方、この時期がデフレの時代で厳しい就職氷河期に当たっていたこともあって、介護業界に流入する人材は必ずしもそれを望んできた人ばかりではありませんでした。その点、国が介護保険制度を一種の失業対策と考えていたという見方もあながちまとはずれではないでしょう。従って現場の人材は玉石混交であり、そのため施設と入居者の間、また施設の職員の間で様々な軋轢がありました。

  人口動態の変化により、国が高齢者介護の問題を民間のサービス業を用いた制度に落とし込む方向に舵を切ったのは、或る意味致し方のないことです。或る時期から一斉に介護事業に乗り出す企業が出現したのはそこが儲かるブルー・オーシャンに見えたからでしょう。しかし、介護付き老人ホームの在り方を民間の事業に任せたのであれば、他の業界同様、それが収益重視の方向に傾いていくのは当然のことです。介護付き老人ホームの経営が儲かる事業であったればこそ、施設はどんどん増えていったのです。しかしこの状態が続けば、介護報酬による国庫負担が際限なく増えていくわけですから、急速に膨らんでいく財政負担を抑制するため、次第に国は介護付き老人ホームの建設許可件数を絞っていきます。このあたりから、国に対する民間介護業界の、生き残りをかけてのバトルが始まり、介護を真に必要とする国民は翻弄されていくのです。

  具体的には、国は介護付き老人ホームの建築を制限する一方、住宅付き老人ホームの建築は制限しなかったので、多く企業がそちらの建築・運営に向かいました。これで介護報酬が減らせると国は考えていたようですが、民間業者の方が一枚上手で、従来通りの介護報酬を手に入れる方法を見つけました、すなわち、介護費用の限度額まで使わせてくれる居住者しか入居させない方針をとったのです。介護費用を10割全部使われてしまうと、介護付き老人ホームの増設と変わらず、財政支出は当然膨らんでいきます。そのため、次に国が打った手は、介護状態の認定を厳しくし、要介護・要支援から予防的方向へ向かって自立を目指すことを重視することでした。この時、患者と国の介護福祉費用削減の板挟みとなって苦境に立たされたのは、言わずと知れたケア・マネージャです。動けないから老人ホームにいるのに、自立は無理です。ケア・マネージャーは少しでも費用を抑えるケアプランを作るよう国からの指示を受けながら、施設長からはなるべく介護報酬が高くなるケア・プランを作るようにとの全く矛盾する命題を与えられているのです。これでは心ある人ほどどうしてよいか分からず辞めてしまうのも当然で、残っている人も、「ケア・マネになんかなりたくない」という人がほとんどになってしまいました。現場の利用者のケアに不可欠の計画部門が適切に機能しないのですから、その実施部門はさらに混乱の極みに陥ることは避けられません。

 今現在がこの状態なのだと私は理解しています。大枠が国による介護保険制度なのですから、介護報酬を操作することによって国は民間事業者をいかようにもコントロールできます。しかし、実態を知れば、これが本当に制度として成り立っているのだろうかという疑問を禁じ得ません。病気なら治ることもありますが、老年期の体調はほぼ悪くなる一方なのですから、現場を必死に支えてくれている職員の気持ちをくじいてまで、必要な介護項目を削ってどうするつもりなのかと怒りがこみ上げてきます。私は最近まで、「国民の15歳―64歳の人口が急速に減っているのだから、労働人口(就業者数)もへっているのだろう」と勘違いしていましたが、実際はコロナ禍が訪れるまでこの十年の労働人口が増えていることに気づきました。びっくりです。働く人、特に女性の就労者数は着実に増えているのです。デフレ下で賃金が上がらないなか家計を支えるために就業している場合や、人生百年時代を生きるために、やむを得ずそうしている人も多いことと推測されます。だから人手が無いわけではないのです。この介護という分野がやりがいを感じられる場所に変わるなら、なり手はいないわけではない。ただ、国の方針と施設の方針の矛盾に疲れ、また施設内の役割分担の不平等さや厳しい遂行義務に疑問を感じ、さらに施設の在り方を勘違いしている居住者とその家族による無理難題に嫌気がさし、やる気のある職員もいつしか「馬鹿馬鹿しくてやってられない」という気持ちを募らせていくのです。

 入居者に関して言うべきことがあるとすれば、自分の損得ではなく、介護保険制度の趣旨と恒常的な介護人材不足を理解して、一定程度自助努力が必要だということではないでしょうか。「できることは自分で」の気持ちで我儘放題は控え、職員の方々が少しでも気持ちよく働ける場にしなければ、老人ホーム、ひいては介護保険制度は崩壊します。「必要な介護を必要な人に」という簡単なことがどうしてできないのでしょうか。今後、介護問題が良い方向に行く気は全くしません。今回老人ホームの変遷を辿ってみて、この二十数年の激しい変化に衝撃を受け、それだけに何とか最期まで自力で過ごせるよう少しでも体を鍛えなければと、背筋がシャンとする思いです。


2024年4月22日月曜日

「三台目のパソコン」

  待ちわびていたパソコンはずっと愛用してきたノートパソコンと同じシリーズの13インチの製品です。これまで使っていたソフトをそのままインストールできるようWindows 10版の中古整備品を選択し、Officeが既に入っているのですぐ使え、価格も良心的な御値打ち品でした。届いてすぐにマウスを接続して使おうとしたら、「あれっ」、前と同じように一部の機能しか動かない。ということは、パソコンの問題ではなくてマウスの問題だったの? いや、別のマウスでも試してみて駄目だったから、パソコンを買い替えたのに・・・。あわててさらに別のマウスを装着して試してみると、ちゃんと動く。やはり先の2つのマウスが壊れていたのだということを、ここで初めて理解しました。「ああ、何やってるんだか。今までの苦労は何だったの? あの時三つ目のマウスを試してみればよかった」と悔やんでももう遅い。¬¬

 しかし、ものは考えようです。愛用してきたパソコンはキーボードが駄目になりかけており、もう一つの方は先日壊れかけて、何故直ったのか分からぬまま復帰したのですから、二つとも危うい状態と言え、三台目があったら安心です。また、時代が進めばパソコンもバージョンアップされ、今使用している通りに使える製品が手に入らないことも考えられます。というわけで、ここは前向きに、三台目の活用法を考えました。

 基本方針として次のことを決めました。①メールは使わない。(迷惑メールとの闘いは他の二つで十分。) ②検索エンジンはマイクロソフト・エッジを基本とし、グーグル・クロムはダウンロードしない。(これまでの二台はグーグルを基本にしていたため、ちょっと変えてみる。) ③主にワードとエクセルの入力用に使用し、余計なアプリは入れない。(キーボード操作に熟達することを目指す。)

  最初に行なったのは、何といっても音声ソフトのインストールで、これが無いと私はパソコンを扱えません。Windows 10のパソコンを選んだのは、この必要不可欠なソフトのインストール用DVDがWindows 10に対応したものだからです。今度のパソコンはSDカード挿入口が無い替わりに、DVDドライバー内蔵型だったので、手間なくインストール完了。次にしたのはインターネットが使えるように、アクセスポイントにルーターのパスワードを入力して接続完了。あとはプリンターを付属のDVDドライバーでインストールしました。これだけです。中古の整備品のなんと楽なこと。

  唯一頭を悩ませたのがパソコン置場。健康のためパソコン作業は立ったまま行うことにしているので、作業台候補は限られています。今現在そこにあるものを一部移動させないとパソコン置場が確保できず、狭い家なので玉突き的に他のものをどんどん動かさないといけなくなりました。パソコンのUSB挿入口が横にあるか背面にあるかの差だけでも部屋の模様替えに大きな影響を及ぼすというパズルを、試行錯誤しながら半日かかって解決しました。全てが「まあこんなものかな」と納得できる程度には納まり、ようやくパソコン受難週を脱したなと、心に晴れやかな気持ちが復活しました。


2024年4月15日月曜日

「パソコン受難週」

  先週は自宅のパソコンが次々と原因不明の異常な状態に襲われました。まず、2台あるうちよく使う方のパソコンで、マウス機能の一部が使用不可になりました。普段から音声でキーボード操作を行っているし、すぐ直せるだろうと思い、最初はさほど困らないと高をくくっていました。ところがどう頑張っても直らない。直す方法が分からないのではなく、「このボタンを押せば」あるいは「ここをオンに変えれば」直ると分かっているのに、そのボタンがあるいは切り替えが「実行ENTER」キーを押しても変化がない、というかどうも押せないようなのです。ナムロックNumLockの切り替えなども試しながらあれこれやっても変化なし。マウスが全く使えないならそれはそれで頭の切り替えができるのですが、マウスで画面をスクロールしたり、右クリックで操作を選択したりはできるので、この中途半端に「できる操作」と「できない操作」が入り混じっている状態がまさに困りもの、頭の痛い問題でした。

 そのうち、いろいろ試したのがいけなかったのか、ワード文書の表示がなぜか左半分だけになりました。こちらもツールバーから「表示」の設定を「全画面表示」に変えればいいと分かっているのにそれができない、そのアイコンが押せない状態になっているのです。シャットダウンや再起動をしてもダメ、念のため電源を切って放電までしましたが処置なし、徒労に終わりました。この間、これまであまり使ってこなかったショードカット・キーにもだいぶ精通しましたが、マウスでしかできない(あるいは私がキーボードでのコマンドを知らない)操作というのもあって、次第に疲弊してきました。初期化すれば直るのかもしれませんが、購入した時にすでに搭載されていたソフトが思い出せず、これまでの全てが消えると思うと踏み切れませんでした。

 そのうち新たな問題が発生しました。一つは3日、4日と日が経っていくうち、その間は食事を作る気にもなれず、ハッと思いついた時に睡眠を中断してその解決方法を試したりしたので、生活のリズムが乱れたこと。それでも全然改善しないので悶々としながら元気が出ない状態で過ごしました。もう一つは、それまでトラブルの解決方法はもちろんもう一つのパソコンを用いて調べていたのですが、五日目にシャットダウンしていたそのパソコンを起動した時、しばらく見ずに済んでいた既視感のある画面を見て、思わず「終わった~」と絶叫。なんと真っ暗な背景に英文が書き込まれたあの画面で、キーを押すと続々と同じ英文が繰り返し表示されました。「こちらのパソコンも壊れてしまったのか~」と呆然とし、天を仰いで嘆息しました。この状態ではこっちの方がむしろ重症。新たにパソコンを購入するにしてもパソコンがないとそれもできない。いや家電売り場に行けば帰るだろうが、ネット上で探すことができない。意気消沈して取り敢えず休息という名のふて寝を敢行。

 時間をおいて、気持ちも切り替えて念のため電源を入れると、「ん?」、何といつものWindows画面に戻っているではありませんか。狐につままれた気分でした。ここに至って、私はすぐさま通販サイトを開き、マウスに異常が起きているパソコンとほぼ同じ型の中古ノートパソコンを注文しました。ついに直すのを諦めたのです。心の霧がパァーと晴れていくようでした。そして何よりうれしかったのは二日で届くということ。普段、通販商品の配達は三日くらいかかっても当然、ドライバー不足の現在は一週間くらいは許容の範囲と思っている私ですが、この時だけは「これは例外」という気持ちでした。このパソコンだけは早く着いてほしい、これほど待ち遠しい配達は今までなかった気がします。


2024年4月10日水曜日

「2つの旧財閥系庭園」

  東京には都会の喧騒のただなかにぽっかりと静寂な場所が結構あります。それは、日本の激動の歴史の中でも破壊されずに残り、現在大切に保存されている庭園です。浜離宮恩賜庭園は徳川将軍家の出城とも言うべき見事な佇まいを見せていますし、他の藩主による庭園としては六義園(柳沢吉保)、小石川後楽園(水戸・徳川光圀)があります。また、皇族のものとしては東京都庭園美術館となっている旧朝香宮邸庭園が有名です。

 私は夏が来る前に体力アップを図ろうと、自分に活を入れつつ動き回っている折、先日は旧岩崎邸庭園に行ってきました。文京区から上野あたり一円は良く知っているはずと思っていたのに、以前池之端で「旧岩崎邸庭園はどこですか」と聞かれて、答えられなかったことを思い出したからです。探している人が辿りつけないというのも頷けるほど奥まったところにあり、恐らく一番簡単な行き方は本郷三丁目から東西に走る都バスで2つ目の湯島三丁目バス停から行く道のりでしょう。

 旧岩崎邸はジョサイア・コンドルの設計による英国ルネサンス様式の洋館(明治29(1896)年完成)で、正面玄関上のイスラム風の塔が印象的です。内部は岩崎財閥の財力が否応なく伝わる本物の装飾で満たされ、華麗でありながら実に落ち着いた雰囲気です。ただ、靴を脱いで袋に入れて持ち歩くことになるのでその点は注意です。洋館1階の西側には今年3月23日に公開開始されたばかりの書生部屋(学習室)があり、津田梅子が岩崎久彌夫妻の子供たちに英語を教えていたと言われています。また、三菱ゆかりの小岩井農場についての写真等もありました。順路の最後には、洋館に比して見劣りはしますが和館が繋がっており、坪庭や和室も見ることができました。洋館のベランダから見渡せる庭は平坦で広々としており、一面の緑と一体化できるような清々しさです。庭を一周して出口近くに独立した撞球室(ビリヤード場)があり、ここが本館から地下通路でつながっているという造りが最も私の関心を引いたところです。残念ながら実際に通ることはできませんが、このような遊び心のある仕掛けに出会うと、なんともうれしくなってきます。私の思考は勝手に暴走し、わくわくする想像が抑えがたくなります。「他にも英国のミステリに出てくるような抜け道があったりして。昔読んだ本に図書室かどこかから外に通じる館の話があったっけ。これはもう必ずや密室トリック事件が生まれる・・・。」

 さて、ジョサイア・コンドルの設計と言えば、もう一つ挙げなければならないのは旧古川庭園です。こちらは陸奥宗光の邸宅のあった土地ですが、当時の建物は現存していません。次男が古河家の養子となったため、古河家の所有となり、ジョサイア・コンドルの設計による洋館と洋風庭園が造られました。見た目は、旧岩崎邸と同じ設計者とは思えぬほど違っており、明るいクリーム色の旧岩崎邸に対し、旧古川邸は黒い石造りの重厚な造りです。東西南北の側面から見ると、それぞれ破風の造りが個性的で「これぞヨーロッパの洋館」といった風情です。十年前くらいに訪れた時に邸内を見学した覚えがありますが、今は忘却の彼方。ただここの見どころは何にも増して美しい庭園と言うべきでしょう。洋館の前にはシェーンブルン宮殿庭園ばりのミニミニ版的に刈り込まれたバラ園があり、あれは何月だったのか、あの時は好天のもと多種多様のバラが咲き誇っていましたっけ。そして洋館を背に、かつバラ園を前にして階段の上に立つと、目の前には日本庭園が広がっているという、恐らく日本でもめったにない光景を二つながら味わうことができます。ちなみに日本庭園の作庭者は京都の庭師・小川治兵衛とのこと。これがまた、心字池を配したちょうどいいサイズの素晴らしい庭園で、言うことなしです。

 見る方向や角度によって様々な表情を見せる黒い洋館と和洋双方の全く違った個性的な庭を見ていると、またしても幻想が浮かびます。いきなりそこは灰色の垂れ込めた雲の中で雪に降り込められ、周囲と交通が遮断された不穏な雰囲気の洋館となり、と来れば必ず起こる密室殺人事件…。むろんミステリの読み過ぎですが、ここは舞台設定が事件を呼び寄せると言っても言い過ぎではないような完璧な佇まいです。ただ、旧岩崎邸にしてもこの旧古川邸にしても、当時は想像すらできなかったこととして、今はそこここに高層ビルが建っており、事件が起きても必ず窓ガラスの向こうから目撃している人が存在しそうです。かくしてミステリはもう成り立たない、いやその前にまず交通が遮断されることはあり得ないか。旧古川庭園から近い電車の駅はJR京浜東北線の上中里もしくは、東京メトロ南北線西ヶ原のようですが、現地までは600mくらいは離れています。見る価値のある庭園は意図的にすぐには辿り着けないところに配置してあるのかも知れません。逆に、もっと歩きたい向きには、王子から飛鳥山公園を抜けて本郷通り沿いに歩くのもよいでしょう。それでも2キロはないはずです。


2024年4月3日水曜日

「お金と権力は人を狂わせる」

  最近日本を騒然とさせたニュースは、何と言っても大リーガー大谷翔平の専属通訳による違法賭博問題でしょう。小さな島国の国民にとって、世間様(諸外国)に対するこのような国民的不名誉を感じる不祥事はスタップ細胞事件以来のスキャンダルでした。ああ、あれから十年、面目ない気持ちでやりきれません。大谷選手の会見をそのまま事実とするならば、「何てことしてくれたんだ!」と言うほかなく、怒りと失望が日本を席巻したと言っても過言ではありません。この問題は、言語も法体系も社会通念及び諸慣習も全く違った国で生活することの危うさや困難も示してくれています。アメリカにおける疑念は「それほど巨額な送金を本人の同意なしに、または本人に知られずにできるはずがない」と言うところに根差しているようですが、これは多くの日本人にとっては「そういうこともあり得るだろうな」と理解できてしまう事柄なのです。打ち込む仕事があり多忙すぎる、お金に執着がない場合など、金銭に無頓着な人は頻繁に銀行口座をチェックしたりはしないからです。また、仕事の一環として相応のお金の出し入れは依頼していたはずですし、信頼している人に金銭処理を任せることは日本ではままあることです。アメリカ人には考えられないことでしょうが、それこそひと昔前の日本で家計を握るのは、その家が商家でもなければ、高度成長期に家事能力を極限まで発達させた一家の主婦というのが当たり前で、大黒柱たる世帯主はそのような瑣末なことから解放されていました。お金に関わることは何となく下に見られていたのです。私も若い頃は銀行口座をチェックする習慣も時間もなく、「月に一度通帳をきれいにする」と言った友人の言葉が意味不明で、それが通帳記入を行い印字するという意味だと分かっても、「へえ~」と思うだけで全く必要性が分かりませんでした。

 大谷選手の場合、その通訳の方は通常の通訳業務以外にその十倍もの様々な雑務をこなしていたということですし、すっかり信頼して仕事を一元的に任せ、普通の通訳に支払う額の十倍もの給料を支払っていたようです。多額の報酬は十分その働きに報いたいと思ってのことでしょう。ところがあろうことか、この人はギャンブル依存症で、にっちもさっちもいかなくなって大谷選手の口座から違法賭博の借金を送金してしまったのです。(まだ捜査中のことなので断言してはいけませんが。)スポーツ賭博についての取材依頼があることを大谷選手に黙っていたのはなぜか、「『二度としない』ことを条件に、大谷選手が一度だけ借金を支払ってくれた」という最初の説明を翌日には翻したのはなぜか、また、経緯の説明が大谷選手本人に対する説明に先んじてチームに対してなされたのはなぜか、仕事に支障があるわけでもないのに学歴詐称をしたのはなぜか、というようなことを考えると、あまりの人格的弱さにがっくりするしかありません。厳しいようですが、大谷選手も人を見る目が無かったのです。外国で生活するのに最も強力で不可欠の武器はやはり言語能力でしょう。間違った人物にこれを任せてしまうと、相手は自分に対し強い権力を振るうことができ、都合の良い専横を許してしまいます。あらゆる権力は腐敗するからです。

 誰かに対して全面的に力を及ぼすことができるという優越感はあまりに強烈なので、一度その力を得たら絶対に失いたくないと思うのは当然です。(その支配力が国民全体に及ぶ場合は独裁になります。)そうなると、どんな手段を用いても人は悪事の発覚を阻止し、自分の身を危うくするものは全て抹殺しようとします。これは権力を掌握した人誰にでも起こることです。世界中どこを見渡してもそうでない事例を見つけることができません。

 通訳の方はもともとギャンブル依存症という病気だったとのことですが、きっと当初は大谷選手というとんでもないジャックポット(大当たり)を引いて、人生最大のギャンブルに勝った心地だったことでしょう。我が身も浮遊したような心持ちになり、誘惑を斥けられずに借金がどんどん巨額になって歯止めがきかなくなっていったのでしょう。雇われた相手がこれほどの富裕者でなければ、全米規模どころか国際的金融犯罪容疑で捜査されることもなかったかもしれません。その意味で彼は、実は最悪のくじをひいてしまったと言えるでしょう。「お金は人を狂わす」ということ、どんなに信頼している人でも、いや信頼している人を守るためにこそ、「一人に任せずダブルチェックする」ことを、大谷選手は高い授業料を払って学んだことでしょう。全幅の信頼をおいていた人に裏切られた思いは今後じわじわと身にこたえてくることでしょうが、大谷選手は真っ直ぐな人だと思いますので、んなことで躓いてほしくない、何とかこれを乗り越えて自分の力を存分に発揮してほしいと、国民は皆願っています。

2024年3月29日金曜日

「作家という職業の現在地」

  ラジオで或る作家がこんな話をしていました。私の理解した範囲でまとめると、その方は昨年まで雑誌の連載をたくさん抱えて大変だったのですが、それは連載の話があるとつい引き受けてしまうためとのこと。その理由は、一つには名前が載ることで読者にアピールできること、もう一つは書けば原稿料が入るので、定期収入のない作家には貴重な収入源であるからとのことでした。しかし、一人の作家がひと月に書ける原稿の量は概ね決まっているのですから、或る問題が生じます。それは、多くの依頼を受けると一つ一つの雑誌の掲載分を減らさざるを得なくなる、あるいは書けた分だけの掲載となり、いつまで経っても一つの本としてまとめて世に出せないということです。ちなみに、かつては一回分の原稿枚数は厳格にきめられていたようですが、今はウェブ媒体での掲載も増えたせいか、原稿の分量に関しては誰も何も言わなくなっているようです。この方は、どれだけの量の連載を何回続けると一冊の本になるかということを詳細にかきとめてきたようで、「本を出す」ということに専念するなら連載はやめるのが正解という結論になったようです。

 作家と編集者の関係は或る意味一蓮托生で、双方出版業界を盛り立てたいと思っているのは確かでしょう。それでも、それぞれがそれぞれの希望や思惑をもって行動しており、その中身は天と地ほども違うのです。この作家の方は人がよいと言うか、連載のお声がかかると「ありがたい」と思ってしまう気持ちそのものに問題を感じていて、その気持ちに抗って「締め切りをなくす」、即ち連載を断捨離することに決めたようです。まずこのあたりから、聞いている私には意味不明で、ずいぶん的外れの気がしました。

 この方の心情はとりあえずそれとして認識できても、出版社の考え方は果たしてどうでしょうか。電子書籍は別として、紙媒体の書籍や雑誌は「再販売価格維持制度の対象」ですから、出版社はとにかく多数の出版点数を商品化することが至上命題のはずです。それを成し遂げるにはとにかく作家に書いてもらうしかない。これは作家の心情の問題ではなく、純粋に経済の問題で、現在の出版業をめぐる経済の仕組みを作家の方が理解されているのかどうか、甚だ心配になりました。雑誌の発行点数を死守するため、その埋め草を書く要員として利用され消費されるのだとしたらあまりに気の毒です。もっとも、出版社の資金が回らなくなったら元も子もないのですから、編集者としてもどうしようもないことなんのでしょう。

 それを裏付けるかのように作家の方はこんなことも言っていました。「今現在の状況は、実現不可能な目標を誰かが立てて、それを真面目に何とか果たそうとする人やどうあがいても実現不可能なためできたふりをする人がいて可哀想、無理やり押し付けられて限界に来てもできないと言えない状態としか思えない。この20年あるいは30年の間に失われたのは、現実に則した実現可能なルール作りであり、現状に合わなくなった仕組みの変更をして来なかったことがこの現状を生んでいる。」

 それはそうなのですが、それを行う手段があったかと考えると、私は思いつきません。この30年間、市場自体の縮小は他の多くの業界でも続いていますが、出版業は特に独特な業種です。現在の出版業界が抱える問題は、活字離れによる顕著な市場規模の縮小と、相変わらずの再販制度という枠組みから原理的に導き出された結果だと考えられるからです。この方がいみじくも「実現不可能な目標を誰かが立てて」と言っているように、無理な要求を強いているものこそ経済の法則なのです。もっと痛切な言葉として、「『この目標が今必要だから達成しろ』といった態度がどこかで横行しているのであろう」、「経験のある編集者からすると、絶対無理なのは分かっているのに、『駄目でも取り敢えず行ってみよう。やってみよう。何とかなるかも知れない』と言う編集者の気持ちは一体どこから生まれるのか」という生の声も聞かれました。この、自分の意図に反して「どこか」で「誰か」に操られている感覚が明快に告げるのはこれが経済の法則に他ならないということではないでしょうか。誰もそうしたくないのにそうせざるを得ない、そうしないと資金繰りが行き詰まってしまうのです。

 身も蓋もないことを言うようですが、作家が連載をやめて本の執筆に専念するという決断は一冊でも多くの本を書き上げるための打開策にはなるでしょうが、そうして書いた本を世に送ったところで、それがご本人の望む作家という職業の現状打破にどれほど寄与するかは未知数です。どれほどの出版社がいつまで生き残れるか、出版市場がどれだけの規模をいつまで保っているか、私にはあまり明るい見通しが見えません。


2024年3月23日土曜日

「一日を自分の裁量で」

  朝、目覚めると着替えをしながら今日の予定を思い浮かべます。昨年の懸案だった転院問題が順調に進み、最近は地震と気候変動以外の心配材料が何もないことは本当に感謝です。首都圏の地震は必ず来ると思っていますし、戦争あるいは政治・経済的理由よりはるかに多くの難民を生じさせているという気候変動は途轍もなく大きな問題ですが、自分にできる身の回りの努力の他はできることがありません。心配しても仕方ないのです。せめて今は暑さで動けなくなる夏が来る前にできるだけ運動(主にウォーキングを兼ねた都営交通の旅)をしています。午前中に戻れるくらいの短い外出でも、続けていると元気が出て、体力がついてくる気がします。

 先日は築地を覗いて見ましたが、市場が豊洲に移ったと言っても、まだまだ多くの人で混雑して活気がありました。特に場外市場で大勢の外国人観光客が、朝食と思われるうどんを立ち食いスタイルで美味しそうにすすっていたのは、これまで見たことの無い風景で、「おっ」と目を引きました。店先は掘っ立て小屋的様相ですが、こういう飾らないアジア的雑踏も旅の妙味となることでしょう。

 人々の日常の暮らしを見るのは楽しみでもあり、そこにいる見ず知らずの人からエネルギーをお裾分けしてもらって、よい一日のスタートとなります。往復してくるだけでも相当な運動量ですから、帰ったらもちろんコーヒーを淹れて一休みし、汗をかいていれば湯に浸かります。ああ、何という贅沢でしょう。残りの時間は家でのルーティンワーク、読書や家事、日常生活のメンテナンスなど、その時その時でやるべきことを片付けます。何もないようでも放っておくとどんどん溜まってしまう仕事はあるもので、嫌になる前に手を付けるのがコツです。

 若い頃から気になっていたモラリストの言葉は今になってなおさら身に沁みます。無理せず、飾らず、肩肘張らず、一日を自分の裁量で決めたとおりに動かせる幸いを与えられているのは歳を重ねたご褒美でしょうか。

「旅のように生きていこうじゃないか。・・・一日一日をしっかり無理なく過ごそう。・・・・私は一日の終わりが旅の終わりになるように心がけている。私は私の足で歩いているから、どんな一日であっても私は満足する。人生というのは一日一日の連続なのだ。・・・」

 あ~分かる、その感覚。旅好きだったモンテーニュのこの言葉に心から賛同です。彼はまた、「中庸とは無理をしないことだ」、「極端は私の主義の敵なのである」とも言っていたはず。ああ、いいなあ。でもモンテーニュは死についても省察していましたっけ。 「糸はどこで切れようと、それはそこで完成したのだ。そこが糸の端なのだ」と。それがいつになるか誰も分かりませんが、いつ来てもいいように一日一日を生きて、備えておかねばなりません。