オリンピックとは不思議な大会です。普段さほどスポーツに関心のない人も「にわかファン」にしてしまう力があるのです。そしてこれはナショナリズムの高揚と分かちがたく結びついているのが特徴です。私の場合は子供のころとは違って、単純に自国の選手が勝てばうれしいといった感じではなくなり、一つのことに打ち込んできたアスリートがその成果を発揮する舞台として見るようになりました。ただ、その人間の限界に挑んだ究極の成果を残したのが自国の選手であれば、やはり特に注目してしまいます。戦火を交えている国同士の選手が、どのような心持ちで試合に臨んでいるか知るべくもありませんが、この大会が本当の意味で平和の祭典になる日が来ることを願わずにはいられません。
私がざっと試合を見て感じたことを一つ挙げるなら、「とても公平な大会だった」という印象です。今回も含めて今まであまりオリンピックをかじりつくようにして見た経験がないのですが、これまでは結構「あからさまに不公平な審判」や「観衆が見てもあり得ない採点」や「世紀の大誤審」などがあって、「こんなの見るに値する大会じゃない」と思うことも多かったのです。しかし今回はそういう後味の悪いことはなく、とてもよかったと感じています、
私が注目していたバレーボールについて言うと、男子は1勝のみ、女子は一試合も勝てていない。それでも男子が決勝トーナメントに進めたのは、出場国12チームのうち最初に4チームだけふるい落として8チーム残すからです。つまりA、B、Cの3つのブロックにおいて、各ブロックの3位であってもその中の最下位でなければ決勝トーナメントに進めるのであり、まさに日本は第8位でここに滑り込んだのです。そしてその順位の決定方法は非常に精妙に手順が定められています。今回私が初めて知ったこととして、①勝ち点の数え方(勝った場合、3-0と3-1は3点で、3-2だと2点。負けた場合、0-3と1-3は0点で、2-3だと1点)、②セット率の計算方法(得セットを失セットで割る)、③得点率の計算方法(得点を失点で割る)があり、勝利数が同じならこの順で決定されます。とてもよくできているなと思います。
そもそもこのオリンピック予選を通過して本選に臨める12チームに入るということ自体、途轍もなく大変なことであり、どんな強いチームでもほんの少しの不測のファクターがそれを阻むことになりかねないレベルの高さです。このくらいきっちり決めておかないと優劣つけがたいチーム揃いと言ってよいでしょう。ですから、決勝トーナメントに関しては、私は「勝負は時の運」だと思っています。
決勝トーナメントのイタリア戦は地上波の放映はなかったので翌日惜敗(2セット連取してから3セット取られた)という結果を聞き、「残念無念」の一言でした。退任するブラン監督の肩に顔をうずめて涙する選手を動画サイトで見て、「本当にいい監督だったのだな」と、彼らしか知りえない掛け替えのない時間に思いを馳せました。「勝たせてあげたかったな」とは正直な気持ちですが、それは不遜で傲慢な考えです。選手自身が一番悔しく、「力が足りなかった」と情けない思いをしているのです。しばらくしてからキャプテンの石川祐希が「・・・・これが今の実力。この結果を受け止めて、ここから強くなるしかない。・・・・」という趣旨のコメントを出しました。自分で全て分かっているのです。そして、「さらにバレーボールを極めたい」との決意を述べているのはさすがです。
イタリア戦終了後に、選手に対しSNS等で心無い誹謗中傷をした者がいると聞いて、はらわたが煮えくり返りそうでした。バレーに限らずほかの協議の選手に対しても同様のことがあったとのこと、言語道断のとんでもない行為で、このような人たちはファンどころか人として最低です。こういう人は自分のために日本チームを応援していただけであって、選手の人気を笠に着て、ただ自分の自尊心を満足させたかっただけの人たちです。選手は何の責任も感じる必要はありません。本当のファンはどんな時でも応援するものです。悩み、苦しみの日のためにファンがいることを忘れずにいてほしいと思います。